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TheGyspsw24
Japan
Приєднався 3 сер 2012
*#太平洋戦争 #戦闘機 #零戦 #海軍 #陸軍 #プロペラ
*このチャンネルで紹介する内容は全て正しいわけではなく、間違いや思い違いなどがあるかもしれませんので、予めご了承ください。
引用参考
*徹底図解 零戦のしくみ(日本航空史に燦然と輝く名機の栄光と悲しき末期) (新星出版社)
*軍用機メカ開発物語 (潮書房光人新社)
*知られざる日本軍戦闘機秘話(彩図社)
*ウィキペディアほか
*画像:ウィキペディア、いらすとや
*ナレーション:冥鳴ひまりVOICEVOX
*音楽:Artlist
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引用参考
*徹底図解 零戦のしくみ(日本航空史に燦然と輝く名機の栄光と悲しき末期) (新星出版社)
*軍用機メカ開発物語 (潮書房光人新社)
*知られざる日本軍戦闘機秘話(彩図社)
*ウィキペディアほか
*画像:ウィキペディア、いらすとや
*ナレーション:冥鳴ひまりVOICEVOX
*音楽:Artlist
海軍丙飛十六期今泉利光上飛曹の零戦搭乗記 その1
#零戦#練習機#予科練#九三式中間練習機#筑波航空隊#操縦練習生
海軍丙飛十六期今泉利光上飛曹の零戦搭乗記「死ぬために生きてきた日々」その1
出典
*「蒼空の航跡」 産経新聞出版 久山忍著 今泉利光手記
*ウィキペディア
画像
*ウィキペディアほか
ナレーション
*冥鳴ひまりVOICEVOX
音楽
*UA-cam music
本編にて説明している内容については、間違いや他説など諸説があるかもしれませんのであらかじめご了承ください。
海軍丙飛十六期今泉利光上飛曹の零戦搭乗記「死ぬために生きてきた日々」その1
出典
*「蒼空の航跡」 産経新聞出版 久山忍著 今泉利光手記
*ウィキペディア
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*ウィキペディアほか
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零戦VS日本の戦闘機
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#零戦#隼#疾風#紫電#紫電改#烈風#7.7mm機銃#20mm機銃 出典 *零戦のしくみ 日本航空史に燦然と輝く名機の栄光と悲しき末期 新星出版社 *日本軍戦闘機秘話 彩図社 横山雅司著 *零戦の栄光と凋落 光人社NF文庫 碇義郎著 *「零戦」は「ゼロセン」とは読まないという指摘が、じつは「的外れ」だと言えるワケ 講談社HP 神立尚紀著 *ウィキペディア 画像 *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *UA-cam music 本編にて説明している内容については、間違いや他説など諸説があるかもしれませんのであらかじめご了承ください。
陸軍熊谷軍曹が銃撃したB 29は何処へきえたのか?B-29墜落史研究家新井勲氏講演
Переглядів 5 тис.28 днів тому
#B-29#二式戦#鐘馗#陸軍第70戦隊#熊谷兼一軍曹#新井勲 昭和19年12月27日東京亀戸上空を飛行するB-29を追尾していた、陸軍第70戦隊所属の熊谷兼一軍曹が搭乗する二式戦闘機「鐘馗」の機銃がB-29のエンジンに命中。B-29はそのまま飛行を続けますが、太平洋上で墜落します。 熊谷兼一軍曹の鐘馗も現在の亀戸7丁目付近鐘ヶ淵紡績工場に墜落しますが、地元の人たちによって、現在でも12月に熊谷軍曹の慰霊祭が執り行われています。 当初、熊谷軍曹の鐘馗はB-29に体当たりをしたと伝えられていましたが、B-29墜落史研究家の新井勲氏が調査した結果、体当たりではなかったことがわかりました。 新井勲氏連絡先:i-arai@mwd.biglobe.ne.jp
零戦の武装の実力はどれほどあったのか 過去動画「零戦の機銃は使えたのか」加筆リメイク版
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@お詫び 本編のプロペラ同調装置の説明で「F6Fとの空戦で全速力の回転数が4,000回転を過ぎると7.7mmは使えない」という部分がありますが、3,000~4,000回転などありえないというご指摘を何件かいただきました。この部分の説明につきましては、丙飛十六期出身で五二型に搭乗されていた今泉利光さんの手記「蒼空の航跡」P122より引用させていただきました。残念ながら今のところ真偽のほどは不明です。 #零戦#戦闘機#太平洋戦争#グラマン#7.7mm機銃#20mm機銃#エリコン社#爆装零戦 出典 *零戦のしくみ 日本航空史に燦然と輝く名機の栄光と悲しき末期 新星出版社 *情熱零戦 藤井英明著 月刊「丸」 *蒼空の航跡 今泉利光手記 *ウィキペディア 画像 *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *UA-cam
液冷エンジン世界の名機列伝第二次大戦で活躍した液冷エンジン戦闘機
Переглядів 7 тис.Місяць тому
#液冷エンジン戦闘機#Bf109#ホーカー・ハリケーン#スピットファイア#P-51マスタング#飛燕 出典 *世界の液冷エンジン搭載名戦闘機列伝 帆足孝治著 月刊「丸」 *ウィキペディア 画像 *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist 本編にて説明している内容については、間違いや他説など諸説があるかもしれませんのであらかじめご了承ください。
終戦直後ウラジオストクにナゾのカミカゼが襲来
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#神風特別攻撃隊#ウラジオストク#カミカゼ 出典 相原秀起著 ウラジオストクに突入したナゾの特攻機に迫る 月刊「丸」 画像 *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist 本編にて説明している内容については、間違いや他説など諸説があるかもしれませんのであらかじめご了承ください。
「我が町の特攻隊員 奇跡!!遺品の里帰り」 戦史研究家「新井勲氏」講演 特攻戦死者の遺品が静かに訴えること
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#新井勲#学徒出陣#特攻隊#太平洋戦争#バンカーヒル#小川清#早稲田大学 学徒出陣にて海軍に入隊し、神風特攻で散華した二人の若き飛行兵についての講演です。特に小川清少尉は特攻戦死者の中でただ一人、突撃の瞬間を詳細にわかっている人でした。そして、彼の愛用していた遺品の飛行時計や落下傘のバックルなどが元米兵の家族から、小川清さんの遺族に返還されます。 新井勲氏連絡先:i-arai@mwd.biglobe.ne.jp
B 29はどのような働きをしたのか?B 29スーパーフォートレスの開発と運用
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#B-29#B29#東京大空襲#B-17 出典 広田厚司著 対日戦勝利の立役者B-29スーパーフォートレス 月刊「丸」 画像 *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist
五式戦闘機は隠れた名機だった 知らぬ間に生まれ、知らぬ間に消えた機体
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#五式戦#キ100#飛燕#キ61#三式戦 出典 古峰文三著 飛燕&五式戦開発ダイアリー 白石光著 五式戦闘機は名機か? 以上月刊「丸」 画像 *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist 本編にて説明している内容については、間違いや他説など諸説があるかもしれませんのであらかじめご了承ください。
紫電改の猛者達(名機の開発者から搭乗員までの紳士録)
Переглядів 6 тис.3 місяці тому
#紫電#紫電改#強風#三四三空#菊原静男#源田実#志賀淑雄#鴛淵孝#菅野直 出典 *大内健二著 栄光の戦闘機「紫電改」紳士録 月刊「丸」 *ウィキペディアほか 画像 *soraかさい *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist
「強風・紫電・紫電改」連合軍はどう評価したのか1
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#紫電#紫電改#強風 出典 *秋元実著 水戦「強風」から局戦「紫電改」まで *大塚好古著 米軍レポートに見るバイオレットライトニング *本田基著 太平洋を渡った「強風/紫電/紫電改」 以上月刊「丸」 *ウィキペディアほか 画像 *soraかさい *ウィキペディアほか ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist
海軍特攻の母「大西淑恵」大西瀧治朗の妻が慰霊に捧げた半生
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#特攻隊#大西瀧治朗#大西淑恵#第十三期飛行専修予備学生 出典 *神立尚紀著『終戦の翌年「戦没者慰霊法要」を行う本堂に駆け込み「土下座」した小柄な女性の「まさかの正体」』 *ウィキペディアほか 画像 *ウィキペディアほか *いらすとや *AI生成イラスト ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist 本編にて説明している内容については、間違いや他説など諸説があるかもしれませんのであらかじめご了承ください。
神風特別攻撃隊筑波隊隊員たちの思いと平和への願い (南秀利氏講演)
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#神風特別攻撃隊#特攻隊#筑波海軍航空隊#特攻隊員の遺書#桜花 筑波海軍航空隊に発足した、神風特別攻撃隊筑波隊や人間爆弾「桜花」特攻隊発足の経緯、それと特攻隊員達のエピソードについて郷土史研究家の南秀利氏が解説します。
「甦れ紫電改」忘れないでね昭和20年6月23日を!! その日に散った日米の若き飛行兵についての講演(講師:戦史研究家新井勲氏)
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#甦れ紫電改#紫電#紫電改#P51 昭和20年6月23日千葉・茨城地区に来襲した、米戦闘機P51に向かって、多くの日本軍戦闘機が邀撃に飛びたっていきました。圧倒的多数のP51は、日本の戦闘機を次々と撃墜します。日本の戦闘機パイロットの殆どは、二十歳にもみたない若武者達でした。戦死したパイロットについて、戦史研究家の新井勲氏が語ります。この映像は、2024年8月4日に茨城県筑西市にて行われた講演会の様子です。 新井勲氏連絡先:i-arai@mwd.biglobe.ne.jp
近代的艦上攻撃機の誕生!九七式艦上攻撃機は如何にして生れたか
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#九七式艦上攻撃機#艦上偵察機 出典 *古峰文三著『傑作艦上攻撃機“九七式”かくて誕生す』月刊丸 *ウィキペディアほか 画像 *ウィキペディアほか *いらすとや *soraかさい ナレーション *冥鳴ひまりVOICEVOX 音楽 *Artlist
昨日の敵は今日の友(戦後涙の再開)自分が墜とした敵パイロットとの友情
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昨日の敵は今日の友(戦後涙の再開)自分が墜とした敵パイロットとの友情
終戦に間に合わなかっ戦闘機試作6選!! 次世代の主力機になれたかもしれなかった?!
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終戦に間に合わなかっ戦闘機試作6選!! 次世代の主力機になれたかもしれなかった?!
紫電と紫電改は殆ど別の機体だった! 紫電改が400機しか作られなかったのは何故なのか?
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紫電と紫電改は殆ど別の機体だった! 紫電改が400機しか作られなかったのは何故なのか?
悲報!日本軍戦闘機用プロペラ事情:外国技術に依存し独自技術は育たなかった?!
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悲報!日本軍戦闘機用プロペラ事情:外国技術に依存し独自技術は育たなかった?!
防衛戦のはずが。戦闘機に群がるばっかりで、攻撃機、爆撃機に達成されている。 呉は全滅だし。 防衛戦は、攻撃機、爆撃機を落とす事。戦闘機を落としても、防衛に成らないが。
当時の日本の工業力を冷静な基準で判断すればハ-112ー金星エンジンが最良であった。5式戦及び零戦54型は2年前に登場しなければならなかった機体。
大和型の建造費、約1億3780万2000円、 風船爆弾の予算は、約2億4000万円。
零戦のタイヤカバーと脚柱カバーは無負荷状態では面一なのが着陸で沈むとズレます。これは脚柱(ダンパー)を斜めにすることで実現してます。 脚柱カバーの3色は部隊や資料によって様々な配色があります。 ゴジラ-1.0の冒頭シーンの零戦着陸では250kg爆弾装備してるのにこの3色にかかりもせずに静止してるのにガッカリしました。
96式単座戦闘機一型。 96式艦上戦闘機二型から四型。
オレオ社の緩衝器は今でもエレベーターなどの緩衝器で使われてますね
グリフンは2000馬力。マリーン6は、1700馬力。 零戦32以後は4000mと6000m、990馬力、970馬力。マリーン6は5000m、9000mで、1600馬力。1600馬力。 黒江少佐のP51には誰も勝てんは。 P51cの整備を受け持た技術班名取大尉は、油漏れしない油圧系、完璧な電装品、精密な発動機。これに乗ってたら日本機い幾ら居ても負ける気がしない。と、思ったと。
烈風は中止、高高度用の烈風改が試作続行。 4500㎏自重て。クルクル回るバッタモンのF6F。防弾なし。 小福田少佐、志賀少佐も、いらんわ。
五式戦を褒め称える談話が虚勢をはっているように聞こえてしまって悲しい
20㎜が当たらないは、下手だから。 ミッドウェー海戦では、1航戦、2航戦の零戦21型。6空の零戦21型で、SB2、TBDを20㎜で落としてます。 基地のTBF6機、B-26マローダー爆撃機4機、SB2Uビンジゲーター急降下爆撃機12機、海兵SBDドーントレス急降下爆撃機16機。 米国空母のTBD。全て20㎜。 だから、発着が頻繁におこなわれた。 艦載機乗りと、陸上から乗りと技量は同じではない。 悪いが、坂井氏は艦載機乗りでは無かった。
烈風は小福田少佐、志賀少佐もボロクソですが。 デカイ零戦21は要らない。 誉の冷却ファン付きが。量産型。有り得るか?。 7000mなら1300馬力だが。 三菱発動機は実史扱いだが。形にも成ってないハ43を、ねじ込もうと。 震電は3時間動かしてハ43が壊れて修理待ちに終戦。 お笑い三菱発動機。
志賀さんが烈風にいっている様に、必要なのは、速度と上昇力。が必要。デカイ零戦21ではない。 航続距離だって、200ノットで6時間内が体力精神力の限界。 2000㎞。 A6M2全開30分、200ノット3時間30分。 A6M3全開30分、200ノット3時間10分。 4時間位が戦闘時間。
防弾は漢口で、重慶爆撃で銃撃されて被弾した時に防弾の必要性が進藤隊長他搭乗員から出ましたが、司令官の大西少将から必要なし。と、されてます。 重慶爆撃に大西少将が同行して、大量の96陸攻の損失が出て自己も撃墜されかけて、護衛機の必要性を急ぎ。 山口少将は、護衛機無しで、陸攻を出して大量損失を出し。護衛機の零戦も調整中だと言うと、命が惜しいのかかと。双方にいってますし。
零戦一一型 A6M1は、局地戦闘で承認されました。1から64号まで。9号からの量産は漢口に配属されました。 艦載機の艦戦は二一型A6M2です。
主翼を大きく折り畳まないので広く脚周りを取れてますが、欧米の戦闘機は胴体に脚を取り付け、 主翼を大きく折り畳む構造に作りました。>グラマンF4FやメッサーシュミットMe109がその構造です。 空母に降りるには大きい脚間が好まれますが、収容時には主翼を大きく折り畳めるグラマンの構造が艦載機向きです。 そのため、主翼には燃料搭載出来ず、胴体に燃料搭載。>防弾装置万全。 零戦は胴体前部、主翼双方にタンクを設置、増加タンク込みで3000kmもの航続距離を誇りましたが、 防弾が皆無で、一発で火ダルマになる事多々。>坂井三郎の戦記でも同僚が火炎で戦死するのを目撃してます。
メッサーシュミットは主翼を畳みません。 主脚取り付けはエンジン架と一緒の構造物として軽量化してます。 それよりメッサーやスピットファイアが外側引き込みなのは薄翼にするためなのが大きいようです。出生がレース機ならではですね。
剣は特攻機と言われてますが、実際は日本上空の圧倒的な敵航空機の数と損耗率から機体は使い捨て、余計な物は削って生産を上げる、という様な経緯では無かったかと思います、 設計者も特攻機とは認めてはませんし、発案は航空機を引き取りに来たパイロットの言葉からだという事です、 我に剣を・・、という言葉から剣と命名した様です。
0:26 九七式艦上攻撃機で最初に引込脚が採用されたのは『九七式一号艦上攻撃機』です。 同時に採用された九七式二号艦上攻撃機は固定脚でした。 なお、真珠湾攻撃において雷撃や水平爆撃のために空母から発艦したものは、九七式一号艦上攻撃機の改良型である九七式三号艦上攻撃機です。
引き込み足、普段余り目がいかないところについて説明して頂き参考になりました。 この頃の航空機の進化は余りにも早く、理解に追いつけないところがあります。 例えば、グラマンとの比較ではワイルドキャットとの比較であり、ヘルキャットとの比較はありませんでした。 このところを、全く知識のない人が見ると、ゼロ戦はグラマンより優れて居たんだという話しになってしまうと思います。 日本はなぜ戦争に負けたのか、物量だけではありません。武器の性能有力差というのも大きな要因の一つです。 だからと言って、日本が劣っていたということでなく、日本も優れて居たけど、アメリカはもっと進化したという説明が欲しいですね。
戦前の日本の工業力の限界で品質を均一に保て無かったこと、新規の大出力エンジン、排気タービン、冶金技術の低さが問題だった。各機種とも整備が十分であれば性能は、そこそこだったのが現実…
光が前方視界が悪い。オリジナルがライト R-1820。 SBDが、積んでいるが。FM2も積んでいるが。 空母着艦でクレーム出てないが。
その数倍の予算を人造石油に投じて何の成果もありませんでしたぁ だもんね@@; 普通にドイツから技術買っとけば・・
技術買ってます。施設ごと買わないと。😊
@@user-xn8xl4xx4e 終戦間際に契約成立してたね それくらいしか自分は知らないけど戦前は海軍の徳山燃料廠が強硬に反対して進まなかったという話しか知りませんが 買ったならライセンス貰うでしょうけど手ほどきも無く施設を自前で・・?その割にはお粗末ですね@@;
艦戦は15年6月頃に曽根さんに、航空本部から呼び出されて15試艦戦の意見をきいてます。15年標準化要領。速力350ノット。20㎜、13㎜機関砲。曽根さんは断ってます。 7がに二一型の改造依頼が来ます。航空本部から16年6月に16試艦戦依頼が来ます。誉の2次試験に受かったから。曽根さんは断ってます。二一型の主翼フラッター墜落の改良に追われてます。仮二号の試作が出来た頃。 延々試作が出来ない14試局地戦。 三二型の量産が17年4月から始まる。ソロモンで三二型が、本部長の進退伺いが出されて、三二型打ち切り二二型に。 そんな中で、17試艦戦依頼が。 中島は二一型を19年の五二型に替わるまでつくってますし。 三菱の重いは、振動デカイは、燃費悪いは。の発動機に問題が。 火星がBMW801程度の信頼性が有れば。16試艦戦が出来たかな。 誰かさんの好きな、紡錘形に問題がある。スピナーだって要らないし。
昭和十一年度 航空機種及性能標準 艦上戦闘機 使用別 航空母艦(基地) 用途 1,敵攻撃機の阻止撃攘 2,敵観測機の掃討 特性 速力及び上昇力優秀にして敵高速機の撃攘に適し、且つ戦闘機との空戦に優越すること 航続力 正規満載時全力1時間 機銃 20mm1~2。1の場合は7.7mm 2を追加。弾薬包は20mm 1につき60、7.7mm 1につき300 通信力 電信300浬、電話30浬 実用高度 3,000m乃至5,000m 記事 1.離着陸性能良好なること。離艦距離 合成風力10m/sにおいて70m以内 2.増槽併用の場合6時間以上飛行し得ること 3.促進可能なること 4.必要により30kg爆弾2個携行し得ること 以上 当日では、普通の要求です。十二試で運用は15年、初期不良で二一は16年末までかかり。改良依頼が。零戦の改良で、十四試の遅れで、十五試は十七試に。
空襲で工場が軒並みやられたからなあ。 日帰り空襲が出来るようになった時点で、日本は負けていた。
米国では、日本軍パイロットはパラシュートで脱出した敵兵を撃つと聞いていたようです。 違いますね~。陸軍と海軍の違いでしょうかね~
飛燕の機体自体は良い機体でしたが、水冷エンジンが間に合わず、当時の各務原市の国道に首なし飛燕が野ざらしになり、 軍部や川崎航空機が唯一間に合う空冷1500psエンジン、海軍名の金星が存在してたので明野に来てた、 ドイツのフォッケウルフFw190の機体を参考にフィレットを作成、 エンジン架の柱が偶然にもハ40と同じで改造も少なく搭載出来たそうです。 重心については元々飛燕の機体にレールが付いてて前後にずらせる事でバランスを取り、短期間で改造出来ました。 改造機なので他の陸軍戦闘機みたいなペットネームは無く、五式戦として採用。 本当なら飛燕改が正しい名前になるのでしょうね。 >紫電も正式には紫電11型、そして紫電改は紫電21型が正式名です。
確か?キー78のテストパイロットをされていたのが松本零士さんのお父さん???と言う話を聞いてます。
紫電改もそうなんですが、連合国の新鋭戦闘機と互角、ということで傑作とか名機とか言われてるんでしょうが、連合国の新鋭戦闘機扱いのヘルキャットやマーリンムスタングは43年デビュー組です。2年遅れでようやく追いついたというだけなので、ひいき目で見ても名機とも傑作機とも言えません。日本のなかでは良かったと言うだけです。
疾風は投入したタイミング的にどうにか間に合った機体だと思うし、紫電改も自動空戦フラップは世界に先駆けた技術だったと思います。日本の航空機は開戦前に外国から取り入れた技術の延長でしかなかったが、自動空戦フラップは数少ない独自技術でしかも秀逸。疾風と紫電改は恥ずかしくない出来だと思いますが。五式戦は過大評価でしょう。
口径が20ミリにもなったら大砲なのにね
4:04 「急降下性能だけは隼二型に勝つことができなかった」って誰も疑問に思わないんでしょうか? 隼二型の急降下制限速度は600キロ、飛燕・五式戦は850キロですよ。上昇力の間違いでは? まあ馬力荷重は隼の方が有利だから急降下初期の加速性では隼の方が上で、模擬空戦では急降下初期の時点で勝負が付いてしまったということかもしれませんが。 少なくとも上昇力の方がスペック的には隼が1~3型全てで五式戦より上のはずですが。
そもそも飛燕を予定通り完成させてなかったのに、おとがめなしどころか陸軍大臣から感謝状って…
スピットは7.7ミリ8丁だからゼロ戦は7.7ミリ6丁にできなかったのか。 米軍は7.7 ミリ、12.7ミリ 、20ミリを実際にテストして 12.7ミリが最適であると結論し、戦闘機は全機種12.7ミリに統一した。
隼1型は実際に配備された時には片側が12.7ミリになっており、7.7ミリ×2という機体は存在していません。まあどちらにせよ零戦とは比較になりませんが。 航続距離も陸軍は行動半径という言い方で、離着陸30分、空戦(全力)20分含めて往復という表示だったと思いますが、海軍式に換算してということでしょうか。 海軍の航続距離の測定条件を知りませんが、単純に燃料搭載量を燃料消費量で割ったものでしょうか?
一式は半径が300㎞が要求でした。15年8月に半径が1000㎞の要求が。明野から、燃料増量は動きに問題が出ると反対が。北部仏印からの爆撃機の護衛に必要だからと。 一式一型は全開20分200ノット1時間。増槽付き全開20分200ノット3時間 二一型は、全開30分200ノット3時間。
@@user-xn8xl4xx4e 行動半径300kmというのは昭和12年の陸軍航空機材研究方針がそうだっただけで、キ43の要求は行動半径800kmだったと言われています(後で1000kmになりますが)。300kmだと97式と変わり映えしないですね。キ43の要求仕様は原本が残っておらず当事者の記憶なので、600kmだったのではないかという説もあったようですが。陸軍航空機材研究方針が、昭和12年は300kmに加えて「なしうる限り400km」だったものが、キ43の開発指名後の昭和13年には「なしうる限り600km」になっていたということで。しかし試作機の性能からしても800km想定だったらしいですよ。元々600kmだったものを1000kmにしたというのも無理がありますし。
@@jx6004さま 97の改良型がですから。胴体燃料タンクが、200lでしたかな。キ43は、ノモハンのけいけから、胴体燃料タンクは、座席の前分のみ。他は翼内。 1000㎞に近づけるために、スリッパ型の増槽を。
B29はどこに爆弾を落としたんでしょうか?
ゲテモノですわ、、、当然 速度はで無いね。
当方、S40年生まれです。10代前半から「丸」を愛読。昭和50年代、343空は ほぼノーマークだった気がします。 牟田口の評価も無かった記憶。
火星エンジンとダブルワスプの外径がほぼほぼ同じなので、雷電の機体設計はベアキャットみたいなのでよかったんだよなあ。実際雷電とベアキャットの機体寸法ほぼ同じだしね。そうすれば史実雷電と違い紡錘形の胴体無し出力軸延長無し強冷ファンも無しで、史実雷電よりずっとシンプル軽量でちょっとアンダーパワーのベアキャットみたいなのが17年頃に入手できたはずで、その時期としては十分な性能だろう。
ご視聴&貴重なコメント有難うございます。
17年の火星は1400馬力。震動対策はしてませんし。
どの機体が優れていたといのも興味深いですが、何よりアップ者の当時の機体に対する愛に、敬意を表します!
ご視聴&あたたかいコメント有難うございます。そう言っていただけると嬉しいです。
隼と零戦では一機当たりの納入価格が全く異なります。高級機と普及機を比べるのは隼に分が悪いと思います。
ご視聴&ご指摘有難うございます。
誉エンジンに合わせた絞った設計をするべきで、それを無視した堀越氏の責任は重すぎる。そんなことが許されるなら英米の設計者はロールスロイスマーリン前提ですって皆言い訳するでしょ。
ご視聴&ご意見有難うございます。
面白い。ゼロと隼の比較、紫電改と疾風の比較がライバル対決として、解り易いかな。
ご視聴&あたたかいコメント有難うございます。
まぁ戦争初期の最優秀戦闘機で言えば零戦となるのかもしませんが・・・ 後期の最優秀戦闘機は文句なしに「大東亜決戦機」疾風でしょう。 因みに隼は改良を続けた結果零戦と同程度・機動性に関してはうわまっていきます。 生産性も悪くなかったのですが後により高性能・高生産率の疾風が出てきた為。総生産数では零戦がうわまわりましたが。 因みに烈風の開発は零戦の量産がはじまってからすぐ開始されましたが、 海軍の要望の変遷及び三菱のハ43への過大且つ楽観的な希望で散々に遅れた結果納期も間に合わず後継機は紫電改に決定、 更に応急的に川西が提示した紫電改にすらボロ負けの性能。 オマケにハ43を乗せたところで精々誉搭載機で一回り小さく生産性も良好な疾風・紫電改と同程度且つ生産性は最悪。 因みに紫電改の生産数は少なかったのは大戦末期であることもありますが、 三菱が生産を突っぱねたことも要因におあげられます。 零戦は中島が委託生産した機体数の方が上だというのにねぇ・・・
ご視聴&貴重なコメント有難うございます。
紫電改ができた後も、紫電の資材が残っていたので作り続けていたという話ですからね。紫電はほとんど役に立たなかったようだし、さっさと紫電改に集中していればと思いますが。疾風が正式採用の19年4月より前に実質量産開始で100機も生産していたのに対して、紫電改の量産開始は昭和20年になってからですからね。
父親は五式戦を愛機にしていた陸軍航空学校教官でした。陸軍戦闘機の中では一番だといつも言っていました。
ご視聴ありがとうございました。御父上の当時の生の声を聞けましたこと羨ましい限りです。
まあ、「艦上機」縛りがあるから、簡単に並べて比較はできないにしても、金、資材、エンジン、、、あれもないこれもないがつらすぎる・・・。
ご視聴&コメント有難うございます。
零戦と一式戦闘機の比較も、計測当時に陸軍が使用した燃料は「87オクタン価」で海軍は「92オクタン価」。当然のことに質的に高性能な燃料を使用していた零戦に分があったわけです。その事を知ってか知らずか分かりませんが、「陸海軍合同研究会で、零戦はキ43(後の一式戦)とキ44(後の二式戦)に対して性能的に優位だった」と著書に誇らしげ─ある意味無邪気─に書き込んだ堀越二郎技師の言葉は割り引いて聞かねばならないと思う。
87オクタン仕様のエンジンにハイオクガソリンを使っても性能は向上しない。ハイオクガソリンはハイカロリーガソリンではない。この時の比較で特筆すべきは零戦の速度が550km/hを出すとされたキ44に匹敵したことだ。このときのキ43、キ44ともに空力的洗練度が低かったとみるべきだろう。キ44はその後の改修で626km/hまで向上している。
@miyamiya2237 ハイオク=ハイカロリーでは無いことは存じてます。ただ 栄は「92オクタン価」燃料を前提とした発動機ですから、それより低いオクタン価では当然飛行性能に影響を与えたと思います。栄の発展させた「誉」は「100オクタン価」が前提でしたから92オクタン価では能力を発揮できない。なので水メタノール噴射を追加して100オクタン価「相当」にしたと聞きます。キ-84(陸軍四式戦闘機)の量産機が最高時速660kmを発揮したと言う話は、おそらく水メタ+92オクタン価だったのではないかと推測します。
成る程燃料の差は過給機エンジンでは大きいですね
陸軍整備士の回想を読むと、92オクタン価が前提のハ25(栄)に100オクタン価燃料でエンジンを回すと─調子良く感じられる他に─実効果として「燃費が良くなる」程度で、速力が速くなる等「飛行性能が向上」するわけではないそうです。 話は逆で、想定以下の低オクタン価の燃料を使用する場合、「運転制限」を課せねばならないということです。
輸入の87、92と蘭印のナンチャッテ87、91では雲泥のさが。
【万能零戦への依存度が高まり後継機の開発が遅れてしまいます】 ・・・此れは違うと断言できます。 海軍当局は零戦の性能に決して満足していなかった事が様々な資料からも分かります。しかし結局のところ終戦まで零戦に頼らざるを得なかったのは、ひとえに新型発動機の開発が遅延したことにある。特に戦闘機は発動機が命であることから、既存の発動機を上回る高性能・高出力発動機が開発されない限り、後継機を計画したくてもできないからです。陸軍が一式戦闘機以降次々と新型機を投入したように見えるのは、二式と三式が既存の─世界水準から見れば─旧式の部類に差し掛かった発動機で当面凌いだからであり、本命の四式戦闘機までには数年の開きがあったわけです。それでも陸軍はアレコレ欲張らず「割り切っていた」ので四式戦闘機は辛うじて戦力化できた。しかし海軍は完成時点で既に陳腐化を恐れるメーカーと当局の間で齟齬を来し混迷を深めて行く一方となって「時間切れ」となった感がある。
ご視聴&貴重なご指摘ありがとうございます。
烈風も、16年に誉の2次試験合格が出て、キ83と同じ頃に発注してますが。曽根さんは、零戦21の主翼フラッターの問題、21改良の試作機。で、断ってます。 三菱が零戦で失敗しまくるから。
どれもこれも、紙で出来たガラクタです、、、、乗せられた若者が不憫。
悪いのは機体ではなく 無謀な作戦を立てた軍上層部
両方悪いね、、、、@@大将あずれん
ご視聴&コメント有難うございます。
キ-28は終戦に間に合わなかったわけじゃ無いし、一撃離脱はドイツの様にロッテ戦法と組み合わせないと戦果を望めないし、無線機が弱かった日本機ではやりたくても出来ない戦法でした
ご視聴&貴重なご指摘有難うございます。
紫電でそんな速度出る?
坂井三郎さんは12.7mmをバリバリ撃ちまくってくるグラマンが羨ましかったと言ってるから、対戦闘機戦闘では米国式のほうがよかったのだろうね。20mmは対重爆用には有効だろうね。
5:56 小川清少尉も早稲田だった