紫電改の猛者達(名機の開発者から搭乗員までの紳士録)

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  • Опубліковано 29 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 5

  • @奥田圭亮-k5h
    @奥田圭亮-k5h 4 місяці тому +10

    私の祖父は海軍第6航空隊でミッドウェー島占領後に島に駐留すべく空母「加賀」に乗りました
    対空戦に参加する為に「加賀」を発艦しましたが母艦被弾で空母「飛龍」に着艦
    補給後に「飛龍」を発艦して直掩任務に
    「飛龍」被弾で駆逐艦脇に着水
    帰還後に第204航空隊に所属してトラック基地へ
    204航空隊解隊後はフィリピン迄転進し「神風特別自爆隊」の護衛を務め愛機を置いて内地に帰還
    松山基地で新機材受領後に沖縄方面に進出する筈でしたがそのまま松山基地に置かれ「紫電」を受領し迎撃を繰り返しました
    343航空隊が鹿屋基地に進出後も松山基地に残り着陸時に脚を壊して修理中に終戦😢
    航空自衛隊ではF86の単独飛行に成功しましたが自らジェット特性無しと判断し教官を務めましたが発病しニ尉にて病没
    最終迎撃機数は9機 撃破9機

  • @とっぽ-m1t
    @とっぽ-m1t 3 місяці тому +3

    源田氏は松山の343空を新設したのではなく、再編したのでは?

    • @松尾直-q2j
      @松尾直-q2j 3 місяці тому +2

      確かに初代はマリアナ戦線で消耗しちゃいましたね。

  • @風天ゆきぼー
    @風天ゆきぼー 3 місяці тому +1

    ??