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祖父は紫電に乗ってましたが着陸時に脚を壊して修理中に終戦しました😮
今みても脚の収縮ギミックは故障しそうですからねぇ。
中翼機の主脚はF4Fのように胴体に格納したり、F6Fのように90度回転させて後方に格納する方式が正解なのかもしれませんね。
343空の基地周辺にはぶっ壊れた紫電がゴロゴロ転がっていたという噂話もありますな…風立ちぬのラストシーンを想像しましたよ
紫電は搭乗員の評判は悪かったみたいですね、紫電改とは別物だと
@@koge3977 同じ構造のP-47はだいじょうぶなんだけどな
やっぱりエンジンオイル、プラグ、燃料の大切さがわかる
実はマレー攻略した後に鹵獲したF2バッファローを海軍航空技術工廠が飛行テストして、パイロットと運用側は前世代の古い機体と見向きもしなかったが、生産や設計・整備の人達は量産し易い計器類の設計とエンジンオイルと燃料の品質、特に耐熱性に優れたシリコンゴム製を使用してる事に驚いてた話が本に載ってました。
結局、トータルの工業力(工業技術)なんよ
紫電改のタカという昔のマンガで、序盤のライバルが「ジョージ」って言うんだが、ネーミングの意味がやっと判りました。(笑)
自動空戦フラップですな。
オクタン価が高い質の良い燃料なら 性能アップした日本軍機が多かったとか
単純な燃料の問題より一回飛べばオイル噴き出るのが当たり前のエンジンとか工業技術そのものが違うのがきつかった。そういうのを全部現場の整備員に押し付けるブラック企業だからな。飛行機作る側は理想値ですげーすげーいいたがるが現場を見ろと当時の整備員はみんなおもってたらしい
零戦と違って、ちゃんと当たる20㍉の効果が一番大きかったんじゃないかと思うよ。実際の空戦なんて索敵で先手取った方が不意打ちして終わりだからね。
ゼロ戦と銃の性能は大差ないが銃をマウントする翼の強度が雲泥なので当たるんだよ。その辺わかってない奴が多い。ゼロやメッサーは翼が柔くてすぐうごくから翼内砲とか無理なんだよ
@@ニシノフラワー0 2号銃で改善されたなんて言う奴が多いけど、最近駄目だと言われていた1号銃の銃単体の射撃テストの資料が出てきて、実はメッチャ優秀だったのが分かったよ、原因は指摘の通りの主翼の剛性不足で、2号銃でもちょっとましになった程度で駄目だったと言うのが真実でしょうね。
@@yutas8710 それもあるだろうが、零戦では20mm機銃で射撃訓練をしていない。実戦で射撃するまで弾道を見ることがないのだ。これで命中させろと言っても無理がある。土方敏夫は、実戦で初めて20mm機銃を射撃して7.7mm機銃との弾道の違いに驚いたと言っている。そして、弾道を修正しようとしてもすぐに弾丸は無くなった。紫電や紫電改では、20mmしか搭載していないから、20㎜ 機銃での射撃訓練をしたのだろう。そのあたりに言及したものは読んだことがないが。
出来れば紫電も再生して欲しいっス。菅野直に似てると部下も揶揄ってますしね。>紫電。
大戦中の米軍には紫電改はどんな機体かもわかっていなかったので、空戦の記録でも正面から見て低翼だから紫電ではなく、零戦や疾風と誤認されていたあとTAICマニュアル記載の最大速度は実際に試験で記録されたものではなく、大半が推定値なので、現実に出せる速度より大きかった
自分のところの基準で算出したから、プラグ、オイル、高品質ガソリンに変えたら概ね推定値というのが悔しいですね。それだけでそんなに変わるのに、日本はそれが出来なかった。
@@kenjiomiya8975 オイルの問題だけじゃねえよ。基礎的な工業力がちがうから電線の被膜もろくにないし一回飛べばオイル吹き出すのが戦前からだしであらゆる面でマイナス要素が多かったから欧米の飛行機と比較したら二割くらい性能落ちてると言っていいと思う。バッファローでさえ工業製品としてみたらゼロ戦より格上なので整備員がみんな羨ましがってた
@@ニシノフラワー0 当時の日本機のコードは和紙を巻いていたって話は私もどこかで見た記憶がありますが、本当なんでしょうか。「隼」研究所の説明だと栄のイグニッションコードは耐熱ゴムの被覆の下にアルミ編線シールドって書いてありますが。
誉が額面通りの性能を発揮すれば高性能だったのだろうが、現実は厳しかった。 恐らく、最も高性能で実力を発揮したのは、武藤金義が操縦した試作機だろう。衆人見守る中、12機のF6Fに挑み4機を撃墜したという。 その武藤も343に転勤しての最初の出撃で未帰還機になってしまった。量産誉の性能が甚だしく額面割れしていることは、烈風試作機や天雷試作機の低性能を見てもよくわかる。
ゼロ戦に乗ってたら間違っても死なないような海軍の超エースを4人もあの世送りにした欠陥機だよな。編隊空戦がゼロではできないから選択の余地ないんだろうけど悲壮な気持ちで乗ってただろうというのは想像できる。結局最後までゼロにのってた岩本なんかもっと過酷な空戦してたのに生き残ったし
工作機械の精度も悪く試作の性能が出せる機が少なかったみたいです
@@yaske-z3m 誉の冷却フィンは量産の都合で途中から植え込み型から鋳造に変更された。冷却能力が低下しているのだ。このことから誉の出力低下の大きな理由は、冷却不足による熱ダレだと思っている。もちろん中島はそんなことは言っていないし、カタログ値はそのままだが。
@@miyamiya2237 勉強になります
カタカナでアメリカ人パイロットが喋る漫画で、紫電改ってどんなすごい飛行機だったのだろうと思っていたら、川西で風洞実験をしていた人に仕事で会い、飛行機の模型を上下逆さまに吊り、重さを測っていたと教えていただきました。その人が勤めていたのは大和製衡。なるほど。
むかし読んだ川西航空機の本に紫電用の伸縮式脚はどっかの工場で生産されたものを紫電の生産工場まで寝台車の寝台に乗せて運んだ、それくらいデリケートな代物だったと書いてあった
世界のカヤバです
戦況が悪く為ってるのに機首の空気取り入れ口とかわざわざ絞り込んだり無駄な作業を増やすことしてるね。アメリカ機はその辺りは割り切って生産しやすくしてるのに見倣えよって言いたいね。
劣勢側のエンジン使って相手と同じことしたら差が広がるだけ。アメリカみたいなとこは有利だから効率厨してんだよ
戦時中の特に海軍の機体は、エンジンのガスケットと点火プラグがちゃんとしていたら、もっとイイ性能を出してたかもしれないと思う。それを確定したのは、米軍のハイオクとガスケットと点火プラグで、本来の性能が出たって事。戦後のフェリーで紫電改は、F6よりも巡航速度が速く困ったったって話は有名だ!!
武装解除してるから当たり前!何をホルホルしてるんですか?
そりゃ、1944年1月初飛行の紫電改が1944年2月に掴んでいたらどんだけってなるわな
本当に姫路基地ですか?鶉野飛行場ではなくって?
失礼ですが何を仰りたいのかよくわかりません。鶉野飛行場は海軍飛行場であり姫路海軍航空隊をはじめとする部隊が駐留し主に訓練基地として使用していたのですから"姫路基地”という表記が不適切とはならないでしょう。それとも”姫路基地”とするなら陸軍10師団隷下の姫路駐屯地のことを指すのだと仰りたいのでしょうか。
@@underhat-gc4ru なるほど。よくわかりました。姫路駐屯地に滑走路があったのかと思いました。あんな姫路中心地に近い所に滑走路が。
@@CazYokoyama あ、お近くの方ですか。そうなんです。姫路地元の人でも誤解なさっている方はいらっしゃいましたよ。駐屯地隣の競馬場が昔は滑走路で特攻隊が出撃したんだ・・とか。確かに鶉野は加西郡(当時)にあって姫路市中心部から15km以上はなれていてるけど基地名は"姫路"が正式なんです。今でも車で40分くらいですが当時はバスで1時間半ほどかかったそうです。川西の姫路製作所で生産された紫電はもっと時間をかけて鶉野まで運ばれていたのでしょうね。
誉が足を引っ張るから
元々は熟練工が携わり厳選された材料で製作される予定が戦局の悪化に伴い、熟練工が兵士として招集され代わりに勤労奉仕の未経験者。材料も『代用鋼材』を使う事を命令されます(そのストレスを戦後のプリンス自動車で活かしたそうです) 故に熟練工が携わった紫電の飛行性能は紫電改より良かったとされます(三四三戦隊の紫電は源田実が工場に直接出向き程度が良い個体を直接持って行く為にマトモな個体だったと思われます)
@@ahawaha2400 整備員の問題より欧米より工業力低いことで圧倒的に整備に時間がかかるのが問題だった。欧米ならいちいち飛ぶごとにやらなくてもいい作業が山ほどあった。俺も車の整備してるからわかるがレシプロエンジンを健康な状態に保つのは大変なんだよ。欧米ならメンテナスフリーな部分も日本なら一々手間かけなきゃいけない
@@ニシノフラワー0 航空機の整備兵が最初にやる事、帰投した航空機の排気口周りのオイルをガソリン付けて布で拭き取る作業。だといわれてますね。 因みに海軍航空技術工廠の人達が戦争初期、東南アジアで鹵獲したF2バッファローの評価試験を行った結果、搭乗員や設計者は「古臭い時代遅れの設計で見る所無し」と逆に生産や整備部門では「工作精度が高いのでオイル漏れが無い。耐熱性に優れたシリコンゴムを使い、オイルやガソリンにラジエーター液は品質が高い」と評価。 B17についても「20年以上前の設計だが、部品類は無骨だが生産性に優れてる。戦時なら数年後B17を遥かに超える爆撃機が登場するだろう」と評価してました。
紫電でそんな速度出る?
中山大井 ❌中山大尉 ⭕
そういうことでは、横須賀が軒並み「横須加」になっていたり。
空戦で勝ち負けのテストするならスピットファイア9LFあたりとやってくれないとなぁ。単機同士なら米軍機は重すぎる勝って当たり前w
動画中にもあった「高オクタン高性能プラグで高速」という事実は無かったのではないかと、最近の資料追跡でささやかれている様です。四式戦・疾風や偵察機・彩雲も「高オクタン燃料を使用した」という記録が無く、米国国内でテストした際も日本軍が使用していたものと同じ「91オクタン」で飛行しており、「疾風の最高速が694キロだった」という記述がどこでされたものか、米軍の一次資料でも現状追えなく不明だそうです。この事を調査されている方も、そもそも論で日本軍が使用していた時と同じ状態の性能が知りたいのに、わざわざ高性能改造してテストするのか疑問です、と仰っています。私も個人的にその部分はひっかがります。まだ結論が出ていない件ですので、今後の進捗が待たれます。
テストしたのではなく、91オクタンガソリン前提のカタログ出力をもとに性能曲線を描いて、算出しているだけです。Wikipediaの四式戦闘機の出典14で元資料を見ることができる。高度と最高速度の関係がフラフになっている。実にきれいなグラフで計算値であることを示している。(単位はマイルとフィート)現実のハ45はカタログ出力なんて全然出てないので、せいぜいF6Fと互角の速度しか出なかったわけだ。
2:55 中山大尉以下2名なら飛行するのは2機。中山大尉他2名ね。
紫電が670㎞/hもでるとは驚きだ。米国のガソリン、プラグ使用とはいえ。紫電改はもっと優れた機体だったろう。疾風が日本の最高の傑作機と評価されてたが、飛んでるのを見たいものだ。
赤ブースト掛けたら出せたらしいですねただし、一回でもブン回したら重整備にかけないといけなかったので禁じ手だったとか
飛行可能な疾風は日本に里帰りしたが保管状況が悪く飛行できなくてなってしまった。
祖父は紫電に乗ってましたが着陸時に脚を壊して修理中に終戦しました😮
今みても脚の収縮ギミックは故障しそうですからねぇ。
中翼機の主脚はF4Fのように胴体に格納したり、F6Fのように90度回転させて後方に格納する方式が正解なのかもしれませんね。
343空の基地周辺にはぶっ壊れた紫電がゴロゴロ転がっていたという噂話もありますな…風立ちぬのラストシーンを想像しましたよ
紫電は搭乗員の評判は悪かったみたいですね、紫電改とは別物だと
@@koge3977 同じ構造のP-47はだいじょうぶなんだけどな
やっぱりエンジンオイル、プラグ、燃料の大切さがわかる
実はマレー攻略した後に鹵獲したF2バッファローを海軍航空技術工廠が飛行テストして、パイロットと運用側は前世代の古い機体と見向きもしなかったが、生産や設計・整備の人達は量産し易い計器類の設計とエンジンオイルと燃料の品質、特に耐熱性に優れたシリコンゴム製を使用してる事に驚いてた話が本に載ってました。
結局、トータルの工業力(工業技術)なんよ
紫電改のタカという昔のマンガで、序盤のライバルが「ジョージ」って言うんだが、ネーミングの意味がやっと判りました。(笑)
自動空戦フラップですな。
オクタン価が高い質の良い燃料なら 性能アップした日本軍機が多かったとか
単純な燃料の問題より一回飛べばオイル噴き出るのが当たり前のエンジンとか工業技術そのものが違うのがきつかった。そういうのを全部現場の整備員に押し付けるブラック企業だからな。飛行機作る側は理想値ですげーすげーいいたがるが現場を見ろと当時の整備員はみんなおもってたらしい
零戦と違って、ちゃんと当たる20㍉の効果が一番大きかったんじゃないかと思うよ。実際の空戦なんて索敵で先手取った方が不意打ちして終わりだからね。
ゼロ戦と銃の性能は大差ないが銃をマウントする翼の強度が雲泥なので当たるんだよ。その辺わかってない奴が多い。ゼロやメッサーは翼が柔くてすぐうごくから翼内砲とか無理なんだよ
@@ニシノフラワー0 2号銃で改善されたなんて言う奴が多いけど、最近駄目だと言われていた1号銃の銃単体の射撃テストの資料が出てきて、実はメッチャ優秀だったのが分かったよ、原因は指摘の通りの主翼の剛性不足で、2号銃でもちょっとましになった程度で駄目だったと言うのが真実でしょうね。
@@yutas8710 それもあるだろうが、零戦では20mm機銃で射撃訓練をしていない。実戦で射撃するまで弾道を見ることがないのだ。これで命中させろと言っても無理がある。土方敏夫は、実戦で初めて20mm機銃を射撃して7.7mm機銃との弾道の違いに驚いたと言っている。そして、弾道を修正しようとしてもすぐに弾丸は無くなった。紫電や紫電改では、20mmしか搭載していないから、20㎜ 機銃での射撃訓練をしたのだろう。そのあたりに言及したものは読んだことがないが。
出来れば紫電も再生して欲しいっス。
菅野直に似てると部下も揶揄ってますしね。>紫電。
大戦中の米軍には紫電改はどんな機体かもわかっていなかったので、空戦の記録でも正面から見て低翼だから紫電ではなく、零戦や疾風と誤認されていた
あとTAICマニュアル記載の最大速度は実際に試験で記録されたものではなく、大半が推定値なので、現実に出せる速度より大きかった
自分のところの基準で算出したから、プラグ、オイル、高品質ガソリンに変えたら概ね推定値というのが悔しいですね。それだけでそんなに変わるのに、日本はそれが出来なかった。
@@kenjiomiya8975 オイルの問題だけじゃねえよ。基礎的な工業力がちがうから電線の被膜もろくにないし一回飛べばオイル吹き出すのが戦前からだしであらゆる面でマイナス要素が多かったから欧米の飛行機と比較したら二割くらい性能落ちてると言っていいと思う。バッファローでさえ工業製品としてみたらゼロ戦より格上なので整備員がみんな羨ましがってた
@@ニシノフラワー0 当時の日本機のコードは和紙を巻いていたって話は私もどこかで見た記憶がありますが、本当なんでしょうか。「隼」研究所の説明だと栄のイグニッションコードは耐熱ゴムの被覆の下にアルミ編線シールドって書いてありますが。
誉が額面通りの性能を発揮すれば高性能だったのだろうが、現実は厳しかった。 恐らく、最も高性能で実力を発揮したのは、武藤金義が操縦した試作機だろう。衆人見守る中、12機のF6Fに挑み4機を撃墜したという。 その武藤も343に転勤しての最初の出撃で未帰還機になってしまった。量産誉の性能が甚だしく額面割れしていることは、烈風試作機や天雷試作機の低性能を見てもよくわかる。
ゼロ戦に乗ってたら間違っても死なないような海軍の超エースを4人もあの世送りにした欠陥機だよな。編隊空戦がゼロではできないから選択の余地ないんだろうけど悲壮な気持ちで乗ってただろうというのは想像できる。結局最後までゼロにのってた岩本なんかもっと過酷な空戦してたのに生き残ったし
工作機械の精度も悪く試作の性能が出せる機が少なかったみたいです
@@yaske-z3m 誉の冷却フィンは量産の都合で途中から植え込み型から鋳造に変更された。冷却能力が低下しているのだ。このことから誉の出力低下の大きな理由は、冷却不足による熱ダレだと思っている。もちろん中島はそんなことは言っていないし、カタログ値はそのままだが。
@@miyamiya2237 勉強になります
カタカナでアメリカ人パイロットが喋る漫画で、紫電改ってどんなすごい飛行機だったのだろうと思っていたら、川西で風洞実験をしていた人に仕事で会い、飛行機の模型を上下逆さまに吊り、重さを測っていたと教えていただきました。その人が勤めていたのは大和製衡。なるほど。
むかし読んだ川西航空機の本に紫電用の伸縮式脚はどっかの工場で生産されたものを紫電の生産工場まで寝台車の寝台に乗せて運んだ、それくらいデリケートな代物だったと書いてあった
世界のカヤバです
戦況が悪く為ってるのに機首の空気取り入れ口とかわざわざ絞り込んだり無駄な作業を増やすことしてるね。アメリカ機はその辺りは割り切って生産しやすくしてるのに見倣えよって言いたいね。
劣勢側のエンジン使って相手と同じことしたら差が広がるだけ。アメリカみたいなとこは有利だから効率厨してんだよ
戦時中の特に海軍の機体は、エンジンのガスケットと点火プラグがちゃんとしていたら、もっとイイ性能を出してたかもしれないと思う。
それを確定したのは、米軍のハイオクとガスケットと点火プラグで、本来の性能が出たって事。
戦後のフェリーで紫電改は、F6よりも巡航速度が速く困ったったって話は有名だ!!
武装解除してるから当たり前!
何をホルホルしてるんですか?
そりゃ、1944年1月初飛行の紫電改が1944年2月に掴んでいたらどんだけってなるわな
本当に姫路基地ですか?鶉野飛行場ではなくって?
失礼ですが何を仰りたいのかよくわかりません。鶉野飛行場は海軍飛行場であり姫路海軍航空隊をはじめとする部隊が駐留し主に訓練基地として使用していたのですから"姫路基地”という表記が不適切とはならないでしょう。それとも”姫路基地”とするなら陸軍10師団隷下の姫路駐屯地のことを指すのだと仰りたいのでしょうか。
@@underhat-gc4ru なるほど。よくわかりました。姫路駐屯地に滑走路があったのかと思いました。あんな姫路中心地に近い所に滑走路が。
@@CazYokoyama あ、お近くの方ですか。そうなんです。姫路地元の人でも誤解なさっている方はいらっしゃいましたよ。
駐屯地隣の競馬場が昔は滑走路で特攻隊が出撃したんだ・・とか。
確かに鶉野は加西郡(当時)にあって姫路市中心部から15km以上はなれていてるけど基地名は"姫路"が正式なんです。今でも車で40
分くらいですが当時はバスで1時間半ほどかかったそうです。川西の姫路製作所で生産された紫電はもっと時間をかけて鶉野まで運ばれてい
たのでしょうね。
誉が足を引っ張るから
元々は熟練工が携わり厳選された材料で製作される予定が戦局の悪化に伴い、熟練工が兵士として招集され代わりに勤労奉仕の未経験者。材料も『代用鋼材』を使う事を命令されます(そのストレスを戦後のプリンス自動車で活かしたそうです)
故に熟練工が携わった紫電の飛行性能は紫電改より良かったとされます(三四三戦隊の紫電は源田実が工場に直接出向き程度が良い個体を直接持って行く為にマトモな個体だったと思われます)
@@ahawaha2400 整備員の問題より欧米より工業力低いことで圧倒的に整備に時間がかかるのが問題だった。欧米ならいちいち飛ぶごとにやらなくてもいい作業が山ほどあった。俺も車の整備してるからわかるがレシプロエンジンを健康な状態に保つのは大変なんだよ。欧米ならメンテナスフリーな部分も日本なら一々手間かけなきゃいけない
@@ニシノフラワー0 航空機の整備兵が最初にやる事、帰投した航空機の排気口周りのオイルをガソリン付けて布で拭き取る作業。だといわれてますね。
因みに海軍航空技術工廠の人達が戦争初期、東南アジアで鹵獲したF2バッファローの評価試験を行った結果、
搭乗員や設計者は「古臭い時代遅れの設計で見る所無し」と逆に生産や整備部門では「工作精度が高いのでオイル漏れが無い。耐熱性に優れたシリコンゴムを使い、オイルやガソリンにラジエーター液は品質が高い」と評価。
B17についても「20年以上前の設計だが、部品類は無骨だが生産性に優れてる。戦時なら数年後B17を遥かに超える爆撃機が登場するだろう」と評価してました。
紫電でそんな速度出る?
中山大井 ❌
中山大尉 ⭕
そういうことでは、横須賀が軒並み「横須加」になっていたり。
空戦で勝ち負けのテストするならスピットファイア9LFあたりとやってくれないとなぁ。
単機同士なら米軍機は重すぎる勝って当たり前w
動画中にもあった「高オクタン高性能プラグで高速」という事実は無かったのではないかと、最近の資料追跡でささやかれている様です。
四式戦・疾風や偵察機・彩雲も「高オクタン燃料を使用した」という記録が無く、米国国内でテストした際も日本軍が使用していたものと同じ「91オクタン」で飛行しており、「疾風の最高速が694キロだった」という記述がどこでされたものか、米軍の一次資料でも現状追えなく不明だそうです。
この事を調査されている方も、そもそも論で日本軍が使用していた時と同じ状態の性能が知りたいのに、わざわざ高性能改造してテストするのか疑問です、と仰っています。
私も個人的にその部分はひっかがります。
まだ結論が出ていない件ですので、今後の進捗が待たれます。
テストしたのではなく、91オクタンガソリン前提のカタログ出力をもとに性能曲線を描いて、算出しているだけです。
Wikipediaの四式戦闘機の出典14で元資料を見ることができる。高度と最高速度の関係がフラフになっている。実にきれいなグラフで計算値であることを示している。(単位はマイルとフィート)
現実のハ45はカタログ出力なんて全然出てないので、せいぜいF6Fと互角の速度しか出なかったわけだ。
2:55
中山大尉以下2名なら飛行するのは2機。中山大尉他2名ね。
紫電が670㎞/hもでるとは驚きだ。米国のガソリン、プラグ使用とはいえ。紫電改はもっと優れた機体だったろう。疾風が日本の最高の傑作機と評価されてたが、飛んでるのを見たいものだ。
赤ブースト掛けたら出せたらしいですね
ただし、一回でもブン回したら重整備にかけないといけなかったので禁じ手だったとか
飛行可能な疾風は日本に里帰りしたが保管状況が悪く飛行できなくてなってしまった。