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笠井智一兵曹の著書「最後の紫電改パイロット」では、終戦間際の7月頃には燃料不足により松根油を混ぜていたそうです。馬力が出ないので整備員に文句を言うと、松根油を混ぜたと聞いて驚きました。7月末に鴛渕隊長や武藤少尉を失ったのが燃料の影響なら残念です。笠井氏は杉田上飛曹の烈機を勤め、鹿屋基地の緊急離陸中に戦死された状況を詳細に報告しています。
それよりずっ以前に外地ではガソリンの、保管が悪くオクタン価の低下は言われていたが、無論オイルの低下も言うまでもない
小生の作業場にしている場所は、かつて敵に攻撃されにくい場所で紫電改の整備をしていたところです。父が紫電改のものと思われる発電機の磁石を吊るして井戸に落ちた鍵を拾っていたのを覚えています。叔父の額には、憲兵の目を盗んで紫電改に近寄り、プロペラで額を切った痕が残っています。子供のころ、近所には戦闘機の車輪で作った荷車を近所のあちこちで見かけていました。小生も2個持ってます。
林喜重大尉の画像が杉田庄一少尉になってしまってますね。コメント等でご修正を。呉上空戦はフタを開けて見たら引き分け位の結果だったけどミッチャーの通達は重みありますよね。個人的には関東空襲で零戦主体の迎撃戦がなかなかの奮戦だったと思います。この時期でもなおこれ程に戦っていたと。空戦はやはり機材の性能だけではないということを思い知らされる次第です。
いつもご視聴いただきまして有難うございます。貴重な間違いご指摘有難うございました。お詫びコメントを記入いたしました。これに懲りずに今後ともよろしくお願いいたします。
@@TheGyspsw24 仕事が早いですね!👌
関東空襲の件で、横須賀航空隊の山崎上飛曹が撃墜されたが落下傘降下して、民間人に米軍パイロットと誤認されて撲○される事件が発生して、陸軍航空隊や海軍航空隊は対策として飛行服の袖や飛行帽、救命胴衣に日の丸を縫い付けています。海軍航空隊では、旭日旗の使用もありました。
話はそれますが、2.16 17の関東上空の大空戦では米軍機の損失は49機ではなく88機という説もあります。ソースは渡辺洋二氏の、写真集本土防空戦。疾風の第47、51、52戦隊も奮戦したようです。
米側は紫電改のパイロットは操縦技量は優れていたが、射撃の精度に難がありしばしば打ち損じがあったと評してますね。20ミリ機銃の初速・発射速度の低さや、貴重な20ミリ弾を使っての演習が制限されていたことなどの影響かもしれませんね。
林大尉の写真は杉田さんになってますね
菅野大尉筒内爆発で失われたのは残念すぎる出来事でした、せめて整備良好な紫電改での空戦でと思います。
横須賀航空隊は現在日産追浜工場ですね!
よくまとめられていますが、出来れば飛行隊長の鴛淵大尉ら6名が未帰還となった7/24の豊後水道上空戦にも触れてほしかったです。
ご指摘いただきありがとうございます。そうですね、隊の終盤の活動はかなり駆け足状態となってしまったこと、反省しております。
@@TheGyspsw24 さん。私が343空の事を識ったのは、碇義郎氏が書いた豊後水道上空戦を取り扱った書籍、『紫電改の6機』からでした。鴛淵大尉のファンです。(笑)以下は蛇足です。ちなみにその書籍では、343空がベテラン揃いというのは誇張されており、およそ2/3は若い搭乗員ばかりで、小隊長、分隊長などの要所要所にベテランを拝していた、との事でした。
源田司令は343空編成に至るまで毀誉褒貶あった。戦前に戦闘機搭乗員出身なのにも関わらず、「戦闘機無用論」を唱え戦闘機兵力を削減・低下させたり、「零戦」開発時に「格闘戦」を最重視せよと、「速度」「航続力」を重視する柴田大佐と論争したり等々...日米開戦後の海軍航空戦に悪影響を与えたと多くの批判が─戦後になっても─あった。343空が活躍はしたのは事実だが、戦後の源田司令の宣伝もあって「過大評価」された面もある。動画でも少し触れられていたが、343空の熟練搭乗員の構成比率は他隊と大差はない。ただ特筆すべきなのは「若年」ではあっても、「雷電」操縦経験者が多かったことだろう。(←「雷電」は操縦が難しく油断できない難物機と知られていた)
343空は過大評価されたというよりも、源田実によって過大評価「させた」部分があるのではと思います。
戦闘機無用論を唱えたのは、戦闘機のライバルで敵わなかった柴田大佐を蹴落とすためだったらしい。何せ、ただの一度も空戦をやったことの無い源田が、叶う筈がなかったので。口先だけで出世した男である。
良くできた解説でした。三人の写真の右は林大尉でなく杉田庄一上飛曹ではないでしょうか。どう見ても杉田です。正確な考証がなされているのでここだけ残念でした。杉田さんもトップエースですが士官や隊長ではありません。
コメントありがとうございます。仰る通りです。前にも同じご指摘を受けて、概要欄に訂正を入れておいたのですが・・・(概要欄はなかなか気づかないですよね。)
紫電改が不思議なのは紫電2「1」型な事。紫電11型の誉の1X(海軍公称の離昇1825HP)から紫電改で2X(海軍公称の離昇1990HP)に乗せ換えてエンジンが変わっているのに末尾が「1」な事。通常なら22型になるはずなのに、なぜか末尾が1で21型だった事。この飛行機だけなんだよね、海軍でエンジン換装しているのに末尾1のままにしたのは。
何か勘違いされているのではないですか。「仮称一号局地戦闘機」の計画書では強風からの改造点として火星からNK9B(誉11型)へ変更するとしていますから紫電は試作機の時点では誉11型ですが、量産機は誉21型搭載でこれが紫電11型になります。紫電の量産決定自体は18年8月ですが翌9月からの誉21型の生産開始を待つ形になっています。
当方、S40年生まれです。10代前半から「丸」を愛読。昭和50年代、343空は ほぼノーマークだった気がします。 牟田口の評価も無かった記憶。
3:13 こんなに外板ベコベコで飛行性能に影響しませんか?
確か「第二次世界大戦ブックス 紫電改」に川西は小型機の生産に不慣れだったため外板に凹凸が生じ、折角の層流翼も真価を発揮できなかったと書いてありました。
@@当たり前田-z2b 層流翼形に必要とされる平滑度は非常に高いのですが、それは川西以外のメーカーでも同様、例えば当時のP51でもその効果は発揮できていないのです。
9:46 室戸沖55キロ?そんな手が届くような距離に敵を補足していながら、雷爆で攻撃できなかったんだ…?(あんまりなので、室戸沖55キロで補足したのは「敵編隊」で、機動部隊はもっと沖に居たんじゃないですかね?)
戦爆連合の場合、戦略的に見て攻撃目標は爆撃機です。戦闘機を狙えとは源田の戦術眼の無さが露呈している。撃墜数なんて分からないのでほら吹いて言ったもの勝ちです。これも源田らしい。
p-47の空戦では優位戦にも拘わらず、上昇力でひっくり返されたとか。
第343空の指揮官の中でも、菅野大尉の活躍は素晴らしく、終戦間際に戦死されたことが惜しまれる。
本土にベテランパイロットを集め新型戦闘機を優先配置すればそれなりの成果は上がるだろう。素人が見てもそう思う。ベテランパイロットを激戦が続く最前線から引き抜いたんだからそっちはどう凹んだのかも併せて考えるべきでしょうね。
302空も、シンガポールの練習航空隊の教官を引き抜きしています。
本土防衛が最優先の時期に残存戦力を各個撃破されるぐらいなら、再編し集中運用したほうが効果的と考えたのでしょう。
圧倒的な工業力を理解しないと言うか目を瞑った結果が敗戦です。集注しない方が良い結果かもしれません。近年の研究では集中してもさほど効果は上がらないようです
「・・・まぁ・・・そこは”大和魂”で・・・」源田の口癖
第343空戦闘航空団の紫電改の活躍は日本海軍の伝説となりました。
ご視聴&コメント有難うございます。
陸軍も腕っこきを引き抜いて五式戦で部隊を作っていたら... とも思いますが、戦局には抗えなかっただろうな。
当時の紫電改のパイロットの証言で、ガソリンの質が良かったら、もっと犠牲者が少なくなったはずだと残念がっていました。排気量38ℓ 回転数2800rpm 公称馬力に達していなかった疑問も有りますし、加速性能に問題が有ったと思います。排気量は43ℓ以上、100オクタンのガソリンが有れば紫電改は100%の性能は発揮出来たと思う。技術的には非常にエンジンに無理を掛けており残念でした。当時の日本の技術では、誉エンジン、ダイムラーベンツの性能維持は難しかったと思います。
昭和20年3月19日の迎撃戦!!日本の戦果52機、アメリカ公表 未帰還機14機。このあまりに醜い誤認の事実に衝撃を受け、いろいろな意味で冷めてしまった。コレ源田の大本営発表だろ!そう言わざるえない体たらく。この動画で紫電改でなくとも零戦のほうが扱いやすかったのでは!?思うところがありました。(最強戦闘機と崇めてた紫電改のあらゆる欠点を知ったこともあり)改めて新たなことを知ることができ、動画作成に感謝!!!
ちなみに343空の損失が彩雲合わせて16機に対し米軍は50機撃墜を報じてました。空中戦の戦果報告は両軍だいたいこんな感じです。
ただ米軍の被害報告書が一部紛失してたりとか、当日落下傘降下した捕虜の人数が米軍の報告より多かったという話もあったりとかなり怪しい部分もある。米軍は被害判定が異常に厳しく少しでも判定から外れると「その他の損失」に計上して被害を少なく見積もる悪癖があるので話半分にみといた方が良い。
@@フォッケ柴犬さんそうでした。F6Fなんかは戦闘以外の損失が4倍ほどあって米軍記録自体がかなり怪しいんですよね。有難うございます👍
@@comete5d361実際には同程度の損害ですよ、米軍側の正式記録では撃墜されたものが8機、不時着などで失われたのが数機、大体13~4機位の損失らしい😅😅😅
この時期に互角の戦いをできただけでも上出来というべきだろう。自軍の損害が10数機もあるので、圧勝でなかったことは明白だ。新鋭機と腕の良い搭乗員を集めてもこれが限界だった。撃墜判定は日米ともに甘かったというべきだろう。ドイツは判定の規定が厳格でかなり正確なものだったらしい。
誉れでは無く、火星のままで陸上機化していたらどうなったんだろう。公称2000馬力の誉れも、品質を安定させたら実質1400馬力程度だったという話も有るから。それなら、まだ整備のしやすい火星の方がマシだったような気がしないでも無い。あくまで結果論だけど。
海軍の指示命令がなかったら、中島飛行機もかつての出資引き上げで社敵とも言うべき川西飛行機の紫電、紫電改なんぞに誉は提供したくなっかたろうに。
結果論などではなく昭和18年の誉の生産が始まったころに紫電の火星搭載は検討されているのですが実現していません。これは将来誉が供給不足となることを懸念しての検討でしたが、この時点で火星の単発機用の発動機としての見込みは厳しいものだったのでしょう。端的に言えば誉は11型の時点で火星の10番台より馬力は上で火星20番台と馬力で同等でした。火星の20番台の開発に目途がつきそうにないのであれば、誉21型に多少の不備があってもを運転制限をかけて使うのは至極当然でしょう。逆に火星の20番台→誉へ発動機の変更を検討するもそのために実戦化が9か月遅れるということで見送って火星と心中する形で終わってしまったのが雷電です。
振動問題雷電の振動問題の件は、機首を絞ったことによりプロペラ軸を延長して強制冷却ファンを装着した事に起因していたと思います。大元の強風も火星エンジンでしたから、火星のまま 紫電 → 紫電改 とシュリンクしていけば良かったのでは無いかと。F6Fから機体シュリンクだけでF8Fへと発展した事例もありますから。当時は誉のカタログスペックに踊らされていたから、しょうが無かったんでしょうけどね。
@@釣りパパ-h4g火星のイメージは実際とかけ離れた形で伝わっているらしいです。良く稼働した初期の一〇型と、水メタ噴射で無理な性能向上を図った二〇型の信頼性は全く別物。当時の日本で水メタを使いこなした例は皆無で、有名な雷電の開発遅延の他、一式陸攻でも開発遅延を招いていて終戦に至るまで根本解決には至らなかった。例えば渡辺洋二氏の「雷電」にはこんな話が載ってます。「15機が出撃して、編隊を組み終わるまでにまず2機ほどが故障で引き返す。高度5000mに至るまでに2-3機が不調を訴えて帰っていく。さらに9000-1万メートルの高度に上昇するあいだに落伍機が出て、高高度邀撃の空域に達するのは8機ならまずまずの成績だった。」銀河や紫電で火星に換装する話もあったようなのですがこれは誉の増産に問題があったことが理由で、逆説的になるけども同じ1800馬力なら、水メタ無しで稼働できる誉の方が最適解だったということらしいです。
@@釣りパパ-h4g >振動問題雷電の振動問題の件は、機首を絞ったことによりプロペラ軸を延長して強制冷却ファンを装着した事に起因していたと思います。よくある間違い。延長軸は強制冷却ファンは関係ない。二重星形エンジンの前後方向の振動とプロペラの共振によるものだ。米国はこの問題をエンジン側で解決していたが、日本は技術が及ばず、プロペラの剛性アップで共振周波数をずらして対応した。これはプロペラ効率の低下・性能低下につながる対策だ。ちなみに彩雲でも同じ問題が起こり、雷電と同じ手法で対策している。後にエンジン側で振動問題の対策を行い、薄い高性能ペラで試験すると速度が20数キロ向上したそうだ。
バックグラウンドの音楽のせいで、せっかくの話が聞きづらいです。 どうしても必要なら、せめて音量を下げるなとしていただきたいものです。
しでんかい、のエンジン、誉ふくれつ、18気筒36リットルのエンジン、トラブルは、無かったのだろうか?、
源田実は、バトルオフブリテンを目の当たりにした方だったのですね。航空参謀として、現場を見てこられた方は、先見の明があると思います。負けるべきして負ける戦いではありましたが、アメリカ軍をアッと云わせた戦いをされたことは流石であると思います。❤😂🎉
エンジン不良というよも燃料不良だしな。。
性能、完成度の低い日本機、特に海軍機じゃ通用せんぜや口機関砲の笠井のおっちゃんもお迎えが来てもうあの口機関砲は聞かれへん
大尉は だいい ではなく たいい と読むんじゃなかったかなあ?
コメント有難うございます。大尉の読み方は陸軍と海軍で違っていたようです。陸軍は「たいい」で海軍は「だいい」と読むのが一般的のようです。最初は海軍も「たいい」と呼んでいましたが、陸軍と仲が良くなかったので差別化して「だいい」と呼び始めたような、記事を読んだ覚えがあります。何故「大尉」だけ差別したのかはよくわからないのですが。
@@TheGyspsw24 日本海軍かぶれの俺は、ガンダムの話をする時もつい「クワトロだいい」と言ってしまいます。
海軍は「だいい」が正式呼称です
疾風と同じで歴戦のベテランパイロットからの機種転換は不可能、全くの別物最初からそれを理解していた源田の思考回路戦闘機は「世代」という、なるほど納得パイロットは世代レベルの変化には対応できない言うまでもないが紫電改は零戦の性能向上の範疇の外にいる零戦乗りに言わせれば紫電改はむしろ性能劣化だとさ、だから烈風が必要だったそうじゃない、ベテランパイロットはみんなクビにせよ、そうしないと勝ち目ないこういうの、社会人は嫌と言うほど思い知ってる源田が嫌われるのもコレ
343が意義があったのは訓練に半年レベルもあの時局で当てられたことだな。べつにゼロ戦でも大差なかったとおもう。紫電改とかひいき目に見ても欠陥機だし。編隊空戦に拘ってたけど結局単機で戦うケースおおすぎてべつにゼロ戦でよくね? と戦記よんでてもおもった。すくなくとも杉田と菅野はゼロ戦にのってたら死ななかった可能性高い。 おまえらそれ死ぬほどやっただろ、とおもうようなケースで死んでるからな。
笠井智一兵曹の著書「最後の紫電改パイロット」では、終戦間際の7月頃には燃料不足により松根油を混ぜていたそうです。馬力が出ないので整備員に文句を言うと、松根油を混ぜたと聞いて驚きました。
7月末に鴛渕隊長や武藤少尉を失ったのが燃料の影響なら残念です。笠井氏は杉田上飛曹の烈機を勤め、鹿屋基地の緊急離陸中に戦死された状況を詳細に報告しています。
それよりずっ以前に外地ではガソリンの、保管が悪くオクタン価の低下は言われていたが、無論オイルの低下も言うまでもない
小生の作業場にしている場所は、かつて敵に攻撃されにくい場所で紫電改の整備をしていたところです。父が紫電改のものと思われる発電機の磁石を吊るして井戸に落ちた鍵を拾っていたのを覚えています。
叔父の額には、憲兵の目を盗んで紫電改に近寄り、プロペラで額を切った痕が残っています。
子供のころ、近所には戦闘機の車輪で作った荷車を近所のあちこちで見かけていました。
小生も2個持ってます。
林喜重大尉の画像が杉田庄一少尉になってしまってますね。コメント等でご修正を。
呉上空戦はフタを開けて見たら引き分け位の結果だったけどミッチャーの通達は重みありますよね。個人的には関東空襲で零戦主体の迎撃戦がなかなかの奮戦だったと思います。この時期でもなおこれ程に戦っていたと。空戦はやはり機材の性能だけではないということを思い知らされる次第です。
いつもご視聴いただきまして有難うございます。貴重な間違いご指摘有難うございました。お詫びコメントを記入いたしました。これに懲りずに今後ともよろしくお願いいたします。
@@TheGyspsw24
仕事が早いですね!👌
関東空襲の件で、横須賀航空隊の山崎上飛曹が撃墜されたが落下傘降下して、民間人に米軍パイロットと誤認されて撲○される事件が発生して、陸軍航空隊や海軍航空隊は対策として飛行服の袖や飛行帽、救命胴衣に日の丸を縫い付けています。海軍航空隊では、旭日旗の使用もありました。
話はそれますが、2.16 17の関東上空の大空戦では米軍機の損失は49機ではなく88機という説もあります。ソースは渡辺洋二氏の、写真集本土防空戦。疾風の第47、51、52戦隊も奮戦したようです。
米側は紫電改のパイロットは操縦技量は優れていたが、射撃の精度に難がありしばしば打ち損じがあったと評してますね。
20ミリ機銃の初速・発射速度の低さや、貴重な20ミリ弾を使っての演習が制限されていたことなどの影響かもしれませんね。
林大尉の写真は杉田さんになってますね
菅野大尉筒内爆発で失われたのは残念すぎる出来事でした、せめて整備良好な紫電改での空戦でと思います。
横須賀航空隊は現在日産追浜工場ですね!
よくまとめられていますが、出来れば飛行隊長の鴛淵大尉ら6名が未帰還となった7/24の豊後水道上空戦にも触れてほしかったです。
ご指摘いただきありがとうございます。そうですね、隊の終盤の活動はかなり駆け足状態となってしまったこと、反省しております。
@@TheGyspsw24 さん。
私が343空の事を識ったのは、碇義郎氏が書いた豊後水道上空戦を取り扱った書籍、『紫電改の6機』からでした。
鴛淵大尉のファンです。(笑)
以下は蛇足です。
ちなみにその書籍では、343空がベテラン揃いというのは誇張されており、およそ2/3は若い搭乗員ばかりで、小隊長、分隊長などの要所要所にベテランを拝していた、との事でした。
源田司令は343空編成に至るまで毀誉褒貶あった。戦前に戦闘機搭乗員出身なのにも関わらず、「戦闘機無用論」を唱え戦闘機兵力を削減・低下させたり、「零戦」開発時に「格闘戦」を最重視せよと、「速度」「航続力」を重視する柴田大佐と論争したり等々...日米開戦後の海軍航空戦に悪影響を与えたと多くの批判が─戦後になっても─あった。
343空が活躍はしたのは事実だが、戦後の源田司令の宣伝もあって「過大評価」された面もある。動画でも少し触れられていたが、343空の熟練搭乗員の構成比率は他隊と大差はない。ただ特筆すべきなのは「若年」ではあっても、「雷電」操縦経験者が多かったことだろう。(←「雷電」は操縦が難しく油断できない難物機と知られていた)
343空は過大評価されたというよりも、源田実によって過大評価「させた」部分があるのではと思います。
戦闘機無用論を唱えたのは、戦闘機のライバルで敵わなかった柴田大佐を蹴落とすためだったらしい。何せ、ただの一度も空戦をやったことの無い源田が、叶う筈がなかったので。口先だけで出世した男である。
良くできた解説でした。三人の写真の右は林大尉でなく杉田庄一上飛曹ではないでしょうか。どう見ても杉田です。正確な考証がなされているのでここだけ残念でした。杉田さんもトップエースですが士官や隊長ではありません。
コメントありがとうございます。仰る通りです。前にも同じご指摘を受けて、概要欄に訂正を入れておいたのですが・・・(概要欄はなかなか気づかないですよね。)
紫電改が不思議なのは紫電2「1」型な事。
紫電11型の誉の1X(海軍公称の離昇1825HP)から紫電改で2X(海軍公称の離昇1990HP)に乗せ換えてエンジンが変わっているのに末尾が「1」な事。
通常なら22型になるはずなのに、なぜか末尾が1で21型だった事。
この飛行機だけなんだよね、海軍でエンジン換装しているのに末尾1のままにしたのは。
何か勘違いされているのではないですか。「仮称一号局地戦闘機」の計画書では強風からの改造点として火星から
NK9B(誉11型)へ変更するとしていますから紫電は試作機の時点では誉11型ですが、量産機は誉21型搭載でこれが紫電11型になります。紫電の量産決定自体は18年8月ですが翌9月からの誉21型の生産開始を待つ形になって
います。
当方、S40年生まれです。10代前半から「丸」を愛読。昭和50年代、343空は ほぼノーマークだった気がします。 牟田口の評価も無かった記憶。
3:13 こんなに外板ベコベコで飛行性能に影響しませんか?
確か「第二次世界大戦ブックス 紫電改」に川西は小型機の生産に不慣れだったため外板に凹凸が生じ、折角の層流翼も真価を発揮できなかったと書いてありました。
@@当たり前田-z2b 層流翼形に必要とされる平滑度は非常に高いのですが、それは川西以外のメーカーでも同様、例えば当時のP51でもその効果は発揮できていないのです。
9:46 室戸沖55キロ?そんな手が届くような距離に敵を補足していながら、雷爆で攻撃できなかったんだ…?
(あんまりなので、室戸沖55キロで補足したのは「敵編隊」で、機動部隊はもっと沖に居たんじゃないですかね?)
戦爆連合の場合、戦略的に見て攻撃目標は爆撃機です。戦闘機を狙えとは源田の戦術眼の無さが露呈している。撃墜数なんて分からないのでほら吹いて言ったもの勝ちです。これも源田らしい。
p-47の空戦では優位戦にも拘わらず、上昇力でひっくり返されたとか。
第343空の指揮官の中でも、菅野大尉の活躍は素晴らしく、終戦間際に戦死されたことが惜しまれる。
本土にベテランパイロットを集め新型戦闘機を優先配置すればそれなりの成果は上がるだろう。素人が見てもそう思う。ベテランパイロットを激戦が続く最前線から引き抜いたんだからそっちはどう凹んだのかも併せて考えるべきでしょうね。
302空も、シンガポールの練習航空隊の教官を引き抜きしています。
本土防衛が最優先の時期に残存戦力を各個撃破されるぐらいなら、再編し集中運用したほうが効果的と考えたのでしょう。
圧倒的な工業力を理解しないと言うか目を瞑った結果が敗戦です。集注しない方が良い結果かもしれません。近年の研究では集中してもさほど効果は上がらないようです
「・・・まぁ・・・そこは”大和魂”で・・・」源田の口癖
第343空戦闘航空団の紫電改の活躍は日本海軍の伝説となりました。
ご視聴&コメント有難うございます。
陸軍も腕っこきを引き抜いて五式戦で部隊を作っていたら... とも思いますが、戦局には抗えなかっただろうな。
当時の紫電改のパイロットの証言で、ガソリンの質が良かったら、もっと犠牲者が少なくなったはずだと残念がっていました。
排気量38ℓ 回転数2800rpm 公称馬力に達していなかった疑問も有りますし、加速性能に問題が有ったと思います。
排気量は43ℓ以上、100オクタンのガソリンが有れば紫電改は100%の性能は発揮出来たと思う。技術的には非常にエンジンに
無理を掛けており残念でした。当時の日本の技術では、誉エンジン、ダイムラーベンツの性能維持は難しかったと思います。
昭和20年3月19日の迎撃戦!!日本の戦果52機、アメリカ公表 未帰還機14機。
このあまりに醜い誤認の事実に衝撃を受け、いろいろな意味で冷めてしまった。
コレ源田の大本営発表だろ!そう言わざるえない体たらく。
この動画で紫電改でなくとも零戦のほうが扱いやすかったのでは!?思うところがありました。
(最強戦闘機と崇めてた紫電改のあらゆる欠点を知ったこともあり)
改めて新たなことを知ることができ、動画作成に感謝!!!
ちなみに343空の損失が彩雲合わせて16機に対し米軍は50機撃墜を報じてました。空中戦の戦果報告は両軍だいたいこんな感じです。
ただ米軍の被害報告書が一部紛失してたりとか、当日落下傘降下した捕虜の人数が米軍の報告より多かったという話もあったりとかなり怪しい部分もある。
米軍は被害判定が異常に厳しく少しでも判定から外れると「その他の損失」に計上して被害を少なく見積もる悪癖があるので話半分にみといた方が良い。
@@フォッケ柴犬さん
そうでした。F6Fなんかは戦闘以外の損失が4倍ほどあって米軍記録自体がかなり怪しいんですよね。有難うございます👍
@@comete5d361
実際には同程度の損害ですよ、
米軍側の正式記録では撃墜されたものが8機、不時着などで失われたのが数機、大体13~4機位の損失らしい😅😅😅
この時期に互角の戦いをできただけでも上出来というべきだろう。自軍の損害が10数機もあるので、圧勝でなかったことは明白だ。新鋭機と腕の良い搭乗員を集めてもこれが限界だった。撃墜判定は日米ともに甘かったというべきだろう。ドイツは判定の規定が厳格でかなり正確なものだったらしい。
誉れでは無く、火星のままで陸上機化していたらどうなったんだろう。
公称2000馬力の誉れも、品質を安定させたら実質1400馬力程度だったという話も有るから。
それなら、まだ整備のしやすい火星の方がマシだったような気がしないでも無い。
あくまで結果論だけど。
海軍の指示命令がなかったら、中島飛行機もかつての出資引き上げで社敵とも言うべき川西飛行機の紫電、紫電改なんぞに誉は提供したくなっかたろうに。
結果論などではなく昭和18年の誉の生産が始まったころに紫電の火星搭載は検討されているのですが実現していません。これは将来誉が供給不足となることを懸念しての検討でしたが、この時点で火星の単発機用の発動機としての見込みは厳しいものだったのでしょう。
端的に言えば誉は11型の時点で火星の10番台より馬力は上で火星20番台と馬力で同等でした。火星の20番台の開発に目途がつきそうにないのであれば、誉21型に多少の不備があってもを運転制限をかけて使うのは至極当然でしょう。
逆に火星の20番台→誉へ発動機の変更を検討するもそのために実戦化が9か月遅れるということで見送って火星と心中する形で終わってしまったのが雷電です。
振動問題雷電の振動問題の件は、機首を絞ったことによりプロペラ軸を延長して強制冷却ファンを装着した事に起因していたと思います。
大元の強風も火星エンジンでしたから、火星のまま 紫電 → 紫電改 とシュリンクしていけば良かったのでは無いかと。
F6Fから機体シュリンクだけでF8Fへと発展した事例もありますから。
当時は誉のカタログスペックに踊らされていたから、しょうが無かったんでしょうけどね。
@@釣りパパ-h4g
火星のイメージは実際とかけ離れた形で伝わっているらしいです。良く稼働した初期の一〇型と、水メタ噴射で無理な性能向上を図った二〇型の信頼性は全く別物。当時の日本で水メタを使いこなした例は皆無で、有名な雷電の開発遅延の他、一式陸攻でも開発遅延を招いていて終戦に至るまで根本解決には至らなかった。例えば渡辺洋二氏の「雷電」にはこんな話が載ってます。
「15機が出撃して、編隊を組み終わるまでにまず2機ほどが故障で引き返す。高度5000mに至るまでに2-3機が不調を訴えて帰っていく。さらに9000-1万メートルの高度に上昇するあいだに落伍機が出て、高高度邀撃の空域に達するのは8機ならまずまずの成績だった。」
銀河や紫電で火星に換装する話もあったようなのですがこれは誉の増産に問題があったことが理由で、逆説的になるけども同じ1800馬力なら、水メタ無しで稼働できる誉の方が最適解だったということらしいです。
@@釣りパパ-h4g >振動問題雷電の振動問題の件は、機首を絞ったことによりプロペラ軸を延長して強制冷却ファンを装着した事に起因していたと思います。
よくある間違い。延長軸は強制冷却ファンは関係ない。
二重星形エンジンの前後方向の振動とプロペラの共振によるものだ。米国はこの問題をエンジン側で解決していたが、日本は技術が及ばず、プロペラの剛性アップで共振周波数をずらして対応した。これはプロペラ効率の低下・性能低下につながる対策だ。ちなみに彩雲でも同じ問題が起こり、雷電と同じ手法で対策している。後にエンジン側で振動問題の対策を行い、薄い高性能ペラで試験すると速度が20数キロ向上したそうだ。
バックグラウンドの音楽のせいで、せっかくの話が聞きづらいです。 どうしても必要なら、せめて音量を下げるなとしていただきたいものです。
しでんかい、のエンジン、誉ふくれつ、18気筒36リットルのエンジン、トラブルは、無かったのだろうか?、
源田実は、バトルオフブリテンを目の当たりにした方だったのですね。
航空参謀として、現場を見てこられた方は、先見の明があると思います。
負けるべきして負ける戦いではありましたが、アメリカ軍をアッと云わせた戦いをされたことは流石であると思います。
❤😂🎉
エンジン不良というよも燃料不良だしな。。
性能、完成度の低い日本機、特に海軍機じゃ通用せんぜや
口機関砲の笠井のおっちゃんもお迎えが来てもうあの口機関砲は聞かれへん
大尉は だいい ではなく たいい と読むんじゃなかったかなあ?
コメント有難うございます。大尉の読み方は陸軍と海軍で違っていたようです。陸軍は「たいい」で海軍は「だいい」と読むのが一般的のようです。最初は海軍も「たいい」と呼んでいましたが、陸軍と仲が良くなかったので差別化して「だいい」と呼び始めたような、記事を読んだ覚えがあります。何故「大尉」だけ差別したのかはよくわからないのですが。
@@TheGyspsw24 日本海軍かぶれの俺は、ガンダムの話をする時もつい「クワトロだいい」と言ってしまいます。
海軍は「だいい」が正式呼称です
海軍は「だいい」が正式呼称です
海軍は「だいい」が正式呼称です
疾風と同じで歴戦のベテランパイロットからの機種転換は不可能、全くの別物
最初からそれを理解していた源田の思考回路
戦闘機は「世代」という、なるほど納得
パイロットは世代レベルの変化には対応できない
言うまでもないが紫電改は零戦の性能向上の範疇の外にいる
零戦乗りに言わせれば紫電改はむしろ性能劣化だとさ、だから烈風が必要だった
そうじゃない、ベテランパイロットはみんなクビにせよ、そうしないと勝ち目ない
こういうの、社会人は嫌と言うほど思い知ってる
源田が嫌われるのもコレ
343が意義があったのは訓練に半年レベルもあの時局で当てられたことだな。べつにゼロ戦でも大差なかったとおもう。紫電改とかひいき目に見ても欠陥機だし。編隊空戦に拘ってたけど結局単機で戦うケースおおすぎてべつにゼロ戦でよくね? と戦記よんでてもおもった。
すくなくとも杉田と菅野はゼロ戦にのってたら死ななかった可能性高い。 おまえらそれ死ぬほどやっただろ、とおもうようなケースで死んでるからな。