零戦の設計思想(堀越二郎チーム)
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- Опубліковано 16 вер 2024
- お詫びと訂正:本編9:21辺りで、「外板に超超ジュラルミンを使用」としていますが、超超ジュラルミンが使用されている場所は、「主翼主桁」でした。視聴者様からご指摘いただきました。お詫びして訂正いたします。
#堀越二郎#零戦#戦闘機#太平洋戦争
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引用参考 *碇義明著 ゼロ戦 最も美しかった戦闘機、栄光と凋落(光人社)
*徹底解説 零戦のしくみ 新星出版社
*ウィキペディア他
*画像:ウィキペディア、いらすとや 他
*ナレーション:冥鳴ひまりVOICEVOX
*音楽:Artlist
誤解が多いのですが、超々ジュラルミンなのは、主翼主桁のみです。もっとも力のかかる部材に超々ジュラルミンの押出型材を用いることで、約30kgの重量軽減が図れたと言います。ただし、生産性は悪く、押出速度は、超ジュラルミンの半分以下でした。贅沢な材料であったと、堀越技師も述懐しています。
ご視聴&有益なコメント有難うございました。
よく調べてあり、的確な解説で素晴らしい動画ですね。
ただ、9:21辺りで、「外板に超超ジュラルミンを使用」と解説されていますが、
超超ジュラルミンが使用されている場所は、上下前後の「主桁」のみのはずです。
勿論アルミ製薄板は外板に使われています。
超超ジュラルミンは、経年変化で「ミルフィーユ」の様に剥がれてくる弱点が有りました。
ご視聴&コメント有難うございました。ご指摘ありがとうございます。仰る通りでした。
・エンジン選定の説明は間違っている。瑞星から栄に変更されたのは海軍の命令によるもので堀越が決めたものではない。堀越は今度こそ三菱製エンジンでやれると思っていたのだ。 このあたりは海軍と中島の癒着を感じさせるものがある。後の誉エンジンごり押しの姿勢に通じるものがある。
・「舵の効き、手ごたえが素晴らしい」という部分は捩じり下げとは関係ない。最も重要な舵の昇降舵に堀越自慢の剛性低下方式を導入したことによるものだ。
捩じり下げは大きな速度低下をきたすことなく、大迎え角時の失速寸前の状態でも翼単失速を遅らせて補助翼操作を可能にし、空戦性能向上に寄与した。
ご視聴&貴重なコメント有難うございました。舵の効きなどは解説が不足していました。反省しております。
見やすく綺麗にまとまった動画をありがとうございます。
零戦の軽量化は一見やり過ぎにも見えますが、実際の製造において問題を生じたと言うことはなく、戦後米国の戦略爆撃調査団の記録において中島飛行機ではほぼ発動機の入荷待ち、材料待ちが恒常的になっており、機体工場の稼働率が低調だった旨が指摘されています。
機体構造を簡素化していれば、おそらく太田市の地下工場から溢れるほど大量の首無し機が並んでいたかも。
堀越氏がこういった展開まで承知のうえ計算づくで方針を決めたとまでは思いませんが、少ない資源を最大限活用し丁寧に付加価値をつけるという、持たざる国である日本国の特質に良くマッチした機体ではあったようです。
ご視聴&コメント有難うございました。コメントに記載のありました「丁寧に付加価値をつける」という表現が的を射たもので、まったく同感であります。
あれ、中島飛行機は、もう昭和20年には栄エンジンは生産を停止し、誉エンジンを増産するとか言っていたから、ゼロ戦に載せる栄エンジンは昭和20年にはない可能性がありますね。
空母に搭載する艦上戦闘機であるので、せいぜい数百機の生産機数を考えていた。そのため工数低減より性能最優先の構造を選択したのですよ。
そんなことはないですよ。おそらく、陸上の航空部隊もあったから、1500機は常備していたと思いますよ。おかしな話、この機体は生産数1万機超えますからね。@@miyamiya2237
旧日本海軍の古い考えを持った人達が譲らなかった結果、このような脆弱な戦闘機ができたのです。旋回能力と速度相反するものを要求したのだから仕方がありません。NHKの番組の中で曽根嘉年さんが、源田さんがゆずらなかったと回想しておられました。航空機の時代の変遷に乗り切れなかったのでしょう。柴田中佐などはこれからの飛行機は速度を第一に考えなければならないという意見を述べておられたようですが、何にしても格闘戦をいつまでも引きずった海軍の旧さの結果だと思います。
結局のところ、カタログスペックを満たすためにパイロットが犠牲になりましたとさ
後知恵で考えると軽量で操縦し易かった事が後継機に影響を及ぼした点があるとも言えます。
勿論、零式戦闘機が問題のある機体という訳ではありません。
若(ジャク)でも操縦し易く日中戦争からの古参は凄まじい程の戦果を挙げた半面、後継機には操縦性が良く更なる高速を目指すという極端な要求を続ける海軍の悪癖を招いた可能性があります。
また雷電で指摘されている様に、零戦に慣れたパイロットには操縦のし易さから後継機に影響を与えたとも言えるかも知れません。
軽量化は機体の華奢でもあり、二式水戦がカタパルト発進出来なかった事は日本海軍が空母用カタパルトを実用化しても零戦には使えなかった事を示します。
ご視聴&コメント有難うございました。仰る通り初期の零戦が良すぎたのかも知れませんね。
風立ちぬからきますた
零戦が97艦攻に似た形態になったのはなぜかな?海軍の担当官が影響した可能性はあるかもしれないが、誰だったのか回想にもでてこない。
ご視聴&コメント有難うございました。
雷電の時はFW190と真逆なデザインを信じて失敗した?
雷電の紡錘形は失敗したわけではない。当時の理論ほどご利益がなかっただけだ。視界の問題は、主に着陸時のもので、艦上戦闘機と同様に機首上げの3点着陸したために「見えない」となった。陸軍のように水平に着地すればさほど問題ではなかったはずだ。陸軍の荒蒔少佐は、鍾馗より扱いやすいとコメントしている。エンジン技術の遅れで、出力不足と振動問題を引き起こしてしまったことが雷電の不幸であった。
ご視聴&コメント有難うございました。雷電は残念でした。
三菱は、当時の内外の理論を多数検討し、風洞実験を繰り返して、最大断面積が大きくなっても、滑らかに変化させることの方が、空気抵抗を減らせる、という結論を出します。一式陸攻や雷電は、それを取り入れた設計です。
逆に、中島は、鍾馗のように、なるべく胴体径を絞ります。結果論から見れば、やはり胴体を極端に絞った彩雲(海軍機だが中島)が高速を発揮したように、空気抵抗低減でみるなら、中島の方が妥当だったとは言えるでしょう。
ただ、局地戦闘機(インターセプター)の最重要性能は上昇力であり、たとえば雷電は鍾馗に劣り、疾風には優っています。
@@whitepandajp 零戦神話の後光が強すぎて雷電、烈風が大目に見られすぎではと感じてしまいます。