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登場当時でもその優秀さは知られており、高評価でした。隠れていないですし、知らぬ間に生まれたわけでもなく、知らぬ間に消えたわけでもないと思います。
ご視聴&ご指摘有難うございます。
飛燕の機体自体は良い機体でしたが、水冷エンジンが間に合わず、当時の各務原市の国道に首なし飛燕が野ざらしになり、軍部や川崎航空機が唯一間に合う空冷1500psエンジン、海軍名の金星が存在してたので明野に来てた、ドイツのフォッケウルフFw190の機体を参考にフィレットを作成、エンジン架の柱が偶然にもハ40と同じで改造も少なく搭載出来たそうです。重心については元々飛燕の機体にレールが付いてて前後にずらせる事でバランスを取り、短期間で改造出来ました。改造機なので他の陸軍戦闘機みたいなペットネームは無く、五式戦として採用。本当なら飛燕改が正しい名前になるのでしょうね。>紫電も正式には紫電11型、そして紫電改は紫電21型が正式名です。
海軍の土方敏夫の手記で触れられている。燃料不足で海軍の基地に着陸した五式戦に隊長が試乗した。「上昇と突っ込みが良い、良い戦闘機」という評価だった。土方自身が、陸軍の戦いぶりを地上で目撃している。F6Fに追われた五式戦がぐんぐん上昇して、振り切って逃げおおせたというものが。「陸軍もなかなかやる。」と評価している。・・・低空で戦う限り、かなり良い戦闘機だったのだろう。末期で機数もそろわず、大戦果を上げたわけではないが、四式戦闘機の性能が激落している中で、米軍機と互角に戦える戦闘機だった。
コメントありがとうございます。私も一度、土方さんの講演を拝聴したことがあります。物静かな方でした。
今は休刊になっているコンバットマガジンだったか?、掲載された漫画の陸軍搭乗員のセリフで、P51との闘いで、相性がよく、闘いやすいという内容を思い出した。
@うた-i7sそうなんだよなあ。他にマトモなやつなくてまだマシってだけ。
@@akiy5849そうなんです。飛ぶだけまし。一式戦よりまし。三式戦よりまし。四式戦は南方での不良が言われてますが。内地はキ100は、内地だけですから。四式戦よりは無いです。
絶対不敗!とかF6F全機撃墜!とか安易に言わず、実際の戦績にフォーカスされた良い内容だったと思います。ただ隻脚のエース、檜與「平」氏ですね。素晴らしい敢闘精神でした。陸軍航空審査部の万感の期待を持って投入された本機だがそもそもの温存策もあってエリート揃いの明野教導飛行師団を母体とする飛行第一一一戦隊ですら殆ど戦果を上げられておらず。全体として見るべき戦果は無いというのが現実。空母ベローウッドのF6F全機撃墜伝説も、フタを開けてみれば損失数は2:2のイーブン。さらに抜群のはずの稼働率についても審査部での評判は良かったものの実施側ではガタ落ち。中には飛燕よりも低かった戦隊もあり、第二四四戦隊では沖縄進出で大量の落伍機発生してクレーム。今でも第二四四戦隊HPでは「発動機の不具合が多い印象」だとされている。思うに審査までは順調、でも量産に入ると粗製濫造でやはり品質は落ちるというのは三菱においても免れなかったのだろう。また燃料噴射方式も現地での調整は困難な機構で、かなりの専門教育が必要、取説には現地で分解調整をするな、とされるその一方で水メタ噴射装置は夏場の出力低下が顕著で、特別なセッティングが必要とされたフシもある。金星の信頼性神話というのはあくまで、穏当な気化器仕様の四型、五〇型までのものであり、本機の六二型は燃料噴射に水メタ噴射と全く別の次元で語られるのが正しいと思う。本当に「疾風」3機に匹敵したとはちょっと考えにくい。
コメント&大変博識のご意見に脱帽です。有難うございました。
五式戦登場当時、四式戦の性能は激楽していた。ハ45(海軍名誉)の実馬力は低くカタログ詐欺のエンジンとなっていた。烈風試作機や試作戦闘機天雷の低性能が誉の実態をよく表していた。そういう四式戦より、五式戦ということだ。上昇力で圧倒し、四式戦を抑え込んだ。ハ112-IIはそれほど性能低下をきたしていなかったのだろう。ハ112IIを搭載した機体・・・百式司令部偵察機3型やキ96、彗星33型は抜群の高性能機とは言えないもののそこそこの性能で好評ではあった。ちなみにハ40の燃料噴射ポンプも三菱製だ。ハ40は直噴、ハ112IIはポート噴射という違いはあるが。水メタ噴射は低空での出力向上には有効だが、高空では役に立たない。百式司令部偵察機の場合は、意味のない装備ともいえる。
@@miyamiya2237 さん五式戦を擁護する気持ちは良くわかるつもり。でも五式戦の高評価にはかなりバイアスを感じるし、ハ112=金星62は誉同様、稼働に疑問の残る発動機。何より残念なことは本機が殆ど戦果らしい戦果を上げていない点。この点は紫電改の方が上と私は思いますし、疾風には遠く及びません。あと烈風試作における「誉」の出力不足は吸気系鋳物の製造、管理不良であり早期に対策されていた旨、中川良一氏が著作で言及されていますのでそこは本質ではありませんね。疾風の量産開始タイミングとバッティングしたことが遠因。ただ額面出力が出せない状況だったことはご主張の通りで疾風はそもそもハ45特。陸軍側ともその件で何度か対策会議なども行われてスリンガー方式で解決する方針が決まっていました。また坂上論文をチェックされているのでしたらご存知と思いますが百式司偵も彗星も金星の全力運転を然程必要としない機体であり、問題が顕在化しなかった可能性が高く。44年後半にもなってまだ三菱発動機技術者の南方出張を必要としています。また新しい燃料噴射方式については機械工学のご意見番、富塚清氏が百式司偵Ⅲ型をして「使い物にならぬ」と苦言を呈していたり、彗星四三装備部隊よりむしろアツタ装備の芙蓉部隊の方が稼働率は高かったりと、稼働の良かった実績が以外と残っていない。ハ40では実績の評価自体、困難ではないでしょうか。国内外の戦闘機輸送を多く受け持った陸軍航空輸送部第三飛行隊の評価は「不具合が多い印象」だとあり、これが244戦隊HPに掲載されています。結局良かったのは初期の明野における審査時のみで、これは疾風も同じ傾向だと私は思います。また五式戦を高く評価する人達の傾向にも注意してみる必要があります。檮原秀見氏 はじめ111戦隊、112戦隊は陸軍明野飛行学校の影響が強く。要は格闘戦至上主義が陸軍にも色濃く残っていた事実と、その他二式複戦や三式戦からの乗換え組のバイアス。この辺りを認識していないと正しい姿が見えて来ない、そして実戦の様子を見てみると、そこそこ数を揃えて完全な奇襲だった筈のベローウッド隊との空戦はフタを開けてみれば損失2対2のイーブン。更に付け加えるならば、製造工数の比較においても疾風は三式戦=五式戦より優れていますが長くなるので省略します。五式戦に幻想を持ちたい気持ちはあるけども何らかの新しい記録、特に数字などの裏付けがない限り、現時点で五式戦の高評価は出来ないと言うのが自分の見解ですね。
檜少佐なんかは、一式戦からの乗り換えですから。檜少佐だってP51cにのれるなら、怖いもの無しと、言います。黒江少佐乗るP51cに勝てた、人居ません。キ100も。250ノット以上からの旋回運動は、日本機には無理。関東地区244戦隊、17戦隊、70戦隊、51戦隊、52戦隊。中部地区、明野飛行教導師団、関西地区、56戦隊、256戦隊、キ100、三式戦、一式戦、4式戦。黒江少佐、檜少佐が壊れた発電機を手に入れるために、何方が先にP51を落として手に入れるかと。檜少佐が落としたDは、伊勢湾に墜落した。三菱の水噴射装置のボンプは、燃費噴射ボンプの応用。三菱の燃料噴射装置は坂上論文にも出て来ますし。大笑い三菱発動機。川崎の燃費噴射装置の不具合が、三菱で出ないわけがない。三菱も気化器に戻す研究してます。日本には、燃費噴射装置は無理。気化器も14気筒まで。熱田は、川西。米国調査は、P51に迫れるのは四式戦。
父親は五式戦を愛機にしていた陸軍航空学校教官でした。陸軍戦闘機の中では一番だといつも言っていました。
ご視聴ありがとうございました。御父上の当時の生の声を聞けましたこと羨ましい限りです。
こちら葛飾区亀有公園前派出所(こち亀)29巻に「五式物語」という話がありましたね戦中整備兵だった登場人物が整備不良によりパイロットを失ったことを憂い、墜落した機体を自費で回収し、レストアするのを両さんと中川が支援する、という良い話でした。
コメント有難うございます。29巻みたくなりました。
@@TheGyspsw24 泣けますよ ぜひ
液冷エンジンってX型のOHVエンジンを自主開発すれば良かった、星型エンジンはOHVだし、OHVは小型軽量に出来るので液冷エンジンでも軽く出来る上にクランクシャフト一本で星型エンジンの後列冷却不足にも成らない。X型ならばV12エンジンの倍の24気筒も可能な上にOHVなのでコンパクトだから誉より若干太い機首に3000馬力も可能だったのにね。X型16気筒ならば片列4気筒で機首も短く成り、より軽量コンパクトで離床出力2200馬力も可能でスーパーチャージャーの設計も容易で手曲げ集合排気管を装備したらもう50馬力上乗せ出来たのに。
軽量化できない
V12をまともに作れないのにX型はむり。英国もヴァルチャーエンジンで失敗している。ネピア・セイバーは成功作で、24気筒で37Lと意外に小排気量だ。高回転によって出力を絞り出している。だからV12でまともなものを作り、3000rpm以上で回せるエンジンを作り、さらに優れた過給器(マーリンのような2段2速や排気タービン)&インタークーラーを開発し組みあわせたらよかった。例えばドイツのユモ213Aは3250rpmで最高出力1750psを発揮した。排気量は33LとDB601と同等であった。3000psを絞り出したネピア・セイバーは何と4000rpmだ。日本は誉の3000rpmもまともにものにできなかった。
稼働率の低い四式戦のハ45をハ112へ換装する構想があったそうですね排気量で4000ccくらい小さくなるが実測1300馬力程度しか出ていなかったのでほとんど差がなくエンジンが軽くなるぶん性能は向上したかも知れない
コメントありがとうございます。ハ112は良かったみたいですね。
マレーで取れる石油が低品質なのと、当時の日本の精油技術では高オクタンのガソリンがつくれなかったのも理由です。ガソリンなんか開戦前までアメリカから輸入しないといけなかったから。(当時の屈辱をバネに戦後の日本の石油産業は発展した)
勘違いしてる人が多いがキ116のエンジン換装は稼働率向上が目的では無く、制空権、制海権を失って満州にハ45を送れなくなったため、現地にあったハ112で代用するしかなかったからです。そもそもハ112Ⅱの稼働率、整備性はハ45と同等か、むしろ悪いくらいですし。
@@フォッケ柴犬 ハ45も整備すればしっかり動くが、出力はカタログ値をはるかに下回る性能しか出なかった。
ハ45…誉は昭和19年末に運転制限解除されてるんですが…?
大戦末期まで生き残った凄い人達だったから多勢に無勢でも優位に戦えただけでその他の技量が熟練した人達が五式で連合軍機に優位に戦えたとは思えないですね。とは言うもののゼロや隼よりは良いでしょうね。エンジンの馬力が1500馬力だったので不満は無かったと思いますが、開戦前に評価されたらダメダメだったでしょうね。兎に角小回りが効かないとダメって風潮でしたからね。
ご視聴&コメントありがとうございました。
檜與平少佐は「五式戦があと2年早く配備されていたら戦局が変わっていた」と述べるほどこの機を高く評価している。
コメントありがとうございます。
なにしろあの細長い翼はロール率が高い上に空気抵抗が少ないので格闘戦向き。同じ発想で作られたスピットファイアが欧州でルフトヴァッフェ相手にブイブイ言わせたのも理解できるかと。
@@鈴木土下座右衛門-v7t ロールレートは高いんでダイブの位置取りには有利だがダイブがいいというわけでもないからなあ シムで飛ばしてみても、なんかパッとしない感じ。変に弱点ないといえばないんだが特徴が無いのが特徴というかんじになりかけてる。ものすごくいい部分が無いから困る
エンジン換装で奇跡的に良くなった。元が頑丈な機体で20ミリ搭載可能であったことから改造されたと思われるが名機なんじゃないの?
コメントありがとうございます。偶然の産物だったのかもしれませんが、使える機体だったみたいですね。
エンジンは欧米に追いつかなかったが、機体の設計は外国に追いついてきた証明が出来る戦闘機だったのではないでしょうか?(防弾性能以外は)元々キ61は戦前に試作された機体でありパーツなどの基礎工業力が追いつかない点も踏まえて土井技師の設計を高く評価して良いと思えます。
ご視聴&コメント有難うございます。
日本の限界が研三です。発動機はDB601。ダグラスシステムさえ成ってないのに。四式戦でさえ欧米からは、古い製造方法。ダグラスシステムを使った紫電系があの凸凹。
兵器に求められる最も重要な実用性、酷使に耐えうる頑丈さと扱いやすさが無ければ、良い兵器と言えない。戦闘機にとって重要なのは、ダッシュ力と操縦性だと思う。五式戦は、兵器として、戦闘機として求められる要素を高いレベルで実現した傑作機だと思います。ただ、出現時期があまりにも遅く、名機と呼ばれる機を逸したのが唯一の欠点。
7:12 お⁉️😙明野の機体だ~😙地元っす🎵“名機”の基準はいかにも難しく“何をもって”名機とするかで意見は分かれます😮本機体に関しては、機体そのものがわりかし、換装したエンジンと相性がよく、【P-51ムスタングに似た例あり】また、何よりもあの時期における他機種と比較しても高い稼働率を叩きだしました。当時、現場で必要だったのは、“確実に回るエンジン”だったんですよね~😙戦闘機としてのスペック云々は、エンジンがまともに回ってからの話ですばい😙
コメント有難うございます。仰る通りだと思います。
高いと言っても、内地で270機。熱田、八40、誉も内地では、稼動している。四式戦は、外地のビルマなどの南方。部品の供給さえ。
無い無い尽くしの中有り物で間に合わせでやった結果期待していた四式戦よか動いてくれたってだけってのが実際の所だと思うあの地獄の末期の中蜘蛛の糸の如く動いて戦える戦闘機が在るってだけで希望になるじゃん?
紫電改もそうなんですが、連合国の新鋭戦闘機と互角、ということで傑作とか名機とか言われてるんでしょうが、連合国の新鋭戦闘機扱いのヘルキャットやマーリンムスタングは43年デビュー組です。2年遅れでようやく追いついたというだけなので、ひいき目で見ても名機とも傑作機とも言えません。日本のなかでは良かったと言うだけです。
疾風は投入したタイミング的にどうにか間に合った機体だと思うし、紫電改も自動空戦フラップは世界に先駆けた技術だったと思います。日本の航空機は開戦前に外国から取り入れた技術の延長でしかなかったが、自動空戦フラップは数少ない独自技術でしかも秀逸。疾風と紫電改は恥ずかしくない出来だと思いますが。五式戦は過大評価でしょう。
20ミリの弾道は湾曲するから破壊力あるが当てるの難しく弾倉も少ないとパイロットには不評
海軍から空自行った叔父が昔言ってましたが、F86のブローニングの機銃は海軍のものより素晴らしいとは聞いたことがあります。自衛隊で米国機扱って、こんなもん作る国に勝てるわけないとつくづく思ったそうです。
貴重なおじさんの体験、アメリカは二次大戦は13ミリ6門直線の弾道だからでしょうね?
零戦21型以降に開発された紫電改や陸軍5式戦闘機はアメリカP51ムスタングに空戦かなわなかったと言う、ナチスドイツから3式戦闘機図面もらってM109のエンジン生かせなかった日本星型空冷が戦闘機や爆撃機に使っているし整備困難だったし残念です
コメントありがとうございます。少なくとも陸海軍共通の武装に出来なかったのが、現在までの縦割りを象徴しています。
それが残念です。喧嘩ばかり
百式司偵はキ46では?キ102はキ45改の後継キ96を単座から複座ににして設計しなおされた戦闘機だと・・一部の部隊では五式複戦なんて呼ばれていたみたいですね。
ご指摘ありがとうございます。確かに、間違っていました。失礼いたしました。
4:04 「急降下性能だけは隼二型に勝つことができなかった」って誰も疑問に思わないんでしょうか? 隼二型の急降下制限速度は600キロ、飛燕・五式戦は850キロですよ。上昇力の間違いでは?まあ馬力荷重は隼の方が有利だから急降下初期の加速性では隼の方が上で、模擬空戦では急降下初期の時点で勝負が付いてしまったということかもしれませんが。少なくとも上昇力の方がスペック的には隼が1~3型全てで五式戦より上のはずですが。
今でもそうだ…兵は優秀だが、上の者は凡将!見れば分かるだろう…スーパーゼネコン職員の無能さと職人への無意味な規制😮
コメント有難うございます。
動画中にもご指摘がございましたが、川崎も液冷エンジンの困難さはⅠ型の頃から十二分に理解していて、三式戦に空冷エンジンを搭載する提案書を何度も陸軍に提出したのですが、担当官に目の前で破り捨てられたという記載が何かの回顧録に記載されていたと記憶しています(「陸軍試作機物語」だったかな?)。メーカーを見下し、融通の利かない官僚化した軍部首脳の弊害が五式戦の登場を遅らせた遠因かもしれません。
金星は、海軍の、発動機なので陸軍が使える個数に制限が。
当時の日本の技術でやれる最良の戦闘機。水冷エンジンに合わせた細身の機体に大きめの空冷エンジンを付けても意外に空気抵抗が少ない。その上、空冷エンジンは軽い上に被弾してもエンジンが止まるリスクが小さい。
コメントありがとうございます。当時も現在も日本の工業力の貧しさを痛感します。
水冷やれないというよりそれに合わせた工具がないとしかいいようがないからな
あまり詳しくないのですが本命の4式戦闘機が大戦末期に稼働率が低く大戦が通じてほぼ一式戦(かなり活躍しましたけど)で戦って来たのでそれより優秀で5式戦が欲しいと考えるのは普通かなと思います。日本機全種(陸海軍)の中で着実飛べて改良する度に着実に性能アップ出来た機体って一式戦のみの様な気がします。個人的に一式戦闘機が日本の国力で作れる最高の戦闘機だったと思えます。必ず飛べて、遠距離飛行が可能、12,7機関砲を装備し、整備が簡単で、防弾が付いている。。。これが当時の日本で作れる限界だったんだと思います。
五式戦はいい機体だと思うけれどやっぱり飛燕のほうがカッコいいww。人間の顔も同じだけどきれいな造形かそうでないかは全体的なバランスやね。美容整形でも鼻(ノーズ)ちょっとイジるだけでより美人になるかよりブスになるか決まっちゃう。
飛燕は美人だよねぇ
キ-100(所謂「五式戦」)は、陸軍戦闘機操縦士の評価が高いのは事実だが....元となった機体「三式戦」の性能劣化と稼動率低下が他機種に比べて著しく極端に悪過ぎたので、それと比較しての高評価だったのも否めない。大戦末期の状況で見れば、米軍にとって最大の関心事はジェット戦闘機「Me262」であり、有名な「Fw190D」又は「Ta152」でさえ実機を捕獲しても大して興味は惹かず、ましてや空冷エンジンに換装した三式戦に過ぎないキ-100は「新型戦闘機」だと認識すらされるはずもなく、コードネームも付与されなかった。
ご視聴&コメント有難うございました。
第二次世界大戦末期の欧米列強国の新型戦闘機の趨勢を知る後世の我々(日本人)にとって、当時の陸軍戦闘機操縦士達がキ-100を高く評価すればするほど、胸に痛みが走る。
檜少佐なんかは、一式戦からキ100に乗り換えたら。そら。
本当はこういうのを42年辺りに実戦配備してなきゃいけなかった、遅れてきたバランスの良い機体、ってだれかいってたような
飛燕が最初に実戦投入されたのが43年5月ですから42年はありえないですね。最初から空冷で作ったとしても、その頃だと金星エンジンも1300馬力しか出ていないし、FW190もまだ届いていないから推力式排気管の真似もできません。隼と鐘馗の中間的な普通の空冷エンジン機にしかならないかと。
故障率が高いと言われている疾風や彗星もマニュアル通りの整備が出来る補給部品がある部隊の稼働率は80%以上あったほとんどはは出来なかったけど、だから5式戦も量産が増えたら稼働率が落ちたであろうという説もある昭和17年頃だったら間違いなく名機だったでしょうね3式戦もカタログスペックは優秀だが欧州機と相性が悪くて隼、ゼロ戦の方が遅くても小回りが利いて強敵と言う評価がされている
昭和17年だと金星も50型系列の時期だから1300馬力しか出ていないので、それほど高性能にはなりません。
@@ROSAHACHI25 42年だと雷電も完成しておらず主力は零戦や隼で1100馬力程度だし飛燕も同じだから2割位の出力強化でも影響は大きい初めから交換の話はあったが面子その他で遅れていた
@ 陸軍はすでに鐘馗が戦力化しており、それより低馬力の空冷飛燕を作る意味もあまり無いかと。
@@ROSAHACHI25 そもそも昭和18年頃までの金星の生産数を考えれば、主力機にはとても出来ない事情もありますね(三菱はこの点が弱かった)。発動機生産を川崎がライセンスするにしても時間的余裕が・・・
@@ROSAHACHI25護の信頼性が。
使い勝手がいいだけで別に凡作だとは思うんだが飛行機に超絶詳しい新谷かおるが名機として日の丸しょってでつかってるから名機でいいやという気分
当時の日本の工業力を冷静な基準で判断すればハ-112ー金星エンジンが最良であった。5式戦及び零戦54型は2年前に登場しなければならなかった機体。
日本陸海軍は1500馬力の金星(ㇵ112)と1800馬力の火星(ㇵ111)の2本立てで戦闘機を開発するべきだったと強く思う1500馬力級の陸軍戦闘機(二式単戦以外)や零戦五四型がそれなりに量産されていればと思うしソ連のLa-7なんかは1800馬力級で670〜680km/hの最高速度を発揮してFw190Aを苦しめたと聞くにつれ日本も火星エンジンで戦闘機を造っとけばなぁ、と思う次第
誉やハ43といった二千馬力級発動機を高品質で量産するのは当時の日本ではムリでしたからねぇ
火星で作った雷電は開発が難航して、うまく行ったとは思えませんが。本来なら昭和18年には雷電を主力に零戦は縮小する予定だったのが、雷電がものにならなかったから零戦を使い続けるしかなくなったわけで。元々爆撃機用のエンジンじゃないですか。直径がでかすぎるのをカバーしようとして失敗したのが雷電でしょう。堀越技師がやってあの程度だったものが、他の人がやって劇的にうまく行ったとは思えませんが。
P & WR-1690 さえコピー出来なかった技術力で。振動問題に無頓着な三菱発動機が。
誉の二次審査終了が昭和16年8月。雷電の試作1号が昭和17年2月末でその頃の火星は1400馬力しか出ていません。金星にしても1500馬力の62型使用予定の100式司偵3型の試作命令が昭和17年5月で、それまで金星は1300馬力しか出ていません。
飛燕はエンジンの問題もあるけど主翼も無駄に長いわりに旋回性能がいいわけでもなく上昇力も特に秀でてもいなくでなんでこれ開発したの?といういいとこがない機体だった。急降下特性もメッサーみたいな良さが無いのは明らかに主翼に問題ある。そのへん秘めたる空戦がかなりわかりやすく開発してる。
和製フォッケウルフ‼️
空冷化にする際にFw190が参考にされてますねエンジン後方の処理とか。
戦前の日本の工業力の限界で品質を均一に保て無かったこと、新規の大出力エンジン、排気タービン、冶金技術の低さが問題だった。各機種とも整備が十分であれば性能は、そこそこだったのが現実…
五式戦を褒め称える談話が虚勢をはっているように聞こえてしまって悲しい
必要な性能があって必要な時に必要な場所に在る それだけで兵器としては優秀ここに居るやつはほぼ知ってるタイガーⅠも侵攻作戦では要らないって言われたけど駄作だとは誰も思ってないし防衛戦ではこの戦車ほど頼りになる戦車はそうそう居ない
300機に満たない数と、まともに飛ばせない飛行機ばかりの中での証言は割り引いて考える必要があるのでは。
コメントありがとうございます。確かに一歩引いて冷静にみることも大事ですね。
首無し飛燕を改造したのが275機で、最初から五式戦として生産したものと合計すると400機近くはありましたけど。
@@jx6004さま紫電二一型と変わりないです。内地の誉はそれなりに稼動してますから。内地なら、400機程度なら稼動出来る。熱田でさえ稼動してますから。
11.30あたり、資料写真に1枚だけ五式ではなく四式戦が入ってます。ま、側面は似てるんで間違えます。隼と四式戦も似。三式戦は液冷で完成を目指したが繋ぎに空冷に変更したら(結果オーライ)だけど当初からの計画にはなく、量産化のラインは組めなかった。タラレバで中島、三菱の生産ラインに乗せて量産化すれば…ですかね。
コメントありがとうございます。仰る通り写真は四式戦です。五式戦の日の丸を米軍の星マークに塗り替えた写真が見つからなかったものですが、イメージ的に使用いたしまし。ご指摘ありがとうございました。
更に細かいこと言えば、これは立川キ106です。まぁ木製化された四式戦ですが。
@@八代文夫確か、疾風甲型の12・7ミリと20ミリの配置が主翼に12・7ミリ、胴体に20ミリとオリジナルから変更された木製の疾風。
遅すぎた迷機、増加試作機で金星搭載してれば間に合ったはず。😊
そもそも飛燕を予定通り完成させてなかったのに、おとがめなしどころか陸軍大臣から感謝状って…
機体がいくら優秀でも燃料が乏しい、弾薬が乏しい、経験のあるパイロットが居ないという状況じゃ結局ダメだったろうね。戦争末期にはオクタン価の低い粗悪な燃料しか無かったようだし。
百式司偵がキ102? 確かキ46だったような?それに川崎はキ61以前にも水冷、液冷エンジン機をたくさん作っていますよ。(上手に作っていたとは言ってない)五式戦は奇跡の名機ではなく、有り物の寄せ集めでたまたまバランスがとれてしまった「分をわきまえた」当時の日本機に過ぎないと思うよ。キ61の基礎設計が優れていたのは事実だったしね。
「正式」ではなく「制式」です。
ご指摘ありがとうございます。誤字でした。お詫びして訂正いたします。
ゲテモノですわ、、、当然 速度はで無いね。
エンジン以外は堅実に作った四式の評価がいまいちなんだから五式が最良の戦闘機だったのだろうね。
コメントありがとうございます。もっと早く出来上がっれいれば良かったです。
五式は軽かったからだと思います。しかし、戦況が逼迫してるのにキャノピーを改造してるのは感心しませんね。急降下で隼に勝てなかったと言うのは不思議ですね、ゼロも隼も急降下で連合軍機に離されて苦しんでましたからね。
@@クマのプー太郎-f4z米軍も零戦や隼には「急降下以外に逃げる術無し」としてるからな。米軍機は最高速度こそ日本機に勝てるが隼や零戦の軽さ故のダッシュ力や上昇性能には手を焼いたそうだ。
疾風は実戦投入された当初、第22戦隊はP51相手に善戦し、慌てたアメリカがP51の2個中隊呼び寄せるほどでした。その後も戦局に影響するだけの時期と数を間に合わせています。五式戦は数も期間も短すぎて正当な評価はできないんじゃないでしょうか。疾風は投入されて1年後も第1線で働いていましたが、五式戦の1年後はどうなっていたか。あと少し戦争が長引いていればF8FとかF-80のようなジェット戦闘機も出てきたはずです。五式戦程度の性能で喜ぶほど追い詰められていたという方が当たっているでしょう。戦後、米軍も四式戦はいろいろテストしていますが、五式戦には興味を示していませんから。
@@jx6004さま黒江少佐のP51cにぼろ負けのキ100ですから。三式戦は相手に成らないと檜少佐。何とか迫れたのが四式戦。250ノット以上のロール性旋回で、撃墜ですが。檜少佐だってP51cだったら負ける気がしない。と。蘇州 で鹵獲されたP51cに、坂井少尉は液冷の整備士。光本准尉は操縦員。が送られて、バラバラにされた機体を復元して、内地に輸送した。P51cの整備を受け持た技術班名取大尉は、点火ミスしないブラグ。油漏れしない油圧系、完璧な電装品、精密な発動機。これに乗ってたら日本機い幾ら居ても負ける気がしない。と、思った。と。
もし名付けるなら飛燕改
ここでは三式戦の液冷エンジンに批判が集まるだろうけど大局的に見れば四式戦などで使われた誉こそ日本の足を引っ張った元凶と言えるだろう。
コメントありがとうございます。なるほど、言われてみればそういうところもありますね。
足を引っ張ったっていってもあれ以上のエンジン作れなかったじゃないですか。あれが限界なんです。
誉がなかったら疾風も紫電改もなかったんだから、もっと早く戦争が終わっていたかもしれませんね。
そもそも3式戦とは違いエンジン出力アップしている
出力は変わらないですが、重量が軽くなってます。
同機について戦時下の米紙に 日本軍の強力な新型機現る として記されたとか、戦後の軍事調査団が 未知の機体を発見 とか共に”日本の新聞”に書かれたり今の情報空間とは違うが常に扇動と虚報には暇がない”報道”
5式戦があればp51等恐れるに足りぬと当時の陸軍航空兵が語っていたように、P51以上の性能が5式戦にはあった。間違いなく大戦時の日本の航空技術は米国よりも優れていたからこそ、戦後米国が我が国の航空産業を破壊したのは有名な話。米国が我が国の航空産業を潰さなければF35以上の軍用機を作れていたと思うと本当に惜しい。
黒江少佐のP51に誰も勝てませんでしたが。
グラマンを急降下でブチ切れる戦闘機は、これだけだ! たぶん、亜音速でも空中分解しないでしょうね。
動画の中では「急降下性能だけは隼二型に勝つことができなかった」と言ってます。隼二型もグラマンを急降下でブチ切れたことになりますが。
登場当時でもその優秀さは知られており、高評価でした。
隠れていないですし、知らぬ間に生まれたわけでもなく、知らぬ間に消えたわけでもないと思います。
ご視聴&ご指摘有難うございます。
飛燕の機体自体は良い機体でしたが、水冷エンジンが間に合わず、当時の各務原市の国道に首なし飛燕が野ざらしになり、
軍部や川崎航空機が唯一間に合う空冷1500psエンジン、海軍名の金星が存在してたので明野に来てた、
ドイツのフォッケウルフFw190の機体を参考にフィレットを作成、
エンジン架の柱が偶然にもハ40と同じで改造も少なく搭載出来たそうです。
重心については元々飛燕の機体にレールが付いてて前後にずらせる事でバランスを取り、短期間で改造出来ました。
改造機なので他の陸軍戦闘機みたいなペットネームは無く、五式戦として採用。
本当なら飛燕改が正しい名前になるのでしょうね。
>紫電も正式には紫電11型、そして紫電改は紫電21型が正式名です。
海軍の土方敏夫の手記で触れられている。燃料不足で海軍の基地に着陸した五式戦に隊長が試乗した。「上昇と突っ込みが良い、良い戦闘機」という評価だった。土方自身が、陸軍の戦いぶりを地上で目撃している。F6Fに追われた五式戦がぐんぐん上昇して、振り切って逃げおおせたというものが。「陸軍もなかなかやる。」と評価している。・・・低空で戦う限り、かなり良い戦闘機だったのだろう。
末期で機数もそろわず、大戦果を上げたわけではないが、四式戦闘機の性能が激落している中で、米軍機と互角に戦える戦闘機だった。
コメントありがとうございます。私も一度、土方さんの講演を拝聴したことがあります。物静かな方でした。
今は休刊になっているコンバットマガジンだったか?、掲載された漫画の陸軍搭乗員のセリフで、P51との闘いで、相性がよく、闘いやすいという内容を思い出した。
@うた-i7s
そうなんだよなあ。他にマトモなやつなくてまだマシってだけ。
@@akiy5849
そうなんです。飛ぶだけまし。一式戦よりまし。三式戦よりまし。
四式戦は南方での不良が言われてますが。内地はキ100は、内地だけですから。四式戦よりは無いです。
絶対不敗!とかF6F全機撃墜!とか安易に言わず、実際の戦績にフォーカスされた良い内容だったと思います。ただ隻脚のエース、檜與「平」氏ですね。素晴らしい敢闘精神でした。
陸軍航空審査部の万感の期待を持って投入された本機だがそもそもの温存策もあってエリート揃いの明野教導飛行師団を母体とする飛行第一一一戦隊ですら殆ど戦果を上げられておらず。全体として見るべき戦果は無いというのが現実。
空母ベローウッドのF6F全機撃墜伝説も、フタを開けてみれば損失数は2:2のイーブン。さらに抜群のはずの稼働率についても審査部での評判は良かったものの実施側ではガタ落ち。中には飛燕よりも低かった戦隊もあり、第二四四戦隊では沖縄進出で大量の落伍機発生してクレーム。今でも第二四四戦隊HPでは「発動機の不具合が多い印象」だとされている。
思うに審査までは順調、でも量産に入ると粗製濫造でやはり品質は落ちるというのは三菱においても免れなかったのだろう。また燃料噴射方式も現地での調整は困難な機構で、かなりの専門教育が必要、取説には現地で分解調整をするな、とされるその一方で水メタ噴射装置は夏場の出力低下が顕著で、特別なセッティングが必要とされたフシもある。
金星の信頼性神話というのはあくまで、穏当な気化器仕様の四型、五〇型までのものであり、本機の六二型は燃料噴射に水メタ噴射と全く別の次元で語られるのが正しいと思う。本当に「疾風」3機に匹敵したとはちょっと考えにくい。
コメント&大変博識のご意見に脱帽です。有難うございました。
五式戦登場当時、四式戦の性能は激楽していた。ハ45(海軍名誉)の実馬力は低くカタログ詐欺のエンジンとなっていた。烈風試作機や試作戦闘機天雷の低性能が誉の実態をよく表していた。そういう四式戦より、五式戦ということだ。上昇力で圧倒し、四式戦を抑え込んだ。
ハ112-IIはそれほど性能低下をきたしていなかったのだろう。ハ112IIを搭載した機体・・・百式司令部偵察機3型やキ96、彗星33型は抜群の高性能機とは言えないもののそこそこの性能で好評ではあった。ちなみにハ40の燃料噴射ポンプも三菱製だ。ハ40は直噴、ハ112IIはポート噴射という違いはあるが。
水メタ噴射は低空での出力向上には有効だが、高空では役に立たない。百式司令部偵察機の場合は、意味のない装備ともいえる。
@@miyamiya2237 さん
五式戦を擁護する気持ちは良くわかるつもり。でも五式戦の高評価にはかなりバイアスを感じるし、ハ112=金星62は誉同様、稼働に疑問の残る発動機。何より残念なことは本機が殆ど戦果らしい戦果を上げていない点。この点は紫電改の方が上と私は思いますし、疾風には遠く及びません。
あと烈風試作における「誉」の出力不足は吸気系鋳物の製造、管理不良であり早期に対策されていた旨、中川良一氏が著作で言及されていますのでそこは本質ではありませんね。疾風の量産開始タイミングとバッティングしたことが遠因。ただ額面出力が出せない状況だったことはご主張の通りで疾風はそもそもハ45特。陸軍側ともその件で何度か対策会議なども行われてスリンガー方式で解決する方針が決まっていました。
また坂上論文をチェックされているのでしたらご存知と思いますが百式司偵も彗星も金星の全力運転を然程必要としない機体であり、問題が顕在化しなかった可能性が高く。44年後半にもなってまだ三菱発動機技術者の南方出張を必要としています。また新しい燃料噴射方式については機械工学のご意見番、富塚清氏が百式司偵Ⅲ型をして「使い物にならぬ」と苦言を呈していたり、彗星四三装備部隊よりむしろアツタ装備の芙蓉部隊の方が稼働率は高かったりと、稼働の良かった実績が以外と残っていない。ハ40では実績の評価自体、困難ではないでしょうか。
国内外の戦闘機輸送を多く受け持った陸軍航空輸送部第三飛行隊の評価は「不具合が多い印象」だとあり、これが244戦隊HPに掲載されています。結局良かったのは初期の明野における審査時のみで、これは疾風も同じ傾向だと私は思います。
また五式戦を高く評価する人達の傾向にも注意してみる必要があります。檮原秀見氏 はじめ111戦隊、112戦隊は陸軍明野飛行学校の影響が強く。要は格闘戦至上主義が陸軍にも色濃く残っていた事実と、その他二式複戦や三式戦からの乗換え組のバイアス。この辺りを認識していないと正しい姿が見えて来ない、そして実戦の様子を見てみると、そこそこ数を揃えて完全な奇襲だった筈のベローウッド隊との空戦はフタを開けてみれば損失2対2のイーブン。更に付け加えるならば、製造工数の比較においても疾風は三式戦=五式戦より優れていますが長くなるので省略します。
五式戦に幻想を持ちたい気持ちはあるけども何らかの新しい記録、特に数字などの裏付けがない限り、現時点で五式戦の高評価は出来ないと言うのが自分の見解ですね。
檜少佐なんかは、一式戦からの乗り換えですから。
檜少佐だってP51cにのれるなら、怖いもの無しと、言います。
黒江少佐乗るP51cに勝てた、人居ません。キ100も。
250ノット以上からの旋回運動は、日本機には無理。
関東地区244戦隊、17戦隊、70戦隊、51戦隊、52戦隊。中部地区、明野飛行教導師団、関西地区、56戦隊、256戦隊、キ100、三式戦、一式戦、4式戦。
黒江少佐、檜少佐が壊れた発電機を手に入れるために、何方が先にP51を落として手に入れるかと。檜少佐が落としたDは、伊勢湾に墜落した。
三菱の水噴射装置のボンプは、燃費噴射ボンプの応用。
三菱の燃料噴射装置は坂上論文にも出て来ますし。大笑い三菱発動機。
川崎の燃費噴射装置の不具合が、三菱で出ないわけがない。三菱も気化器に戻す研究してます。
日本には、燃費噴射装置は無理。気化器も14気筒まで。
熱田は、川西。
米国調査は、P51に迫れるのは四式戦。
父親は五式戦を愛機にしていた陸軍航空学校教官でした。陸軍戦闘機の中では一番だといつも言っていました。
ご視聴ありがとうございました。御父上の当時の生の声を聞けましたこと羨ましい限りです。
こちら葛飾区亀有公園前派出所(こち亀)29巻に「五式物語」という話がありましたね
戦中整備兵だった登場人物が整備不良によりパイロットを失ったことを憂い、墜落した機体を自費で回収し、レストアするのを両さんと中川が支援する、という良い話でした。
コメント有難うございます。29巻みたくなりました。
@@TheGyspsw24 泣けますよ ぜひ
液冷エンジンってX型のOHVエンジンを自主開発すれば良かった、星型エンジンはOHVだし、OHVは小型軽量に出来るので液冷エンジンでも軽く出来る上にクランクシャフト一本で星型エンジンの後列冷却不足にも成らない。
X型ならばV12エンジンの倍の24気筒も可能な上にOHVなのでコンパクトだから誉より若干太い機首に3000馬力も可能だったのにね。
X型16気筒ならば片列4気筒で機首も短く成り、より軽量コンパクトで離床出力2200馬力も可能でスーパーチャージャーの設計も容易で手曲げ集合排気管を装備したらもう50馬力上乗せ出来たのに。
軽量化できない
V12をまともに作れないのにX型はむり。英国もヴァルチャーエンジンで失敗している。ネピア・セイバーは成功作で、24気筒で37Lと意外に小排気量だ。高回転によって出力を絞り出している。だからV12でまともなものを作り、3000rpm以上で回せるエンジンを作り、さらに優れた過給器(マーリンのような2段2速や排気タービン)&インタークーラーを開発し組みあわせたらよかった。例えばドイツのユモ213Aは3250rpmで最高出力1750psを発揮した。排気量は33LとDB601と同等であった。3000psを絞り出したネピア・セイバーは何と4000rpmだ。日本は誉の3000rpmもまともにものにできなかった。
稼働率の低い四式戦のハ45をハ112へ換装する構想があったそうですね
排気量で4000ccくらい小さくなるが実測1300馬力程度しか出ていなかったのでほとんど差がなくエンジンが軽くなるぶん性能は向上したかも知れない
コメントありがとうございます。ハ112は良かったみたいですね。
マレーで取れる石油が低品質なのと、当時の日本の精油技術では高オクタンのガソリンがつくれなかったのも理由です。ガソリンなんか開戦前までアメリカから輸入しないといけなかったから。
(当時の屈辱をバネに戦後の日本の石油産業は発展した)
勘違いしてる人が多いがキ116のエンジン換装は稼働率向上が目的では無く、制空権、制海権を失って満州にハ45を送れなくなったため、現地にあったハ112で代用するしかなかったからです。
そもそもハ112Ⅱの稼働率、整備性はハ45と同等か、むしろ悪いくらいですし。
@@フォッケ柴犬 ハ45も整備すればしっかり動くが、出力はカタログ値をはるかに下回る性能しか出なかった。
ハ45…誉は昭和19年末に運転制限解除されてるんですが…?
大戦末期まで生き残った凄い人達だったから多勢に無勢でも優位に戦えただけでその他の技量が熟練した人達が五式で連合軍機に優位に戦えたとは思えないですね。とは言うもののゼロや隼よりは良いでしょうね。エンジンの馬力が1500馬力だったので不満は無かったと思いますが、開戦前に評価されたらダメダメだったでしょうね。兎に角小回りが効かないとダメって風潮でしたからね。
ご視聴&コメントありがとうございました。
檜與平少佐は「五式戦があと2年早く配備されていたら戦局が変わっていた」と述べるほどこの機を高く評価している。
コメントありがとうございます。
なにしろあの細長い翼はロール率が高い上に空気抵抗が少ないので格闘戦向き。同じ発想で作られたスピットファイアが欧州でルフトヴァッフェ相手にブイブイ言わせたのも理解できるかと。
@@鈴木土下座右衛門-v7t ロールレートは高いんでダイブの位置取りには有利だがダイブがいいというわけでもないからなあ シムで飛ばしてみても、なんかパッとしない感じ。変に弱点ないといえばないんだが特徴が無いのが特徴というかんじになりかけてる。ものすごくいい部分が無いから困る
エンジン換装で奇跡的に良くなった。元が頑丈な機体で20ミリ搭載可能であったことから改造されたと思われるが名機なんじゃないの?
コメントありがとうございます。偶然の産物だったのかもしれませんが、使える機体だったみたいですね。
エンジンは欧米に追いつかなかったが、機体の設計は外国に追いついてきた証明が出来る戦闘機だったのではないでしょうか?(防弾性能以外は)
元々キ61は戦前に試作された機体でありパーツなどの基礎工業力が追いつかない点も踏まえて土井技師の設計を高く評価して良いと思えます。
ご視聴&コメント有難うございます。
日本の限界が研三です。
発動機はDB601。
ダグラスシステムさえ成ってないのに。四式戦でさえ欧米からは、古い製造方法。ダグラスシステムを使った紫電系があの凸凹。
兵器に求められる最も重要な実用性、酷使に耐えうる頑丈さと扱いやすさが無ければ、良い兵器と言えない。
戦闘機にとって重要なのは、ダッシュ力と操縦性だと思う。
五式戦は、兵器として、戦闘機として求められる要素を高いレベルで実現した傑作機だと思います。
ただ、出現時期があまりにも遅く、名機と呼ばれる機を逸したのが唯一の欠点。
ご視聴&コメント有難うございます。
7:12
お⁉️😙
明野の機体だ~😙
地元っす🎵
“名機”の基準はいかにも難しく“何をもって”名機とするかで意見は分かれます😮
本機体に関しては、機体そのものがわりかし、換装したエンジンと相性がよく、
【P-51ムスタングに似た例あり】
また、何よりもあの時期における他機種と比較しても高い稼働率を叩きだしました。
当時、現場で必要だったのは、
“確実に回るエンジン”だったんですよね~😙
戦闘機としてのスペック云々は、エンジンがまともに回ってからの話ですばい😙
コメント有難うございます。仰る通りだと思います。
高いと言っても、内地で270機。熱田、八40、誉も内地では、稼動している。
四式戦は、外地のビルマなどの南方。部品の供給さえ。
無い無い尽くしの中有り物で間に合わせでやった結果期待していた四式戦よか動いてくれたってだけってのが実際の所だと思う
あの地獄の末期の中蜘蛛の糸の如く動いて戦える戦闘機が在るってだけで希望になるじゃん?
紫電改もそうなんですが、連合国の新鋭戦闘機と互角、ということで傑作とか名機とか言われてるんでしょうが、連合国の新鋭戦闘機扱いのヘルキャットやマーリンムスタングは43年デビュー組です。2年遅れでようやく追いついたというだけなので、ひいき目で見ても名機とも傑作機とも言えません。日本のなかでは良かったと言うだけです。
疾風は投入したタイミング的にどうにか間に合った機体だと思うし、紫電改も自動空戦フラップは世界に先駆けた技術だったと思います。日本の航空機は開戦前に外国から取り入れた技術の延長でしかなかったが、自動空戦フラップは数少ない独自技術でしかも秀逸。疾風と紫電改は恥ずかしくない出来だと思いますが。五式戦は過大評価でしょう。
20ミリの弾道は湾曲するから破壊力あるが当てるの難しく弾倉も少ないとパイロットには不評
海軍から空自行った叔父が昔言ってましたが、F86のブローニングの機銃は海軍のものより素晴らしいとは聞いたことがあります。自衛隊で米国機扱って、こんなもん作る国に勝てるわけないとつくづく思ったそうです。
貴重なおじさんの体験、アメリカは二次大戦は13ミリ6門直線の弾道だからでしょうね?
零戦21型以降に開発された紫電改や陸軍5式戦闘機はアメリカP51ムスタングに空戦かなわなかったと言う、ナチスドイツから3式戦闘機図面もらってM109のエンジン生かせなかった日本星型空冷が戦闘機や爆撃機に使っているし整備困難だったし残念です
コメントありがとうございます。少なくとも陸海軍共通の武装に出来なかったのが、現在までの縦割りを象徴しています。
それが残念です。喧嘩ばかり
百式司偵はキ46では?
キ102はキ45改の後継キ96を単座から複座ににして設計しなおされた戦闘機だと・・
一部の部隊では五式複戦なんて呼ばれていたみたいですね。
ご指摘ありがとうございます。確かに、間違っていました。失礼いたしました。
4:04 「急降下性能だけは隼二型に勝つことができなかった」って誰も疑問に思わないんでしょうか? 隼二型の急降下制限速度は600キロ、飛燕・五式戦は850キロですよ。上昇力の間違いでは?
まあ馬力荷重は隼の方が有利だから急降下初期の加速性では隼の方が上で、模擬空戦では急降下初期の時点で勝負が付いてしまったということかもしれませんが。
少なくとも上昇力の方がスペック的には隼が1~3型全てで五式戦より上のはずですが。
今でもそうだ…兵は優秀だが、上の者は凡将!見れば分かるだろう…スーパーゼネコン職員の無能さと職人への無意味な規制😮
コメント有難うございます。
動画中にもご指摘がございましたが、川崎も液冷エンジンの困難さはⅠ型の頃から十二分に理解していて、三式戦に空冷エンジンを搭載する提案書を何度も陸軍に提出したのですが、担当官に目の前で破り捨てられたという記載が何かの回顧録に記載されていたと記憶しています(「陸軍試作機物語」だったかな?)。
メーカーを見下し、融通の利かない官僚化した軍部首脳の弊害が五式戦の登場を遅らせた遠因かもしれません。
金星は、海軍の、発動機なので陸軍が使える個数に制限が。
当時の日本の技術でやれる最良の戦闘機。
水冷エンジンに合わせた細身の機体に大きめの空冷エンジンを付けても意外に空気抵抗が少ない。
その上、空冷エンジンは軽い上に被弾してもエンジンが止まるリスクが小さい。
コメントありがとうございます。当時も現在も日本の工業力の貧しさを痛感します。
水冷やれないというよりそれに合わせた工具がないとしかいいようがないからな
あまり詳しくないのですが本命の4式戦闘機が大戦末期に稼働率が低く大戦が通じてほぼ一式戦(かなり活躍しましたけど)で戦って来たのでそれより優秀で5式戦が欲しいと考えるのは普通かなと思います。
日本機全種(陸海軍)の中で着実飛べて改良する度に着実に性能アップ出来た機体って一式戦のみの様な気がします。
個人的に一式戦闘機が日本の国力で作れる最高の戦闘機だったと思えます。
必ず飛べて、遠距離飛行が可能、12,7機関砲を装備し、整備が簡単で、防弾が付いている。。。これが当時の日本で作れる限界だったんだと思います。
ご視聴&コメント有難うございます。
五式戦はいい機体だと思うけれどやっぱり飛燕のほうがカッコいいww。
人間の顔も同じだけどきれいな造形かそうでないかは全体的なバランスやね。美容整形でも鼻(ノーズ)ちょっとイジるだけでより美人になるかよりブスになるか決まっちゃう。
飛燕は美人だよねぇ
キ-100(所謂「五式戦」)は、陸軍戦闘機操縦士の評価が高いのは事実だが....元となった機体「三式戦」の性能劣化と稼動率低下が他機種に比べて著しく極端に悪過ぎたので、それと比較しての高評価だったのも否めない。
大戦末期の状況で見れば、米軍にとって最大の関心事はジェット戦闘機「Me262」であり、有名な「Fw190D」又は「Ta152」でさえ実機を捕獲しても大して興味は惹かず、ましてや空冷エンジンに換装した三式戦に過ぎないキ-100は「新型戦闘機」だと認識すらされるはずもなく、コードネームも付与されなかった。
ご視聴&コメント有難うございました。
第二次世界大戦末期の欧米列強国の新型戦闘機の趨勢を知る後世の我々(日本人)にとって、当時の陸軍戦闘機操縦士達がキ-100を高く評価すればするほど、胸に痛みが走る。
檜少佐なんかは、一式戦からキ100に乗り換えたら。そら。
本当はこういうのを42年辺りに実戦配備してなきゃいけなかった、遅れてきたバランスの良い機体、ってだれかいってたような
コメントありがとうございます。
飛燕が最初に実戦投入されたのが43年5月ですから42年はありえないですね。
最初から空冷で作ったとしても、その頃だと金星エンジンも1300馬力しか出ていないし、FW190もまだ届いていないから推力式排気管の真似もできません。
隼と鐘馗の中間的な普通の空冷エンジン機にしかならないかと。
故障率が高いと言われている疾風や彗星もマニュアル通りの整備が出来る補給部品がある部隊の稼働率は80%以上あった
ほとんどはは出来なかったけど、だから5式戦も量産が増えたら稼働率が落ちたであろうという説もある
昭和17年頃だったら間違いなく名機だったでしょうね
3式戦もカタログスペックは優秀だが欧州機と相性が悪くて隼、ゼロ戦の方が遅くても小回りが利いて強敵と言う評価がされている
昭和17年だと金星も50型系列の時期だから1300馬力しか出ていないので、それほど高性能にはなりません。
@@ROSAHACHI25 42年だと雷電も完成しておらず主力は零戦や隼で1100馬力程度だし飛燕も同じだから2割位の出力強化でも影響は大きい
初めから交換の話はあったが面子その他で遅れていた
@
陸軍はすでに鐘馗が戦力化しており、それより低馬力の空冷飛燕を作る意味もあまり無いかと。
@@ROSAHACHI25 そもそも昭和18年頃までの金星の生産数を考えれば、主力機にはとても出来ない事情もありますね(三菱はこの点が弱かった)。発動機生産を川崎がライセンスするにしても時間的余裕が・・・
@@ROSAHACHI25
護の信頼性が。
使い勝手がいいだけで別に凡作だとは思うんだが飛行機に超絶詳しい新谷かおるが名機として日の丸しょってでつかってるから名機でいいやという気分
コメントありがとうございます。
当時の日本の工業力を冷静な基準で判断すればハ-112ー金星エンジンが最良であった。5式戦及び零戦54型は2年前に登場しなければならなかった機体。
日本陸海軍は1500馬力の金星(ㇵ112)と1800馬力の火星(ㇵ111)の2本立てで戦闘機を開発するべきだったと強く思う
1500馬力級の陸軍戦闘機(二式単戦以外)や零戦五四型がそれなりに量産されていればと思うし
ソ連のLa-7なんかは1800馬力級で670〜680km/hの最高速度を発揮してFw190Aを苦しめたと聞くにつれ日本も火星エンジンで戦闘機を造っとけばなぁ、と思う次第
ご視聴&コメントありがとうございました。
誉やハ43といった二千馬力級発動機を高品質で量産するのは当時の日本ではムリでしたからねぇ
火星で作った雷電は開発が難航して、うまく行ったとは思えませんが。本来なら昭和18年には雷電を主力に零戦は縮小する予定だったのが、雷電がものにならなかったから零戦を使い続けるしかなくなったわけで。元々爆撃機用のエンジンじゃないですか。直径がでかすぎるのをカバーしようとして失敗したのが雷電でしょう。堀越技師がやってあの程度だったものが、他の人がやって劇的にうまく行ったとは思えませんが。
P & WR-1690 さえコピー出来なかった技術力で。
振動問題に無頓着な三菱発動機が。
誉の二次審査終了が昭和16年8月。雷電の試作1号が昭和17年2月末でその頃の火星は1400馬力しか出ていません。金星にしても1500馬力の62型使用予定の100式司偵3型の試作命令が昭和17年5月で、それまで金星は1300馬力しか出ていません。
飛燕はエンジンの問題もあるけど主翼も無駄に長いわりに旋回性能がいいわけでもなく上昇力も特に秀でてもいなくでなんでこれ開発したの?といういいとこがない機体だった。急降下特性もメッサーみたいな良さが無いのは明らかに主翼に問題ある。そのへん秘めたる空戦がかなりわかりやすく開発してる。
コメントありがとうございます。
和製フォッケウルフ‼️
コメントありがとうございます。
空冷化にする際にFw190が参考にされてますねエンジン後方の処理とか。
戦前の日本の工業力の限界で品質を均一に保て無かったこと、新規の大出力エンジン、排気タービン、冶金技術の低さが問題だった。各機種とも整備が十分であれば性能は、そこそこだったのが現実…
五式戦を褒め称える談話が虚勢をはっているように聞こえてしまって悲しい
必要な性能があって必要な時に必要な場所に在る それだけで兵器としては優秀
ここに居るやつはほぼ知ってるタイガーⅠも侵攻作戦では要らないって言われたけど駄作だとは誰も思ってないし防衛戦ではこの戦車ほど頼りになる戦車はそうそう居ない
300機に満たない数と、まともに飛ばせない飛行機ばかりの中での証言は割り引いて考える必要があるのでは。
コメントありがとうございます。確かに一歩引いて冷静にみることも大事ですね。
首無し飛燕を改造したのが275機で、最初から五式戦として生産したものと合計すると400機近くはありましたけど。
@@jx6004さま
紫電二一型と変わりないです。内地の誉はそれなりに稼動してますから。
内地なら、400機程度なら稼動出来る。熱田でさえ稼動してますから。
11.30あたり、資料写真に1枚だけ五式ではなく四式戦が入ってます。ま、側面は似てるんで間違えます。隼と四式戦も似。三式戦は液冷で完成を目指したが繋ぎに空冷に変更したら(結果オーライ)だけど当初からの計画にはなく、量産化のラインは組めなかった。
タラレバで中島、三菱の生産ラインに乗せて量産化すれば…ですかね。
コメントありがとうございます。仰る通り写真は四式戦です。五式戦の日の丸を米軍の星マークに塗り替えた写真が見つからなかったものですが、イメージ的に使用いたしまし。ご指摘ありがとうございました。
更に細かいこと言えば、これは立川キ106です。まぁ木製化された四式戦ですが。
@@八代文夫確か、疾風甲型の12・7ミリと20ミリの配置が主翼に12・7ミリ、胴体に20ミリとオリジナルから変更された木製の疾風。
遅すぎた迷機、増加試作機で金星搭載してれば間に合ったはず。😊
コメントありがとうございます。
そもそも飛燕を予定通り完成させてなかったのに、おとがめなしどころか陸軍大臣から感謝状って…
機体がいくら優秀でも燃料が乏しい、弾薬が乏しい、経験のあるパイロットが居ないという状況じゃ結局ダメだったろうね。戦争末期にはオクタン価の低い粗悪な燃料しか無かったようだし。
百式司偵がキ102?
確かキ46だったような?
それに川崎はキ61以前にも水冷、液冷エンジン機をたくさん作っていますよ。
(上手に作っていたとは言ってない)
五式戦は奇跡の名機ではなく、有り物の寄せ集めでたまたまバランスがとれてしまった「分をわきまえた」当時の日本機に過ぎないと思うよ。
キ61の基礎設計が優れていたのは事実だったしね。
「正式」ではなく「制式」です。
ご指摘ありがとうございます。誤字でした。お詫びして訂正いたします。
ゲテモノですわ、、、当然 速度はで無いね。
エンジン以外は堅実に作った四式の評価がいまいちなんだから五式が最良の戦闘機だったのだろうね。
コメントありがとうございます。もっと早く出来上がっれいれば良かったです。
五式は軽かったからだと思います。しかし、戦況が逼迫してるのにキャノピーを改造してるのは感心しませんね。急降下で隼に勝てなかったと言うのは不思議ですね、ゼロも隼も急降下で連合軍機に離されて苦しんでましたからね。
@@クマのプー太郎-f4z米軍も零戦や隼には「急降下以外に逃げる術無し」としてるからな。米軍機は最高速度こそ日本機に勝てるが隼や零戦の軽さ故のダッシュ力や上昇性能には手を焼いたそうだ。
疾風は実戦投入された当初、第22戦隊はP51相手に善戦し、慌てたアメリカがP51の2個中隊呼び寄せるほどでした。その後も戦局に影響するだけの時期と数を間に合わせています。五式戦は数も期間も短すぎて正当な評価はできないんじゃないでしょうか。疾風は投入されて1年後も第1線で働いていましたが、五式戦の1年後はどうなっていたか。あと少し戦争が長引いていればF8FとかF-80のようなジェット戦闘機も出てきたはずです。五式戦程度の性能で喜ぶほど追い詰められていたという方が当たっているでしょう。戦後、米軍も四式戦はいろいろテストしていますが、五式戦には興味を示していませんから。
@@jx6004さま
黒江少佐のP51cにぼろ負けのキ100ですから。三式戦は相手に成らないと檜少佐。
何とか迫れたのが四式戦。
250ノット以上のロール性旋回で、撃墜ですが。
檜少佐だってP51cだったら負ける気がしない。と。
蘇州 で鹵獲されたP51cに、坂井少尉は液冷の整備士。光本准尉は操縦員。が送られて、バラバラにされた機体を復元して、内地に輸送した。
P51cの整備を受け持た技術班名取大尉は、点火ミスしないブラグ。油漏れしない油圧系、完璧な電装品、精密な発動機。これに乗ってたら日本機い幾ら居ても負ける気がしない。と、思った。と。
もし名付けるなら飛燕改
ここでは三式戦の液冷エンジンに批判が集まるだろうけど大局的に見れば四式戦などで使われた誉こそ日本の足を引っ張った元凶と言えるだろう。
コメントありがとうございます。なるほど、言われてみればそういうところもありますね。
足を引っ張ったっていってもあれ以上のエンジン作れなかったじゃないですか。あれが限界なんです。
誉がなかったら疾風も紫電改もなかったんだから、もっと早く戦争が終わっていたかもしれませんね。
そもそも3式戦とは違いエンジン出力アップしている
出力は変わらないですが、重量が軽くなってます。
同機について戦時下の米紙に 日本軍の強力な新型機現る として記されたとか、戦後の軍事調査団が 未知の機体を発見 とか共に”日本の新聞”に書かれたり今の情報空間とは違うが常に扇動と虚報には暇がない”報道”
5式戦があればp51等恐れるに足りぬと当時の陸軍航空兵が語っていたように、P51以上の性能が5式戦にはあった。間違いなく大戦時の日本の航空技術は米国よりも優れていたからこそ、戦後米国が我が国の航空産業を破壊したのは有名な話。米国が我が国の航空産業を潰さなければF35以上の軍用機を作れていたと思うと本当に惜しい。
黒江少佐のP51に誰も勝てませんでしたが。
グラマンを急降下でブチ切れる戦闘機は、これだけだ! たぶん、亜音速でも空中分解しないでしょうね。
コメントありがとうございます。
動画の中では「急降下性能だけは隼二型に勝つことができなかった」と言ってます。隼二型もグラマンを急降下でブチ切れたことになりますが。