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海軍の土方敏夫の手記で触れられている。燃料不足で海軍の基地に着陸した五式戦に隊長が試乗した。「上昇と突っ込みが良い、良い戦闘機」という評価だった。土方自身が、陸軍の戦いぶりを地上で目撃している。F6Fに追われた五式戦がぐんぐん上昇して、振り切って逃げおおせたというものが。「陸軍もなかなかやる。」と評価している。・・・低空で戦う限り、かなり良い戦闘機だったのだろう。末期で機数もそろわず、大戦果を上げたわけではないが、四式戦闘機の性能が激落している中で、米軍機と互角に戦える戦闘機だった。
コメントありがとうございます。私も一度、土方さんの講演を拝聴したことがあります。物静かな方でした。
今は休刊になっているコンバットマガジンだったか?、掲載された漫画の陸軍搭乗員のセリフで、P51との闘いで、相性がよく、闘いやすいという内容を思い出した。
@うた-i7sそうなんだよなあ。他にマトモなやつなくてまだマシってだけ。
登場当時でもその優秀さは知られており、高評価でした。隠れていないですし、知らぬ間に生まれたわけでもなく、知らぬ間に消えたわけでもないと思います。
ご視聴&ご指摘有難うございます。
絶対不敗!とかF6F全機撃墜!とか安易に言わず、実際の戦績にフォーカスされた良い内容だったと思います。ただ隻脚のエース、檜與「平」氏ですね。素晴らしい敢闘精神でした。陸軍航空審査部の万感の期待を持って投入された本機だがそもそもの温存策もあってエリート揃いの明野教導飛行師団を母体とする飛行第一一一戦隊ですら殆ど戦果を上げられておらず。全体として見るべき戦果は無いというのが現実。空母ベローウッドのF6F全機撃墜伝説も、フタを開けてみれば損失数は2:2のイーブン。さらに抜群のはずの稼働率についても審査部での評判は良かったものの実施側ではガタ落ち。中には飛燕よりも低かった戦隊もあり、第二四四戦隊では沖縄進出で大量の落伍機発生してクレーム。今でも第二四四戦隊HPでは「発動機の不具合が多い印象」だとされている。思うに審査までは順調、でも量産に入ると粗製濫造でやはり品質は落ちるというのは三菱においても免れなかったのだろう。また燃料噴射方式も現地での調整は困難な機構で、かなりの専門教育が必要、取説には現地で分解調整をするな、とされるその一方で水メタ噴射装置は夏場の出力低下が顕著で、特別なセッティングが必要とされたフシもある。金星の信頼性神話というのはあくまで、穏当な気化器仕様の四型、五〇型までのものであり、本機の六二型は燃料噴射に水メタ噴射と全く別の次元で語られるのが正しいと思う。本当に「疾風」3機に匹敵したとはちょっと考えにくい。
コメント&大変博識のご意見に脱帽です。有難うございました。
大戦末期まで生き残った凄い人達だったから多勢に無勢でも優位に戦えただけでその他の技量が熟練した人達が五式で連合軍機に優位に戦えたとは思えないですね。とは言うもののゼロや隼よりは良いでしょうね。エンジンの馬力が1500馬力だったので不満は無かったと思いますが、開戦前に評価されたらダメダメだったでしょうね。兎に角小回りが効かないとダメって風潮でしたからね。
ご視聴&コメントありがとうございました。
液冷エンジンってX型のOHVエンジンを自主開発すれば良かった、星型エンジンはOHVだし、OHVは小型軽量に出来るので液冷エンジンでも軽く出来る上にクランクシャフト一本で星型エンジンの後列冷却不足にも成らない。X型ならばV12エンジンの倍の24気筒も可能な上にOHVなのでコンパクトだから誉より若干太い機首に3000馬力も可能だったのにね。X型16気筒ならば片列4気筒で機首も短く成り、より軽量コンパクトで離床出力2200馬力も可能でスーパーチャージャーの設計も容易で手曲げ集合排気管を装備したらもう50馬力上乗せ出来たのに。
百式司偵はキ46では?キ102はキ45改の後継キ96を単座から複座ににして設計しなおされた戦闘機だと・・一部の部隊では五式複戦なんて呼ばれていたみたいですね。
ご指摘ありがとうございます。確かに、間違っていました。失礼いたしました。
稼働率の低い四式戦のハ45をハ112へ換装する構想があったそうですね排気量で4000ccくらい小さくなるが実測1300馬力程度しか出ていなかったのでほとんど差がなくエンジンが軽くなるぶん性能は向上したかも知れない
コメントありがとうございます。ハ112は良かったみたいですね。
マレーで取れる石油が低品質なのと、当時の日本の精油技術では高オクタンのガソリンがつくれなかったのも理由です。ガソリンなんか開戦前までアメリカから輸入しないといけなかったから。(当時の屈辱をバネに戦後の日本の石油産業は発展した)
勘違いしてる人が多いがキ116のエンジン換装は稼働率向上が目的では無く、制空権、制海権を失って満州にハ45を送れなくなったため、現地にあったハ112で代用するしかなかったからです。そもそもハ112Ⅱの稼働率、整備性はハ45と同等か、むしろ悪いくらいですし。
エンジンは欧米に追いつかなかったが、機体の設計は外国に追いついてきた証明が出来る戦闘機だったのではないでしょうか?(防弾性能以外は)元々キ61は戦前に試作された機体でありパーツなどの基礎工業力が追いつかない点も踏まえて土井技師の設計を高く評価して良いと思えます。
ご視聴&コメント有難うございます。
7:12 お⁉️😙明野の機体だ~😙地元っす🎵“名機”の基準はいかにも難しく“何をもって”名機とするかで意見は分かれます😮本機体に関しては、機体そのものがわりかし、換装したエンジンと相性がよく、【P-51ムスタングに似た例あり】また、何よりもあの時期における他機種と比較しても高い稼働率を叩きだしました。当時、現場で必要だったのは、“確実に回るエンジン”だったんですよね~😙戦闘機としてのスペック云々は、エンジンがまともに回ってからの話ですばい😙
コメント有難うございます。仰る通りだと思います。
キ-100(所謂「五式戦」)は、陸軍戦闘機操縦士の評価が高いのは事実だが....元となった機体「三式戦」の性能劣化と稼動率低下が他機種に比べて著しく極端に悪過ぎたので、それと比較しての高評価だったのも否めない。大戦末期の状況で見れば、米軍にとって最大の関心事はジェット戦闘機「Me262」であり、有名な「Fw190D」又は「Ta152」でさえ実機を捕獲しても大して興味は惹かず、ましてや空冷エンジンに換装した三式戦に過ぎないキ-100は「新型戦闘機」だと認識すらされるはずもなく、コードネームも付与されなかった。
ご視聴&コメント有難うございました。
第二次世界大戦末期の欧米列強国の新型戦闘機の趨勢を知る後世の我々(日本人)にとって、当時の陸軍戦闘機操縦士達がキ-100を高く評価すればするほど、胸に痛みが走る。
五式戦はいい機体だと思うけれどやっぱり飛燕のほうがカッコいいww。人間の顔も同じだけどきれいな造形かそうでないかは全体的なバランスやね。美容整形でも鼻(ノーズ)ちょっとイジるだけでより美人になるかよりブスになるか決まっちゃう。
檜與平少佐は「五式戦があと2年早く配備されていたら戦局が変わっていた」と述べるほどこの機を高く評価している。
コメントありがとうございます。
なにしろあの細長い翼はロール率が高い上に空気抵抗が少ないので格闘戦向き。同じ発想で作られたスピットファイアが欧州でルフトヴァッフェ相手にブイブイ言わせたのも理解できるかと。
@@鈴木土下座右衛門-v7t ロールレートは高いんでダイブの位置取りには有利だがダイブがいいというわけでもないからなあ シムで飛ばしてみても、なんかパッとしない感じ。変に弱点ないといえばないんだが特徴が無いのが特徴というかんじになりかけてる。ものすごくいい部分が無いから困る
故障率が高いと言われている疾風や彗星もマニュアル通りの整備が出来る補給部品がある部隊の稼働率は80%以上あったほとんどはは出来なかったけど、だから5式戦も量産が増えたら稼働率が落ちたであろうという説もある昭和17年頃だったら間違いなく名機だったでしょうね3式戦もカタログスペックは優秀だが欧州機と相性が悪くて隼、ゼロ戦の方が遅くても小回りが利いて強敵と言う評価がされている
エンジン換装で奇跡的に良くなった。元が頑丈な機体で20ミリ搭載可能であったことから改造されたと思われるが名機なんじゃないの?
コメントありがとうございます。偶然の産物だったのかもしれませんが、使える機体だったみたいですね。
20ミリの弾道は湾曲するから破壊力あるが当てるの難しく弾倉も少ないとパイロットには不評
海軍から空自行った叔父が昔言ってましたが、F86のブローニングの機銃は海軍のものより素晴らしいとは聞いたことがあります。自衛隊で米国機扱って、こんなもん作る国に勝てるわけないとつくづく思ったそうです。
貴重なおじさんの体験、アメリカは二次大戦は13ミリ6門直線の弾道だからでしょうね?
零戦21型以降に開発された紫電改や陸軍5式戦闘機はアメリカP51ムスタングに空戦かなわなかったと言う、ナチスドイツから3式戦闘機図面もらってM109のエンジン生かせなかった日本星型空冷が戦闘機や爆撃機に使っているし整備困難だったし残念です
コメントありがとうございます。少なくとも陸海軍共通の武装に出来なかったのが、現在までの縦割りを象徴しています。
それが残念です。喧嘩ばかり
300機に満たない数と、まともに飛ばせない飛行機ばかりの中での証言は割り引いて考える必要があるのでは。
コメントありがとうございます。確かに一歩引いて冷静にみることも大事ですね。
本当はこういうのを42年辺りに実戦配備してなきゃいけなかった、遅れてきたバランスの良い機体、ってだれかいってたような
あまり詳しくないのですが本命の4式戦闘機が大戦末期に稼働率が低く大戦が通じてほぼ一式戦(かなり活躍しましたけど)で戦って来たのでそれより優秀で5式戦が欲しいと考えるのは普通かなと思います。日本機全種(陸海軍)の中で着実飛べて改良する度に着実に性能アップ出来た機体って一式戦のみの様な気がします。個人的に一式戦闘機が日本の国力で作れる最高の戦闘機だったと思えます。必ず飛べて、遠距離飛行が可能、12,7機関砲を装備し、整備が簡単で、防弾が付いている。。。これが当時の日本で作れる限界だったんだと思います。
無い無い尽くしの中有り物で間に合わせでやった結果期待していた四式戦よか動いてくれたってだけってのが実際の所だと思うあの地獄の末期の中蜘蛛の糸の如く動いて戦える戦闘機が在るってだけで希望になるじゃん?
今でもそうだ…兵は優秀だが、上の者は凡将!見れば分かるだろう…スーパーゼネコン職員の無能さと職人への無意味な規制😮
コメント有難うございます。
当時の日本の技術でやれる最良の戦闘機。水冷エンジンに合わせた細身の機体に大きめの空冷エンジンを付けても意外に空気抵抗が少ない。その上、空冷エンジンは軽い上に被弾してもエンジンが止まるリスクが小さい。
コメントありがとうございます。当時も現在も日本の工業力の貧しさを痛感します。
水冷やれないというよりそれに合わせた工具がないとしかいいようがないからな
飛燕はエンジンの問題もあるけど主翼も無駄に長いわりに旋回性能がいいわけでもなく上昇力も特に秀でてもいなくでなんでこれ開発したの?といういいとこがない機体だった。急降下特性もメッサーみたいな良さが無いのは明らかに主翼に問題ある。そのへん秘めたる空戦がかなりわかりやすく開発してる。
百式司偵がキ102? 確かキ46だったような?それに川崎はキ61以前にも水冷、液冷エンジン機をたくさん作っていますよ。(上手に作っていたとは言ってない)五式戦は奇跡の名機ではなく、有り物の寄せ集めでたまたまバランスがとれてしまった「分をわきまえた」当時の日本機に過ぎないと思うよ。キ61の基礎設計が優れていたのは事実だったしね。
5式戦があればp51等恐れるに足りぬと当時の陸軍航空兵が語っていたように、P51以上の性能が5式戦にはあった。間違いなく大戦時の日本の航空技術は米国よりも優れていたからこそ、戦後米国が我が国の航空産業を破壊したのは有名な話。米国が我が国の航空産業を潰さなければF35以上の軍用機を作れていたと思うと本当に惜しい。
動画中にもご指摘がございましたが、川崎も液冷エンジンの困難さはⅠ型の頃から十二分に理解していて、三式戦に空冷エンジンを搭載する提案書を何度も陸軍に提出したのですが、担当官に目の前で破り捨てられたという記載が何かの回顧録に記載されていたと記憶しています(「陸軍試作機物語」だったかな?)。メーカーを見下し、融通の利かない官僚化した軍部首脳の弊害が五式戦の登場を遅らせた遠因かもしれません。
和製フォッケウルフ‼️
空冷化にする際にFw190が参考にされてますねエンジン後方の処理とか。
使い勝手がいいだけで別に凡作だとは思うんだが飛行機に超絶詳しい新谷かおるが名機として日の丸しょってでつかってるから名機でいいやという気分
日本陸海軍は1500馬力の金星(ㇵ112)と1800馬力の火星(ㇵ111)の2本立てで戦闘機を開発するべきだったと強く思う1500馬力級の陸軍戦闘機(二式単戦以外)や零戦五四型がそれなりに量産されていればと思うしソ連のLa-7なんかは1800馬力級で670〜680km/hの最高速度を発揮してFw190Aを苦しめたと聞くにつれ日本も火星エンジンで戦闘機を造っとけばなぁ、と思う次第
誉やハ43といった二千馬力級発動機を高品質で量産するのは当時の日本ではムリでしたからねぇ
機体がいくら優秀でも燃料が乏しい、弾薬が乏しい、経験のあるパイロットが居ないという状況じゃ結局ダメだったろうね。戦争末期にはオクタン価の低い粗悪な燃料しか無かったようだし。
同機について戦時下の米紙に 日本軍の強力な新型機現る として記されたとか、戦後の軍事調査団が 未知の機体を発見 とか共に”日本の新聞”に書かれたり今の情報空間とは違うが常に扇動と虚報には暇がない”報道”
ここでは三式戦の液冷エンジンに批判が集まるだろうけど大局的に見れば四式戦などで使われた誉こそ日本の足を引っ張った元凶と言えるだろう。
コメントありがとうございます。なるほど、言われてみればそういうところもありますね。
足を引っ張ったっていってもあれ以上のエンジン作れなかったじゃないですか。あれが限界なんです。
遅すぎた迷機、増加試作機で金星搭載してれば間に合ったはず。😊
「正式」ではなく「制式」です。
ご指摘ありがとうございます。誤字でした。お詫びして訂正いたします。
もし名付けるなら飛燕改
そもそも3式戦とは違いエンジン出力アップしている
11.30あたり、資料写真に1枚だけ五式ではなく四式戦が入ってます。ま、側面は似てるんで間違えます。隼と四式戦も似。三式戦は液冷で完成を目指したが繋ぎに空冷に変更したら(結果オーライ)だけど当初からの計画にはなく、量産化のラインは組めなかった。タラレバで中島、三菱の生産ラインに乗せて量産化すれば…ですかね。
コメントありがとうございます。仰る通り写真は四式戦です。五式戦の日の丸を米軍の星マークに塗り替えた写真が見つからなかったものですが、イメージ的に使用いたしまし。ご指摘ありがとうございました。
更に細かいこと言えば、これは立川キ106です。まぁ木製化された四式戦ですが。
@@八代文夫確か、疾風甲型の12・7ミリと20ミリの配置が主翼に12・7ミリ、胴体に20ミリとオリジナルから変更された木製の疾風。
エンジン以外は堅実に作った四式の評価がいまいちなんだから五式が最良の戦闘機だったのだろうね。
コメントありがとうございます。もっと早く出来上がっれいれば良かったです。
五式は軽かったからだと思います。しかし、戦況が逼迫してるのにキャノピーを改造してるのは感心しませんね。急降下で隼に勝てなかったと言うのは不思議ですね、ゼロも隼も急降下で連合軍機に離されて苦しんでましたからね。
@@クマのプー太郎-f4z米軍も零戦や隼には「急降下以外に逃げる術無し」としてるからな。米軍機は最高速度こそ日本機に勝てるが隼や零戦の軽さ故のダッシュ力や上昇性能には手を焼いたそうだ。
グラマンを急降下でブチ切れる戦闘機は、これだけだ! たぶん、亜音速でも空中分解しないでしょうね。
海軍の土方敏夫の手記で触れられている。燃料不足で海軍の基地に着陸した五式戦に隊長が試乗した。「上昇と突っ込みが良い、良い戦闘機」という評価だった。土方自身が、陸軍の戦いぶりを地上で目撃している。F6Fに追われた五式戦がぐんぐん上昇して、振り切って逃げおおせたというものが。「陸軍もなかなかやる。」と評価している。・・・低空で戦う限り、かなり良い戦闘機だったのだろう。
末期で機数もそろわず、大戦果を上げたわけではないが、四式戦闘機の性能が激落している中で、米軍機と互角に戦える戦闘機だった。
コメントありがとうございます。私も一度、土方さんの講演を拝聴したことがあります。物静かな方でした。
今は休刊になっているコンバットマガジンだったか?、掲載された漫画の陸軍搭乗員のセリフで、P51との闘いで、相性がよく、闘いやすいという内容を思い出した。
@うた-i7s
そうなんだよなあ。他にマトモなやつなくてまだマシってだけ。
登場当時でもその優秀さは知られており、高評価でした。
隠れていないですし、知らぬ間に生まれたわけでもなく、知らぬ間に消えたわけでもないと思います。
ご視聴&ご指摘有難うございます。
絶対不敗!とかF6F全機撃墜!とか安易に言わず、実際の戦績にフォーカスされた良い内容だったと思います。ただ隻脚のエース、檜與「平」氏ですね。素晴らしい敢闘精神でした。
陸軍航空審査部の万感の期待を持って投入された本機だがそもそもの温存策もあってエリート揃いの明野教導飛行師団を母体とする飛行第一一一戦隊ですら殆ど戦果を上げられておらず。全体として見るべき戦果は無いというのが現実。
空母ベローウッドのF6F全機撃墜伝説も、フタを開けてみれば損失数は2:2のイーブン。さらに抜群のはずの稼働率についても審査部での評判は良かったものの実施側ではガタ落ち。中には飛燕よりも低かった戦隊もあり、第二四四戦隊では沖縄進出で大量の落伍機発生してクレーム。今でも第二四四戦隊HPでは「発動機の不具合が多い印象」だとされている。
思うに審査までは順調、でも量産に入ると粗製濫造でやはり品質は落ちるというのは三菱においても免れなかったのだろう。また燃料噴射方式も現地での調整は困難な機構で、かなりの専門教育が必要、取説には現地で分解調整をするな、とされるその一方で水メタ噴射装置は夏場の出力低下が顕著で、特別なセッティングが必要とされたフシもある。
金星の信頼性神話というのはあくまで、穏当な気化器仕様の四型、五〇型までのものであり、本機の六二型は燃料噴射に水メタ噴射と全く別の次元で語られるのが正しいと思う。本当に「疾風」3機に匹敵したとはちょっと考えにくい。
コメント&大変博識のご意見に脱帽です。有難うございました。
大戦末期まで生き残った凄い人達だったから多勢に無勢でも優位に戦えただけでその他の技量が熟練した人達が五式で連合軍機に優位に戦えたとは思えないですね。とは言うもののゼロや隼よりは良いでしょうね。エンジンの馬力が1500馬力だったので不満は無かったと思いますが、開戦前に評価されたらダメダメだったでしょうね。兎に角小回りが効かないとダメって風潮でしたからね。
ご視聴&コメントありがとうございました。
液冷エンジンってX型のOHVエンジンを自主開発すれば良かった、星型エンジンはOHVだし、OHVは小型軽量に出来るので液冷エンジンでも軽く出来る上にクランクシャフト一本で星型エンジンの後列冷却不足にも成らない。
X型ならばV12エンジンの倍の24気筒も可能な上にOHVなのでコンパクトだから誉より若干太い機首に3000馬力も可能だったのにね。
X型16気筒ならば片列4気筒で機首も短く成り、より軽量コンパクトで離床出力2200馬力も可能でスーパーチャージャーの設計も容易で手曲げ集合排気管を装備したらもう50馬力上乗せ出来たのに。
百式司偵はキ46では?
キ102はキ45改の後継キ96を単座から複座ににして設計しなおされた戦闘機だと・・
一部の部隊では五式複戦なんて呼ばれていたみたいですね。
ご指摘ありがとうございます。確かに、間違っていました。失礼いたしました。
稼働率の低い四式戦のハ45をハ112へ換装する構想があったそうですね
排気量で4000ccくらい小さくなるが実測1300馬力程度しか出ていなかったのでほとんど差がなくエンジンが軽くなるぶん性能は向上したかも知れない
コメントありがとうございます。ハ112は良かったみたいですね。
マレーで取れる石油が低品質なのと、当時の日本の精油技術では高オクタンのガソリンがつくれなかったのも理由です。ガソリンなんか開戦前までアメリカから輸入しないといけなかったから。
(当時の屈辱をバネに戦後の日本の石油産業は発展した)
勘違いしてる人が多いがキ116のエンジン換装は稼働率向上が目的では無く、制空権、制海権を失って満州にハ45を送れなくなったため、現地にあったハ112で代用するしかなかったからです。
そもそもハ112Ⅱの稼働率、整備性はハ45と同等か、むしろ悪いくらいですし。
エンジンは欧米に追いつかなかったが、機体の設計は外国に追いついてきた証明が出来る戦闘機だったのではないでしょうか?(防弾性能以外は)
元々キ61は戦前に試作された機体でありパーツなどの基礎工業力が追いつかない点も踏まえて土井技師の設計を高く評価して良いと思えます。
ご視聴&コメント有難うございます。
7:12
お⁉️😙
明野の機体だ~😙
地元っす🎵
“名機”の基準はいかにも難しく“何をもって”名機とするかで意見は分かれます😮
本機体に関しては、機体そのものがわりかし、換装したエンジンと相性がよく、
【P-51ムスタングに似た例あり】
また、何よりもあの時期における他機種と比較しても高い稼働率を叩きだしました。
当時、現場で必要だったのは、
“確実に回るエンジン”だったんですよね~😙
戦闘機としてのスペック云々は、エンジンがまともに回ってからの話ですばい😙
コメント有難うございます。仰る通りだと思います。
キ-100(所謂「五式戦」)は、陸軍戦闘機操縦士の評価が高いのは事実だが....元となった機体「三式戦」の性能劣化と稼動率低下が他機種に比べて著しく極端に悪過ぎたので、それと比較しての高評価だったのも否めない。
大戦末期の状況で見れば、米軍にとって最大の関心事はジェット戦闘機「Me262」であり、有名な「Fw190D」又は「Ta152」でさえ実機を捕獲しても大して興味は惹かず、ましてや空冷エンジンに換装した三式戦に過ぎないキ-100は「新型戦闘機」だと認識すらされるはずもなく、コードネームも付与されなかった。
ご視聴&コメント有難うございました。
第二次世界大戦末期の欧米列強国の新型戦闘機の趨勢を知る後世の我々(日本人)にとって、当時の陸軍戦闘機操縦士達がキ-100を高く評価すればするほど、胸に痛みが走る。
五式戦はいい機体だと思うけれどやっぱり飛燕のほうがカッコいいww。
人間の顔も同じだけどきれいな造形かそうでないかは全体的なバランスやね。美容整形でも鼻(ノーズ)ちょっとイジるだけでより美人になるかよりブスになるか決まっちゃう。
檜與平少佐は「五式戦があと2年早く配備されていたら戦局が変わっていた」と述べるほどこの機を高く評価している。
コメントありがとうございます。
なにしろあの細長い翼はロール率が高い上に空気抵抗が少ないので格闘戦向き。同じ発想で作られたスピットファイアが欧州でルフトヴァッフェ相手にブイブイ言わせたのも理解できるかと。
@@鈴木土下座右衛門-v7t ロールレートは高いんでダイブの位置取りには有利だがダイブがいいというわけでもないからなあ シムで飛ばしてみても、なんかパッとしない感じ。変に弱点ないといえばないんだが特徴が無いのが特徴というかんじになりかけてる。ものすごくいい部分が無いから困る
故障率が高いと言われている疾風や彗星もマニュアル通りの整備が出来る補給部品がある部隊の稼働率は80%以上あった
ほとんどはは出来なかったけど、だから5式戦も量産が増えたら稼働率が落ちたであろうという説もある
昭和17年頃だったら間違いなく名機だったでしょうね
3式戦もカタログスペックは優秀だが欧州機と相性が悪くて隼、ゼロ戦の方が遅くても小回りが利いて強敵と言う評価がされている
エンジン換装で奇跡的に良くなった。元が頑丈な機体で20ミリ搭載可能であったことから改造されたと思われるが名機なんじゃないの?
コメントありがとうございます。偶然の産物だったのかもしれませんが、使える機体だったみたいですね。
20ミリの弾道は湾曲するから破壊力あるが当てるの難しく弾倉も少ないとパイロットには不評
海軍から空自行った叔父が昔言ってましたが、F86のブローニングの機銃は海軍のものより素晴らしいとは聞いたことがあります。自衛隊で米国機扱って、こんなもん作る国に勝てるわけないとつくづく思ったそうです。
貴重なおじさんの体験、アメリカは二次大戦は13ミリ6門直線の弾道だからでしょうね?
零戦21型以降に開発された紫電改や陸軍5式戦闘機はアメリカP51ムスタングに空戦かなわなかったと言う、ナチスドイツから3式戦闘機図面もらってM109のエンジン生かせなかった日本星型空冷が戦闘機や爆撃機に使っているし整備困難だったし残念です
コメントありがとうございます。少なくとも陸海軍共通の武装に出来なかったのが、現在までの縦割りを象徴しています。
それが残念です。喧嘩ばかり
300機に満たない数と、まともに飛ばせない飛行機ばかりの中での証言は割り引いて考える必要があるのでは。
コメントありがとうございます。確かに一歩引いて冷静にみることも大事ですね。
本当はこういうのを42年辺りに実戦配備してなきゃいけなかった、遅れてきたバランスの良い機体、ってだれかいってたような
コメントありがとうございます。
あまり詳しくないのですが本命の4式戦闘機が大戦末期に稼働率が低く大戦が通じてほぼ一式戦(かなり活躍しましたけど)で戦って来たのでそれより優秀で5式戦が欲しいと考えるのは普通かなと思います。
日本機全種(陸海軍)の中で着実飛べて改良する度に着実に性能アップ出来た機体って一式戦のみの様な気がします。
個人的に一式戦闘機が日本の国力で作れる最高の戦闘機だったと思えます。
必ず飛べて、遠距離飛行が可能、12,7機関砲を装備し、整備が簡単で、防弾が付いている。。。これが当時の日本で作れる限界だったんだと思います。
ご視聴&コメント有難うございます。
無い無い尽くしの中有り物で間に合わせでやった結果期待していた四式戦よか動いてくれたってだけってのが実際の所だと思う
あの地獄の末期の中蜘蛛の糸の如く動いて戦える戦闘機が在るってだけで希望になるじゃん?
今でもそうだ…兵は優秀だが、上の者は凡将!見れば分かるだろう…スーパーゼネコン職員の無能さと職人への無意味な規制😮
コメント有難うございます。
当時の日本の技術でやれる最良の戦闘機。
水冷エンジンに合わせた細身の機体に大きめの空冷エンジンを付けても意外に空気抵抗が少ない。
その上、空冷エンジンは軽い上に被弾してもエンジンが止まるリスクが小さい。
コメントありがとうございます。当時も現在も日本の工業力の貧しさを痛感します。
水冷やれないというよりそれに合わせた工具がないとしかいいようがないからな
飛燕はエンジンの問題もあるけど主翼も無駄に長いわりに旋回性能がいいわけでもなく上昇力も特に秀でてもいなくでなんでこれ開発したの?といういいとこがない機体だった。急降下特性もメッサーみたいな良さが無いのは明らかに主翼に問題ある。そのへん秘めたる空戦がかなりわかりやすく開発してる。
コメントありがとうございます。
百式司偵がキ102?
確かキ46だったような?
それに川崎はキ61以前にも水冷、液冷エンジン機をたくさん作っていますよ。
(上手に作っていたとは言ってない)
五式戦は奇跡の名機ではなく、有り物の寄せ集めでたまたまバランスがとれてしまった「分をわきまえた」当時の日本機に過ぎないと思うよ。
キ61の基礎設計が優れていたのは事実だったしね。
5式戦があればp51等恐れるに足りぬと当時の陸軍航空兵が語っていたように、P51以上の性能が5式戦にはあった。間違いなく大戦時の日本の航空技術は米国よりも優れていたからこそ、戦後米国が我が国の航空産業を破壊したのは有名な話。米国が我が国の航空産業を潰さなければF35以上の軍用機を作れていたと思うと本当に惜しい。
動画中にもご指摘がございましたが、川崎も液冷エンジンの困難さはⅠ型の頃から十二分に理解していて、三式戦に空冷エンジンを搭載する提案書を何度も陸軍に提出したのですが、担当官に目の前で破り捨てられたという記載が何かの回顧録に記載されていたと記憶しています(「陸軍試作機物語」だったかな?)。
メーカーを見下し、融通の利かない官僚化した軍部首脳の弊害が五式戦の登場を遅らせた遠因かもしれません。
和製フォッケウルフ‼️
コメントありがとうございます。
空冷化にする際にFw190が参考にされてますねエンジン後方の処理とか。
使い勝手がいいだけで別に凡作だとは思うんだが飛行機に超絶詳しい新谷かおるが名機として日の丸しょってでつかってるから名機でいいやという気分
コメントありがとうございます。
日本陸海軍は1500馬力の金星(ㇵ112)と1800馬力の火星(ㇵ111)の2本立てで戦闘機を開発するべきだったと強く思う
1500馬力級の陸軍戦闘機(二式単戦以外)や零戦五四型がそれなりに量産されていればと思うし
ソ連のLa-7なんかは1800馬力級で670〜680km/hの最高速度を発揮してFw190Aを苦しめたと聞くにつれ日本も火星エンジンで戦闘機を造っとけばなぁ、と思う次第
ご視聴&コメントありがとうございました。
誉やハ43といった二千馬力級発動機を高品質で量産するのは当時の日本ではムリでしたからねぇ
機体がいくら優秀でも燃料が乏しい、弾薬が乏しい、経験のあるパイロットが居ないという状況じゃ結局ダメだったろうね。戦争末期にはオクタン価の低い粗悪な燃料しか無かったようだし。
同機について戦時下の米紙に 日本軍の強力な新型機現る として記されたとか、戦後の軍事調査団が 未知の機体を発見 とか共に”日本の新聞”に書かれたり今の情報空間とは違うが常に扇動と虚報には暇がない”報道”
ここでは三式戦の液冷エンジンに批判が集まるだろうけど大局的に見れば四式戦などで使われた誉こそ日本の足を引っ張った元凶と言えるだろう。
コメントありがとうございます。なるほど、言われてみればそういうところもありますね。
足を引っ張ったっていってもあれ以上のエンジン作れなかったじゃないですか。あれが限界なんです。
遅すぎた迷機、増加試作機で金星搭載してれば間に合ったはず。😊
コメントありがとうございます。
「正式」ではなく「制式」です。
ご指摘ありがとうございます。誤字でした。お詫びして訂正いたします。
もし名付けるなら飛燕改
そもそも3式戦とは違いエンジン出力アップしている
11.30あたり、資料写真に1枚だけ五式ではなく四式戦が入ってます。ま、側面は似てるんで間違えます。隼と四式戦も似。三式戦は液冷で完成を目指したが繋ぎに空冷に変更したら(結果オーライ)だけど当初からの計画にはなく、量産化のラインは組めなかった。
タラレバで中島、三菱の生産ラインに乗せて量産化すれば…ですかね。
コメントありがとうございます。仰る通り写真は四式戦です。五式戦の日の丸を米軍の星マークに塗り替えた写真が見つからなかったものですが、イメージ的に使用いたしまし。ご指摘ありがとうございました。
更に細かいこと言えば、これは立川キ106です。まぁ木製化された四式戦ですが。
@@八代文夫確か、疾風甲型の12・7ミリと20ミリの配置が主翼に12・7ミリ、胴体に20ミリとオリジナルから変更された木製の疾風。
エンジン以外は堅実に作った四式の評価がいまいちなんだから五式が最良の戦闘機だったのだろうね。
コメントありがとうございます。もっと早く出来上がっれいれば良かったです。
五式は軽かったからだと思います。しかし、戦況が逼迫してるのにキャノピーを改造してるのは感心しませんね。急降下で隼に勝てなかったと言うのは不思議ですね、ゼロも隼も急降下で連合軍機に離されて苦しんでましたからね。
@@クマのプー太郎-f4z米軍も零戦や隼には「急降下以外に逃げる術無し」としてるからな。米軍機は最高速度こそ日本機に勝てるが隼や零戦の軽さ故のダッシュ力や上昇性能には手を焼いたそうだ。
グラマンを急降下でブチ切れる戦闘機は、これだけだ! たぶん、亜音速でも空中分解しないでしょうね。
コメントありがとうございます。