Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
部下が酔った勢いで憲兵隊と喧嘩し、翌日憲兵隊長が身柄を引き渡せとしつこく何度も訪ねて来たけれど、「俺の部下には指一本触れさせん」と突っぱねて、こっそり異動させて憲兵隊から手の届かない所に移してあげたりと、本当に部下思いの方でした。
パイロットはだいたい憲兵と仲悪いから喧嘩するネタをさがしてやりあうのが日常だったからな。とくに部下がどうこうではなかったはず
@@ニシノフラワー0憲兵と仲悪いのは パイロットと言うより源田実 さんの一派では?
天才肌で仲間思いで豪胆とか英雄の素質の塊
だがそれを大切にしなかった日本
菅野隊長に敬礼🫡素晴らしい動画をありがとう😭
エースってのはあくまで撃墜数10を超えるパイロットをさすわけで。菅野直、杉田庄一、岩本徹三、派手で化け物みたいな戦果をあげた人がいた中で、名も知られず亡くなっていった英雄も数え切れない程いるんだろうな…。
5機でエースだったはず。ちなみに激戦ラバウルでは「最初の3日を生き延びれば、1週間は生きられる」と言われた…
5機だよ、、
第一次大戦は10機でエースにしてたんだけど あんまりにもみんなすぐ死ぬので5機に短縮したとかいう話だったと思った。なにせ一か月で中隊全員死ぬとか普通だったらしいから
破天荒な御仁だけど実は結婚に対してはそこそこ願望があったそうで、行きつけの飲み屋だったか小料理屋だったかの女将さんに「母ちゃん俺にもいい人紹介してくれよ」なんて言ってたそう。けど同時に明日をも知れない身の上で結婚しても相手を悲しませるだけかと戦争が終わるまでは嫁さん貰うつもりはなかったんだと。最期の出撃の日、愛機が故障中で代わりの機体で出たらしいが、もしちゃんと整備された愛機で出撃出来ていたら機銃の暴発なんて起こさず生き延びて、2週間後の終戦を迎えられていたんだろうか。
たくさんイイネが貰えたので、動画内での少将とモメた時のエピソードのもうひとつの説。毎晩のようにバカ騒ぎをしていた菅野と部下たち、奥の座敷から「やかましい、静かにせんか!」との怒声。菅野はいつものように「明日の命もわからん戦闘機乗りが騒いで何が悪い!」と言いに声が聞こえた座敷の襖を勢いよくスパーンと開けた。そこにいたのは少将と幹部。菅野に続いていた部下も慣れたものだが階級章をチェックしてヤバい!と思った。菅野も同様だが後には引けない。菅野は無言でテーブルを蹴り上げる。飛び散る刺身、煮物。そしてテーブルを直しそこにドカっと座り少将にガンをくれた。少将と幹部は唖然、菅野の部下は冷え冷え、菅野も内心は冷え冷え。そこにいた全員が誰も得をしない冷えた空気の中、少将が一言「もう気が済んだだろ、帰れ」。その言葉を聞いて憮然として菅野は帰った、内心は冷え冷えだ。次の日、源田司令に呼び出しをされた菅野は指令室に向かう。部屋の中から源田と誰かの談笑が聞こえた。指令室に入ると昨晩の少将と源田が談笑していた。談話に一区切りついた源田司令が菅野に目を向けた。「お前、昨晩は随分と元気だったんだってな?」、「はいっ!」と菅野が答えると「問題なしっ!今後も任務に励め、行ってよし!」。おそらく、少将も源田司令から菅野の人柄や軍に対する貢献を聞き、鑑みて矛を収めたんだろう。お咎めなしですんだ菅野は「親父(源田)には頭が上がらん。命かけても足らん」と語ってたそうな。
士官は兵や下士官には干渉しないよ。階級差は近い者同士でないと上下関係でどうこうのトラブルは起きにくい。 仕事が全然違うから別の会社の話みたいなかんじになるマルセイユも戦闘機総監のガランドが視察に来た時、ガランドの立ちションベンした記念碑とか立てたりしたからな
戦時下という極限状態にあってここまで自分を持ったままでいられるのって凄いよなぁしかも必殺技もあるし
この動画のおかげで菅野さんがめっちゃすきになったわ....イエローファイターとかカッコよすぎるよ....
23歳、、、戦時下の上官なんて絶対服従が鉄則だろうに、その若さで堂々と抗議したり下手すれば殴ったりエグい戦果あげたり部下を守って国を守って…なんていうか感謝しかない。。出来ることなら生き延びて平時下で幸せになってほしかった…
自衛隊もだけど戦力になる下士官は王様なんだよ。いないと仕事にならないからだいたい目をつぶる。パイロットなんて遺恨あってもすぐ死ぬから長々と関係が続かないしね。士官とかは会社で言えば社長や課長だから下士官や兵には基本的に干渉しないんだよ。んで兵のパイロット同士だと階級差あっても撃墜数多い奴がすべてにおいて優先する。だから岩本とか菅野がなまいきでもほっとけ になる
生前の菅野は特攻を否定する立場だった。「あんなもん人員と機体の無駄だ。でも命令なら俺は逝く。ただし俺の部下は一人たりとも絶対に行かせない」と言っていた。ある日、海軍バーで上官の軍医が「特攻なんて無茶な作戦をやるようじゃ日本も終わりだよ」と言っていたのを聞いてブチ切れたそうだ。「今、何言うた?」と、「無茶な作戦だといった、あんなもん命の無駄だと…」と上官が反論したところで菅野はスネに蹴りを入れて倒れたところをビール瓶でタコ殴りにしたそうな。菅野だって特攻は無駄って言ってただろうに。最前線で命を散らしていった若者を目の前にした菅野たちの前で、普段安全なところにいるくせに命を賭し軍事作戦を遂行する若者を批判する上官に怒りを覚えるサムライたちがいたという。このエピソードで胸が熱くなった。
熱い話だけど、当時からビール瓶なんてあったんですね。戦時中だし貴重そう。
ずんちゃん大佐「どこにミサイルの弾が?捕まえて来た敵の兵士しか見当たら無いんだが?」私「だから、その捕虜達がミサイルの弾ですよ🤩ノビシッ💓」ずんだ大佐「鬼畜~」
@@青ゴジラ-j7tなんかね、良くわからないですが、紀元前以前の遥か太古の大昔からビールがあったとか、そんな記事やらブラザー🤩ノビシッ💓
大丈夫、自ら死ぬって口に出す人間程、高確率で戦場で生き残って来ますからブラザー🤩ノビシッ💓逆に「俺は死なないと戦場に向かって行く方は、ほぼ死んで来ます🤩ノビシッ💓😂」
@@青ゴジラ-j7t瓶ビールは明治21年からあるので大日本帝国憲法より瓶ビールの方が先に日本にあったという…
このずんだもんシリーズいつも笑いながら見てたけど、今回は普通に涙が出た…。
破天荒なやんちゃぶりで前半を笑わせてくれていただけに、終わりに近づくにつれて僚友や部下が次々に先にお亡くなりになってしまうことで感じる菅野さんの悲しさが余計にこちらに強調されてくる気がする。最後の「ワレ、機銃筒内爆発ス。諸君ノ協力二感謝ス。ワレ菅野一番」の入電の後、心の中で別れを告げる部分は、何回見ても涙が出てしまった。あれだけ強烈な人柄であるにも関わらず、部下や上司から愛されてて、実力もあった人間なだけに、菅野さんが行方不明になった時に343空の人たちが受けたショックは計り知れなかったのかもしれないと思います。
同感です。菅野さん本当に優しい人だったんだな、と思いますね。戦後まで生き延びてほしかった。
343空が彼の数少ない居場所だったから。プリンス管野、彼の王国を見てみたかったです。
丸秘裏話(疲れるから時間を置いて更新中)9:00バンバン飛行場での一悶着本土から受領した零戦をフィリピンの基地に運ぼうとして間違えて近くのバンバン飛行場に着陸し、当然そこの司令に「誰だ貴様ら!!」や「基地を間違えるとは何事だ!!」と叱られるこのやり取りを見ていた三番機の笠井智一上飛曹は「隊長が頬をぷくーっと膨らせてキレてるのが誰が見ても明らかで絶対なにかやらかすと思った」と語っていたそして新たな目的地へ向かうのに離陸する際、そそくさと乗ってきた零戦全機を司令部のあったテント前へ集合させエンジン全開テントを吹き飛ばし颯爽と飛び去った菅野大尉そして目的地にたどり着いて笠井上飛曹達に言い放った最初の一言が「だから言わんこっちゃない」うーんこの悪ガキ…10:23 15:30 中島飛行隊長との一悶着特攻直掩任務についた菅野大尉は初戦での戦果報告について「戦果が大きすぎる、なにか勘違いをしていないか?」「本当に突入する瞬間と撃沈する艦艇を確認したか?そこまで出来ていなければ悪戯に戦力を消耗しただけだぞ」と叱られるここまではまだ中島飛行長の言い分も一理ある、と言えたが乗ってきた零戦を基地に引き渡してしまった為、帰りは一式陸攻を輸送用に武装をすべて取り払った機体で帰る事になりそれに護衛がつかない事に異を唱えた菅野大尉に「特攻機が減るだろう、そんな馬鹿な事はできない」とその前日に特攻機直掩任務にあたっていた西澤廣義中尉(著説あるものの個人撃墜143機、共同撃墜429機と言われていた超エースパイロット)が同じく護衛無しで輸送機に乗せられ米軍戦闘機隊に撃墜されて戦死しているにも関わらずそんな事を言われブチギレた菅野大尉は腰の拳銃をその場で5発発砲腰につけていた状態だったので自身の親指に銃弾が掠めたが暴発扱いで済んだ14:40 母の勘家族に大甘で妹のシゲ子を大層可愛がっていた菅野大尉は最初は無理だと言っていた飛行機で飛んでる姿見たいというシゲ子の無茶振りを列車に乗って帰る途中の母とシゲ子に見せることが出来たしかしその姿に何かを感じ取ったのだろう、爆音と共に列車から離れ、飛び去っていくその様子に席に戻って座り直した菅野の母は「これでもう見納めだね…」と呟いたという15:20 はじめての中攻操縦発砲事件こそ暴発扱いで済んだものの、菅野大尉達が武装無しの輸送機で単機で帰投することは変わらなかったそしてやはりと言うべきか米軍戦闘機隊に発見され手厚い歓迎を受ける徐々に被弾箇所が増えていくも武装のない輸送用一式陸攻ではどうすることも出来ず「もうダメです、諦めてください」と中攻操縦手から悲痛な叫び声が上がったその時「馬鹿なことを言うな!」「どけ、俺がやる」と無理やり操縦を交代中攻の操縦経験があるのかと目を輝かせる部下に「ねぇよ」と一蹴をするも「死にたくなければこう飛べよ」とほぼ90度に垂直降下するという急降下爆撃機も真っ青な急降下を披露し米軍戦闘機隊を振り切るとジャングルへ機体を不時着させて無事脱出乗員全員が脱出した瞬間追い付いた米軍戦闘機隊に追撃をうけた中攻の機体は爆散したという20:25 相棒【杉田庄一】の戦死343空は菊水作戦に合わせて特攻機直掩任務の為、基地を愛媛県松山市から鹿児島県鹿屋に拠点を移した1945年4/12日、桜花特攻隊の直掩任務として鹿屋に移動してからの初陣で三番機の笠井上飛曹が命令を無視して単独にて敵機を深追いし2機を撃墜するも自身も酷く攻撃を受け、あわや墜落の損傷を受けた基地に帰投後に戦果報告をするも普段絶対に手を上げず口頭での注意で済ませていた杉田少尉に笠井上飛曹は戦果の確認不良(確実に自身の戦果を確認していたわけではなくこの時まで笠井上飛曹は4機撃墜と報告していた)と無断な単独行動に対して激しく叱られ、数発思いっきり殴られたとされているまた343空初陣の松山大空戦の日も笠井上飛曹のみ腹痛で休んでいた為に二人の間に軋轢があったとされているしかし晩年の笠井上飛曹はこの時のことを「認めてもらえず悔しい気持ちもあったが同時にちゃんと自身のことを見てくれていた事が堪らなく嬉しかった」と語っているその僅か3日後の4月15日この日の戦闘301新選組は杉田少尉を一番機、笠井上飛曹を二番機、宮沢二飛曹が三番機、田村飛長が四番機の編成で当直にあたっており即時待機命令のまま午後に突入していた午後15時に差し掛かったころ敵機襲来の報を受けるも警報が発令された時には基地上空まで敵機が押し寄せてきており既に7〜8機のグラマン編隊が視認できたと言う一番機杉田少尉と三番機宮沢二飛曹がスクランブルで離陸を開始遅れた二番機笠井上飛曹と四番機田村飛長は発進できないままグラマンの銃撃やロケット弾による攻撃を受けて機外へ退避その直後滑走路から飛び上がった杉田少尉と宮沢二飛曹は離陸時という一番隙きのある状態をグラマン編隊からの集中攻撃を受けて滑走路脇へ墜落二名ともに戦死した二人が墜落したその時まで発進中止命令は搭乗員たちまで届いていなかったという杉田少尉の遺体は戦時下の前線ということもありしばらく裏山で放置されていたが菅野大尉や笠井上飛曹達の訴えによりそのぞんざいな扱いを知った源田司令は「杉田ほどの者を裏山で放置しておく奴があるか!」と大激怒その翌日に火葬がされるも火葬で生じた煙におびき寄せられた米軍戦闘機隊に見つかり杉田少尉の遺体はロケット弾で吹き飛ばされた戦後の343空関係者が集まった集会で杉田少尉の遺族が参加していなかった事を不審に思った笠井上飛曹が志賀飛行隊長に相談すると住所が変わり連絡がつかなくなっていたという有志達によりなんとか杉田少尉の遺族と連絡がついたモノの杉田少尉の遺骨は家族の元に戻ることなく、軍関係者の元を転々とした後に身元があやふやになり最後は無縁仏として共同墓地に入ったという
21:08 22:52 度重なる仲間の死杉田少尉が戦死した直後の同月21日、動画の通り出撃前日に菅野大尉と林大尉は口論になっていた口論の原因はB29の撃退方法について菅野大尉はヤップ島で沢山のB24を撃墜した【前方背面急降下】を提唱したが距離感をミスって敵機に体当たりしてしまう列機もあった為、林大尉は部下に危険無くこなせる撃墜方法があるはずだと反論したまたこの時期度重なる上空哨戒も空振りに終わり、思うように戦果が出なかったこと国民や部下からの死亡者が止められなかったことに戦闘指揮官だった林大尉には相当なプレッシャーが掛かっていた遂に林大尉は「明日君の言う戦術でB29を落とせなければ俺は帰って来ないぞ」と言う菅野大尉は「ムキになること無いじゃないですか、落とせないのは仕方のないことでまた次に活かせばいい」と反論したが「いや、君はそれで済むかもしれないが私は納得出来ない」と林大尉に言われ遂に菅野大尉も「そこまで言うなら勝手にしてください、私も明日落とさなければ帰ってきません」と言い放ち別れた翌日、昨夜のいざこざを見ていた出撃名簿を管理していた戦闘407の本田稔少尉は「何か思い詰めてるところがあるようですから私が代わりに出ます」と志賀淑雄飛行長を説得し出撃名簿から林大尉の名前を消したしかし自分の名前がないことを確認した林大尉は勝手に出撃名簿に名前を書き加えて出撃してしまった林大尉は上空でB29を補足するも自身の登場する紫電改はまたも増槽が落ちないトラブルが発生増槽をつけたまま攻撃に入り戦闘301の清水一飛曹と共にB29を一機撃墜するも清水一飛曹は撃墜され未帰還、エンジンと垂直尾翼が被弾していた林大尉は海岸に不時着を決意するも落下しなかった増槽が砂浜にめり込み急激に制動がかかった事で計器盤に頭部を強打し頭蓋底骨折で死亡その後戦闘407の二代目隊長として菅野直、関行男と同期の林啓次郎大尉が着任(前隊長の林喜重大尉と同姓だが親族関係はない)しかし僅か2ヶ月後の6/22日、二代目隊長の林大尉も未帰還となった同年7/24日、動画の通り杉田に代わるパイロットをと言う事で横須賀航空隊から武藤金義中尉が編入されたまた編入の際はかねてより部下との折り合いがつかなかった坂井三郎中尉とトレードとしたが片目の見えない坂井との交換は割りに合わないと横須賀航空隊から猛反発を受け野口毅次郎少尉もつけた2対1の条件でようやく人員を入れ替えたしかしこの初陣で米艦載機凡そ350機に21機で挑んだ剣部隊は6名の未帰還者を出しその中の一人は武藤金義中尉、更にもう一人は戦闘701の隊長を務めていた鴛淵孝大尉だった24日以降剣部隊の三大将はついに菅野唯一人になってしまったまた武藤中尉と仲が良かった坂井中尉はこの人員移動について武藤を身代わりにしてしまったようでと戦後もずっと気にしていたまた武藤中尉が撃墜されたと言う話を出せば「武藤ほどのやつが空戦で負けるわけがあるか!流れ弾に決まってる!」と激昂したという閑話 未帰還機紫電改の一機戦後34年の時を経て愛媛県愛南町の沖合に一機の紫電改が沈んでいた事を水中に潜っていた漁師が発見し、引き上げられたまた7/24日の豊後水道上空の大空戦があったその日丁度その海に不時着した紫電改の姿を見たものが複数おり343空所属で豊後水道空戦で被弾し不時着した機体だと言うことが判明したまた一部有識者の話によると戦闘301所属の機体である可能性が高く操縦席の着座位置がかなり手前であったことから低身長であった武藤金義中尉が搭乗していた可能性が高いとされている
24:10 【人生はこれ闌干たる星辰の明滅の間】開戦時に無敵を誇った帝国海軍も優秀な搭乗員が一人、また一人と減って行き補充も追いつかなくなった敗色濃厚となった1944年4月に初陣を飾り、数多の戦場を駆け抜けた菅野直にも遂に終わりの日がやってくる1945年8/1 九州に向けて北上中のB24を迎撃するため、隊長菅野大尉以下21機が長崎県の大村基地から出撃この日の菅野大尉の搭乗機は343A-28号機だと言われている(長らく343-A1号機と言われていたが、出撃直前に不具合が見つかり急遽変更になった為に出撃表はA1号機のままになっておりそれがそのまま広まったと当時の整備兵の証言が【源田の剣】に記載されている)しかし動画にある通りこの出撃を最期に菅野は消息を経った米軍のB24の戦闘記録にはこの日、撃墜した日本軍機の報告はないまた近くの空域で米軍のP51マスタングの部隊が四式戦疾風と空戦をしたと報告をしているがこの日に日本軍側で出撃した疾風の記録はないP51マスタングの搭乗員達が疾風と紫電改を見間違えたという説もあるが菅野大尉のすぐ近くを飛んでいた堀飛曹長はマスタングを見ていない噛み合わない証言しか存在しておらず菅野大尉は忽然と行方をくらませてしまった戦後に源田司令は菅野大尉を戦死として二階級特進を具申菅野大尉は中佐となったが、源田司令は「歳の離れた弟を亡くした気分だ」と悔やんだという実は菅野が行方不明となる七年ほど前の中等部時代の日記の一文にこんな言葉がある人生はこれ闌干たる星辰の明滅の間(現代訳:人生とはまるで星々のあざやかな一瞬の光の瞬きのようなものである)流れ星を見たことで覚えたどこか切なさを綴った日記の最後はこの言葉で締めくくられているその言葉通り光のごとく輝き戦場を駆け抜けた菅野は流れ星のように空へ消えた
余談菅野機の暴発は整備ミスだった?戦後に当時飛行隊長を務めていた志賀飛行隊長の証言で「零戦や紫電改に搭載する20㎜弾が過去に輸入した物が余っておりそれは暴発の危険性があった為、長らく別倉庫で保管していたものでしたしかし物資不足であった為か別倉庫に隔離されていたその20㎜弾が整備兵により降ろされてしまいそれが装填されてしまった、菅野機が機銃の暴発を起こしたのはそのためでした」と言う証言が残っているシュレディンガーの菅野機現在You Tubeに上がっている屋久島沖ダイビングの動画に一機の沈んでいる紫電改を映した物があるこの日の未帰還は菅野大尉を含めて3機であるが、紫電改の短い活動期間と沈んでいる場所が菅野が行方不明になった屋久島付近ということで菅野機の可能性は大いにあるとして議論を呼んでる
あの濁流の阿武隈川を泳いだのマジですげぇ
家族と部下の為に無茶する菅野直さん。軍人として一人の人間として、とても魅力的な方を知ることができました。
素晴らしい内容でした。中には他の人のずんだもん解説動画の中でも、歴史を全く知らない人のあり得ない解説もあったので、非常に残念に思ってましたが、今回の解説動画はタメになりました。またこう言う解説動画を沢山作って広めてください!
偉大なる先人にいつも感動させられます。
泣けた😭 マジで泣けました😭破天荒な性格で上官から睨まれても我が道を行き、同僚や部下からも慕われていた菅野直。欧米列強からアジアを開放する為、お国の為に命を賭して戦い、そして散っていった偉大な若き先人に、敬礼❗❗
これ何回も見ちゃう菅野さん素敵すぎる
自分は飛行機が好きなので菅野直大尉乗機の紫電二一型(紫電改の前期型)のA15号機のプラモを30年位前に作って飾ってます。菅野直大尉の亡くなり方も知ってましたが、この動画を見て涙が出ました。戦争で亡くなられた全ての英霊に哀悼の意を表します。ご冥福をお祈りいたします。🙏
戦争を否定しても戦死者は否定するな
先輩!!
その通りだ!
好き好んで戦死した人なんていない。。。どんな人でも人間でしたから。
そうですね。戦争で亡くなられた方たちは、時代とはいえ、勇敢に戦った。米軍との戦力差、ドイツよりも劣る日本の工業力、本当によく戦ったと思わずにはいられない。もっと工業力があれば、日本に油田があれば、と思わずにはいられない。
紫電改のエースパイロット「菅野直」。私は、この方が大好きですし尊敬してます。菅野さんのことを破天荒とよく言ってますが、この方はマジで破天荒です。ただ、この方は心底優しい方だと思います。だからこそ魅かれるんです。菅野さんの動画を作成してくれたup主さん、動画投稿ありがとうございます😄
ドリフターズ登場繋がりで山口多聞もやってほしいのだ
ヒラコーにより異世界に召喚されそんなヤベエヤツおらんやろ…って思われて実際はもっとヤベエヤツなの凄い。
私は「妖怪首おいてけ編」を何度目かのリピしてそのマンガを某フリマアプリでまとめ買いしたけど、この人のセリフ、ほとんどどなってて爆笑してましたが、あれもあれでヤベー奴でした…😅
こんな素晴らしい人物の動画を作ってくれてありがとうございます
ドリフターズで勉強嫌でありますって言ってたけどまさかの文学少年だったのか…というかどうかホントに生きててドリフターズの世界に居てくれと思う漢。。
きっとオルテ帝国領内で竜撃墜したり、獣人飼いならした挙げ句空の神様とか適当名乗ったり、怪しいボリビア人(アメリカ人)とノリよく挨拶したり、ローマ人蹴ったり、多聞丸と相撲したり、薩人マッスィーンにトドメさしたり、鬼の副長本人相手に新選組とは何かと雑な説明したり、飛龍艦内でお勉強会したり、きっと元気にやりたい放題好き放題してるさ。だって菅野直だぜ?個人的に機械油で天ぷら作って食べたら死にかけたエピソードも好き。チャレンジャーとかアレンジャーってレベルじゃないスケールだ。
ならば死ねとハッキリ言い切る多聞丸少将も大好きです(๑•̀ㅂ•́)و✧
わかんない…訳がわかんないけど、この方の生きざまを見たらスゴく泣けてきた。たぶん自分にないモノを全て持っておられる方だったのだろう。やはり生死を掛けて、一歩先の明暗もわからぬ生活をされてる方々の肝の座りは現代に生きる僕には1㍉もわからない何かがあるのだろう。つくづくこの方々の献身に依って今の生活があると思うと感謝以外の何物でもない。
舩坂弘見たく生き残って欲しかった😢
感動しました。
マジでめちゃくちゃカッコいい人なんだよな、菅野大尉…ここで扱われてないエピソードだと運動会でサボってたのがバレて全校生徒とその保護者の前で校庭3周半体育教師から逃げる謎レースとか機械油天ぷら事件とか菅野大尉の必殺技の直上方背面急降下を紫電改でやると時速700キロオーバーでB29の胴体まで20mの位置まで近づくから米軍パイロットが大尉の表情が確認できたとか紫色のマフラーを巻いてるのが見えたって証言してるのも気合い入りまくりでカッコいいし大尉が学生時代書いてた詩も中学生が書いたと思えないレベルの文章力で凄い良かった
外見からしてとんでもないイケメンだったりするし
@@龍小学45ねんせい ただ顔に関しては当時は貴公子とか魔王とかのあだ名がつく中(笹井中尉や西澤飛曹長等、あの人たちは顔もカッコいいけど…)菅野大尉のあだ名は【ブルドッグ】なので当時はカッコいいとは思われてなかったっぽいんですよね多分写真と実物は違うってやつなのかも知れません当時は身長が高い=無条件でイケメンらしいです
@@亜鳳-z1u そうなんだ。私は写真の大尉めっちゃ好きやし、タイプだけどなあ。現代人の価値観ってやつ?
菅野デストロイヤーの響きいいな 5:56
空神様、行動もイケメンなら写真もイケメンなんだよなぁ…
菅野大尉は、自機にいつも「海軍少佐菅野直遺品」と、勝手に自分で1階級昇進させた遺品になるものを入れた箱を積んでいたそうです。
なお、橋が流されたことは自分の学校だけではなく、同じく対岸にある女学校などにも伝えに駆け込んだ。ほぼ全裸だったという。あと帰りのほうが川は荒れてた。
戦闘機正面方向からの視点良いね。ずんだもん動画界隈での同題材で、一番面白かったです。
本筋と違うけど、水木しげるが原住民と仲良くしているところを源田実に見られるも黙認されたという話は有名。
今村均閣下であります
ママと妹に飛んでる姿見せるとこと、ママの子への思いのとこええな😊
英霊のエピソードを分かりやすく伝えて下さりありがとうございます多くの人に知ってもらえることが何よりの供養になると信じています、応援しています
英霊って言うけど多くの英霊たちが骨も拾われず戦地跡に置き去りにされてるんですよ。
上官に暴発の話もヤバかったけど家族の為に零戦かっぱらってきたとこでその思いを考えたら涙腺崩壊した。
子供の頃に読んだ太平洋戦争の劇画『撃墜王』でも、色んなエピソードは描かれていました。特攻隊▪関行男とも仲が良かったそうですね。杉田が亡くなって、自分も先がないと思ったのか、自分で骨箱を用意したそうです。 電車の近くを飛ぶお話は初めて知ったのですが、涙を誘いますね…。
世が世ならきっと、素敵な上司だったり文芸家だったんだろうな
😢菅野さんの生き様に涙がでました。先人たちの功績に敬意を払いたい
他にも菅野さんと一緒に三羽烏と言われた鴛淵孝さんや林喜重さん、そして菅野さんの部下として活躍して散華してしまった杉田庄一さんや武藤金義さんにも敬意を払いたいです。
第二次世界大戦時は人間の感性が空戦の勝負を決める時代。この当時は世界中で天才といえるエースパイロットが沢山出た。だからロマンがある。今は視認以前に勝負が決まってしまう。
菅野さんに限らず、多くの将兵の犠牲の上に今の平和が有る事を忘れてはならず、又敵兵にも私たちと同じように「悲しむ家族」が居る事を思い、戦争と言う物が如何に馬鹿げた物かと言う事を忘れては成らないですね。戦争を始めるのは、常に「戦場に行かない奴」が決定し、自分が弾丸の的に成ろうとはせず、「兵士の命を数字でしか考えない」と言う輩は勝敗に関わらず糾弾すべきだと思います。
特攻隊を消耗品と考える上官を殴りつけるエピソードが漢過ぎる。この頭悪い戦術だけは美化できない。菅野大尉が部下から一人も特攻隊を出さなかったのが彼の人物像。心より敬意を払いたい。
よく反逆罪で〇刑されなかったな上官に対する暴行はどこの国の軍隊でも反逆罪になるからな
@@akibanokituneそれほど欠けてはいけない実力者だったんよな
@@xizy_ 軍隊では実力より軍律だからな実力があるからといってやりたい放題じゃ統率がとれなくなる。
菅野デストロイヤーホント好き語感が馴染みすぎてるw
数的優位に立たれ、年を追うごとに強化・改良されていく敵機に対して新型どころか改悪までされたような機体では、どんどん撃墜されていくのも仕方なかったですね。
343航空隊の三羽烏と謳われた、鴛淵大尉、林大尉、菅野大尉の名トリオは最期まで健在でした。3人とも戦死するところまでいっしょであったことが悲しい。愛媛県に海中から引き上げられた、搭乗員不明の343航空隊の紫電改が展示されているので是非いつか見に行きたい。
ゼロ戦にのってれば間違っても死なないような連中がまとめて死んだところに紫電改の欠陥機ぶりがでてるな。杉田庄一みたいな地獄のラバウルまわりで生き抜いた奴でさえ死ぬ危機回避能力が高い岩本が乗りたがらないわけだわ
@@ニシノフラワー0 いつまでも零戦に頼っていては駄目だ。零戦開発に携わった曽根技士は言ってましたね。ラバウルなどのソロモン諸島でどれだけの零戦搭乗員が失われたことか。下手に航続距離なんて伸ばすから無茶なガダルカナル島往復なんてさせられて、空戦に加えて疲労で意識失って南海の海に消えた搭乗員もかなりいます。おそらくコメ主はかなり戦時の海軍戦闘機の知識がお有りと思いますが、紫電改の改は紫電の欠点を見直して防弾、低翼などの改良を加えた意味を含めてます。零戦52型よりも意識された紫電改の防弾で助かった搭乗員もかなりいる。大戦末期の資源不足、熟練工不足、劣悪な工場で作られた飛行機による欠陥は川西でも三菱でも川崎でもあったことです。
一説によると、引き上げられて展示されている紫電改は、杉田庄一さんの後に菅野さんの下に配属になった武藤金義さんが搭乗されてた紫電改なのではないかという可能性もあるとか・・・
@@フレッチャー-g2q 武藤もなかなかに死にたがりだったからなあ。特攻帰りだったようなのを伝記で読んだ記憶があるが ちがったかな
特攻隊を志願した掩護任務で戦果を疑う上官に「暴発した」と発砲し、浮かれ騒ぐ上司に対して「明日の命も知れぬ部下に規律も何もない、何ならお前が志願しろや」と啖呵を切るそれで見学に来た母と娘には国のためと言いながらも、最後にはかっぱらったゼロ戦を飛ばしてあげる優しさ…BGMと相まって泣けるわあ(´;ω;`)
あれだけ訓練生時代機体を破壊したり、中型陸攻を無理な操縦をしていて墜落しても必ず生きて帰ってきていた人なだけに、最期の時がいくら自分が今まで乗っていた343-A-15機ではなかったとはいえ、まさかの機銃の暴発による機体の破損事故で行方不明で亡くなるなんて信じられないなと思った。普通なら無理矢理にでも機体をどこかに着陸させてけろっとした感じで生還してきていてもおかしくない気がする。戦争末期で敗色濃厚であったのもある上に、自分の大切な部下である杉田庄一さんや武藤金義さん、同僚の鴛淵孝さんや林喜重さんが相次いで戦死されてしまったことの悲しみと、林さんが戦死する前に作戦をめぐっての口論をしてしまった結果、喧嘩別れになってしまったという自責の念で、精神的にも菅野さんは限界を感じてしまっていたのかもしれないと思う。
涙が止まらねーよ英雄に感謝
文学ヤンキー。学があるのにマシンオイルで天ぷら作って下痢になるとかいう訳分からんことしてる永遠の中学生男子でもある。
「デストロイヤー」の渾名が撃墜数じゃなくて乗機破壊で付けられたのはホント笑う。
デストロイヤー。英語の渾名が付いている所が海軍らしいですね。
@@及川良-c3oそもそも、戦時中で海軍内とはいえデストロイヤーなんていう現代でも通用するような言葉があったのも驚きです。
@@フレッチャー-g2q何なら昭和十九年まで、海軍兵学校の試験に英語の問題があったらしいですよw
敵製語禁止なんてあんな大げさなもんじゃなかったらしいですからね。カキフライはカキフライ。草野球やってもセーフアウトをよし、だめなんて言わなかった
@@龍小学45ねんせい海軍にいたうちの祖父は「敵性言語なんてのは陸軍が勝手に言っとっただけや。海軍は普通に英語使っとった。わしは英語はわからんが」と言ってた。ちなみに祖父は日向の乗組員だった。
敵と味方から異名がついた理由が違いすぎて草
2つ名じゃなくて3つ名持ってて草
破天荒なエピソードばかり有名になってしまったけどパイロットとしてはむしろ理知的かつ合理的なタイプで学生のころは文学少年だったという一面もある
敵もデストロイ(撃墜)するし自分の機体もデストロイ(事故その他)する菅野デストロイヤー直
こんな偉大な先人達をもっと教科書に載せないとまずいんじゃないか子供達がもっと自信を持てるような国作りをして欲しいしそういう人には協力したい
こういった素晴らしさが分かるのはまあ高校からだろう。高校のそういった方向性で学べば乗ってるのでは?中学の義務教育に入れてはならないと思うがね
公立の中学や高校ではまず無理だと思います。そもそも、杉原千畝さんや濱口梧陵さんのような明治から大正、昭和初期にかけて偉大な功績を残された人についての記録とか探すだけでも骨どころか、一切それ関係の図書は置かれないほど執拗なまでにかき消されてると思いますから。
この方のことを最近あちこちで知って大好きになりましたが、教科者は似合わないと思います。小説、ドラマ、マンガ、映画、講談そして動画配信などみんなが楽しむものから知って欲しいと思います。
戦闘機の神様ですね。前方を通り過ぎていくなんて…。学生時代も弱きを助け強気を挫く…。特攻をたかがっていう屑上官もいたんですね…。菅野直さんは男の中の男だ!
なぜ強い奴は優しく若くして死ぬのか😢
ガンダムとかで主人公が敵を何十機も一人で倒すとかありえねーとか思ってたけど実際それ以上のことやってるパイロットが現実にいるんだから事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもんだわ
ドリフターズで初めて知った人。現代史の中であの作品に選出される魅力があるって分かりました
右に同じく。
源田さんの手記を読んだが、本当に惜しい人だった。いや菅野さんだけじゃないが…あと2週間で終戦だったのに。
最期は戦友や兄弟分を喪った事による寂しさに負けたんだろうか。破天荒と呼ばれ周囲の反感も気にしない中で自身の部下に決して特攻させなかったり実は人間関係に関しては結構繊細だったのかもしれない。
自分もそれに関しては納得できる気がします。
菅野は中学の期末試験の時、自分は乗っている自転車で学校へ向かえば遅刻しなかっただろうに、徒歩で向かう友人を放っておけずに一緒に徒歩で学校へ向かい遅刻したという逸話を昔Twitterで見ました。人柄がわかるエピソードですよね。
記録的な豪雪で自転車の菅野はともかく徒歩の友人は絶対に間に合わないという状況で「こんな雪の日だからこそ弾む話もあるだろう」と一緒に談笑しながら登校したエピソードでしょうか
@@亜鳳-z1uそのお話ですね。豪雪の話が抜けていました……。中学生の頃から仲間想いなのが流石だなって思いました。
ドリフターズで知ったけれど、破天荒が服着て飛んでる感じだなぶっ飛び具合が、軍人さんには多いなあ
漫画の中でやってたこと史実でもやってるってのがまたぶっ飛んでるわ。
うわあ、面白かった・・・って言うか、感動しました。こんな人がいたなんて知りませんでした。勉強になりました、ありがとうございます。😢
「諸君ノ協力二感謝ス、ワレ、菅野一番」という最後の通信の後、「みんな、ありがとう」の言葉が何とも😢
林喜重機は今も阿久根海岸の浅い海底に眠ってます。菅野機と思われるエンジンも屋久島沖で見つかってます。
こんな人達の魂が今の空自に受け継がれてると思うと誇らしいてか、今の自衛隊ってこの手の変態の量産型だよなぁ
こういう仲間思いで戦闘激つよの人かっこよすぎる。なんで歴史の勉強でこういう人は学べないんだろう。
かっこいいな。今の日本に是非いて欲しい人物だ。
菅野直と言えば文学少年だったのに女性に対しても中々に破天荒な事をした人だったなwそれと菅野直の逸話の中には撃墜されて不時着した村で米兵に間違われて殺されかかると言う話しもある。良く戦争が終わって皆安堵したなど言うが、殆どの人が義憤にかられたり親族を失った憎しみに憎悪を米兵に向けていただろう。それでも終戦出来たことが奇跡だったな。
全体的に笑えて面白かったんですけど、母と妹のとこは号泣不可避
ずんだもんで泣いたのは、初めてだわ。
この時代の日本軍航空隊は良くも悪くも日本特有の堅苦しい空気に縛られない人と、それを黙認しちゃう人(特に若い人)が結構いて、戦後若い航空隊隊員が多く採用された今の空自に通じる部分もある気がするから感慨深い
南太平洋海戦時に翔鶴の急降下爆撃隊の隊長を務めた関衛大尉とか、ドルトンプランという当時というか今でも極めて革新的かつ急進的な教育を受けたことを知って衝撃でした。その上戦前というか昭和の前の大正時代に日本の学校教育のみならず日本海軍でもそういう教育方法が一時期取り入れられてたことを知って更に驚きました。
菅野 直についても映画化してほしいなあ
それな
わかる
私、管野さん大好きこの動画何回か見てるんですけどほんとにいつ見ても感動します!いつも、動画投稿ありがとうございます!毎回動画見るの楽しみにしてますの😊
靖国神社に行きたく成った 今度上京する機会の際は必ず菅野さんに日本🇯🇵国を護ってくれた御礼を謹んで奉る
菅野直って最後行方不明だったからまたプリンスのふりの時みたいにしてそうなんだよなあ…
343航空隊はそれだけで一本の映画が作れるくらい話題の多い航空隊。取り上げていただきありがとう!次は陸軍の小林照彦さんを取り上げて欲しいです🙇♂️
陸軍の撃墜王、黒江少佐も紹介してほしい。
ここは一つ、甲木清美飛曹長を…数少ない水上機エースの一人で強風での撃墜スコアという珍しい戦果をお持ちしかも体当たり撃墜とかもしてる(同僚でも乗機がはっきりしないけど水上機エースではと言われてる方がいます(松永英徳一飛曹))他にも水上機エースの河村一郎飛曹長という方がおり…確認出来る日本の水上機エースはこの3人だそう…藤田さんは別枠かな?
戦闘機に乗るバカ強い人は結構いたけど菅野隊長はかなり特攻に似てる戦法を使うのに当の本人は仲間思いで部下をバカにするやつは上官でも許さずに反論するの部下からは理想の上司だっただろうなぁ
日本は伝統的に下士官が強いんで戦闘機みたいな新分野だと下士官連中にそっぽむかれると仕事にならんから割と好きに言わせてる風潮がある
こんな人が居たんだ!映画化出来そうな内容で感動しました🥹
ところどころほんまに泣ける
いつの間にか菅野さんより年上になっちまったよ。
震えるほど感動したのだ…
モブ隊員「なんか、発砲音したけどなんかあったの?」 説明中 モブ隊員「何だ、また菅野さんの拳銃が暴発したのか😅」
面白いチャンネルを見つけちまったぜ…
若し菅野が生きてたら…。
こんな上司を護る為だったら本当に生命をかけても良いと思わされる多分相棒や部下も同じ思いで散ったと思います。
勉強できてガキ大将負けた相手は「あいついつどこで勉強してんの?」って話と飲んで嘆いてたとき上司からうるせえんだけど的な事を言われて「明日の命も分からぬものに何を言う‼️」って怒鳴ったのかっこいいよな😃もしかしたら源田さんのような上司のもとだったからこそうまくやっていけたのかもね(小言は言わず敵機倒してこいそれだけ)😅現代にも通ずるもので慕われる上司には人がついてくるんでしょうね😃菅野さんはオヤジと慕っていたのは素敵ですね😃
バーサーカーは敵味方構わないってベルセルクであったな…
ドリフターズの菅野がイメージ強いから再生余裕
菅野直は本当に戦後の日本に必要な人だった今の日本でいちばん必要な人物も菅野直だと思う……
・・・ただ、居たら居たで自衛隊の機体とかいくつか壊しそうな気が・・・💧
@@フレッチャー-g2q たくさん潰しそうだけど部下思いなのはついて行く立場としてはすごくいいと思いません?笑
@@十六夜咲夜-s1e 確かに旧制中学校時代の時に、川を渡れなくて困ってる生徒たちのために台風で氾濫した川を泳いで学校に報せに行って、そこからまた氾濫した川を泳いで戻って先生の伝言を生徒たちに報せるような逸話を見たら、本当に慕いたくなります。
@@フレッチャー-g2q あとは、今の政治に対して真っ向から言ってくれそうなのでみんなついていけそうじゃないですか笑
@@フレッチャー-g2qでもあの地域の角田市の当時クレイジー人間が多かったんよな。洪水やからって鮭の密猟しまくってたりと。やっちゃダメなことオンパレード地域よ
サムネの体当たりで撃破してるずんだもんがなぜか好きだ
菅野は滅茶苦茶凶暴な奴やったけど、部下には滅茶苦茶慕われていた。それは菅野がとても部下思いで、部下の死に対して、誰よりも心を痛めていたから。部下もそれが分かっていたから、菅野が滅茶苦茶な奴だと分かっていても心から慕っていた。
戦死したとき23才だったのか…。大卒の新人社員ぐらいの歳だったんだ…。
めちゃくちゃいい動画でした。こんな素晴らしい人の犠牲があって私達は今を生きれてるんですね。凹んだ時何回も見返します。
23歳。若いよなあ・・・
そして門をくぐって放り込まれた異世界で竜騎兵相手にドッグファイトをし、不時着した先で「王様」になり猫族を従え、先に異世界に来ていた空母飛龍に着艦し山口多門と相撲して負けて、「たった二人の二航戦」を立ち上げる。現実も破天荒だが、異世界に行っても破天荒すぎる漢、それが「菅野直」。
なんていう漫画?
@@勝てない-g6g 他の人のコメントにもちょいちょいある平野耕太先生の「ドリフターズ」(ヤングキングアワーズ・少年画報社)という漫画。09年から連載しているが、非常にペースが遅く、現時点でも単行本は7巻しか出ていない。
@@勝てない-g6gDRIFTERS(ドリフターズ)じゃないかね?我も、DRIFTERSは見てないから絶対では無いけど、可能性は高い
2:09ぐらいのずんだもんの耳ピクピクすごい好き
よく見たら他のとこもピクピクしてるやんけ
映画化してほしい。
11:55 ここからの話泣ける。まるでなろう主人公じゃん
部下が酔った勢いで憲兵隊と喧嘩し、翌日憲兵隊長が身柄を引き渡せとしつこく何度も訪ねて来たけれど、「俺の部下には指一本触れさせん」と突っぱねて、こっそり異動させて憲兵隊から手の届かない所に移してあげたりと、本当に部下思いの方でした。
パイロットはだいたい憲兵と仲悪いから喧嘩するネタをさがしてやりあうのが日常だったからな。とくに部下がどうこうではなかったはず
@@ニシノフラワー0憲兵と仲悪いのは パイロットと言うより源田実 さんの一派では?
天才肌で仲間思いで豪胆とか英雄の素質の塊
だがそれを大切にしなかった日本
菅野隊長に敬礼🫡
素晴らしい動画をありがとう😭
エースってのはあくまで撃墜数10を超えるパイロットをさすわけで。
菅野直、杉田庄一、岩本徹三、派手で化け物みたいな戦果をあげた人がいた中で、名も知られず亡くなっていった英雄も数え切れない程いるんだろうな…。
5機でエースだったはず。
ちなみに激戦ラバウルでは
「最初の3日を生き延びれば、1週間は生きられる」
と言われた…
5機だよ、、
第一次大戦は10機でエースにしてたんだけど あんまりにもみんなすぐ死ぬので5機に短縮したとかいう話だったと思った。
なにせ一か月で中隊全員死ぬとか普通だったらしいから
破天荒な御仁だけど実は結婚に対してはそこそこ願望があったそうで、行きつけの飲み屋だったか小料理屋だったかの女将さんに「母ちゃん俺にもいい人紹介してくれよ」なんて言ってたそう。けど同時に明日をも知れない身の上で結婚しても相手を悲しませるだけかと戦争が終わるまでは嫁さん貰うつもりはなかったんだと。
最期の出撃の日、愛機が故障中で代わりの機体で出たらしいが、もしちゃんと整備された愛機で出撃出来ていたら機銃の暴発なんて起こさず生き延びて、2週間後の終戦を迎えられていたんだろうか。
たくさんイイネが貰えたので、動画内での少将とモメた時のエピソードのもうひとつの説。
毎晩のようにバカ騒ぎをしていた菅野と部下たち、奥の座敷から「やかましい、静かにせんか!」との怒声。菅野はいつものように「明日の命もわからん戦闘機乗りが騒いで何が悪い!」と言いに声が聞こえた座敷の襖を勢いよくスパーンと開けた。そこにいたのは少将と幹部。菅野に続いていた部下も慣れたものだが階級章をチェックしてヤバい!と思った。菅野も同様だが後には引けない。菅野は無言でテーブルを蹴り上げる。飛び散る刺身、煮物。そしてテーブルを直しそこにドカっと座り少将にガンをくれた。少将と幹部は唖然、菅野の部下は冷え冷え、菅野も内心は冷え冷え。そこにいた全員が誰も得をしない冷えた空気の中、少将が一言「もう気が済んだだろ、帰れ」。その言葉を聞いて憮然として菅野は帰った、内心は冷え冷えだ。次の日、源田司令に呼び出しをされた菅野は指令室に向かう。部屋の中から源田と誰かの談笑が聞こえた。指令室に入ると昨晩の少将と源田が談笑していた。談話に一区切りついた源田司令が菅野に目を向けた。「お前、昨晩は随分と元気だったんだってな?」、「はいっ!」と菅野が答えると「問題なしっ!今後も任務に励め、行ってよし!」。おそらく、少将も源田司令から菅野の人柄や軍に対する貢献を聞き、鑑みて矛を収めたんだろう。お咎めなしですんだ菅野は「親父(源田)には頭が上がらん。命かけても足らん」と語ってたそうな。
士官は兵や下士官には干渉しないよ。階級差は近い者同士でないと上下関係でどうこうのトラブルは起きにくい。 仕事が全然違うから別の会社の話みたいなかんじになる
マルセイユも戦闘機総監のガランドが視察に来た時、ガランドの立ちションベンした記念碑とか立てたりしたからな
戦時下という極限状態にあってここまで自分を持ったままでいられるのって凄いよなぁ
しかも必殺技もあるし
この動画のおかげで菅野さんがめっちゃすきになったわ....イエローファイターとかカッコよすぎるよ....
23歳、、、戦時下の上官なんて絶対服従が鉄則だろうに、その若さで堂々と抗議したり下手すれば殴ったりエグい戦果あげたり部下を守って国を守って…
なんていうか感謝しかない。。出来ることなら生き延びて平時下で幸せになってほしかった…
自衛隊もだけど戦力になる下士官は王様なんだよ。いないと仕事にならないからだいたい目をつぶる。パイロットなんて遺恨あってもすぐ死ぬから長々と関係が続かないしね。
士官とかは会社で言えば社長や課長だから下士官や兵には基本的に干渉しないんだよ。んで兵のパイロット同士だと階級差あっても撃墜数多い奴がすべてにおいて優先する。
だから岩本とか菅野がなまいきでもほっとけ になる
生前の菅野は特攻を否定する立場だった。「あんなもん人員と機体の無駄だ。でも命令なら俺は逝く。ただし俺の部下は一人たりとも絶対に行かせない」と言っていた。ある日、海軍バーで上官の軍医が「特攻なんて無茶な作戦をやるようじゃ日本も終わりだよ」と言っていたのを聞いてブチ切れたそうだ。「今、何言うた?」と、「無茶な作戦だといった、あんなもん命の無駄だと…」と上官が反論したところで菅野はスネに蹴りを入れて倒れたところをビール瓶でタコ殴りにしたそうな。菅野だって特攻は無駄って言ってただろうに。最前線で命を散らしていった若者を目の前にした菅野たちの前で、普段安全なところにいるくせに命を賭し軍事作戦を遂行する若者を批判する上官に怒りを覚えるサムライたちがいたという。このエピソードで胸が熱くなった。
熱い話だけど、当時からビール瓶なんてあったんですね。戦時中だし貴重そう。
ずんちゃん大佐「どこにミサイルの弾が?捕まえて来た敵の兵士しか見当たら無いんだが?」
私「だから、その捕虜達がミサイルの弾ですよ🤩ノビシッ💓」
ずんだ大佐「鬼畜~」
@@青ゴジラ-j7tなんかね、良くわからないですが、紀元前以前の遥か太古の大昔からビールがあったとか、そんな記事やらブラザー🤩ノビシッ💓
大丈夫、自ら死ぬって口に出す人間程、高確率で戦場で生き残って来ますからブラザー🤩ノビシッ💓
逆に「俺は死なないと戦場に向かって行く方は、ほぼ死んで来ます🤩ノビシッ💓😂」
@@青ゴジラ-j7t
瓶ビールは明治21年からあるので
大日本帝国憲法より瓶ビールの方が
先に日本にあったという…
このずんだもんシリーズいつも笑いながら見てたけど、今回は普通に涙が出た…。
破天荒なやんちゃぶりで前半を笑わせてくれていただけに、終わりに近づくにつれて僚友や部下が次々に先にお亡くなりになってしまうことで感じる菅野さんの悲しさが余計にこちらに強調されてくる気がする。
最後の「ワレ、機銃筒内爆発ス。諸君ノ協力二感謝ス。ワレ菅野一番」の入電の後、心の中で別れを告げる部分は、何回見ても涙が出てしまった。
あれだけ強烈な人柄であるにも関わらず、部下や上司から愛されてて、実力もあった人間なだけに、菅野さんが行方不明になった時に343空の人たちが受けたショックは計り知れなかったのかもしれないと思います。
同感です。
菅野さん本当に優しい人だったんだな、と思いますね。
戦後まで生き延びてほしかった。
343空が彼の数少ない居場所だったから。プリンス管野、彼の王国を見てみたかったです。
丸秘裏話(疲れるから時間を置いて更新中)
9:00バンバン飛行場での一悶着
本土から受領した零戦をフィリピンの基地に運ぼうとして間違えて近くのバンバン飛行場に着陸し、当然そこの司令に「誰だ貴様ら!!」や「基地を間違えるとは何事だ!!」と叱られる
このやり取りを見ていた三番機の笠井智一上飛曹は「隊長が頬をぷくーっと膨らせてキレてるのが誰が見ても明らかで絶対なにかやらかすと思った」と語っていた
そして新たな目的地へ向かうのに離陸する際、そそくさと乗ってきた零戦全機を司令部のあったテント前へ集合させエンジン全開
テントを吹き飛ばし颯爽と飛び去った菅野大尉
そして目的地にたどり着いて笠井上飛曹達に言い放った最初の一言が「だから言わんこっちゃない」
うーんこの悪ガキ…
10:23 15:30 中島飛行隊長との一悶着
特攻直掩任務についた菅野大尉は初戦での戦果報告について「戦果が大きすぎる、なにか勘違いをしていないか?」「本当に突入する瞬間と撃沈する艦艇を確認したか?そこまで出来ていなければ悪戯に戦力を消耗しただけだぞ」と叱られる
ここまではまだ中島飛行長の言い分も一理ある、と言えたが
乗ってきた零戦を基地に引き渡してしまった為、帰りは一式陸攻を輸送用に武装をすべて取り払った機体で帰る事になり
それに護衛がつかない事に異を唱えた菅野大尉に「特攻機が減るだろう、そんな馬鹿な事はできない」とその前日に特攻機直掩任務にあたっていた西澤廣義中尉(著説あるものの個人撃墜143機、共同撃墜429機と言われていた超エースパイロット)が同じく護衛無しで輸送機に乗せられ米軍戦闘機隊に撃墜されて戦死しているにも関わらずそんな事を言われブチギレた菅野大尉は腰の拳銃をその場で5発発砲
腰につけていた状態だったので自身の親指に銃弾が掠めたが暴発扱いで済んだ
14:40 母の勘
家族に大甘で妹のシゲ子を大層可愛がっていた菅野大尉は最初は無理だと言っていた飛行機で飛んでる姿見たいというシゲ子の無茶振りを列車に乗って帰る途中の母とシゲ子に見せることが出来た
しかしその姿に何かを感じ取ったのだろう、爆音と共に列車から離れ、飛び去っていくその様子に席に戻って座り直した菅野の母は「これでもう見納めだね…」と呟いたという
15:20 はじめての中攻操縦
発砲事件こそ暴発扱いで済んだものの、菅野大尉達が武装無しの輸送機で単機で帰投することは変わらなかった
そしてやはりと言うべきか米軍戦闘機隊に発見され手厚い歓迎を受ける
徐々に被弾箇所が増えていくも武装のない輸送用一式陸攻ではどうすることも出来ず
「もうダメです、諦めてください」と中攻操縦手から悲痛な叫び声が上がったその時
「馬鹿なことを言うな!」「どけ、俺がやる」と無理やり操縦を交代
中攻の操縦経験があるのかと目を輝かせる部下に「ねぇよ」と一蹴をするも「死にたくなければこう飛べよ」とほぼ90度に垂直降下するという急降下爆撃機も真っ青な急降下を披露し米軍戦闘機隊を振り切るとジャングルへ機体を不時着させて無事脱出
乗員全員が脱出した瞬間追い付いた米軍戦闘機隊に追撃をうけた中攻の機体は爆散したという
20:25 相棒【杉田庄一】の戦死
343空は菊水作戦に合わせて特攻機直掩任務の為、基地を愛媛県松山市から鹿児島県鹿屋に拠点を移した
1945年4/12日、桜花特攻隊の直掩任務として鹿屋に移動してからの初陣で三番機の笠井上飛曹が命令を無視して単独にて敵機を深追いし2機を撃墜するも自身も酷く攻撃を受け、あわや墜落の損傷を受けた
基地に帰投後に戦果報告をするも普段絶対に手を上げず口頭での注意で済ませていた杉田少尉に笠井上飛曹は戦果の確認不良(確実に自身の戦果を確認していたわけではなくこの時まで笠井上飛曹は4機撃墜と報告していた)と無断な単独行動に対して激しく叱られ、数発思いっきり殴られたとされている
また343空初陣の松山大空戦の日も笠井上飛曹のみ腹痛で休んでいた為に二人の間に軋轢があったとされている
しかし晩年の笠井上飛曹はこの時のことを「認めてもらえず悔しい気持ちもあったが同時にちゃんと自身のことを見てくれていた事が堪らなく嬉しかった」と語っている
その僅か3日後の4月15日
この日の戦闘301新選組は杉田少尉を一番機、笠井上飛曹を二番機、宮沢二飛曹が三番機、田村飛長が四番機の編成で当直にあたっており即時待機命令のまま午後に突入していた
午後15時に差し掛かったころ敵機襲来の報を受けるも警報が発令された時には基地上空まで敵機が押し寄せてきており既に7〜8機のグラマン編隊が視認できたと言う
一番機杉田少尉と三番機宮沢二飛曹がスクランブルで離陸を開始
遅れた二番機笠井上飛曹と四番機田村飛長は発進できないままグラマンの銃撃やロケット弾による攻撃を受けて機外へ退避
その直後滑走路から飛び上がった杉田少尉と宮沢二飛曹は離陸時という一番隙きのある状態をグラマン編隊からの集中攻撃を受けて滑走路脇へ墜落
二名ともに戦死した
二人が墜落したその時まで発進中止命令は搭乗員たちまで届いていなかったという
杉田少尉の遺体は戦時下の前線ということもありしばらく裏山で放置されていたが菅野大尉や笠井上飛曹達の訴えによりそのぞんざいな扱いを知った源田司令は「杉田ほどの者を裏山で放置しておく奴があるか!」と大激怒
その翌日に火葬がされるも火葬で生じた煙におびき寄せられた米軍戦闘機隊に見つかり杉田少尉の遺体はロケット弾で吹き飛ばされた
戦後の343空関係者が集まった集会で杉田少尉の遺族が参加していなかった事を不審に思った笠井上飛曹が志賀飛行隊長に相談すると住所が変わり連絡がつかなくなっていたという
有志達によりなんとか杉田少尉の遺族と連絡がついたモノの杉田少尉の遺骨は家族の元に戻ることなく、軍関係者の元を転々とした後に身元があやふやになり最後は無縁仏として共同墓地に入ったという
21:08 22:52 度重なる仲間の死
杉田少尉が戦死した直後の同月21日、動画の通り出撃前日に菅野大尉と林大尉は口論になっていた
口論の原因はB29の撃退方法について
菅野大尉はヤップ島で沢山のB24を撃墜した【前方背面急降下】を提唱したが距離感をミスって敵機に体当たりしてしまう列機もあった為、林大尉は部下に危険無くこなせる撃墜方法があるはずだと反論した
またこの時期度重なる上空哨戒も空振りに終わり、思うように戦果が出なかったこと
国民や部下からの死亡者が止められなかったことに戦闘指揮官だった林大尉には相当なプレッシャーが掛かっていた
遂に林大尉は「明日君の言う戦術でB29を落とせなければ俺は帰って来ないぞ」と言う
菅野大尉は「ムキになること無いじゃないですか、落とせないのは仕方のないことでまた次に活かせばいい」と反論したが「いや、君はそれで済むかもしれないが私は納得出来ない」と林大尉に言われ遂に菅野大尉も「そこまで言うなら勝手にしてください、私も明日落とさなければ帰ってきません」と言い放ち別れた
翌日、昨夜のいざこざを見ていた出撃名簿を管理していた戦闘407の本田稔少尉は「何か思い詰めてるところがあるようですから私が代わりに出ます」と志賀淑雄飛行長を説得し出撃名簿から林大尉の名前を消した
しかし自分の名前がないことを確認した林大尉は勝手に出撃名簿に名前を書き加えて出撃してしまった
林大尉は上空でB29を補足するも自身の登場する紫電改はまたも増槽が落ちないトラブルが発生
増槽をつけたまま攻撃に入り戦闘301の清水一飛曹と共にB29を一機撃墜するも清水一飛曹は撃墜され未帰還、エンジンと垂直尾翼が被弾していた林大尉は海岸に不時着を決意するも落下しなかった増槽が砂浜にめり込み急激に制動がかかった事で計器盤に頭部を強打し頭蓋底骨折で死亡
その後戦闘407の二代目隊長として菅野直、関行男と同期の林啓次郎大尉が着任(前隊長の林喜重大尉と同姓だが親族関係はない)
しかし僅か2ヶ月後の6/22日、二代目隊長の林大尉も未帰還となった
同年7/24日、動画の通り杉田に代わるパイロットをと言う事で横須賀航空隊から武藤金義中尉が編入された
また編入の際はかねてより部下との折り合いがつかなかった坂井三郎中尉とトレードとしたが片目の見えない坂井との交換は割りに合わないと横須賀航空隊から猛反発を受け野口毅次郎少尉もつけた2対1の条件でようやく人員を入れ替えた
しかしこの初陣で米艦載機凡そ350機に21機で挑んだ剣部隊は6名の未帰還者を出し
その中の一人は武藤金義中尉、更にもう一人は戦闘701の隊長を務めていた鴛淵孝大尉だった
24日以降剣部隊の三大将はついに菅野唯一人になってしまった
また武藤中尉と仲が良かった坂井中尉はこの人員移動について武藤を身代わりにしてしまったようでと戦後もずっと気にしていた
また武藤中尉が撃墜されたと言う話を出せば「武藤ほどのやつが空戦で負けるわけがあるか!流れ弾に決まってる!」と激昂したという
閑話 未帰還機紫電改の一機
戦後34年の時を経て愛媛県愛南町の沖合に一機の紫電改が沈んでいた事を水中に潜っていた漁師が発見し、引き上げられた
また7/24日の豊後水道上空の大空戦があったその日
丁度その海に不時着した紫電改の姿を見たものが複数おり
343空所属で豊後水道空戦で被弾し不時着した機体だと言うことが判明した
また一部有識者の話によると戦闘301所属の機体である可能性が高く
操縦席の着座位置がかなり手前であったことから低身長であった武藤金義中尉が搭乗していた可能性が高いとされている
24:10 【人生はこれ闌干たる星辰の明滅の間】
開戦時に無敵を誇った帝国海軍も優秀な搭乗員が一人、また一人と減って行き補充も追いつかなくなった
敗色濃厚となった1944年4月に初陣を飾り、数多の戦場を駆け抜けた菅野直にも遂に終わりの日がやってくる
1945年8/1 九州に向けて北上中のB24を迎撃するため、隊長菅野大尉以下21機が長崎県の大村基地から出撃
この日の菅野大尉の搭乗機は343A-28号機だと言われている
(長らく343-A1号機と言われていたが、出撃直前に不具合が見つかり急遽変更になった為に出撃表はA1号機のままになっておりそれがそのまま広まったと当時の整備兵の証言が【源田の剣】に記載されている)
しかし動画にある通りこの出撃を最期に菅野は消息を経った
米軍のB24の戦闘記録にはこの日、撃墜した日本軍機の報告はない
また近くの空域で米軍のP51マスタングの部隊が四式戦疾風と空戦をしたと報告をしているが
この日に日本軍側で出撃した疾風の記録はない
P51マスタングの搭乗員達が疾風と紫電改を見間違えたという説もあるが
菅野大尉のすぐ近くを飛んでいた堀飛曹長はマスタングを見ていない
噛み合わない証言しか存在しておらず
菅野大尉は忽然と行方をくらませてしまった
戦後に源田司令は菅野大尉を戦死として二階級特進を具申
菅野大尉は中佐となったが、源田司令は「歳の離れた弟を亡くした気分だ」と悔やんだという
実は菅野が行方不明となる七年ほど前の中等部時代の日記の一文にこんな言葉がある
人生はこれ闌干たる星辰の明滅の間
(現代訳:人生とはまるで星々のあざやかな一瞬の光の瞬きのようなものである)
流れ星を見たことで覚えたどこか切なさを綴った日記の最後はこの言葉で締めくくられている
その言葉通り光のごとく輝き戦場を駆け抜けた菅野は流れ星のように空へ消えた
余談
菅野機の暴発は整備ミスだった?
戦後に当時飛行隊長を務めていた志賀飛行隊長の証言で「零戦や紫電改に搭載する20㎜弾が過去に輸入した物が余っており
それは暴発の危険性があった為、長らく別倉庫で保管していたものでした
しかし物資不足であった為か別倉庫に隔離されていたその20㎜弾が整備兵により降ろされてしまい
それが装填されてしまった、菅野機が機銃の暴発を起こしたのはそのためでした」と言う証言が残っている
シュレディンガーの菅野機
現在You Tubeに上がっている屋久島沖ダイビングの動画に一機の沈んでいる紫電改を映した物がある
この日の未帰還は菅野大尉を含めて3機であるが、紫電改の短い活動期間と沈んでいる場所が菅野が行方不明になった屋久島付近ということで菅野機の可能性は大いにあるとして議論を呼んでる
あの濁流の阿武隈川を泳いだのマジですげぇ
家族と部下の為に無茶する菅野直さん。
軍人として一人の人間として、とても魅力的な方を知ることができました。
素晴らしい内容でした。
中には他の人のずんだもん解説動画の中でも、歴史を全く知らない人のあり得ない解説もあったので、非常に残念に思ってましたが、今回の解説動画はタメになりました。
またこう言う解説動画を沢山作って広めてください!
偉大なる先人にいつも感動させられます。
泣けた😭 マジで泣けました😭
破天荒な性格で上官から睨まれても我が道を行き、同僚や部下からも慕われていた菅野直。欧米列強からアジアを開放する為、お国の為に命を賭して戦い、そして散っていった偉大な若き先人に、敬礼❗❗
これ何回も見ちゃう
菅野さん素敵すぎる
自分は飛行機が好きなので菅野直大尉乗機の紫電二一型(紫電改の前期型)のA15号機のプラモを30年位前に作って飾ってます。菅野直大尉の亡くなり方も知ってましたが、この動画を見て涙が出ました。戦争で亡くなられた全ての英霊に哀悼の意を表します。ご冥福をお祈りいたします。🙏
戦争を否定しても戦死者は否定するな
先輩!!
その通りだ!
好き好んで戦死した人なんていない。。。
どんな人でも人間でしたから。
そうですね。
戦争で亡くなられた方たちは、時代とはいえ、勇敢に戦った。
米軍との戦力差、ドイツよりも劣る日本の工業力、本当によく戦ったと思わずにはいられない。
もっと工業力があれば、日本に油田があれば、と思わずにはいられない。
紫電改のエースパイロット「菅野直」。
私は、この方が大好きですし尊敬してます。
菅野さんのことを破天荒とよく言ってますが、この方はマジで破天荒です。
ただ、この方は心底優しい方だと思います。
だからこそ魅かれるんです。
菅野さんの動画を作成してくれたup主さん、動画投稿ありがとうございます😄
ドリフターズ登場繋がりで山口多聞もやってほしいのだ
ヒラコーにより異世界に召喚されそんなヤベエヤツおらんやろ…って思われて実際はもっとヤベエヤツなの凄い。
私は「妖怪首おいてけ編」を何度目かのリピしてそのマンガを某フリマアプリでまとめ買いしたけど、この人のセリフ、ほとんどどなってて爆笑してましたが、あれもあれでヤベー奴でした…😅
こんな素晴らしい人物の動画を作ってくれてありがとうございます
ドリフターズで勉強嫌でありますって言ってたけどまさかの文学少年だったのか…
というかどうかホントに生きててドリフターズの世界に居てくれと思う漢。。
きっとオルテ帝国領内で竜撃墜したり、獣人飼いならした挙げ句空の神様とか適当名乗ったり、怪しいボリビア人(アメリカ人)とノリよく挨拶したり、ローマ人蹴ったり、多聞丸と相撲したり、薩人マッスィーンにトドメさしたり、鬼の副長本人相手に新選組とは何かと雑な説明したり、飛龍艦内でお勉強会したり、きっと元気にやりたい放題好き放題してるさ。だって菅野直だぜ?
個人的に機械油で天ぷら作って食べたら死にかけたエピソードも好き。チャレンジャーとかアレンジャーってレベルじゃないスケールだ。
ならば死ねとハッキリ言い切る多聞丸少将も大好きです(๑•̀ㅂ•́)و✧
わかんない…訳がわかんないけど、この方の生きざまを見たらスゴく泣けてきた。たぶん自分にないモノを全て持っておられる方だったのだろう。やはり生死を掛けて、一歩先の明暗もわからぬ生活をされてる方々の肝の座りは現代に生きる僕には1㍉もわからない何かがあるのだろう。
つくづくこの方々の献身に依って今の生活があると思うと感謝以外の何物でもない。
舩坂弘見たく生き残って欲しかった😢
感動しました。
マジでめちゃくちゃカッコいい人なんだよな、菅野大尉…
ここで扱われてないエピソードだと運動会でサボってたのがバレて全校生徒とその保護者の前で校庭3周半体育教師から逃げる謎レースとか機械油天ぷら事件とか
菅野大尉の必殺技の直上方背面急降下を紫電改でやると時速700キロオーバーでB29の胴体まで20mの位置まで近づくから米軍パイロットが大尉の表情が確認できたとか紫色のマフラーを巻いてるのが見えたって証言してるのも気合い入りまくりでカッコいいし
大尉が学生時代書いてた詩も中学生が書いたと思えないレベルの文章力で凄い良かった
外見からしてとんでもないイケメンだったりするし
@@龍小学45ねんせい ただ顔に関しては当時は貴公子とか魔王とかのあだ名がつく中(笹井中尉や西澤飛曹長等、あの人たちは顔もカッコいいけど…)
菅野大尉のあだ名は【ブルドッグ】なので当時はカッコいいとは思われてなかったっぽいんですよね
多分写真と実物は違うってやつなのかも知れません
当時は身長が高い=無条件でイケメンらしいです
@@亜鳳-z1u そうなんだ。私は写真の大尉めっちゃ好きやし、タイプだけどなあ。現代人の価値観ってやつ?
菅野デストロイヤーの響きいいな 5:56
空神様、行動もイケメンなら写真もイケメンなんだよなぁ…
菅野大尉は、自機にいつも「海軍少佐菅野直遺品」と、勝手に自分で1階級昇進させた遺品になるものを入れた箱を積んでいたそうです。
なお、橋が流されたことは自分の学校だけではなく、同じく対岸にある女学校などにも伝えに駆け込んだ。ほぼ全裸だったという。
あと帰りのほうが川は荒れてた。
戦闘機正面方向からの視点良いね。
ずんだもん動画界隈での同題材で、一番面白かったです。
本筋と違うけど、水木しげるが原住民と仲良くしているところを源田実に見られるも黙認されたという話は有名。
今村均閣下であります
ママと妹に飛んでる姿見せるとこと、ママの子への思いのとこええな😊
英霊のエピソードを分かりやすく伝えて下さりありがとうございます
多くの人に知ってもらえることが何よりの供養になると信じています、応援しています
英霊って言うけど多くの英霊たちが骨も拾われず戦地跡に置き去りにされてるんですよ。
上官に暴発の話もヤバかったけど家族の為に零戦かっぱらってきたとこでその思いを考えたら涙腺崩壊した。
子供の頃に読んだ太平洋戦争の劇画『撃墜王』でも、色んなエピソードは描かれていました。特攻隊▪関行男とも仲が良かったそうですね。杉田が亡くなって、自分も先がないと思ったのか、自分で骨箱を用意したそうです。
電車の近くを飛ぶお話は初めて知ったのですが、涙を誘いますね…。
世が世ならきっと、素敵な上司だったり文芸家だったんだろうな
😢菅野さんの生き様に涙がでました。
先人たちの功績に敬意を払いたい
他にも菅野さんと一緒に三羽烏と言われた鴛淵孝さんや林喜重さん、そして菅野さんの部下として活躍して散華してしまった杉田庄一さんや武藤金義さんにも敬意を払いたいです。
第二次世界大戦時は人間の感性が空戦の勝負を決める時代。この当時は世界中で天才といえるエースパイロットが沢山出た。だからロマンがある。今は視認以前に勝負が決まってしまう。
菅野さんに限らず、多くの将兵の犠牲の上に今の平和が有る事を忘れてはならず、又敵兵にも私たちと同じように「悲しむ家族」が居る事を思い、戦争と言う物が如何に馬鹿げた物かと言う事を忘れては成らないですね。戦争を始めるのは、常に「戦場に行かない奴」が決定し、自分が弾丸の的に成ろうとはせず、「兵士の命を数字でしか考えない」と言う輩は勝敗に関わらず糾弾すべきだと思います。
特攻隊を消耗品と考える上官を殴りつけるエピソードが漢過ぎる。
この頭悪い戦術だけは美化できない。
菅野大尉が部下から一人も特攻隊を出さなかったのが彼の人物像。
心より敬意を払いたい。
よく反逆罪で〇刑されなかったな
上官に対する暴行はどこの国の軍隊でも反逆罪になるからな
@@akibanokituneそれほど欠けてはいけない実力者だったんよな
@@xizy_
軍隊では実力より軍律だからな
実力があるからといってやりたい放題じゃ統率がとれなくなる。
菅野デストロイヤーホント好き
語感が馴染みすぎてるw
数的優位に立たれ、年を追うごとに強化・改良されていく敵機に対して新型どころか改悪までされたような機体では、どんどん撃墜されていくのも仕方なかったですね。
343航空隊の三羽烏と謳われた、鴛淵大尉、林大尉、菅野大尉の名トリオは最期まで健在でした。
3人とも戦死するところまでいっしょであったことが悲しい。
愛媛県に海中から引き上げられた、搭乗員不明の343航空隊の紫電改が展示されているので是非いつか見に行きたい。
ゼロ戦にのってれば間違っても死なないような連中がまとめて死んだところに紫電改の欠陥機ぶりがでてるな。杉田庄一みたいな地獄のラバウルまわりで生き抜いた奴でさえ死ぬ
危機回避能力が高い岩本が乗りたがらないわけだわ
@@ニシノフラワー0 いつまでも零戦に頼っていては駄目だ。零戦開発に携わった曽根技士は言ってましたね。
ラバウルなどのソロモン諸島でどれだけの零戦搭乗員が失われたことか。下手に航続距離なんて伸ばすから無茶なガダルカナル島往復なんてさせられて、空戦に加えて疲労で意識失って南海の海に消えた搭乗員もかなりいます。
おそらくコメ主はかなり戦時の海軍戦闘機の知識がお有りと思いますが、紫電改の改は紫電の欠点を見直して防弾、低翼などの改良を加えた意味を含めてます。
零戦52型よりも意識された紫電改の防弾で助かった搭乗員もかなりいる。
大戦末期の資源不足、熟練工不足、劣悪な工場で作られた飛行機による欠陥は川西でも三菱でも川崎でもあったことです。
一説によると、引き上げられて展示されている紫電改は、杉田庄一さんの後に菅野さんの下に配属になった武藤金義さんが搭乗されてた紫電改なのではないかという可能性もあるとか・・・
@@フレッチャー-g2q 武藤もなかなかに死にたがりだったからなあ。特攻帰りだったようなのを伝記で読んだ記憶があるが ちがったかな
特攻隊を志願した掩護任務で戦果を疑う上官に「暴発した」と発砲し、浮かれ騒ぐ上司に対して
「明日の命も知れぬ部下に規律も何もない、何ならお前が志願しろや」と啖呵を切る
それで見学に来た母と娘には国のためと言いながらも、最後にはかっぱらったゼロ戦を飛ばしてあげる優しさ…
BGMと相まって泣けるわあ(´;ω;`)
あれだけ訓練生時代機体を破壊したり、中型陸攻を無理な操縦をしていて墜落しても必ず生きて帰ってきていた人なだけに、最期の時がいくら自分が今まで乗っていた343-A-15機ではなかったとはいえ、まさかの機銃の暴発による機体の破損事故で行方不明で亡くなるなんて信じられないなと思った。普通なら無理矢理にでも機体をどこかに着陸させてけろっとした感じで生還してきていてもおかしくない気がする。
戦争末期で敗色濃厚であったのもある上に、自分の大切な部下である杉田庄一さんや武藤金義さん、同僚の鴛淵孝さんや林喜重さんが相次いで戦死されてしまったことの悲しみと、林さんが戦死する前に作戦をめぐっての口論をしてしまった結果、喧嘩別れになってしまったという自責の念で、精神的にも菅野さんは限界を感じてしまっていたのかもしれないと思う。
涙が止まらねーよ
英雄に感謝
文学ヤンキー。
学があるのにマシンオイルで天ぷら作って下痢になるとかいう訳分からんことしてる永遠の中学生男子でもある。
「デストロイヤー」の渾名が撃墜数じゃなくて乗機破壊で付けられたのはホント笑う。
デストロイヤー。英語の渾名が付いている所が海軍らしいですね。
@@及川良-c3o
そもそも、戦時中で海軍内とはいえデストロイヤーなんていう現代でも通用するような言葉があったのも驚きです。
@@フレッチャー-g2q何なら昭和十九年まで、海軍兵学校の試験に英語の問題があったらしいですよw
敵製語禁止なんてあんな大げさなもんじゃなかったらしいですからね。カキフライはカキフライ。草野球やってもセーフアウトをよし、だめなんて言わなかった
@@龍小学45ねんせい海軍にいたうちの祖父は「敵性言語なんてのは陸軍が勝手に言っとっただけや。海軍は普通に英語使っとった。わしは英語はわからんが」と言ってた。ちなみに祖父は日向の乗組員だった。
敵と味方から異名がついた理由が違いすぎて草
2つ名じゃなくて3つ名持ってて草
破天荒なエピソードばかり有名になってしまったけど
パイロットとしてはむしろ理知的かつ合理的なタイプで
学生のころは文学少年だったという一面もある
敵もデストロイ(撃墜)するし
自分の機体もデストロイ(事故その他)する
菅野デストロイヤー直
こんな偉大な先人達をもっと教科書に載せないとまずいんじゃないか
子供達がもっと自信を持てるような国作りをして欲しいしそういう人には協力したい
こういった素晴らしさが分かるのはまあ高校からだろう。高校のそういった方向性で学べば乗ってるのでは?
中学の義務教育に入れてはならないと思うがね
公立の中学や高校ではまず無理だと思います。
そもそも、杉原千畝さんや濱口梧陵さんのような明治から大正、昭和初期にかけて偉大な功績を残された人についての記録とか探すだけでも骨どころか、一切それ関係の図書は置かれないほど執拗なまでにかき消されてると思いますから。
この方のことを最近あちこちで知って大好きになりましたが、教科者は似合わないと思います。小説、ドラマ、マンガ、映画、講談そして動画配信などみんなが楽しむものから知って欲しいと思います。
戦闘機の神様ですね。前方を通り過ぎていくなんて…。
学生時代も弱きを助け強気を挫く…。
特攻をたかがっていう屑上官もいたんですね…。
菅野直さんは
男の中の男だ!
なぜ強い奴は優しく若くして死ぬのか😢
ガンダムとかで主人公が敵を何十機も一人で倒すとかありえねーとか思ってたけど実際それ以上のことやってるパイロットが現実にいるんだから事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもんだわ
ドリフターズで初めて知った人。
現代史の中であの作品に選出される魅力があるって分かりました
右に同じく。
源田さんの手記を読んだが、本当に惜しい人だった。いや菅野さんだけじゃないが…あと2週間で終戦だったのに。
最期は戦友や兄弟分を喪った事による寂しさに負けたんだろうか。
破天荒と呼ばれ周囲の反感も気にしない中で自身の部下に決して特攻させなかったり実は人間関係に関しては結構繊細だったのかもしれない。
自分もそれに関しては納得できる気がします。
菅野は中学の期末試験の時、自分は乗っている自転車で学校へ向かえば遅刻しなかっただろうに、徒歩で向かう友人を放っておけずに一緒に徒歩で学校へ向かい遅刻したという逸話を昔Twitterで見ました。人柄がわかるエピソードですよね。
記録的な豪雪で自転車の菅野はともかく徒歩の友人は絶対に間に合わないという状況で「こんな雪の日だからこそ弾む話もあるだろう」と一緒に談笑しながら登校したエピソードでしょうか
@@亜鳳-z1u
そのお話ですね。豪雪の話が抜けていました……。
中学生の頃から仲間想いなのが流石だなって思いました。
ドリフターズで知ったけれど、破天荒が服着て飛んでる感じだな
ぶっ飛び具合が、軍人さんには多いなあ
漫画の中でやってたこと史実でもやってるってのがまたぶっ飛んでるわ。
うわあ、面白かった・・・って言うか、感動しました。
こんな人がいたなんて知りませんでした。
勉強になりました、ありがとうございます。😢
「諸君ノ協力二感謝ス、ワレ、菅野一番」という最後の通信の後、「みんな、ありがとう」の言葉が何とも😢
林喜重機は今も阿久根海岸の浅い海底に眠ってます。
菅野機と思われるエンジンも屋久島沖で見つかってます。
こんな人達の魂が今の空自に受け継がれてると思うと誇らしい
てか、今の自衛隊ってこの手の変態の量産型だよなぁ
こういう仲間思いで戦闘激つよの人かっこよすぎる。
なんで歴史の勉強でこういう人は学べないんだろう。
かっこいいな。今の日本に是非いて欲しい人物だ。
菅野直と言えば文学少年だったのに女性に対しても中々に破天荒な事をした人だったなw
それと菅野直の逸話の中には撃墜されて不時着した村で米兵に間違われて殺されかかると言う話しもある。
良く戦争が終わって皆安堵したなど言うが、殆どの人が義憤にかられたり親族を失った憎しみに憎悪を米兵に向けていただろう。
それでも終戦出来たことが奇跡だったな。
全体的に笑えて面白かったんですけど、母と妹のとこは号泣不可避
ずんだもんで泣いたのは、初めてだわ。
この時代の日本軍航空隊は良くも悪くも日本特有の堅苦しい空気に縛られない人と、それを黙認しちゃう人(特に若い人)が結構いて、戦後若い航空隊隊員が多く採用された今の空自に通じる部分もある気がするから感慨深い
南太平洋海戦時に翔鶴の急降下爆撃隊の隊長を務めた関衛大尉とか、ドルトンプランという当時というか今でも極めて革新的かつ急進的な教育を受けたことを知って衝撃でした。その上戦前というか昭和の前の大正時代に日本の学校教育のみならず日本海軍でもそういう教育方法が一時期取り入れられてたことを知って更に驚きました。
菅野 直についても映画化してほしいなあ
それな
わかる
私、管野さん大好き
この動画何回か見てるんですけどほんとにいつ見ても感動します!
いつも、動画投稿ありがとうございます!
毎回動画見るの楽しみにしてますの😊
靖国神社に行きたく成った
今度上京する機会の際は必ず菅野さんに日本🇯🇵国を護ってくれた御礼を謹んで奉る
菅野直って最後行方不明だったからまたプリンスのふりの時みたいにしてそうなんだよなあ…
343航空隊はそれだけで一本の映画が作れるくらい話題の多い航空隊。取り上げていただきありがとう!
次は陸軍の小林照彦さんを取り上げて欲しいです🙇♂️
陸軍の撃墜王、黒江少佐も紹介してほしい。
ここは一つ、甲木清美飛曹長を…数少ない水上機エースの一人で強風での撃墜スコアという珍しい戦果をお持ち
しかも体当たり撃墜とかもしてる
(同僚でも乗機がはっきりしないけど水上機エースではと言われてる方がいます(松永英徳一飛曹))
他にも水上機エースの河村一郎飛曹長という方がおり…確認出来る日本の水上機エースはこの3人だそう…
藤田さんは別枠かな?
戦闘機に乗るバカ強い人は結構いたけど菅野隊長はかなり特攻に似てる戦法を使うのに当の本人は仲間思いで部下をバカにするやつは上官でも許さずに反論するの部下からは理想の上司だっただろうなぁ
日本は伝統的に下士官が強いんで戦闘機みたいな新分野だと下士官連中にそっぽむかれると仕事にならんから割と好きに言わせてる風潮がある
こんな人が居たんだ!
映画化出来そうな内容で感動しました🥹
ところどころほんまに泣ける
いつの間にか菅野さんより年上になっちまったよ。
震えるほど感動したのだ…
モブ隊員「なんか、発砲音したけどなんかあったの?」
説明中
モブ隊員「何だ、また菅野さんの拳銃が暴発したのか😅」
面白いチャンネルを見つけちまったぜ…
若し菅野が生きてたら…。
こんな上司を護る為だったら本当に生命をかけても良いと思わされる
多分相棒や部下も同じ思いで散ったと思います。
勉強できてガキ大将負けた相手は「あいついつどこで勉強してんの?」って話と飲んで嘆いてたとき上司からうるせえんだけど的な事を言われて「明日の命も分からぬものに何を言う‼️」って怒鳴ったのかっこいいよな😃
もしかしたら源田さんのような上司のもとだったからこそうまくやっていけたのかもね(小言は言わず敵機倒してこいそれだけ)😅
現代にも通ずるもので慕われる上司には人がついてくるんでしょうね😃
菅野さんはオヤジと慕っていたのは素敵ですね😃
バーサーカーは敵味方構わないってベルセルクであったな…
ドリフターズの菅野がイメージ強いから再生余裕
菅野直は本当に戦後の日本に必要な人だった
今の日本でいちばん必要な人物も菅野直だと思う……
・・・ただ、居たら居たで自衛隊の機体とかいくつか壊しそうな気が・・・💧
@@フレッチャー-g2q
たくさん潰しそうだけど部下思いなのはついて行く立場としてはすごくいいと思いません?笑
@@十六夜咲夜-s1e
確かに旧制中学校時代の時に、川を渡れなくて困ってる生徒たちのために台風で氾濫した川を泳いで学校に報せに行って、そこからまた氾濫した川を泳いで戻って先生の伝言を生徒たちに報せるような逸話を見たら、本当に慕いたくなります。
@@フレッチャー-g2q あとは、今の政治に対して真っ向から言ってくれそうなのでみんなついていけそうじゃないですか笑
@@フレッチャー-g2q
でもあの地域の角田市の当時クレイジー人間が多かったんよな。
洪水やからって鮭の密猟しまくってたりと。
やっちゃダメなことオンパレード地域よ
サムネの体当たりで撃破してるずんだもんがなぜか好きだ
菅野は滅茶苦茶凶暴な奴やったけど、部下には滅茶苦茶慕われていた。
それは菅野がとても部下思いで、部下の死に対して、誰よりも心を痛めていたから。
部下もそれが分かっていたから、菅野が滅茶苦茶な奴だと分かっていても心から慕っていた。
戦死したとき23才だったのか…。大卒の新人社員ぐらいの歳だったんだ…。
めちゃくちゃいい動画でした。
こんな素晴らしい人の犠牲があって私達は今を生きれてるんですね。
凹んだ時何回も見返します。
23歳。若いよなあ・・・
そして門をくぐって放り込まれた異世界で竜騎兵相手にドッグファイトをし、不時着した先で「王様」になり猫族を従え、先に異世界に来ていた空母飛龍に着艦し山口多門と相撲して負けて、「たった二人の二航戦」を立ち上げる。
現実も破天荒だが、異世界に行っても破天荒すぎる漢、それが「菅野直」。
なんていう漫画?
@@勝てない-g6g
他の人のコメントにもちょいちょいある平野耕太先生の「ドリフターズ」(ヤングキングアワーズ・少年画報社)という漫画。
09年から連載しているが、非常にペースが遅く、現時点でも単行本は7巻しか出ていない。
@@勝てない-g6gDRIFTERS(ドリフターズ)じゃないかね?我も、DRIFTERSは見てないから絶対では無いけど、可能性は高い
2:09ぐらいのずんだもんの耳ピクピクすごい好き
よく見たら他のとこもピクピクしてるやんけ
映画化してほしい。
11:55 ここからの話泣ける。まるでなろう主人公じゃん