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【訂正】16:50 浜松城と表記されていますが、画像の表示ミスです。失礼いたしました。
今回の動画で全容が、良く分かりました。これを踏まえての大河、三方ヶ原の戦いが楽しみです!
②もわかりやすく、楽しく拝見させていただきました✨今月初めに犀ヶ崖に行きましたが、やっぱり覗き込んで見るのは怖かったです…。今でもお盆には犀ヶ崖で転落死した武田軍の魂を鎮めるために始まったといわれる「遠州大念仏」が行われますよ🙏
とうとうあの赤い軍団 武田信玄が甲斐信濃の大軍勢が遠江 三河まで来ますね!愛知の三河地方に住んでますので、ドラマ見てると実際に現代なのに本当に山超えて来るんじゃないかって思っちゃいます
合戦の場所ですが根洗に霊園があって石碑が立っていて詳細が記載されてますが、そこが戦場では無い事は各資料館で述べられております・・が祝田の都田川近辺の石碑等を見るに・・都田川を背にした武田軍が祝田の坂を駆け下りた家康軍を迎え撃った・・説が有力とされておりますね・・なので地名的には祝田ではないかとの事みたいですね。自宅周辺の石碑等を見ると武田軍が通ったと書いてあるので、浜松城近辺まで来たが見せかけて誘い出して祝田の坂の下での待ち構え・・だろう説が地元でも強いです。ちなみに自宅から浜松城まで10キロありますが台地なので見えなくは無いですが当時は今ほどの街並みでは無いので恐らく城は見えたんだろうと思ったりします。解説ありがとうございました。
徳川方が武田本陣近くまで切り込んでいたのは知らなかったです。しかしそうすると、家康が鶴翼の陣、信玄が魚鱗の陣というのが不思議でした。鶴翼の陣はどちらかというと防御陣形で、魚鱗の陣が前進しやすい形態のイメージです。鶴翼の陣で武田本陣に切り込むとその時点で陣形が壊れてしまいそうですね、、、
武田信玄すごいなぁ
タイトルのどうする、家臣団の和気藹々としたシーン、夏目や忠真の登場、信玄を大きな存在として出す、金ヶ崎・姉川の戦シーンの少なさ…これら全てが三方ヶ原の戦いの為だったと思える様な合戦をやって欲しいですね。戦国時代の大河なんですから…次の大河では戦シーンも少なそうですし。
三方ヶ原①に続き、②もコメントを含め本当に為になりました🤓🙏。地の利を活かした徳川方の反撃もあったんですね!。大切な三河の家臣の討死。それを教訓に天下統一を実行した家康。逆に武田は滅亡が待っている😢。三方ヶ原はとても因縁のある戦いですね。平手氏は正秀、汎秀と云い、一本気な性格なんですかね😅。
大久保忠世の夜襲かっこいい反撃👍
家康さん負けてしまった戦いさあどうする家康ではどんな戦いなるか楽しみじゃあ🐻
三方ヶ原はさすがに「なんやかんや〜」で済ましてほしくないなぁ。。。
堀川城攻めを計画していて浜名湖水運をたとうとしていたということは浜松城をある種兵糧攻めにするつもりだったということですかね。信玄は信長の大軍が近くに迫ってるという虚報に惑わされて直接対戦は望んでなかったぽいので三方ヶ原の戦いが起きなかった世界線は気になります。浜松城を落とすのにどれだけかかったか。信玄は浜松を攻略する切り札が他にもあったのでしょうかね。
高坂弾正、馬場信春😍👍本多忠勝、榊原康政、徳川家康👍
いつもながらわかり易い解説ありがとうございます😊信長の援軍三千、精一杯か出し惜しみかで全然違う気がします。信長の置かれた状況から精一杯ということでしょうか?
いつも楽しく拝見しております!16:50 の浜松城の場所は天竜川の東岸になるでしょうか?現在の浜松城の位置と違ったので質問させて頂きました。お時間のある時にご返答頂けたら幸いです。
失礼しました。画像の表示ミスです。訂正してお詫び申し上げます。
なんやかんやありまして歴史的大敗を期した我らが神の君にならなくてほんとに良かった😅ちゃんとやってくれた笑
武田信玄「どうせ家康は一国衆」と思いきや想像以上に圧を受けて三か年の鬱憤を晴らす!となって家康もまた「あれ?信玄って思ったより大したことなくね?」ってなってたら強烈なしっぺ返し受けてとお互いに相手を軽く見た結果互いにツケを払う(信玄は最終的に外交的に織田と手切れになってしまう、家康はガチで死にかける)という展開よね定期的に松潤家康腹痛がるから大敗後速攻で厠に全力疾走するやつか…?w
犀ケ崖の夜襲は江戸幕府によって編纂された資料で初めて出てきたから、実際あったかは甚だ疑問
武田家が京に向かうとき甲斐本国の守り兵力はどのくらいだったのですか?
水野信元は信長のおじさん と解説されましたが、家康のおじさんですね。ご確認くださいませ。
信玄は三方原の戦いに勝つも、家康がいる浜松城を攻めずに、三河へ進軍して野田城を落としますが、信玄の病が重くなって甲州へ帰国することにして、道中の信濃で亡くなります。ただ本当に信玄が信長と決戦して上洛を目指すなら、家康を滅ぼすか降伏させなければ背後に憂いを残すことになり、なぜ浜松城を攻めなかったか、信玄の思惑が疑問です。信玄の病が重いので、要塞堅固な浜松城を攻めるような時間がかかる戦を避け、三河を攻めて守備が手薄になっている岡崎を攻めることで、家康を浜松城の外へまたも引っ張り出して、今度こそ野戦で家康を討ち取る腹積もりが、信玄の病が予想より早く危篤になり、岡崎まで進軍できなかったのかなと思っております。
いつも楽しく拝聴しております。ところで、家康が三方ヶ原で打ち取られ、その後は影武者が家康として云々…という小説があるとのことですが。隆慶一郎の影武者徳川家康は関ヶ原後ですが、それとは別ですか?
三方原はナレ合戦は許されない
確かに❗️三方原の戦いを例の『何やかんやありまして〜』では許されない😱
三方ヶ原の屈辱から長篠の雪辱への流れは家康大河の山場になりそうですからね
なれだよ😂
戦はボロッカスに負けたけど、領地的な話では徳川家はそこまでやり込められていない、不思議な武田の西上作戦。ブシドーさんに地元の地名を色々言ってもらえたことだけでも、嬉しいです😊
犀ヶ崖は、行きました!
夏目広次の討死の場所にも、行きました。
@@はりきたかし 様 実際に歴史の跡地を行かれて羨ましいです😊。『崖』が付く地名から、かなり険しい所なのでしょうか?今も残る地名や地図から歴史浪漫を感じます😊。
三方ヶ原は、どう描かれますかね。楽しみです。まさか、松潤に脱糞させるのか😅
狭い土地で陣形ってどうやるんでしょうね?
もっとも重要な要素は兵力だと思います。徳川軍8,000、織田軍3,000、合計11,000。武田軍20,000、北条軍1,000、合計21,000。武田軍が徳川軍のほぼ2倍です。武田軍3万、つまり3倍の兵力だったという説もあります。三方ヶ原で決戦をしたのだから、3倍は多過ぎると思います。3倍の兵を前にしたら、即撤退すると思います。2倍なら頑張れば勝てるかもしれません。次に陣形です。少数の方は、包囲されると危険なので、横に開いた陣形(鶴翼の陣)を取るのは合理的です。横から攻撃されたり、後ろに回り込まれて退路を塞がれるのが一番危険です。問題は多勢である武田軍が鶴翼の陣ではなく、縦長の陣形(魚鱗の陣)を取ったのか。これは、自分たちをなるべく少数に見せるためだったと思います。また、側面に回り込む作戦は取らいないという意思表示たと思います。ボクシングで言えば、ノーガードに似た陣形だと思います。武田信玄としては、ただ勝つだけではなく、圧勝したかったと思います。できれば家康を討ち取りたかったのでしょう。そのためには、まず相手に攻めさせ、その後カウンターを決めたかったのだと思います。すぐ浜松城に逃げ帰られては困るのです。そのために魚鱗の陣を敷いたのだと思います。信玄の思ったように、徳川軍は勇敢に攻撃をして、武田陣深く攻め込みます。これが徳川軍の大敗北につながります。攻め込んだ徳川軍には隙が生まれ、そこに新手が攻撃を仕掛け、徳川軍は総崩れを起こします。
小豆の逸話他は幅広く数が多すぎて嘘か家康ではなく逃げてきた家臣たち正解があるとしたらおかゆのお礼に家康に名字をもらったというおかゆさんの話だけでしょうね
三方ケ原の戦いは戦闘としては武田軍が勝利したの間違いありませんが、徳川としては三河、遠江の国人に武田と戦う意思をしめせたし、戦いの後の武田軍の停止等をみると戦略的に見た場合に武田軍の勝利と言えるのでしょうか??三方ヶ原の戦いは戦略的な面での評価が行われていない様に思う。
先生! 自説を堂々と展開して下さいませ😡 何を怖れておろれますか。 信じるままに己の説を主張して下さいませ! 歴史話は所詮、語りで御座います🥰
小豆餅 桃配山地名面白い
なんやかんやで…
徳川軍の鶴翼より、矢法の陣形が勝てたはずでござる、武田軍の戦術が強いでござる😮
側室 高坂昌信😮
昨日、三方原の戦いありましたが、あっという間に家康が打ち取られて終わってましたね、、NHK受信料払うの辞めようかな
夜討=ようち
信玄公、得るもの無く帰路途中で死亡した事を思うと、この戦、家康公の勝ちではないか?
信玄がいくら舐めていたとしても背後をがら空きにして西に進むとは考えづらい。三方原で魚鱗の陣を敷いて待ち構えていたのは、浜松城の抑えの兵として残された少数の兵だったのではと想像する。魚鱗鶴翼のおかしな陣形も納得できるし、勝ち戦なのに武田側の有名武将の戦功など殆ど聞かない。大軍に向かって勇猛に攻めたのではなく、少数の兵なら勝てると扮で出陣したものの返り討ちにあったというところだろう。
負けて逃げるときに小豆餅を食い逃げしたとんでもない東照大権現がいるそうですよ!!茶屋のおばあちゃんに申し訳ないと思わないのですか!!
「我が君家康は三万ケ原からなんやかんりゃがあり無事に浜松城に撤収しました」なら受信料払わないぞ😠
これやったらいよいよ切りですね…
@@yukuyuku7231 様 仰る通りです。何やかんやで済まされるなら、『大河ドラマ』の意義がありません。
徳川家の火事やからなんやかんやはないやろ (`=ω=)”“(-ω-`) たぶん
@@知花信 様 本当に三方ヶ原は家康の大事な局面ですよね。ドラマなりに合戦を描いて欲しいです😣🙏
小山田信茂は、武田家に対し止め刺したという風に裏切った印象があるな。
ある意味、信玄は家康の息子の徳川秀忠と同じ過ちを犯したのでは? 信玄の上洛目的は信長を殺すのが第一目標。浜松をスルーして信長との戦いを速攻でやるべきだった。信長も信玄にそれをされたら、自分の命がないのをわかっている。関ケ原に直行すべき秀忠が上田で真田に手間取って関ケ原の戦いに遅れ、しかも真田を打ち取ることに失敗したのと同じだ。信玄も同様に家康に手間取り、家康を討ち取る事にも失敗。貴重な先のない寿命という時間を浪費してしまった。信長を殺せば、家康はその後でどうにでもなったのに、、やはり川中島で、信繁その他、諫言できる有能な部下を失ったことが信玄の判断を狂わせたのだろう。そして、改めて家康が強大な敵に攻められても、しぶとく戦う戦上手なのがわかる。
徳川をスルーして信長と戦ったら挟み撃ちに合うでしょ😅信長の軍勢は多いし、それに加えて背後からの徳川8000だと流石の信玄でも勝てないよ。信玄のミスは、寿命が尽きる寸前まで軍事行動を決断出来なかった事。一、二年早ければね
信長包囲網の山場なんやけど足利公方の暗躍はどないして描くやろうか?覚慶様改めあのおぢゃる公方様がバリ (`=ω=) ボリ ···(-ω-`;)···金平糖 あない食うたらドン引くw
戦場の位置の特定も出来ていないのであれば、陣形や配置も怪しいモノです。今回の解説も、自分の説を押し通そうとやっきになってる、歴史家の創作の部分が殆どでしょwけっきょくのところ、歴史家も、歴史小説や軍記物の作家たちも、大して変わらない。どちらも、ただの創作の域を出ないのだから。
武田は合戦には勝ったが何一つ この作戦で得てない三方が原のあと 浜松城を攻めなかったのは 攻められなかったんじゃない 榊原が浜松城の近くに陣を構えてなたから 損害がでるから仕方なく 野田に向かったんだよ
【訂正】16:50 浜松城と表記されていますが、画像の表示ミスです。失礼いたしました。
今回の動画で全容が、良く分かりました。これを踏まえての大河、三方ヶ原の戦いが楽しみです!
②もわかりやすく、楽しく拝見させていただきました✨今月初めに犀ヶ崖に行きましたが、やっぱり覗き込んで見るのは怖かったです…。今でもお盆には犀ヶ崖で転落死した武田軍の魂を鎮めるために始まったといわれる「遠州大念仏」が行われますよ🙏
とうとうあの赤い軍団 武田信玄が甲斐信濃の大軍勢が遠江 三河まで来ますね!愛知の三河地方に住んでますので、ドラマ見てると実際に現代なのに本当に山超えて来るんじゃないかって思っちゃいます
合戦の場所ですが根洗に霊園があって石碑が立っていて詳細が記載されてますが、そこが戦場では無い事は各資料館で述べられております・・が祝田の都田川近辺の石碑等を見るに・・都田川を背にした武田軍が祝田の坂を駆け下りた家康軍を迎え撃った・・説が有力とされておりますね・・なので地名的には祝田ではないかとの事みたいですね。自宅周辺の石碑等を見ると武田軍が通ったと書いてあるので、浜松城近辺まで来たが見せかけて誘い出して祝田の坂の下での待ち構え・・だろう説が地元でも強いです。ちなみに自宅から浜松城まで10キロありますが台地なので見えなくは無いですが当時は今ほどの街並みでは無いので恐らく城は見えたんだろうと思ったりします。解説ありがとうございました。
徳川方が武田本陣近くまで切り込んでいたのは知らなかったです。
しかしそうすると、家康が鶴翼の陣、信玄が魚鱗の陣というのが不思議でした。
鶴翼の陣はどちらかというと防御陣形で、魚鱗の陣が前進しやすい形態のイメージです。
鶴翼の陣で武田本陣に切り込むとその時点で陣形が壊れてしまいそうですね、、、
武田信玄すごいなぁ
タイトルのどうする、家臣団の和気藹々としたシーン、夏目や忠真の登場、信玄を大きな存在として出す、金ヶ崎・姉川の戦シーンの少なさ…これら全てが三方ヶ原の戦いの為だったと思える様な合戦をやって欲しいですね。
戦国時代の大河なんですから…次の大河では戦シーンも少なそうですし。
三方ヶ原①に続き、②もコメントを含め本当に為になりました🤓🙏。地の利を活かした徳川方の反撃もあったんですね!。大切な三河の家臣の討死。それを教訓に天下統一を実行した家康。逆に武田は滅亡が待っている😢。三方ヶ原はとても因縁のある戦いですね。平手氏は正秀、汎秀と云い、一本気な性格なんですかね😅。
大久保忠世の夜襲かっこいい反撃👍
家康さん負けてしまった戦いさあどうする家康ではどんな戦いなるか楽しみじゃあ🐻
三方ヶ原はさすがに「なんやかんや〜」で済ましてほしくないなぁ。。。
堀川城攻めを計画していて浜名湖水運をたとうとしていたということは浜松城をある種兵糧攻めにするつもりだったということですかね。信玄は信長の大軍が近くに迫ってるという虚報に惑わされて直接対戦は望んでなかったぽいので三方ヶ原の戦いが起きなかった世界線は気になります。浜松城を落とすのにどれだけかかったか。信玄は浜松を攻略する切り札が他にもあったのでしょうかね。
高坂弾正、馬場信春😍👍本多忠勝、榊原康政、徳川家康👍
いつもながらわかり易い解説ありがとうございます😊
信長の援軍三千、精一杯か出し惜しみかで全然違う気がします。
信長の置かれた状況から精一杯ということでしょうか?
いつも楽しく拝見しております!16:50 の浜松城の場所は天竜川の東岸になるでしょうか?現在の浜松城の位置と違ったので質問させて頂きました。お時間のある時にご返答頂けたら幸いです。
失礼しました。画像の表示ミスです。訂正してお詫び申し上げます。
なんやかんやありまして
歴史的大敗を期した我らが神の君
にならなくてほんとに良かった😅
ちゃんとやってくれた笑
武田信玄「どうせ家康は一国衆」と思いきや想像以上に圧を受けて三か年の鬱憤を晴らす!となって家康もまた「あれ?信玄って思ったより大したことなくね?」ってなってたら強烈なしっぺ返し受けてとお互いに相手を軽く見た結果互いにツケを払う(信玄は最終的に外交的に織田と手切れになってしまう、家康はガチで死にかける)という展開よね
定期的に松潤家康腹痛がるから大敗後速攻で厠に全力疾走するやつか…?w
犀ケ崖の夜襲は江戸幕府によって編纂された資料で初めて出てきたから、実際あったかは甚だ疑問
武田家が京に向かうとき甲斐本国の守り兵力はどのくらいだったのですか?
水野信元は信長のおじさん と解説されましたが、家康のおじさんですね。
ご確認くださいませ。
信玄は三方原の戦いに勝つも、家康がいる浜松城を攻めずに、三河へ進軍して野田城を落としますが、信玄の病が重くなって甲州へ帰国することにして、道中の信濃で亡くなります。
ただ本当に信玄が信長と決戦して上洛を目指すなら、家康を滅ぼすか降伏させなければ背後に憂いを残すことになり、なぜ浜松城を攻めなかったか、信玄の思惑が疑問です。
信玄の病が重いので、要塞堅固な浜松城を攻めるような時間がかかる戦を避け、三河を攻めて守備が手薄になっている岡崎を攻めることで、家康を浜松城の外へまたも引っ張り出して、今度こそ野戦で家康を討ち取る腹積もりが、信玄の病が予想より早く危篤になり、岡崎まで進軍できなかったのかなと思っております。
いつも楽しく拝聴しております。
ところで、家康が三方ヶ原で
打ち取られ、その後は影武者が家康として云々…という小説があるとのことですが。
隆慶一郎の影武者徳川家康は関ヶ原後ですが、それとは別ですか?
三方原はナレ合戦は許されない
確かに❗️
三方原の戦いを例の『何やかんやありまして〜』では許されない😱
三方ヶ原の屈辱から長篠の雪辱への流れは家康大河の山場になりそうですからね
なれだよ😂
戦はボロッカスに負けたけど、領地的な話では徳川家はそこまでやり込められていない、不思議な武田の西上作戦。
ブシドーさんに地元の地名を色々言ってもらえたことだけでも、嬉しいです😊
犀ヶ崖は、行きました!
夏目広次の討死の場所にも、行きました。
@@はりきたかし 様 実際に歴史の跡地を行かれて羨ましいです😊。『崖』が付く地名から、かなり険しい所なのでしょうか?今も残る地名や地図から歴史浪漫を感じます😊。
三方ヶ原は、どう描かれますかね。
楽しみです。まさか、松潤に脱糞させるのか😅
狭い土地で陣形ってどうやるんでしょうね?
もっとも重要な要素は兵力だと思います。徳川軍8,000、織田軍3,000、合計11,000。武田軍20,000、北条軍1,000、合計21,000。武田軍が徳川軍のほぼ2倍です。武田軍3万、つまり3倍の兵力だったという説もあります。三方ヶ原で決戦をしたのだから、3倍は多過ぎると思います。3倍の兵を前にしたら、即撤退すると思います。2倍なら頑張れば勝てるかもしれません。
次に陣形です。少数の方は、包囲されると危険なので、横に開いた陣形(鶴翼の陣)を取るのは合理的です。横から攻撃されたり、後ろに回り込まれて退路を塞がれるのが一番危険です。問題は多勢である武田軍が鶴翼の陣ではなく、縦長の陣形(魚鱗の陣)を取ったのか。これは、自分たちをなるべく少数に見せるためだったと思います。また、側面に回り込む作戦は取らいないという意思表示たと思います。ボクシングで言えば、ノーガードに似た陣形だと思います。
武田信玄としては、ただ勝つだけではなく、圧勝したかったと思います。できれば家康を討ち取りたかったのでしょう。そのためには、まず相手に攻めさせ、その後カウンターを決めたかったのだと思います。すぐ浜松城に逃げ帰られては困るのです。そのために魚鱗の陣を敷いたのだと思います。
信玄の思ったように、徳川軍は勇敢に攻撃をして、武田陣深く攻め込みます。これが徳川軍の大敗北につながります。攻め込んだ徳川軍には隙が生まれ、そこに新手が攻撃を仕掛け、徳川軍は総崩れを起こします。
小豆の逸話他は幅広く数が多すぎて嘘か家康ではなく逃げてきた家臣たち
正解があるとしたらおかゆのお礼に家康に名字をもらったというおかゆさんの話だけでしょうね
三方ケ原の戦いは戦闘としては武田軍が勝利したの間違いありませんが、徳川としては三河、遠江の国人に
武田と戦う意思をしめせたし、戦いの後の武田軍の停止等をみると戦略的に見た場合に武田軍の勝利と言え
るのでしょうか??
三方ヶ原の戦いは戦略的な面での評価が行われていない様に思う。
先生!
自説を堂々と展開して下さいませ😡 何を怖れておろれますか。 信じるままに己の説を主張して下さいませ! 歴史話は所詮、語りで御座います🥰
小豆餅 桃配山地名面白い
なんやかんやで…
徳川軍の鶴翼より、矢法の陣形が勝てたはずでござる、武田軍の戦術が強いでござる😮
側室 高坂昌信😮
昨日、三方原の戦いありましたが、あっという間に家康が打ち取られて終わってましたね、、NHK受信料払うの辞めようかな
夜討=ようち
信玄公、得るもの無く帰路途中で死亡した事を思うと、この戦、家康公の勝ちではないか?
信玄がいくら舐めていたとしても背後をがら空きにして西に進むとは考えづらい。
三方原で魚鱗の陣を敷いて待ち構えていたのは、浜松城の抑えの兵として残された少数の兵だったのではと想像する。
魚鱗鶴翼のおかしな陣形も納得できるし、勝ち戦なのに武田側の有名武将の戦功など殆ど聞かない。
大軍に向かって勇猛に攻めたのではなく、少数の兵なら勝てると扮で出陣したものの返り討ちにあったというところだろう。
負けて逃げるときに小豆餅を食い逃げしたとんでもない東照大権現がいるそうですよ!!茶屋のおばあちゃんに申し訳ないと思わないのですか!!
「我が君家康は三万ケ原からなんやかんりゃがあり無事に浜松城に撤収しました」なら受信料払わないぞ😠
これやったらいよいよ切りですね…
@@yukuyuku7231 様 仰る通りです。何やかんやで済まされるなら、『大河ドラマ』の意義がありません。
徳川家の火事やからなんやかんやは
ないやろ (`=ω=)”“(-ω-`) たぶん
@@知花信 様 本当に三方ヶ原は家康の大事な局面ですよね。ドラマなりに合戦を描いて欲しいです😣🙏
小山田信茂は、武田家に対し止め刺したという風に裏切った印象があるな。
ある意味、信玄は家康の息子の徳川秀忠と同じ過ちを犯したのでは? 信玄の上洛目的は信長を殺すのが第一目標。浜松をスルーして信長との戦いを速攻でやるべきだった。信長も信玄にそれをされたら、自分の命がないのをわかっている。関ケ原に直行すべき秀忠が上田で真田に手間取って関ケ原の戦いに遅れ、しかも真田を打ち取ることに失敗したのと同じだ。信玄も同様に家康に手間取り、家康を討ち取る事にも失敗。貴重な先のない寿命という時間を浪費してしまった。信長を殺せば、家康はその後でどうにでもなったのに、、やはり川中島で、信繁その他、諫言できる有能な部下を失ったことが信玄の判断を狂わせたのだろう。そして、改めて家康が強大な敵に攻められても、しぶとく戦う戦上手なのがわかる。
徳川をスルーして信長と戦ったら挟み撃ちに合うでしょ😅信長の軍勢は多いし、それに加えて背後からの徳川8000だと流石の信玄でも勝てないよ。信玄のミスは、寿命が尽きる寸前まで軍事行動を決断出来なかった事。一、二年早ければね
信長包囲網の山場なんやけど
足利公方の暗躍はどないして描くやろうか?
覚慶様改めあのおぢゃる公方様が
バリ (`=ω=) ボリ ···(-ω-`;)···
金平糖 あない食うたらドン引くw
戦場の位置の特定も出来ていないのであれば、陣形や配置も怪しいモノです。
今回の解説も、自分の説を押し通そうとやっきになってる、歴史家の創作の部分が殆どでしょw
けっきょくのところ、歴史家も、歴史小説や軍記物の作家たちも、大して変わらない。
どちらも、ただの創作の域を出ないのだから。
武田は合戦には勝ったが
何一つ この作戦で得てない
三方が原のあと 浜松城を攻めなかったのは 攻められなかったんじゃない 榊原が浜松城の近くに陣を構えてなたから 損害がでるから
仕方なく 野田に向かったんだよ