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信元の何代か前に分かれた傍流の末裔です。私の家系は尾張の国衆として続き、織田信長に、その後は尾張徳川家に仕えました。愛知県には水野姓が5万人もいるので、我が家と同じような境遇の水野氏傍流も数多くいると思います。一族の者について詳しく解説してくれてありがとう。
水野信元の解説ありがとうございました‼️本日刈谷のトークショー行ってまいりました‼️刈谷城跡や緒川城など訪れ、より深く理解することができました。感謝します❤
水野信元の甥っ子、水野勝成くんも機会があればぜひ取り上げて下さい。
待ってました!
白か黒かの曖昧なところはグレーじゃなくてオフホワイトなのが笑えました😅
「麒麟がくる」では、みんな大好き和田義盛こと横田栄司さんが演じられていましたね
最終的に信長からしたら家康が後ろ盾故に邪魔になり始末したのが真意かもね
鎌倉殿〜でいうところの、上総広常みたいな立ち位置だったんでしょうか?時代は違いますけど
旧日本陸軍の見積りでは、1万石あたり250人の動員力があるとされてますから、3000人の動員力からすると12万石ぐらいの領地だという事になりますね。
あ、フロイスの水野の動員力が3000という記述に対してであって、三方ヶ原の援軍の話ではないです。
織田徳川において重要なキーマンだから色々描いてほしいですね築山事件や石川数正出奔にも影響したという説もあるし掘り下げればいくらでも物語を面白くできる人物ただ残り尺を考えるときついかな
家康の母の兄だとこちらの伯父ですね
尾張の知多半島という重要な地を領有する戦国大名で、信長の同盟者。尾張の信長と三河の家康の同盟を仲介出来るだけの力を持っている。ただ、1570年代から織田信長の勢力拡大によって織田家家臣の中でも秀吉・光秀・勝家など、水野信元クラスの石高を持つ武将も現れたので、家康みたいに同盟者から家臣的扱いになっていったというのはあるかもしれないが。
信元の弟忠重の兄弟喧嘩に始まって勝成迄流れ来ないかなぁw生涯現役の鬼日向大好きなんだ。
使者が死者...Yeah
座布団1枚あげますね
しかしその正体は真田の乱破なのであった
援軍で3000の兵を率いているという事から逆算すると最低でも10万石以上の大名クラスだったと考えて良さそうですね。
一般的にはちょうど10万石か。あるいは備えを一つ形成するためにほかの武将も混じって兵3000を水野が率いてたとか、人使いが荒い信長だから8万石に無理やり3000の負担かけてたこともありうる。所領の場所が安全でしかも豊な場所だしなあ。
信玄ロスになりそう
佐久間信盛と水野信元は利害関係が競合していたんでしょうね。佐久間信盛は折檻状で緒川(水野信元の旧領)衆を取り立てないことを責められたりしてますね。つまり、佐久間信盛は水野信元の旧領を与えられたのに旧臣は放置状態だったってことです。
天下無双の やっぱり水野勝成かなぁ
NHkの大河の主人公にしたい面白い武将ですね。家康より1歳年上の叔父ですが、カッとなるとすぐに相手を斬殺してしまう。父の重臣を気に入らないといって斬殺、それで父から勘当され、15年におよぶ浪人生活をおくり、その間、無頼の徒となり、舅や、茶席では茶頭を斬殺。しかし、どういうわけか家康からは気に入られ厚遇され、大阪の夏、冬の陣でも活躍。現代なら反社の世界か、牢屋で生涯を送るような人物だ。ピカレスクロマンになってしまうので、やはりNHKでは無理か?しかし、彼の人生には家康、信長、秀吉、本多、井伊等がかかわり、面白い波乱万丈のストーリーになると思うのだが。
遠江(とおとおみ)というワードをブシドールさんに言ってもらえるだけで幸せです😊
三千の兵を率いていたとなると石高は12万石ぐらいかな。真田丸の真田昌幸も武田滅亡後は似たような規模の大名なのか国衆なのか微妙な感じになっていましたね。
叔父で無く(伯父)です。日本語の漢字は細かいです。南無阿弥陀仏
累代の重臣と同盟(従属)国人、その上、佐久間氏と水野氏の勢力圏が隣接してた(愛知郡と知多郡北部・碧海郡)ってのも有って、仲は悪かったでしょうね。織田家は尾張国内の家臣化していない国人衆の統制を計ってたかもしれません。愛知郡丹羽氏も境目の国人として警戒されてますし。そこまでしているのに佐久間信盛の追放(逐電)や尾張林氏・愛知郡丹羽氏の追放で再編成の必要が有り、水野氏復帰ってながれでしょうか?
佐久間さーん!
水野さんは、家康さんの、叔父さんなの?今日はじめて知りました。解説動画ありがとうございました。🐧
明らかに劣勢の頃から織田家を選んで付き従ってきたこーいうやつをお前もういらんわって殺したり追放するから光秀に殺されたんやろな
水野の領地の真上が佐久間の所領で水野誅殺の後はその領地は佐久間に与えられてる。織田徳川の中間で邪魔な存在になったんですかね。転封の提案を蹴ったとか
三浦義村感ありますよね…
まあ、山本義村は最後までギリ逃げる事出来た人生だったから…
@@y--sizuki 山本…?
@@izumi-pellet 鎌倉殿の13人で山本が演じてたからだよ
飲み会が切りあいに発展…どこぞの地方じゃ囲碁やってて誤チェストの話もあるからセーフセーフ
あれ?その話にも水野さんが絡んでいるような?
現在の知多半島の戸田氏を駆逐し全域を領有化可能性のある記録があるので、24万石もあながち間違いではないのかも?この時期の知多半島は公益都市であったので資源が豊富で動員兵力がそこそこだったのもそのせいかもしれません。
水野信元は浅井クラスの国人領主だと思ってます。
信長への弁明の使者が途中で喧嘩をして死んでいたというのは知らなかったです。水野信元は尾張、三河にまたがって多くの所領を持っていたので信長、家康双方にとって邪魔な存在になっていた(同盟後しばらくして利用価値がなくなった)という説は聞いたことがあります。佐久間信盛の讒言はちょうどいいきっかけになって始末されたんではないでしょうか。
武田の脅威が減ったので、尾張・三河に影響力を持つ信元を織田・徳川合意の上で排除した説もあり、対外的圧力が減ると内部対立が表面化するという歴史的によくあるケースだったのかも。
癖の強い猛将の水野勝成の一族だから、全員が気が強く一癖ある面白い一族。家康の実母の於大(おだい)も癖のある気丈な女性だったのだろう。女優の松嶋さんが、その気の強さをうまく演じられている。 江戸時代、幡随院長兵衛と争った旗本奴の水野十郎左衛門がその水野一族の末裔だというから、末代まで一癖ある気の強い家系だったなのだろう。
水野十郎左衛門はどちらかといえば水野家よりも母方の血だと思う母方の家系を辿ると信長や家康に辿る家系である
@@ワイルドメーン 勝成の子孫だから水野の血も関係してそうな
解説ありがとうございます、やってることは毛利や宇喜多と同じように国衆にはよくある事なんでしょうが運が致命的に無かったのでしょう、水野家自体は信元の弟によって存続して老中を多く輩出する譜代大名として残ったのが救いでしょうか。
かなり先に水野忠邦が出てきますね。
知多半島を抑えてるから海運も担ってるだろうし東国の壁にもなってたし徳川の親類だけど独自色もある…尼子の新宮党的な厄介さが際立つなぁ西国だと毛利元就も当初は水野信元的なポジションだったと思うと…凄いよね(驚異的な勢力拡大)
24万石もあったら三方ヶ原の時に六千人くらい送れたんじゃ……
そんなに沢山の人員派遣は出来ひん今でも他県で災害派遣する言うて総動員掛けて自分所の任地空にせえへん。警察おらん(`=ω=)”“(-ω-`)悪さすっぺ輩が湧き出すw治安維持は領主と侍集団のお努めそのために年貢を収めとる
@@知花信 それでも国元に千人程度は残せるし、佐久間や平手の軍勢合わせたら少なくとも三千よりは多く送り込めないですかね
信元の力が大きくなるのを恐れた信長が言いがかりをつけて切腹させて佐久間や家康に責任を押しつけたのではないか?家柄なら水野は織田や松平より上。
天保の改革の水野忠邦と関係してるんですかねー?
信元は美濃尾張を織田家で一本化したい信長の思惑で誅殺されたんだと思う林秀貞とか佐久間信盛もそれで追放されたと考えるとリアリティあると思う
母方の祖母が緒川の水野家出身と聞き伝えられており、証拠となる資料を確認したことはないですが、母や叔母らに相続された緒川周辺の農地がいくつかあります。於大の方、家康との縁をひそかに感じています。
「境川」が出てきたり、地元民としてはうれしい。てか、地元民だから、かろうじて観続けれているw
確かにそれはありますね。私は「軍師官兵衛」の地元民だったので、知っている地名がたくさん出てくるのが嬉しくて観ていました。その官兵衛が今は信長に転生してますね。
寝返るというと卑怯なイメージがあるが、国境の国衆としては、状況が変わればどちらにでもつけるようにしておくのは、生き残り戦略として理解できる。だから、ちょっと全面的には信頼できない感が漂うのだろう。国境の小武将の生き方の切実さ、悲哀がある。
違うそう!
築山殿や信康と同じような運命ですね。この頃の織田と徳川の関係には闇がありますね。
石高に直したら24万石。十分大名
最終的に家督を引き継いだ甥の猛将水野勝成が備後10万石で徳川譜代大名としては最大級の築城を許されていますね。信元→忠重→勝成
忠重の四男で、勝成の異母弟の忠清は後に松本藩6万石の大名になりました。忠清の家臣になったのが鶴見辰吾さんの父方のご先祖様の鶴見市右衛門則満でした。則満の父親の則宗は武田信玄公時代からの家臣で、武田家家臣時代は三方ヶ原や長篠の戦いに参戦しました。因みに鶴見辰吾さんの父方のご先祖様は徳川の世をこの水野家の家臣として過ごしました。水野家自体は徳川時代は紆余曲折があって、松本6万石から沼津藩6万石の大名になり、沼津藩大名時代に老中にまでなりました。しかし、「天保の改革」の水野忠邦の時に反対勢力扱いをされて、財政難に陥る状況になりました。
普通に領土が欲しかった説
この時代は家来と独立した勢力の線引きは忠誠があるかどうかと言う価値観だけだと思いますね。ただ様々な戦いに従軍していた事から完全に独立した大名と言うより従属していた感は強いですね。
家康が叔父の水野信元と戦っていたことは知りませんでした。信長や家康とは協力するけど、属さないというスタンスを持っているから、大河ではあのキャラであることも納得できます。ドラマでは省かれた出来事を補足する解説は本当にありがたいです。
織徳同盟までは水野にブチギレて刈谷と常滑荒らし回るのほんとすこ
今回も楽しく拝見させていただきました。水野信元の失敗は中途半端すぎたところですかね…織田と徳川の間に挟まれた時点でもう大人しく信長の家臣になっておけば良かったと思うのですが、下手に独立を保とうとしたため信長に目をつけられてしまったというところでしょうか。まぁこのあたりは中小領主の悲哀も感じますね…領土の石高が24万石というのは眉唾ですが、のぼうの城で有名な忍城の成田氏は退去するときに30万石相当の蓄財があったというので、水野氏もそれぐらい溜め込んでいたのかもしれませんね。
家康が信長を裏切らなかったのが凄い
お疲れ様でございまする!どんどんヤセてますね!体には良い!無理はせずだに!
胡散臭いけど愛すべき親父❤
息子があの土井利勝ですよね。息子が超出世して江戸幕府の重鎮になったのだから少しは浮かばれたのでしょうか。
水野甚三郎改め、土井宗家の家督を家康から下知されて継いでいるし、やはり自分としては築山殿と、家康の仲が冷えてしまった頃に、他の側室か愛妾との間につくった落胤説を押したいです!なんなら、その説で今後登場してほしいけれど、そうしたら松潤ファンからクレームだろうから、無いでしょうね…笑😅
ああぁ、やはり、悲劇的な最後を迎えるのかなぁ……😂寺島進さんの断末魔のシーンの大熱演が今から楽しみですが…、割りとエグい展開での誅殺だからなぁ…💧個人的に、大河ドラマの誅殺というか切腹処分の心に残ってるシーンは、三谷大河第一弾の 新撰組! ©の新見錦役の相島一之氏の演技が最高でしたね!!👍
私は平清盛の「叔父を斬る」を思い出します。保元の乱に勝利した清盛が叔父の忠正を処刑することになり、忠正に「斬れ!」と言われても躊躇する清盛に対しさらに畳み掛けられて吹っ切れた清盛が刀を振り下ろすシーンは圧巻でした。信元はどんな最期を迎えるのか、今から恐る恐る待っています。
佐久間との係争は尾張衆と西三河衆の利害関係争いみやいなことじゃないですかね?信元は家康の叔父という特別なポジションもあり、石山本願寺攻めの陣中でライバルを手堅く蹴落としてきたてスパークしてきてる信盛が勢いを駆って仕掛けた政争みたいなことと解釈すると枠組みとしては整理しやすいのかも
信元の何代か前に分かれた傍流の末裔です。私の家系は尾張の国衆として続き、織田信長に、その後は尾張徳川家に仕えました。愛知県には水野姓が5万人もいるので、我が家と同じような境遇の水野氏傍流も数多くいると思います。一族の者について詳しく解説してくれてありがとう。
水野信元の解説ありがとうございました‼️本日刈谷のトークショー行ってまいりました‼️刈谷城跡や緒川城など訪れ、より深く理解することができました。感謝します❤
水野信元の甥っ子、水野勝成くんも機会があればぜひ取り上げて下さい。
待ってました!
白か黒かの曖昧なところはグレーじゃなくてオフホワイトなのが笑えました😅
「麒麟がくる」では、みんな大好き和田義盛こと横田栄司さんが演じられていましたね
最終的に信長からしたら家康が後ろ盾故に邪魔になり始末したのが真意かもね
鎌倉殿〜でいうところの、上総広常みたいな立ち位置だったんでしょうか?時代は違いますけど
旧日本陸軍の見積りでは、1万石あたり250人の動員力があるとされてますから、3000人の動員力からすると12万石ぐらいの領地だという事になりますね。
あ、フロイスの水野の動員力が3000という記述に対してであって、三方ヶ原の援軍の話ではないです。
織田徳川において重要なキーマンだから色々描いてほしいですね
築山事件や石川数正出奔にも影響したという説もあるし
掘り下げればいくらでも物語を面白くできる人物
ただ残り尺を考えるときついかな
家康の母の兄だと
こちらの伯父ですね
尾張の知多半島という重要な地を領有する戦国大名で、信長の同盟者。
尾張の信長と三河の家康の同盟を仲介出来るだけの力を持っている。
ただ、1570年代から織田信長の勢力拡大によって織田家家臣の中でも秀吉・光秀・勝家など、水野信元クラスの石高を持つ武将も現れたので、家康みたいに同盟者から家臣的扱いになっていったというのはあるかもしれないが。
信元の弟忠重の兄弟喧嘩に始まって勝成迄流れ来ないかなぁw
生涯現役の鬼日向大好きなんだ。
使者が死者...Yeah
座布団1枚あげますね
しかしその正体は真田の乱破なのであった
援軍で3000の兵を率いているという事から逆算すると
最低でも10万石以上の大名クラスだったと考えて良さそうですね。
一般的にはちょうど10万石か。あるいは備えを一つ形成するためにほかの武将も混じって兵3000を水野が率いてたとか、人使いが荒い信長だから8万石に無理やり3000の負担かけてたこともありうる。
所領の場所が安全でしかも豊な場所だしなあ。
信玄ロスになりそう
佐久間信盛と水野信元は利害関係が競合していたんでしょうね。
佐久間信盛は折檻状で緒川(水野信元の旧領)衆を取り立てないことを責められたりしてますね。
つまり、佐久間信盛は水野信元の旧領を与えられたのに旧臣は放置状態だったってことです。
天下無双の やっぱり水野勝成かなぁ
NHkの大河の主人公にしたい面白い武将ですね。家康より1歳年上の叔父ですが、カッとなるとすぐに相手を斬殺してしまう。父の重臣を気に入らないといって斬殺、それで父から勘当され、15年におよぶ浪人生活をおくり、その間、無頼の徒となり、舅や、茶席では茶頭を斬殺。しかし、どういうわけか家康からは気に入られ厚遇され、大阪の夏、冬の陣でも活躍。現代なら反社の世界か、牢屋で生涯を送るような人物だ。ピカレスクロマンになってしまうので、やはりNHKでは無理か?しかし、彼の人生には家康、信長、秀吉、本多、井伊等がかかわり、面白い波乱万丈のストーリーになると思うのだが。
遠江(とおとおみ)というワードをブシドールさんに言ってもらえるだけで幸せです😊
三千の兵を率いていたとなると石高は12万石ぐらいかな。
真田丸の真田昌幸も武田滅亡後は似たような規模の大名なのか国衆なのか微妙な感じになっていましたね。
叔父で無く(伯父)です。日本語の漢字は細かいです。南無阿弥陀仏
累代の重臣と同盟(従属)国人、その上、佐久間氏と水野氏の勢力圏が隣接してた(愛知郡と知多郡北部・碧海郡)ってのも有って、仲は悪かったでしょうね。
織田家は尾張国内の家臣化していない国人衆の統制を計ってたかもしれません。愛知郡丹羽氏も境目の国人として警戒されてますし。そこまでしているのに佐久間信盛の追放(逐電)や尾張林氏・愛知郡丹羽氏の追放で再編成の必要が有り、水野氏復帰ってながれでしょうか?
佐久間さーん!
水野さんは、家康さんの、叔父さんなの?今日はじめて知りました。解説動画ありがとうございました。🐧
明らかに劣勢の頃から織田家を選んで付き従ってきた
こーいうやつをお前もういらんわって殺したり追放するから
光秀に殺されたんやろな
水野の領地の真上が佐久間の所領で水野誅殺の後は
その領地は佐久間に与えられてる。
織田徳川の中間で邪魔な存在になったんですかね。転封の提案を蹴ったとか
三浦義村感ありますよね…
まあ、山本義村は最後までギリ逃げる事出来た人生だったから…
@@y--sizuki 山本…?
@@izumi-pellet 鎌倉殿の13人で山本が演じてたからだよ
飲み会が切りあいに発展…どこぞの地方じゃ囲碁やってて誤チェストの話もあるからセーフセーフ
あれ?その話にも水野さんが絡んでいるような?
現在の知多半島の戸田氏を駆逐し全域を領有化可能性のある記録があるので、24万石もあながち間違いではないのかも?
この時期の知多半島は公益都市であったので資源が豊富で動員兵力がそこそこだったのもそのせいかもしれません。
水野信元は浅井クラスの国人領主だと思ってます。
信長への弁明の使者が途中で喧嘩をして死んでいたというのは知らなかったです。水野信元は尾張、三河にまたがって多くの所領を持っていたので信長、家康双方にとって邪魔な存在になっていた(同盟後しばらくして利用価値がなくなった)という説は聞いたことがあります。佐久間信盛の讒言はちょうどいいきっかけになって始末されたんではないでしょうか。
武田の脅威が減ったので、尾張・三河に影響力を持つ信元を織田・徳川合意の上で排除した説もあり、対外的圧力が減ると内部対立が表面化するという歴史的によくあるケースだったのかも。
癖の強い猛将の水野勝成の一族だから、全員が気が強く一癖ある面白い一族。家康の実母の於大(おだい)も癖のある気丈な女性だったのだろう。女優の松嶋さんが、その気の強さをうまく演じられている。 江戸時代、幡随院長兵衛と争った旗本奴の水野十郎左衛門がその水野一族の末裔だというから、末代まで一癖ある気の強い家系だったなのだろう。
水野十郎左衛門はどちらかといえば
水野家よりも母方の血だと思う
母方の家系を辿ると信長や家康に辿る家系である
@@ワイルドメーン 勝成の子孫だから水野の血も関係してそうな
解説ありがとうございます、やってることは毛利や宇喜多と同じように国衆にはよくある事なんでしょうが運が致命的に無かったのでしょう、水野家自体は信元の弟によって存続して老中を多く輩出する譜代大名として残ったのが救いでしょうか。
かなり先に水野忠邦が出てきますね。
知多半島を抑えてるから海運も担ってるだろうし東国の壁にもなってたし徳川の親類だけど独自色もある…尼子の新宮党的な厄介さが際立つなぁ
西国だと毛利元就も当初は水野信元的なポジションだったと思うと…凄いよね(驚異的な勢力拡大)
24万石もあったら三方ヶ原の時に六千人くらい送れたんじゃ……
そんなに沢山の人員派遣は出来ひん
今でも他県で災害派遣する言うて
総動員掛けて自分所の任地空にせえへん。
警察おらん(`=ω=)”“(-ω-`)悪さすっぺ
輩が湧き出すw
治安維持は領主と侍集団のお努め
そのために年貢を収めとる
@@知花信 それでも国元に千人程度は残せるし、佐久間や平手の軍勢合わせたら少なくとも三千よりは多く送り込めないですかね
信元の力が大きくなるのを恐れた信長が言いがかりをつけて切腹させて佐久間や家康に責任を押しつけたのではないか?家柄なら水野は織田や松平より上。
天保の改革の水野忠邦と関係してるんですかねー?
信元は美濃尾張を織田家で一本化したい信長の思惑で誅殺されたんだと思う
林秀貞とか佐久間信盛もそれで追放されたと考えるとリアリティあると思う
母方の祖母が緒川の水野家出身と聞き伝えられており、証拠となる資料を確認したことはないですが、母や叔母らに相続された緒川周辺の農地がいくつかあります。於大の方、家康との縁をひそかに感じています。
「境川」が出てきたり、地元民としてはうれしい。
てか、地元民だから、かろうじて観続けれているw
確かにそれはありますね。
私は「軍師官兵衛」の地元民だったので、知っている地名がたくさん出てくるのが嬉しくて観ていました。
その官兵衛が今は信長に転生してますね。
寝返るというと卑怯なイメージがあるが、国境の国衆としては、状況が変わればどちらにでもつけるようにしておくのは、生き残り戦略として理解できる。だから、ちょっと全面的には信頼できない感が漂うのだろう。国境の小武将の生き方の切実さ、悲哀がある。
違うそう!
築山殿や信康と同じような運命ですね。この頃の織田と徳川の関係には闇がありますね。
石高に直したら24万石。十分大名
最終的に家督を引き継いだ甥の猛将水野勝成が備後10万石で徳川譜代大名としては最大級の築城を許されていますね。
信元→忠重→勝成
忠重の四男で、勝成の異母弟の忠清は後に松本藩6万石の大名になりました。忠清の家臣になったのが鶴見辰吾さんの父方のご先祖様の鶴見市右衛門則満でした。則満の父親の則宗は武田信玄公時代からの家臣で、武田家家臣時代は三方ヶ原や長篠の戦いに参戦しました。
因みに鶴見辰吾さんの父方のご先祖様は徳川の世をこの水野家の家臣として過ごしました。水野家自体は徳川時代は紆余曲折があって、松本6万石から沼津藩6万石の大名になり、沼津藩大名時代に老中にまでなりました。しかし、「天保の改革」の水野忠邦の時に反対勢力扱いをされて、財政難に陥る状況になりました。
普通に領土が欲しかった説
この時代は家来と独立した勢力の線引きは忠誠があるかどうかと言う価値観だけだと思いますね。
ただ様々な戦いに従軍していた事から完全に独立した大名と言うより従属していた感は強いですね。
家康が叔父の水野信元と戦っていたことは知りませんでした。
信長や家康とは協力するけど、属さないというスタンスを持っているから、大河ではあのキャラであることも納得できます。
ドラマでは省かれた出来事を補足する解説は本当にありがたいです。
織徳同盟までは水野にブチギレて刈谷と常滑荒らし回るのほんとすこ
今回も楽しく拝見させていただきました。
水野信元の失敗は中途半端すぎたところですかね…織田と徳川の間に挟まれた時点でもう大人しく信長の家臣になっておけば良かったと思うのですが、下手に独立を保とうとしたため信長に目をつけられてしまったというところでしょうか。
まぁこのあたりは中小領主の悲哀も感じますね…
領土の石高が24万石というのは眉唾ですが、のぼうの城で有名な忍城の成田氏は退去するときに30万石相当の蓄財があったというので、水野氏もそれぐらい溜め込んでいたのかもしれませんね。
家康が信長を裏切らなかったのが凄い
お疲れ様でございまする!どんどんヤセてますね!体には良い!無理はせずだに!
胡散臭いけど愛すべき親父❤
息子があの土井利勝ですよね。息子が超出世して江戸幕府の重鎮になったのだから少しは浮かばれたのでしょうか。
水野甚三郎改め、
土井宗家の家督を家康から下知されて継いでいるし、
やはり自分としては築山殿と、家康の仲が冷えてしまった頃に、他の側室か愛妾との間につくった落胤説を押したいです!
なんなら、その説で今後登場してほしいけれど、そうしたら松潤ファンからクレームだろうから、無いでしょうね…笑😅
ああぁ、
やはり、悲劇的な最後を迎えるのかなぁ……😂
寺島進さんの断末魔のシーンの大熱演が今から楽しみですが…、割りとエグい展開での誅殺だからなぁ…💧
個人的に、大河ドラマの誅殺というか切腹処分の心に残ってるシーンは、三谷大河第一弾の 新撰組! ©の新見錦役の相島一之氏の演技が最高でしたね!!👍
私は平清盛の「叔父を斬る」を思い出します。保元の乱に勝利した清盛が叔父の忠正を処刑することになり、忠正に「斬れ!」と言われても躊躇する清盛に対しさらに畳み掛けられて吹っ切れた清盛が刀を振り下ろすシーンは圧巻でした。
信元はどんな最期を迎えるのか、今から恐る恐る待っています。
佐久間との係争は尾張衆と西三河衆の利害関係争いみやいなことじゃないですかね?信元は家康の叔父という特別なポジションもあり、石山本願寺攻めの陣中でライバルを手堅く蹴落としてきたてスパークしてきてる信盛が勢いを駆って仕掛けた政争みたいなことと解釈すると枠組みとしては整理しやすいのかも
水野さんは、家康さんの、叔父さんなの?今日はじめて知りました。解説動画ありがとうございました。🐧