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今川義元と家康の問答シーンは何度か繰り返されたので、家康が徳で治める王道を行くのかと早合点してましたが、その望みは息子の秀忠に託し、家康は心を鬼にして乱世を終わらす覚悟で胸が熱くなります。
今回は「戦を知るもの」と「戦を知らないもの」が強調されたような話でした。戦い抜いてきた家康は、その苦しさを後世に残さないよう、総大将となり、残酷だが効率化されてしまった戦いをする。茶々は生き残ったが、戦ったことがないから、無謀とも言える戦いを推し進めてしまう。しかし、茶々にも落城の経験があり、戦の一部を知っているとも言える。だからこそ、あの場面では千姫をとっさに庇ったのかと見ていて感じました。また、箸休め的に出てきた信雄は「戦を知るもの」として戦いを避けようとしたし、実際生き残った。弱かった家康が「戦を知る数少ないもの」として世を平和に導く姿を見届けたいです。
大阪城への大砲の攻撃を見た秀忠の涙が、かつての信康と重なった。第22回”設楽原の戦い”で信長の戦い方に反対し、”これは戦ではない、なぶり殺しだ!”と叫んだ信康の言葉がよみがえった。家康の”これが戦だ!”という肝の座った返答は、徳川が汚名を負っても何としても成し遂げねばならない最後の戦いであり、それにより最終的平和が実現できる、そのためなら自分がその罪過を全て引き受けるという決意表明だった。久々に登場の織田信雄が、織田の家名や天下を取るという望みを捨て去り吹っ切れたような、かえって好人物に豹変していた。今まで全ての戦に参陣していた徳川四天王はじめ古参家臣の不在が寂しく、時の流れと世代交代を感じた。本多正信との相変わらずの憎まれ口だが、今までの長い道のりを共に歩んで来た旧家臣にのみ話し理解してもらえると分かっている家康の本音の吐露でもあった。淀殿の牢人を前にした演説が、ちょうど1年前の今頃の”鎌倉殿”の北条政子の承久の乱の際の演説のオマージュのようでもあった。
苦渋の決断を下す家康の涙にこちらも涙が止まりませんでした!こんなに深いドラマだとは┄あと残すは2回ですが┄もっと見ていたいですね~涙
大阪の陣で砲撃を指揮したのは稲富流砲術の開祖である稲富氏。もともとは細川家でガラシャさんを守ってたんだけど、ガラシャさんが自害して出奔(逃亡)した。細川家からしたらお尋ね者なんだけど、その砲術のウデを買った徳川家がわざわざ召し抱えた。そんでドラマとは真逆で、大阪の陣の前に秀忠公に砲術指南して、秀忠公も砲術の戦術を理解・重視してた。子孫はその功績で徳川家に旗本として召し抱えられている。浪人からの大逆転ホームラン。
合戦シーンは大好きなはずなのに、今回の大阪の陣は悲しくて切なくて涙が止まりませんでした。もうやめろ!と泣きじゃくる勇猛さのかけらもない秀忠が数少ない希望。「南無阿弥陀仏」と書き続ける家康も心で泣いてるよね。
本当は、家康さんだって戦はしたくなかったと思います。だけど、息子の秀忠や若い世代に不毛に手を汚させたくない。戦を知らない次の世代は、平和な生涯を暮らしてほしい。という家康さんの悲願だったと思うのです。現代の戦争を知っている90代~80代の層祖父母世代の日本の大先輩たちも、同じ思いだったのだろうなあと、ご先祖に、感謝&😿です。
家康は狸@@hskwmnb
追記:設楽原の戦いでは、信康の非難や非情さへの問題提起に対し、返答を一切できず自身が呆然としていた家康が、今回はしっかりと息子に現実を提示するように変わっていた。幾多の戦を経て、多くの犠牲の上に現在に至った家康の心境の変化を、うまく表現しているシーンだった。
どうする家康でも、大阪の冬の陣の話だったね。大砲が出たシーンは、私リアルタイムで、観てたので凄い、びっくりしました。いよいよどうする家康も、クライマックスへ、さあ、最終回まで、目が離せません、全部観ます。🦊🐰
解説ありがとうございます。姉川の時に信長が鉄砲を家康に向けてたのが関ヶ原にオマージュで来るのかと思っていましたが、長篠の時の鉄砲を放つ信長と信康の言葉がオマージュされていましたね。そして大筒を放つ家康の言葉は名セリフで、今までの思いが溢れ熱いものを感じました。ここからおよそ250年後には皮肉にも新兵器によって幕府が倒されることになるとは。いつの世も新しいものによって時代は変わっていくものですね。
最後まで生き残った者としてすべてをあの世に持っていくという家康の決断になぜか「よし!」と思った。
家康の変わりようがすごい!あと2回しかない😢
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」武田信玄は知ってたんだな、どんな強固な城よりも部下や民の結束の方がずっと頼りになることを。且元や信雄らを去らせてしまった大阪方はそれがわからなかった。
茶々は戦に怯えていた自分と千姫とが重なったのだろうね
守綱の装いが相変わらずオレンジでジャイアンなのが良かったです。木村昴さんが演じるからキャラ造形がジャイアンになっているだけで実際の守綱がジャイアンみたいな人だった訳ではないと思いますがそれでも本当にジャイアンみたいな人だったのではないかと思わせられる演技でした。
最初のシーンで家康が大阪城の図面を書いてるシーンがあったけどあれは初めて家康が日本人で初めてえんぴつ使ったらしいです。三浦按針からえんぴつをもらい✏️筆で書いてたのがえんぴつで済むことを驚いていましたね😊
家康の「被害者を増やさない為に早く戦を終わらせる為に大砲を使う」的なセリフが現代の世界状況と、だぶってしまい悲しかったです。
私も大坂城への砲撃がロシアのキーウ攻撃やガザの空爆の惨状を思い起こしました。
全くもって、籠城し続けば何とかなるなんて小田原城に籠もって秀吉に抵抗した北条と一緒じゃん。何たる皮肉なのか・・・。
皮肉ですよね、でも他に選択肢もなく(瀬田、宇治まで出張って勝算あったら良かったけど)複合的な要因もありますが北条は気まぐれ謙信をしのいでますしね。
取次に危害加えて戦争に発展するのも信雄みあるのが…(信雄の場合は豊臣政権誕生に抵抗するという意思表示があるけど豊臣家の場合そういう視野すら無さそうなのが…)
確かに。まさに過去を学ばなかった結果、既に時代が豊臣から徳川に政局が変わってしまった事が読めなかったのが大きいかもしれませんね。
でも夏の陣の翌年に家康死んでたりするので粘れば勝機はなくはなかったかもしれません(家康の死の時期を知った上での結果論かもしれませんが)
自分の寿命がヤバいことなんて百も承知の家康相手に、長期戦に持ちこめるとよく思えたなと 希望的観測でしかないのに日本の軍部が後によくやるパターン😮
大砲を撃つ前は『置いてるだけで撃ってこないとは情けない』みたいなこと言ってたのにいざ撃ってきたら『大砲で攻撃とは卑怯な』みたいになるような人たちみてたら勝てそうな気配がなかった。笑
今回も解説ありがとうございます。援軍無き籠城で何故これほど強気かと思いましたが、家康の寿命とその後の諸大名切り崩しと、勝算を見出していたんですね。とはいえ「耐え続ければ内政問題で相手が撤退する」戦術は小田原で秀吉がかつて打ち破ったと思うと、あまりにか細い勝機であり、歴史の皮肉を感じます。
和睦😃武士道さんのノブオ推しに共感できました😊
解説ありがとうございます、織田信雄が再登場は嬉しかったですね千姫を気遣っていたのが印象的でした。徳川方も歴戦の猛者が退場していてその点は豊臣方は有利でしたが結局は兵器の質と物量差で押し切られてしまったのでしょう。本多忠朝は飲酒で失敗したエピソードがあったので尺に余裕があれば見たかったですね。
豊臣の牢人衆が有名所沢山いたけれど、それまでの様々な敗戦で負けた事を学んできた徳川家康が一生懸命にそれまでのつながり作りと豊臣が声をかけていけば多くの大名がついてきてくれるだろうと思った怠慢との差がこの大坂の冬・夏の陣への結果へとつながったのではないかと思いましたね。
徳川家康の大砲で砲撃の決断もなんかえげつなかったけどその決断した徳川家康の目が怖くてぞっとしたけどかっこいいと思った冷酷だが徳川家康らしいシーンだった😍👍
待ってました!今回もありがとうございます!
「助ける」という約束を家康に破られた千姫を見て、母や自分を重ねてしまったのかな淀殿
今回の鬼となった家康と「こんなの戦じゃない」と悲痛に訴えた秀忠の関係は、完全に長篠の戦いの時の信長と家康の関係と重ねられてましたね。そうすると、本能寺の変の直前、家康が信長と対峙し、背負う覚悟があるのかみたいな事を言われたことからの流れになってますね。
いかに名のある知将、勇将が奮闘しようとも大筒の威力で戦況が一変するのが象徴するように、もうそういう時代じゃないんだよと文字通り戦国時代を過去にする戦いが、大阪の陣だったのかなと思いました 解説ありがとうございます😊
家康が冷徹に、大砲による大坂城攻撃を実行し、その悲惨さに動揺する秀忠。かつて長篠の戦いで、織田軍が武田を粉砕した火縄銃の集中戦法を目の前に、長男信康と共に動揺した家康は、もうどこにもいない…。この対比の演出は素晴らしかったです。人間の成長、変化を描けるのは大河ならでは。
今回は鎌倉殿最終回のオマージュと思しき展開がいくつか見られましたね残り2回でマツジュン家康が小栗義時を超えられるか楽しみですね
五徳さん名前だけだけど登場しましたね
水野十郎左衛門の先祖の方ですねちなみに大坂冬の陣の年に水野十郎左衛門の母親が生誕した
「片桐且元」って人物も、可哀想ですよね・・・徳川と豊臣の板挟みに苦しみ、それでも豊臣の存続の為に尽力したにも関わらず、豊臣方から裏切り者扱いされ、命まで狙われてしまったのですから・・・徳川方に寝返るのも、至極、当然かも知れません。
この2週は神回でした、そして終焉へ。そこで飲むのは祝杯ではなく苦い酒なのでしょう。わしに出来るのはここまでじゃ、と後を若い者たちに託して去っていく姿まで見られるでしょうか。
夏の陣で直政の息子の井伊直孝役で板垣君も再登場してくれないかな〜北川景子とか中村勘九郎みたいに1人2役でw確か直孝は、夏の陣では戦功1位だったらしいし!
夏の陣戦功1位は越前松平忠直じゃなかったか?
そうなんですね!直孝もかなり活躍したらしいですが、戦功1位は勘違いしていたかもしれません!有り難う御座います!
大砲という当時最新鋭の兵器の前には、壮麗なる大坂城の天守閣やぐらもひとたまりもなかった…そう思わせた今回の「どうする家康『大坂の陣』」の巻。印象的と思ったシーンは、強力な大砲の破壊力で豊臣側の侍女らの爆死の場面。嫁いだ家と実家との間で板挟みになった千姫に覆い被さる茶々(淀殿)の姿に、如何に敵方から嫁いだ者とはいえ、大切な「娘」としてその生命を守ろうとした「母」の魂を見る思いだった。
第二世代・第三世代への世代交代が進む中での最終決戦・・近頃の若いヤツは・・のセリフではお前が言うか~と笑えました。真田丸再びは激アツでした・・あの大河ドラマ・真田丸と被って観てしまうのでこれだけは何故か応援してしまうし、ひのもといちのつわもの・・ここにありが描かれて良かったです。一年あっという間まもなく終焉ですね・・何だか寂しい感じします。
南側の真田丸が強固だったが故に、北側の射程内に陣取り砲撃する。家康の汚名を着ても戦国を終わらせようとする覚悟を見ました。
日本の歴史にはキーとなる女性が戦局に多大な影響を与えるシーンが多くて、とても素敵ですね。悲しいけど。
真田丸の影響で好きになったのですが大蔵卿局の事も聞きたかったです
水野勝成さんは出ないのですか?
大河ドラマ葵~徳川三代~では大坂の陣で徳川方が使用した大砲は、三浦按針(ウィリアム・アダムズ)に依頼して調達したとなっていますね。
ノブカツの得意戦術が、和睦だと堂々と言ってて笑えました笑
大筒はガンダム世界でいう所のコロニーレーザーだった。
小和田氏は解説してくれなかったので、武士道さんに大砲の事を触れてくれたのは有り難い所ではありますが、使用された大砲の詳細や数、そして大坂方の本当の被害というのはあやふやな所なんですね・・・。
家康が寿命で亡くなれば勝機が…って大野治長が言ってましたが、実際にはどうなんですかね?家康の死後、一気に徳川方は瓦解して、多くが豊臣方に靡く…という大野治長が望んだ展開になるんでしょうか?
平清盛の死後平家があっという間に滅びましたからね。豊臣家が家康が亡くなれば勝機があると考えるのも仕方ないかなと思っちゃいます
2年後に家康は胃ガンで亡くなってるから、戦略としては(結果論としては)合ってたんでしょうね。ただ、先は読めないし、家康も早期にケリをつけようとするし。
大砲は急遽使用を決定したのではなく結構前から、射程距離等を考慮して、国友と大阪堺の鉄砲鍛冶に命じて作らせていますね。この試行錯誤は相当なもので記録も残っていますこれは家康の命令ってよりも、徳川幕府から製作依頼の発注と支払いが行われているので秀忠もこれを認めるものでしょうしそもそも当時の日本に輸入できる大砲では心もとないから、試しに製作してみようと言うので作らせたのだと思います。現存する大砲の中で、鍛造品の物では世界最大級のものでしょう。そもそも大坂の陣は、当初はどこで決戦を行うか不明でしたが私個人は家康は京都での決戦を考慮し、その準備を行っていたと思っています。理由としては、西賀茂から鷹峯に伏見城由来の血天井遺構とされるものが残る点で、鷹峯・船岡山・西賀茂、鷹峯から西賀茂のお土居と紙屋川渓谷沿いのお土居で鷹峯から西賀茂に布陣した時に、この背後の山間部の古道もそれなりに整備されている、特に鷹峯千束の三酬寺を中心とした千束集落は城郭の虎口のごとくになっているし退路としても、古道長坂から鷹峯堂庭城まで追撃を効果的に撃退できるようなものとなっている。さらに氷室におびき寄せて包囲襲撃する事も可能で、西賀茂からの手勢も氷室で再集結させそこから中川・雲ケ畑・京北へ抜けれるが大阪方がこれを追撃をするのは無理がある。京北からは、若狭・近江・丹波・丹後へ抜けることが可能だった。
長篠オマージュみたいな大筒の惨劇というのも歴史を引き継ぐシーンとしてとてもよかったし、あのセリフを森崎ウィンという役者に言わせるという抜擢もまたよかった!
徳川家康❤❤👍真田幸村👍薄田兼季
解説ありがとうございます。豊臣側は、戦略でも全く勝てる要素はなかったんですよね……今だったらやらないんだろうけどね……ロマンは残りましたね!
そもそも籠城とは後詰め、つまりは援軍を期待してするもの毛利、島津、上杉といった面々が後ろから家康を攻撃してくれることを期待していたんでしょうねでも十数年の月日は、これらの大名家が厭戦気分に浸るのに十分な長さだった十数年も戦がなければ「平和サイコー」ってなっちゃうよね夏の陣ではさすがに籠城する方も勝てるとは思っておらず、死に場所を探している人たちが集まったんじゃないかな
片桐家は地元奈良の小泉の殿様なので非常に親しみがあります。葵徳川三代の小林稔侍さんの且元が印象に残っています。
もし仮に家康が寿命なり信繁たちに討ち取られたとしてそっくりそのまま徳川と入れ替わって豊臣が天下を収める事が出来たんでしょうか??
鶴ヶ城に大砲を撃たれ、立て篭もった家臣の子女が 傷つき亡くなっていく。大河ドラマ「八重の桜」を思い出します。舶来の大き過ぎる力 怖いです。
家康が実際に夏の陣の翌年になくなってるのを考えるともう少し引き伸ばせたらと思えなくもないですが難しかったかな…
茶々が大砲で破壊された天守の天井を眺めたとき、北ノ庄城を思い出したのかも知れない。千姫がかつての自分と重なり、思わず身を挺してかばったのだろう。ここで彼女は何を思ったのか。もう戦は嫌だ、やめようと思わなかったのかな。ここで千姫や秀頼、多くの武士たちの命を考えて決断すれば、夏の陣はなかったのになあと思ってしまう。
佐竹氏相手に勇猛に戦った大阪方の木村重成。その子供は佐竹氏の秋田に引き取られて、御子孫はやがて秋田で酒造業を営むようになった。現在も秋田の「木村酒造」として残ってて、日本酒コンテストとかで金賞取る名酒蔵。秋田の「福小町」というブランドのお酒が木村酒造のお酒。
片桐且元が賤ヶ岳七本槍ってことだけど、関ヶ原の戦いを考えればその七本槍はそのうち5人が徳川方に付いて豊臣凋落の片棒担いだわけだし牢人衆からすればだからこそ信頼できない部分はあったんじゃないかなーって勝手に思ってます片桐且元本人も関ヶ原では直接徳川に関わらないものの、秀頼には西軍にも関与させないように動き、元西軍側からすれば恨みさえ感じるものも多かったんだろうなって
いやぁ~現代は♨乱世乱世。幾多の名湯秘湯宿が廃業に追い込まれたことが。。しかし、真田の領地には相変わらず秘湯名湯宿があるなぁ😮行かせて♨浸からせて♨
大坂城への砲撃は、ガザへの空爆を再開したイスラエルとカブりますね。家康は心を鬼にして、されど愚かなことをやってる戦の惨さに涙するシーンは良かったです。ちょっと、去年の鎌倉殿での和田っちを葬った後の義時の涙ともカブったなぁ。
歴史的解説してる中でドラマの話になってしまいますが(あえて松本)家康に言わせた「これが戦じゃ、この世で最も愚かで、醜い、人の所業じゃ」という台詞心に響きました。
千姫が流れ弾に遭ったら、また「弱虫泣き虫鼻水垂れ」のとこに戻ってしまうからね!!
淀殿だったと思いますが「家康が死ねば」と言ってましたがだったら、家康よろしく秀吉や利家の死をおとなしく待ってろよ!と思いました。真田信繁の大活躍なんて実質予測不能なことだろ。予想不能って言うなら大砲が原因じゃないとしても一旦和睦しちゃった事実は何の予測不能なんだ。ただの作り話として見ると、そこでなんで一旦和睦しちゃうんだ!っていう。
細かい話大河のタイトルは大阪では大坂でしたよ
篤姫と千姫は同じ境遇だったのか
問題の梵鐘は現在でも現物が残っている。徳川方が本当に問題だと思っていたなら鋳潰していてもおかしくない。現時点でも残っているということは、単なる言い掛かりであった事を示すのでは?
単なる言い掛かりにしたくないから、歴史的物証として残したんでしょう。方広寺のすぐ近くに智積院があり、これは豊臣に潰された和歌山の根来寺を再興したものと考えられますが(小牧長久手の時に織田信雄徳川に与する)再建にあたって徳川が全面支援しています。この土地は元々豊臣家ゆかりの寺院を接収して拡大しております。釣鐘は残したが、野放しって訳でもなく方広寺東側の妙法院は天台宗の重要寺院ですが、江戸時代はこの寺の住職が方広寺の管理を行っています。さらに、方広寺豊国神社に隣接するように、耳塚が豊国神社正面に江戸時代に建立され、朝鮮の役で殺戮した敵兵の耳はななどを弔ったとあり、徳川幕府設立への歴史的経緯を示してるのだと思いますよ。
「大筒」を現代でいう「空爆」に置き換えてしまうと、どうしても徳川方に肩入れできないんです
大砲が出てくる時の、アレについて突っ込んで欲しかった。が、流行語をわざと入れたと思ったのは私だけ?
片桐且元って大阪の陣の前に自刃したって見たことあるけど違ったのかな👀
家康は狸🦝🦝🦝🦝🦝🦝
水野勝成が出ないのかなぁ。関ケ原直前の大垣城も落としたのも勝成の調略が効いていたのだがスルー。夏の陣で後藤又兵衛との一戦が在るからワンチャンか。
10年籠城できたらワンチャンあった
天下大平を願ってこその家康の決意を見た。
ただただ新しい解釈がなれていないかを期待してずっと観てきたけど、ドラマ自体‘おもしろく’はない…特に老後演技の粗末さが目に余る、貫禄の無さ丸出しで視てるこっちが恥ずかしくなってくる…。
ずっと不思議なのは大筒で真田丸を集中攻撃すればよかったのでは…?
今川義元と家康の問答シーンは何度か繰り返されたので、家康が徳で治める王道を行くのかと早合点してましたが、その望みは息子の秀忠に託し、家康は心を鬼にして乱世を終わらす覚悟で胸が熱くなります。
今回は「戦を知るもの」と「戦を知らないもの」が強調されたような話でした。
戦い抜いてきた家康は、その苦しさを後世に残さないよう、総大将となり、残酷だが効率化されてしまった戦いをする。
茶々は生き残ったが、戦ったことがないから、無謀とも言える戦いを推し進めてしまう。
しかし、茶々にも落城の経験があり、戦の一部を知っているとも言える。だからこそ、あの場面では千姫をとっさに庇ったのかと見ていて感じました。
また、箸休め的に出てきた信雄は「戦を知るもの」として戦いを避けようとしたし、実際生き残った。
弱かった家康が「戦を知る数少ないもの」として世を平和に導く姿を見届けたいです。
大阪城への大砲の攻撃を見た秀忠の涙が、かつての信康と重なった。第22回”設楽原の戦い”で信長の戦い方に反対し、”これは戦ではない、なぶり殺しだ!”と叫んだ信康の言葉がよみがえった。家康の”これが戦だ!”という肝の座った返答は、徳川が汚名を負っても何としても成し遂げねばならない最後の戦いであり、それにより最終的平和が実現できる、そのためなら自分がその罪過を全て引き受けるという決意表明だった。
久々に登場の織田信雄が、織田の家名や天下を取るという望みを捨て去り吹っ切れたような、かえって好人物に豹変していた。今まで全ての戦に参陣していた徳川四天王はじめ古参家臣の不在が寂しく、時の流れと世代交代を感じた。本多正信との相変わらずの憎まれ口だが、今までの長い道のりを共に歩んで来た旧家臣にのみ話し理解してもらえると分かっている家康の本音の吐露でもあった。淀殿の牢人を前にした演説が、ちょうど1年前の今頃の”鎌倉殿”の北条政子の承久の乱の際の演説のオマージュのようでもあった。
苦渋の決断を下す家康の涙にこちらも涙が止まりませんでした!
こんなに深いドラマだとは┄
あと残すは2回ですが┄もっと見ていたいですね~涙
大阪の陣で砲撃を指揮したのは稲富流砲術の開祖である稲富氏。もともとは細川家でガラシャさんを守ってたんだけど、ガラシャさんが自害して出奔(逃亡)した。細川家からしたらお尋ね者なんだけど、その砲術のウデを買った徳川家がわざわざ召し抱えた。そんでドラマとは真逆で、大阪の陣の前に秀忠公に砲術指南して、秀忠公も砲術の戦術を理解・重視してた。子孫はその功績で徳川家に旗本として召し抱えられている。浪人からの大逆転ホームラン。
合戦シーンは大好きなはずなのに、今回の大阪の陣は悲しくて切なくて涙が止まりませんでした。もうやめろ!と泣きじゃくる勇猛さのかけらもない秀忠が数少ない希望。「南無阿弥陀仏」と書き続ける家康も心で泣いてるよね。
本当は、家康さんだって戦はしたくなかったと思います。だけど、息子の秀忠や若い世代に不毛に手を汚させたくない。戦を知らない次の世代は、平和な生涯を暮らしてほしい。という家康さんの悲願だったと思うのです。現代の戦争を知っている90代~80代の層祖父母世代の日本の大先輩たちも、同じ思いだったのだろうなあと、ご先祖に、感謝&😿です。
家康は狸@@hskwmnb
追記:設楽原の戦いでは、信康の非難や非情さへの問題提起に対し、返答を一切できず自身が呆然としていた家康が、今回はしっかりと息子に現実を提示するように変わっていた。幾多の戦を経て、多くの犠牲の上に現在に至った家康の心境の変化を、うまく表現しているシーンだった。
どうする家康でも、大阪の冬の陣の話だったね。大砲が出たシーンは、私リアルタイムで、観てたので凄い、びっくりしました。いよいよどうする家康も、クライマックスへ、さあ、最終回まで、目が離せません、全部観ます。🦊🐰
解説ありがとうございます。
姉川の時に信長が鉄砲を家康に向けてたのが関ヶ原にオマージュで来るのかと思っていましたが、長篠の時の鉄砲を放つ信長と信康の言葉がオマージュされていましたね。そして大筒を放つ家康の言葉は名セリフで、今までの思いが溢れ熱いものを感じました。ここからおよそ250年後には皮肉にも新兵器によって幕府が倒されることになるとは。いつの世も新しいものによって時代は変わっていくものですね。
最後まで生き残った者としてすべてをあの世に持っていくという家康の決断になぜか「よし!」と思った。
家康の変わりようがすごい!
あと2回しかない😢
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
武田信玄は知ってたんだな、どんな強固な城よりも部下や民の結束の方がずっと頼りになることを。
且元や信雄らを去らせてしまった大阪方はそれがわからなかった。
茶々は戦に怯えていた自分と千姫とが重なったのだろうね
守綱の装いが相変わらずオレンジでジャイアンなのが良かったです。木村昴さんが演じるからキャラ造形がジャイアンになっているだけで実際の守綱がジャイアンみたいな人だった訳ではないと思いますがそれでも本当にジャイアンみたいな人だったのではないかと思わせられる演技でした。
最初のシーンで家康が大阪城の図面を書いてるシーンがあったけどあれは初めて家康が日本人で初めてえんぴつ使ったらしいです。
三浦按針からえんぴつをもらい✏️筆で書いてたのがえんぴつで済むことを驚いていましたね😊
家康の「被害者を増やさない為に早く戦を終わらせる為に大砲を使う」的なセリフが現代の世界状況と、だぶってしまい悲しかったです。
私も大坂城への砲撃がロシアのキーウ攻撃やガザの空爆の惨状を思い起こしました。
全くもって、籠城し続けば何とかなるなんて小田原城に籠もって秀吉に抵抗した北条と一緒じゃん。何たる皮肉なのか・・・。
皮肉ですよね、でも他に選択肢もなく(瀬田、宇治まで出張って勝算あったら良かったけど)複合的な要因もありますが北条は気まぐれ謙信をしのいでますしね。
取次に危害加えて戦争に発展するのも信雄みあるのが…(信雄の場合は豊臣政権誕生に抵抗するという意思表示があるけど豊臣家の場合そういう視野すら無さそうなのが…)
確かに。まさに過去を学ばなかった結果、既に時代が豊臣から徳川に政局が変わってしまった事が読めなかったのが大きいかもしれませんね。
でも夏の陣の翌年に家康死んでたりするので粘れば勝機はなくはなかったかもしれません(家康の死の時期を知った上での結果論かもしれませんが)
自分の寿命がヤバいことなんて百も承知の家康相手に、長期戦に持ちこめるとよく思えたなと 希望的観測でしかないのに日本の軍部が後によくやるパターン😮
大砲を撃つ前は『置いてるだけで撃ってこないとは情けない』みたいなこと言ってたのにいざ撃ってきたら『大砲で攻撃とは卑怯な』みたいになるような人たちみてたら勝てそうな気配がなかった。笑
今回も解説ありがとうございます。
援軍無き籠城で何故これほど強気かと思いましたが、家康の寿命とその後の諸大名切り崩しと、勝算を見出していたんですね。とはいえ「耐え続ければ内政問題で相手が撤退する」戦術は小田原で秀吉がかつて打ち破ったと思うと、あまりにか細い勝機であり、歴史の皮肉を感じます。
和睦😃武士道さんのノブオ推しに共感できました😊
解説ありがとうございます、織田信雄が再登場は嬉しかったですね千姫を気遣っていたのが印象的でした。徳川方も歴戦の猛者が退場していてその点は豊臣方は有利でしたが結局は兵器の質と物量差で押し切られてしまったのでしょう。本多忠朝は飲酒で失敗したエピソードがあったので尺に余裕があれば見たかったですね。
豊臣の牢人衆が有名所沢山いたけれど、それまでの様々な敗戦で負けた事を学んできた徳川家康が一生懸命にそれまでのつながり作りと豊臣が声をかけていけば多くの大名がついてきてくれるだろうと思った怠慢との差がこの大坂の冬・夏の陣への結果へとつながったのではないかと思いましたね。
徳川家康の大砲で砲撃の決断もなんかえげつなかったけどその決断した徳川家康の目が怖くてぞっとしたけどかっこいいと思った冷酷だが徳川家康らしいシーンだった😍👍
待ってました!今回もありがとうございます!
「助ける」という約束を家康に破られた千姫を見て、母や自分を重ねてしまったのかな淀殿
今回の鬼となった家康と「こんなの戦じゃない」と悲痛に訴えた秀忠の関係は、完全に長篠の戦いの時の信長と家康の関係と重ねられてましたね。そうすると、本能寺の変の直前、家康が信長と対峙し、背負う覚悟があるのかみたいな事を言われたことからの流れになってますね。
いかに名のある知将、勇将が奮闘しようとも大筒の威力で戦況が一変するのが象徴するように、もうそういう時代じゃないんだよと文字通り戦国時代を過去にする戦いが、大阪の陣だったのかなと思いました 解説ありがとうございます😊
家康が冷徹に、大砲による大坂城攻撃を実行し、その悲惨さに動揺する秀忠。
かつて長篠の戦いで、織田軍が武田を粉砕した火縄銃の集中戦法を目の前に、長男信康と共に動揺した家康は、もうどこにもいない…。
この対比の演出は素晴らしかったです。人間の成長、変化を描けるのは大河ならでは。
今回は鎌倉殿最終回のオマージュと思しき展開がいくつか見られましたね
残り2回でマツジュン家康が小栗義時を超えられるか楽しみですね
五徳さん名前だけだけど登場しましたね
水野十郎左衛門の先祖の方ですね
ちなみに大坂冬の陣の年に水野十郎左衛門の母親が生誕した
「片桐且元」って人物も、可哀想ですよね・・・徳川と豊臣の板挟みに苦しみ、それでも豊臣の
存続の為に尽力したにも関わらず、豊臣方から裏切り者扱いされ、命まで狙われてしまったので
すから・・・徳川方に寝返るのも、至極、当然かも知れません。
この2週は神回でした、そして終焉へ。そこで飲むのは祝杯ではなく苦い酒なのでしょう。わしに出来るのはここまでじゃ、と後を若い者たちに託して去っていく姿まで見られるでしょうか。
夏の陣で直政の息子の井伊直孝役で板垣君も再登場してくれないかな〜
北川景子とか中村勘九郎みたいに1人2役でw
確か直孝は、夏の陣では戦功1位だったらしいし!
夏の陣戦功1位は越前松平忠直じゃなかったか?
そうなんですね!
直孝もかなり活躍したらしいですが、戦功1位は勘違いしていたかもしれません!
有り難う御座います!
大砲という当時最新鋭の兵器の前には、壮麗なる大坂城の天守閣やぐらもひとたまりもなかった…そう思わせた今回の「どうする家康『大坂の陣』」の巻。印象的と思ったシーンは、強力な大砲の破壊力で豊臣側の侍女らの爆死の場面。嫁いだ家と実家との間で板挟みになった千姫に覆い被さる茶々(淀殿)の姿に、如何に敵方から嫁いだ者とはいえ、大切な「娘」としてその生命を守ろうとした「母」の魂を見る思いだった。
第二世代・第三世代への世代交代が進む中での最終決戦・・近頃の若いヤツは・・のセリフではお前が言うか~と笑えました。真田丸再びは激アツでした・・あの大河ドラマ・真田丸と被って観てしまうのでこれだけは何故か応援してしまうし、ひのもといちのつわもの・・ここにありが描かれて良かったです。一年あっという間まもなく終焉ですね・・何だか寂しい感じします。
南側の真田丸が強固だったが故に、北側の射程内に陣取り砲撃する。家康の汚名を着ても戦国を終わらせようとする覚悟を見ました。
日本の歴史にはキーとなる女性が戦局に多大な影響を与えるシーンが多くて、とても素敵ですね。悲しいけど。
真田丸の影響で好きになったのですが
大蔵卿局の事も聞きたかったです
水野勝成さんは出ないのですか?
大河ドラマ葵~徳川三代~では大坂の陣で徳川方が使用した大砲は、三浦按針(ウィリアム・アダムズ)に依頼して調達したとなっていますね。
ノブカツの得意戦術が、和睦だと堂々と言ってて笑えました笑
大筒はガンダム世界でいう所のコロニーレーザーだった。
小和田氏は解説してくれなかったので、武士道さんに大砲の事を触れてくれたのは有り難い所ではありますが、使用された大砲の詳細や数、そして大坂方の本当の被害というのはあやふやな所なんですね・・・。
家康が寿命で亡くなれば勝機が…って大野治長が言ってましたが、実際にはどうなんですかね?
家康の死後、一気に徳川方は瓦解して、多くが豊臣方に靡く…という大野治長が望んだ展開になるんでしょうか?
平清盛の死後平家があっという間に滅びましたからね。豊臣家が家康が亡くなれば勝機があると考えるのも仕方ないかなと思っちゃいます
2年後に家康は胃ガンで亡くなってるから、戦略としては(結果論としては)合ってたんでしょうね。ただ、先は読めないし、家康も早期にケリをつけようとするし。
大砲は急遽使用を決定したのではなく結構前から、射程距離等を考慮して、国友と大阪堺の鉄砲鍛冶に命じて作らせていますね。
この試行錯誤は相当なもので記録も残っています
これは家康の命令ってよりも、徳川幕府から製作依頼の発注と支払いが行われているので秀忠もこれを認めるものでしょうし
そもそも当時の日本に輸入できる大砲では心もとないから、試しに製作してみようと言うので作らせたのだと思います。
現存する大砲の中で、鍛造品の物では世界最大級のものでしょう。
そもそも大坂の陣は、当初はどこで決戦を行うか不明でしたが
私個人は家康は京都での決戦を考慮し、その準備を行っていたと思っています。
理由としては、西賀茂から鷹峯に伏見城由来の血天井遺構とされるものが残る点で、鷹峯・船岡山・西賀茂、鷹峯から西賀茂のお土居と紙屋川渓谷沿いのお土居で
鷹峯から西賀茂に布陣した時に、この背後の山間部の古道もそれなりに整備されている、特に鷹峯千束の三酬寺を中心とした千束集落は城郭の虎口のごとくになっているし
退路としても、古道長坂から鷹峯堂庭城まで追撃を効果的に撃退できるようなものとなっている。さらに氷室におびき寄せて包囲襲撃する事も可能で、西賀茂からの手勢も
氷室で再集結させ
そこから中川・雲ケ畑・京北へ抜けれるが大阪方がこれを追撃をするのは無理がある。
京北からは、若狭・近江・丹波・丹後へ抜けることが可能だった。
長篠オマージュみたいな大筒の惨劇というのも歴史を引き継ぐシーンとしてとてもよかったし、
あのセリフを森崎ウィンという役者に言わせるという抜擢もまたよかった!
徳川家康❤❤👍真田幸村👍薄田兼季
解説ありがとうございます。
豊臣側は、戦略でも全く勝てる要素はなかったんですよね……今だったらやらないんだろうけどね……ロマンは残りましたね!
そもそも籠城とは後詰め、つまりは援軍を期待してするもの
毛利、島津、上杉といった面々が後ろから家康を攻撃してくれることを期待していたんでしょうね
でも十数年の月日は、これらの大名家が厭戦気分に浸るのに十分な長さだった
十数年も戦がなければ「平和サイコー」ってなっちゃうよね
夏の陣ではさすがに籠城する方も勝てるとは思っておらず、死に場所を探している人たちが集まったんじゃないかな
片桐家は地元奈良の小泉の殿様なので非常に親しみがあります。葵徳川三代の小林稔侍さんの且元が印象に残っています。
もし仮に家康が寿命なり信繁たちに討ち取られたとして
そっくりそのまま徳川と入れ替わって豊臣が天下を収める事が出来たんでしょうか??
鶴ヶ城に大砲を撃たれ、立て篭もった家臣の子女が 傷つき亡くなっていく。大河ドラマ「八重の桜」を思い出します。舶来の大き過ぎる力 怖いです。
家康が実際に夏の陣の翌年になくなってるのを考えるともう少し引き伸ばせたらと思えなくもないですが難しかったかな…
茶々が大砲で破壊された天守の天井を眺めたとき、北ノ庄城を思い出したのかも知れない。千姫がかつての自分と重なり、思わず身を挺してかばったのだろう。ここで彼女は何を思ったのか。もう戦は嫌だ、やめようと思わなかったのかな。ここで千姫や秀頼、多くの武士たちの命を考えて決断すれば、夏の陣はなかったのになあと思ってしまう。
佐竹氏相手に勇猛に戦った大阪方の木村重成。その子供は佐竹氏の秋田に引き取られて、御子孫はやがて秋田で酒造業を営むようになった。現在も秋田の「木村酒造」として残ってて、日本酒コンテストとかで金賞取る名酒蔵。秋田の「福小町」というブランドのお酒が木村酒造のお酒。
片桐且元が賤ヶ岳七本槍ってことだけど、関ヶ原の戦いを考えればその七本槍はそのうち5人が徳川方に付いて豊臣凋落の片棒担いだわけだし牢人衆からすればだからこそ信頼できない部分はあったんじゃないかなーって勝手に思ってます
片桐且元本人も関ヶ原では直接徳川に関わらないものの、秀頼には西軍にも関与させないように動き、元西軍側からすれば恨みさえ感じるものも多かったんだろうなって
いやぁ~現代は♨乱世乱世。
幾多の名湯秘湯宿が廃業に追い込まれたことが。。
しかし、真田の領地には相変わらず秘湯名湯宿があるなぁ😮
行かせて♨浸からせて♨
大坂城への砲撃は、ガザへの空爆を再開したイスラエルとカブりますね。
家康は心を鬼にして、されど愚かなことをやってる戦の惨さに涙するシーンは良かったです。
ちょっと、去年の鎌倉殿での和田っちを葬った後の義時の涙ともカブったなぁ。
歴史的解説してる中でドラマの話になってしまいますが(あえて松本)家康に言わせた「これが戦じゃ、この世で最も愚かで、醜い、人の所業じゃ」という台詞心に響きました。
千姫が流れ弾に遭ったら、また「弱虫泣き虫鼻水垂れ」のとこに戻ってしまうからね!!
淀殿だったと思いますが
「家康が死ねば」
と言ってましたがだったら、
家康よろしく秀吉や利家の死をおとなしく待ってろよ!と思いました。
真田信繁の大活躍なんて実質予測不能なことだろ。
予想不能って言うなら
大砲が原因じゃないとしても
一旦和睦しちゃった事実は何の予測不能なんだ。
ただの作り話として見ると、
そこでなんで一旦和睦しちゃうんだ!っていう。
細かい話大河のタイトルは大阪では大坂でしたよ
篤姫と千姫は同じ境遇だったのか
問題の梵鐘は現在でも現物が残っている。徳川方が本当に問題だと思っていたなら鋳潰していてもおかしくない。現時点でも残っているということは、単なる言い掛かりであった事を示すのでは?
単なる言い掛かりにしたくないから、歴史的物証として残したんでしょう。
方広寺のすぐ近くに智積院があり、これは豊臣に潰された和歌山の根来寺を再興したものと考えられますが(小牧長久手の時に織田信雄徳川に与する)
再建にあたって徳川が全面支援しています。この土地は元々豊臣家ゆかりの寺院を接収して拡大しております。
釣鐘は残したが、野放しって訳でもなく
方広寺東側の妙法院は天台宗の重要寺院ですが、江戸時代はこの寺の住職が方広寺の管理を行っています。
さらに、方広寺豊国神社に隣接するように、耳塚が豊国神社正面に
江戸時代に建立され、朝鮮の役で殺戮した敵兵の耳はななどを弔ったとあり、徳川幕府設立への歴史的経緯を示してるのだと思いますよ。
「大筒」を現代でいう「空爆」に置き換えてしまうと、どうしても徳川方に肩入れできないんです
大砲が出てくる時の、アレについて突っ込んで欲しかった。が、流行語をわざと入れたと思ったのは私だけ?
片桐且元って大阪の陣の前に自刃したって見たことあるけど違ったのかな👀
家康は狸🦝🦝🦝🦝🦝🦝
水野勝成が出ないのかなぁ。
関ケ原直前の大垣城も落としたのも勝成の調略が効いていたのだがスルー。
夏の陣で後藤又兵衛との一戦が在るからワンチャンか。
10年籠城できたらワンチャンあった
天下大平を願ってこその家康の決意を見た。
ただただ新しい解釈がなれていないかを期待してずっと観てきたけど、ドラマ自体‘おもしろく’はない…特に老後演技の粗末さが目に余る、貫禄の無さ丸出しで視てるこっちが恥ずかしくなってくる…。
ずっと不思議なのは大筒で真田丸を集中攻撃すればよかったのでは…?