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信長「家康、あれほど出るなよ、出るなよ、出るなよって言ったのに!」
面白い話だけど、戦国時代を国際的な視点から見ると、日本もヨーロッパから攻められる危険は大きかったのでは? 一説では、日本の戦国時代の軍事力が結構強かったためスペインは日本侵略をあきらめたとの話もあるが、もし大砲や銃で武装したスペイン軍が大量に日本に攻めてきたら、戦国時代で統一されていなかった日本は占領されていたかもしれない。17世紀初頭に家康が統一したのは、日本を救ったのかも。
一言坂の戦いや、二俣城攻略戦は、ドラマでぜひやってほしかったです。残念。
最初の地図に異議あり。今の静岡県全域が駿河じゃないぞ。西半分は「遠江」だ!!
んだ。遠江と駿河は言葉も違いまする。しかし、駿河の方が有名なのでございます。
確かに遠江がないですね…全部駿河になってますね😢
同感、というより遠州の国衆の動向が武田徳川間の勢力争いを決定づけたと思う。 遠州~信州に伸びる秋葉街道は南朝の道とも呼ばれていて源氏や藤原氏といった旧南朝の生粋の名門士族が多く残っていた土地、その辺はおんな城主 直虎でもちょっと触られてた。三方原の戦の武田軍は3万5千とも言われてるけど当時の甲斐の人口が4~5万程度って考えたらあり得ない数字、多くの信州遠州の士族を加えた軍勢。 特に有名な赤備えは山県昌景の部隊だけが許されていて残りは黄や黒の備えだった。 その山県昌景に組み込まれてたのが信州遠州の士族で後の真田や井伊の赤備えに繋がってると思う。堀江城についてもおんな城主 直虎で出てきたけど家康が先に大虐殺行っちゃってた、だから浜名湖の商港気賀では武田軍は民衆から大歓迎されたって聞く。三方原の戦で大敗北して以降の家康は強硬な姿勢を改め、遠州の国衆の取り込み工作に奔走し、長篠の合戦の頃には武田軍は大きく兵力を減らして信州と甲斐の軍勢だけになっていた。家康は遠州の国集を味方に付けるために本領安堵の朱印状を出したため全国でも珍しい国集が支配する土地がその後もずっと残ったのだと思う。
本日、NHKの「歴史探偵」で、信玄が戦国最強になった理由を解き明かしてましたね。今のアメリカ軍の強さの秘密である軍事理論「ミッション・コマンド」を戦国時代に確立していたとか。信玄、凄すぎます!
詳しい解説はありがたいかな。ただ15分程度の動画の方が見やすい感じ・・・
地元では、三方ヶ原の戦いと書いて、みかたがはら、とは読まずに❗みかたっぱら❗と読んだりしていました。勿論、方言だし30年ぐらい昔のこと😂だでねぇ〜🤞
堀江城を抑えられると、浜名湖経由による西からの補給がたたれる。浜名湖を抑えられると詰み。結局、出ても守っても負けの戦だった。最初から計画を立てたうえで攻めたのだろう。恐るべき策士。
三方ヶ原のジャガイモは美味いです。ジャガイモを見るたびに頭に「三方ヶ原の戦い」と広い三方ヶ原が頭に浮かんでしまいます。
信玄「家康なんとかしろや!」(既読)がウケタ😊航空写真だとより一層わかりやすくなりますね。
次も楽しみ
浜松城を素通りしたのは奇策を行ったわけじゃなくて周辺の城落としてから浜松城を攻めるという至極まっとうな戦略だったって事ですか
武田信玄が如何に強いかが良くわかる動画で感激しました。
徳川家康自身が参戦した戦さで、結局唯一の敗戦なのでは…🤔
いつも有難うございまする!いつにも増して声が張ってますね!頑張れ武士道殿!
勉強になります😊
地形だけでシンプルに考えると狭隘地に進入する際に手前の広地で移動の際に伸びた軍勢を纏めて陣を張って後方への守りを堅めるのは当然で、未だ信玄自身が隘地に入って居ない内から家康が攻めかかるにはタイミングが早過ぎです。家康の方も定石通り武田軍の最後尾を少しずつ削る送り狼戦術のつもりだったのではないでしょうか?浜名湖畔の諸港の接収乃至破壊掠奪に展開して本軍に遅れて居た武田の支隊に側背撃されて大敗した辺りが妥当に思えます😊
武田水軍の存在は知りませんでした‼︎😱
面白かったです。武田信玄は戦での用兵が得意のみならず、戦が始まる前から敵を切り崩して調略することも得意でした。今回の大河ドラマでも、今川攻めの所で描かれた通りです。そして信玄は家康と戦う時にも、家康の家臣へ調略を行って一定の成果を出しているのは、この動画の通りですが、一方で信長の家臣への調略はほとんど進んでいません。それでも信玄が信長との決戦を念頭に上洛へ踏み切ったのは、信玄自身のの病状が深刻で、信長の家臣への調略を進められる時間的余裕がなかったからかなと思っております。
めちゃくちゃおもろい
水軍は意外だった👍戦になるきっかけは懸川城を救援するために行くがが起きたんだ
めちゃわかりやすくて面白い!いつもありがとうございます!
武田軍が三方原の勝利後、浜名湖の制海権を奪ったのであれば、辛うじて生き延びた家康はさらに大ピンチに陥ったわけですが、どうやって家康が態勢を立て直したのか知りたくなりました。
武田信玄勝頼公親子が天下取りを動向して織田信長と徳川家康を倒して天下統一して武田信玄が幕府を開いて全国統治する。 甲斐から三河の国岡崎(僕の希望開府)に移転しました🎵その世界観を見たかったですね🎵武田勝頼公と徳川慶喜公が一番大好きです🎵武田信玄と伊達政宗と後醍醐天皇と明智光秀と大久保利通も大好き💓♥️❤️です🎵織田信長と徳川家康と足利尊氏と源頼朝と松平容保一番大嫌い🙎💔です🎵浜松城と岡崎城と松本城と安土城が一番大好き💓♥️❤️です🎵石川数正、本多忠勝、本多正信、服部半蔵、竹中半兵衛、石田三成、後藤又兵衛、明石掃部、黒田如水、毛利輝元、小早川隆景、小松帯刀、朝倉義景、島津斉彬、織田信雄、斎藤一も好きです🎵
グーグルマップを使った解説、ダイナミックな合戦模様が想像され、とても良かったです。武田水軍と聞き、武士道さん同様??となりましたが、今川配下の水軍をそのまま支配したのですね。琵琶湖同様戦国時代の湖は、現在の鉄道、高速道路のように必須のものなので、補給を絶たれるのは一番怖いことですよね。最新研究の成果も知れ、勉強になりました。戦が起こる経緯が分かると、俄然歴史は生き生きと感じられます。続編も楽しみにしています
大河より楽しみにしてます!🙂
解説、ホントにありがとうございました👍。今回、三方ヶ原に続く一連の流れが非常に解りやすくまとめられていました!! 面白いです~👍
大変解りやすい解説ありがとうございます😄武田信玄は凄いけど徳川家康はここまで窮地に追い込まれても助かっているから凄い武田家が滅びるとは😅この時に門松の話しがあったんでしたっけ?それと何年かし長篠城に少人数で籠城する奥平氏を武田軍が攻めるのに苦戦している間に織田軍が間に合い長篠の戦いに勝利した🌀
はじめてチャンネルを拝見しましたが話し方のテンポも良く、地図や画像の視覚情報もあり、すごく分かりやすくて感動です😊大河ドラマがより楽しく見れそうです😊他の動画も見ていきます!ありがとうございます❤
そうだったんだぁ! 家康と信玄の戦いは双方とも広い視野と高い視点で行われていたのですね!
あまりクローズアップされてないけど、戦国時代の北条氏も気になりますね!鎌倉殿から室町時代までは自分なりに勉強したけど、戦国時代はどんな立ち位置だったんでしょう
室町(前期頃?)の北条は調べたことありませんでした。たしかに気になりますね。
武田水軍!!成る程~これは武田軍にとって堀江城は何としても欲しい戦略要所ですねぇ。此処を完全制圧すれば楔以上に強力で経済的に家康を追い詰める事が出来たかもしれない。
そろそろどうする家康 三方ヶ原が来ますね!十数年続く徳川と武田との長い戦い、古戦場の近くよく行きますけど正確な場所が分からないままみたいですもんね、三方ヶ原墓地に看板があるぐらいですもんね、でも想像してここかなとかこう来たのかなとか思って廻ってます。歴史はロマンがあって面白いです
合戦に至る経緯ものすごく好きです❗️解説ありがとうございます✨信玄のほうが1枚も2枚も上手だったことがよくわかりました‼️
さすが武田信玄ですね😅やはりローマ信玄はつよいですね〜
あっという間の30分近い解説とても分かりやすく楽しく見れました👍これをなるべくドラマ「どうする家康」でも見せてくれないかなぁと期待したい😁
図解の進化が凄い!大画面でもう1度見ます😊
山国出身の武将にもかかわらず水軍の使い方をちゃんと心得ている武田信玄はやっぱり天才。普通だったらとりあえずは交易くらいから手を付けそうなのに短期間で水軍を尾張まで展開させていたとは・・やっぱりすごいや😮
この時代の水軍は傭兵団と海賊が合わさったような独立勢力で、陸勢力の直接的な統治を受けない存在です。
信玄がパルパルに向かったのは知らなかった
面白い!!!
ブシドーさんのチャンネル登録者数が増えることが最近の喜び🎉
武士道さんの非常に分かり易い解説により、三方ヶ原の戦いに至るまでの状況が深く理解出来ました。もはや武士道さんはプロ級で、最近地上波の歴史番組がしょぼく感じるようになりました。
戦争を避けるためにも、戦争が起こった原因は研究しないとね!
面白く拝見しました。この段階でもう武田信玄の詰将棋にしか見えません。
松潤の家康さんが阿部寛さんの、信玄さんに、負けた戦いだね。
今川の後なんだb そこは知らんかった
歴史は過程をしることでより深く理解できますし、楽しくなりますよね!今回の解説、とても面白かったですし、今までの知識を覆されました。次回の解説も楽しみにしています。武田信玄、水軍まで活躍させていたとは。目から鱗です。
歴史を学ぶとは、起きたことをただ記憶することではなく、なぜ起きたのか、どうしてそうなったのかを知ること、そしてそこからどんな教訓を得られるのかか重要だと、歴史家の加来耕三先生もおっしゃられていました。とても分かりやすい解説をありがとうございます☺️次も楽しみにしています!
Tシャツ届いたよ!
一番怖いのは、織田信長様だと思ったのですが、武田信玄さんが一番怖いですね。ドラマでは、家庸様が一番優しい人だと感じました。でも戦国時代は本当に怖いですね。
たしかに阿部信玄は物凄い怖いですが、後々のこと考えるとムロ秀吉もかなり怖いです。無表情な酒向光秀との信長腹心ぶりが怖すぎる。
武田水軍の話初めて聞きました。武田信玄恐るべしですね。大変勉強になりました(ᵔᴥᵔ)
本多忠勝最強、無双👍👍
いやあ面白かったです👏。まさか水軍とは!戦国大名の同盟と反故の応酬の凄まじさ。顕如夫人と、信玄の正室三条夫人は姉妹ですし、信玄の出家も、信仰心と侵攻の理由付けの両面があるのかなと思います。動画の工夫(地図の台地や城の立地)と皆様のコメントがとても面白かった(当時の浜名湖の水運の機能等)です。信玄のこの頃の体調(労咳)はどうだったのかなと思いました。勝頼に家督を継がせるなら、国内の基盤強化を優先した方が良かったかも知れませんね。『二俣』と聴くと畠山重忠を思い出します。
確かに、駿河侵攻が一段落した後は実権こそ握っていても勝頼に家督を譲って内政や外交の経験を積ませ、今後の戦においても信玄自身も出陣するが勝頼を総大将とする事を家中に示していれば、武田家滅亡の結果は変わらないとしても少しは違ったかもと思います。
@@峻-k5k 様 有難うございます😄!名門武田家が滅んだのは残念ですね。
天下統一を目指す織田と武田はいずれ敵対する運命にあった。徳川は織田と運命を共にする決意をしていたのだから、当然武田と敵対する運命にあった。しかし、「今川領を侵略する」という当面の目的が一致したので、一時的に武田と同盟を組んだ。案の定、武田と徳川は、今川領への侵攻中に、相手が窮地に陥るような行動をしている。武田は徳川軍の背後に軍勢を送って、徳川軍の兵站を脅かしているし、徳川は勝手に北条や上杉と和睦や同盟の交渉をしている。徳川は北条と上杉と同盟を組んで武田包囲網を完成させて、武田を窮地に追い込んだ。武田は北条征伐を実行して、その包囲網を崩した。そして、徳川征伐を実行する。これで武田は表向きも織田と完全に敵対することとなった。武田は一気に織田との決戦を望んだのではなく、まず、徳川領、特に遠江の切り崩しを狙っていた。
和睦の「イントネーションおかしくない?
いちど皆で合戦やってみたいですね
もう、素晴らしすぎ❣️中学校、高校の歴史の先生が、こんなだったら、私ももっと早く歴史の面白さに気づいていたと思います。ありがとうございます😊次回も期待してます!
今回は戦闘の解説をされてる時にBGMが流れていたので緊張感が伝わり、更に地図🗺を見せてもらう事で具体的な地形や国•城の配置が分かり、武士道さんの説明が更に分かりやすくなってとても楽しかったです❗️😆
浜名湖って水軍の軍船が入れるような状態だったのかなぁと疑問に思ったので調べてみようと思いました。浜名湖はもともと、海と繋がってなくて、戦国時代初期の大地震で「今切」というところが決壊して海と始めてつながったんですよね。ただ、今切は現在ほどの広さはなくて、江戸時代まで段階的に広がって船が通れるくらいになったので、三方ヶ原の戦いの頃がどうだったか知りたくなりました。
1本にまとめると、さすがに長くなりすぎますね。
信玄は過大評価されすぎ。そんなに賢くない。
BGMいらないのでは?
信長「家康、あれほど出るなよ、出るなよ、出るなよって言ったのに!」
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一言坂の戦いや、二俣城攻略戦は、ドラマでぜひやってほしかったです。残念。
最初の地図に異議あり。
今の静岡県全域が駿河じゃないぞ。
西半分は「遠江」だ!!
んだ。
遠江と駿河は言葉も違いまする。しかし、駿河の方が有名なのでございます。
確かに遠江がないですね…全部駿河になってますね😢
同感、というより遠州の国衆の動向が武田徳川間の勢力争いを決定づけたと思う。
遠州~信州に伸びる秋葉街道は南朝の道とも呼ばれていて源氏や藤原氏といった旧南朝の生粋の名門士族が多く残っていた土地、その辺はおんな城主 直虎でもちょっと触られてた。
三方原の戦の武田軍は3万5千とも言われてるけど当時の甲斐の人口が4~5万程度って考えたらあり得ない数字、多くの信州遠州の士族を加えた軍勢。 特に有名な赤備えは山県昌景の部隊だけが許されていて残りは黄や黒の備えだった。 その山県昌景に組み込まれてたのが信州遠州の士族で後の真田や井伊の赤備えに繋がってると思う。
堀江城についてもおんな城主 直虎で出てきたけど家康が先に大虐殺行っちゃってた、だから浜名湖の商港気賀では武田軍は民衆から大歓迎されたって聞く。
三方原の戦で大敗北して以降の家康は強硬な姿勢を改め、遠州の国衆の取り込み工作に奔走し、長篠の合戦の頃には武田軍は大きく兵力を減らして信州と甲斐の軍勢だけになっていた。
家康は遠州の国集を味方に付けるために本領安堵の朱印状を出したため全国でも珍しい国集が支配する土地がその後もずっと残ったのだと思う。
本日、NHKの「歴史探偵」で、信玄が戦国最強になった理由を解き明かしてましたね。今のアメリカ軍の強さの秘密である軍事理論「ミッション・コマンド」を戦国時代に確立していたとか。信玄、凄すぎます!
詳しい解説はありがたいかな。ただ15分程度の動画の方が見やすい感じ・・・
地元では、三方ヶ原の戦いと書いて、みかたがはら、とは読まずに❗みかたっぱら❗と読んだりしていました。勿論、方言だし30年ぐらい昔のこと😂だでねぇ〜🤞
堀江城を抑えられると、浜名湖経由による西からの補給がたたれる。浜名湖を抑えられると詰み。結局、出ても守っても負けの戦だった。最初から計画を立てたうえで攻めたのだろう。恐るべき策士。
三方ヶ原のジャガイモは美味いです。
ジャガイモを見るたびに頭に「三方ヶ原の戦い」と広い三方ヶ原が頭に浮かんでしまいます。
信玄「家康なんとかしろや!」(既読)がウケタ😊
航空写真だとより一層わかりやすくなりますね。
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周辺の城落としてから浜松城を攻めるという至極まっとうな戦略だったって事ですか
武田信玄が如何に強いかが良くわかる動画で感激しました。
徳川家康自身が参戦した戦さで、結局唯一の敗戦なのでは…🤔
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地形だけでシンプルに考えると狭隘地に進入する際に手前の広地で移動の際に伸びた軍勢を纏めて陣を張って後方への守りを堅めるのは当然で、未だ信玄自身が隘地に入って居ない内から家康が攻めかかるにはタイミングが早過ぎです。家康の方も定石通り武田軍の最後尾を少しずつ削る送り狼戦術のつもりだったのではないでしょうか?浜名湖畔の諸港の接収乃至破壊掠奪に展開して本軍に遅れて居た武田の支隊に側背撃されて大敗した辺りが妥当に思えます😊
武田水軍の存在は知りませんでした‼︎😱
面白かったです。武田信玄は戦での用兵が得意のみならず、戦が始まる前から敵を切り崩して調略することも得意でした。今回の大河ドラマでも、今川攻めの所で描かれた通りです。
そして信玄は家康と戦う時にも、家康の家臣へ調略を行って一定の成果を出しているのは、この動画の通りですが、一方で信長の家臣への調略はほとんど進んでいません。それでも信玄が信長との決戦を念頭に上洛へ踏み切ったのは、信玄自身のの病状が深刻で、信長の家臣への調略を進められる時間的余裕がなかったからかなと思っております。
めちゃくちゃおもろい
水軍は意外だった👍戦になるきっかけは懸川城を救援するために行くがが起きたんだ
めちゃわかりやすくて面白い!いつもありがとうございます!
武田軍が三方原の勝利後、浜名湖の制海権を奪ったのであれば、辛うじて生き延びた家康はさらに大ピンチに陥ったわけですが、どうやって家康が態勢を立て直したのか知りたくなりました。
武田信玄勝頼公親子が天下取りを動向して織田信長と徳川家康を倒して天下統一して武田信玄が幕府を開いて全国統治する。
甲斐から三河の国岡崎(僕の希望開府)に移転しました🎵
その世界観を見たかったですね🎵武田勝頼公と徳川慶喜公が一番大好きです🎵武田信玄と伊達政宗と後醍醐天皇と明智光秀と大久保利通も大好き💓♥️❤️です🎵織田信長と徳川家康と足利尊氏と源頼朝と松平容保一番大嫌い🙎💔です🎵浜松城と岡崎城と松本城と安土城が一番大好き💓♥️❤️です🎵
石川数正、本多忠勝、本多正信、服部半蔵、竹中半兵衛、石田三成、後藤又兵衛、明石掃部、黒田如水、毛利輝元、小早川隆景、小松帯刀、朝倉義景、島津斉彬、織田信雄、斎藤一も好きです🎵
グーグルマップを使った解説、ダイナミックな合戦模様が想像され、とても良かったです。武田水軍と聞き、武士道さん同様??となりましたが、今川配下の水軍をそのまま支配したのですね。琵琶湖同様戦国時代の湖は、現在の鉄道、高速道路のように必須のものなので、補給を絶たれるのは一番怖いことですよね。最新研究の成果も知れ、勉強になりました。戦が起こる経緯が分かると、俄然歴史は生き生きと感じられます。続編も楽しみにしています
大河より楽しみにしてます!🙂
解説、ホントにありがとうございました👍。
今回、三方ヶ原に続く一連の流れが非常に解りやすくまとめられていました!! 面白いです~👍
大変解りやすい解説ありがとうございます😄武田信玄は凄いけど徳川家康はここまで窮地に追い込まれても助かっているから凄い武田家が滅びるとは😅この時に門松の話しがあったんでしたっけ?それと何年かし長篠城に少人数で籠城する奥平氏を武田軍が攻めるのに苦戦している間に織田軍が間に合い長篠の戦いに勝利した🌀
はじめてチャンネルを拝見しましたが話し方のテンポも良く、地図や画像の視覚情報もあり、すごく分かりやすくて感動です😊大河ドラマがより楽しく見れそうです😊他の動画も見ていきます!ありがとうございます❤
そうだったんだぁ!
家康と信玄の戦いは双方とも広い視野と高い視点で行われていたのですね!
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そろそろどうする家康 三方ヶ原が来ますね!十数年続く徳川と武田との長い戦い、古戦場の近くよく行きますけど正確な場所が分からないままみたいですもんね、三方ヶ原墓地に看板があるぐらいですもんね、でも想像してここかなとかこう来たのかなとか思って廻ってます。歴史はロマンがあって面白いです
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面白く拝見しました。この段階でもう武田信玄の詰将棋にしか見えません。
松潤の家康さんが阿部寛さんの、信玄さんに、負けた戦いだね。
今川の後なんだb そこは知らんかった
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次回の解説も楽しみにしています。武田信玄、水軍まで活躍させていたとは。目から鱗です。
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Tシャツ届いたよ!
一番怖いのは、織田信長様だと思ったのですが、武田信玄さんが一番怖いですね。ドラマでは、家庸様が一番優しい人だと感じました。でも戦国時代は本当に怖いですね。
たしかに阿部信玄は物凄い怖いですが、
後々のこと考えるとムロ秀吉もかなり怖いです。
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武田信玄恐るべしですね。
大変勉強になりました(ᵔᴥᵔ)
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確かに、駿河侵攻が一段落した後は実権こそ握っていても勝頼に家督を譲って内政や外交の経験を積ませ、今後の戦においても信玄自身も出陣するが勝頼を総大将とする事を家中に示していれば、武田家滅亡の結果は変わらないとしても少しは違ったかもと思います。
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天下統一を目指す織田と武田はいずれ敵対する運命にあった。徳川は織田と運命を共にする決意をしていたのだから、当然武田と敵対する運命にあった。しかし、「今川領を侵略する」という当面の目的が一致したので、一時的に武田と同盟を組んだ。案の定、武田と徳川は、今川領への侵攻中に、相手が窮地に陥るような行動をしている。武田は徳川軍の背後に軍勢を送って、徳川軍の兵站を脅かしているし、徳川は勝手に北条や上杉と和睦や同盟の交渉をしている。徳川は北条と上杉と同盟を組んで武田包囲網を完成させて、武田を窮地に追い込んだ。武田は北条征伐を実行して、その包囲網を崩した。そして、徳川征伐を実行する。これで武田は表向きも織田と完全に敵対することとなった。武田は一気に織田との決戦を望んだのではなく、まず、徳川領、特に遠江の切り崩しを狙っていた。
和睦の「イントネーションおかしくない?
いちど皆で合戦やってみたいですね
もう、素晴らしすぎ❣️
中学校、高校の歴史の先生が、こんなだったら、私ももっと早く歴史の面白さに気づいていたと思います。
ありがとうございます😊次回も期待してます!
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更に地図🗺を見せてもらう事で具体的な地形や国•城の配置が分かり、
武士道さんの説明が更に分かりやすくなって
とても楽しかったです❗️😆
浜名湖って水軍の軍船が入れるような状態だったのかなぁと疑問に思ったので調べてみようと思いました。
浜名湖はもともと、海と繋がってなくて、戦国時代初期の大地震で「今切」というところが決壊して海と始めてつながったんですよね。
ただ、今切は現在ほどの広さはなくて、江戸時代まで段階的に広がって船が通れるくらいになったので、三方ヶ原の戦いの頃がどうだったか知りたくなりました。
1本にまとめると、さすがに長くなりすぎますね。
信玄は過大評価されすぎ。そんなに賢くない。
BGMいらないのでは?