【三国志】演義と正史で違いすぎる人物5選!あの人物の真実はいかに?!
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- Опубліковано 5 жов 2024
- 多くの人が知っている三国志の人物はほとんどが三国志演義によるもの。
しかし演義とは正史をもとに作られた物語であり、着色が加えられている部分がとても多いです。
正史と演義でほとんど同じという人物もいれば全く違う人物もいます。
ましてや正史にはいるけど演義にはいないという人物もいたりします。
逆も然りです。
今回はその中でも演義と正史で違う、有名な人物について焦点を当てて解説してみました。
ぜひ最後までお楽しみ下さい!
【参考文献】
正史三国志
amzn.to/42y8IcH
#三国志 #諸葛亮 #趙雲 #曹仁 #呂蒙 #郭嘉
孔明は伝説的な演義部分を差し引いても、流浪の劉備を三国の一角に押し上げたってだけでとんでもないことやってるんだよね
孔明と魯粛、どちらが言い出しっぺなのかわからないし実際のところ同じような構想をしていた人はもっと居たのかもしれないけど、
明らかに曹操一人勝ちの時代、「一国志」にすぎなかった時代の流れを捻じ曲げて
「同等の力を持った三国による三すくみ」のように見せかけた壮大なハッタリを成し遂げたのはそれだけで歴史に名をのこせる偉業だったと思う
三すくみと言うが、益州は既に漢民族勢力がいた訳で、劉備が入蜀したから三すくみになった訳では無い(さらには入蜀時点では馬超韓遂や関中勢力や、公孫勢力も居たし、孫呉による荊州揚州の異民族勢力もまだまだ途中で漢人の支配面積は少なかった)劉備の入蜀は、群雄が居並ぶ中で地方勢力が入れ替わっただけ。
劉備勢力の内情で見れば勢力を倍化出来ているので大きな事だが、そういった勢力拡大は、曹魏や孫呉、或いは袁紹や劉表も行ってきた事であり、何も劉備勢力の参謀ばかりを特筆する事でも無い。
@@ジョンスミス-h5b
魏はよく呉に負けてるイメージ
@@ジョンスミス-h5b
当時の知識階級ならほとんどの人間が考えたことで、特別な考えでは無かったようですよ。
まあ、曹操が袁紹を滅ぼして河北を手中におさめたら、他の陣営の選択肢は降伏か敵対かの二択。
さらに敵対する場合は曹操の支配地以外を手中に収めるか、それが不可能なら他の勢力と手を結ぶしか無いですから。
@@仔猫の足跡 時代の必然ってことなのかもですね。天下を丸ごと手中に収めるってのは難しいもんなんだなあ
それ以上に違うのは魯粛、曹真かな。魯粛は演義では優柔不断されているが正史に書かれている性格と真逆
曹真の功績は、演義では司馬懿に付け替えられてしまっている
まさにそれ。ついでに周瑜も気の毒すぎる。
あとは馬超も正史では・・・
魯粛はあの(無駄に)誇り高い関羽を叱り飛ばして何も言えなくさせた程の豪の者。
その素質と才能は周瑜に勝るとも劣らない人物。
もし彼が生きていれば、孫権の強力なストッパーになり得るほどの人物だった。
史実の魯粛は野心に満ち溢れてて大胆で面白い。周瑜に蔵1個ポンってくれてやった話最高です
賈詡は正史でも演義でもキャラクターが変らない稀代の謀将
魯粛は入ってるだろうと思ってたから、チョイスがちょっと意外。
曹仁。張遼の上を行く評価なんだよな。朱桓に敗れたのも周瑜に江陵を追い出されたのも演義か。
コーエーなら武力95くらいありそう
曹仁と周瑜の戦いって正史だと当代最強クラスのぶつかり合いでアツい
曹仁は言わずもがなだが周瑜も曹仁の陣に自ら乗り込んでたりしてバチバチ
孫権を孫堅と間違えるのは三国志が好きならあり得ない
罠だよ
蛇足ですが、それを言ったら本人を前に姓+諱で呼びかけるのは命知らずも同然かと。
会話の中でわかりにくい時は「パパのほうの」とか「息子のほうの」って付け加えるようにしてますw
ほんとそれ。親父の孫堅を使うなよ。
これが孔明の罠か
郭嘉は正史と演技とではそんなに変わってるとは思えないけどね。
それより曹真の方を入れる方がしっくりくるけどね。
演技ではなく、演義ね。
趙雲は正史の文献に登場しなかった事により、演義で脚色し放題だったんですね
なんや昔の人もやってることは一緒なんやな.キングダムとか
別伝があるのよ
横山三国志が入り口ですが蒼天航路に出会えてよかった
郭嘉が居なければ官渡を勝てず、攻城戦もうまく軍略は凄い、定軍山の法正も同じ。
演義は軍略家と政治家が混ざって英傑として出るから混乱する。
孔明はスーパー軍師じゃないけど、スーパー政治家ではあります。
諸葛亮はずっと軍事の人ですよ。政治家だった事はないですね…。戦略家ではありますが軍略家ではなかったのであって知るほどに凄い人ではありますが凄い政治家でもないです。笑
行政の体制を官僚化して頭の人間が素人でも政治が回る様に整備した人なので政治家でいいんじゃないの
そのせいで本国の内政官が腐敗しても国は回るので益々腐敗が加速した元凶でもありますが
@@しゅ-g6v
勘違いしているようだけど、孔明は丞相と言う職にあった。
彼は蜀にあって皇帝を補佐し、政治、軍事の頂点に君臨していた。
つまりは、孔明は政治家であり軍人でもあったということです。
だけど、孔明の才は張良や韓信ではなく、蕭何であったということです。
もう少し付け足すなら、劉備が存命中は孔明は後方支援が主な任務で、軍を率いた事は一度もなく、蜀への援軍でも実質軍を率いていたのは張飛や趙雲たちでしたしね。
諸葛亮はしばしば軍事が得意でなかったという人が後を絶たないですが、
実は内政も軍事も超一流の人。
魏と蜀では国力が9:1ほどに違うぐらい圧倒的に不利でありながら、魏と五丈原の戦いまで何度もやり合い、その過程で名将張郃を討ち取っている程。
それはまさに国力を極力落とさないための政策や、軍の確かな統率、数多の策を駆使する能力がなければなし得ないこと。
勿論、蔣琬や董允など優秀な部下たちもいるのですが、「丞相に劣る我々にあの活躍はできない」と彼らに言わしめたほど諸葛亮は凄い人です。
こういったものは正史ですら大本営発表的側面があります。
事実はどうあれ、いろいろな記述を比較しながら思いを馳せる。ロマンですw
陳寿の逸話で晋のとある名将とされた武将に「賄賂をくれたらあなたの事を良く書いてあげます」と持ち掛けたら、断られたのでその武将の事を一切、記述しなかった話しですね。
演義はまぁ作りモノだけど、正史だって当たり前だけど、見て来た人が現代に居ないから、本当かどうか確かめようがない‥
その謎が歴史を面白くさせる
陳寿の三国志が正史になるのは唐の時代の話で、理由は魏呉蜀の三国分の歴史がまとまってるから正史にするのにお得ってだけですしね。
皇帝を僭称した逆賊を先主としているように、劉備を贔屓にした内容になっています。
夷陵の戦いで劉備に信任され事実上の司令官を務めた馮習がそれまでどんな功績を挙げたか書かず敗北した事だけ書く、第一次北伐で馬謖と趙雲の敗退は書いたものの肝心の諸葛亮や魏延らが何やっていたのか書かないなど、割と好き勝手な内容になっていますね。
正史の郭嘉は間違いなくスーパー軍師
諸葛亮は結局バケモンやしなーという気持ち
魏は演義査定で考えなきゃならんもんね
3:33 赤壁の戦いでは 孫堅はすでに亡くなっているため その息子である孫権の代の話ですよね
朱然は演義で簡単に殺された。でも正史でその後大活躍した
朱然やその家族の墓が今でも馬鞍山にあり、朱然直筆と思われる木簡が残っているのには驚きました。
身体は小さく質素倹約家だったけど朱然は呂蒙に高く評価され呂蒙が亡くなる間際孫権に後任に推挙したらしいですね。
曹仁が強すぎたがために、演技で負け役にする事によって物語を壮大に作り上げたんでしょうね
実際呉に戦慄を抱かせた張遼より凄い人。
同じ一族でも曹操や曹叡よりも軍才があると見てます。
@@taku860曹操より軍才があるのはあり得ない。曹操が軍令で指示出してたんだし。
諸葛亮は正史知った直後は落差のせいで評価が低くなっちゃうけど、しばらくすると一周回って正史でも「めっちゃスゲー」てなる人多いと思う
演技の通りの人間がいるわけないからあれが正史とか言われても信じきれないな
5回も北伐やって勝つ事出来ずとも、有利に進めた訳だから優秀ですよね。軍師としては、微妙ですが政治、内政官としては超優秀
演義イメージ→軍略の化け物
正史イメージ→政略の化け物
@@Eシンスケ北伐をせず、蒋琬、費禕と共に内政を固めていたら蜀の疲弊を遅らせれたかもという説も有るみたいですね😢
いずれにしても、その後も北伐を続けた姜維が悪いと思います
三国志地図等は捏造だそうです。騙されないで。
董卓は残虐すぎて寧ろ演義ではマイルドにされてる。
日本でも奈良時代に書かれた藤氏家伝に暴君として書かれているあたり、
当時からその残虐さは日本にまで伝わっていたようですね。
今度ぜひ馬元義について語ってほしい。
生粋の馬元義ファンです。
あと三国無双でも使えたらいいのにと思う所存でございます。
リクエストありがとうございます!
とても通なところで嬉しいです。
諸葛孔明は事あるごとに先が見えると語っていたらしく
味方から先が見えるはずなのに と批判された文献が残っています
謙虚すぎる人物ではなかった可能性があります 歴史って怖いですね
孔明は荊州での学徒時代、自らを過去の秀才、管仲・楽毅に並ぶと豪語。
「君達なら、地方の役人位にはなれる」と言い、
「ではお前はどうなんだ?」と聞かれると、ただ笑って返すだけ。
など、御高くとまっている風も伝えられていますね。
当時の中国は
武力こそ誉れ
的な所が強くて
王である劉備に
色々と意見したり
(新参者の若僧が)
気に入らない人達も
少なくナカッタのでは…?(汗)
内政の諸葛亮、軍事の龐統。
龐統の後は法正。
が基本体制だけど蜀平定と南蛮平定は軍事に携わってたんで、清廉潔白の内政官で軍事も有能が妥当な評価なのではないでしょうか。
華歆は演義ではかなり外道にされてますが、実際は真逆ですね。
演義より正史の方の活躍がもっとすごい張遼は本当に凄い人だと思います😊
また演義では猛将のイメージが強い夏侯惇が、正史では実戦は苦手で内政面や後方支援の方が得意だった事なども面白いです😊
夏侯惇とかいう信頼性の塊
張遼は主を何回も変えたと言われますが、一貫して呂布の配下で後に曹操に降っただけ、呂布陣営の高順も評価が微妙だけど、個人的には呂布軍最強(軍略)だと思う←いわゆる韓信ポジション
@@matukawatositane 曹操に寝室に入ることも許されてたくらいですから、絶大な信頼を経ていたのは間違いなさそうです。行軍中でも、講師を読んで勉強するところや、財が余れば配っていたところや、墓には『一振りの剣』しかなかったところもなんか好感が持てます😊
@@寺島忍 自分の意思で主を何度も変えたわけではありませんしね😊 何より曹操に降ってからはかなり魏国に貢献してます😊 関羽との友情が史実でもあったのも嬉しいところ。
@@寺島忍 高順も『陥陣営』と言われて、必ず陣を落とすと言われてたくらいですから、実力はかなりのものだと思います😊
博望坡は徐庶だったような
漫画の蒼天航路では郭嘉が印象に残る描き方をされてますね
趙雲は正史に書かれていないために逆に物語を膨らませるのに使いやすかったのかもですね
蒼天航路の晩年の郭嘉がまさに正史のイメージなんよね(郭嘉は模範的行動に欠く所があると陳羣からよく批判されてました、早死にもそこら辺が原因の可能性もありますね)
呂蒙は人形劇三国志の風評被害が酷すぎますね。
中国ドラマ「ThreeKingdam」は、演義を基本とするものの、史実の要素もところどころに絡めて、演義、史実を知っている人にはより楽しめるドラマでしたね。
劉備が「人徳あるように振る舞おうとする」腹黒い部分を描いているところがよい😂
1人1人の深掘りするの動画も好き、またやってほしい
ありがとうございます!
あくまで人物の方をメインに作成していく予定ですので、今後ともよろしくお願いします🙇♂️
三国志最近興味でて色々見てるけど、このちゃんねるもまぁまぁよかったからシェア
ゆっくり赤壁ちゃんねる
三国志研究室
試験に出る三国志
3.32の孫堅は孫権じゃないですかね?
いつも楽しく拝見させてもらってます。これからも為になる動画よろしくお願いいたします。
パパ孫堅の名前ですよね
私もそう思いました。
おっしゃる通りです。
ご指摘いただきありがとうございました🙇♂️
ご丁寧な返信ありがとうございます。
これからも三国志や三国志の後の話など、たくさんの動画楽しみにしてますので、よろしくお願いいたします。
趙雲は正史での記述が簡素なのに対し、『趙雲別伝』は活躍の記述が多いため、信憑性を疑う声がインターネット上で多くみられる。しかし引用した作品を厳しく批判したり、矛盾を指摘する裴松之が、『趙雲別伝』には一切疑問を呈しておらず、また、正史と大きく矛盾する点なども見られないため、三国志研究者の論文や著作物でも『趙雲別伝』を著者不明の史料であるが、と前置きの上で、正史を補う資料として採用しており、『門閥社会成立史』[]などの著書で知られる、中国史学者の矢野主税は、『趙雲別伝』を含めた別伝について「信用性が高い」と論文『別伝の研究』にて論証しており、否定派は極少数である。
諸葛亮の職歴って軍師中郎将・使督零陵桂陽長沙三郡から始まって
軍師将軍・署左将軍府事、丞相錄尚書事・假節・領司隷校尉と完全に軍人キャリアで
益州攻めで軍を率いて陸抗が落とせなかった白帝を一瞬で落としたりと普通に劉備存命時から
軍人です
それは演技の話ですね。
@@sao78lot729 正史の諸葛亮伝本文に書かれています。同じ伝に益州攻略で軍隊を率いた記述もあり、諡も忠武侯。普通に軍人かと。
軍師中郎将、軍師将軍などから文弱な参謀のように思われがちですが、劉備のところは参謀制度が無いのですし普通に部将ですよね。
もっとも武器を手に最前線で戦うのではなく、部隊指揮は実戦経験豊富な将校らに任せ、自分は飾りとして本陣で眺めているだけでしょう。
当時の名士(士大夫)は労働しない代わりに人々の上に立って指導する人種なので、当然ながら平時だけでなく戦時でも指揮官として兵の上に立って身を危険にさらす義務が発生します。
天平宝字四年十一月十日丙申。遣授刀舍人春日部三關。中衛舍人土師宿祢關成等六人於大宰府。就大貳吉備朝臣眞備。令習諸葛亮八陳。孫子九地及結營向背。
奈良時代、安禄山の乱への備えとして大宰大弐に就いた吉備真備が、京の武官を大宰府に招き諸葛亮や孫子の軍略について講義を行ったとの続日本紀における記録です。
天平宝字4年は西暦760年ですので、演義成立の遙か昔より軍事的に評価されていた事が分かります。
というか、本当に頭の良い人が行政と軍事の両面で活躍するのは、別におかしな事でも何でもないんですよ。
むしろ武力やら知力やら政治と能力が分かれていると思っている方が、ゲームに毒され過ぎてるんじゃないかと思いますね。
細かいつっこみだけど陳寿の正史と裴松之の注釈がごっちゃになってそう
まぁ分かっていても、多くは横山氏の方にイメージあるからね。
坂本龍馬さんも、お~い竜馬が軸になってしまった所もある。
人はやはり字だけより絵が入るほうが万人に読んでもらえるねw
魏の武将は演義とは違って皆優秀だったし討ち取られた武将も少ない。
ファミコンの三國志1で孫堅で在野武将だった魯粛を登用しにいったら捕らえられて更に首をはねられた事がある
在野武将の分際で一国の君主を引っ捕らえてしかも首をはねるとは・・・しかも魯粛が
横山三國志で育ったワシ的にあり得ん現象にしばらく固まったわ😅
孫権が親父さんの孫堅になってますよ。
赤壁の戦いの頃孫堅は他界してますね。
諸葛亮が魯粛、周瑜と共に説得したのは息子の孫権仲謀ですね。
陳寿は好き嫌いや賂に影響された説がありますね
諸葛亮孔明って呼び方おかしくない?
諸葛孔明でしょ。趙雲子龍じゃなくて趙子龍。
諸葛が姓、亮は諱で本名、孔明は字で通称。
諱で呼ぶ事を避ける為に字を使われるのに、両方入れて呼ぶのは意味が分からないし違和感が凄い。
三国志初心者でも知ってる事だと思うけど。
三国志オタクと自負していましたが知らなかった。。
田中芳樹の創竜伝でそれ見ましたね
孔明は別に天才軍師ではなく内政官として優秀だったとか
僕も、そう習いました
が、
本当の中国人(現代の人)でも
その言い方を
してなかったりするので
(在日の中国人UA-camr)
僕の今のスタンスは
『分からない』
って感じです…(汗)
(*^▽^*)ラジオ風の語りの中にゲストが来て、『何のことだ!?』が何度もあって、面白かった。演義と正史の違いが面白くラジオを聞いてるみたいで、こっちまで心で笑ってしまう感じがしたwwwww。これからも、面白い動画作成を楽しみにしていますね!!!!!
ありがとうございます!
そう言っていただけて嬉しいです😊
今後ともよろしくお願いします🙇♂️
呂虔・臧覇辺りが正史と演義で評価が全然違うと思います
孔明の采配じゃなくて劉備玄徳が采配してたんだかっこいい郭嘉の予言恐ろしけど凄い趙雲のエピ👍
演義では仇討ちで挙兵して曹操と闘ったのに正史では挙兵したせいで馬騰らが討たれた馬超がいないのは意外でした
当時の記録では無くてもこれだけ伝えてられてるの古代ローマか古代中国史だけだよなぁ
正史と演義でかなり違う人物は劉琮もいるかな
蔡瑁達の策にハマって劉備が推した劉琦と対立して曹操に降伏
後に母共々暗殺されたみたいな感じに書かれてるけど
実際には降伏後もいろんな地の太守を任されたりして充分な働きをして天寿を全うしている
そもそも「曹操に降伏した」とまるで悪いことをしたかのように描かれているが
当時は漢王朝の献帝が健在で曹操は彼を庇護していたので
「劉一族の末裔が皇帝に服従した」と考えれば別におかしな行動でもない
劉備軍最強の軍略家は劉備自身
個別の列伝で、どの人物と同じ巻で扱われているかが重要かと。
郭嘉に関しては無双の方でも長生きしてれば確実に郭嘉の居る陣営は天下を取れるのではと思わしめる天才ぶりだったよ
なお2024年の日本では弥助演義問題が起きて一部界隈で揉めてる模様
諸葛亮は軍師
ではなく
『人心掌握術』に
長けていた説
赤壁の東南風も
漁師さん達から
聞いたのでは?♪
あと、奥サンは
『インド人』説
不美人説は『色黒』で
数学などにも長けていたし
(物作りも)
陳寿の正史ってのは、戦で出撃した武将をどのように把握してるんだろう?
戦の記録として各国に保管してあったものを、晋になって陳寿のために集められたのだろうか?
関羽も張飛も強いけど火つけられる事が多い。そこ行くと趙雲は文部両道、殴りあいも強い火もつかない後半の頼もしい味方でした。あ、三国志1の話です(笑)。
それでも曹仁は赤壁後に周瑜を苦しめたり、樊城の戦いでは押されながらも守り切ったりで史実ほどでなくとも活躍の場が用意されてるからまだいいよ。曹真の方が扱いがひどい。北伐を防いだ功績が全部司馬懿に持ってかれてるし、演技だと孔明の引き立て役扱い
このチャンネルの動画は、どれも面白いです。今後は日本の戦国とかもやってほしいです。
ありがとうございます!
やる場合はお知らせいたしますね😊
三国志演義で
諸葛亮が「超天才軍師&超一流政治家」になっているのは
諸葛亮と劉協(献帝)の生没年が一緒(181〜234)だから
郭嘉の読みは凄いな…
呂蒙子明の話ですが、呉の阿蒙の『阿』は阿呆(あほ)の阿。『蒙』は子供の頃のあだ名。今だとバか蒙という感じになるので、阿蒙と言ったのは幼なじみか、幼い頃からの知り合いで歳上の人。ちなみに劉備の備や関羽の羽、張飛の飛も子供の頃のあだ名なんで、その名で呼べるのは親兄弟や幼なじみ、近所のおじちゃんおばちゃんくらい。。。そういう時代考証のうえで書かれた三國志の小説は意外と少ない。演義からは外れますが、正史を独自の視点から書いている陳舜臣の秘本三國志はお薦めです。
一番得をしたのは間違いなく趙雲だね
三国志指折りのスーパースターになっちゃったんだからな…
後世の遠い異国にまで伝わる人気とか、あの世で本人もビックリだろう
郭嘉は光栄三国志でステータスが高かったので覚えてた。
風を起こしたんじゃなくて、風向きが変わることを知ってただけ何だけど
これも演義の中の話。正史では赤壁の戦いに蜀は絡んでなかったはず。曹操が撤退したのも敗れたからではなく、本国で疫病が発生したため。いや、演義ってやりたい放題だよね。
@@実藤忠彦 演義しか知らない人の方が多いもんなぁ
ネットでやたらバカにされてるけど趙雲はそもそも今でいうボディーガードですからね
それだけ劉備からの信頼が厚かったのです
それでいて劉備の死後は一軍を率いて一度たりとも局地戦では負けていないどころか重要な戦の殿は彼がやっています
それだけ忠義に厚く信用された人物です
演義の趙雲はともかく、正史の趙雲は第一次北伐における局地戦で負け、諸葛亮に馬謖と並べて敗戦責任追及されてますね。
正史で唯一と言っていい記述で、斜谷で曹真軍に負けてるのにさすがに捏造が過ぎる。
正史出てこないのが近衛だったからなのはそうだけど、故に別に目立った功もない。
何故か演義準拠では性格の良いイケメン最強武将だが。
え!?劉備すげーじゃん
現代の演技=キングダム
キングダムは記録がほとんどないのに良くあそこまで書けるなと感心する
たしかに。笑
函谷関不抜。ですからね!!
@@青より蒼し 高い城壁は漢の時代に造られたものでキングダムの時は高く無いんだよねー
そもそも三国志も本当は魏の一国志。それを言ったら物語にならないけど。
曹操の魏が7~8の力、呉が2で蜀は1程度
郭嘉は光栄の三国志では昔から知略99や98に設定されるほどの将だったのでよく覚えてる。
唯一の欠点が病弱短命なことだけなんですよねぇ
素行が悪い
もじゃない
趙雲が関羽や張飛のように不運な最期を遂げることがなかったのは、この2人のように性格に癖があり敵を作りやすいタイプではなかったからではないでしょうか。
生き残るための処世術には優れていたと思う。
演義では査察にきた督郵をムチ打ちしたのは張飛だが、正史でボコボコにしたのは劉備。関羽・張飛は止めた側。
@@あっきーさん-r8t 止めたかどうかは不明だし、関羽と張飛の性格に問題があったのは事実。
@@あっきーさん-r8t 部下を殴りまくって部下に◯されたのは張飛。
そもそも趙雲は曹操にとっての許チョに近い役割だった。劉備の護衛隊長で軍を率いて前線に出たのはかなり後年。
陳寿が公式に関張の死因は人間性の問題って書いているしね
正史と演義で寸分違わないのが馬謖が後世に名を残す大登山家だったと言う事だな
悩む孔明 早る馬謖を登らす
三國志の初心者にはちょうど良い動画ですね( *˙ω˙*)و グッ!
歴史とはロマンでありそれぞれの解釈があるので自分が最もロマンを感じた解釈の仕方でいいと思う
やっぱカクカが預言者レベルのヤベー奴。またホウセイも公言しちゃヤバいくらい恨んだ奴は容赦なく処刑したみたいね。
地元中国人より日本人が三国志を好むのって蜀の滅びの美学とかも絡むのかね。
三国志初心者:「劉備と諸葛孔明スゲー!!」
中級者:「劉備と孔明は演義で持ち上げられただけ、偽善者と戦下手じゃん」
上級者:「劉備と諸葛亮スゲー!!」
孔明は蜀攻略の時の身分は孫乾よりも低く配下になった龐統が孔明と同じ身分になったからね。、演技では龐統の名声がとあるが史実でははっきりしてませんね、蜀を取ったあとでも法正が軍師で位もわりと下でした、まあ劉備にはそれほど武将と軍師としての評価をしてなかったかも馬謖のこともあるし、そのため劉備が亡くなり活躍しだしたのですね。でも内政の実力は蘘荷に比肩するとあるから、蜀を任された時北伐の時の武将のレベルが高かったら、北伐も自ら行くことも無かったし、なんでも自分でやる性格もあるが、激務で若死にすることもなかったのにね。
1番違うのは劉備じゃね?
次は名前事態が違う張飛?
江戸時代の人が読んでる三國志
明治時代の人が読んでる三國志
大正時代の人が読んでる三國志
昭和の人が読んでる三國志
平成の人が読んでる三國志
令和の人が読んでる三國志
👆️
全部
別々だと
思うのよね
\(^o^)/
例えば
江戸時代なら
刀と鉄砲
明治時代なら
立憲君主制と忠誠心
昭和なら
根性論と一騎討ち
平成なら
全員
女子化 💋
令和なら
ウクライナで実戦
台湾でも実戦
\(^o^)/
その
時代
時代に
一番
#必要な三國志 が
出て来ると
思うな
\(^o^)/
今日のめっちゃ面白い
落差がある5選ではなく
メジャーな5選でしょうよ
全く正反対な華キンとかいるのに…
そういう事なら「勘違い」じゃないですよね。
諸葛亮って北伐が成功しなかっただけで軍略の才は今ひとつって…そりゃあねぇだろ…
相手は司馬懿だし、そもそも蜀漢の戦力で魏を討つとか無理だし…
少なくとも俺は正史読んでも諸葛亮の評価は変わらなかったです😊
北伐の目的に穀物の確保という説があり、実際に屯田を行ている。
日照時間が少なく、穀物が少ない四川盆地に押し込まれてしまった分の挽回だったのだろうか。
諸葛亮はオーソドックスな用兵を好み、相手の策が及びそうな箇所を丁寧につぶしていく印象。
魏延が提案した長安奇襲策は、おそらく効果は大きいが捨て兵になると判断したのではないか。
孫権の表記が堅い親父の方になってた
紙芝居見てる感じがして垂れ流しにちょうどいい
赤壁の戦いでは、蔡瑁が曹操に進言したのでは?
演義は蜀贔屓なので、蜀の人物はスーパーヒーローですし、その蜀陣営の武将や参謀に関わった人は、引き立て役か完全な悪役にしか描かれない…
だ~か~ら、絶対いる❗️って思ったのに、何故いない⁉️魯粛‼️
赤壁での一番の功労者ですよ❗️
彼がいなければ、孫権は迷ったままでしたし、孫劉同盟もなかったし…何より孫権が自ら、馬を降りて魯粛を迎え讃えた程なんですよ❗️
なのに演義では、周瑜と孔明の間をウロウロしてるだけの、気の弱い書生みたいに描きやがって💢
是非とも魯粛特集、お待ちしております🙏
郭嘉は早逝していなければ曹操はもっと楽だったろうなぁ。
曹操に郭嘉、劉備に法正
これが残ってたらかなり面白いことになったんよなぁ
少なくとも蜀に法正が居たら諸葛亮のやらかしもなかったし、魏延ももうちょい自由に動けた
@@ゆう-i5q 郭嘉と法正が激突する二次創作とか読みたいわ
「正史」が真実、「演義」がフィクション、っていう前提がそもそもね…
まぁ正史を全部真実とするのは危ういけど
演義は実際二次創作レベルだから
孔明は実は内政の人ってしたり顔で三国志マニアがよく言うパターン。
曹操について、
逃亡中に匿ってくれることになっていた呂伯奢一門を皆殺しにし、
一度は臣下に迎えていた陳宮はそれに呆れて曹操の元を去る。
・・・というのは正史には書いてあるのですか?
演技で曹仁は負けた戦しか書かれてなかったですね
郭嘉の前任者の戯志才は全く語られない…。
曹真の扱いが演義と正史で違い過ぎている。『曹』氏は皆軍事面(戦術略)では優秀すぎるくらい。と私は思います。
絶対馬超入っていると思ったがいないのは意外
演義=親兄弟の仇を討つ為に蜂起する 史実=馬超が蜂起したせいで親兄弟が処刑される
演義と正史で一番違い過ぎるのって劉禅だと思うんだけどなぁ
「儒教的正義である蜀が負けるはずない」のに負けた理由をとりあえず劉禅に押しつけただけっていう印象
諸葛亮の死後も30年国を保っていたし、父と違って軍事的な実績はないが人を働かせる才能は受け継いでいる。
司馬昭に野心を疑われた際にはとっさに愚人を装って難を逃れているし非凡だと思う。
最終的には父祖の地で天寿を全うしている。
他にも曹真や陶謙なども正史と演義でだいぶ差がありますね。
3:34 孫堅じゃなく孫権
諸葛亮は軍事面は最初は弱かったけど、後に強くなってる。
孫堅なのか孫権なのか…ものすごく違う。
孫堅は親父
孫策は孫堅の長男
孫権は孫堅の次男
確かに紛らわしいんで
劉備玄徳のようにフルネームで
孫堅→孫堅文台
孫権→孫権仲謀といった表記なら
判りやすいかと🎵😁👍
呂蒙はむしろ過大評価されている人物だと思います。
魏の国力を無視して呉蜀が争う道を選択した事は賢明では無く、三国志の結末に直接かかわる取り返しのつかない大きな影響を及ぼしました。
呂蒙と甘寧の関係ってどうだったのかな?
三國無双から三国志に入った身としては気になる
おそらく甘寧のほうが年上ではないかと思われるが、呂蒙のほうが早くから孫権陣営にいて敵側から寝返った甘寧を推挙している。
その後も粗暴な甘寧を何度もとりなしているので関係は良かったとされている。
いや最初からエンタメ小説やしな…
太平記や平家物語と同じ
曹仁は大魏の一番将!
イケボがチョット苦手だな。
諸葛亮孔明 三国志演義ではスーパー軍師
三国志正史では優れた政治家
趙雲子龍 三国志演義では活躍した場面が多い 三国志正史では影が薄い。
曹仁、張郃 三国志演義では孔明の策のやられ役
三国志正史ではかなり有能武将