【三国志】驚愕の事実!圧倒的な差があった魏蜀呉の国力差
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- Опубліковано 15 сер 2023
- 三国志というと3つの国が均等に力を持って均衡しあうというイメージを持っている方は多いと思います。
確かに曹操率いる魏が多少有利だったんだよね?というイメージで三国志を見てきたのではないでしょうか?
しかし、実際の国力差についてみていく驚愕の事実が発覚するのです。
よく、この国力で・・・
という事態に陥るわけです。
劉備、曹操、孫権の勢力がそれぞれどの程度だったのかということがこの動画を見れば全てわかりますので、ぜひ最後までお楽しみください!
#三国志
魏が青 蜀が緑のイメージが強い
呉がまさかの民主主義だったとは
魏が圧倒しながらも、呉蜀は天然の要害に守られていたのでそれが絶妙なバランスになって面白い結果になったんだよな。
漫画、三国志から大ファンになった為蜀に気持ちが入ってしまいがちですが各国各々の努力や結果からドラマがあるのだなぁと思いました。
北伐を批判する人は数多いが当時の国力と蜀の地理的条件を考えると戦力があるうちに出ておく必要があった。蜀は守るに容易く攻めるのは難しい地。だから夷陵で全軍壊滅していなければ、孔明の計画も全然変わっていただろう。恐らく孔明は荊州を維持して呉と和睦して、互いに国力を上げて50(魏):50(蜀+呉)にする計画だったに違いない。せめて荊州守護に龐統が生きていればね・・・
まるでドリフターズのギャラ配分だな
孫権は晩年のぼけた状態で話をしてもらいたかったぜ。
コーエー三国志でもそうだが金や兵糧以上に人材の確保がなあ。過去にどんだけ足利義昭並にお手紙作戦(偽書索敵)を仕掛けた事かw
実際国力って人口の多寡だからね、人口が集中する中原を押さえてる魏が圧倒的に有利なんだよね
魏は守るべき国境線が長いし、寒冷化で華北の農業がやられて、国力差ほど圧倒的できなかったのが実態。
ドラマではよく議事場の大きさで国力を表現している
なんとなくでしか知らなかったことを深く知ることができて勉強になりますね
関羽が治めていた荊州があって何とか魏呉蜀の均衡がどうにか保てていたので、関羽のしくじりで
3人で始めた椅子取りゲームが三者誰も座ることなく終わるってのが面白いよね!
1:3:6 長年戦力差を考えて導き出した値と同じだった
曹操目線の物語なら、官渡の戦いまでの方が絶体絶命が多すぎて面白そう
孫呉は家柄が低いから呉の四姓等々の豪族を無視できなかったですねぇ。陸氏の陸遜は実質的に呉の半分位の実権を握ってましたし。一方、後ろ盾が孫権しかいない呂蒙、潘璋、甘寧等の成り上がり者を愛した。なんかわかる気がします。
内容のわかりやすさもですが、曹操と曹否との会話口調が、
普通に国力差はあったと思いますよ。屯田民は各郡県に渡って典農官によって管理されており、彼らの権限は郡太守や県令に匹敵するものでした。
これ見るとチンギス・ハーンは、凄いよな。圧倒的に国力も技術力も知力も上の相手を武力で吸収合併して行ったんだもの。