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どこかのイベントのナレーターみたいな女性の声で三国志ネタの動画が見れるの新鮮!
自分は日本の歴史が好きだから関羽とか呂布ぐらいしか知らなかったけどよく分かりました!勉強になります!
三国志だったらこのチャンネル良さそう『ゆっくり赤壁ちゃんねる』『試験に出る三国志』『前略、歴史を語ってみた。』
@@トマト-w7h6e ありがとうございます!
中国の長い歴史の中で、天下無双の豪傑とか天才軍師とか星の数ほどいたんだろうけど、三国時代がこれほど特別な時代として意識されているのは三国演義が小説として抜群に面白いからでしょうね。
そして、演義をベースに考えるとどの人物も他の時代に出てきていたら主役を張れるほどにエピソードが豊富です。武力に優れた武将…知略に優れた参謀…
すごく良い動画😊
黄忠がもう少し若かったらとか馬超がもう少し長生きしていたらとか想像してしまいますね…
学生の頃三国志の小説読んでました。張飛は確か寝てる時に殺されたみたいですね。だいぶ歳をとっていたので危機察知能力が鈍くなって部下の殺気に気づけなかったっぽいです。
ご視聴ありがとうございます。春来も大好きな五虎大将軍についてお話をさせていただきました。お楽しみください。
4:30 大敗を喫して じゃないのか
五虎大将軍←変換できるの凄いw
諸葛孔明「関羽と張飛の2人扱いづらいな」と内心思ってたかも?
趙雲の活躍だが、歴史的に見るとあそこで劉禅死んでればなぁとなる悲しさ
この時代だから戦役の後に疲労から病死ってのはけっこう多いんだろうな。
とてもわかりやすく惹き込まれましたあんなに有名な趙雲も最後ははっきり記されていないんですね🤔
晩年、70近くになってからも、姜維と一騎打ちを繰り広げたとか、そうでないとか
趙雲に限らず三国揃って猛将のエピソードは演義等の創作が多いから仕方ない蜀よりも記録が多い筈の魏呉の猛将たちの一騎打ちでさえ大体そうだしあの呂布でさえそう・・・まあ創作かどうかより猛将の話は楽しめたもの勝ちよ1800年も前の武将のことをウソホントとかキリが無いし
今更だけどスラムダンクの考察家のサラシナさんだ🤭
@@minxs54 さんおお、スラムダンクもお好きなんですね気が合いますね😊👍
黄忠は関羽からジジイ呼ばわりされていたことが白髪頭の老将という設定に繋がる。しかし蜀書では蜀遠征軍の中では年長の黄忠が最も勇猛であったと記載されてるし、夏侯淵を定軍山で討ち取ってるから武将としてはかなり優秀だったと思われる。
前後左右の将軍職に任命された際、関羽が言ったセリフですね。「あんな老いぼれと同格とは!?」と。
前将軍と後将軍に任ぜられ、同列扱いに憤慨した関羽は、孔明から美髯公には敵わないとの手紙をもらい、皆に見せびらかしたとか 良く言えば素直、悪く言えば単純な性格が垣間見えるエピソードですね
@@雅彦-h4p それ馬超な
@@ああ-v5q1y いやいや、馬超と黄忠が同格なことに憤慨したそうですよ?🤔黄忠は、長沙の戦いで互角に渡り合ったばかりか、弓矢は避けれなかったっていうのにね😅馬超の場合は、漢中から届く報せに、馬超人気が高かった為、「腕前を試してやる!」と鼻息が荒かったので、このままでは荊州の守備を放ったらかして漢中まで来かねないと思った孔明が書いたベタ褒めの手紙ですね😅
黄忠は定軍山で夏侯淵を打ち取る事出来るのは法正の策のお陰ですね、もし策なしで正面撃ち合う場合、寧ろ黄忠の方が不利でしょう。
部下の反逆で命を落とした張飛と呂布の死からは「パワハラは絶対ダメ」という教訓が得られますね…これとは対照的に同僚には傲慢でも部下や領民に慈悲深かった関羽は千年以上経った今でさえ崇められていますから部下を慈しむことの大切さを教えてくれる話だと思います。
何事も歴史が教えてくれますね
関羽は死後に怨念に駆られた幽鬼となって彷徨った逸話で恐れられその祟りを鎮める為に庶民に祀られ宗教家もそれを利用して行った結果徐々に鬼将・神将などとランクアップしていって最終的に「忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝」になっています。部下への慈悲ではなく裏切られた結果の無念の死が関羽崇拝の根源ですね。
@@間藤-d9u あの・・周創は架空の人物で確定しているのですが・・・
何しろ関「帝」ですからね。
それと、酒乱の上司も勘弁してほしい…😅とまぁ、部下の言い分
みんなが思ってるより真実は更に残酷だというハガレンのセリフ思い出した。
関羽は荊州を任されたあたりから横柄になったのが残念。武は一流なのに…
思うに、耄碌、あるいは軽い認知症が始まってたと思います。武を鼻にかけ蜀の国の行く末を顧みる判断力も失ってしまっていた。おかげで蜀の滅亡のトリガーを引くハメになり、諡も壮繆侯という微妙に悪い諡をもらってしまった。
内容は凄く面白いし編集も分かりやすいが、、ああ張飛が死んだ〜笑笑
ドラマのスリーキングダムの趙雲の最後があっけなさすぎた伝令「丞相!」 孔明「なにごとだ」伝令「け、けさ趙将軍が自宅で亡くなられました」 孔明「なんと」そのあと孔明が泣いて終わり
横山光輝の三国志では線目なんだが...趙雲子龍。
馬超は馬騰達が人質状態になってるのを知った上で挙兵して負けて、報復で馬騰達は処刑されたのであって、一族が殺されたから挙兵したのではない
解説は演義の話ですよね。話の流れ的にはあっちの方が面白いけど…
正史と演技で馬超はイメージが変わるからなぁ。史実の馬超は割りとクレイジーWW
5:15 呂布のゴキブリ感が…好き🪳
誰一人として、「華々しい死」を遂げたものがいないのはあまりロマンがないが、現実味があってかえっていい味出してるかも。趙雲グラフィックが5人の中で一番地味…
五虎大将は演義オリジナルですが、正史でも関張趙黄馬伝という括りで記録されてると聞いたことがあります関羽は士卒を大事にしても士大夫に驕り、張飛は君子を敬愛するも小人を憐れまず、といわれ、それぞれがやり手にありがちな欠点を持つと言われていますね趙雲は堅実な生涯から、現代では一番理想的とされる武将とも子龍は満身これ肝なり、とそのタフネスぶりを称賛され、その死は孔明をして、蜀にとっては棟木を折られたようなもの、自分にとっては腕をもがれたようなものと嘆いたと黄忠は最後の戦で、劉備の「長年付き従ってきた武将が年老いてしまった」との言葉を聞いて憤慨して戦に臨んで戦死馬超は李恢に、劉備への投降を勧められ帰順したものの、大して結果を残せず病没様々なキャラクターや最期を迎えた5人に比べ、魏には張遼、楽進ら五将軍という括りもあるそうですが、やはり五虎大将のインパクトには敵わずかな現実的には魏に仕えたことが成功だろうが、後世の歴史的には蜀に仕えた方が、三国志演義により良いイメージで語られるとまでは、誰も思わなかっただろうな
2周目趙雲1番好きなんだけどな蜀の中で
音声のボリュームが低いので上げてほしいです
三国志の時代すら最後はあっけない感じで終わっちゃうのが残念ですね。その後の時代は闇の時代と聞いてます。
馬超が曹操に兵を起こしたのは父馬騰や妻子が魏にいる時で、それが原因で家族が見殺しになったと言う話もあるとか。
選挙カーかと思ったwwwww
やめてくれw動画見る前にコメ目に入って選挙カーにしか聞こえんかったーw
@@masadan7702 すまんwwwwwwwwww
ありがとうございます♪ありがとうございます♪
wwwwそれなw
キャラと声が合ってないねw
作品によっては顔扱いされる趙雲、それも結構デリケートな死に関する資料が少ないあたり実は大物ではないのでは…?と考えさせられる
基本的に「戦場で死ぬ=大敗北」じゃん..
横光三国志だと関羽は孔明の言い付け守らないで魏も呉も両方相手にした結果があれだったけど実際の所はどうなんでしょ。
黄忠のとき急ににテンション上がるの草www
こお~ちゆう~‼️かんしよ~‼️
五虎大将軍って小説や演義で出た架空の称号でしたよね?
張飛の字は益徳なのか翼徳なのかどっちなんだろうね?
過去に遡って劉備に色々話聞きたいわ。
黄忠と厳顔の老将コンビとか言われてるけど厳顔は言うほど老将ではなかったとか
病死が「らしくない死様」とは思いません。例えば関羽が荊州を失う事無く史実+20年程生き、長患いの末に最期の力を振り絞って青龍偃月刀を持って邸宅の庭に仁王立ちして、その姿勢のまま大往生したらそれはそれで関羽らしいと言えるでしょう。あと、不甲斐ないかも知れませんが、張飛はお酒の飲み過ぎが祟っての病死も有りですね。関羽に「だから、あれ程酒を慎めと諌めたのに」と言わせて泣かせるのも張飛らしいかと。
馬超は馬騰が処刑されたから潼関の戦いを起こしたのではなく、馬超が潼関の戦い(211年)を起こし連座する形で馬騰が処刑されています(212年)それと関羽と黄忠が一騎打ちをしたという記述は正史三国志には有りません。
張飛VS馬超もそうですよ
後、関羽と張飛の武器として有名な青龍偃月刀と蛇矛も、あの時代にはない武器でした。
@@柳谷慈彦 横から急にすいません。でも胴元国の中国が認めてるというか、ごっちゃになってるからしゃーないような気がします。
曹 孟徳は徳の高い馬 寿成のことを非常に高く評価していたからね。
こういうところに正史の話を持ってきても場違いなだけですよ。冒頭で五虎大将軍は演義の話と紹介していますし、それくらいの事は分かってて動画作ってるでしょうから。
パワハラはダメといいつつ、張飛タイプは現代人にも普通にいる。関羽タイプも個人経営にいる
諸葛亮は個の武力とか軽視(そんなものより策だ!・・みたいな)してたのかな? 時代的に肉弾戦が物を言う事も有ったろうから、もう少し人材発掘に注力すべきだった気もする。
関羽を攻めたのは、陸孫ではなく呂蒙では。自分が知ってるのは陸孫は姨陵の戦いで大都督に抜擢されるまで無名でした。それで劉備は油断して大敗しました。布陣を見て諸葛亮は才能を見抜いて出陣を反対したのに怒って連れていかなかったって逸話もありますね。
「呂蒙、勇にして謀断あり、軍計を織る」だったかな?。陳寿、褒め称えてましたよね。
私も関羽の普段の行いや思考が引き金となって(荊州ピンチに援軍拒否された)、劉備軍は壊滅寸前まで追い込まれたと、見ています
傲慢すぎんだよね、演義ですらちらほら見受けちゃうし相当だったんだろうな他に任せようとしてもうるさそうだしw扱いめんどくさそうな人な印象。
中学生の時に横山三国志を読んだ時、「なんで趙雲がドカベンなの?」って思ったけど、今思うとあれが最適解なんだと思う。真面目で堅物で忠義もの、ドカベンで正解ですね。そう思うと他作品の趙雲はちょっとチャラすぎる。
姓と名と字全部くっつけて読むの違和感しかない
ホントそれな
趙雲が157年頃生まれだと、劉備ら3人より歳上って事でしょうか?
黄忠の件、日本にも龍造寺家兼さんおるからね
他の方も指摘されておられるが、字と名を同時に呼ぶことの違和感がハンパない。
ちなみに字を呼ぶことは相手への敬意を表すそうですね
逆だよ字(あざな)は、同格或いは格下の者を呼ぶ時に使用するもの
いくら強くても賢くなければ戦争では生き残れないプライド高すぎてマウントしないと生きていられない関羽将軍というガラではない張飛感情の起伏が激しいことを敵に利用された馬超
実際、ゲームでも趙雲の使い易さが目立つ反面、他の四人は欠点も見えますねもちろん、ゲームと史実を同列に、というわけにはいきませんけど
@@雅彦-h4p 安心と信頼の趙雲
むしろ史実の記載から上手く演義やゲームでは落とし込んでると思うわ自分も趙雲が五虎将で一番好きではあるが全員いいキャラではある(リアルに居たら関わりたいかどうかはさておき…)
趙雲って魏史に名前すら出てこないので、演義の星の数ほどある一騎討ちで敵将打ち取ったのは100%創作なんですよね。優秀な部隊長ではあったようですが。
勇猛で特に忠義心に厚かったから親衛隊を率いて、関羽張飛魏延のように前線に出ることはあまりなかったので武功が少ないんですよね
劉備のボディガード・SPだったんじゃないかとも言われてますね
陳寿って三国志の作者のオキニだったから、優遇されてたともききました
特に優秀でもなく劉備に愛されてもいない阿斗を保護したその唯一の功績で劉禅の代に超絶美化されただけ
@@tggewtg1286 ここまでくるとただの歪んだアンチの妄言だな…定軍山で黄忠を支援したり夷陵の戦いで劉備を救援したり北伐ではどっかの登山家の大失態の煽りで殿務めたのに随分な言い様だ
関羽と言う屋台骨を失うとどうしても強力な布陣でも迫力や力が低下してる感じでは有る気もする戦場でって言うよりも病気や部下の裏切り先の展望が暗く成って行って精神的に参って自殺とかの方が多いだろうね多分・・
この三國志の後残念な時代が長年続く事になるとはね
馬超に関しては曹操に反意を示したことが原因で父、弟が誅殺されたのが正史じゃなかったっけ?
曹操が関羽を弔ったのは孫権に首を押し付けられて自分に劉備のヘイトを軽減させようとしたからでは
曹操自体関羽を傘下に入れる程認めて居ましたから、そのような理由だけではないと思います。
優秀な人材大好きな曹操ですからね
関羽大好きで特別扱いしていたからそれ以外の個人的な感情もあるでしょう。
関羽は斬首だけど戦で敗北した後の斬首なんだから戦死と変わらないと思いますよ。また、関羽、張飛以外明確な死の記述が無いわけで、張飛を基準にあっけないで全部くくわれてるのは何か違うと思います。
同意。UA-camで再生数稼ぎやすいタイトルにしたんだと思われますが、本当に好きなものを紹介するならリスペクトを持って動画投稿して欲しいですよね
関羽は、敵同士の国が一時的に手を組み同盟破棄の騙し討ちまでしてやっと倒せた男と解釈すればあっけないというよりむしろ凄すぎるエピソードだと思う。
ASDかな?
戦場での戦死と捕縛後の処刑じゃ全然違うだろ。何言ってんだコイツ…蜀ファンだし関羽好きだけどここまでくると美化したいだけかよって思うわそもそも病死は素人目線じゃ「あっけない」って表現は間違ってはいない横山三国志の呂布なんか漫画はあっけなかったせいかアニメで派手にされた
すげぇ聴きやすい声!この人なら寝る事なく授業受けれる気する。
声がおば○ん、、
劉備玄徳や諸葛亮孔明などの呼び方は本来間違い劉備もしくは劉玄徳諸葛亮もしくは諸葛孔明が正しい。関羽雲長も間違い関羽もしくは関雲長などで呼ぶのが正しい。
「関羽(雲長)」「関雲長(関羽)」「関羽」 (字は省くで。いちいちいらんやろ)など、動画にするならどう表記するのがベストだろうかな?上二つなんかは字面で伝わる情報量は増やせるけど、誤解が無いように音読する事を考えたら面倒そう。声に出す分に関しては「関羽雲長」を「(姓名は)関羽(字は)雲長」と、聞く側が補完しながら聞いておいたら良いと思う。
五虎将が同じ戦に出られないのは蜀陣営の人材不足があると考えられます。それぞれが方面軍として、特に関羽にはそれなりの権限もあったので任地から遠く離れる事も困難であり、書面でのやりとりが多かったのだとか。
そこに並び立てなかった、魏延の心情たるやいかにいくら劉備に心酔し、信頼されても事実上の後継者たる孔明にあそこまで嫌われてはね・・・
そもそも五虎将の中でも格が違いすぎますからね関羽、張飛はともかくとして趙雲はSPみたいなもん、馬超はぼ他人、黄忠はめちゃくちゃ格下ですから
魏の五大将軍(五指とは別)で討ち取られたのは夏侯淵だけなのに。
ちょっと気になったのは、残念過ぎるとか、呆気ないと表現されるような最期なんでしょうか。確かに張益徳や、馬孟起はそうかなと思います。しかし、関雲長、黄漢升、趙子龍を残念とか呆気ないと表現するのはいかがなものかかと思います。個人的には、「残念な死」と表現するのは無様な最期だったという意味合いに聞こえますし、「呆気ない死」とは、期待外れだったとか、普段の言動や態度から物足りない結果に終わった時に付けると思っています。また死に対して「華々しい」等と表現するのは、これは日本の侍独自の死に対する美徳、観念があっての事ではないでしょうか。これらの表現は、日本の武将以外にはあまり用いない方が良いと思われます。
好きな武将は蜀の趙雲子龍。光栄のシミュレーションゲームと、真三国無双シリーズは好きでよくやった。
益徳か翼徳か?だが益徳が正しいと思われけむ(過去推量)
日本ではよく言われる言い方なのですが、中国では「劉備元徳」や「諸葛亮孔明」という言い方はしません。本名で「劉備」、字で「劉玄徳」と呼ぶかのどちらかです。かなり調べられているのでそこだけが・・
ここ日本なんで、ビリビリにでも行って来たら?
@@キュウゲン仁 無能そう
そうですね僕も中国人留学生に諸葛亮孔明って言ったら結構長く説教されましたよw三国志ファンなら知っとくべきでしょうね
逆に強過ぎたからこそ、戦さでは殺されず、生き残って病死などを迎えたのではと思います。😅
どの三国志解説動画でも思うけど張飛が関羽の仇討ちの準備を前持ってしておけばワンチャン部下の裏切りによる暗殺は無かったと考えてしまう!
作品によっては劉備が皇帝として即位する間も領地で酒浸りだったって書かれてるのもあるね。最前線では勇猛だがそれ以外は人任せで命令がないと動けない人間だったのかもね。
馬超って正史では、実は馬超が反乱を起こしたせいで、都にいた親兄弟が処刑されたんじゃなかったっけ?
姓、名、字を続けて読んでいる事に違和感がありすぎて…
正史と演技が平行に書かれていてエピソードがどっちかよくわからん
趙雲の絵が可愛い
現実的にあり得るかは別として、兵士一万人に匹敵するは違うかと張飛は万夫不当と言われていたので、兵士一万人を持ってしても釣り合わない=兵士一万人より余裕で強いの方がしっくりくる実際の意味は、人数では埋められくらい強いって事だろうけどね
説によっては五虎大将軍は実は六虎大将軍になる筈だったんだけど、候補に上がっていた魏延が諸葛亮に嫌われていたから魏延がはじかれて五虎になった説があるね。
魏延といえば孔明以上に楊儀 こいつは単に魏延を人として嫌って地位を落とそうと躍起になって粗探し
関羽と張飛の息子たちも微妙な最期だったりする・・・
まぁ関羽も張飛も無茶苦茶やったり、プライドばかりだし、他は殆んどダメだこりゃだからね
わざとこうゆう反響する音にしているのかわからないけど。個人的には聞き取りにくいかなぁ。もうちょいいいマイクや、反響しない環境で録音されたら、内容は面白いから聞きやすくていい動画だと思う。
もっと細かい所までやってくれると思った
馬超の代わりに魏延を入れる事も有る
全部見たけど、残念な死では無いよねー。猛将ながらほんまに残念な死は誰やろなー。張飛は裏切られてるから残念になるのかな?
戦場での華々しい死とは一体?どんな死に方すればよかったのかな?
張飛の死因は漫画の三国志でも同じ酒に酔って寝込みで殺される三国志で屈指の人気の趙雲はその謎さ故に人気なのかも一説では劉備から信頼が厚く劉備やその家族の護衛役とも言われてますね
馬超さんが直ぐに消えてしまった?
三国志研究室を名乗られるなら、武将等の呼び名呼称に気をつけらたほうがよろしいかと思います。姓名とあざなは、一緒には使用しませんよ。関羽もしくは、関雲長となります。
ですよね。自分も違和感感じました。例えば劉備も劉備、または劉玄徳。姓、名で1文字ずつって事を解ってない人多い。
横山三国志とかもそう呼ぶ事ありましたが、私も個人的に『劉備玄徳』という呼び方は好きではないですし、違和感ありまくりです。
中国人でも関羽雲長と呼ぶ人は結構います。日本人は形式にとらわれ過ぎてるという中国人もいるくらいですから、今の時代そこまで気にする事ではないかもしれません
@@razgriz_suzuki そうなのか?関が名字で名が羽、で関羽じゃ無いの?まぁ現在の中国人も姓と名で1文字ずつって訳ではないから、そこまで気にしないのかな?
人の間違いを指摘するなら自分の誤字にも気をつけらよな
三国志「演技」じゃなく「演義」ですね。
惜しいかな劉備でなく曹操配下であればもっと生きられた😆劉備軍最終的に人材不足
ガキの頃に無双2でハマってから一気に三国志厨になった頃から五虎将大好きだった演義やゲームでの圧倒的な強さと勇ましさには惚れ惚れしたもんだ。んで死亡場面で号泣。関羽死んだときなんて子供ながらに劉備みたいに泣いて怒ってた。んでその後に劉備死亡で大号泣して孔明死亡で発狂したってくらい筋金入りの蜀信者だが史実しってあっけない最期を鑑みて「まぁそんなもんだよね…」と納得した。そのうえで三国志ゲームやるときは絶対に劉備を選び関羽、張飛、趙雲、黄忠、馬超を並べて魏や呉への先陣にしてヒャッハー!するのが病みつきになった。今でもこの5人の猛将達は好きだわ。やっぱ「五虎大将」って響きがヤバいんだわ心が震えるんだよこの5人は(元が演義の創作なんぞ知らん!)
実際は関羽は青龍偃月刀を使用してなかった
用的长矛和环首刀
関羽と張飛は自業自得だな。短所を改めようとしなかった
約二千年前なのにめちゃめちゃ身長高かったんだね
張飛の死は自業自得です。劉備からつねづね、お前は部下に厳しすぎるから注意せよと忠告されていたのに改めなかった。
酒癖がね・・
そのようですね張飛将軍が張達という部下に24時間以内に白装束の用意できないならお前は討ち首だと暴言をはいて殺されたようですね三國志諸葛亮伝というゲームなので事実かどうかわかりませんが
酒で失敗してるのにね
伝承では、趙雲は生涯戦いで傷を負ったことがなかったそう。すると、最初の傷をつけてやろうと考えた奥さんが寝ている趙雲を刺繍針で刺したところ、翌朝出血多量で趙雲が死んでたっていう……。もし死因がホントにこれなら切ないですね。趙雲大好きなので、ぜひ穏やかな死であって欲しい。
日本戦国時代の本多忠勝みたいな逸話だなw
なんかワロタ
その伝承、中国人の、嘘です。とハッキリ分かる逸話ですね。
草
@@八塚斗浪 一群一米5的
趙雲のとこで阿斗と甘夫人を助けたって説明があったけど甘夫人って井戸に身投げして死んでなかった?
身投げしたのは 正室の糜夫人(糜竺の妹)ですね。 阿斗と甘夫人(側室であり阿斗の母)は 趙雲に助けられたで合っています。
今は老黄忠だらけだな。
魏延「無視しないで」
演義中心の話は、馴染み深いので、楽しみながら聞かせていただいております☺️✨1つだけ…劉備玄徳とか関羽雲長など、あたかも劉備が姓で名が玄徳なの?ととられるような描写は改めた方が良いと思います😅かつて、吉川英治の小説や横山光輝三国志では、【劉備玄徳】と、姓(劉)名(備)字(玄徳)を繋げて呼んでいましたが、日本人には字(アザナ)というモノに馴染みがない為、間違って覚えてしまう人が増えます。よって、20年程前から各メディアで訂正されたように、姓名又は、姓字で呼んだ方が、良いと思われます☺️✨例:劉備、又は劉 玄徳といった感じです😅
本来、性名字を併記することはありえないはずですが・・・?あと張飛の字は益徳で、翼徳は三国志演義での表記だったはずなので、その辺りは説明があった方が良かったのでは?
関羽と張飛は性格で命を落としたから、これが創作なら、戦場で散ってと書けますが、実在する人物だから無理なんですよね。関羽が孔明から貴方が一番と書かれた手紙に満足したのか客人にその手紙を見せて自慢する辺りプライドが相当高かったと思います。張飛は娘が美人なのでイケメン説も在るので気になりますねえ。まあ嫁の夏侯氏が美人なのも在りますが
関羽を捕らえたのは、馬忠という無名に近い者。つまり関羽は、どこの誰だかワカラナイ馬の骨に捕まって斬首された
孫権への悪意を感じる言い方www
戦隊にならんかな...
関羽が逝ったあたりから孔明の天下三分の計がくずれはじめたような・・・
というか天下三分の計は肥沃で交通の便が良い荊州を抑えている事が前提だったんだよ。
そもそも劉備は天下三分するつもりが無いので…孔明を傘下に加えた直後に孫権の下に逃げ込んで客将として孫権の兵で荊州南郡を平定し半ば独立した状態のまま独断で蜀に入り込んで劉璋の兵で中から奪い取っています。曹操が漢中の張魯討伐に向かった時点で劉備と孫権が軍事衝突していたように孫権との関係は当初から最悪で劉備に嫁がせた妹もすぐに出戻りしていますよね。孔明が理想とした天下三分が実現するのは劉備の死後になって関係改善してからです。
関羽はあまりにも策略に対して無警戒という印象、自分の任される場所が重要な拠点なのに俺がいればなにがあろうが大丈夫という感じ
張飛を殺した部下は呉のバカ息子孫権と繋がっていたらしい
どこかのイベントのナレーターみたいな女性の声で三国志ネタの動画が見れるの新鮮!
自分は日本の歴史が好きだから関羽とか呂布ぐらいしか知らなかったけどよく分かりました!勉強になります!
三国志だったらこのチャンネル良さそう
『ゆっくり赤壁ちゃんねる』
『試験に出る三国志』
『前略、歴史を語ってみた。』
@@トマト-w7h6e ありがとうございます!
中国の長い歴史の中で、天下無双の豪傑とか天才軍師とか星の数ほどいたんだろうけど、三国時代がこれほど特別な時代として意識されているのは三国演義が小説として抜群に面白いからでしょうね。
そして、演義をベースに考えるとどの人物も他の時代に出てきていたら主役を張れるほどにエピソードが豊富です。
武力に優れた武将…
知略に優れた参謀…
すごく良い動画😊
黄忠がもう少し若かったらとか馬超がもう少し長生きしていたらとか想像してしまいますね…
学生の頃三国志の小説読んでました。張飛は確か寝てる時に殺されたみたいですね。だいぶ歳をとっていたので危機察知能力が鈍くなって部下の殺気に気づけなかったっぽいです。
ご視聴ありがとうございます。
春来も大好きな五虎大将軍についてお話をさせていただきました。お楽しみください。
4:30 大敗を喫して じゃないのか
五虎大将軍←変換できるの凄いw
諸葛孔明「関羽と張飛の2人扱いづらいな」と内心思ってたかも?
趙雲の活躍だが、歴史的に見るとあそこで劉禅死んでればなぁとなる悲しさ
この時代だから戦役の後に疲労から病死ってのはけっこう多いんだろうな。
とてもわかりやすく惹き込まれました
あんなに有名な趙雲も最後ははっきり記されていないんですね🤔
晩年、70近くになってからも、姜維と一騎打ちを繰り広げたとか、そうでないとか
趙雲に限らず三国揃って猛将のエピソードは演義等の創作が多いから仕方ない
蜀よりも記録が多い筈の魏呉の猛将たちの一騎打ちでさえ大体そうだし
あの呂布でさえそう・・・まあ創作かどうかより猛将の話は楽しめたもの勝ちよ
1800年も前の武将のことをウソホントとかキリが無いし
今更だけどスラムダンクの
考察家のサラシナさんだ🤭
@@minxs54 さん
おお、スラムダンクもお好きなんですね
気が合いますね😊👍
黄忠は関羽からジジイ呼ばわりされていたことが白髪頭の老将という設定に繋がる。しかし蜀書では蜀遠征軍の中では年長の黄忠が最も勇猛であったと記載されてるし、夏侯淵を定軍山で討ち取ってるから武将としてはかなり優秀だったと思われる。
前後左右の将軍職に任命された際、関羽が言ったセリフですね。「あんな老いぼれと同格とは!?」と。
前将軍と後将軍に任ぜられ、同列扱いに憤慨した関羽は、孔明から美髯公には敵わないとの手紙をもらい、皆に見せびらかしたとか
良く言えば素直、悪く言えば単純な性格が垣間見えるエピソードですね
@@雅彦-h4p それ馬超な
@@ああ-v5q1y
いやいや、馬超と黄忠が同格なことに憤慨したそうですよ?🤔
黄忠は、長沙の戦いで互角に渡り合ったばかりか、弓矢は避けれなかったっていうのにね😅
馬超の場合は、漢中から届く報せに、馬超人気が高かった為、「腕前を試してやる!」と鼻息が荒かったので、このままでは荊州の守備を放ったらかして漢中まで来かねないと思った孔明が書いたベタ褒めの手紙ですね😅
黄忠は定軍山で夏侯淵を打ち取る事出来るのは法正の策のお陰ですね、もし策なしで正面撃ち合う場合、寧ろ黄忠の方が不利でしょう。
部下の反逆で命を落とした張飛と呂布の死からは「パワハラは絶対ダメ」という教訓が得られますね…
これとは対照的に同僚には傲慢でも部下や領民に慈悲深かった関羽は千年以上経った今でさえ崇められていますから部下を慈しむことの大切さを教えてくれる話だと思います。
何事も歴史が教えてくれますね
関羽は死後に怨念に駆られた幽鬼となって彷徨った逸話で恐れられ
その祟りを鎮める為に庶民に祀られ宗教家もそれを利用して行った結果
徐々に鬼将・神将などとランクアップしていって最終的に「忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝」になっています。
部下への慈悲ではなく裏切られた結果の無念の死が関羽崇拝の根源ですね。
@@間藤-d9u あの・・周創は架空の人物で確定しているのですが・・・
何しろ関「帝」ですからね。
それと、酒乱の上司も勘弁してほしい…😅
とまぁ、部下の言い分
みんなが思ってるより真実は更に残酷だというハガレンのセリフ思い出した。
関羽は荊州を任されたあたりから横柄になったのが残念。武は一流なのに…
思うに、耄碌、あるいは軽い認知症が始まってたと思います。武を鼻にかけ蜀の国の行く末を顧みる判断力も失ってしまっていた。
おかげで蜀の滅亡のトリガーを引くハメになり、諡も壮繆侯という微妙に悪い諡をもらってしまった。
内容は凄く面白いし
編集も分かりやすいが、、
ああ張飛が死んだ〜笑笑
ドラマのスリーキングダムの趙雲の最後があっけなさすぎた
伝令「丞相!」 孔明「なにごとだ」
伝令「け、けさ趙将軍が自宅で亡くなられました」 孔明「なんと」
そのあと孔明が泣いて終わり
横山光輝の三国志では線目なんだが...
趙雲子龍。
馬超は馬騰達が人質状態になってるのを知った上で挙兵して負けて、報復で馬騰達は処刑されたのであって、一族が殺されたから挙兵したのではない
解説は演義の話ですよね。
話の流れ的にはあっちの方が面白いけど…
正史と演技で馬超はイメージが変わるからなぁ。史実の馬超は割りとクレイジーWW
5:15 呂布のゴキブリ感が…好き🪳
誰一人として、「華々しい死」を遂げたものがいないのはあまりロマンがないが、
現実味があってかえっていい味出してるかも。趙雲グラフィックが5人の中で一番地味…
五虎大将は演義オリジナルですが、正史でも関張趙黄馬伝という括りで記録されてると聞いたことがあります
関羽は士卒を大事にしても士大夫に驕り、張飛は君子を敬愛するも小人を憐れまず、といわれ、それぞれがやり手にありがちな欠点を持つと言われていますね
趙雲は堅実な生涯から、現代では一番理想的とされる武将とも
子龍は満身これ肝なり、とそのタフネスぶりを称賛され、その死は孔明をして、蜀にとっては棟木を折られたようなもの、自分にとっては腕をもがれたようなものと嘆いたと
黄忠は最後の戦で、劉備の「長年付き従ってきた武将が年老いてしまった」との言葉を聞いて憤慨して戦に臨んで戦死
馬超は李恢に、劉備への投降を勧められ帰順したものの、大して結果を残せず病没
様々なキャラクターや最期を迎えた5人に比べ、魏には張遼、楽進ら五将軍という括りもあるそうですが、やはり五虎大将のインパクトには敵わずかな
現実的には魏に仕えたことが成功だろうが、後世の歴史的には蜀に仕えた方が、三国志演義により良いイメージで語られるとまでは、誰も思わなかっただろうな
2周目趙雲1番好きなんだけどな蜀の中で
音声のボリュームが低いので上げてほしいです
三国志の時代すら最後はあっけない感じで終わっちゃうのが残念ですね。その後の時代は闇の時代と聞いてます。
馬超が曹操に兵を起こしたのは父馬騰や妻子が魏にいる時で、それが原因で家族が見殺しになったと言う話もあるとか。
選挙カーかと思ったwwwww
やめてくれw動画見る前にコメ目に入って選挙カーにしか聞こえんかったーw
@@masadan7702
すまんwwwwwwwwww
ありがとうございます♪
ありがとうございます♪
wwwwそれなw
キャラと声が合ってないねw
作品によっては顔扱いされる趙雲、それも結構デリケートな死に関する資料が少ないあたり実は大物ではないのでは…?
と考えさせられる
基本的に「戦場で死ぬ=大敗北」じゃん..
横光三国志だと関羽は孔明の言い付け守らないで魏も呉も両方相手にした結果が
あれだったけど実際の所はどうなんでしょ。
黄忠のとき急ににテンション上がるの草www
こお~ちゆう~‼️
かんしよ~‼️
五虎大将軍って小説や演義で出た架空の称号でしたよね?
張飛の字は益徳なのか翼徳なのかどっちなんだろうね?
過去に遡って劉備に色々話聞きたいわ。
黄忠と厳顔の老将コンビとか言われてるけど厳顔は言うほど老将ではなかったとか
病死が「らしくない死様」とは思いません。
例えば関羽が荊州を失う事無く史実+20年程生き、長患いの末に最期の力を振り絞って青龍偃月刀を持って邸宅の庭に仁王立ちして、その姿勢のまま大往生したらそれはそれで関羽らしいと言えるでしょう。
あと、不甲斐ないかも知れませんが、張飛はお酒の飲み過ぎが祟っての病死も有りですね。関羽に「だから、あれ程酒を慎めと諌めたのに」と言わせて泣かせるのも張飛らしいかと。
馬超は馬騰が処刑されたから潼関の戦いを起こしたのではなく、馬超が潼関の戦い(211年)を起こし連座する形で馬騰が処刑されています(212年)
それと関羽と黄忠が一騎打ちをしたという記述は正史三国志には有りません。
張飛VS馬超もそうですよ
後、関羽と張飛の武器として有名な青龍偃月刀と蛇矛も、あの時代にはない武器でした。
@@柳谷慈彦 横から急にすいません。
でも胴元国の中国が認めてるというか、ごっちゃになってるからしゃーないような気がします。
曹 孟徳は徳の高い馬 寿成のことを非常に高く評価していたからね。
こういうところに正史の話を持ってきても場違いなだけですよ。
冒頭で五虎大将軍は演義の話と紹介していますし、それくらいの事は分かってて動画作ってるでしょうから。
パワハラはダメといいつつ、張飛タイプは現代人にも普通にいる。
関羽タイプも個人経営にいる
諸葛亮は個の武力とか軽視(そんなものより策だ!・・みたいな)してたのかな? 時代的に肉弾戦が物を言う事も有ったろうから、もう少し人材発掘に注力すべきだった気もする。
関羽を攻めたのは、陸孫ではなく呂蒙では。自分が知ってるのは陸孫は姨陵の戦いで大都督に抜擢されるまで無名でした。それで劉備は油断して大敗しました。布陣を見て諸葛亮は才能を見抜いて出陣を反対したのに怒って連れていかなかったって逸話もありますね。
「呂蒙、勇にして謀断あり、軍計を織る」だったかな?。陳寿、褒め称えてましたよね。
私も関羽の普段の行いや思考が引き金となって(荊州ピンチに援軍拒否された)、劉備軍は壊滅寸前まで追い込まれたと、見ています
傲慢すぎんだよね、演義ですらちらほら見受けちゃうし相当だったんだろうな
他に任せようとしてもうるさそうだしw
扱いめんどくさそうな人な印象。
中学生の時に横山三国志を読んだ時、「なんで趙雲がドカベンなの?」って思ったけど、
今思うとあれが最適解なんだと思う。
真面目で堅物で忠義もの、ドカベンで正解ですね。
そう思うと他作品の趙雲はちょっとチャラすぎる。
姓と名と字全部くっつけて読むの違和感しかない
ホントそれな
趙雲が157年頃生まれだと、劉備ら3人より歳上って事でしょうか?
黄忠の件、日本にも龍造寺家兼さんおるからね
他の方も指摘されておられるが、字と名を同時に呼ぶことの違和感がハンパない。
ちなみに字を呼ぶことは相手への敬意を表すそうですね
逆だよ
字(あざな)は、同格或いは格下の者を呼ぶ時に使用するもの
いくら強くても賢くなければ戦争では生き残れない
プライド高すぎてマウントしないと生きていられない関羽
将軍というガラではない張飛
感情の起伏が激しいことを敵に利用された馬超
実際、ゲームでも趙雲の使い易さが目立つ反面、他の四人は欠点も見えますね
もちろん、ゲームと史実を同列に、というわけにはいきませんけど
@@雅彦-h4p
安心と信頼の趙雲
むしろ史実の記載から上手く演義やゲームでは落とし込んでると思うわ
自分も趙雲が五虎将で一番好きではあるが全員いいキャラではある
(リアルに居たら関わりたいかどうかはさておき…)
趙雲って魏史に名前すら出てこないので、演義の星の数ほどある一騎討ちで敵将打ち取ったのは
100%創作なんですよね。優秀な部隊長ではあったようですが。
勇猛で特に忠義心に厚かったから親衛隊を率いて、関羽張飛魏延のように前線に出ることはあまりなかったので武功が少ないんですよね
劉備のボディガード・SPだったんじゃないかとも言われてますね
陳寿って三国志の作者のオキニだったから、優遇されてたともききました
特に優秀でもなく劉備に愛されてもいない
阿斗を保護したその唯一の功績で
劉禅の代に超絶美化されただけ
@@tggewtg1286 ここまでくるとただの歪んだアンチの妄言だな…
定軍山で黄忠を支援したり夷陵の戦いで劉備を救援したり
北伐ではどっかの登山家の大失態の煽りで殿務めたのに随分な言い様だ
関羽と言う屋台骨を失うとどうしても強力な布陣でも迫力や力が低下してる感じでは有る気もする戦場でって言うよりも病気や部下の裏切り先の展望が暗く成って行って精神的に参って自殺とかの方が多いだろうね多分・・
この三國志の後残念な時代が長年続く事になるとはね
馬超に関しては曹操に反意を示したことが原因で父、弟が誅殺されたのが正史じゃなかったっけ?
曹操が関羽を弔ったのは孫権に首を押し付けられて自分に劉備のヘイトを軽減させようとしたからでは
曹操自体関羽を傘下に入れる程認めて居ましたから、そのような理由だけではないと思います。
優秀な人材大好きな曹操ですからね
関羽大好きで特別扱いしていたからそれ以外の個人的な感情もあるでしょう。
関羽は斬首だけど戦で敗北した後の斬首なんだから戦死と変わらないと思いますよ。
また、関羽、張飛以外明確な死の記述が無いわけで、張飛を基準にあっけないで全部くくわれてるのは何か違うと思います。
同意。UA-camで再生数稼ぎやすいタイトルにしたんだと思われますが、
本当に好きなものを紹介するならリスペクトを持って動画投稿して欲しいですよね
関羽は、敵同士の国が一時的に手を組み同盟破棄の騙し討ちまでしてやっと倒せた男と解釈すれば
あっけないというよりむしろ凄すぎるエピソードだと思う。
ASDかな?
戦場での戦死と捕縛後の処刑じゃ全然違うだろ。何言ってんだコイツ…
蜀ファンだし関羽好きだけどここまでくると美化したいだけかよって思うわ
そもそも病死は素人目線じゃ「あっけない」って表現は間違ってはいない
横山三国志の呂布なんか漫画はあっけなかったせいかアニメで派手にされた
すげぇ聴きやすい声!この人なら寝る事なく授業受けれる気する。
声がおば○ん、、
劉備玄徳や諸葛亮孔明などの呼び方は本来間違い
劉備もしくは劉玄徳
諸葛亮もしくは諸葛孔明
が正しい。
関羽雲長も間違い
関羽もしくは関雲長などで呼ぶのが正しい。
「関羽(雲長)」
「関雲長(関羽)」
「関羽」 (字は省くで。いちいちいらんやろ)
など、動画にするならどう表記するのがベストだろうかな?
上二つなんかは字面で伝わる情報量は増やせるけど、誤解が無いように音読する事を考えたら面倒そう。
声に出す分に関しては「関羽雲長」を「(姓名は)関羽(字は)雲長」と、聞く側が補完しながら聞いておいたら良いと思う。
五虎将が同じ戦に出られないのは蜀陣営の人材不足があると考えられます。それぞれが方面軍として、特に関羽にはそれなりの権限もあったので任地から遠く離れる事も困難であり、書面でのやりとりが多かったのだとか。
そこに並び立てなかった、魏延の心情たるやいかに
いくら劉備に心酔し、信頼されても事実上の後継者たる孔明にあそこまで嫌われてはね・・・
そもそも五虎将の中でも格が違いすぎますからね
関羽、張飛はともかくとして
趙雲はSPみたいなもん、馬超はぼ他人、黄忠はめちゃくちゃ格下ですから
魏の五大将軍(五指とは別)で討ち取られたのは夏侯淵だけなのに。
ちょっと気になったのは、残念過ぎるとか、呆気ないと表現されるような最期なんでしょうか。確かに張益徳や、馬孟起はそうかなと思います。
しかし、関雲長、黄漢升、趙子龍を残念とか呆気ないと表現するのはいかがなものかかと思います。
個人的には、「残念な死」と表現するのは無様な最期だったという意味合いに聞こえますし、「呆気ない死」とは、期待外れだったとか、普段の言動や態度から物足りない結果に終わった時に付けると思っています。
また死に対して「華々しい」等と表現するのは、これは日本の侍独自の死に対する美徳、観念があっての事ではないでしょうか。
これらの表現は、日本の武将以外にはあまり用いない方が良いと思われます。
好きな武将は蜀の趙雲子龍。光栄のシミュレーションゲームと、真三国無双シリーズは好きでよくやった。
益徳か翼徳か?だが
益徳が正しいと思われけむ(過去推量)
日本ではよく言われる言い方なのですが、中国では「劉備元徳」や「諸葛亮孔明」という言い方はしません。本名で「劉備」、字で「劉玄徳」と呼ぶかのどちらかです。かなり調べられているのでそこだけが・・
ここ日本なんで、
ビリビリにでも行って来たら?
@@キュウゲン仁 無能そう
そうですね
僕も中国人留学生に諸葛亮孔明って言ったら結構長く説教されましたよw
三国志ファンなら知っとくべきでしょうね
逆に強過ぎたからこそ、戦さでは殺されず、生き残って病死などを迎えたのではと思います。😅
どの三国志解説動画でも思うけど張飛が関羽の仇討ちの準備を前持ってしておけばワンチャン部下の裏切りによる暗殺は無かったと考えてしまう!
作品によっては劉備が皇帝として即位する間も領地で酒浸りだったって書かれてるのもあるね。最前線では勇猛だがそれ以外は人任せで命令がないと動けない人間だったのかもね。
馬超って正史では、実は馬超が反乱を起こしたせいで、都にいた親兄弟が処刑されたんじゃなかったっけ?
姓、名、字を続けて読んでいる事に違和感がありすぎて…
正史と演技が平行に書かれていてエピソードがどっちかよくわからん
趙雲の絵が可愛い
現実的にあり得るかは別として、兵士一万人に匹敵するは違うかと
張飛は万夫不当と言われていたので、兵士一万人を持ってしても釣り合わない=兵士一万人より余裕で強いの方がしっくりくる
実際の意味は、人数では埋められくらい強いって事だろうけどね
説によっては五虎大将軍は実は六虎大将軍になる筈だったんだけど、候補に上がっていた魏延が諸葛亮に嫌われていたから魏延がはじかれて五虎になった説があるね。
魏延といえば孔明以上に楊儀
こいつは単に魏延を人として嫌って地位を落とそうと躍起になって粗探し
関羽と張飛の息子たちも微妙な最期だったりする・・・
まぁ関羽も張飛も無茶苦茶やったり、プライドばかりだし、他は殆んどダメだこりゃだからね
わざとこうゆう反響する音にしているのかわからないけど。個人的には聞き取りにくいかなぁ。もうちょいいいマイクや、反響しない環境で録音されたら、内容は面白いから聞きやすくていい動画だと思う。
もっと細かい所までやってくれると思った
馬超の代わりに魏延を入れる事も有る
全部見たけど、残念な死では無いよねー。
猛将ながらほんまに残念な死は誰やろなー。
張飛は裏切られてるから残念になるのかな?
戦場での華々しい死とは一体?
どんな死に方すればよかったのかな?
張飛の死因は漫画の三国志でも同じ酒に酔って寝込みで殺される
三国志で屈指の人気の趙雲はその謎さ故に人気なのかも
一説では劉備から信頼が厚く劉備やその家族の護衛役とも言われてますね
馬超さんが直ぐに消えてしまった?
三国志研究室を名乗られるなら、武将等の呼び名呼称に気をつけらたほうがよろしいかと思います。姓名とあざなは、一緒には使用しませんよ。関羽もしくは、関雲長となります。
ですよね。自分も違和感感じました。
例えば劉備も劉備、または劉玄徳。
姓、名で1文字ずつって事を解ってない人多い。
横山三国志とかもそう呼ぶ事ありましたが、私も個人的に『劉備玄徳』という呼び方は好きではないですし、違和感ありまくりです。
中国人でも関羽雲長と呼ぶ人は結構います。
日本人は形式にとらわれ過ぎてるという中国人もいるくらいですから、今の時代そこまで気にする事ではないかもしれません
@@razgriz_suzuki
そうなのか?
関が名字で名が羽、で関羽じゃ無いの?
まぁ現在の中国人も姓と名で1文字ずつって訳ではないから、そこまで気にしないのかな?
人の間違いを指摘するなら自分の誤字にも気をつけらよな
三国志「演技」じゃなく「演義」ですね。
惜しいかな劉備でなく曹操配下であればもっと生きられた😆劉備軍最終的に人材不足
ガキの頃に無双2でハマってから一気に三国志厨になった頃から五虎将大好きだった
演義やゲームでの圧倒的な強さと勇ましさには惚れ惚れしたもんだ。んで死亡場面で
号泣。関羽死んだときなんて子供ながらに劉備みたいに泣いて怒ってた。んでその後に
劉備死亡で大号泣して孔明死亡で発狂した
ってくらい筋金入りの蜀信者だが史実しってあっけない最期を鑑みて
「まぁそんなもんだよね…」と納得した。そのうえで三国志ゲームやるときは絶対に
劉備を選び関羽、張飛、趙雲、黄忠、馬超を並べて魏や呉への先陣にしてヒャッハー!
するのが病みつきになった。今でもこの5人の猛将達は好きだわ。やっぱ「五虎大将」
って響きがヤバいんだわ心が震えるんだよこの5人は(元が演義の創作なんぞ知らん!)
実際は関羽は青龍偃月刀を使用してなかった
用的长矛和环首刀
関羽と張飛は自業自得だな。短所を改めようとしなかった
約二千年前なのにめちゃめちゃ身長高かったんだね
張飛の死は自業自得です。
劉備からつねづね、お前は部下に厳しすぎるから注意せよと忠告されていたのに改めなかった。
酒癖がね・・
そのようですね
張飛将軍が張達という部下に24時間以内に白装束の用意できないならお前は討ち首だと暴言をはいて殺されたようですね
三國志諸葛亮伝というゲームなので事実かどうかわかりませんが
酒で失敗してるのにね
伝承では、趙雲は生涯戦いで傷を負ったことがなかったそう。すると、最初の傷をつけてやろうと考えた奥さんが寝ている趙雲を刺繍針で刺したところ、翌朝出血多量で趙雲が死んでたっていう……。
もし死因がホントにこれなら切ないですね。趙雲大好きなので、ぜひ穏やかな死であって欲しい。
日本戦国時代の本多忠勝みたいな逸話だなw
なんかワロタ
その伝承、中国人の、嘘です。とハッキリ分かる逸話ですね。
草
@@八塚斗浪 一群一米5的
趙雲のとこで阿斗と甘夫人を助けたって説明があったけど甘夫人って井戸に身投げして死んでなかった?
身投げしたのは 正室の糜夫人(糜竺の妹)ですね。 阿斗と甘夫人(側室であり阿斗の母)は 趙雲に助けられたで合っています。
今は老黄忠だらけだな。
魏延「無視しないで」
演義中心の話は、馴染み深いので、楽しみながら聞かせていただいております☺️✨
1つだけ…
劉備玄徳とか関羽雲長など、あたかも劉備が姓で名が玄徳なの?ととられるような描写は改めた方が良いと思います😅
かつて、吉川英治の小説や横山光輝三国志では、【劉備玄徳】と、姓(劉)名
(備)字(玄徳)を繋げて呼んでいましたが、日本人には字(アザナ)というモノに馴染みがない為、間違って覚えてしまう人が増えます。
よって、20年程前から各メディアで訂正されたように、姓名又は、姓字で呼んだ方が、良いと思われます☺️✨
例:劉備、又は劉 玄徳といった感じです😅
本来、性名字を併記することはありえないはずですが・・・?
あと張飛の字は益徳で、翼徳は三国志演義での表記だったはずなので、その辺りは説明があった方が良かったのでは?
関羽と張飛は性格で命を落としたから、これが創作なら、戦場で散ってと書けますが、実在する人物だから無理なんですよね。関羽が孔明から貴方が一番と書かれた手紙に満足したのか客人にその手紙を見せて自慢する辺りプライドが相当高かったと思います。張飛は娘が美人なのでイケメン説も在るので気になりますねえ。まあ嫁の夏侯氏が美人なのも在りますが
関羽を捕らえたのは、馬忠という無名に近い者。つまり関羽は、どこの誰だかワカラナイ馬の骨に捕まって斬首された
孫権への悪意を感じる言い方www
戦隊にならんかな...
関羽が逝ったあたりから孔明の天下三分の計がくずれはじめたような・・・
というか天下三分の計は肥沃で交通の便が良い荊州を抑えている事が前提だったんだよ。
そもそも劉備は天下三分するつもりが無いので…
孔明を傘下に加えた直後に孫権の下に逃げ込んで客将として孫権の兵で荊州南郡を平定し
半ば独立した状態のまま独断で蜀に入り込んで劉璋の兵で中から奪い取っています。
曹操が漢中の張魯討伐に向かった時点で劉備と孫権が軍事衝突していたように
孫権との関係は当初から最悪で劉備に嫁がせた妹もすぐに出戻りしていますよね。
孔明が理想とした天下三分が実現するのは劉備の死後になって関係改善してからです。
関羽はあまりにも策略に対して無警戒という印象、自分の任される場所が重要な拠点なのに俺がいればなにがあろうが大丈夫という感じ
張飛を殺した部下は呉のバカ息子孫権と繋がっていたらしい