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お前はうすっぺらいんだよ。あの糸井重里との対談は何だ? 仕事を舐めてるのか。
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一度斬新な発想を石として投げ入れて波紋を作り、もう一度研究の基本に戻るというのが、とても重要なのだと思いました。
楽しいお話ありがとうございます💐女性名に、ハナ、イネ、ウメ、キク、タネなどなど具体的な植物名を好んで付けることが仮に縄文時代以来の傾向だとすると、「女性性と植物」は縄文人の比喩や換喩センスに合っていた(両者の魅力をうまく言い当てていると感じていた)気がします。先生の解説された土偶に託した社会性や生殖にまつわる機能と、植物で例える女性性を重ね合わせて表現する事は相反するものでもなく、例えば「名前」「呼び名」などの『言語』を介して融合してきたと考えてみてもよいかと思いました。近代頃まで植物名を女性に付ける感覚は日本ではごく普通(欧、中国などに較べて多いと聞いたことがあります)という特徴があるとすれば、縄文センスの名残かもしれません。土偶には植物の他に爬虫類や両生類なども浮かびますが、こちらは亀、龍、辰、巳など男性性が強そうです。先史時代の『名前』の実証は難しいかもしれませんが縄文センスを推測するのは楽しいです。
土偶は困ってたから作った、と仰っていますが本当でしょうか。縄文人は土偶以外にも火焔土器や勾玉や装飾品などを沢山作っています。これらも困っていたから作ったのでしょうか。単純に文化を楽しんでいたから作ったでは駄目なんでしょうか。
何万年後かに俺らのフィギュアも似たような事言われるんかなw
同感です。困ると言っても何に困るかが問題だと思います。病気や出産なら何処に住んでいようと同じだと思いますし…どちらにしても手の込んだ土偶や装飾品を楽しむ余裕が有ったと思う方が自然な様に思えます。
@@user-fh5ray9j4w結局、縄文時代が手の込んだ土偶や装飾品を楽しむ豊かで文化的な時代だと知られるのが困る連中がいるのですよ。その連中がエセ文化人やエセ学者を使って不自然な解釈を流し混乱させる。そういうことでしょ。
現代社会しかしらないお花畑な人はそう思っていれば良い😂
たくさんはみつかってないよ。発掘に参加したことがあるけど、ほとんどみかけない。
学者って凄いなと改めて思いました。素晴らしいです。
山田先生の授業を一度しっかり聞いてみたくなりました。縄文時代、分かっていないことが多いからこそロマンがあり面白いですね。
ここまで深く土偶について考えた事がなかった。いろいろ参考になりました。
この先生の土偶に関するご考察も単なる仮説ですものね。そもそも祭祀が行われていたのかも確かではないですよね。これから解き明かされるかしら?面白いですね😍
今回も面白いテーマですね!縄文時代に興味あります。
両方読んだけど竹倉さんフルボッコでめちゃめちゃ面白かった。竹倉さんの本で目から鱗が落ちて、緑の本で更に鱗が落ちる。学術とはどういうものかも深く理解できて両方で一つの本になっている。両方を上下巻として読むのが非常におすすめ。
土偶についてそこまで考えた事がなかったので、話を聞いて知らなかった事がわかったので面白かったです。
ガチの専門家の話が聞けるのもなかなか無いな。おもしろい。
土偶についてここまで詳しい話を聞いたことがなかったので、勉強になりました
土偶は人だと思っていました。土偶から読み取れることや考察面白かったです。
土偶についてはど素人の自分(理系の研究者・大学教員)にとっても、「土偶を読む」は非論理的だとわかりました。NHKの番組で紹介された時に、これが流行ったらマズいなと思ったことをはっきりと記憶しています。
たとえば「ピカチュウ」や「キティちゃん」みたいに、キャラクター商品として流行っていた…とかはどうでしょう☺️かわいい私も欲しい❗️ってなって爆発的大ヒット❤そのデザインを考えた作家さんもいてとか妄想すると、私的には楽しいです😆
縄文時代、出土したものから色々想像するのは面白いですね。
とても興味があり、早く解明されないかとワクワクしている分野解説も分かりやすく面白かったあくまでも個人の感想ですが、約1万年前から2000年前まで続いていた縄文時代の縄文人が皆思う日本人像で、弥生時代になり、他の地域からから移ってきた建築文化や騎馬文化がある弥生人に縄文人が次第に駆逐さで混雑し、現在の日本人になっていたと思う
土偶って昔から何とも言えない雰囲気醸しだしてる。色んな捉え方が出来る人のお話しなので面白い
私も考古学がやりたかった。
西日本に土偶ってあまり無いって知りませんでした。
こう言う考察は面白いですねぇ
移動したくても移動先に人がいるようになったから定住したという話は面白いですね。縄文から弥生時代になったのも人口が増えて移動先に文化が出来てしまったから移動出来なくなったかも知れませんね。
遮光器土偶の特徴的な目は単に目の誇張表現だなんて説が今は強いらしいですが、そんな訳なくね?って思います。目の縁には装飾品のような縄の目が付いていますし、何より目を横切る横一文字の線。瞳を表現するにあたってあんな線を付けている作品は現代アートでも見たことがありません。やはり遮光器のような装飾品を付けていた説を否定するには根拠が乏しい気がします。遮光器のようにスリットで視界を狭める器具は、光の反射を防ぐのにも役立ちますし視力の増強にもかなり役立つので狩りにうってつけだったのではないでしょうか。
とても興味深いですね!
限られた情報の中からこんなに面白い発想が生まれてくるのがすごいです!
土偶から色々な事が読み取れる事は面白いです。本読んでみたいです。
視れば視るほど興味が湧く不思議な感覚ですね!
少ない情報から発見するって、何だかすごいな〜
面白かったです。
土偶の会は前にもやったけどすごい発見ばかりで面白いですね
土偶!おもしろいですね♪
分からない太古のこと、ロマンです。
すごい😮土偶についてもっと知りたくなりました😮
好きでよく考古博物館に行ってます素人の感想で・・・当時は病気への対応は何も無かった、人に代る土偶を作って壊す事で病気やケガの治癒を祈った ・・痛い処を叩くとかね・・・縄文土器の縄目は芸術的な「遊び」でしょう。雨が降れば暇だった・・土偶を作るにしても、動画内にもあるようにある程度の生活の余裕がないと出来ない事です縄文時代は今よりも気温が3度程度高くて、野山海川は豊かだった(縄文海進って、海面は今より高かった)包丁・矢じりになる黒曜石の流通があって、部落や部族の交流で薬草の知識や土器を焼く温度の技術の向上と流布があって弥生時代になる弥生は稲作が始まり、水路の建設と、収穫した物の配分、収穫物を守る軍事の必要性で、国が生まれた、って解釈している
発見がすごい!!
土偶の考え面白いです
考古学の話も面白いですね
最近、【土偶論】が盛り上がっていますよね。【縄文的思考】・【野生の思考】からの ”構造主義哲学” がやはり21世紀の哲学問題とも絡むんでしょうね!
土偶を見ていつも思うのは、何故、写実に優れた物が残っていないのかという事。造形にかなり優れた技術があり不可能ではなかったと思う。写実、つまり実物と似た物は禁忌だったのではなかろうか。明らかに人だとわかりながら、どう遠ざけるかが課題だったのではないか。そのための試行錯誤の中で認められなかった物や写実に近い物は即破壊され消し去られる。そんな事を考えた。
仏像みたいに色んな種類・目的があるっていうイメージです
発掘調査は、やりました。
なんかこの先生の言うことを聞いてると、「けもフレのキャラはかわいい女の子をモチーフにしている。なぜならオタクはかわいい女の子を崇拝しているから。」とご指摘を受けたようで、ぐうの音も出ません。でも、「直立歩行するから人間だ」という理屈は、ペンギンは人間だと言われてるようで納得できません。
必要だから、それはあると思います。
ある程度発展した地域から土偶は見つかるんですね.
ホントのところは縄文人に聞かないとわからない
そうだね〰️🍀
タイムマシーンがあったらなぁ
争いがなく、平和な時間が長く続いていた縄文時代。平和に暮らしていた人々はなぜ人型の像を形にしたのか。弥生時代に入り、男性優位の社会に変化していく。渡来人である物部氏の勢力拡大により、女性優位の社会である出雲王国が衰退したが、縄文はそれよりも前のお話。火焔式土器のように人々は象徴的な存在を形作っていたと考えると土偶のモチーフは女性。女性優位の社会では争いは起きない。平和の象徴説に1票!
違うと思いますよ。二足歩行とかじゃないです。右利きの人って、抱えて作るには同じように作れないんです。どうしてもひっくり返して作るので。考古学者ご本人が作って見ればわかると思いますが、器を作るのと、人形を作るのは技術が全く違います。良い釜でも温度差が出るんです。炎に放り込むだけなら更に温度差がでます。そうすると、器は割れなくても、人形は割れるんです。特に手足は胴体と接続する際に、指で土を慣らすので、接続部分が薄くなります。そうすると更に割れやすいんです。考古学者の方達は、全くご自身で焼き物をしたことの無い人達の空想ばかりです
女性を模した土偶をつくることで、生命を生み出してもらう、食糧を大地より生み出してもらう、みたいな観念的な祈りの要素があったのかな。すごい刺激的な内容でいろいろ考えたくなる。
結局なんなんでしょうね?不思議なのでとても気になります!
面白い❣️
今でこそ共通語があるが、方言で話されたら現代でも会話が成り立たない県もある。縄文時代もそうだったのではないかと思う。子供が産める体になったら近親者同士を避けるために言語ではなく土偶という人形を使って他の部族、集落に子孫を残したいという意思表示をしたり、自分の生まれた集落や部族の証みたいな使われ方をしていたのではないかと思う。
「困ってたから作った」それはそうだと思います、ただ、基本的にお産の心配から安産への願掛け的なものというのは間違いないでしょう。火炎土器のような自由で豊かな発想力がある縄文人ですから、いろんな意味を持った土偶も生まれて行ったのでしょう。生物である以上、子孫を残すということが人間にとっても最も大切な目的であり、交尾や出産が食欲と共に生きる上での発想の中心に成るのは当然なことであります。人類がチンパンジーと別れ直立二足歩行へと進化が進むに連れて骨盤の角度が変わっていくことで産道が狭くなり難産と成ったことにより、大きな「困り事」が発生しました。医療が発達した現代においても女性にとって出産は大きな節目であります。その難産の苦しみを共有した、猿人のメス同士の間に互いをいたわる共感性が生まれ原人へと進化し、20万年前にはホモ・サピエンス(人間)へと進化しました。知的生命体(人間)へと進化できたのは他者の痛みに共感する能力が発達し理解することで創造性を磨き、助け合うことでコミュニケーション能力を高め集団化を実現したからです。その大きな役割と成った出産に対して、女系的縄文文化が花開くことは至極当然な話であります。生命のオスは元々、約12億年前に、目まぐるしく荒れ狂う地球環境に対応するために生まれて来ました。メス同士の遺伝子をオスに介させる形で進化スピードを格段にアップさせる対応へと進化しました。メスの発達と子孫の繁栄の為に誕生した進化システムが有性生殖です。その為にオスが生み出されたのです。そんな生命の摂理から言っても理に叶っているのが縄文の文化の形体であると思われます。続く、、、
収穫物を貯蔵するときのネームプレート。クリなら「栗」と書かずに、一個そのツボなり箱の前に置いとけば中に入ってるのはクリとわかる。クリの採取、管理は女性がしていて皆がその女性をクリさんと呼び栗そのものもクリさんと呼ばれる。食べ物とそれを扱う人が同じ呼ばれ方をする。擬人化の起源であり、後に大受持という神様のもと。
縄文時代の仲間意識,家族意識が何処まであったか次第ですが,単純に亡くなった人の代わりなのかと思ってました.出産リスクにさらされた女性,が主で場合によっては口減らしのために無くなった人の代わりだったり.定住してれば身近においとけるけど,定住じゃなければ荷物になるので置いてくしかない.そうすると,亡くなった人と同じように埋めていくなど,置いて移動するしかない.石棒は一見男性器のようにも感じられるが,実は生活必需品などの道具の1つが石棒でその使用の過程で両端だけすり減らないような使い方があったとか.大きいとやはり移動するのには邪魔なので,おいていく.亡くなった人の代わりの土偶に供養的な意味で小さいモノを埋める.1つつくって半分にして埋めて片方が持っていく.など?土偶が女性型であった必然性がいまいちですし,石棒が土偶によって男性型と色眼鏡で考えられてる感じが気になりました.
西日本にも近畿に日本最古級 の土偶 ありますね 縄文創草期 粥見井尻遺跡です。
1つの事を追求していくとその過程でいろんな疑問が出ていき またそれを追求していく おもしろいなぁ
人じゃなかったら何をイメージしたんでしょう?
改めて日本の縄文研究を開拓したネイリーナウマンの功績の偉大さを再認識します。
土偶見ているとおましろいですね!
単純にどうして人間の姿とかけ離れた見た目なのか?あれだけの形成ができるならもっと人間に寄せた形のものも発掘されて然りじゃないの?
考古学者や学芸員ってあまり好きでない。研究員の話は信用できる。果たして土偶に意味があるのか。考古学の域を超えた領域で議論しても良いと想う。僕の考えは縄文人が楽しみで作ったのだと思う。一意に帰そうとするのは大きな間違いだと思う。
平和で暇すぎて作りました
土偶が何故作られたのか?正解は分かりませんが真実に近づけた気がします
土偶の顔が人になっていない時点で自然信仰の化身か何かと解釈するのが合理的ではと思います。戦争を持ち込んだ弥生人は政治的に偶像を忌み嫌っていたとも思えますね。
尾関清子先生を招いて、縄文布、縄文衣のことを聞いてほしい。その人生にも関心がある。
水子のお墓・・・泣けてくる
津軽の遮光器土偶の説明で半分は解明されてると思うな。遮光器はツンドラ地帯では必須。乳房は飾り。遮光器土偶と同じ洋服を着た女性の写真を見た時、最初は豚皮の服と思っていたが今では海獣でできた服の可能性もあると。3~4千年前以上でまだツンドラ気候の色濃い東北地方、でパシフィックエスキモーと言われるアレフト族が東北、北海道に居た。それがあの形の土偶。エスキモーは女性の8割間引きをする。これは明治時代の宣教師の調査だな。ロシアのアイヌは消滅したがアレフトに吸収された。親和性、精神性が近いんだろう?それで研究はアメリカのアリューシャン列島か強制移住でカムチャッカのアレフト集落に行くと運が良ければヒントが残っているかも?南方系の縄文人が今でもサンクトペテルブルクやオスロより寒い東北の冬、ここに進出はこれらエスキモーの協力が必須だろう。で日本人で西日本と東日本のミトコンドリア構成が大きく違うのはエスキモーの間引き予定の女児の縄文への流入が万年単位の長さであったと説明はつく。津軽の遮光器土偶を見てこういう風景を、、トド、セイウチが東北北海道に生息して狩りをしてたのだろう?。昭和の時代でも東北北海道の冬は人々も冬眠状態と伝承あり。テレビのない時代でのここでの思考、精神性はなんだったんだろう?妄想は幾らでも出るなw
古代のフィギュアじゃないのかな? たかだか1万年、日本人のやることは今も昔も変わらないのでは😃
ワイもそう思うのと、もっと上手いというかリアルなやつが出てきてもええやん?と思いつつも、そういうのは土偶に比べて細かったり細かいから壊れてしまうのかなあとか
いや大陸から遥かに進んだ文明を持った渡来人(大和民族)が来たから原始的な生活をしてた縄文人や縄文人の子孫のアイヌとは文明レベルが圧倒的に違う
縄文フィギュアオタクのめちゃくちゃ変態寄りのフィギュアだけ残ったのかw
全然詳しくないけど土器含め弥生よりも縄文の方がデザインに凝った物が多い気がする。変態フィギュアといい、思ってる以上に結構豊かな生活してたのかな。
おそらく縄文人はずんぐりむっくりしてたんやわ!今もそんな人いはる!何やほっこりするわ!
自然だとか人の精神性だとかの精霊を表しているのだと思います。栃の実の精霊の擬人化とか、ある意味で宗教としての性質。
土偶見たことあるけど不思議な思いがした。でも多分、土偶に何か宿ってるとかじゃなくて、宿ってると思うから、不思議な気持ちになるんだろうな。考古学者の研究は有意義だと思うけど、土偶にそんなに深い意味があったのかは定かじゃない。バズっただけかもしれない
案外可愛くできたから、こけし的存在として家に飾ってただけかもしれませんしね(^^)なんかいいな。
ハマグリって浜の栗🌰ですか?
ゆるキャラ説将来、ふなっしーとかまんべくんなんかがどう考察されているのかとか考えると、ちょっと楽しい
土偶はその土地土地の食べ物を擬人化したものって説もみたぞそっちの説の方が説得力あった
土偶についての新しい社会学的な発想で、すばらしいと思います。さらに進んで縄文時代の思想構造が顕になると良いです。
生存のために全く役に立たない土偶や火焔式土器を作るのは、それだけ生活に余裕があったということ。食べることに追われていては、何の生産性もない土偶など作ってる場合ではない。現実、水田稲作が定着した後の弥生時代には、土器もデザインの凝った縄文式ではなく、実用的な弥生式土器に移行している。つまり狩猟採取の縄文時代の方が、水田稲作の弥生時代よりも暇がたくさんあったということの証左。山や川や海で食べ物を調達していた頃の方が、芸術に興味を持つほどの時間的余裕があった。逆に言えば弥生時代の人々は農作業に必死で芸術に興味を持つ余裕も時間も無かったということ。古墳時代になると農業生産性が上がり、農作業の手を休めて大規模公共事業(土木工事)に従事するどけの時間的余裕が出て来る。食べるのに必死だったら土偶など作らないよ。想像力の働かせ方が間違ってると思う。
日本の考古学者は比較考古学の研究が欠如しいるのではないのでしょうか? 仮面の女神や縄文のビーナスなどの類似物は世界各地で発見されています。林 浩司氏のホームページで以前から公開されています。ぜひ参考にしてください。
確かに
ただ作るのが趣味の人もいそう
大昔に神秘的すぎますね
自分たちが今までやってきた研究を覆される恐怖に抗っているだけのようにも見える
竹倉さんのが最強だよ
竹倉は逃げました 自説が不利な状況と考えてあれだけ考古学界を挑発しておいてその程度の人間です
そもそも今の時代にこの姿形を残す事ものを作る技術やテクノロジーがあったと言う事は事実です。そこから考えていけばもっと見えてくる事が広がると思います。今の機械的なものを使用しなくても作れたと言う事です。自分達よりもかなり進んだ事が出来た時代だったと思います。そういう知識がある人間が想像し考えてつくった又は現在の私達に伝えなくてはいけなくて残したものだともいえます。だから土偶からこれからの時代のヒントを頂けるかもしれない決めつけは危険だし、大人ではなくこれからの子供達が何か見つけるかもしれない
土偶のほとんどが特に諏訪地域で見つかるのなら、おそらく諏訪発祥で近畿〜東北一帯に痕跡のあるミシャグジ信仰(諏訪大社・諏訪明神に連なっていく信仰)と大きな関係がある。と考えるのが自然だと思う。これは、今の日本神道つまり西の方から日本に渡ってきた大和朝廷にとって異教徒のはずなので、西日本でほとんど出てこないのも自然。でも天皇家のルーツが西の方、つまり大陸系だろうというのは日本のアカデミア界隈ではタブーな学説なので、この辺りを研究する人が少ない。
土偶って時代ごとにブームがあったのか
まぁ、土偶の正体もその意義も、永遠に解明はされないだろうなと思った
冒頭の落合さんの話の聞き方はありなわけ??あんまり気持ちいい聞か方ではないよね
前からこういうかんじですよ。朝生に出た時とかVRつけてディスカッションに参加してた。シュール。笑多分目からの情報も耳からの情報も一気に入ってくるんでしょうね。天才同士、我々の常識は関係なさそうです。
落合さんもマイペースだな~~人の話は目を見て聞いてよ
多分、本人は無意識なんでしょうけど、心の中では完全に相手のことを見下していますよね。普通の感性の人間なら、自分の先輩にあたる人だと理解しつつ、そうした相手を自分の番組にゲストとして呼んで話をしてもらうなら、こんな他人を小馬鹿にした態度はしませんよね…意識してのことか無意識かはともかく、ゲストの顔を満足に見ず、適当に相槌をうちながら他人が書いた本を読んでいるなど、ちょっとまともな精神構造の持ち主とは思えません。徹底的に他人の存在を無視できる、特殊な精神構造の持ち主なんだと思います。よくも悪くも、かなり特殊な精神構造の持ち主であり、頭がよくて若い天才だと周囲から持ち上げられている間は良くても、そのうちこうした他人を小馬鹿にする態度や他人を見下す態度が仇になり、何処かで大きな失敗に繋がるだろうと思いますけどね…
山梨は困難がいっぱいだったのかな 出土は一番多いから
絵本「どぐうどきどき」もご参考までに!
よく女性や妊婦をモチーフとして安産祈願や五穀豊穣を願ったとか聞くのですが現代と違って情報発信する術がない時代に遠く離れた地域で偶然同じ発想で土偶を作ったということが信じられないです。遮光器土偶も作者が同じかと思うくらいどの地域でも同じ形ですし。離れた地域と何かしらの交流があったりして広まったのでしょうか?
私は立命館大学二部文学部人文学科日本史コース出身で、考古学がやりたかった。
人だと思ってましたw
区域境、土地境のマーク?
サブスクが重たいのでコンテンツを単発で買えるようにしてください😂
学者ってやっぱりものごとを複雑にしたい人種なのだと思いました。結局何言ってるのかわからないし、単純に昔の人が植物とか貝とか身の回りの物を形にして後世に残して祀っていったという解釈が一番しっくりきます。逆にそれ以外であのような形状の説明がこれまでつかなかったことをこの動画では無視してます。
ぜんぜんしっくりきませんが。
この先生に限らず、ものごとを省略せずに複雑なまま理解する、今まで見えていなかった複雑なことを研究する(課題を発見する)というのはリスペクトすべきだと思いますけどね、、。ある程度誰にでもわかるように簡単に説明するのはまた別の能力かなと。そして自分が理解できないのを相手のせい(だけ)にしたくないなぁと思いましたね〜
暇だから人形を作ってみた。顔を色々作ってみた。目に木の実の形書いたら、面白くなった! 単純にこういうことではないでしょうか。
デジタルデータが全部消失してしまって一万年後に現在の美少女フィギュアが発見されたらどう解釈されるのだろう。
生命生殖の神秘をテーマにしたコンテスト出品。子どもへの教材。手先の器用さで更にステップアップ引き抜き職能斡旋…なんて。
暇な時に作った🎵
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お前はうすっぺらいんだよ。あの糸井重里との対談は何だ? 仕事を舐めてるのか。
🎉❤😂🎉∋🎉😂🎉🎉🎉🎉🎉🎉😂😂😂😂🎉😂🎉😂🎉😂🎉🎉🎉🎉😂🎉😂🎉😂😂🎉🎉🎉🎉🎉😂🎉🎉🎉😂🎉🎉🎉🎉🎉,🎉😂🎉🎉🎉🎉😂🎉🎉❤😂🎉❤🎉❤😂❤😂🎉😂🎉😂😂😂🎉🎉🎉😂m🎉🎉😂😂🎉😂😂🎉❤🎉😂🎉🎉🎉🎉🎉😂k😂🎉🎉🎉🎉😂🎉🎉😂🎉🎉😂🎉😂🎉🎉🎉😂🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉k😂m😂🎉😂😂❤❤❤🎉❤❤🎉❤🎉😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😢😅😅😅😅🎉😅❤😅😅😅😅😢😅😅❤❤❤🎉😂(🎉😂k😂🎉(😅😅😅😂😂😅😂😅(😂❤😅😂😅🎉(❤😅😂😂😅😅😂😂kkk😂(😂😅😅😅k😅😅❤❤😅❤😂😂🎉😂😂🎉99+*?😂
一度斬新な発想を石として投げ入れて波紋を作り、もう一度研究の基本に戻るというのが、とても重要なのだと思いました。
楽しいお話ありがとうございます💐
女性名に、ハナ、イネ、ウメ、キク、タネなどなど具体的な植物名を好んで付けることが仮に縄文時代以来の傾向だとすると、
「女性性と植物」は縄文人の比喩や換喩センスに合っていた(両者の魅力をうまく言い当てていると感じていた)気がします。
先生の解説された土偶に託した社会性や生殖にまつわる機能と、植物で例える女性性を重ね合わせて表現する事は相反するものでもなく、例えば「名前」「呼び名」などの『言語』を介して融合してきたと考えてみてもよいかと思いました。
近代頃まで植物名を女性に付ける感覚は日本ではごく普通(欧、中国などに較べて多いと聞いたことがあります)という特徴があるとすれば、縄文センスの名残かもしれません。
土偶には植物の他に爬虫類や両生類なども浮かびますが、こちらは亀、龍、辰、巳など男性性が強そうです。
先史時代の『名前』の実証は難しいかもしれませんが縄文センスを推測するのは楽しいです。
土偶は困ってたから作った、と仰っていますが本当でしょうか。
縄文人は土偶以外にも火焔土器や勾玉や装飾品などを沢山作っています。これらも困っていたから作ったのでしょうか。単純に文化を楽しんでいたから作ったでは駄目なんでしょうか。
何万年後かに俺らのフィギュアも似たような事言われるんかなw
同感です。困ると言っても何に困るかが問題だと思います。病気や出産なら何処に住んでいようと同じだと思いますし…どちらにしても手の込んだ土偶や装飾品を楽しむ余裕が有ったと思う方が自然な様に思えます。
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結局、縄文時代が手の込んだ土偶や装飾品を楽しむ豊かで文化的な時代だと知られるのが困る連中がいるのですよ。
その連中がエセ文化人やエセ学者を使って不自然な解釈を流し混乱させる。
そういうことでしょ。
現代社会しかしらないお花畑な人はそう思っていれば良い😂
たくさんはみつかってないよ。発掘に参加したことがあるけど、ほとんどみかけない。
学者って凄いなと改めて思いました。
素晴らしいです。
山田先生の授業を一度しっかり聞いてみたくなりました。縄文時代、分かっていないことが多いからこそロマンがあり面白いですね。
ここまで深く土偶について考えた事がなかった。いろいろ参考になりました。
この先生の土偶に関するご考察も単なる仮説ですものね。そもそも祭祀が行われていたのかも確かではないですよね。これから解き明かされるかしら?面白いですね😍
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縄文時代に興味あります。
両方読んだけど竹倉さんフルボッコでめちゃめちゃ面白かった。竹倉さんの本で目から鱗が落ちて、緑の本で更に鱗が落ちる。学術とはどういうものかも深く理解できて両方で一つの本になっている。両方を上下巻として読むのが非常におすすめ。
土偶についてそこまで考えた事がなかったので、話を聞いて知らなかった事がわかったので面白かったです。
ガチの専門家の話が聞けるのもなかなか無いな。おもしろい。
土偶についてここまで詳しい話を聞いたことがなかったので、勉強になりました
土偶は人だと思っていました。
土偶から読み取れることや考察面白かったです。
土偶についてはど素人の自分(理系の研究者・大学教員)にとっても、「土偶を読む」は非論理的だとわかりました。NHKの番組で紹介された時に、これが流行ったらマズいなと思ったことをはっきりと記憶しています。
たとえば「ピカチュウ」や「キティちゃん」みたいに、キャラクター商品として流行っていた…とかはどうでしょう☺️
かわいい私も欲しい❗️ってなって爆発的大ヒット❤
そのデザインを考えた作家さんもいてとか妄想すると、私的には楽しいです😆
縄文時代、出土したものから色々想像するのは面白いですね。
とても興味があり、早く解明されないかとワクワクしている分野
解説も分かりやすく面白かった
あくまでも個人の感想ですが、約1万年前から2000年前まで続いていた縄文時代の縄文人が皆思う日本人像で、弥生時代になり、他の地域からから移ってきた建築文化や騎馬文化がある弥生人に縄文人が次第に駆逐さで混雑し、現在の日本人になっていたと思う
土偶って昔から何とも言えない雰囲気醸しだしてる。色んな捉え方が出来る人のお話しなので面白い
私も考古学がやりたかった。
西日本に土偶ってあまり無いって知りませんでした。
こう言う考察は面白いですねぇ
移動したくても移動先に人がいるようになったから定住したという話は面白いですね。
縄文から弥生時代になったのも人口が増えて移動先に文化が出来てしまったから移動出来なくなったかも知れませんね。
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目の縁には装飾品のような縄の目が付いていますし、何より目を横切る横一文字の線。瞳を表現するにあたってあんな線を付けている作品は現代アートでも見たことがありません。
やはり遮光器のような装飾品を付けていた説を否定するには根拠が乏しい気がします。遮光器のようにスリットで視界を狭める器具は、光の反射を防ぐのにも役立ちますし視力の増強にもかなり役立つので狩りにうってつけだったのではないでしょうか。
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土偶から色々な事が読み取れる事は面白いです。
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面白かったです。
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土偶!
おもしろいですね♪
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好きでよく考古博物館に行ってます
素人の感想で・・・
当時は病気への対応は何も無かった、人に代る土偶を作って壊す事で病気やケガの治癒を祈った
・・痛い処を叩くとかね・・・
縄文土器の縄目は芸術的な「遊び」でしょう。雨が降れば暇だった・・
土偶を作るにしても、動画内にもあるようにある程度の生活の余裕がないと出来ない事です
縄文時代は今よりも気温が3度程度高くて、野山海川は豊かだった(縄文海進って、海面は今より高かった)
包丁・矢じりになる黒曜石の流通があって、部落や部族の交流で薬草の知識や
土器を焼く温度の技術の向上と流布があって弥生時代になる
弥生は稲作が始まり、水路の建設と、収穫した物の配分、収穫物を守る軍事の必要性で、国が生まれた、って解釈している
発見がすごい!!
面白かったです。
土偶の考え面白いです
考古学の話も面白いですね
最近、【土偶論】が盛り上がっていますよね。
【縄文的思考】・【野生の思考】からの ”構造主義哲学” がやはり21世紀の哲学問題とも絡むんでしょうね!
土偶を見ていつも思うのは、何故、写実に優れた物が残っていないのかという事。造形にかなり優れた技術があり不可能ではなかったと思う。写実、つまり実物と似た物は禁忌だったのではなかろうか。明らかに人だとわかりながら、どう遠ざけるかが課題だったのではないか。そのための試行錯誤の中で認められなかった物や写実に近い物は即破壊され消し去られる。そんな事を考えた。
仏像みたいに色んな種類・目的があるっていうイメージです
発掘調査は、やりました。
なんかこの先生の言うことを聞いてると、「けもフレのキャラはかわいい女の子をモチーフにしている。なぜならオタクはかわいい女の子を崇拝しているから。」とご指摘を受けたようで、ぐうの音も出ません。でも、「直立歩行するから人間だ」という理屈は、ペンギンは人間だと言われてるようで納得できません。
必要だから、それはあると思います。
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ホントのところは縄文人に聞かないとわからない
そうだね〰️🍀
タイムマシーンがあったらなぁ
争いがなく、平和な時間が長く続いていた縄文時代。平和に暮らしていた人々はなぜ人型の像を形にしたのか。弥生時代に入り、男性優位の社会に変化していく。渡来人である物部氏の勢力拡大により、女性優位の社会である出雲王国が衰退したが、縄文はそれよりも前のお話。火焔式土器のように人々は象徴的な存在を形作っていたと考えると土偶のモチーフは女性。女性優位の社会では争いは起きない。平和の象徴説に1票!
違うと思いますよ。二足歩行とかじゃないです。
右利きの人って、抱えて作るには同じように作れないんです。どうしてもひっくり返して作るので。
考古学者ご本人が作って見ればわかると思いますが、
器を作るのと、人形を作るのは技術が全く違います。
良い釜でも温度差が出るんです。炎に放り込むだけなら更に温度差がでます。そうすると、器は割れなくても、人形は割れるんです。
特に手足は胴体と接続する際に、指で土を慣らすので、接続部分が薄くなります。そうすると更に割れやすいんです。
考古学者の方達は、全くご自身で焼き物をしたことの無い人達の空想ばかりです
女性を模した土偶をつくることで、生命を生み出してもらう、食糧を大地より生み出してもらう、みたいな観念的な祈りの要素があったのかな。
すごい刺激的な内容でいろいろ考えたくなる。
結局なんなんでしょうね?不思議なのでとても気になります!
面白い❣️
今でこそ共通語があるが、方言で話されたら現代でも会話が成り立たない県もある。縄文時代もそうだったのではないかと思う。子供が産める体になったら近親者同士を避けるために言語ではなく土偶という人形を使って他の部族、集落に子孫を残したいという意思表示をしたり、自分の生まれた集落や部族の証みたいな使われ方をしていたのではないかと思う。
「困ってたから作った」それはそうだと思います、ただ、基本的にお産の心配から安産への願掛け的なものというのは間違いないでしょう。
火炎土器のような自由で豊かな発想力がある縄文人ですから、いろんな意味を持った土偶も生まれて行ったのでしょう。
生物である以上、子孫を残すということが人間にとっても最も大切な目的であり、交尾や出産が食欲と共に生きる上での発想の中心に成るのは当然なことであります。
人類がチンパンジーと別れ直立二足歩行へと進化が進むに連れて骨盤の角度が変わっていくことで産道が狭くなり難産と成ったことにより、大きな「困り事」が発生しました。
医療が発達した現代においても女性にとって出産は大きな節目であります。
その難産の苦しみを共有した、猿人のメス同士の間に互いをいたわる共感性が生まれ原人へと進化し、20万年前にはホモ・サピエンス(人間)へと進化しました。
知的生命体(人間)へと進化できたのは他者の痛みに共感する能力が発達し理解することで創造性を磨き、助け合うことでコミュニケーション能力を高め集団化を実現したからです。
その大きな役割と成った出産に対して、女系的縄文文化が花開くことは至極当然な話であります。
生命のオスは元々、約12億年前に、目まぐるしく荒れ狂う地球環境に対応するために生まれて来ました。メス同士の遺伝子をオスに介させる形で進化スピードを格段にアップさせる対応へと進化しました。
メスの発達と子孫の繁栄の為に誕生した進化システムが有性生殖です。その為にオスが生み出されたのです。
そんな生命の摂理から言っても理に叶っているのが縄文の文化の形体であると思われます。
続く、、、
収穫物を貯蔵するときのネームプレート。
クリなら「栗」と書かずに、一個そのツボなり箱の前に置いとけば中に入ってるのはクリとわかる。
クリの採取、管理は女性がしていて皆がその女性をクリさんと呼び
栗そのものもクリさんと呼ばれる。
食べ物とそれを扱う人が同じ呼ばれ方をする。
擬人化の起源であり、後に大受持という神様のもと。
縄文時代の仲間意識,家族意識が何処まであったか次第ですが,単純に亡くなった人の代わりなのかと思ってました.
出産リスクにさらされた女性,が主で場合によっては口減らしのために無くなった人の代わりだったり.
定住してれば身近においとけるけど,定住じゃなければ荷物になるので置いてくしかない.
そうすると,亡くなった人と同じように埋めていくなど,置いて移動するしかない.
石棒は一見男性器のようにも感じられるが,実は生活必需品などの道具の1つが石棒でその使用の過程で両端だけすり減らないような使い方があったとか.
大きいとやはり移動するのには邪魔なので,おいていく.亡くなった人の代わりの土偶に供養的な意味で小さいモノを埋める.1つつくって半分にして埋めて片方が持っていく.など?
土偶が女性型であった必然性がいまいちですし,石棒が土偶によって男性型と色眼鏡で考えられてる感じが気になりました.
西日本にも近畿に日本最古級 の土偶 ありますね 縄文創草期 粥見井尻遺跡です。
1つの事を追求していくとその過程でいろんな疑問が出ていき またそれを追求していく おもしろいなぁ
人じゃなかったら何をイメージしたんでしょう?
改めて日本の縄文研究を開拓したネイリーナウマンの功績の偉大さを再認識します。
土偶見ているとおましろいですね!
単純にどうして人間の姿とかけ離れた見た目なのか?
あれだけの形成ができるならもっと人間に寄せた形のものも発掘されて然りじゃないの?
考古学者や学芸員ってあまり好きでない。研究員の話は信用できる。果たして土偶に意味があるのか。考古学の域を超えた領域で議論しても良いと想う。
僕の考えは縄文人が楽しみで作ったのだと思う。一意に帰そうとするのは大きな間違いだと思う。
平和で暇すぎて作りました
土偶が何故作られたのか?
正解は分かりませんが真実に近づけた気がします
土偶の顔が人になっていない時点で自然信仰の化身か何かと解釈するのが合理的ではと思います。戦争を持ち込んだ弥生人は政治的に偶像を忌み嫌っていたとも思えますね。
尾関清子先生を招いて、縄文布、縄文衣のことを聞いてほしい。その人生にも関心がある。
水子のお墓・・・泣けてくる
津軽の遮光器土偶の説明で半分は解明されてると思うな。遮光器はツンドラ地帯では必須。乳房は飾り。遮光器土偶と同じ洋服を着た女性の写真を見た時、最初は豚皮の服と思っていたが今では海獣でできた服の可能性もあると。3~4千年前以上でまだツンドラ気候の色濃い東北地方、でパシフィックエスキモーと言われるアレフト族が東北、北海道に居た。それがあの形の土偶。エスキモーは女性の8割間引きをする。これは明治時代の宣教師の調査だな。ロシアのアイヌは消滅したがアレフトに吸収された。親和性、精神性が近いんだろう?それで研究はアメリカのアリューシャン列島か強制移住でカムチャッカのアレフト集落に行くと運が良ければヒントが残っているかも?
南方系の縄文人が今でもサンクトペテルブルクやオスロより寒い東北の冬、ここに進出はこれらエスキモーの協力が必須だろう。で日本人で西日本と東日本のミトコンドリア構成が大きく違うのはエスキモーの間引き予定の女児の縄文への流入が万年単位の長さであったと説明はつく。津軽の遮光器土偶を見てこういう風景を、、トド、セイウチが東北北海道に生息して狩りをしてたのだろう?。昭和の時代でも東北北海道の冬は人々も冬眠状態と伝承あり。テレビのない時代でのここでの思考、精神性はなんだったんだろう?妄想は幾らでも出るなw
古代のフィギュアじゃないのかな? たかだか1万年、日本人のやることは今も昔も変わらないのでは😃
ワイもそう思うのと、もっと上手いというかリアルなやつが出てきてもええやん?と思いつつも、そういうのは土偶に比べて細かったり細かいから壊れてしまうのかなあとか
いや大陸から遥かに進んだ文明を持った渡来人(大和民族)が来たから
原始的な生活をしてた縄文人や縄文人の子孫のアイヌとは
文明レベルが圧倒的に違う
縄文フィギュアオタクのめちゃくちゃ変態寄りのフィギュアだけ残ったのかw
全然詳しくないけど土器含め弥生よりも縄文の方がデザインに凝った物が多い気がする。変態フィギュアといい、思ってる以上に結構豊かな生活してたのかな。
おそらく縄文人はずんぐりむっくりしてたんやわ!今もそんな人いはる!何やほっこりするわ!
自然だとか人の精神性だとかの精霊を表しているのだと思います。栃の実の精霊の擬人化とか、ある意味で宗教としての性質。
土偶見たことあるけど不思議な思いがした。でも多分、土偶に何か宿ってるとかじゃなくて、宿ってると思うから、不思議な気持ちになるんだろうな。
考古学者の研究は有意義だと思うけど、土偶にそんなに深い意味があったのかは定かじゃない。
バズっただけかもしれない
案外可愛くできたから、こけし的存在として家に飾ってただけかもしれませんしね(^^)なんかいいな。
ハマグリって浜の栗🌰ですか?
ゆるキャラ説
将来、ふなっしーとかまんべくんなんかがどう考察されているのかとか考えると、ちょっと楽しい
土偶はその土地土地の食べ物を擬人化したものって説もみたぞ
そっちの説の方が説得力あった
土偶についての新しい社会学的な発想で、すばらしいと思います。さらに進んで縄文時代の思想構造が顕になると良いです。
生存のために全く役に立たない土偶や火焔式土器を作るのは、それだけ生活に余裕があったということ。
食べることに追われていては、何の生産性もない土偶など作ってる場合ではない。
現実、水田稲作が定着した後の弥生時代には、土器もデザインの凝った縄文式ではなく、実用的な弥生式土器に移行している。
つまり狩猟採取の縄文時代の方が、水田稲作の弥生時代よりも暇がたくさんあったということの証左。
山や川や海で食べ物を調達していた頃の方が、芸術に興味を持つほどの時間的余裕があった。
逆に言えば弥生時代の人々は農作業に必死で芸術に興味を持つ余裕も時間も無かったということ。
古墳時代になると農業生産性が上がり、農作業の手を休めて大規模公共事業(土木工事)に従事するどけの時間的余裕が出て来る。
食べるのに必死だったら土偶など作らないよ。
想像力の働かせ方が間違ってると思う。
日本の考古学者は比較考古学の研究が欠如しいるのではないのでしょうか? 仮面の女神や縄文のビーナスなどの類似物は世界各地で発見されています。林 浩司氏のホームページで以前から公開されています。ぜひ参考にしてください。
確かに
ただ作るのが趣味の人もいそう
大昔に神秘的すぎますね
自分たちが今までやってきた研究を覆される恐怖に抗っているだけのようにも見える
竹倉さんのが最強だよ
竹倉は逃げました 自説が不利な状況と考えて
あれだけ考古学界を挑発しておいて
その程度の人間です
そもそも今の時代にこの姿形を残す事ものを作る技術やテクノロジーがあったと言う事は事実です。
そこから考えていけばもっと見えてくる事が広がると思います。
今の機械的なものを使用しなくても作れたと言う事です。自分達よりもかなり進んだ事が出来た時代だったと思います。そういう知識がある人間が想像し考えてつくった又は現在の私達に伝えなくてはいけなくて残したものだともいえます。だから土偶からこれからの時代のヒントを頂けるかもしれない決めつけは危険だし、大人ではなくこれからの子供達が何か見つけるかもしれない
土偶のほとんどが特に諏訪地域で見つかるのなら、おそらく諏訪発祥で近畿〜東北一帯に痕跡のあるミシャグジ信仰(諏訪大社・諏訪明神に連なっていく信仰)と大きな関係がある。と考えるのが自然だと思う。
これは、今の日本神道つまり西の方から日本に渡ってきた大和朝廷にとって異教徒のはずなので、西日本でほとんど出てこないのも自然。
でも天皇家のルーツが西の方、つまり大陸系だろうというのは日本のアカデミア界隈ではタブーな学説なので、この辺りを研究する人が少ない。
土偶って時代ごとにブームがあったのか
まぁ、土偶の正体もその意義も、永遠に解明はされないだろうなと思った
冒頭の落合さんの話の聞き方はありなわけ??あんまり気持ちいい聞か方ではないよね
前からこういうかんじですよ。朝生に出た時とかVRつけてディスカッションに参加してた。シュール。笑
多分目からの情報も耳からの情報も一気に入ってくるんでしょうね。天才同士、我々の常識は関係なさそうです。
落合さんもマイペースだな~~
人の話は目を見て聞いてよ
多分、本人は無意識なんでしょうけど、心の中では完全に相手のことを見下していますよね。
普通の感性の人間なら、自分の先輩にあたる人だと理解しつつ、そうした相手を自分の番組にゲストとして呼んで話をしてもらうなら、こんな他人を小馬鹿にした態度はしませんよね…
意識してのことか無意識かはともかく、ゲストの顔を満足に見ず、適当に相槌をうちながら他人が書いた本を読んでいるなど、ちょっとまともな精神構造の持ち主とは思えません。
徹底的に他人の存在を無視できる、特殊な精神構造の持ち主なんだと思います。
よくも悪くも、かなり特殊な精神構造の持ち主であり、頭がよくて若い天才だと周囲から持ち上げられている間は良くても、
そのうちこうした他人を小馬鹿にする態度や他人を見下す態度が仇になり、何処かで大きな失敗に繋がるだろうと思いますけどね…
山梨は困難がいっぱいだったのかな 出土は一番多いから
絵本「どぐうどきどき」もご参考までに!
よく女性や妊婦をモチーフとして安産祈願や五穀豊穣を願ったとか聞くのですが現代と違って情報発信する術がない時代に遠く離れた地域で偶然同じ発想で土偶を作ったということが信じられないです。遮光器土偶も作者が同じかと思うくらいどの地域でも同じ形ですし。離れた地域と何かしらの交流があったりして広まったのでしょうか?
私は立命館大学二部文学部人文学科日本史コース出身で、考古学がやりたかった。
人だと思ってましたw
区域境、土地境のマーク?
サブスクが重たいのでコンテンツを単発で買えるようにしてください😂
学者ってやっぱりものごとを複雑にしたい人種なのだと思いました。結局何言ってるのかわからないし、単純に昔の人が植物とか貝とか身の回りの物を形にして後世に残して祀っていったという解釈が一番しっくりきます。逆にそれ以外であのような形状の説明がこれまでつかなかったことをこの動画では無視してます。
ぜんぜんしっくりきませんが。
この先生に限らず、ものごとを省略せずに複雑なまま理解する、今まで見えていなかった複雑なことを研究する(課題を発見する)というのはリスペクトすべきだと思いますけどね、、。
ある程度誰にでもわかるように簡単に説明するのはまた別の能力かなと。
そして自分が理解できないのを相手のせい(だけ)にしたくないなぁと思いましたね〜
暇だから人形を作ってみた。顔を色々作ってみた。目に木の実の形書いたら、面白くなった! 単純にこういうことではないでしょうか。
デジタルデータが全部消失してしまって一万年後に現在の美少女フィギュアが発見されたらどう解釈されるのだろう。
生命生殖の神秘をテーマにしたコンテスト出品。
子どもへの教材。
手先の器用さで更にステップアップ引き抜き職能斡旋
…
なんて。
暇な時に作った🎵