Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
番組のフル視聴はこちらからbit.ly/39Ci5BB
子供のような柔軟な発想だと思うが、なんの裏付けもないだた「思った」ことにすぎない。本人の口からも「思った」という言葉が多く出てくるので、それ以上でもそれ以下でもない。個人的なポエムや感想として聞くべきものなんだろうな。
落合さんが竹倉氏の自説に懐疑的なのがビンビン伝わってきて面白いこの話に興味を持った人は是非「土偶を読むを読む」を読んで欲しい
確かに。。。と納得しそうになったが、段々想像力の長けた人だけなのかもしれない。。。と思うとコメディーを見ている感覚になってきて。私にはついていけない面白い動画でした。
立った状態で下を見て、見えてる自分の体の比率をそのまま形にすると、顔に近い腕は長く肩幅は広く、脚は短く歩幅は小さくと、土偶体型になるんだよね。なので土偶、特に遮光器土偶なんかは自分の体を形にしたものだと思ってる。
土偶も種類があってもともと女性にも男性にも見えていたので、単に擬人化しただけっていうのは感覚的にも腑に落ちますね。
先日山田五郎さんのチャンネルでみうらじゅんさんが、仏像は樹木霊として日本に入ってきたんじゃないかと話をしていたのとすごく重なりました。植物の精霊という説はしっくりきます😊
女性だと思い込んでいた土偶を植物がモチーフではないか、という視点は新鮮です。植物をモチーフにした平面的な図案は数多くありますが、立体があってもいいですよね。
新鮮な発想ですよね。私は土偶って一万年前のエロフィギュアだと思ってました。有史以前からヲタ文化が根付く古代日本の存在がDNAとして現代に伝わっていると感じます。
これはワクワク&ほっこりするアプローチ
発想力が素晴らしいです
縄文土偶の全てが女性をモチーフにしているとする学説には無理があるけれど、同様に全てが植物とか生活に関わる収穫物というのも違うのだろうね。女性をモチーフにしているものもあれば、木の実とか生活に関わる収穫物もまたモチーフになったのだと思うよ。現代人は抽象化やデフォルメに慣れ過ぎているけれど、縄文人って露骨に具象化した土偶を造っていたのかもね。
土偶は歴史的価値がありますし、気になる分野でした。ありがとうございました。
生命の管理者みたいな存在を形にすると世界中いたるところにあった女性的な特徴を持つ地母神となるわけで、土偶の中にも地母神的な発想の物が混ざっていたとしてもおかしくないと思います。
これすごい
樹木に実がなる。大地から芽が出る。女性から赤ちゃんが産まれる。ほとんどの自然現象が発想の源。土器を炉という母体に入れて真っ赤にして焼いて出すことがそもそも出産と同義。その土器で調理したら苦くて食べられなかったものが食べられる。新しい料理が産み出された。製銅製鉄も一緒で、溶けた金属は経血であり、鏡や刀という宝を産む。世の中ほとんどが母性。すり鉢とすり棒、磨製石器も性行為の象徴。
考古学専攻してました。この本読みました。残念ながらデータの扱いが結論ありきで恣意的に操作されており、手法において非科学的と言わざるをえないものでした。
興味深いお話でした
面白かったです〜
土偶の世界がこんなに奥が深いとはしりませんでした。
今の日本人て物の捉え方とか表現は縄文の頃には出来上がってたんですね。植物モチーフは十分考えられる事で、違和感も少ない。素晴らしい。
縄文人の感性が我々現代人と逸脱しているとしても、ほとんどの土偶が女性をモチーフにして作られたとする従来の定説はかなり無理筋の説。食用植物がモチーフとするといろんな要素で合点がいく。ときどき手足がついてるように見える人型の大根なんかがネット上で話題になるけど、遮光器土偶の手足の形状は、まさに土から掘り出した根菜類からインスピレーションして作られたとしたら説明がつく。実際、当時に人のかたちをした根菜類の芋などを縄文人は土から掘り出して、相当驚愕したはず。土の中にいる精霊だと誰かが訴えれば、皆が納得するような時代と生活風習、人柄だったはず。すべてのモノニ命が宿っているという日本人の世界観のベース。その現代日本人のベースは縄文人。土の中や木々に生命をつかさどる精霊たちがいると信じ切っていたはずの縄文人。平和で自然への感謝の気持ちに満ちた人々が長年、争わず共存していた、その象徴的な記号として自然の精霊をモチーフしたのが土偶としたら、女性をモチーフにした土偶を作る人々とするより、縄文時代のイメージが地に足がつく感じ。
感謝の気持ちをキャラ化したのなら素敵だな
土偶って面白いですね
面白いな話ありがとうございます。
日常食べていた植物の擬人化説。いいですね。遺跡からは物は出てきますけど、縄文人がどんな生活をして、どんな宗教観で、どんな思いで生きていたのかを知れたら面白い。江戸時代には沢山資料が残っているので、どんな生活をして、どんな宗教観で、どんな人間関係だったのかリアルに知ることができる。私は、そこから歴史に興味を持ったのですが、同じような心境になれたらいい。自分はこの人の説を推したい。
疑問をもったらそのままにせず 追い求める姿勢がいいですよね☺️
それで結局、画像の6体の土偶のうち、左から3番目の一番よく目にするどっしりとした土偶は、植物など何か食する物などの何に由来するのかよくわからなかったのですが、何に由来するのでしょうか?分かった方がいたら、教えて下さるとありがたいです。よろしくお願いします。
とても興味深い内容でした。ありがとうございました。
是川は八戸市です。津軽ではありません。
遮光器付土偶に限って云うと、出土したのは青森県北部。明治時代遮光器付土偶と命名された。私がある瞬間を見るまでシャコウキツキドグウと何となく思ったり、言ったりしていた。気にも留めなかった。それは衝撃だった。テレビの取材番組でアリューシャン列島の民族、狩人を撮っていた。みんな雪上バギーに乗り始め、一人のアリュート人がサングラスらしき眼鏡をかけた。その眼鏡が遮光器付土偶の眼鏡と完全に同じものだった。動物の骨を薄くレンズのように削り、真ん中に細い切れ目をいれ、その隙間から雪の反射光を遮光する眼鏡でふたつの白いレンズをひもで結んで顔にかけたものだった。アリューシャンを島伝いに千島を通って北海道、青森にはこれたはず。しかし明治時代どうして遮光器に気が付いたのか?その部分は学会で問題視されなかったのか謎だ。
現代感覚でも想像しやすい理論だよね
なるほど。面白い。やっぱり日本人のルーツを探るのって好奇心をめっちゃくすぐりまくりますね。
面白い考察ですね~。遮光器土偶は、カエルをデフォルメしてる気もします。作りが凝ってるので、雨の精霊として雨乞いしてたのかもしれないですね~⁉
10:00 「津軽の是川」って言われてますが、青森県南部地方の是川遺跡だと思われます。比較的空いていて、土偶もかなりの点数が飾られているので気になった方はぜひ来てください。
昔って鏡ないから、自分(人間)の姿を写すより自分から見えるものを写すって発想のほうが確かに自然だな。
とちのみのこと。もともとの発想からきているから、昔の土偶も、いまの栃木のゆるキャラも変わらないというのはとても面白くて納得できるなと思いました。
人の回りに土、石、植物、動物しかなく交通手段もなかった時代に広く分布していたのは植物だけですね。仮説に間違いはないと思います。
木の実! なるほど…面白い✨今定説と思われていることを疑う姿勢って、大事ですね😊生命…続きが気になるな〜
精霊によって植物が育つなるほど〜!!人格化すると大切にしたくなりますもんね!こういう見方が出来るってすごく面白い!!
土偶にもよるかな。縄文のビーナスは明らかに、ふくよかな女性を想起させるし、仮面の女神に至っては、仮面を被ってるし、女性器も付いてるんだよね。
むか~しの人の感覚は、今とは全く違う状態です。そもそも何で自分がここに住んでるのかすら定義してないのではないかと思います。自然の一部でしかないわけですからね。言ってしまうとここ最近、数千年位で定義づけで視点を変えてるだけなので。今はネットがありますが、それらは仮想的に知識で仮定してるに過ぎません。突然いま地球で電気が止まったらどう思いますか。その感覚で縄文人はおろか明治まで日本のご先祖様達は生きてた訳ですからね。隣町がどうなってるかすら分からない状態です。今は知識などですが、リアル性は低い状態です。昔の人はとてもぎゅっと詰まったリアルの空間を把握していたのでしょう。今は五感とは繋がらない仮定で動いてるからスカスカなのかもしれません。そうさせている経済もありますけど。
洪水で村が全滅したことを、世界のすべてが水に沈んだと表現する。村長が下した命令なのに、全宇宙の絶対神のお告げだとする。
すごく興味がでました。土偶の使い道、仮説が面白いのと植物に対しても縄文時代から、取り入れていたことが知れて面白かったので子供と調べたいと思います。
こうやってトンデモ仮説が真実かのように浸透してしまうんだな。恐ろしい。
あのこのコメント見るかわかりませんが、実家は貝塚の上にあります!小学生の頃は縄文弥生式土器が、そこら辺に普通にありました。土器の欠片、石包丁、矢じりの先、はたまた丁寧に埋葬された墓地まで~簡単にいうと、人間が見てないものは作れるはずはないし、土器の作り方も精霊さんが教えてくれたのが正しいでしょう!想像は各個人思い浮かべて楽しいよね~宇宙人説もあるけれども、それもたくさんあるよね~いわゆる偶像崇拝すると、次元の違うところから現れてきてくれて、当時はありがたい存在だったけど、向こうも人間の奴隷じゃないから、いい加減去って行ったんだよ。
面白かったです
本筋から離れてしまうけど、人の話を聞く時には、しっかり目を見て向き合ってほしい。パソコン膝に乗せてる人と話すと分かるが、自分の話に集中してないのがどうしても否めない。下調べは予め済ませておく、その姿勢も聞き手の誠意ではないだろうか。
この説に納得!日本人のキャラクター好きは縄文の頃からかもしれない。縄文の人達は、自分達に恵みを与えてくれるもの全てを神のように崇めていたと考えるとしっくりくる。太陽も木の実も。あの不思議な形も説明できる。
面白いですね。
日本人は縄文時代も現代も【ゆるキャラ】が好きなんですよね。植物土偶は【ふなっしー】で決まりですね!
何でも好きに考えましょう
縄文人の植物利用は買って読みました。図鑑の要素もあり、わかりやすくて、読みやすいので、小学校、中学校の図書館にもおすすめです
これは凄い説でてきましたね。日本人のアニミズムの原点というか後の八百万神にも繋がる一貫した繋がりを感じますね
大変ありがとうございます。
神避りって言葉が古事記にあったり別回のアイヌの考え方にも通じるけれど、現世の魂は死ぬと肉体から飛び出て元いた場所に還る的な考え方を縄文の頃からしていたのかと思うと面白い
いつもフルで見てるけど今回は落合さんが飽きている感じがして最後まで見られなかった。
エクアドルで縄文土器発見のニュースは胸熱やった
流石に無理がある仮説かなと。。。
最後のほう、わたしも少し疑問を持ちました。感謝や尊敬をしているからといって、大きな何かの配下に入り、恐れ慄き奉っていたとイコールにしてしまうのは何だかもったいないと思いました。自分が愛する人たちへ感謝と尊敬を抱くのと同じく、自分たちも自然の一部として対等に戯れていただけかもしれないと思うからです。何でもかんでも擬人化をして愛でてしまう、日本人のお茶目伝説の始りかも!?と想像するのも面白いです。
動物を解体して腑分けしている様も、土偶として残ってると考えると面白い。食べれる部分だけ、誇張したりしてたり、血管が模様として採用されたり。
なるほど、神道の素になっているように感じました。
女性の体なのは、これらを作ったのがおそらく女性だから。狩猟が男性で木の実を拾うのが女性。作る時間も比較的あっただろうし製作者が女性なら自身の体型を作成イメージに反映したであろうから。
私に取り土偶と言えばハート型土偶(大阪ガスのマーク風)でした。遮光器土偶も無頭児がモデルだと言います。
津軽と是川一緒にされた。かなりの影響はあるけども。
とても興味深いのだけど、なんとなく形が似てるというのはなんだか根拠に欠けるというか。言語学のウラルアルタイ語族論とか、生物学の形態に基づく分類とか見た目に即した考えというのは充分に検討を重ねる必要があるのと思う。(査読のシステムがある学術論文になんで出さないのかもちょっと気にかかる。)そもそも考古学のこういう発見に決定的なことを言うのは無理だというのははっきりしているわけで、土偶論云々より筆者の学術界とか専門知に対する批判姿勢のほうがテーマなのかも。
ツガルのコレカワ遺跡ってどこでしょうか。僕が知っているのは八戸市の是川遺跡です。八戸は津軽ではなく南部なので、八甲田山以北にコレカワという遺跡があるのですか?(歴史分野を扱う人が津軽と南部を間違える事はないでしょうし)
とちまるくんガチやん
植物なるほど。植物と人を混ぜ合わせたキャラクターはあり得そう。豊作を祈る意味でも
土偶は宇宙人の化身である、根拠はアヌンナキ。データ的にも宇宙創世を司ることが分かる客観的なお話を本当にありがとうございました。
面白仮説だとおもいますが、真実は当時の縄文人に聞いてみないとわかんないですね。
土偶が縄文人にとっての怪獣のフィギュアだったらおもろいな
15000年間も あるから 女性だったり太陽や月だったり自然物だったり動植物からインスピレーション受けた土偶を崇拝してみたり 生け贄の代わりに使ったり 陶芸の実験だったり 権力者の嗜みかも知れないし 元祖オタク的な趣味かも知れないし みたいに様々な用途があったのかも?
誰も言わないけど、火焔型土器って間違えなくサイケだろ。 毒キノコ喰って見た幻覚(曲がり)だよあれ。
当時は違法麻薬とかの概念がないもんね。神の世界に入ることを許された呪術師があっちの世界をこっちの人に伝えるために作ったとか。祭りの時に幻覚性の植物やらお焚き上げに使っていたとか。生まれつきの精神障碍者とか知的障碍者の作業療法で作らせていたとか。神に近いって、逆に神聖視されてた可能性も。
植物のデフォルメか植物は女性ぽいし、古語には女性名詞、男性名詞が多く途中で廃れたとか調べる必要があるかもな。まだ証明されてないが、対応させ膨らませるのもコチコチ頭よりいいかもな。
学会のお堅い教授たちは、このトンデモ学者の竹倉氏を野放しにしてはならないと躍起になってます。私は学者たちが呆れている竹倉仮説の根拠の立て方の酷さなどもよく知らないので、学者vs竹倉氏の泥沼化した争いを見て楽しんでます。
「『土偶を読む』を読む」という本を読めば一気にモヤモヤが吹き飛びますよ。読みやすい本でした。
なんか、考古学学び始めた大学生が本出しちゃいました感があるな
という 小説でしたとさ
ムー編集のコンビニ雑誌(オーパーツ関連)には宇宙人説が載ってたなぁ。この前宇宙飛行士の若田さんが遮光器土偶を宇宙ステーションに持って行ったのは、その説の繋がりであり、土偶が若田さんを宇宙に連れて行ったと思いたい。ロマンだね。
昔から日本人は擬人化が好きなんやね。中世以降の妖怪も現在の艦娘とかウマ娘も、昔も今もやってることが全然変わってないや。
是川は津軽じゃなくて南部やで!!!
女性 食べ物 生命縄文人はパワフルですね
アイヌ紋様の中に、クルミのモチーフがあり、わたしの仲間が木製のペンダントを作っています。
女性を象徴しているとしか思えないものもあるよね対象も用途もいろいろあるんだと思います
落合さんイメチェンされて分からなかったw面白い説ですね!本当にそんな精霊が居て見えていたに一票です。
なるほど土偶のデザインセンスはゆるキャラに近いと感じるな。
今更ですがなんで最近こんなに縄文が熱いのかな〜って思ってたら世界遺産登録があったからなんですねこの先生のお話は面白かったので本を読んでみたい
子孫繁栄の願いを込めて女性の形をしていることに無理はないと思うし、食物モチーフな土偶があるのも納得する。つまり自分たちの命を繋いでくれるものは食物であれ母体であれ、同じように尊いものと考えていたんじゃないかなー?
「命を繋ぐ(つなぐ)」はいいですね。私は考古学の素人ですが、平たく言えば縄文時代は1万年以上もの長い間続いて、その間に気候変動や住む土地柄の移り替わりもあった訳ですから、それが様々な土偶や土器等を生み出すことにつながった.…。「命を繋ぐ」は否定できない視点だと思います。
食料、植物の一部を土偶にするのは、今の日本の文化である擬人化にも通じますね。
反論としては、この人は土偶の写真を見て判断してるんじゃないかって事みたいですね。角度によっては全然モチーフの植物に見えないものがあるので、土偶の実物は見てないのかも。頭の硬い学者とイケてる俺の対立みたいな構図に持ち込んでるので、感情移入しやすいのだとは思いますが。
なんかレプリカみたいなのは持ってましたね
面白い。身近にあった物を擬人化してフィギュアにするなんて超文化レベル高い
先日、ちょうど縄文土器展覧会で、初めて間近で観て来ました。土器の精密さなど見ると、もしや土偶は、子供の練習用だったのでは?と妄想してました。土偶の中でも、一際格好よく、手の混んだ物も有り、きっとこれは、土偶作りの先生が、子供たちの見本で作ったのかなぁ?なんて、楽しそうな縄文時代を想像して、幸せなひと時でした。
なるほど!いろんな仮説素敵ですね。ところが土偶は宇宙服なのだ!
宇宙服のはずない、と言い切る人は多いでしょうが、これは仮説の中でも証拠がある仮説です。林浩司さんの動画で説明されています。
拝見できて超嬉しい縄文好きです。生命と我々の関係については、もしや人類はミトコンドリアイブのために作られ生かされてるのかも、と思いました。
キャラ好きな日本人の原点なのかもって、思ってきました😊
採取をナリワイにするところから栽培に発展して、農耕になる。生業無くして農耕なし、山菜採りも関係ありそう。備蓄アイコンや看板?案山子?この辺に埋めたよとか、倉庫のエリアとか?そんな説かな。
竹倉さんは、”自称文化人類学者”いいですね。本ちゃんなら、フィールドワークで現地の人と食事をしたときに、何でも食べなくてはいけない。という縛りは、とてもできません。
角度を変えた見方面白いですネ。
適当なこと言ってる感じがするなー音楽とかもそうだけど作る人によって着想は変わると思うんだよなー聞いてると一人の人が作ってるような感覚で考えてる気がするねー
植物の擬人化かぁ日本人擬人化好きだもんな
縄文から続く擬人化文化…日本人の宿命なんだろな
遮光器土偶の特徴は眼ですね。身近にいて瞳孔が横向きに細くなる生物を考えていたら蛸🐙を思い出しました。着物の模様も蛸の脚そっくりです。
ムムム~さすがに少し無理があるのでは?現代人の陶芸作家でしたらこの様なものを・・植物だとしたらこの後の時代でも表現されているはずしかし後世絵巻物などには一点も表現されていません他の土偶も猪や鳥など見たものを忠実に作っている想像上の動物などは一体も出土していない事実縄文人の精神上ありのままを作っていたのでは?
つまり擬人化文化こそ日本の文化なのかww
落合陽一さんはまじで一回休んでもらって……
人それぞれ持っている「物差し」の長さが違う。物差しの長さで仮説・論を立てると、短いほど事実と違ってくる。縄文人の高度な思考には中々たどり着けない。
番組のフル視聴はこちらから
bit.ly/39Ci5BB
子供のような柔軟な発想だと思うが、なんの裏付けもないだた「思った」ことにすぎない。
本人の口からも「思った」という言葉が多く出てくるので、それ以上でもそれ以下でもない。
個人的なポエムや感想として聞くべきものなんだろうな。
落合さんが竹倉氏の自説に懐疑的なのがビンビン伝わってきて面白い
この話に興味を持った人は是非「土偶を読むを読む」を読んで欲しい
確かに。。。と納得しそうになったが、段々想像力の長けた人だけなのかもしれない。。。と思うとコメディーを見ている感覚になってきて。私にはついていけない面白い動画でした。
立った状態で下を見て、見えてる自分の体の比率をそのまま形にすると、顔に近い腕は長く肩幅は広く、脚は短く歩幅は小さくと、土偶体型になるんだよね。なので土偶、特に遮光器土偶なんかは自分の体を形にしたものだと思ってる。
土偶も種類があってもともと女性にも男性にも見えていたので、単に擬人化しただけっていうのは感覚的にも腑に落ちますね。
先日山田五郎さんのチャンネルでみうらじゅんさんが、仏像は樹木霊として日本に入ってきたんじゃないかと話をしていたのとすごく重なりました。植物の精霊という説はしっくりきます😊
女性だと思い込んでいた土偶を植物がモチーフではないか、という視点は新鮮です。植物をモチーフにした平面的な図案は数多くありますが、立体があってもいいですよね。
新鮮な発想ですよね。私は土偶って一万年前のエロフィギュアだと思ってました。有史以前からヲタ文化が根付く古代日本の存在がDNAとして現代に伝わっていると感じます。
これはワクワク&ほっこりするアプローチ
発想力が素晴らしいです
縄文土偶の全てが女性をモチーフにしているとする学説には無理があるけれど、同様に全てが植物とか生活に関わる収穫物というのも違うのだろうね。
女性をモチーフにしているものもあれば、木の実とか生活に関わる収穫物もまたモチーフになったのだと思うよ。現代人は抽象化やデフォルメに慣れ過ぎているけれど、縄文人って露骨に具象化した土偶を造っていたのかもね。
土偶は歴史的価値がありますし、気になる分野でした。ありがとうございました。
生命の管理者みたいな存在を形にすると世界中いたるところにあった女性的な特徴を持つ地母神となるわけで、土偶の中にも地母神的な発想の物が混ざっていたとしてもおかしくないと思います。
これすごい
樹木に実がなる。大地から芽が出る。女性から赤ちゃんが産まれる。ほとんどの自然現象が発想の源。
土器を炉という母体に入れて真っ赤にして焼いて出すことがそもそも出産と同義。その土器で調理したら苦くて食べられなかったものが食べられる。新しい料理が産み出された。製銅製鉄も一緒で、溶けた金属は経血であり、鏡や刀という宝を産む。世の中ほとんどが母性。すり鉢とすり棒、磨製石器も性行為の象徴。
考古学専攻してました。この本読みました。残念ながらデータの扱いが結論ありきで恣意的に操作されており、手法において非科学的と言わざるをえないものでした。
興味深いお話でした
面白かったです〜
土偶の世界がこんなに奥が深いとはしりませんでした。
今の日本人て物の捉え方とか表現は縄文の頃には出来上がってたんですね。
植物モチーフは十分考えられる事で、違和感も少ない。
素晴らしい。
縄文人の感性が我々現代人と逸脱しているとしても、ほとんどの土偶が女性をモチーフにして作られたとする従来の定説はかなり無理筋の説。食用植物がモチーフとするといろんな要素で合点がいく。ときどき手足がついてるように見える人型の大根なんかがネット上で話題になるけど、遮光器土偶の手足の形状は、まさに土から掘り出した根菜類からインスピレーションして作られたとしたら説明がつく。
実際、当時に人のかたちをした根菜類の芋などを縄文人は土から掘り出して、相当驚愕したはず。土の中にいる精霊だと誰かが訴えれば、皆が納得するような時代と生活風習、人柄だったはず。
すべてのモノニ命が宿っているという日本人の世界観のベース。その現代日本人のベースは縄文人。
土の中や木々に生命をつかさどる精霊たちがいると信じ切っていたはずの縄文人。
平和で自然への感謝の気持ちに満ちた人々が長年、争わず共存していた、その象徴的な記号として自然の精霊をモチーフしたのが土偶としたら、女性をモチーフにした土偶を作る人々とするより、縄文時代のイメージが地に足がつく感じ。
感謝の気持ちをキャラ化したのなら素敵だな
土偶って面白いですね
面白いな話ありがとうございます。
日常食べていた植物の擬人化説。いいですね。
遺跡からは物は出てきますけど、縄文人がどんな生活をして、どんな宗教観で、どんな思いで生きていたのかを知れたら面白い。
江戸時代には沢山資料が残っているので、どんな生活をして、どんな宗教観で、どんな人間関係だったのかリアルに知ることができる。
私は、そこから歴史に興味を持ったのですが、同じような心境になれたらいい。
自分はこの人の説を推したい。
疑問をもったらそのままにせず 追い求める姿勢がいいですよね☺️
それで結局、画像の6体の土偶のうち、左から3番目の一番よく目にするどっしりとした土偶は、
植物など何か食する物などの何に由来するのかよくわからなかったのですが、
何に由来するのでしょうか?
分かった方がいたら、教えて下さるとありがたいです。
よろしくお願いします。
とても興味深い内容でした。ありがとうございました。
是川は八戸市です。津軽ではありません。
遮光器付土偶に限って云うと、出土したのは青森県北部。明治時代遮光器付土偶と命名された。私がある瞬間を見るまでシャコウキツキドグウと何となく思ったり、言ったりしていた。気にも留めなかった。それは衝撃だった。テレビの取材番組でアリューシャン列島の民族、狩人を撮っていた。みんな雪上バギーに乗り始め、一人のアリュート人がサングラスらしき眼鏡をかけた。その眼鏡が遮光器付土偶の眼鏡と完全に同じものだった。
動物の骨を薄くレンズのように削り、真ん中に細い切れ目をいれ、その隙間から雪の反射光を遮光する眼鏡でふたつの白いレンズをひもで結んで顔にかけたものだった。アリューシャンを島伝いに千島を通って北海道、青森にはこれたはず。しかし明治時代どうして遮光器に気が付いたのか?その部分は学会で問題視されなかったのか謎だ。
現代感覚でも想像しやすい理論だよね
なるほど。面白い。やっぱり日本人のルーツを探るのって好奇心をめっちゃくすぐりまくりますね。
面白い考察ですね~。
遮光器土偶は、カエルをデフォルメしてる気もします。
作りが凝ってるので、雨の精霊として雨乞いしてたのかもしれないですね~⁉
10:00 「津軽の是川」って言われてますが、青森県南部地方の是川遺跡だと思われます。比較的空いていて、土偶もかなりの点数が飾られているので気になった方はぜひ来てください。
昔って鏡ないから、自分(人間)の姿を写すより自分から見えるものを写すって発想のほうが確かに自然だな。
とちのみのこと。もともとの発想からきているから、昔の土偶も、いまの栃木のゆるキャラも変わらないというのはとても面白くて納得できるなと思いました。
人の回りに土、石、植物、動物しかなく交通手段もなかった時代に広く分布していたのは植物だけですね。仮説に間違いはないと思います。
木の実! なるほど…面白い✨
今定説と思われていることを疑う姿勢って、大事ですね😊
生命…続きが気になるな〜
精霊によって植物が育つ
なるほど〜!!
人格化すると大切にしたくなりますもんね!
こういう見方が出来るってすごく面白い!!
土偶にもよるかな。縄文のビーナスは明らかに、ふくよかな女性を想起させるし、仮面の女神に至っては、仮面を被ってるし、女性器も付いてるんだよね。
むか~しの人の感覚は、今とは全く違う状態です。そもそも何で自分がここに住んでるのかすら定義してないのではないかと思います。自然の一部でしかないわけですからね。
言ってしまうとここ最近、数千年位で定義づけで視点を変えてるだけなので。
今はネットがありますが、それらは仮想的に知識で仮定してるに過ぎません。
突然いま地球で電気が止まったらどう思いますか。その感覚で縄文人はおろか明治まで日本のご先祖様達は生きてた訳ですからね。
隣町がどうなってるかすら分からない状態です。今は知識などですが、リアル性は低い状態です。昔の人はとてもぎゅっと詰まったリアルの空間を把握していたのでしょう。今は五感とは繋がらない仮定で動いてるからスカスカなのかもしれません。そうさせている経済もありますけど。
洪水で村が全滅したことを、世界のすべてが水に沈んだと表現する。村長が下した命令なのに、全宇宙の絶対神のお告げだとする。
すごく興味がでました。
土偶の使い道、仮説が面白いのと
植物に対しても縄文時代から、取り入れていたことが知れて面白かったので
子供と調べたいと思います。
こうやってトンデモ仮説が真実かのように浸透してしまうんだな。恐ろしい。
あのこのコメント見るかわかりませんが、実家は貝塚の上にあります!
小学生の頃は縄文弥生式土器が、そこら辺に普通にありました。土器の欠片、石包丁、矢じりの先、はたまた丁寧に埋葬された墓地まで~
簡単にいうと、人間が見てないものは作れるはずはないし、土器の作り方も精霊さんが教えてくれたのが正しいでしょう!想像は各個人思い浮かべて楽しいよね~
宇宙人説もあるけれども、それもたくさんあるよね~いわゆる偶像崇拝すると、次元の違うところから現れてきてくれて、当時はありがたい存在だったけど、向こうも人間の奴隷じゃないから、いい加減去って行ったんだよ。
面白かったです
本筋から離れてしまうけど、人の話を聞く時には、しっかり目を見て向き合ってほしい。
パソコン膝に乗せてる人と話すと分かるが、自分の話に集中してないのがどうしても否めない。下調べは予め済ませておく、その姿勢も聞き手の誠意ではないだろうか。
この説に納得!日本人のキャラクター好きは縄文の頃からかもしれない。
縄文の人達は、自分達に恵みを与えてくれるもの全てを神のように崇めていたと考えるとしっくりくる。太陽も木の実も。あの不思議な形も説明できる。
面白いですね。
日本人は縄文時代も現代も【ゆるキャラ】が好きなんですよね。
植物土偶は【ふなっしー】で決まりですね!
何でも好きに考えましょう
縄文人の植物利用は買って読みました。図鑑の要素もあり、わかりやすくて、読みやすいので、小学校、中学校の図書館にもおすすめです
これは凄い説でてきましたね。日本人のアニミズムの原点というか後の八百万神にも繋がる一貫した繋がりを感じますね
大変ありがとうございます。
神避りって言葉が古事記にあったり別回のアイヌの考え方にも通じるけれど、現世の魂は死ぬと肉体から飛び出て元いた場所に還る的な考え方を縄文の頃からしていたのかと思うと面白い
いつもフルで見てるけど今回は落合さんが飽きている感じがして最後まで見られなかった。
エクアドルで縄文土器発見のニュースは胸熱やった
流石に無理がある仮説かなと。。。
最後のほう、わたしも少し疑問を持ちました。
感謝や尊敬をしているからといって、大きな何かの配下に入り、恐れ慄き奉っていたとイコールにしてしまうのは何だかもったいないと思いました。
自分が愛する人たちへ感謝と尊敬を抱くのと同じく、自分たちも自然の一部として対等に戯れていただけかもしれないと思うからです。
何でもかんでも擬人化をして愛でてしまう、日本人のお茶目伝説の始りかも!?と想像するのも面白いです。
動物を解体して腑分けしている様も、土偶として残ってると考えると面白い。食べれる部分だけ、誇張したりしてたり、血管が模様として採用されたり。
なるほど、神道の素になっているように感じました。
女性の体なのは、これらを作ったのがおそらく女性だから。狩猟が男性で木の実を拾うのが女性。作る時間も比較的あっただろうし製作者が女性なら自身の体型を作成イメージに反映したであろうから。
私に取り土偶と言えばハート型土偶(大阪ガスのマーク風)でした。
遮光器土偶も無頭児がモデルだと言います。
津軽と是川一緒にされた。かなりの影響はあるけども。
とても興味深いのだけど、なんとなく形が似てるというのはなんだか根拠に欠けるというか。
言語学のウラルアルタイ語族論とか、生物学の形態に基づく分類とか見た目に即した考えというのは充分に検討を重ねる必要があるのと思う。(査読のシステムがある学術論文になんで出さないのかもちょっと気にかかる。)
そもそも考古学のこういう発見に決定的なことを言うのは無理だというのははっきりしているわけで、土偶論云々より筆者の学術界とか専門知に対する批判姿勢のほうがテーマなのかも。
ツガルのコレカワ遺跡ってどこでしょうか。
僕が知っているのは八戸市の是川遺跡です。八戸は津軽ではなく南部なので、八甲田山以北にコレカワという遺跡があるのですか?
(歴史分野を扱う人が津軽と南部を間違える事はないでしょうし)
とちまるくんガチやん
植物なるほど。
植物と人を混ぜ合わせたキャラクターはあり得そう。
豊作を祈る意味でも
土偶は宇宙人の化身である、根拠はアヌンナキ。データ的にも宇宙創世を司ることが分かる客観的なお話を本当にありがとうございました。
面白仮説だとおもいますが、真実は当時の縄文人に聞いてみないとわかんないですね。
土偶が縄文人にとっての怪獣のフィギュアだったらおもろいな
15000年間も あるから 女性だったり太陽や月だったり自然物だったり動植物からインスピレーション受けた土偶を崇拝してみたり 生け贄の代わりに使ったり 陶芸の実験だったり 権力者の嗜みかも知れないし 元祖オタク的な趣味かも知れないし
みたいに様々な用途があったのかも?
誰も言わないけど、火焔型土器って間違えなくサイケだろ。 毒キノコ喰って見た幻覚(曲がり)だよあれ。
当時は違法麻薬とかの概念がないもんね。神の世界に入ることを許された呪術師があっちの世界をこっちの人に伝えるために作ったとか。祭りの時に幻覚性の植物やらお焚き上げに使っていたとか。生まれつきの精神障碍者とか知的障碍者の作業療法で作らせていたとか。神に近いって、逆に神聖視されてた可能性も。
植物のデフォルメか植物は女性ぽいし、古語には女性名詞、男性名詞が多く途中で廃れたとか調べる必要があるかもな。まだ証明されてないが、対応させ膨らませるのもコチコチ頭よりいいかもな。
学会のお堅い教授たちは、このトンデモ学者の竹倉氏を野放しにしてはならないと躍起になってます。
私は学者たちが呆れている竹倉仮説の根拠の立て方の酷さなどもよく知らないので、学者vs竹倉氏の泥沼化した争いを見て楽しんでます。
「『土偶を読む』を読む」という本を読めば一気にモヤモヤが吹き飛びますよ。読みやすい本でした。
なんか、考古学学び始めた大学生が本出しちゃいました感があるな
という 小説でしたとさ
ムー編集のコンビニ雑誌(オーパーツ関連)には宇宙人説が載ってたなぁ。この前宇宙飛行士の若田さんが遮光器土偶を宇宙ステーションに持って行ったのは、その説の繋がりであり、土偶が若田さんを宇宙に連れて行ったと思いたい。ロマンだね。
昔から日本人は擬人化が好きなんやね。中世以降の妖怪も現在の艦娘とかウマ娘も、昔も今もやってることが全然変わってないや。
是川は津軽じゃなくて南部やで!!!
女性 食べ物 生命
縄文人はパワフルですね
アイヌ紋様の中に、クルミのモチーフがあり、わたしの仲間が木製のペンダントを作っています。
女性を象徴しているとしか思えないものもあるよね
対象も用途もいろいろあるんだと思います
落合さんイメチェンされて分からなかったw
面白い説ですね!本当にそんな精霊が居て見えていたに一票です。
なるほど土偶のデザインセンスはゆるキャラに近いと感じるな。
今更ですがなんで最近こんなに縄文が熱いのかな〜って思ってたら世界遺産登録があったからなんですね
この先生のお話は面白かったので本を読んでみたい
子孫繁栄の願いを込めて女性の形をしていることに無理はないと思うし、食物モチーフな土偶があるのも納得する。
つまり自分たちの命を繋いでくれるものは食物であれ母体であれ、同じように尊いものと考えていたんじゃないかなー?
「命を繋ぐ(つなぐ)」はいいですね。私は考古学の素人ですが、平たく言えば縄文時代は1万年以上もの長い間続いて、その間に気候変動や住む土地柄の移り替わりもあった訳ですから、それが様々な土偶や土器等を生み出すことにつながった.…。「命を繋ぐ」は否定できない視点だと思います。
食料、植物の一部を土偶にするのは、今の日本の文化である擬人化にも通じますね。
反論としては、この人は土偶の写真を見て判断してるんじゃないかって事みたいですね。
角度によっては全然モチーフの植物に見えないものがあるので、土偶の実物は見てないのかも。
頭の硬い学者とイケてる俺の対立みたいな構図に持ち込んでるので、感情移入しやすいのだとは思いますが。
なんかレプリカみたいなのは持ってましたね
面白い。身近にあった物を擬人化してフィギュアにするなんて超文化レベル高い
先日、ちょうど縄文土器展覧会で、初めて間近で観て来ました。土器の精密さなど見ると、もしや土偶は、子供の練習用だったのでは?と妄想してました。土偶の中でも、一際格好よく、手の混んだ物も有り、きっとこれは、土偶作りの先生が、子供たちの見本で作ったのかなぁ?なんて、楽しそうな縄文時代を想像して、幸せなひと時でした。
なるほど!いろんな仮説素敵ですね。
ところが土偶は宇宙服なのだ!
宇宙服のはずない、と言い切る人は多いでしょうが、これは仮説の中でも証拠がある仮説です。
林浩司さんの動画で説明されています。
拝見できて超嬉しい縄文好きです。
生命と我々の関係については、もしや人類は
ミトコンドリアイブのために作られ生かされてるのかも、と思いました。
キャラ好きな日本人の原点なのかもって、思ってきました😊
採取をナリワイにするところから栽培に発展して、農耕になる。生業無くして農耕なし、山菜採りも関係ありそう。備蓄アイコンや看板?案山子?この辺に埋めたよとか、倉庫のエリアとか?そんな説かな。
竹倉さんは、”自称文化人類学者”いいですね。本ちゃんなら、フィールドワークで現地の人と食事をしたときに、何でも食べなくてはいけない。という縛りは、とてもできません。
角度を変えた見方面白いですネ。
適当なこと言ってる感じがするなー
音楽とかもそうだけど作る人によって着想は変わると思うんだよなー
聞いてると一人の人が作ってるような感覚で考えてる気がするねー
植物の擬人化かぁ
日本人擬人化好きだもんな
縄文から続く擬人化文化…日本人の宿命なんだろな
遮光器土偶の特徴は眼ですね。
身近にいて瞳孔が横向きに細くなる生物を考えていたら蛸🐙を思い出しました。
着物の模様も蛸の脚そっくりです。
ムムム~
さすがに少し無理があるのでは?
現代人の陶芸作家でしたらこの様なものを・・
植物だとしたらこの後の時代でも表現されているはず
しかし後世絵巻物などには一点も表現されていません
他の土偶も猪や鳥など見たものを忠実に作っている
想像上の動物などは一体も出土していない事実
縄文人の精神上ありのままを作っていたのでは?
つまり擬人化文化こそ日本の文化なのかww
落合陽一さんはまじで一回休んでもらって……
人それぞれ持っている「物差し」の長さが違う。物差しの長さで仮説・論を立てると、短いほど事実と違ってくる。縄文人の高度な思考には中々たどり着けない。