@@mainichi-nonbiri 迅速・丁寧・正確なご対応、ありがとうございますm(__)m 大変参考になりました。感謝感激雨霰(^^♪ 因みに、もし、以下の疑問に関して、暇があり且つご興味あれば、是非とも、挑戦してみて下さいませm(__)m ■【質問】→大日本帝国憲法の英訳文において、第22・29条における移転・居住・表現の自由である『Liberty』が、日本国憲法_第21・22条の英訳文において、移転・居住・表現の自由である『Freedom』に変更されています。何故でしょうか? ■【質問】→大日本帝国憲法から現行憲法に改正された時、『Liberty』から『Freedom』に変更された“自由”の概念には、“表現の自由・居住移転の自由”が有ります。しかし、戦前戦後を通して変わらなかった唯一つの『Freedom』な条文があります。それは、“信教の自由”です。何故、変更されなかったのでしょうか? ■【質問】→日本国憲法_第13・31条における”自由”の英訳において、『Liberty』が用いられていますが、これら2つの条文以外の全ての条文においては、『Freedom(またはFree)』が用いられています。何故でしょうか? ■【質問】→NY州のリバティ島にある『statue of Liberty(自由の女神像)』は極めて有名ですが、もう一つの自由の女神像『statue of Freedom』は、 何故、日本において特に有名ではないのでしょうか?そもそも、自由の国アメリカは、どちらの自由を掲げた国なのでしょうか? ■【質問】→アメリカ大統領選&予備選における妊娠中絶の是非として、『pro-life_vs_pro-choice』は、“Liberty_vs_Freedom”と考えても、概ね差し支えないのでしょうか? また、その対立構造があると仮定すると、同様に『共和党_vs_民主党』と考えても、概ね差し支えないのでしょうか? 更に、ヴァージニア憲法(1776年)における権利章典_第12条では、以下の様に表現されており、獲得した自由と生来の自由を区別して使用している様です。 ※ヴァージニア憲法_Section 12. →That the freedom of the press is one of the great bulwarks of liberty, and can never be restrained but by despotic governments. ※ヴァージニア憲法_第 12 条→報道の自由(Freedom)は、自由(Liberty)の大きな防波堤の 1 つであり、専制政府以外には決して抑制できないものであること。
「優れろ、そびえろ、馬鹿げろ」… なにか、俺たちを激励する熱いメッセージのように感じる…
そして命令形として成立する
卍解しそうです
@@EnterJ100 形容詞、侮るなかれ。ですね。
ふざけた→ふざけろ😂
Stay foolish, stay hungry. ってこと?
中学受験で「形容動詞」という語を習ったとき、どう考えても名詞の方が近い性質をもつのになぜ形容「動詞」なのかと疑問に思ったのを思い出した。理由は今になってもよく分からない
こんばんは、同業者です。
既に動画や記事になさっていたら恐縮ですが、逆に形容詞的意味を持つ動詞についても1本作れそうですね。
「なぜ【違って】じゃなくて【違くて】と間違える人がたくさんいるのか?」はよく話題になりますし。
最近何度か連続して歌詞(スキマスイッチの奏、ミスチルのEverything (It's you)、マサラダ氏のライアーダンサー等)
について質問を受けたところで、ちょうどこの動画を拝見したので、書き込ませていただきました。
日本語の文法が中学校でちゃんと教えられた時代もありました。
そのときは、この動画で言う「ナ形容詞」(名詞的形容詞)のことは
「名詞」+「だ」の形で作られる形容詞として、「形容動詞」という名称で教わりました。
これらは、文中で述語として使えるもので、
「静かだ」「きれいだ」「上手だ」「贅沢だ」というように、すべて「だ」で終わります。
文にすると、
「この町は静かだ」
「その景色は綺麗だ」
「あのピアノ演奏は上手だ」
「この買い物は贅沢だ」
また、後ろに名詞を配置して、名詞を形容するときは、
「静かだ」+「町」→「静かな町」
「きれいだ」+「景色」→「きれいな景色」
「上手だ」+「ピアノ」→「上手なピアノ」
「贅沢だ」+「買い物」→「贅沢な買い物」
のように、「だ」を「な」に替えます。
「静かだった」「綺麗だった」「上手だった」「ぜいたくだった」のように過去形も作れます。
しかし、これら「形容動詞」は、「動詞」という名称より、「名詞的形容詞」と言った方が適切である、
というこの動画の指摘は次の点で的を射ていると思います。
これらは、「名詞」+「だ」でできる品詞だからです。
終始形で言うなら、「だ」形容詞、とも言えるでしょう。
これに対し、日本語では、通常の形容詞の原形はすべて、「い」で終わります。
「美しい」「青い」「なつかしい」「暖かい」
これらは、この動画の中で「動詞的形容詞」と呼ばれていた、と思います。
これら「(動詞的)形容詞」は後ろに来る名詞を修飾するときは、間に語を入れず、語形変化もせずに、
形容詞「美しい」+名詞「町」→「美しい町」
形容詞「青い」+名詞「色」→「青い色」
形容詞「なつかしい」+名詞「ふるさと」→「なつかしいふるさと」
形容詞「あたたかい」+名詞「もてなし」→「あたたかいもてなし」
等となります。
これらは「美しく」「青く」「懐かしく」「暖かく」という形にすれば、
「副詞」となって、後ろに来る「動詞」を修飾します。
「美しい」+「見える」→「美しく見える」
この「美しく」は「見える」を修飾する「副詞」というわけです。
形容詞+形容詞 のように形容詞が続く場合、
「美しい」+「青い」→「美しく青い」 のようになります。
なお、「美しく青きドナウ(川に接して)」 "an der schönen blauen Donau"
というときの「青き」というのは文語と呼ばれる、明治時代以前の古い形です。
「青い」+「光る」→「青く光る」
「なつかしい」+「思う」→「なつかしく思える」
「暖かい」+「迎える」→「暖かく迎える」
これらは過去形もあり、
「美しかった」「青かった」「懐かしかった」「暖かかった」
のようになります。
昔は、こういうことを中学1年生が学んでいたんですね。
中学1年生でも理解できるはずです。言葉に関心があればですけど。
え?今は国語で教わらないのですか?
@@abendrot31
英語で考えると
形容動詞は、be+形容詞、
be+名詞の名詞は、beの補語
ということになりますね。
@@user-pl5uj8so1y習います
「静かです」という言い方もできますからね…
イ形容詞、ナ形容詞の違い わかりやすい説明ありがとうございます😊
ありがとうございます!
形容動詞が「名詞的形容詞」なのが、目からウロコで、とても分かりやすかった。
現代では形容詞/形容動詞とは言わずにイ形容詞/ナ形容詞というのが正式なの?わかりやすくていいね。
国語の授業とかでは形容詞/形容動詞と呼ばれていますが、日本語教育だとイ形容詞/ナ形容詞と言われます。学習者に分かりやすい名前ですね。
連体修飾語、といったほうが通りが良いかも。連体詞、という表現もありますね。
@@mainichi-nonbiri 本当は分かりにくくなりました。日本語教育はいつも日本語を英語みたいな言語にしています、しかし、日本語と英語は差異が大きく、全然違うものなのです。
@@mainichi-nonbiri 外国人に日本語を教える時、イ形容詞/ナ形容詞といいますね。実用的な感じです。日本人が習う文法は形式主義の感じがする。
ナ形容詞である「きれい」が「い」で終わるためにイ形容詞と認識されて「きれかった」などの誤用が存在するのおもしろいですよね
きれいだった は きれいだっ(形容動詞の連用形)た(助詞)のコンボ。
きれい は 形容詞。
なので、別の単語。
@@SugaEhki 中学校の国語で習った内容ですよ。 もしかすると、”きれいだ”は”きれい”と形容動詞の”だっ”の組み合わせかもしれません。ここ難しいんですよね。
@@SugaEhki た は助動詞ですね失礼しました。
漢字で書く綺麗は扱いが難しいですね。主語たりえない名詞か。
@@SugaEhkiまあ、「た」が助詞か助動詞かって意見が割れてるんだよね
「綺麗な景色」といえて「美味しいな料理」と言えないのはなぜだ?と海外の人に質問されて日本語を勉強し直してイ形容詞ナ形容詞を知りました。外国人向けの日本語テキストだけで日本語を習得した人は「若い(の)とき」「やっただから(〜から、〜のでが使えない)」という間違いが多いです。アニメやドラマで習得した人は自然な日本語を話す人が多いようです。第二言語習得は年齢環境によって個人差がありますね。ある程度話せるようになれば細かい間違いは指摘されずにスルーしてしまうから些細な助詞の間違いを直せないままの人が多いです。自分はただの素人です。😅
そういえば月に静かの海ってありますね。
それ気になりますよね。The Sea of Tranquillity を印象的に訳した人、 すごいと思いました。
「静かの海」で一つの固有名詞であり、また話は別かと。
小学校の頃、隣の小学校との交流音楽祭に行ったときのこと。
「鯉のぼりの歌」で隣の小学校のみなさんが
「屋根より高い鯉のぼり
大きな真鯉はお父さん
小さな緋鯉は子どもたち
面白そうに泳いでる」
と歌ってて、
「あれっ、ぼくら『大きい』『小さい』ゆうて習うたのに」と違和感感じたのを思い出しました。
あと、ここでの話題からはそれますが、「・・・そう」で話者の予測を表すからというので、外国人が「かわいい」→「かわいいそう」→「かわいそう」と言ったのを「これは『かわいらしそう』ですよ」と訂正すると「なんで❓」と言われたことも。
日本語を外国語として捉えると、意外に細かいなぁと感じます。
「かわいい」は元々は「かわいそう」と同じ哀れみの感情だったそうで、派生して「守りたいもの」⇒「愛らしい」のような意味が主流になったらしいです。
なのでその意味での推測を表すには「かわいいだろう」みたいにするしかない・・
@@pmmm117 こういう議論の場を与えてくれているup主に感謝。
ナ-形容詞(形容動詞)は、名詞(e.g. 綺麗)のあとに助詞(「に」or「で」)と動詞(「ある」)を添加させたものと解釈できます。
綺麗 d(e) a(ru) > 綺麗だ
綺麗 n(i) a(ru) 家 > 綺麗な家
したがって、動画最後の直線上には名詞を動詞寄りにうごかしたように現れてみえます。
イ-形容詞は動詞と並立する活用体系をもともともっていて、青 k(u) aった のように、さらに動詞「ある」が添加されているのでより動詞っぽく見えているのかな、とおもいます。
形容詞というのは、基本感じとか感覚とか見た目とか、
精神部分も客観対象部分もその
「様子」を表した言葉ですね。日本語は
語尾い形容詞と、だ形容詞ですね。
やさしい うまい さむい あつい かたい
しずかだ なごやかだ まだだ 神秘的だ
後者は多くが名詞に「だ」をつけて成ってますね。
昔は「い」でなく「ひ」で書いてたのもありました。
非常に難しいが説明は明快ですね、理解が追い付いていませんが、解説は聴きたいので、宜しくお願い致します。😂❤
🤩 今回の動画では「連続相仮説」について解説されています。従来、名詞・形容詞・動詞は明確な区別があると考えられてきましたが、実際にはこれらの品詞の間には明確な境界がなく、グラデーションのように連続しているとするのが連続相仮説の考え方です。例えば、「病気」「美人」「ヤンキー」といった名詞は、「病気な人」「美人な仕草」のように形容詞的に使用されることがあります。一方、「優れる」「そびえる」「馬鹿げる」といった動詞は、通常の動詞のように命令形を作ることができず、意味的に主語を形容する働きがあるため、形容詞的な特徴を持っています。
このように、名詞と動詞の間には段階的な変化があり、その中間に形容詞が位置するというのが「連続相仮説」の基本的な考え方です。この仮説は1996年にWetzerによって提唱され、日本語に限らず多くの言語に適用可能であるとされています。Wetzerは、形容詞が名詞に近い性質を持つものと、動詞に近い性質を持つものの2種類に分かれることに着目し、このような言語を「スプリット・アジェクティブ・ランゲージ(分裂形容詞言語)」と呼びました。
日本語の形容詞には「な形容詞」と「い形容詞」の2種類があり、それぞれ異なる特徴を持っています。な形容詞は「静か」「便利」のように、語形変化せず「静かな部屋」といった形で名詞を修飾します。この点が名詞と共通しており、な形容詞は名詞的形容詞と分類されます。一方、い形容詞は「赤い」「高い」のように語形変化し、「赤かった」「高くない」といった時制の変化が可能です。この特徴は動詞と共通しており、い形容詞は動詞的形容詞に分類されます。
これらの特徴を踏まえると、連続相仮説のもとでは、名詞から動詞に至るスペクトルの中で、な形容詞が名詞寄り、い形容詞が動詞寄りの位置にあると考えられます。この理論により、これまで明確に区別されていた品詞の概念がより柔軟に捉えられるようになります。
以上のように、連続相仮説は日本語の品詞の特性を理解する上で有用な視点を提供し、名詞・形容詞・動詞の分類をより包括的に捉えるための重要な枠組みとなります。総文字数は910字です。
イ形容詞もナ形容詞も命令形があるのでは
「雄々しい」→「雄々しかれ」(イ形容詞)
「雄大な」→「雄大なれ(ナ形容詞)」
雄々しかれは連用形の「雄々しく」+「あれ」の短縮なので、「ある」の命令形として「あれ」が可能なんじゃないかと。
雄大なれの方は、連用形の「雄大に」+「あれ」の短縮と見れば同様に「ある」が活用してるように思います。
一般に日本語で形容詞を命令的に用いる際は連用形+動詞にして動詞を活用させるようです。
確かに古文中ではク活用、シク活用形容詞(イ形容詞)も命令形をとることがありますが、補助活用としてなため「〜(し)く+あれ」という形の省略になります。
現在の日本語の活用では形容詞(イ形容詞)、形容動詞(ナ形容詞)ともに命令形をとることはありません。
@@大喜-n6y 「良かれ」と思った など、現代語でも形容詞の命令形は使います
@@satocha1238 「良かれ」というのも古文の名残ですね。ク活用形容詞「良し」の命令形(補助活用)です。蹴り飛ばすより蹴飛ばすということが多いのも名残によるものです。
現代語に「ない」と断言してしまったせいですが、形として存在はしているが現代の文法としては存在していないという風に表したほうが適切でした。
イ形容詞の場合のみ説明しましたが、ナ形容詞にも同じことが言え、現代語の形容動詞には命令形は存在しません。しかし、古文のナリ(タリ)活用形容動詞と考えると、~なれという一般的な形で活用します。ただし、ナリ(タリ)活用形容動詞も同じく「~に(と)+あれ」の形で活用しているため形容的な命令には「あれ」が必要なのだと思います。(ナリ活用形容動詞は補助活用がないため命令形があるといってもいいのかもしれません。訂正してお詫びします。)
ナ形容詞としての「きれいになる」を、「きれくなる」と表現するのはイ形容詞と誤認しているためです。
そう言えば小さいと小さなってなんで2つあるんだろうって思ってました
小さい子供。小さな子供。微妙にニュアンスが違いますね😅
日本語学も言語学もなんも分からない素人なので的外れだと思いますが、「赤い→赤かった/赤くなかった」は、「赤い」の後ろに動詞「あり」が付いているから動詞的に語形変化するので、「静かだ→静かだった/静かじゃなかった」を語形変化とみても差し支えないように思えます。
あと、「赤子」とか「赤字」とか「赤身」とか、「赤」単体でも名詞を形容詞的に修飾できるので、ナ形容詞とイ形容詞以外にも形容詞がある気がします。
「「赤」単体でも名詞を形容詞的に修飾できる」
私も素人ですが、全く同じように思いました。
特に色を表す言葉は、それだけで形容詞の働きをしていると思います。
「赤色」などでも、赤は名詞と言うより、「赤い」の「い」が省略された形容詞ではないかと言う感じがします。
〜だの「だ」は助動詞ですから、助動詞が変化しているだけです。
イ形容詞の語幹で名詞を修飾した例ですね。若者、古本、厚着、長靴、寒風、……いくらでも挙げられると思います。
そもそも名詞も「の」を使わないでも前の名詞が後ろの名詞を修飾したような語がいっぱいあるわけで……春風、山道、川上、本屋、靴下……
そういう点では、イ形容詞の語幹は名詞と同じ文法的特徴があるので、名詞的形容詞だ、と言えなくもないと思います。
@@aiglon-bq5nz それを言ったら「赤い」も「あか」に「し」乃至「き」に色々接尾していたものが、時代ととも縮約されたため、「し」乃至「き」が語形変化しているだけで、「あか」自体は語形変化していないとも言えてしまいます。
なので、形容動詞(ナ形容詞)が語形変化していないとするのはちょっと理解が難しいです。
@@TheNoriorikun 今wikipediaで調べたんですが、高潮、若木、肉厚みたいな言葉は特別に「複合語」と呼ばれるらしく、「赤単体は形容詞とは見做さない」としたほうが説明がスッキリするのかもしれません。
「『名詞』のような」を「『名詞』な」とする傾向が出てきてる気がする
猫な人とか通じるようになってる気がする
「簡潔かつわかりやすく表現するためには名詞+動詞だけで説明する(形容詞を使わない)」事を心がけています。二種類の形容詞はその必須な2要素を補完するために生まれたと考えたくなりますが、それで正しいのでしょうか?
いろいろ想像して爆笑しました。たのしい動画でした。
最近、「○○みたい」(○○は名詞)をイ形容詞と誤認し、「○○みたく」と誤用する事例が多いのが気になります。ただ、○○が動詞の場合は成立(例えば、「行ってみたくなる」)します。「みたく」の品詞は何なのでしょうか。
@@fumifumi-il3hm
「〇〇みたいな△△」の「みたいな」は、「(を)見たような」→「みたよな」→「みたいな」と変化した方言からの借用
「(まるで)〇〇(を)見た様[い]な人」
「行ってみたい」の「みたい」は、「見」に意志の助動詞「〜たい」がついたやつですね。(行くことを)試す、試みるとは結果を “見て” 今後に活かすということだとおもうので納得できます。
わたしにはピンとこないのだけど、外国人にはあらかたの助詞を無くした語形変化として単語を教えると覚えが早いのだそうな、単語+助詞=語形変化そのものってことだね、こういうのは脳の働きのなかで位置情報の捉え方の違い、時間や空間把握の差が理由だという、その流派のなかに「分裂する形容詞」もあるのだろう、しかし、古語との統一感や一体性を考えるとむしろ複雑になるので、日本人には必要ないね、外国語教育を考える上で面白い事実だな
学べば学ぶほど 不思議な日本語の文法 この助詞的な 文字 1つで変えられる言葉 だからこそ難しいが 俳句にすれば至極便利な文法
了解しました。
「ナ形容詞」はしばしば用言を修飾することから、動詞に近いとされて「形容動詞」と呼ばれるのでしょうね。今度、形容動詞に2種類あること(静かだ/静かに、と、堂々たる/堂々と)の解説もお願いします。
英語におけるnewにおいても日本語だと「新しい」と「新たな」の2つが存在しますね。
ナ形容詞の方が古語というかイ形容詞に簡略化していったようにも感じますがどうなんですかね?
強かな→強い
冷やかな→冷たい
柔らかな→柔い
軽やかな→軽い
「新しい」を「あたらしい」と読むのは、本来「あらたしい」と読んでいたものを、逆さ言葉にしたもの。
似たような例では「だらしない」という言葉は本来「しだらない」と言っていたものを逆さ言葉にしたもの。
だから「ふしだら」とは言うが「ふだらし」とは言わない。
現代では、逆さ言葉は反社の人間が使うというイメージからあまり使わない。
(例)
学生→セイガク
家守(大家の意)→モリヤ
家→刀に例えると鞘→ヤサ
上2つは漢字が同じだけで、日本語として同源かというと怪しいような…
下2つに関しては直感的にはイ形容詞からナ形容詞が派生してるような気がするのですが、どうでしょうね
むしろ、日本語の格助詞には連用形(〜へ)と連体形(〜への)があり、繋辞は格助詞の一種だと考えた方がよくないか?
桜荘のペットな彼女 (彼女は桜荘に所属するが桜荘そのものでなく、ペットに所属しないがペットそのものである)
用語の「連続相仮説」というのは、数学の「連続体仮説」をもじったものなのかな?
『連続体仮説』と言えば、小室直樹_博士の書籍を思い出しますねぇ…。
■参考書籍 →評伝 小室直樹(上):学問と酒と猫を愛した過激な天才
■参考書籍 →評伝 小室直樹(下):現実はやがて私に追いつくであろう
英語だと全く同じ言葉のようなので意識しているかも
な形容詞は語形変化があるでしょう
言語って自然発生的に出来て、使用されながら最適になるように変化してきた物
後から法則を調べる事になるのでなかなか難しいと思う
当り前だけどcontinuum hypothesisで検索しても数学のほうしか引っかからないね
Harrie Wetzer氏はverby, nounyを意味で分けてるの? 形で分けてるの? ある概念(意味)が形容詞になるか動詞になるか名詞になるかは言語によるし(特に韓国語は形容詞も動詞も形が同じ)、名詞になりやすい←→動詞になりやすい が連続的なのは世界の言語見渡したら自明かも、と思った
Wetzerは形で分けています。意味的に自明そうなところを形で示している本著は個人的に名著なので、概要欄に参考文献がございます。ぜひご覧ください!
月には「静かの海」があるけど、「静か」も「の」でつなげる例じゃないでしょうか?
赤は名詞っぽくて赤いは形容詞っぽくて赤らむは動詞っぽいから、名詞も形容詞も動詞も全部同じ気がする。
形容詞も動詞も本来は存在しなくて、全ての単語が名詞なんだと思う。名詞をどう使うかによって、それが形容詞になったり動詞になったりするのだ。
形容詞じゃなくて形容する名詞、動詞じゃなくて動きを表す名詞、なんだと思う。
「赤」は「名詞」、「赤い」は「形容詞」(そういう語は「い」で終わる)、
「赤らむ」は最後の「む」がmuのようにu音で終わっている。これは動詞。
主語になる語が名詞です。
「赤 は三原色の一つです」 という文は〇 なので、「赤」は主語、「三原色の一つです」が述語。
よって、「赤」は名詞。
「赤い は三原色の1つです」 という文は× なので、「赤い」は主語になりません。よって、
「赤い」は名詞になりません。「い」で終わるので、形容詞です。
「赤い」は「あの旗は赤い」のように述語になります。
「赤らむ は 恥ずかしい時の頬の特徴です」という文は × なので、「赤らむ」は主語になりません。
よって、「赤らむ」は名詞ではありません。「赤らむ」は次のように述語になるので、動詞です。
「彼の顔は、恥ずかしい時、赤らむ。」
「(彼の)顔」が主語で「赤らむ」は述語です。
なお、
「赤らむ」を「赤らむこと」に替えれば動詞を名詞化できます。
「赤らむことは恥ずかしい時の頬の特徴です」という文は〇です。
「赤らむこと」は主語であり、名詞の働きをしています。
動詞や形容詞は主語にならないので名詞とは言えません。
日本語の文法が明確に分かっていないと、英語の文法も分かってきません。
くからくかりしきかるけれかれ、だろだつでにだななら、だったっけか・・・半世紀以上むかし、おぼえさせられた(テストのために)。。。なんの意味があったんだろうか・・・
「黄昏れろ」という命令形もないですね。
ボディビルの世界では、硬いもの・大きいものの名詞ならなんでも形容詞に近づく
非過去時制って言葉が凄い違和感…
現在から未来含むってことなのかな…
食べるって未来含んでる?
「家に帰ったら、ご飯を食べる。」
この時の食べるって未来なんかな。分かんね…
気になって「猫な」と検索バーに打ってみたところ、サジェストに「猫な人」が現れました。
名詞全体が形容動詞として作用する可能性すら感じます。
「人」を修飾する形だから「猫」のような性格のあるものに限るのではないだろうか。「家な人」は変に感じます。
日本語では「テンス」(時制/tense)ではなく、「アスペクト」(相/aspect)ではないでしょうか?
文脈依存度の高い言語だからこそ、名詞と形容詞、形容詞と動詞の境界が容易に越境されるのかな?
風変わりな・奇妙な人物を指して「おかしな人」「おかしい人」と言うことが出来ます。
これは、イ形容詞でありまたナ形容詞でもあると言えるのですかね?
ひょっとして形容動詞って単語なくなった…?
■【やぶからスティックに質問です】→言語学に直接かかわるか分かりませんが、ご了承くださいます様、お願い申し上げますm(__)m
包括的基本権である日本国憲法_第12・13条には、共に『自由』が掲げられており、英語訳では、 第12条が“Freedom”、第13条が“Liberty”について言及されています。
そこで質問ですが、何故、同じ自由なのに、英語訳では別々に表現されるのでしょうか?
逆に、何故、日本語版では、敢えて『自由』としか表現しないのでしょうか?
言語によって事象の切り取り方が違うということが挙げられると思います。中国語の例で失礼しますが、例えば中国語では殴り合いの喧嘩を「打架」といい、口だけでの喧嘩を「吵架」と言います。しかしどちらも日本語では「喧嘩」で表せます。中国語では殴り合うか、口だけかという違いに注目しているために別の語が用意されていると考えられますが、日本語ではその違いにあまり注目しないので、それらをまとめて「喧嘩」と表現します。
おそらくですが、日本語における「自由」は Freedom と Liberty を含んでいるかもしれません。英語母語話者に聞けば、日本語母語話者が注目しない Freedom と Liberty の違いがあるのかもしれません。だから語が違うんだろうと思いますが... 翻訳者側の意図も関係しますから、実際のところは分かりません。
このような話は言語相対論と関係ありそうです。
@@mainichi-nonbiri
迅速・丁寧・正確なご対応、ありがとうございますm(__)m
大変参考になりました。感謝感激雨霰(^^♪
因みに、もし、以下の疑問に関して、暇があり且つご興味あれば、是非とも、挑戦してみて下さいませm(__)m
■【質問】→大日本帝国憲法の英訳文において、第22・29条における移転・居住・表現の自由である『Liberty』が、日本国憲法_第21・22条の英訳文において、移転・居住・表現の自由である『Freedom』に変更されています。何故でしょうか?
■【質問】→大日本帝国憲法から現行憲法に改正された時、『Liberty』から『Freedom』に変更された“自由”の概念には、“表現の自由・居住移転の自由”が有ります。しかし、戦前戦後を通して変わらなかった唯一つの『Freedom』な条文があります。それは、“信教の自由”です。何故、変更されなかったのでしょうか?
■【質問】→日本国憲法_第13・31条における”自由”の英訳において、『Liberty』が用いられていますが、これら2つの条文以外の全ての条文においては、『Freedom(またはFree)』が用いられています。何故でしょうか?
■【質問】→NY州のリバティ島にある『statue of Liberty(自由の女神像)』は極めて有名ですが、もう一つの自由の女神像『statue of Freedom』は、 何故、日本において特に有名ではないのでしょうか?そもそも、自由の国アメリカは、どちらの自由を掲げた国なのでしょうか?
■【質問】→アメリカ大統領選&予備選における妊娠中絶の是非として、『pro-life_vs_pro-choice』は、“Liberty_vs_Freedom”と考えても、概ね差し支えないのでしょうか?
また、その対立構造があると仮定すると、同様に『共和党_vs_民主党』と考えても、概ね差し支えないのでしょうか?
更に、ヴァージニア憲法(1776年)における権利章典_第12条では、以下の様に表現されており、獲得した自由と生来の自由を区別して使用している様です。
※ヴァージニア憲法_Section 12. →That the freedom of the press is one of the great bulwarks of liberty, and can never be restrained but by despotic governments.
※ヴァージニア憲法_第 12 条→報道の自由(Freedom)は、自由(Liberty)の大きな防波堤の 1 つであり、専制政府以外には決して抑制できないものであること。
@@mainichi-nonbiri
■参考書籍 →日本人のための憲法原論(旧題:『痛快!憲法学』一押しのオススメ本!!!)
■参考書籍 →数学を使わない数学の講義
■参考書籍 →数学嫌いな人のための数学―数学原論
■参考書籍 →経済学をめぐる巨匠たち
■参考書籍 →日本人のための経済原論(2015年合本版)
本当に素人の質問なんだけど、ここでナ形容詞として扱われる「静か」って、形容動詞の「静かだ」とは違うもの?「静かだ」は語形変化してるよね?
形容動詞という分類だと「だ」「な」を単語の一部ととらえる一方で、ナ形容詞という分類では「静か」という単語に「だ」「な」等の別の単語が付加されて用いられるというふうに考えます
@めんどり-o2x
その場合の「だ」「な」は品詞上では何に当てはまるんですか?助動詞?
@@ppd5232
そうですね。学校文法でいうところの断定の助動詞「だ」だと思います
@@めんどり-o2x
同じ「静かだ」という言葉に対して「ナ形容詞+助動詞」の派閥と、「形容動詞」の派閥の人がいるっていうのは中々興味深いですね。
状態を表す名詞「静か」に、助詞「に」をつけて動詞を修飾する「静かに」が生まれ、「ある」がついて、「静かにある」→「静かなる」→「静かな」が生まれた。
国語は嫌いだけど、数学や物理が好きな自分にとって言語学はちょっと面白そうだなって思った
自分はほとんど無意識に間違えないで話せるのに、外国人の日本語に即座に「変!」と感じることに、「それはこうだから」と、自分の無意識の中の仕組みの一端を見せられると「はっ💡 何っ?」となりますね。
ここは馬鹿げてみろと言った場合、品詞としては何になりますか?
馬鹿げる(動詞)
て(助詞)
みる(動詞)
@@tanatomo
ありがとうございます
日本には分裂する前の純粋な形容詞は無いの?
考えたことがない疑問でした!
wetzerは現代における諸言語の形容詞を研究していますので、過去に形容詞がどうであったかというのは扱っていません。時代とともに分裂していたものがくっついたり、一つだったものが分裂したりという可能性はあるかもしれませんが、実際は形容詞を通時的に見てみないと分からないですね。
このようなタイプの授業(論理的でわかりやすい)授業は外国人向けの日本語教師の間では通常の授業だと思います。「形容動詞」なるよう語などはひょっとして江戸時代の国学者の用語を踏襲しているのでしょうが、「国語学者」の不勉強には腹が立ちます。日本人の間でも「日本語学」が普及することをを強く望みます
日本人にとって、もはや国語では無く日本語ですね。
明治時代に大槻文彦によって、西洋語文法の真似をして作られたものです。国学者はもっと日本語に即して考えていました。
むしろ逆でしょ。明治時代に英語に触れて、品詞を「名詞」だとか「形容詞」だとかに分けたときに、日本語にも同じ名前をあてがったんじゃないか。
この動画中で展開されている言語学的分析が、実際に日本語を教える現場でどう役立つのかという話をしていただきたい。学問というのは現場ー教室で、会社で、生産現場で等ーで役立ててもらうために研究だというのが私の立場です。研究のためのけんきゅうなら、それは academic と言うよりも pedantic ということになると思います。
猫な顔
そんなに違和感ない
机みたいな物
これは形容詞にはならないんですかね???
形容動詞?
病気な人は普通の意味で使った事がない。
私も、「病気の」って言いますね。
「元気な」はナ形容詞で使いますけど。
「普通」も「普通な」とは言わず「普通の」って言いますね。「普通な」って言い方も出てきているかもしれませんが。
「病気な人」→何となく病人に見える人
そんなイメージがありますけど。「病気の人」とは意味が変わってしまいますね。
病気な人って記憶には無いですが、普通なは使います。普通な事とか。
確かに美人な、ヤンキーな、の雰囲気的で曖昧な形容と比べて普通病気は明確な状態を表すから、病気な、は違和感が有るね
こんにちは。
「病気の人」は頭痛や腹痛等、
病気に罹った人に対して実際使われますが、
「病気な人」は、
あくまでも個人的な印象ですが、
メンタル的な要素で、一般人とは異質の振る舞い方をする人を遠回しにからかう意味合いで表現しているイメージがしますね。
おお。すごい。
5:14「静か」の過去時制ってなんだっけ?
「静か」の過去時制は「静かだった」です。
「静か」の後ろにコピュラ「だ」をつけた「静かだ」のうち、「だ」が語形変化して「だった」となれば一応過去時制を表せます。しかし「静か」自体は語形変化しないのでテンスを持たないと考えています。
@@mainichi-nonbiri
なるほど。ここは「赤い」を例に出したせいでしっくりこなくなっている気がする。赤は単独で色を示す名詞に見えるから、
> 「赤」の後ろにコピュラ「き」をつけた「赤き」のうち、「き」が語形変化して「かった」となれば一応過去時制を表せます。しかし「赤」自体は語形変化しないのでテンスを持たないと考えています。
となってしまい、赤と静かの違いが全く頭に入ってこない。赤い/赤きでは語幹が単独の名詞として認識できてしまうので代わりに、重い、熱いなどを例に出した方がより良かったと思う。日常生活でくだけて「おも!」「あつ!」と語幹のみで使われる事があるものの名詞としては認識されないので。
またはシク活用の形容詞の方が適任だったかも。
最初の説明にある「病気な人」「美人な仕草」「ヤンキーな姉」は日本語としてかなり崩れた、日本語が片言の外国人が使いそうな不自然な表現だと思う。
そうですかね?自分は病気な人以外は特に違和感なかったですけど、、、
同じところに引っかかりました。ただ「彼には美人な姉がいる」みたいな例文ならありそうでしょうか。
それでも文章には書きたくない、やや拙い表現に思えます。
@@雨時-k4i 軽い系ノベルに出てきそうな表現ですよね。そっち系は読むことはないけど…
@@雨時-k4i さんに完全に同感です。会話で言わなくはないものの、いずれも拙い表現と感じました。「見れる」とかに似て、最近の若い人々の間では感覚が少し変わりつつあって、それらが受容される傾向があるのでしょうか。
慣れ親しんだ日本語がこんな複雑なのか
このレベルの分解をするとどの言語もそうだよ
これは面白い!
Wetzerさんとはどうゆう人でしょうか?
言語類型論の言語学者ということは知っていますが、詳しくは分からないですすみません!
本動画は彼の著書 "The Typology of Adjectival Predication" からまとめたものです。
おもしろーい😊🙌言葉って楽しいですね!!!
形容詞って2つしか無かったっけ
たまたま見たら面白くて草
今どきは、形容動詞という概念は存在しないんですかね?
従来の国語学とは違う新しい仮説なんですか?
文法のことをどう考えているのか、さっぱり理解できません。
従来の国語学は国語だけを見て研究していましたが、本動画では世界の諸言語との比較した日本語を扱っています。
名詞修飾の際に「な」が現れるという点で固有の文法を持っているので、日本語に形容動詞という分類は必要なものです。
なるほどね。中間的ね。
形容動詞はネーミングが悪い。
時枝文法をご参照ください。
品詞分類を意味的な特徴から見る視点と活用とかの形態的(統語的?)な特徴から見る視点がごっちゃになっているのでは? 意味的な特徴と形態的な特徴で分類がずれる言葉はいくらでもあるよ。
例えば、存在の「ある/ない」のように意味的にはペアになる単語が、「ある」は動詞で「ない」はイ形容詞だ、ってのも変な話だ。
形容詞の程度が甚だしくなると「~過ぎる」と動詞になるのも面白い。これはイ形容詞もナ形容詞も動詞になる。
「うまい、うますぎる」イ
「静かだ、静かすぎる」ナ(和語系)
「不思議だ、不思議すぎる」ナ(漢語系)
その点ではナ形容詞も動詞的だと言えなくもないと思う。
逆に、イ形容詞も「赤い靴」「赤の靴」「赤が好き」と、形容詞の語幹が名詞として使われる例もあるから、名詞的と言えなくもないと思う。
そもそもこの仮説は単語が語形変化する言語だけを考察対象にしているんじゃないか? 中国語など語形変化のない言語ならそれこそ同じ「長」でも「ながい」なのか「年をとる」なのか「おさ」なのか、日本語に翻訳すれば色々な品詞にまたがる使い方をする単語はいくらでもあるよ。
アカデミズムのかほりがしますね。まあ品詞分類なんてのは言語学者が考えた区分に過ぎないので、どういう品詞分類が適切なのかって話ですね
結構机な人よ?俺
ヤンキーは、オリジナルの英語では形容詞、及び名詞ですから
「名詞+な」の範疇には入らないと思います。
「クリーンな政治家」、「キュートな猫」もしかり。
ある名詞を他の名詞を修飾する場合は、形容詞(NA)的用法とは違って
「+な」は使っていなかったはずです。
「病気な人」(普通は病気の人)は、聞いたことがありませんが、
言葉の用い方は時が経つにつれて変わってきますので、
現代的用法なのでしょうか。
「美人な仕草」は、どうして美しい仕草ではないのでしょうか。
美人の仕草とそうでない人の仕草の違いは何ですか。
そりゃ外国人が理解するにはハードルが高い訳だ・・・・
全然違う話題でスマソ。
イ形容詞、ナ形容詞って、ドイツ語のhehen支配の過去分詞と、sein支配の過去分詞
に似てて草。
大きな街
大きい街
大きなって名詞寄りか?
大きだとは標準語では言えないはず
私の街は大きい
私の街は大きな
下は言えないから、ナ形容詞はイ形容詞みたいに述語になれない
部屋が静か
部屋が静かな
大きな、小さな、おかしな、みたいに名詞化できないやつと
綺麗な、平らな、簡単な、みたいに名詞化できるやつがいるけどごっちゃにしていいのか、ニホンゴムズカシイ
大きなは特殊だから。
文法自体も見直した方がいいかも知れないな
所詮言語だから仕方ないのはあるかも知れないが、理系分野からみると雑過ぎて緻密さが感じられない
こんなの試験に出たら日本人でも赤点、落第やわ。
おもしろいけど、もう年を取りすぎ。
稚拙な文法、語法の理論で馬鹿馬鹿しい分類ですね。