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毎日のんびり日本語教師
Japan
Приєднався 24 жов 2017
毎日のんびり日本語教師というサイトを運営してます、髙橋です。
mainichi-nonbiri.com/
中国河北省廊坊市で日本語教師を5年半勤めて帰国。その後弘前大学大学院で日本語学修士を取得し、現在はオンラインで日本語教師をしています。日本語学習者や日本語教師向けに日本語のことを発信しています。
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中国河北省廊坊市で日本語教師を5年半勤めて帰国。その後弘前大学大学院で日本語学修士を取得し、現在はオンラインで日本語教師をしています。日本語学習者や日本語教師向けに日本語のことを発信しています。
【言語学】日本人には使いこなせない! 左右が無い奇妙な言語(グウグ・イミディール語)
毎日のんびり日本語教師です。
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今回はLevinson(1997)のグウグ・イミディール語に関する内容を紹介する動画です。私一人語りよりも聞き手がいればいいなと思って妻(中国語母語話者)に聞いてもらいました。
この言語は社会言語学的な卓越性を有する言語で、徹底的に「前後左右」を使わないでモノの位置を表すという特徴があります。ではどのようにしてモノの位置を表すかというと... 東西南北という絶対的な方角を使います。
【参考文献】
Levinson, S. C. (1997) "Language and Cognition: The Cognitive Consequences of Spatial Description in Guugu Yimithirr" Journal of Linguistic Anthropology 7(1): 98-131.
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今回はLevinson(1997)のグウグ・イミディール語に関する内容を紹介する動画です。私一人語りよりも聞き手がいればいいなと思って妻(中国語母語話者)に聞いてもらいました。
この言語は社会言語学的な卓越性を有する言語で、徹底的に「前後左右」を使わないでモノの位置を表すという特徴があります。ではどのようにしてモノの位置を表すかというと... 東西南北という絶対的な方角を使います。
【参考文献】
Levinson, S. C. (1997) "Language and Cognition: The Cognitive Consequences of Spatial Description in Guugu Yimithirr" Journal of Linguistic Anthropology 7(1): 98-131.
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Відео
【日本語学】「ご遅刻します」はなぜ誤用? 〈お/ご~します〉の形にできる動詞の条件
Переглядів 41616 годин тому
毎日のんびり日本語教師です。 今回は考察を含めた動画なのでご意見お待ちしております! mainichi-nonbiri.com/qa/qa128/ 動画がいいなと思ったら、チャンネル登録、グッドボタン、コメントよろしくお願いいたします。
【言語学】指示対象が2つのときに現れる「双数形」 ~東京方言にはない数の区別~
Переглядів 3 тис.День тому
毎日のんびり日本語教師です。 動画編集してて正直皆さん興味ないかもなあと思いましたが... 動画内では言及してませんが、どうして双数形がある言語と無い言語があるんだろう?って考えると個人的に面白いです。ちょっと言語学の枠からは外れてしまいますけど。 参考文献は以下のサイトにまとめています。 【双数形】mainichi-nonbiri.com/jltct/dual/
ことばの「正しい」vs「間違い」論争(規範主義と記述主義)
Переглядів 677День тому
毎日のんびり日本語教師です。 「記述」がうまく言えなくて聞き取りづらかったらごめんなさい。「手術」とかも同じくうまく言えないんです。 【規範主義と記述主義】mainichi-nonbiri.com/jltct/descriptivism-and-prescriptivism/
【音韻論】数えるときなぜ「2」は「にー」になる? 2拍でリズムを刻みたい日本語
Переглядів 1,6 тис.14 днів тому
毎日のんびり日本語教師です。 1、2、3... と数字を通して読むときに、本来「に」と発音するはずの「2」が「にー」と長音がつけられて伸ばされることがあります。それはなぜかというお話。 mainichi-nonbiri.com/ 毎日のんびり日本語教師では、日本語に関する情報を発信しています! 動画がいいなと思ったら、チャンネル登録、グッドボタン、コメントよろしくお願いいたします。
【言語学】なぜ日本語は形容詞が2つある? 分裂する形容詞を持つ言語(Split-adjective languages)
Переглядів 49 тис.14 днів тому
毎日のんびり日本語教師です。 今回の内容は難しいかも... 日本語学ではなく言語類型論の話です。 なぜ日本語は形容詞が2つあるかというと、形容詞が分裂するタイプの言語だからです。 参考文献:Wetzer, H. (1996) The Typology of Adjectival Predication. Mouton de Gruyter 【連続相仮説】mainichi-nonbiri.com/jltct/adjective/#continuum-hypothesis なんだかアップロードすると画質が悪くなります... 原因不明、まだ慣れてなくて勉強が必要です。
【日本語学】五段動詞のナイ形にはどうして a が現れる?
Переглядів 1,5 тис.21 день тому
毎日のんびり日本語教師です。明けましておめでとうございます。 今年は言語に関する動画をたくさんあげていきたいと思ってますので、どうぞよろしくお願いいたします。 mainichi-nonbiri.com/
【言語学】結合価と項とは? 自分で教案を作るときに役立つ知識
Переглядів 63021 день тому
毎日のんびり日本語教師です。 【結合価】mainichi-nonbiri.com/jltct/valence/ 【項】mainichi-nonbiri.com/jltct/argument/ いろいろ動画の作り方も勉強中です... BGM変えたからちょっと明るくなったかな? ご覧いただきありがとうございます!
【日本語学】「させていただく」の規範的な用法とは?
Переглядів 65321 день тому
毎日のんびり日本語教師です。 【させていただく】mainichi-nonbiri.com/grammar/n3-saseteitadaku/
【日本語学】ル動詞はなぜ五段動詞になる?
Переглядів 75628 днів тому
毎日のんびり日本語教師です。 最後のル動詞がなぜ五段動詞なのかの解説、ちょっと分かりにくいかな... 【ル動詞】mainichi-nonbiri.com/jltct/ridoushi/
【形態論】形態素からみる「くっつく」の「くっ」の意味とは?
Переглядів 90528 днів тому
毎日のんびり日本語教師です。 【形態素】mainichi-nonbiri.com/jltct/morpheme/ 【無意味形態素】mainichi-nonbiri.com/jltct/cranberry-morpheme/
【日本語学】さ入れ言葉はなぜ生まれた?
Переглядів 1,7 тис.28 днів тому
こんにちは、毎日のんびり日本語教師です。 【さ入れ言葉】mainichi-nonbiri.com/jltct/sairekotoba/
3年生によるビジネスマナー集団面接の動画作成⑤
Переглядів 1375 років тому
ビジネスマナーの授業で寮ごとに集団面接の動画を作成させるにあたり、どのような動画を作ればいいかの見本として教員が作成した面接動画になります。
「逝去的愛」"雅致杯" 第八届校园歌手大赛
Переглядів 1156 років тому
2018年5月27日に行われた学内音楽祭の一幕です。 「Love is over」の中国語バージョン。 音楽学院の人たちは歌すごく上手でした。
奄美語湯湾方言の双数なのですが、日琉語族の中でのこうした双数は、琉球諸語の一部の中に見られる特徴だということは言及されていた方がよかったように思います。 本土の日本語との違いにもなるほか、この双数はサンスクリットや古代ギリシア語などの双数と発生プロセスがたぶん異なっていて、両者の違いにも結び付くからです。琉球諸語で双数を持つ方言ではこの数が名詞一般ではなく人称に現れるのに対して、サンスクリットや古代ギリシア語の場合は、双数は人称代名詞のみならず名詞一般にも現れます。 琉球諸語の一部に見られる双数の発生プロセスについては、九州大学の下地理則さんの研究「琉球諸語の代名詞-これまでの記述にもとづく類型化試論-」(2017年)が有ります。UA-cam以外のリンクを貼るとコメントが無効化されるのでリンクは貼れませんが、ネットで論題を検索すれば閲覧可能なPDFを見つけられるはずです。 下地さんの研究によると、琉球諸語の方言の中には、1人称複数に除外形(話相手を含めないもの)と包含形(話相手を含めるもの)を持つものが有るのですが、2人称や3人称に双数が有る方言では、1人称複数の除外と包含の区別が無い場合が殆どです。1人称の双数は、琉球諸語の祖先である琉球祖語の時点で、*wa (ga) *Futari (私とあなた)というかたちで存在していたと考えられているのですが、包含と除外の区別が消えた方言においては双数の概念だけが残って、2人称や3人称へ波及したというモデルを下地さんは考えられています。なお、奄美語湯湾方言の -ttəə は、琉球祖語の *Futari に遡ると考えられます。 本土の日本語の場合、上代日本語の1人称「あ」と「わ」の違いを除外と包含だとしたのは松本克己さんの著書『世界言語のなかの日本語-日本語系統論の新たな地平-』 (2007年) ですが、これが正しい場合、日本語の中央方言では1人称の除外と包含が1000年以上も前に失われたことになる上に、双数を一語で表す1人称やそうした接辞がもとより見出せません。本土の現代日本語の方言の双数は、琉球諸語のものとは様態が異なってくることが考えられます。 例えば、コメント欄で「どちら」と「どれ」について言及されているかたがいらっしゃいますが、奄美語湯湾方言では、日本語東京方言の「どれ」と「どちら」に当たる言葉をどちらも dërï と言うらしいことが、『琉球の方言 2巻:奄美大島宇検村湯湾方言』 (1976年) p.100に載る次の例文から窺えます。 dërï ga taːsaː kai (どれが高いか) ʔin tu mjaː dërï ga tsïːsaː (犬と猫とどちらが強いか) 一方、印欧語族のうちサンスクリットや古代ギリシア語の場合、双数は目や手など対になるものを数えるために発生したと考えられています。差し当たっては三省堂の『言語学大辞典』「双数」の項を参照下さればと思いますが、琉球諸語の双数とは発生プロセスがおそらく異なっています。 同じ印欧語族でも古英語 (古代英語) では、名詞に双数が無いものの1人称代名詞双数形 wit と2人称代名詞双数形 ğit が存在しており、Don Ringe さんの著書 From Proto-Indo-European to Proto-Germanic (2006年) p.117, 209 ではそれぞれ印欧祖語 *wé-dwo (現代英語の直訳で we two), *yú-dwo (現代英語直訳 you two) に遡るとされています。古英語の双数は、1人称と2人称に双数を持つ奄美語湯湾方言のものと、少なくとも語の組成は似ています。 ところで、動画で「私」と「私たち」を「語形変化」と言われているのですが、変化しない接尾が付加されることを「語形変化」とは言いません。 古代ギリシア語で例示すると、bíos (命が<単数>)、bíou (命の<単数>)、bíō (命が<双数>)、bíoin (命の<双数>) のように格などによって違う形に変化するものを語形変化と言います。聞いていて気になりました。 2025年1月23日(木)
6:40 普通はバルコニーが南側では?、……と思いましたけれどオーストラリアだから北側がバルコニーで正しかった……。
わたしはかなりGY族に近いと思う。空間の位置関係をかならず東西南北で把握している。カーナビもいつも北が上にしている。
天国が北にあるのは太陽の方向だからかな?
Googleマップはたまに方向案内ですね
14:24 本当に個人的な憶測ですけど、南半球だと正午には北の空に太陽が来る訳ですから、或種の太陽信仰に基づく思想から彼処に天国があるという発想に行き着いた、とかだったりして。
右足左足、右耳左耳とかはどう表現するんだろう
言語学界隈ではよく聞くけど言語学界隈でしか聞かない言語トップ10には入るよなグウグ・イミディール語
❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤
6:28 列 私だったら、その人が並んでいるのを知っているのに敢えて「並んでますか?」と言って、「あなたの前に行っちゃいますよ感」を伝えて詰めさせますね☺️。 7:07 ガスコンロ 点火: つまみをONまで回します。 これで終わらせたら面白くないので、 「対象物を正面から見た時は北を向いているものとする」という共通認識があれば、または取説の何処かにそのような前提を書いておけば、ガスコンロがどちらを向いていても、 点火: つまみを西に回します。 と書けますね。 12:20 太陽 太陽の位置で大体の時刻と方角を推測することは、多くの人が無意識にしていると思います。私も日中なら太陽の位置を頼りにすることがあります。 街なかで地図を見た時に、自分の場所はわかるけど向きがわからないときに地図上の南と太陽の位置を重ねてみたり、池がある庭園をぐるっと回っているときに水面に太陽が反射すると、なんとなく「あっちが南の方かな」と思うときはあります。それでも大きく外れることも多いです。誤差13.9度はすごいですね。 13:57 天国 彼ら(GY族)は北向きに突き出た半島に住んでいる。 半島の先(北)には海が広がっている。 その半島は南半球にあるから、太陽の通り道は北の方向に見える。 これらを考慮すると、彼らが「天国の入り口は北の方にある」と言うのは、おそらく北半球の感覚で考えたりゅうさんが「南にある」と言ったのと同じくらい自然なことだと思います。
対話形式いいですね
🤩 今回の動画では「連続相仮説」について解説されています。従来、名詞・形容詞・動詞は明確な区別があると考えられてきましたが、実際にはこれらの品詞の間には明確な境界がなく、グラデーションのように連続しているとするのが連続相仮説の考え方です。例えば、「病気」「美人」「ヤンキー」といった名詞は、「病気な人」「美人な仕草」のように形容詞的に使用されることがあります。一方、「優れる」「そびえる」「馬鹿げる」といった動詞は、通常の動詞のように命令形を作ることができず、意味的に主語を形容する働きがあるため、形容詞的な特徴を持っています。 このように、名詞と動詞の間には段階的な変化があり、その中間に形容詞が位置するというのが「連続相仮説」の基本的な考え方です。この仮説は1996年にWetzerによって提唱され、日本語に限らず多くの言語に適用可能であるとされています。Wetzerは、形容詞が名詞に近い性質を持つものと、動詞に近い性質を持つものの2種類に分かれることに着目し、このような言語を「スプリット・アジェクティブ・ランゲージ(分裂形容詞言語)」と呼びました。 日本語の形容詞には「な形容詞」と「い形容詞」の2種類があり、それぞれ異なる特徴を持っています。な形容詞は「静か」「便利」のように、語形変化せず「静かな部屋」といった形で名詞を修飾します。この点が名詞と共通しており、な形容詞は名詞的形容詞と分類されます。一方、い形容詞は「赤い」「高い」のように語形変化し、「赤かった」「高くない」といった時制の変化が可能です。この特徴は動詞と共通しており、い形容詞は動詞的形容詞に分類されます。 これらの特徴を踏まえると、連続相仮説のもとでは、名詞から動詞に至るスペクトルの中で、な形容詞が名詞寄り、い形容詞が動詞寄りの位置にあると考えられます。この理論により、これまで明確に区別されていた品詞の概念がより柔軟に捉えられるようになります。 以上のように、連続相仮説は日本語の品詞の特性を理解する上で有用な視点を提供し、名詞・形容詞・動詞の分類をより包括的に捉えるための重要な枠組みとなります。総文字数は910字です。
「Bに変化してきている」は言語実態をやや断定し過ぎである気がします 「Bも多くの人に伝わるし、増えてきている」がより記述主義の考えに近いかと感じます
ボディビルの世界では、硬いもの・大きいものの名詞ならなんでも形容詞に近づく
文法自体も見直した方がいいかも知れないな 所詮言語だから仕方ないのはあるかも知れないが、理系分野からみると雑過ぎて緻密さが感じられない
接頭辞ともいえる「ご」「お」は敬語ニュアンスをもちますが 案内とか説明では、その敬語の向かう先は相手ですよね。 遅刻は主体が自分で、卒業も自分。自分に敬語は使わないので ご遅刻とかご卒業がないわけですよね。
否定は意志を相手に示す事にも通じるので、 言い易く、口を開けてはっきり聞こえる母音「あ」が採用されてるんでは?
「さ」は使役に頻繁に出ますが、 「使」この漢字に由来があるかもですね。 この漢字朝鮮読みは「sa」です。
形容詞というのは、基本感じとか感覚とか見た目とか、 精神部分も客観対象部分もその 「様子」を表した言葉ですね。日本語は 語尾い形容詞と、だ形容詞ですね。 やさしい うまい さむい あつい かたい しずかだ なごやかだ まだだ 神秘的だ 後者は多くが名詞に「だ」をつけて成ってますね。 昔は「い」でなく「ひ」で書いてたのもありました。
形容動詞が「名詞的形容詞」なのが、目からウロコで、とても分かりやすかった。
なるほど、「お土下座する」と言う言葉に違和感を感じるのは、あれが、本当は「敬意を示す動き」ではないからなんですね…
これが外来語由来の言葉にも適用できるのかも気になりました 「詳細はおメール致します」は不自然に思えるけど……
音韻に関して ちょっと脱線なんですけど… 1から10を数える時と10から1まで数える時 4は「し」と「よん」 7は「しち」と「なな」になるのは何故か 420時間の動画で講師の先生が問いかけだけされて深堀りされなかったのが今でも心残りです。(質問すればよかったんですけど余裕なくて) 7は単に「はち」の次に「しち」と読むと「い」行が続き発音しにくいと自己完結したのですが 4が謎です。順番では「しー」「ごー」、逆でも「ごー」「よん」・・・拍フットの問題でもないようです。 いつかご教授お願いいたします。
日本語非母語者なんですが、 ずっと大阪にいますので、あまり双数の言い方を聞いたことがないです。 私の中では、私たちはもう双数、複数の意味で、どちら も同様で、単数と双数の意味が入ってるとずっとそう思っています。
月には「静かの海」があるけど、「静か」も「の」でつなげる例じゃないでしょうか?
あなはずかし、あなうれし、入らせていただきます
ご遅刻します、なんて言われて真っ先に頭に“勝手にすれば?”って台詞が浮かんできましたね。 こういう話を聞く度に、上手く説明できなくても具体的なニュアンスがしっかり脳内に染み付いていて母語の習得って凄い事なんだなって感心します。
めからうろこ
貴族階級内で蹴鞠を教える場面。 「鞠が地面に着く前にお蹴り下され」 はありそう。 同じく貴族階級の家庭内暴力の尋問。 「そなたは〇〇氏の子をお殴りしたのか?」 はギリセーフな感じがするw 1:36 何故 <向かう先の人物> ではなく、 <向かう先>の人物 のように「の人物」を外に出したのだろう。 対象が人物であることも同じくらい大事なのではないか? 私はこういう書き方をする時にすごく悩むのだけど、みんな囲む範囲を悩まずにさらっと書けるのだろうか。
お見積ってこっちが作ってるのに「お」付けて良いのかな〜って仕事しながら思ってました。なるほど。客に渡すから「お」を付けるんですね。
「誰はあなたですか?」のようにネイティブの大多数が誤りだと感じる文章を指して非文と呼ぶことは言語学で一般的ですし、ポライトネスの研究では「多くの人が不適切に感じる」という実態を取り扱っていることでしょう。 こういったネイティブの大多数が抱く感じ方を用いれば、記述主義でも正否の判断はできると思いますよ。使われ方に規則があるのだから、そこから外れたものを「誤っている」と呼ぶことは一般的な語義に照らしても妥当でしょう。 記述主義が真に合意していることは、この正否が時間とともに変わりゆく相対的なものであるという点でしょう。
ウラル*アルタイ語系には、よく出てくる名詞変化ですね。 インド*ヨーロッパ語系には、寡聞にしてサンスクリットでしかみません。 英義の成立までくだると、世界言語として振る舞う必要からか、「非可算名詞」 が発明されたと愚考していますが、いかがでしょうか? しかし、東京語に双数がないというのは、初めて知りました。 ありがとうございます。
金曜日に謙譲語の授業をやることになっている新任日本語教師です。ちょうどこの点について悩んでいました。何か天佑を感じます。ありがとうございます。あとは学習者向けにどう噛み砕くか……
離婚はご離婚、お離婚?
漢語だから ご じゃない?
ですね つけるならば。
李さんを「りーさん」と呼ぶやつですね。 漢字的には「李」の音読みは「リ」しか無い。
「くっ」を、後に続く語を強調する役割を持つ「接頭語」と捉えることも出来ると思うのですが、「くっつく」以外に「くっ」を頭に置いた語を知らないのでこの考えは間違いなのかなあ…
「歯磨こ?」は「はあみがこ?」となる気がしますが、これはこの動画的にはどう説明されるのでしょうか いや「はみがこ?」が普通なのかな 「目悪い」は「めえわるい」になりづらい気もするし
「簡潔かつわかりやすく表現するためには名詞+動詞だけで説明する(形容詞を使わない)」事を心がけています。二種類の形容詞はその必須な2要素を補完するために生まれたと考えたくなりますが、それで正しいのでしょうか?
日本語の「たち」「ら」は複数形とは違うんだけどな。犬が1匹と猫が1匹いたとしても「犬たち」と言えるから。
連合ですね! 本動画では長くなるので省略しておりますが、湯湾方言の複数の例は実は連合複数です。
"休ませる"は"休む"という動作を働きかけるのは話者になる。 "休まさせる"は"休む"という動作を働きかけるのは話者以外ということになりますから、本来的には異なる使い方だと感じます。 なので、相手に"私"が休む、休まないの主導権があるときに"休まさせる"が使われ、許可を得るようなニュアンスがあります。 "休ませる"は休む、休まないの主導権は話者にあり、相手に報告、連絡の意味が出てくるように理解します。 従って、どちらを使うか?は状況により使い分けるということになります。 要するに言葉の刺す意味が違っていて、同じではないと思うのはどうなのか? 私自身は形式を重んじる方だけどどちらかが正しいとは考えてはいないいんだけど。 ただ、本来異なる意味を、あたかも同じ意味であるように扱うことは、言語としての豊かさが失われるのではないかと危惧します。 変化すること自身は全く気にしないんだけどね。
れる、られる も本来異なる用法が区別がなくなると言葉の豊かさが失われるようで残念な気がします。 わたし と わたくし のように誤用が普及して言葉が変化する言葉はむしろ言語表現が多様化して良いことだとさえ思います。 特に多様な一人称は日本語の最も顕著な特徴であり、それにより、住んでいる地方、職業、立場、年齢、性別、時代、気質、階級、上下関係などさまざまな情報が一人称の単語ひとつにふまれるという稀有な言語であり、日本語の一人称は数十とも百を超えるとも言われるし、色々な人がかってに新しい一人称を作り、それが流通することすらある。 言語の多様さが失われないように願うばかりですね。
ヤンキーは、オリジナルの英語では形容詞、及び名詞ですから 「名詞+な」の範疇には入らないと思います。 「クリーンな政治家」、「キュートな猫」もしかり。 ある名詞を他の名詞を修飾する場合は、形容詞(NA)的用法とは違って 「+な」は使っていなかったはずです。 「病気な人」(普通は病気の人)は、聞いたことがありませんが、 言葉の用い方は時が経つにつれて変わってきますので、 現代的用法なのでしょうか。 「美人な仕草」は、どうして美しい仕草ではないのでしょうか。 美人の仕草とそうでない人の仕草の違いは何ですか。
ほかの人も触れてますが、「あに+動詞」で反語(否定)を表し、「あに+する」で「しない」の意味になり、古文だと「あに+す」。 「飲みて」→「飲んて」→「飲んで」のパターンで、「あにす」→「あんす」→「あんず」。もう一声で「あんず」→「あず」。「書く」ならば「書く+あず」→「書かず」。一段動詞はこの流れのあと誕生したから「ず」だけを付けた。「食べ+ず」→「食べず」。みたいのことをどっかの動画で見ました。
わたしにはピンとこないのだけど、外国人にはあらかたの助詞を無くした語形変化として単語を教えると覚えが早いのだそうな、単語+助詞=語形変化そのものってことだね、こういうのは脳の働きのなかで位置情報の捉え方の違い、時間や空間把握の差が理由だという、その流派のなかに「分裂する形容詞」もあるのだろう、しかし、古語との統一感や一体性を考えるとむしろ複雑になるので、日本人には必要ないね、外国語教育を考える上で面白い事実だな
中学受験で「形容動詞」という語を習ったとき、どう考えても名詞の方が近い性質をもつのになぜ形容「動詞」なのかと疑問に思ったのを思い出した。理由は今になってもよく分からない
化学の概念が言語学に持ち込まれることがあるなんて面白いですね
私の方言にはあるかな…と思いましたが、よく考えたら私は母語が首都圏方言なので特にありませんでした
人称ではありませんが、日本語の指示詞にも“どっち、どちら”という双数の概念がありますよね。“どれ”が数ある中から指し示すのに対して前者は日本人なら真っ先に"二択の内の一つ"というニュアンスを汲み取れる訳ですし。
こんばんは、同業者です。 既に動画や記事になさっていたら恐縮ですが、逆に形容詞的意味を持つ動詞についても1本作れそうですね。 「なぜ【違って】じゃなくて【違くて】と間違える人がたくさんいるのか?」はよく話題になりますし。 最近何度か連続して歌詞(スキマスイッチの奏、ミスチルのEverything (It's you)、マサラダ氏のライアーダンサー等) について質問を受けたところで、ちょうどこの動画を拝見したので、書き込ませていただきました。
もしかしたら間違っているかもしれませんが、鳥取西部では双数にあたる二人称があったような、、、。
ほんとですか!
学べば学ぶほど 不思議な日本語の文法 この助詞的な 文字 1つで変えられる言葉 だからこそ難しいが 俳句にすれば至極便利な文法