Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
三国志は熱い前半50年とぐだぐだの後半50年の温度差すごい
こうして見ると、国の興亡が何とも儚く、そして呆気なく思えてならない。「国破れて山河在り」だ。
杜甫の春望は国が荒れてんのに毎日宴会してる玄宗を揶揄した詩だから、当てはまらないでしょ😅
あちらさんは今や山河破れて絶望の国ありだけどね
こうして改めて三国志を見ると、やはり奥が深いわね...
反日教育で中国が素晴らしい!とでも言いたいの?あせ😅
続けて、魏や呉もやって下さい。
蜀の姜維の北伐はなかなか頑張ってるが後一歩。。運がないと言うか。。劉禅はわざと暗君を演じたから長生きできたのじゃないかと最近思う
本当に良く頑張った⁉️ただ敵の大将トウガイが強すぎた⁉️幸か不幸か、そのトウガイも蜀軍討伐で活躍すればするほど主君司馬一族に疎まれるようになる⁉️
劉禅の最後のエピソードは、劉禅が暗君である最たる例として良く取り上げられるけど、彼の置かれた状況を考えたら、暗君であるとアピールする必要があったんじゃないかなと思いますね。仮に少しでも蜀に戻りたいとか皇帝の地位に未練があった素振りを見せたら最後。蜀の旧臣と結託して再起を図ろうとしているとあらぬ疑いをかけられて、族滅の格好の口実を司馬氏に与えかねないわけですし。
それよく言われるけど反抗の意思ありありな態度とった孫晧が全然許されてるんで普通に無理あるぞ当時の価値観考えたら士大夫として軽蔑されるような態度とって存続に有利に働く点はほぼない司馬昭がその気があったかどうかはともかく処分したかったらこの発言広めて士大夫としての評判落としたほうが処分しやすかっただろう徳を軽んじるような君主は滅んで当然だし死んでも仕方ないよねって見られちゃうのでだから郤正が慌てて訂正させたわけで、そのぐらい士大夫層の評判が大事な時代だった
@@xx8862 孫晧が許されていた辺りは、単純にそれぞれの社会情勢も影響してるんじゃないですかね?孫晧が過激な態度を取ったのは、呉が滅亡し晋が中華を統一したあと=一地方政権の残党が何を考えても大したことはできないと判断されてスルーされていたのではと。逆に、劉禅の場合、例の宴席が正確に何年の出来事かは分からないですが、少なくとも劉禅の死亡は呉の滅亡より前ですから、宴席の時点では呉はそれなりの勢力を維持できていたと考えられます。その場合、劉禅に反乱の意思が少しでも見れたら、呉と呼応されて厄介な事態になる前にと判断されかねないのではと自分は考えます。尤も、ガチで言っていたのか、暗愚を装った(装わざるを得なかった)のか、その真意は当の本人がとっくに土に還っている以上、いくら考えてもどちらも想像の域を越えることはないとも思いますけどね。
蜀滅亡の最大戦犯1位:関羽(呉と揉め事起こした上、劉備なんかと連携もせず単独行動、自信がありすぎて傲慢で直属の部下には優しいが同僚の劉備家臣には嫌われ重要な荊州を失った)2位:劉備(夷陵の戦いを勝ってる時or陸遜が重用される前に有利な条件で呉と停戦しなかったため、莫大な損失)3位:馬謖(諸葛亮の命令通りにしてれば魏を破るチャンスはあった)4位:姜維(派閥的に弱い涼州出身で支持者が少ない悪条件、北伐に拘り成果はほぼなく少ない国力がさらに疲弊した)5位:劉禅(家臣の良し悪しで評価が変わるくらい自主性・主体性がない凡君)後は法正なんか有能な武将が早死したとかかね 戦犯1位が大きすぎる これが無ければ2位・3位・4位は起こらんし5位もマシだったろう
荊州は魏と呉と接する要地にして難治の地。それを外交を理解せず、局地戦には滅法強いものの、戦略眼皆無の一武辺者の関羽に任せる事自体がそもそも間違い。それもこれも、蜀の人材不足が原因であり、蜀という地方政権の限界だったのでしょうね。だが、それでも関羽の魏侵攻は後方支援が脆弱だったので敗れたものの、かなり曹操の心胆を寒からしめるものだった。もし、孔明の十分な支援を背景に関羽が荊州から侵攻。時を同じく劉備が龐統を参軍に漢中から長安を急襲。呉が足並み揃えて徐州に侵攻。これが実現したなら、ワンちゃんあったかもと思ます。
@@仔猫の足跡自分も蜀陣営の人材不足が最後まで影響を及ばしたと思う
私は蜀滅亡の第一の戦犯は孔明かな。関羽にせよ劉備にせよ、人の和と評されるのが恥ずかしい蜀陣営を軍師としてまとめきれてないし、孔明がいなければ蜀は成立しない国に変えたのは他ならない孔明だし。 孔明は関羽張飛魏延などと同じ劉備信奉者なので、劉備の身近に孔明ても制御できない人材いるのはウザかったんかなと。 反三国志で龐統や徐庶など活躍させてるが「孔明3人いても工具製造者1人に劣る」の言葉どおり、上手くいかなかったんじゃないのかねー
色んな要素はあると思う龐統の戦死関羽の荊州陥落劉備の呉への侵攻の失敗街亭の戦いでの馬謖の失策姜維の内政能力の欠如黄皓の専横劉禅の暗愚いや、これだけ重なれば滅亡も致し方ないのかも
それでも内輪の流血沙汰に関しては三国の中では一番マシである・・・。
孔明が皇帝になっていたらってifを考えると面白い。また、蕭何のような人材がいたら兵糧輸送に悩まなかったのかな
確かに劉邦にとっての簫何は、内政兵端の超天才でした 公明ですら兵端に、苦労したのに
素晴らしい動画ですねσ(^_^;)?
1巻から見ると横山先生の画力が凄く上がってる
今まで気にしていなかったものの、正史の第二次北伐では張郃が南鄭まで進出した事になっているけど、幾ら何でも諸葛亮を出し抜いて漢中を通過してその南方までは走破できないですよね。陳倉へ出ることが読まれた上に逆を突いて漢中に魏軍が進出してしまっていたら諸葛亮は帰る場所も面目も無くなり、陳倉で自害する選択しか無さそう。馬謖が登った南山かどこかと陳寿が書き間違えたのだと信じたいです。
三国志とは、黄巾の乱に始まり三国が鼎立するまでの物語と捉えてる
勝ちきれないとこに季漢らしさを感じる
横山三国志は1巻が最高に面白い。
諸葛亮の延命の儀式できてたらどうなってたかな
史実だとそんなのないね
張遼ってもう死んでるんちゃう五丈原の時
死んでる死んでる満寵の独り舞台なはず
解説の最初から躓くのは…李漢なんて語はなく、季漢です。ちなみに李氏が建てたのは成漢。諸葛亮伝の文末の方にある詔策にて『季漢』の語が出てきます。詔策曰:「惟君體資文武、明叡篤誠、受遺託孤、匡輔朕躬、繼絶興微、志存靖亂;爰整六師、無歳不征、神武赫然、威鎮八荒、將建殊功於季漢、參伊・周之巨勳。(以下略)」
貧しかったって言うけど税の免除とか皇族らしい優遇を受けていたっぽいんだよね
まるで映画を見ているかのような、充実した1時間だった定軍山までは大きな敗北はなかったけど、それ以降は致命的ともいえるミスが相次いでそれがターニングポイントになったっぽいね…戦犯とも言われている姜維もあわよくば一矢報いるところまで肉薄してるし、聞いてたほど無能っていう印象は感じなかった
逆に光武帝はなぜ一度滅んだ王朝を復活できたんだよ
劉秀がチートなのもそうだけど赤眉軍とか緑林軍とかの反乱勢力も強かったのもある
劉秀自身がなろう系主人公もかくやとばかりのチートキャラな上に、王莽の新が事実上簒奪によって成立した王朝な上に王莽自身が為政者としてはチートレベルに無能で、漢王朝を復興することに支持が集まったのが大きいかな。仮に、王莽が曹丕と同程度に優秀な皇帝だったら、多分劉秀が後漢を興すことは出来なかったと思いますね。
在位2年てまじかあ…なんかショック…なんつって…
結構時系列ガバガバよね張遼長生きすぎるやろ
李漢???季漢!!
龐統が生きてたら諸葛亮が荊州に残れて関羽と荊州を失わす済んだか?
龐統が生きていたら、関羽の軍師として荊州に入って、劉備は軍師を法正として、孔明の作戦通りに荊州と漢中から2方面攻撃して、孔明が宰相として兵站維持の後方支援したと思われ。龐統なら関羽の子の婚姻話も承諾させられたかも知れない。それが無理だったとしても荊州の後方守備を馬良がやっただろうから、あんな失態もなかっただろう。龐統一人を失ったことで、戦略が大きく崩れたと言っていいでしょう
劉禅は本当に無能だったんだろうか?
三国志演義で書かれるようなどうしようも無い無能では無いと思うけど秀でたものは無く凡庸で戦いに勝ち続けないと生き残れない乱世にはそぐわなかった人物言った所だと思ってます。
黃皓あたりに政治の実権を握らせたあたり、皇帝としては無能の誹りを受けても仕方ないでしょう。処世術はうまかったかも知れないけど、それは皇帝に求められる能力じゃないよね
燕人=えんぴとと基本いう
最初の北伐失敗で終わってた。
李漢(りかん)でなく季漢(きかん)では?
三国志は熱い前半50年とぐだぐだの後半50年の温度差すごい
こうして見ると、国の興亡が何とも儚く、そして呆気なく思えてならない。「国破れて山河在り」だ。
杜甫の春望は国が荒れてんのに毎日宴会してる玄宗を揶揄した詩だから、当てはまらないでしょ😅
あちらさんは今や山河破れて絶望の国ありだけどね
こうして改めて三国志を見ると、やはり奥が深いわね...
反日教育で中国が素晴らしい!とでも言いたいの?あせ😅
続けて、魏や呉もやって下さい。
蜀の姜維の北伐はなかなか頑張ってるが後一歩。。
運がないと言うか。。
劉禅はわざと暗君を演じたから長生きできたのじゃないかと最近思う
本当に良く頑張った⁉️ただ敵の大将トウガイが強すぎた⁉️
幸か不幸か、そのトウガイも蜀軍討伐で活躍すればするほど
主君司馬一族に疎まれるようになる⁉️
劉禅の最後のエピソードは、劉禅が暗君である最たる例として良く取り上げられるけど、彼の置かれた状況を考えたら、暗君であるとアピールする必要があったんじゃないかなと思いますね。
仮に少しでも蜀に戻りたいとか皇帝の地位に未練があった素振りを見せたら最後。蜀の旧臣と結託して再起を図ろうとしているとあらぬ疑いをかけられて、族滅の格好の口実を司馬氏に与えかねないわけですし。
それよく言われるけど反抗の意思ありありな態度とった孫晧が全然許されてるんで普通に無理あるぞ
当時の価値観考えたら士大夫として軽蔑されるような態度とって存続に有利に働く点はほぼない
司馬昭がその気があったかどうかはともかく処分したかったらこの発言広めて士大夫としての評判落としたほうが処分しやすかっただろう
徳を軽んじるような君主は滅んで当然だし死んでも仕方ないよねって見られちゃうので
だから郤正が慌てて訂正させたわけで、そのぐらい士大夫層の評判が大事な時代だった
@@xx8862
孫晧が許されていた辺りは、単純にそれぞれの社会情勢も影響してるんじゃないですかね?
孫晧が過激な態度を取ったのは、呉が滅亡し晋が中華を統一したあと=一地方政権の残党が何を考えても大したことはできないと判断されてスルーされていたのではと。
逆に、劉禅の場合、例の宴席が正確に何年の出来事かは分からないですが、少なくとも劉禅の死亡は呉の滅亡より前ですから、宴席の時点では呉はそれなりの勢力を維持できていたと考えられます。
その場合、劉禅に反乱の意思が少しでも見れたら、呉と呼応されて厄介な事態になる前にと判断されかねないのではと自分は考えます。
尤も、ガチで言っていたのか、暗愚を装った(装わざるを得なかった)のか、その真意は当の本人がとっくに土に還っている以上、いくら考えてもどちらも想像の域を越えることはないとも思いますけどね。
蜀滅亡の最大戦犯
1位:関羽(呉と揉め事起こした上、劉備なんかと連携もせず単独行動、自信がありすぎて傲慢で直属の部下には優しいが同僚の劉備家臣には嫌われ重要な荊州を失った)
2位:劉備(夷陵の戦いを勝ってる時or陸遜が重用される前に有利な条件で呉と停戦しなかったため、莫大な損失)
3位:馬謖(諸葛亮の命令通りにしてれば魏を破るチャンスはあった)
4位:姜維(派閥的に弱い涼州出身で支持者が少ない悪条件、北伐に拘り成果はほぼなく少ない国力がさらに疲弊した)
5位:劉禅(家臣の良し悪しで評価が変わるくらい自主性・主体性がない凡君)
後は法正なんか有能な武将が早死したとかかね 戦犯1位が大きすぎる これが無ければ2位・3位・4位は起こらんし5位もマシだったろう
荊州は魏と呉と接する要地にして難治の地。
それを外交を理解せず、局地戦には滅法強いものの、戦略眼皆無の一武辺者の関羽に任せる事自体がそもそも間違い。
それもこれも、蜀の人材不足が原因であり、蜀という地方政権の限界だったのでしょうね。
だが、それでも
関羽の魏侵攻は後方支援が脆弱だったので敗れたものの、かなり曹操の心胆を寒からしめるものだった。
もし、孔明の十分な支援を背景に関羽が荊州から侵攻。
時を同じく劉備が龐統を参軍に漢中から長安を急襲。
呉が足並み揃えて徐州に侵攻。
これが実現したなら、ワンちゃんあったかもと思ます。
@@仔猫の足跡自分も蜀陣営の人材不足が最後まで影響を及ばしたと思う
私は蜀滅亡の第一の戦犯は孔明かな。関羽にせよ劉備にせよ、人の和と評されるのが恥ずかしい蜀陣営を軍師としてまとめきれてないし、孔明がいなければ蜀は成立しない国に変えたのは他ならない孔明だし。
孔明は関羽張飛魏延などと同じ劉備信奉者なので、劉備の身近に孔明ても制御できない人材いるのはウザかったんかなと。
反三国志で龐統や徐庶など活躍させてるが「孔明3人いても工具製造者1人に劣る」の言葉どおり、上手くいかなかったんじゃないのかねー
色んな要素はあると思う
龐統の戦死
関羽の荊州陥落
劉備の呉への侵攻の失敗
街亭の戦いでの馬謖の失策
姜維の内政能力の欠如
黄皓の専横
劉禅の暗愚
いや、これだけ重なれば滅亡も致し方ないのかも
それでも内輪の流血沙汰に関しては三国の中では一番マシである・・・。
孔明が皇帝になっていたら
ってifを考えると面白い。
また、蕭何のような人材がいたら兵糧輸送に悩まなかったのかな
確かに劉邦にとっての簫何は、内政兵端の超天才でした 公明ですら兵端に、苦労したのに
素晴らしい動画ですねσ(^_^;)?
1巻から見ると横山先生の画力が凄く上がってる
今まで気にしていなかったものの、正史の第二次北伐では張郃が南鄭まで進出した事になっているけど、幾ら何でも諸葛亮を出し抜いて漢中を通過してその南方までは走破できないですよね。
陳倉へ出ることが読まれた上に逆を突いて漢中に魏軍が進出してしまっていたら諸葛亮は帰る場所も面目も無くなり、陳倉で自害する選択しか無さそう。
馬謖が登った南山かどこかと陳寿が書き間違えたのだと信じたいです。
三国志とは、黄巾の乱に始まり三国が鼎立するまでの物語と捉えてる
勝ちきれないとこに季漢らしさを感じる
横山三国志は1巻が最高に面白い。
諸葛亮の延命の儀式できてたらどうなってたかな
史実だとそんなのないね
張遼ってもう死んでるんちゃう五丈原の時
死んでる死んでる
満寵の独り舞台なはず
解説の最初から躓くのは…
李漢なんて語はなく、季漢です。ちなみに李氏が建てたのは成漢。
諸葛亮伝の文末の方にある詔策にて『季漢』の語が出てきます。
詔策曰:「惟君體資文武、明叡篤誠、受遺託孤、匡輔朕躬、繼絶興微、志存靖亂;爰整六師、無歳不征、神武赫然、威鎮八荒、將建殊功於季漢、參伊・周之巨勳。(以下略)」
貧しかったって言うけど税の免除とか皇族らしい優遇を受けていたっぽいんだよね
まるで映画を見ているかのような、充実した1時間だった
定軍山までは大きな敗北はなかったけど、それ以降は致命的ともいえるミスが相次いでそれがターニングポイントになったっぽいね…
戦犯とも言われている姜維もあわよくば一矢報いるところまで肉薄してるし、聞いてたほど無能っていう印象は感じなかった
逆に光武帝はなぜ一度滅んだ王朝を復活できたんだよ
劉秀がチートなのもそうだけど赤眉軍とか緑林軍とかの反乱勢力も強かったのもある
劉秀自身がなろう系主人公もかくやとばかりのチートキャラな上に、王莽の新が事実上簒奪によって成立した王朝な上に王莽自身が為政者としてはチートレベルに無能で、漢王朝を復興することに支持が集まったのが大きいかな。
仮に、王莽が曹丕と同程度に優秀な皇帝だったら、多分劉秀が後漢を興すことは出来なかったと思いますね。
在位2年てまじかあ…なんかショック…なんつって…
結構
時系列ガバガバよね
張遼長生きすぎるやろ
李漢???季漢!!
龐統が生きてたら諸葛亮が荊州に残れて関羽と荊州を失わす済んだか?
龐統が生きていたら、関羽の軍師として荊州に入って、劉備は軍師を法正として、孔明の作戦通りに荊州と漢中から2方面攻撃して、孔明が宰相として兵站維持の後方支援したと思われ。
龐統なら関羽の子の婚姻話も承諾させられたかも知れない。
それが無理だったとしても荊州の後方守備を馬良がやっただろうから、あんな失態もなかっただろう。
龐統一人を失ったことで、戦略が大きく崩れたと言っていいでしょう
劉禅は本当に無能だったんだろうか?
三国志演義で書かれるようなどうしようも無い無能では無いと思うけど
秀でたものは無く凡庸で戦いに勝ち続けないと生き残れない乱世にはそぐわなかった人物言った所だと思ってます。
黃皓あたりに政治の実権を握らせたあたり、皇帝としては無能の誹りを受けても仕方ないでしょう。
処世術はうまかったかも知れないけど、それは皇帝に求められる能力じゃないよね
燕人=えんぴとと基本いう
最初の北伐失敗で終わってた。
李漢(りかん)でなく季漢(きかん)では?