結果的にこれが北の湖にとって最後の優勝となったが、恐らく引き際が近いのを悟っていた中で意地で掴んだ優勝だったのかもしれない。
かねがね疑問だが、相撲取りの背丈というのは、正規に大銀杏を結って計るのか、でなければ場所前の崩した形で計るのか?それとも単に自己申告か(笑)?もし大銀杏くっつけての数値なら、最低あれで7cmほどは上げ底になるから、大鵬も柏戸も実寸はせいぜい180~183くらいで、アメリカ人の男ならごく普通の身長になってしまうが。
ドライな感じの土俵入り、かっけえ
解説の伊勢ケ浜親方(清国)はこの半年後に惨劇に見舞われることになるとは誰も予想していなかったでしょう。
The Wolf was handsome in his day. RIP
いい加減な感じが強く感じさせられたりしますが!当時は凄く楽しみだった!!
体重移動が上手いな
若嶋津強い時あったんだね 勝ち越しかクンロク大関のイメージしかない
豪華絢爛の幕の内土俵入り
初対決は小錦圧勝 ウルフを3発でKO 巨漢からのど迫力の突っ張りは旋風を巻き起こした
最強横綱ウルフの象徴黒廻しデビュー 小さな大横綱の序章は巨漢小錦を豪快な投げ技で圧勝 (当時121kgの横綱が221kgの巨漢を投げ飛ばした)
この日、蔵前国技館に見に行きました。19歳でした。この場所は小錦旋風で琴風が上位陣最後の砦で小錦を破り、多賀竜が優勝しました。千代の富士はこの場所で、小錦に破れたことで、もう一度闘争心に火がついて第二期黄金期を迎えました。この頃の相撲は新旧個性派がたくさんいてとても楽しかったですね。
優勝3回した小錦だけどその3場所よりも個人的に一番印象に残るのはこの場所。 とどまるところを知らなかったからな小錦旋風は。 もし千秋楽琴風に勝って多賀竜との決定戦になっていたら勝っていたのではないかな?。惜しかったよなあ。
連勝を阻止した時の大乃国、横綱昇進を決めた時の旭富士を彷彿とさせる執念だな。取り組み後は精も根も尽きたろうな
こんな小さな身体で化け物を正面から受け止めて圧倒する。若貴だろうが大鵬だろうがなんだろうが、この横綱に勝るカリスマ性のあるヒーローは居ないよ 強さも顔も身体もなにもかもカッコ良すぎる
北の湖さんは、千代の富士さんみたいに、30代半ば迄、自分の相撲が、とれてたら、40回くらい優勝、できたと、思います。
対戦成績を見ても分かるがこの2人が対戦するとどっちが横綱だかさっぱりわからなかったからな
最後とその前の対決は北の湖の勝利か。
北の湖と千代の富士の最後の対決。
我が母校の誇りです。私達が3年生の頃です。非常に貴重な映像ありがとうございます。
北天佑は昭和60年までが全盛期だったなぁ!
自分の誕生日の1月14日に 応援していた逆鉾が隆の里を破った この一番が最大のプレゼントでした ありがとうございました
板井いわく八百長取組とのことだが力出しきったガチ相撲だろうが!しかも若島津が八百長で負けたのは横綱になると引退時期が早まってしまうからという意味不明な解説をしていたのが板井。
記憶力がずば抜けて良かったらしいですね🎉謙虚で礼儀正しい力士の見本
当時の過去の対戦成績のテロップは、直近6場所の対戦結果(最下段が先場所)が表示され、決まり手の横に●がある方が勝ち、通算の幕内での対戦勝ち数が下段に出ていた、上から下に向けて小出しで表示することもあった。
土俵入りの、最後に両手を上げる所作のときにみんなすぐ手を下ろしている、中には申し訳程度にちょっとだけしか上げていない力士も。今は2〜3秒くらい手を上げている力士もいるが。
懐かしい。二十歳の時に見た一番を還暦になってまた見るとは。40年の時間は一体何なんだろか?
すごぇ昭和だあれから40年だね🐹🐱
後1場所長く関取で勤められれば現役40歳関取を達成できましたね。 永谷園等のTVCMには思わず笑えました。
大の里にはこんなすごい力士になることを期待したい…
このころのインタビューは、観客の前でやる感じではなく記者に囲まれてやる感じだったんですねー
今や世界のキタノがジョーンズさんの芸風を受け継ぐ
昭和の相撲ファンの多くはこのデビッドジョーンズさんのヒョーショージョーというパンナム杯の時を見たいために千秋楽を見ていましたし、観客の皆さんもそうでした。本当に懐かしいし、ここまで着物が似合う外国人の人も珍しいです。本当の親日家はこの人でしょう。今頃天国で輪島、北の湖、千代の富士達と一緒に相撲を見つめていると思います。 あれからもう約40年ですか。私ももう50代になってしまいました。
すごい親日の方だったらしいですね。 調べたらもうお亡くなりに。。 ほんとうにおつかれさまでした。 ありがとう。
部屋を継いだ潮丸が急死して結局東関部屋は閉鎖 そして今年は一番の愛弟子だった曙を亡くし 対戦相手もほぼほぼ亡くなっていて、今孤独を感じているのだろうか
13日目の優勝決定はこの場所だけ。白鵬は13日目の優勝決定は6回もある。
大徹
子供の頃父の知人だったのでジョーンズさんに実際お会いしていますが、表彰の時はわざとなまっている話し方されていますね。九州場所の時博多弁で表彰されるぐらいですから実際の日本語は訛りない綺麗な話し方でした。
たけしの元ネタかー
北尾唯一の金星らしいよ🎉
この人のべらんめえな感じのアナウンス好きだった
多賀龍の優勝で締めくくりましたね…
若嶋津ゆるふんすぎ
西方 寺尾 鹿児島県出身 井筒部屋 花乃湖 秋田県出身 出羽海部屋 琴ヶ梅 富山県出身 佐渡ヶ嶽部屋 霧島 鹿児島県出身 井筒部屋 高望山 宮城県出身 熊ヶ谷部屋 大錦 新潟県出身 出羽海部屋 隆三杉 神奈川県出身 二子山部屋 栃剣 愛知県出身 春日野部屋 舛田山 石川県出身 春日野部屋 青葉城 宮城県出身 押尾川部屋 闘竜 兵庫県出身 三保ヶ関部屋 逆鉾 鹿児島県出身 井筒部屋 陣岳 鹿児島県出身 井筒部屋 水戸泉 茨城県出身 高砂部屋 小結・出羽の花 青森県出身 出羽海部屋 小結・北尾 三重県出身 立浪部屋 関脇・大ノ国 北海道出身 放駒部屋 大関・琴風 三重県出身 佐渡ヶ嶽部屋 大関・若嶋津 鹿児島県出身 二子山部屋
東方 服部 愛知県出身 伊勢ノ海部屋 佐田の海 大阪府出身 出羽海部屋 大徹 岐阜県出身 二所ノ関部屋 飛騨ノ花 岐阜県出身 二子山部屋 魁輝 青森県出身 友綱部屋 大寿山 新潟県出身 二子山部屋 板井 大分県出身 大鳴戸部屋 巨砲 三重県出身 大鵬部屋 多賀竜 茨城県出身 鏡山部屋 麒麟児 千葉県出身 二所ノ関部屋 小錦 ハワイ出身 高砂部屋 鳳凰 愛知県出身 二所ノ関部屋 蔵間 滋賀県出身 時津風部屋 旭富士 青森県出身 大島部屋 関脇・保志 北海道出身 九重部屋 大関・朝潮 高知県出身 高砂部屋 大関・北天佑 北海道出身 三保ヶ関部屋
私の習志野台中学校の保健の先生が、お礼を言ってくれました。 お相撲を味方につけたかな。 (笑) 伊東智美MI6とCIA
下半身の怪我でもう辞める直前とは思えないくらい四股の足上がるな
このプレゼンをやりたいがために、日本からの転勤を断っていたのは、有名です。国営放送も、この場面を飛ばして中継を打ち切ったら、クレームの電話が鳴り止まなかったとも言います。
千代の富士みたいに、30代なかばくらいまで、自分の相撲がとれてれば、40回くらい、優勝できたと、思います。
素晴らしいエンディングのアナウンサーの語りです。
結果的にこれが北の湖にとって最後の優勝となったが、恐らく引き際が近いのを悟っていた中で意地で掴んだ優勝だったのかもしれない。
かねがね疑問だが、相撲取りの背丈というのは、正規に大銀杏を結って計るのか、でなければ場所前の崩した形で計るのか?それとも単に自己申告か(笑)?もし大銀杏くっつけての数値なら、最低あれで7cmほどは上げ底になるから、大鵬も柏戸も実寸はせいぜい180~183くらいで、アメリカ人の男ならごく普通の身長になってしまうが。
ドライな感じの土俵入り、かっけえ
解説の伊勢ケ浜親方(清国)はこの半年後に惨劇に見舞われることになるとは誰も予想していなかったでしょう。
The Wolf was handsome in his day. RIP
いい加減な感じが強く感じさせられたりしますが!当時は凄く楽しみだった!!
体重移動が上手いな
若嶋津強い時あったんだね 勝ち越しかクンロク大関のイメージしかない
豪華絢爛の幕の内土俵入り
初対決は小錦圧勝 ウルフを3発でKO 巨漢からのど迫力の突っ張りは旋風を巻き起こした
最強横綱ウルフの象徴黒廻しデビュー 小さな大横綱の序章は巨漢小錦を豪快な投げ技で圧勝 (当時121kgの横綱が221kgの巨漢を投げ飛ばした)
この日、蔵前国技館に見に行きました。19歳でした。この場所は小錦旋風で琴風が上位陣最後の砦で小錦を破り、多賀竜が優勝しました。千代の富士はこの場所で、小錦に破れたことで、もう一度闘争心に火がついて第二期黄金期を迎えました。この頃の相撲は新旧個性派がたくさんいてとても楽しかったですね。
優勝3回した小錦だけどその3場所よりも個人的に一番印象に残るのはこの場所。 とどまるところを知らなかったからな小錦旋風は。 もし千秋楽琴風に勝って多賀竜との決定戦になっていたら勝っていたのではないかな?。惜しかったよなあ。
連勝を阻止した時の大乃国、横綱昇進を決めた時の旭富士を彷彿とさせる執念だな。取り組み後は精も根も尽きたろうな
こんな小さな身体で化け物を正面から受け止めて圧倒する。若貴だろうが大鵬だろうがなんだろうが、この横綱に勝るカリスマ性のあるヒーローは居ないよ 強さも顔も身体もなにもかもカッコ良すぎる
北の湖さんは、千代の富士さんみたいに、30代半ば迄、自分の相撲が、とれてたら、40回くらい優勝、できたと、思います。
対戦成績を見ても分かるがこの2人が対戦するとどっちが横綱だかさっぱりわからなかったからな
最後とその前の対決は北の湖の勝利か。
北の湖と千代の富士の最後の対決。
我が母校の誇りです。私達が3年生の頃です。非常に貴重な映像ありがとうございます。
北天佑は昭和60年までが全盛期だったなぁ!
自分の誕生日の1月14日に 応援していた逆鉾が隆の里を破った この一番が最大のプレゼントでした ありがとうございました
板井いわく八百長取組とのことだが力出しきったガチ相撲だろうが!しかも若島津が八百長で負けたのは横綱になると引退時期が早まってしまうからという意味不明な解説をしていたのが板井。
記憶力がずば抜けて良かったらしいですね🎉謙虚で礼儀正しい力士の見本
当時の過去の対戦成績のテロップは、直近6場所の対戦結果(最下段が先場所)が表示され、決まり手の横に●がある方が勝ち、通算の幕内での対戦勝ち数が下段に出ていた、上から下に向けて小出しで表示することもあった。
土俵入りの、最後に両手を上げる所作のときにみんなすぐ手を下ろしている、中には申し訳程度にちょっとだけしか上げていない力士も。今は2〜3秒くらい手を上げている力士もいるが。
懐かしい。二十歳の時に見た一番を還暦になってまた見るとは。40年の時間は一体何なんだろか?
すごぇ昭和だあれから40年だね🐹🐱
後1場所長く関取で勤められれば現役40歳関取を達成できましたね。 永谷園等のTVCMには思わず笑えました。
大の里にはこんなすごい力士になることを期待したい…
このころのインタビューは、観客の前でやる感じではなく記者に囲まれてやる感じだったんですねー
今や世界のキタノがジョーンズさんの芸風を受け継ぐ
昭和の相撲ファンの多くはこのデビッドジョーンズさんのヒョーショージョーというパンナム杯の時を見たいために千秋楽を見ていましたし、観客の皆さんもそうでした。本当に懐かしいし、ここまで着物が似合う外国人の人も珍しいです。本当の親日家はこの人でしょう。今頃天国で輪島、北の湖、千代の富士達と一緒に相撲を見つめていると思います。 あれからもう約40年ですか。私ももう50代になってしまいました。
すごい親日の方だったらしいですね。 調べたらもうお亡くなりに。。 ほんとうにおつかれさまでした。 ありがとう。
部屋を継いだ潮丸が急死して結局東関部屋は閉鎖 そして今年は一番の愛弟子だった曙を亡くし 対戦相手もほぼほぼ亡くなっていて、今孤独を感じているのだろうか
13日目の優勝決定はこの場所だけ。白鵬は13日目の優勝決定は6回もある。
大徹
子供の頃父の知人だったのでジョーンズさんに実際お会いしていますが、表彰の時はわざとなまっている話し方されていますね。九州場所の時博多弁で表彰されるぐらいですから実際の日本語は訛りない綺麗な話し方でした。
たけしの元ネタかー
北尾唯一の金星らしいよ🎉
この人のべらんめえな感じのアナウンス好きだった
多賀龍の優勝で締めくくりましたね…
若嶋津ゆるふんすぎ
西方 寺尾 鹿児島県出身 井筒部屋 花乃湖 秋田県出身 出羽海部屋 琴ヶ梅 富山県出身 佐渡ヶ嶽部屋 霧島 鹿児島県出身 井筒部屋 高望山 宮城県出身 熊ヶ谷部屋 大錦 新潟県出身 出羽海部屋 隆三杉 神奈川県出身 二子山部屋 栃剣 愛知県出身 春日野部屋 舛田山 石川県出身 春日野部屋 青葉城 宮城県出身 押尾川部屋 闘竜 兵庫県出身 三保ヶ関部屋 逆鉾 鹿児島県出身 井筒部屋 陣岳 鹿児島県出身 井筒部屋 水戸泉 茨城県出身 高砂部屋 小結・出羽の花 青森県出身 出羽海部屋 小結・北尾 三重県出身 立浪部屋 関脇・大ノ国 北海道出身 放駒部屋 大関・琴風 三重県出身 佐渡ヶ嶽部屋 大関・若嶋津 鹿児島県出身 二子山部屋
東方 服部 愛知県出身 伊勢ノ海部屋 佐田の海 大阪府出身 出羽海部屋 大徹 岐阜県出身 二所ノ関部屋 飛騨ノ花 岐阜県出身 二子山部屋 魁輝 青森県出身 友綱部屋 大寿山 新潟県出身 二子山部屋 板井 大分県出身 大鳴戸部屋 巨砲 三重県出身 大鵬部屋 多賀竜 茨城県出身 鏡山部屋 麒麟児 千葉県出身 二所ノ関部屋 小錦 ハワイ出身 高砂部屋 鳳凰 愛知県出身 二所ノ関部屋 蔵間 滋賀県出身 時津風部屋 旭富士 青森県出身 大島部屋 関脇・保志 北海道出身 九重部屋 大関・朝潮 高知県出身 高砂部屋 大関・北天佑 北海道出身 三保ヶ関部屋
私の習志野台中学校の保健の先生が、お礼を言ってくれました。 お相撲を味方につけたかな。 (笑) 伊東智美MI6とCIA
下半身の怪我でもう辞める直前とは思えないくらい四股の足上がるな
このプレゼンをやりたいがために、日本からの転勤を断っていたのは、有名です。国営放送も、この場面を飛ばして中継を打ち切ったら、クレームの電話が鳴り止まなかったとも言います。
千代の富士みたいに、30代なかばくらいまで、自分の相撲がとれてれば、40回くらい、優勝できたと、思います。
素晴らしいエンディングのアナウンサーの語りです。