Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
この館内放送の方の声がとても大好きでした。
まさに蝋燭が燃え尽きる前の最期の輝きの典型
この場所だけは北の湖は全盛期を超える内容の復活でした。翌場所も5日目までは完璧でしたが、11勝止まり
大横綱北の湖の、最後の優勝の場所
若嶋津は、まわしがいつもユルいんだよな。
だから、千代の富士に勝てないんだよょょょょー・・・。
若嶋津(現二所ノ関親方)、元気になられてよかった。これからは、もっともっと松鳳山を鍛えて、三役に挙げてやってください‼️
松鳳山は素質を考えたら精一杯頑張ったと思う
いつもは若嶋津に上手を切られるんですけど、この時はがっちり引いてましたね。
強い強いと言われた北の湖ですが若嶋津には対戦成績では負け越しています。北の湖が下り坂の時に上がって来た力士と言う妙もありますが意外ですね。
史上最年少横綱北の湖
あの北の湖が上手も取れていない若嶋津に立ち合い押し込まれてますね。年取って腰が軽くなってるんでしょうね。5年前なら全く動かないでしょう。その後は右から振り回して土俵の外か、あえて上手を取らせて吊り上げるかで料理するでしょうに。どんな天才でも衰えは来るんですね。
同感です。この場所は全勝してるが全盛期の相撲とは違う。4年前の昭和55年春場所では初日から勝ちっ放しのところ朝潮に叩き込まれて初黒星を喫したが、破れたこの一番でさえあの重い朝潮をいとも簡単にパパパンと押し込んでいる。この場所は立ち合いに相手に当たると、そこで一旦動きが止まる相撲が多く、若嶋津戦については軽量の相手なのに立ち合い当たってから、自分の陣地側に押し込まれている。全盛期なら立ち合い当たってから一気に土俵際まで押し込み、用心するが如く一呼吸置いて体勢を整え駄目押しと言った流れになってるかと思います。ファンの自分は、当時は手放しで復活を喜んだが、今観ると尽き果てる前の蝋燭の灯火の様に見えますね。
@@山田市之助-q8l 北の湖、朝潮には、めっぽう、弱かったなぁぁぁー・・・。
全盛期の内容とはかなり違いますが、北の湖なりに考えて相撲を取っていると思います。千代の富士戦でもろ差しに行ったのなどはその典型
@@hariusueki さん。コメントありがとうございます。反論するようで恐縮ですが、千代の富士戦を見返すと、北の湖と千代の富士は前さばきの能力がかなり違っていて、北の湖は差そうと思えば2本差せると考えていた節があります。その証拠に彼らは喧嘩四つですが、右四つにはほとんどなっていません。この場所の一番も、その能力差が出ただけではないかと考えています。
この時代は手を付かなくても、立ち合いとしては成立だったそうで、現に北の湖と同時代の横綱達も付いていないことが多かったようです。絶対に手を付かなければならなくなったのは確かこの2場所後からです。
みんな中腰で立ってますね。
玉の海梅吉氏が解説を勇退する時に、若嶋津はよほどの事がない限り横綱になると云ってた。思えばこの59年夏の前後場所両方優勝してる、全盛期か。力強さはさほどだが、泥鰌のような動きの良さで晩年の北の湖も本当に苦しめられてた。でも千代の富士には動き負けて不思議と勝てなかった。
敏郎溶鉱炉 優勝した時はいずれも千代の富士かいない時でしたね。
大関・若島津関(松ヶ根親方)も横綱・二代目若乃花関(間垣親方)同様、「怪童」と呼ばれていた横綱北の湖関(現在、協会理事長)を苦しめた数少ない力士の一人でしたね。あ~ら、もう一人忘れていたよ!!大関・二代目朝潮(高砂親方)には、ダブルスコア近くの差がつけられていたね(真の苦手)。
大横綱北の湖関も、若嶋津関には通算で6勝8敗と負け越しているのですね。若嶋津関が大関昇進に近づいた相撲、2回の優勝を決めた相撲のいずれも北の湖関との対戦でした。この場所は若嶋津関が綱取り失敗でモチベーションが下がっていたのもありますが、横綱が大関に廻しを取らせず、5連敗の鬱憤を晴らす完勝でした。正面解説大鵬さん、向正面解説若瀬川さんと、何とも豪華な解説陣でした。この頃はベテラン解説者が多く、神風さんは別格として、若瀬川さん、緒方昇(北の洋)さん、出羽錦さん、初代増位山(三保ヶ関親方)さんはいずれも親方業務をされながらの解説でした。皆さん停年後は専属解説者として引き続きファンを喜ばせましたが、北の湖関の師匠だった先代三保ヶ関さんが停年後1年少々で亡くなられたのは残念でした。渋い声で辛口気味ながら温かみもある解説はとても良かったです。
この館内放送の方の声がとても大好きでした。
まさに蝋燭が燃え尽きる前の最期の輝きの典型
この場所だけは北の湖は全盛期を超える内容の復活でした。翌場所も5日目までは完璧でしたが、11勝止まり
大横綱北の湖の、最後の優勝の場所
若嶋津は、まわしがいつもユルいんだよな。
だから、千代の富士に勝てないんだよょょょょー・・・。
若嶋津(現二所ノ関親方)、元気になられてよかった。
これからは、もっともっと松鳳山を鍛えて、三役に挙げてやってください‼️
松鳳山は素質を考えたら精一杯頑張ったと思う
いつもは若嶋津に上手を切られるんですけど、この時はがっちり引いてましたね。
強い強いと言われた北の湖ですが
若嶋津には対戦成績では負け越しています。
北の湖が下り坂の時に上がって来た力士と言う妙もありますが意外ですね。
史上最年少横綱北の湖
あの北の湖が上手も取れていない若嶋津に立ち合い押し込まれてますね。年取って腰が軽くなってるんでしょうね。5年前なら全く動かないでしょう。その後は右から振り回して土俵の外か、あえて上手を取らせて吊り上げるかで料理するでしょうに。どんな天才でも衰えは来るんですね。
同感です。この場所は全勝してるが全盛期の相撲とは違う。4年前の昭和55年春場所では初日から勝ちっ放しのところ朝潮に叩き込まれて初黒星を喫したが、破れたこの一番でさえあの重い朝潮をいとも簡単にパパパンと押し込んでいる。この場所は立ち合いに相手に当たると、そこで一旦動きが止まる相撲が多く、若嶋津戦については軽量の相手なのに立ち合い当たってから、自分の陣地側に押し込まれている。全盛期なら立ち合い当たってから一気に土俵際まで押し込み、用心するが如く一呼吸置いて体勢を整え駄目押しと言った流れになってるかと思います。ファンの自分は、当時は手放しで復活を喜んだが、今観ると尽き果てる前の蝋燭の灯火の様に見えますね。
@@山田市之助-q8l 北の湖、朝潮には、めっぽう、弱かったなぁぁぁー・・・。
全盛期の内容とはかなり違いますが、北の湖なりに考えて相撲を取っていると思います。千代の富士戦でもろ差しに行ったのなどはその典型
@@hariusueki さん。コメントありがとうございます。反論するようで恐縮ですが、千代の富士戦を見返すと、北の湖と千代の富士は前さばきの能力がかなり違っていて、北の湖は差そうと思えば2本差せると考えていた節があります。その証拠に彼らは喧嘩四つですが、右四つにはほとんどなっていません。この場所の一番も、その能力差が出ただけではないかと考えています。
この時代は手を付かなくても、立ち合いとしては成立だったそうで、現に北の湖と同時代の横綱達も付いていないことが多かったようです。
絶対に手を付かなければならなくなったのは確かこの2場所後からです。
みんな中腰で立ってますね。
玉の海梅吉氏が解説を勇退する時に、若嶋津はよほどの事がない限り横綱になると云ってた。思えばこの59年夏の前後場所両方優勝してる、全盛期か。力強さはさほどだが、泥鰌のような動きの良さで晩年の北の湖も本当に苦しめられてた。でも千代の富士には動き負けて不思議と勝てなかった。
敏郎溶鉱炉 優勝した時はいずれも千代の富士かいない時でしたね。
大関・若島津関(松ヶ根親方)も横綱・二代目若乃花関(間垣親方)同様、「怪童」と呼ばれていた横綱北の湖関(現在、協会理事長)を苦しめた数少ない力士の一人でしたね。あ~ら、もう一人忘れていたよ!!大関・二代目朝潮(高砂親方)には、ダブルスコア近くの差がつけられていたね(真の苦手)。
大横綱北の湖関も、若嶋津関には通算で6勝8敗と負け越しているのですね。若嶋津関が大関昇進に近づいた相撲、2回の優勝を決めた相撲のいずれも北の湖関との対戦でした。
この場所は若嶋津関が綱取り失敗でモチベーションが下がっていたのもありますが、横綱が大関に廻しを取らせず、5連敗の鬱憤を晴らす完勝でした。
正面解説大鵬さん、向正面解説若瀬川さんと、何とも豪華な解説陣でした。この頃はベテラン解説者が多く、神風さんは別格として、若瀬川さん、緒方昇(北の洋)さん、出羽錦さん、初代増位山(三保ヶ関親方)さんはいずれも親方業務をされながらの解説でした。
皆さん停年後は専属解説者として引き続きファンを喜ばせましたが、北の湖関の師匠だった先代三保ヶ関さんが停年後1年少々で亡くなられたのは残念でした。渋い声で辛口気味ながら温かみもある解説はとても良かったです。