江戸時代のトイレ事情!身分ごとのトイレと汲み取りの実態を徹底解説
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- Опубліковано 11 лип 2024
- 100万人が暮らしていた江戸の町では、様々なトイレが利用されていました。
江戸の人々はどのようにトイレを利用し、どのように排泄物を処理していたのでしょうか?
今回は、庶民・武士・将軍など身分ごとのトイレと、屎尿(人の排泄物)の汲み取り事情について解説しています。
▼もくじ▼
00:00 江戸時代のトイレ事情
00:40 庶民のトイレ「総後架」
03:06 お金に変わった排泄物「下肥」
05:45 武士のトイレ「内後架」
09:04 将軍のトイレ「御桶箱」
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▼主な参考文献▼
永井義男『江戸の糞尿学』(作品社)
amzn.to/3IeJw2O
渡辺信一郎『江戸のおトイレ』(新潮選書)
amzn.to/41HaSps
石川英輔『大江戸リサイクル事情』(講談社文庫)
amzn.to/3Mubo5L
中江克己『図説 見取り図でわかる!江戸の暮らし』(青春新書INTELLIGENCE)
amzn.to/3LTZ3YK
安藤優一郎『百万都市を俯瞰する 江戸の間取り』(彩図社)
amzn.to/3zgp8ts
他多数
▼主な引用サイト▼
江東区深川江戸資料館
www.kcf.or.jp/fukagawa/
未だにトイレが普及してない国もあると言うのに、くみ取り式と言えど江戸時代からトイレ事情が進んでいるのに驚きです。同じ時代に花の都パリでは、、、
貴族も庶民も窓から外へ投げ捨てていたとか・・・恐ろしいことです
その為に日傘や、つば広の帽子、ハイヒール等が発明されたらしいですね。
上から降ってくる糞尿を避ける為と、道に落ちてる糞尿をダイレクトに踏みつけないようにする為。
香水が普及したのも、入浴をあまりしなかったというのもあるけど、体に染み付いた糞尿の臭いを誤魔化す為とか。
チャップリンの映画でも窓から投げた汚物を浴びちゃうってネタがあったから、1900年代始めのアメリカでまだ残っていた文化みたいだよ
日本は今も昔もトイレ先進国
高校生まで汲み取りだったので、江戸時代の生活と変わりません。
小学校では虫下しを配っていました。
一見チョコレートみたいなタイプも有ったが、不味いものだった。
下肥を使うので野菜には真田虫の幼虫や卵が付いていて、現代のように生野菜サラダなんて食べられるわけもなかった。
僅か50年前の日本ですよ。
駅のトイレも汚くて、できれば利用したくなかった。
シャワートイレなんて想像もつかない時代が長かった。
同年代です中学校の男子小用トイレはコンクリート製の長いながし樋のようなもの
で仕切りなんかは有りませんでした、
中央に直径7センチほどの穴へ流れ込む方式でしたが
度々穴が詰まり水面が上昇し溢れそうになっていました、
掃除当番がほうきの柄を突っ込んでこね回して開通させていました、
もっと評価されていいチャンネル
自分の親父の実家がド田舎だった頃、夜に外のトイレに行くのがめっちゃ怖かったって言ってたな。
だから今自分は築35年以上のボロアパートに住んでるが、室内で水洗トイレで便座が温かいってだけで有り難くて涙が出るよ。
トイレ事情ってその昔大変だったんですね😂今や街中の公衆便所すら水洗、トイレットペーパー完備が当たり前で使ってる現代人ですが、どれだけありがたいことなのか実感させられました🙏
同じ時代、フランスあたりでは窓からや道端に平気で糞尿を撒き散らして悪臭が漂っていたというのだから 日本人の文化度の高さに敬服するしかない。
昔、おじいちゃんおばあちゃんの家はまだ江戸時代のような板に穴が開いただけの恐ろしい便所でした。糞尿が丸見えで、おっきな柄杓ですくって畑の肥溜めに入れていました。子供ながらに便所は落ちそうで怖くて行けず、外の田んぼでうんこをしていました。。
そう考えると、水洗トイレの歴史は浅いですね。
50年ほど前親戚のお百姓家は庭からの田んぼへ降りる境目にトイレ小屋があり
小屋に入ると大きな瓶(かめ)の上に板を乗せたものでした
下肥が品不足で高額取引去れたのは驚きです。私も子供頃は同じ様な雪隠でしたけど、今はウォシュレットでないと用を足せませんからね。
ホントに、現代のトイレはありがたいですね!
江戸時代のは見られるのも嫌ですが、特にニオイが酷そうで、キツいと感じました。
参考になるお話を、ありがとうございました!
良くまとめられていて、分かりやすかったです😊👍
団塊の世代人ですが、江戸時代じゃなくても自分たちが小さかった時
ちょっとまちの裏路地を通る時は、よく古いトイレの匂いがしてましたよ
だからトイレの匂いがすると、子供のころの路地を思い出します
現代の快適なトイレに慣れてしまった私たちには、当時の雪隠は使うのもためらうかもしれませんね
本当に私たちは幸せですね。
動画を見ながら臭ってきそうでした。
田舎で古い家に住んでましたが、ボットントイレでした。浄化槽に煙突?がついていて、換気扇がつけてあったので、くみ取りの時以外は特に匂いはしません。今はウォシュレットトイレですが、悩みがひとつ。誰かが大をした後はかなりキツいんです。くみ取りの時はすぐに下に落ちて、匂いも換気扇が吸うので、臭いと思ったことなかったので、今の方が辛いです。何にでもメリットデメリットがあるんだなぁと思ってます。
下肥汲み取り人(おぃ!!急にどうした!暴れるなー)
お馬さん(ヒヒーン!!)
ドガシャーンドバーッ
通行人達(イャ〜😱臭い~😵💫オェ〜🤢)当時の絵にセリフを入れるなら、こう言う感じでしょう。
多分あっている
江戸っ子が
走って逃げるは
刀と肥汲み
みたいな川柳が残っているww
自分の小さい時は道路向こう三軒の左の家のひとは肥え汲みを仕事にしてました
ダイハチ車の4輪タイプ、前が自在の小輪で、後ろが大輪のゴムタイヤ
荷台の上に桶を何個か積んだタイプ、それを馬に引かせて、いました
懐かしく思い出します
いつも思うんやけど し尿が畑の肥料になることを見つけた人は誰なのか 素晴らしい発見やねぇ でなければヨーロッパのように町はもっと不衛生やったかもしれない
野菜→食事→排泄→汲み取り→畑の肥料→野菜は 最高のリサイクル
きっちり文献や資料から当時の事情を動画化するってすごいなこのチャンネル
臭い肥ほど良い評だと言われてます。
現代でも肉や魚を多く食べると便の臭いが強くなります
飯を食いながら見ているという
中学生の頃まで汲み取り式の貸家だったので、貴重な経験を出来ていたんだなと思います笑
自分は現在50すぎでしかも長野県のど田舎育ちで10代半ばまで汲み取りポットン便所の経験者(江戸時代の便所よりはましだが)夏場のバキュームカーが来た時に家の窓を全部閉めろ!と親に言われたのを思い出す(強烈ですから~(;_;)
9:20 こういう巨大で複雑な屋敷探検してみたい……してみたくない?
いつも勉強になるなぁ💩ありがとうございます🚽✨
いつか江戸時代から現在まで続いている「お祭り」があれば… ⛩勉強してみたいなぁ⛩
雪隠の方が聞き覚えがあるのは自分が関西出身だからだろうか、後架は聞き覚えなさすぎる…
後架‥は聞いたことないですね
昔は公衆トイレや駅のトイレに落書きが多かったけど、今はほとんどないですよね。民度が上がるような何かあったのかな
子供の頃は汲み取り式だったので、汲み取り時の臭いは分かりますw
ご飯時には確かに嫌なものでした。
この時代に再生紙が使用されていた事は初めて知りました!
現代社会の基礎的なものは当時、揃っていたんですね!
おはようございます😊
そうそう50年前はまだ田舎は汲み取り式だし、仮水洗トイレだったので、「ポンコ屋」汲み取り業者のトラックが汲み取る時のニオイは凄まじい臭いだったですね😭あの頃に比べると今の日本は綺麗だし、臭いも無いし、良い社会になりましたね👍周りを見ると感謝だらけの世の中になってますが、現代の若い人はキズキますかねー😅江戸時代のお話ありがとです🙏
この時代から女性はトイレで嫌な思いすることが多かったんだな
母の実家も板の床ノ中央に縦の長方形の穴が空けられた外便所でしたね。冬は寒かったです。
近所にバキュームカーが来るとうれしくてついて回って作業に見入ってました。
将来汲み取り屋になりたいと思ってました。
祖母の家のトイレが汲み取り式+自分が幼い頃は実家もそうだったので、とても親近感が湧きました…😅
何か匂い消しに使える植物🌱とか無かったでしょうかね。
女性が連れ立って行くのは面倒だなーと思いますが、防犯対策としては大切ですね(現代でもそういう事件ありますから)
自分の子供の頃、祖母の家も汲み取り式だったんですが、
庭に松の木があって、祖母は落ちた松葉をホウキではいた後、
葉を細かく刻んで、便器から中に溜まった糞尿の上に捨ててました。
松の香りはかなり強いし殺菌効果もあるとかで、臭いはかなりマシになってました。
あと庭に咲いてる木蓮や金木犀等の香りの強い花を、牛乳瓶に挿してトイレの隅に置いてましたね。
昔の人の知恵ですね。
@@shinagawa_pierrot 自分の子供のころも、汲み取り式でした
はなれの部屋の端にあって脇にヤツデの木が植えてありました
@@user-em1qw2ro4n さん
ウチの祖母の所も屋外のトイレ横にヤツデの樹が植えてありました。
何故でしょうね?育ちやすいのかな?🤔
こういうの見るたび、水洗、電気温水トイレ、ウォシュレットがある現代日本に生まれてマジでよかったと思う
下肥を肥料にする問題点は生野菜に寄生虫が付着すると人の口に入って寄生虫が蔓延ることですね
他国では人糞を肥料にすることはあまりなかったそうですが、江戸の都市化が下水道の発達よりも早かったので仕方なかったかもですね
あと調べてみると人口の少ない地方では下水道のない地域もあって汲み取り式のトイレも国内にまだまだ多いみたいですね
町ではトイレと井戸が近いため、井戸が汚染されて問題になったと聞いていたが。。本当に近いな。。。
今の時代だったら転売ヤーもいたんだろうか…
下肥のその後が気になって仕方がないです
高値で買った下肥がどのくらい役に立っていたのだろう?
ウンコは肥料になるのが想像できますが、尿はあんまり想像できません
尿は尿素やカリウムなど肥料として欠かせない成分を多く含んでいますよ。今の日本はそのほとんどを輸入に依存しています。匂いの問題はあれ、循環社会としては江戸時代の方がはるかに優れていたのでしょうね
水で薄めて液肥にする
親父の兄貴叔父さん赤ちゃん👶の頃ポツトン便所に落ちて死にかけた💀☠️
田舎ではつい最近(50年くらい前)まで、肥え桶から柄杓ですくって
畑にまいてたように思いますが・・・
下肥汲み取り人の身分ってどうやったんですかね?
普通に得た避妊だけど給料は良い
昭和では割と普通に汲み取りローリー
バキュームカーが走っていたような
将軍専用のオマルの御桶箱は絶対にイヤ、耐えられない
ちゃんとケツ拭いてたってのが一番凄いわ
現代でも拭かないようなヤツが居るのに
50年以上も前の話ですが、仕事の後輩は、小さい時、田舎の貧しい農家だったので
紙が高価だったので、棒を二本5メーターほど離して地面に立てて
地上から80センチほどの高さに藁縄を張って、
表のトイレで大をした後、縄をまたいで、歩いて移動して拭き
後、そのまま乾かして棒でたたいて落としたそうです
うう~~ん・凄いなあと思いましたが
60年くらい前には、地方の田舎の方では、そういうところも有ったんですねえ
今はぼっとんトイレはほとんど見られませんね
田舎行けばいっぱいありますよ!
人の排泄物を、肥料として各農家が挙って回収する循環システム。これらのシステムを再構築して行けば良いのでは?輸入に頼るから元気な野菜や果物が育たないのでは?
蟯虫に感染してしまいますよ。
明治35年生まれのおばあちゃんの話だと 戦前まで町家に行って農家は汲み取便所の人糞を買いに行ったそう。牛車にタンゴ(木樽)をたくさん積み込み運搬しました。昭和38年ころ普通にその牛車を見ました。昭和40年代の終わりまで、日本には普通に田んぼには端に大きな肥溜めがあって、そこに買った人糞を入れ発酵させて肥料にしていました。我が家の田んぼにあった肥溜めも昭和48年に私の私立歯科大入学したとき壊しました。田んぼを潰して大きな賃貸マンションを建てたので。
団塊の世代人です、小さい時山や野原の畑や田んぼ、駆け巡って遊んでいました
ときどき、野壺(肥え溜め)にはまってしまう時がありました
自分は足までの経験は有りますが、友達は下半身ズッポリ、と言う時がありました
畑の周りや、中に普通にありました、
夏場なんかは蛆虫が湧くな。
教えてください。伊勢山田奉行所の設立当時、旗本役の支配御組頭(御船手御組頭)が四人派遣されています。僕の調べられる範囲では山田奉行所記念館のサイトにだけ掲載されています。ウキペディアや個人のブログではそのような役職は存在しませんでした。もしかしたら江戸の船手組頭と兼職だったのでしょうか?それとも、途中でなくなった役職なのでしょうか? ご存じの方がおられたら教えてください。
山田奉行所記念館に電話でお聞きしたところ、途中経過は分からないが、幕末は上位同心の役職的な扱いだったと館長さんが言われていました。
ちなみに、サイトに掲載されていたのは以下の内容です。
山田奉行の職務は、「京兆府尹記」に、つぎのように見えており、いまの海上保安庁の役目ももっていました。
一 内宮外宮両太神宮之警衛にして二十一年目毎に御遷宮之節御造営奉行
例年九月十六日神事之節御神事奉行たり
是御役之第一也
一 伊勢志摩両国及山田御神領之分ハ当所奉行支配す尤公事裁判取行ふ
是御役之第二也
一 最寄之諸候変事有時ハ御教書を達し其急を防ぐ南海道之主将紀伊大納言殿江申而倶に防ぎ内宮外宮両宮を守護す
是第三也
一 志摩国鳥羽之港ハ西国船廻送之分風待する所也武具或ハ怪敷荷物あれば是を点見し兼而ハ南海漂流之異国船あれば其筋を尋問し江府江言上し長崎江送る旦ハ御防之一所也
是御役之第四也
また、その機構と人員は「寛文乙巳備忘録」に、つぎのようにありますが、江戸町奉行のそれに比べても、決して劣らぬ充実ぶりでした。
御奉行 二人 御旗本也
御用人 三人 御奉行之手人也
御給人 三人 御奉行之手人也
支配御組頭 四人 御旗本に而又御船手御組頭と称す
与力 六人 御譜代席に而又御船手与力と称す
右奥勤又御家中と称す也
同心 二十人 御譜代准席より御抱席迄に而御船手同心と称す
水主 四十人 御抱筋に而御船手水主と称す
右御組又組方と称す也
ネットで調べても出て来ない情報は、図書館に行って地道に書籍を調べたら見つかる事があります。
アナログな手段も時には有効ですよ😊
@@shinagawa_pierrot ありがとうございます。地道に調べてみます。
同じボットントイレでも、この当時は殺虫剤を入れていなかったのだから、長屋のハエ事情が恐ろしい。
ボットンと肥溜めはちょっとちがうかなぁ。
うち30年前くらいまで瓶埋めただけの肥溜めあったけど、意外にもそんなに臭わない。多分なんか発酵的な事してる。普通のうんこの方が臭う。
…ハエも沸かなかった…なぜだろう。
@@234funtafufu3 尿を分けていたとか?
いや、両方やってたなぁ。
フレッシュなうんこの方が臭かった気がする笑
@@234funtafufu3 土に直接触れていたとか?