【ゆっくり解説】関羽と張飛に関する一考察
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- Опубліковано 14 жов 2024
- 今回は久々の三国志ネタです。
正史準拠の関羽と張飛の歴史的功績と、現在を生きる我々への教訓についてです。
コメントは承認制です。
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#歴史
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この2人の悲劇は属している集団が大きくなったことに対応できなかったこともあるのではないでしょうか。初期の劉備たちは小規模な私兵集団で、当然率いる兵も少なく漢気といったカリスマ的要素が統率にもたらすものは大きかったでしょう。しかし三国の勢力が固まり、戦闘が数万人単位の師団級のぶつかり合いとなると徴兵された兵士や文官、地元豪族の私兵などが加わり徐々に劉備軍の内実は変質していったはずです。なまじ優秀だったばかりに2人はプレーヤーからマネージャーへの変化を迫られることなく成功を続けてしまい、あのような結末を迎えたのではないでしょうか。
誰が言ったかは忘れたけど「どれほどの才能があっても、仕事ができても最後の最後は人間力で決まる」って言葉を思い出しました。
30分が全然長くなかった。素晴らしい動画でした。
自社の中なら上司にハッキリ言う奴で済んでも、関羽の場合は他社に喧嘩売ってるからな。サラリーマンなら余裕でアウトよ。
下に寛容な関羽が上で、上を敬う張飛が下ってのは理想的なコンビだったんだろうな。
一つのチームの内は最善の補完関係
それぞれ出世して一国一城の主なったとたん、補完関係を喪失してその欠点から自滅
22:27
ここの「ああ!張飛が死んだ!」がほんとに魂の叫び感あってなあ…。張飛の態度に嫌な予感を覚えていたことといい、劉備は職場の人間関係にめっちゃ気を使ってたであろうことが端々からうかがえて、それでもこの結末が避けられなかったというのがやるせない。
関羽も張飛も年の若い者や能力の低いものを見下すところは共通していてそれが原因で死に至る。やはり劉備と共に3人揃っていて力を発揮するということなのかな。
そんなやべぇ二人を手足の如く扱っていた劉備さんの凄さよ
実際、蜀というか劉備陣営の凄さは劉備のカリスマでもって多彩な人材を使いこなして組織運営をしていたところですからね。
劉備病死以降の衰退を見るに人材不足や勢力差といった単純な力負け以上にまとめる大将がいなかったことが大きいように感じます
久々の三国志動画ウレシイ・・・
蜀漢の泣き所はとにかく人材の層が薄い点で、関羽にせよ張飛にせよ、馬謖にせよ魏延にせよ、使い方が違えば馬脚を露さずに活躍できる人達を無理に抜擢して、向いてない仕事まで任せざるを得ないが故の悲劇だと思ってます。
関羽も張飛も非常に有能だけれど彼らを御し得る存在(劉備)のコントール下にあってこその人物ですね。物語なのでは?と思えるほどに欠点が対照的で、非常に興味深い2人です。
呂布亡き後、赤兎を御せるのは関羽のみであったが、彼もまた赤兎であった。
劉備ですら御しきれていたかは微妙なのだから。
ある意味、曹操が劉備を評価していた最大の基準は「この二人をしっかり制御していたから」なのかもしれませんね。
正史かどうかはわからんが、
曹操「呂布と陳宮は劉備に使わせりゃええやん」
ってのも納得
将に将たる才は兵に将たる才よりも稀有だからね。
魔獣使いかな?
@@cookdoodledoo8142
蒼天航路でなんか曹操が言うてた様な
@@オイラッハフォンヘイミン 魔獣使いwwなるほど。そうかもしれないですね。
三国志きたあああ
演義での超人的活躍も嫌いじゃないけど、正史準拠で考察してもらえるのは楽しみ
三国志演義の力って改めてすげぇって思いました。エンタメとして優秀かつ史実を部分的に抜き出してるので現実とリンクしている。
三国時代に興味を持たせる力がすごく強い上に、正史も演義以上に奥深い
完璧超人より難点あった方が人間臭くて好きだな。歴史上の偉人でも人間的な欠点があると「彼らも一人の人間だった」と思えてくる
やっぱり3人セットで丁度よかった人達なんだろうな、でも関羽1人だけ神様になってるのも面白い
その最期からこの世に強い恨みを持つ悪霊として恐れられ祟りを鎮める為に祀られていたものが、
道教や仏教で鬼将神将と使役されている内に設定が盛られまくって遂に関聖帝君になったみたいですね。
劉備は大敗から心身を壊して病死、張飛はパワハラの末の順当な暗殺という身から出た錆なので世間からの同情や関心は薄かったのかも知れません。
張飛に人望がアレば、肉屋(or食肉加工業)の神様に祀られたのかな?
それ!
小さな組織の内は破竹の勢いだけど、組織が大きくなってそれぞれが分かれちゃうと自滅していくっていうパターンは古今東西問わず多いですね。
なんだかんだ二人ともSSR級に有能なんですね、劉備はスタートのガチャから持ってるなあ…。
関羽は、確か補佐に諸葛亮付いてたはずだし、益州攻めの序盤に龐統が事故死しなければ、ここまでやらかさずに済んだかも?
陳舜臣先生作の秘本三国志だと・・・
関羽・・・大体動画のことをやらかす。「孫権の色狂いに娘をやれるか!」⇒当然孫権ブチ切れ。「よくも補給を怠ったな。貴様ぶち殺す」⇒当然糜芳ブチ切れ。
で荊州失陥した際には上記の二名と呂蒙に見苦しい罵り声を浴びせ、捕まったときは誇りと忠義のために降伏拒否・・・ではなくプライドが高すぎて「嘘だこんなの」と茫然自失の軟体動物状態で早く斬ってやった方が情けというような最後を迎える。
張飛・・・部下いびり(時には殺してしまうときもあり)の際は恨みを買わないように身寄りのない者をターゲットに⇒兵達からは「なんて心の汚れた将軍だ」とますます恨まれる。
関羽の死も一時は悲しんだが、激情家故に恩讐ともに長く続かず、けろっとしている有様。部下への乱暴も関羽の死への悲しみや仇討ちへの意気込みではなく、真正サディストだからというまじで自業自得以外の何物でもない最後を迎える。
正直あり得そうといえばあり得そうなんだがこうとは思いたくないなあ・・・。
以前の解説で関羽張飛をやるって言ってたのでずーーーーっとまってて良かった
2人に加えて簡雍とかも居るわけで高祖とまでは行かないけど劉備のリセマラ運凄いですわ
地縁的にも親の都合もあったりで離脱しちゃったとはいえそこに陳羣(荀彧の身内)や田豫も加入してたかもしれないという
他の方も書いてるけど、関羽張飛の欠点は、逆に劉備陣営でずっと必要だった属性であり強さであって、あまりに拡大が急過ぎて、本来専門職である彼らに総合力を要する独立権限を与えざるを得なかったのが辛みかなあと。
蜀の重要人物、権限急拡大の後に自爆死とか敵の謀略にはめられるの多過ぎ。
管理職になった人が「平の方が良かった。
言われたことをこなしていれば良かったのだから」と言っていたのを
ふと思い出しました。
「俺は有能なのになぜ(怒)」とキレているのは大抵関羽タイプですね。
諸葛亮や陸遜が単独なのはそれだけの功績があると陳寿はみているという事なのですな
陸遜は彼の「活躍のみ」を考えると三國志内でも超絶優秀なんですが、あのタイミングで蜀を叩いた➡️魏を救ったのは、呉が魏に勝る勢力になる可能性を完全に消し去る行為でしたね
まぁ、彼が統括したのは方法であり、方針では無かったかも知れないので陸遜の評価を下げる根拠にはならないかもしれませんが。。。
解説にもありましたが列伝は(製作者が)同列(と見做した)の人間を一括にして1章を構成するかたちなんですが
孔明や陸遜と同程度の職務(おそらく内政と軍事双方共ににそれなりの地位、結果を出した)者が相対的に蜀と呉にいなかったという判断なんでしょうね
魏の場合そうゆう存在は曹操自身で彼は本紀に"武帝"として当然単独記載されているのであまりそういう視点(単独記載)が気になることはありませんが
張飛は軍人的な、関羽は武人的な気質が失敗に繋がっているような
上から言われた通り素直に結果を出力してくれるんだけど、そのやり方が乱暴極まりないせいで下とのギスギスが絶えない張飛と、
下に対するリーダーシップや責任感は人一倍なんだけど、自分がやりたいようにやりたがるせいで上としてはひたすら扱いに困る関羽、みたいな
任侠気質ぽいですが、同じヤの字でも
関羽→高倉健
張飛→力也
なイメージがw
人権なんてものはなく、人の命の価値がそれこそ羽毛ほどの重さしかなかったであろう時代に、「このまま手をこまねいたらアイツに頃される」なんて周囲の人間に思わせちゃダメってことよな・・・
この二人は、諡の意味も考えると奥深いですよ。性格に難があるけど凄い(壮)つつましいが誤りがある(穆)の併せ技の関羽、凄いけど性格が激しく終りが良くない(桓)の張飛。諡をもらえるだけ凄いのですが...諸葛亮の忠武は破格の諡なんですよね 因みに、孫権の兄さんも桓です
張飛の最期については現代の作家達も扱いかねている部分があるようで、北方三国志なんかは完全にオリジナルな死に方になっていましたね。
久々の三国志動画楽しみにしてました。
現場で武将として活躍できても、そこから出世して政治の世界でも才を発揮できるとは限らない…人生は上手くいかないですね
関羽って記録に残ってる戦績(劉備配下として戦ったであろうモノも含めて)4割ぐらいしか勝っていないんですよね
一方の張飛は6割近く、赤壁以降では8割にも達するんですよ、関羽ってのは評価が難しい人物です
その敗戦にしたって、負けることが決定的という前提で、いかに被害を抑えて撤退するか
という戦いに挑むパターンもあるわけで・・・
関羽と張飛。自らの傲岸な言動で身を滅ぼした英雄と言えるのですが、古今東西、この二人と同じような傲慢さで自滅してしまった人物、あまりにも多すぎるんですよね・・。
ゆっくり早苗さん、再登場ならず。
関羽張飛は演技の超人ぶりと正史のギャップが大きいけど、正史のほうが人間味が出てる分味わい深くて魅力的に感じます。
三國志を知れば知るほど劉備さんがいかに傑物だったのかが理解できるのが楽しい。
その息子ときたら...
@@ぐでたま072
あれはあれですごいと思う
戦乱の世できちんと天寿を全うした訳だし
晩年の部下へのパワハラが原因で最期が決まったあたりなんとも言えない所が似てる義兄弟。
10:51 これに関してはガチで橙は親の顔を見てた期間よりこの勢力図を見てた期間が長い気がするww
てかやっぱり下手したら樊城で魏国は滅亡仕掛けてたんやなって。
蜀は人気者というよりは任侠ものなんですね。
まぁ、旗揚げの経緯から、蜀を得るまでの流れを見ても、カリスマの元に集まった無頼の徒が国造りしたようなもんですしね。劉邦も似たような感じで旗揚げしたこと考えると、400年近い時を経ても一族なんだなぁと思えてきますねw
※中興の祖である劉秀も半分ヤクザもんみたいな徒党が最初の部下だったし、ほとんど本拠地らしい本拠地なし状態で更始帝との戦いを始めざるを得なかった辺り、劉一族の定番なのかも?
正史とか史記とか読んでると程度の差は有れ、傲慢さで身を滅ぼしてる人がぞろぞろ出てくるよね。
張飛に関しては一考の余地あり、劉備は張飛を諌めながら、司隷校尉に任じている。
諸葛豊が節を失って以来、弾劾権はないも同然だっけど、張飛の先に曹操、後に諸葛亮は節持ちの司隷校尉になって権力を振るっている。このような役職を劉備は張飛に与えている。劉備は心配しながらも張飛の果断で残酷なところを利用していたと見ることもできる。
少ない情報からだけど張飛の死は劉備にも責任があったのではと、私は愚行するのですわ。
長官ではなく、副長官程度が適任なんですよね。上がいないと際限なくなる。
たしかに『司隷』校尉(首都圏の州知事)といっても司隷(司州)を押えてるわけでもないし
仮にこの司隷を単純に『首都』という意味であると読みかえても益州しか領有していない当時の蜀ではほぼほぼ意味のない官職で(成都周辺は皇帝が直轄すればいい)
ご指摘のようにこの司隷校尉のもう一つの職務『首都官庁の官僚の弾劾』に特化した役割だったんでしょうね
ここからは推測になってしまいますがこの『官僚の弾劾』も張飛が生粋の武人であることから考えれば
『法に照らし合わせてお前を弾劾する』的な現代の監察官的な役割ではなく
どちらかといえばKGB的な『政権に不都合な言動の知識人を取り締まる』的な役割が期待されていたと推測されますね(^_^;)
張飛は単に規律を厳格に執行し過ぎていただけという説も強いですよね
動画内でも仰ってる通り、演義のイメージのせいで粗暴な酒乱馬鹿みたいなイメージになってますが
正史では知力が低い話は無く、むしろ文官・監察官・法執行系の役職就いたりもしてますし。生真面目なインテリ系だった可能性も高いという
本当に演義のように雑な人間なら、軍を長期間動かして勝ち続けるとか出来ないですしね
しかし「飛暴而無恩」、自分が恩のある相手すら法に反せば処罰する、それが当時の中国だと恨まれるものであるのはお察しで
という説
法による統治を厳しくしすぎたせいで悲惨な最期を遂げた商鞅の故事に漏れず、中華世界では法による厳格過ぎる統治によって儒教において重視される徳を損なうのは、法を守らないより嫌われますからね。
張飛の立場からすれば「俺が決めたんじゃなくて法律でそうなってるんだから、従わないやつに厳しい刑罰を与えるのは当然だろ」となっても、受けた側からすれば「こっちにだって事情があるのに、一切酌んでくれない将軍は、人の心がない」と取られるもやむを得ないかと。
そんな人望が今ひとつ欠ける状態にあって、劉備が旗揚げしてから夷陵の直前という殆ど最期まで行動をともにした立場だったからこそ、演義で劉備のダークな面を全部折っかぶらされた上で、酒乱といういつの時代でも他人に嫌われる要素のトップ10に入りそうな要素を盛り込まれたんじゃないかなと思いますね。
何が凄いってこの性格のままで現在は物凄い神様になってること。
時に我を張り続けることも重要なんだな、と思い知りました。
協調のための妥協か、それでも自分を貫く意志力か。考えさせられますね。
何千年経っても、人間の本質って変わらないなー。
関羽と張飛の漢気溢れるところがファンタジー多めではなく、正史に多くあって嬉しいです。
関羽の「現地のお友だち」作戦を見習いたいのですが、生き様の違うの私のような素人が真似をしたら優柔不断になるので無理かなと諦めました。
言うほど頭良くない関羽と言うほど馬鹿ではない張飛
そして言うほど聖人君子ではない劉備
少なくとも張飛の知力が馬超に劣るというのは明らかにおかしい
頭が切れても、振る舞いが粗暴だと、知性が感じられないというのが人間の基本的な人物評ですからねぇ。
粗暴な輩に限って、「どこまでなら相手が我慢するか」を見極める悪知恵があるケースも少なくないんですが。
最近ゆっくり解説界隈の動画時間が平気で30分超えるようになったのってやっぱり、ゴシップさんの影響なんですかね?
ワイは得しかしないのでもっとやれって思ってるけども。
部下を大切にしているつもりが、実は恨まれており、背かれる
ままあること
本人は「飼い犬に手を噛まれた」などと思っている
二人共当時最高の武人だったのでしょうが、分不相応なポジションになってしまったのが運の尽きか
流浪の集団が急速に領土拡大したのも遠因てしょうね
孔明が関羽に宛てた返信でも人間性がわかりますよね
うぷ主さんがどのような切り口でくるのか?楽しみです!
関羽「あとで覚えとけよ( ゚д゚)」はマジで怖い
「残念だが当然、関羽らしい最期と言える」って某Jの創作言葉がそのまんま当てはまるってどういうことなの…
関羽は欠点も含めて、民衆に愛されて神になったんですかね。なんで商売の神なのか不明ですが・・・。
元々塩屋だったからじゃないのか。
メンタリティは地方の一侠客のまま、なまじ能力は全国で通用するクラスだったというのが不幸かも…。
しかし、関羽の『社会的地位を気にせず人を評価する基準を持っている』って、見ようによっては美点なのに、晩年は悪い方向にばかり出ていたというのはハッとしました。
呉でも周瑜が「関羽と張飛を得られれば大事を成せます!」と称賛してますからねえ。
武将としての能力は非常に優れていたのは間違い無いでしょう。
ただ劉備軍の規模が拡大し彼らの地位が向上した結果劉備や諸葛亮の目の届くところにいた時期には何とかフォロー出来ていてた欠点によってとんでもない事態を引き起こしちゃったんですね。
周家の御曹司には尻尾降りそうな張飛ならともかく、意外な事に関さんも周瑜には高評価なのは能力で評価してるんですかね、あの人
張遼や徐晃とは仲いいし諸葛亮も認めている、孫権を馬鹿にしているのは戦に弱いからか
@@nomoney8296
たぶん孫権は状況次第でどっちにもいい顔をする蝙蝠的行動が信用出来なくて嫌われたんだと思います。曹操の天下統一、劉備の打倒曹操の様に一貫して無いと見えたのでは。
周瑜は呉のナンバー2で主君に忠義を尽くしてましたから出自は関羽の嫌いな名士でも本人の立場ややってる事は関羽にとって好ましいものだと思います。
魯粛も同じく。
@@津多英明 周瑜の下に付けられた程普がヘソ曲げてた時も、周瑜はあくまでも丁重に扱う姿勢を貫いて結局程普が根負けしたって話もあるし、意外と周瑜とは相性良かったかもしれんね
まさかのホーナー
年がバレますな
20:27~の流れ、どっかで見たけどなんだっけな〜と思ったらゆっくりルーザーズだ!
二人共劉備だから完璧に扱える人材であって一番上にするには問題な人物ででも二人に頼るしかない内情が不味かったですね
そのまま劉備に仕えていたら二人と同格であったであろう田豫であれば政治的センスも兼ね備えているから一方面を任せるに足りたかもですね
無論充分過ぎる能力のある諸葛亮がいるには。いますけど、他に使いたいしねえ
魏は勿論として、全てを任せられる都督が次から次へ出てくる呉も蜀からしたら羨ましいでしょうね
諸葛亮は馬謖にそういう存在になって欲しかったのかなーと
関羽が徐晃と親交があったのは(おそらく)徐晃が関羽と同郷(河東郡)だったからですね
正史の裴松之注『蜀記』で晩年徐晃と再会(曹操旗下にいた時友誼を結んでいた)した時
関羽が徐晃を『大兄(兄貴)』と呼んだのも同郷の先輩格を敬っての事(関羽そういうとこうるさそうw)なんでしょうね😗
うp主カカチャンネル好きすぎるんよwww
珍しくベタなネタだと思ったけど、2人一組で語るのは珍しいかも
性格より急成長した劉備軍が蜀と言う国としての組織作りが間に合わなかった感じするわ
トップはカリスマモンスターでそこに戦をすれば負け無しレベルの猛将が揃い、その上孔明とかいう智謀の鬼兼仕事の鬼兼大発明家までついていて、それでも魏には勝てなかったというのが何とも凄い話。
やっぱり曹操って物凄いんだなぁ。
各地方の最強キャラとある程度、もしくは互角に戦える奴(曹仁、徐晃、張郃、張遼等)と頭脳が多すぎる(荀彧、荀攸、曹操自身、司馬懿)のはヤバいですね。
曹操は人材コレクターだし質で言えばダントツだからなぁ
質はさておき、数がぜんぜん違うからなぁ・・・
劉備陣営の演義で言うところの五虎大将軍に匹敵する人材が、曹操陣営の場合、彼の孫の曹叡の時代ですらゴロゴロ輩出されているくらい兎に角層の厚さがエグい。
おまけに、食糧生産高がぜんぜん違う=人口が違う上に、中原地域は中華世界で最も文明化されている地域なので、軍の中堅を担う将校クラスに成りうる人材も圧倒的。
逆に言えば、アレだけの人材が劉備の陣営に加わっていたから、蜀漢が30年近く生き延びれたと言えるかもですね。
郭嘉が長生きしてくれてたら…
気のせいだったら許してください。孫権の娘さんなら美人さんだったかもしれないと思いうので、ちょっぴりもったいない気もしました。理由は何であれ、お断りするのに「使者を罵倒したらアカンでしょ」「せやな」
特に縁談は相手のお嬢さんのお立場もあるのだから。関羽にはこういう配慮のなさで「そら恨みを買うわな」ということが他にもあったかもしれないと思いました。でも、関羽も張飛も人間味溢れる魅力的な漢たちだったのは間違いないですね。
橙ちゃんのおっしゃるように「人間関係に気を付けます」o(`^´*)
現代人で当てはまりそうな人を雑に思案して… まだ存命だけども ホリエモンってこの二択なら関羽型ですかね??
むしろひ〇ゆきの方が関羽型に当てはまりそう。
@@yamasan_p9077
ひろ◯きは、楊戯だと思う。
歴史は現代でも勉強になるなあ
いつも愉しく拝見しております。
関羽への縁談の件ですが引き抜きの可能性もですが、劉備の立場からは【引き抜きを受けてる】様に見えて荊州の支配権ごと
他国へとも見えるのでハッキリと【不遜に】対応したなんて思ったりもしてました。
まぁ性格も有るでしょうが、荊州の支配権で対立してるのに縁談とか提示されても関羽の当時の状況でどんな風に見えたのでしょうか。
まー関羽の子の結婚は孫尚香が劉皇太子を拐おうとしたために、あんなことする奴らに虎の子を渡せるか、となるのも納得ではあるが、それは劉備に言わせるべきだったですね。
ただ一言「自分には決める権限がないので、兄者か孔明のところに行ってくれ」と言えばよかっただけですからね。
まぁ、その一言が言えないor言えなかったからこその魅力と言えばそうなんですが・・・
皆さん・・・長所・短所なんて言いますが・・・長所は短所で,短所が長所になる事なんて普通にあるんですよ.
関羽の場合・・・
①武芸に秀でて勇猛果敢
②義に厚く,情け深い
③名声を得て誇り高い
などなど・・・最後はこれら全部裏目に出て完全敗北してます
誇り・プライドが高いのは自信につながり他者からの信用を得やすい.義に厚いのは通常は良いこと・・・でもシチュエーションが異なれば・・・傲慢でお節介で,赤字覚悟で他人助けて自分の会社が倒産なんてことも・・・
自分の性格で欠点だと思っても,逆にそれで助かる・救われることだってあるんです.他人を評価する時も,この事をしっかり理解しましょう
関羽の麾下に硬骨潘濬がいたことを思うと胃がキリキリする
今までの復習を兼ねた内容ですね。
もし張飛が夷陵に参加していたら結果は変わったのだろうか…。
益州攻めのときには諸葛亮が荊州に残ってたから龐統が死ななければ諸葛亮が荊州の政治担当兼関羽のストッパーになってこうなることも無かった可能性
つまり龐統を射殺した張任が悪い(暴論)
つまり、張任に「やつが劉備だ」と誤解させた的蘆が悪いw
的盧「オレに乗せた馬主が悪い」
てか的盧ってこの為に用意された馬…??
待ってました
やっぱりこの二人を比較的制御出来てた劉備は凄い人なんだなぁ
張飛実は関羽より大軍扱っているし知将だったりするけど酒癖の悪さとパワハラが致傷になってしまった
関帝もなあどうして・・・・なのですよね
関羽は樊城を長期間包囲してる時点で張飛より大軍指揮する能力を発揮してますよ
どうしても総合力で関羽の方が優れてるイメージあるんだよな。。バイアスなしで三国志見れないな。。中国人の意見聞いてみたいですね
旗揚げ時点で絶対裏切らない中華屈指の猛将が2人もついてるなんてチートですがな
ただし、改めろというアドバイスを聞かないのと独断×持ち
裏切らないけど裏切られてしまう2人😢
8:53 この時に関羽が襄陽太守に任命されたとある一方、樊城の戦いの時の襄陽は魏領だった気がするのですが、いつの間に魏に奪取されたんですかね?
襄陽は208年の侵攻以来ずっと(実効上)魏の領土ですね
ややこしいのは劉備も孫権もこれを認める立場にはないので「今ちょっと揉めてる(笑)けど(うちの立場としては)襄陽の太守は関羽」ということで関羽を襄陽太守に任命したということですね
(※厳密には郡太守の任命権は中央政府(朝廷)にあるのが基本なので「荊州牧たる劉備が襄陽太守には関羽を(朝廷に)推挙する」という形式になろうかと思われます。無論朝廷は敵である曹操が握ってますので実質的には劉備勢力の自称、公式見解程度の話になるかと思われます)
これは例えば北伐の時、魏延が督前部・丞相府司馬と同時に(まだ領有していない)涼州刺史を拝命したりしてますし
乱世で各勢力が勝手に領域を主張してたりする都合上よくある現象ですね(^_^;)
余談ですが現在の中華人民共和国も台湾を『自国領』と主張してる手前
『まだ実行支配していないけど”台湾省”を行政区画としては公式に設置』
していたりするのはこれと同じ話ですね(確か今はもうやめてるけど韓国・北朝鮮間でも似たような事やってた……はずw)
話を戻して、史書にはこのことは「関羽を襄陽太守に任命して長江北岸(地帯)を守らせた」とあるので
当時劉備が公安(地名。有名な長坂の南、長江を越えた南岸)に開府していた左将軍府(劉備陣営の事実上の総司令部)&(劉備支配下の)荊州治所(州都)の北の守りとして
長江を挟んだ北部に関羽を配置したということかと思われます
@@kappanouen
大変詳しい説明ありがとうございます!!
孫策が死んでいなかったらまだ違ったんだろうなぁ
やってることがやってることだからなぁ・・・
張飛が范彊たちに暗殺されなければと同じで、遅かられ早かれ最期は・・・
それでも、もうちょっと長生きしていれば息子が育っていて、孫権ではなく孫策の息子が孫呉の3代目になったかもですね。
関羽・張飛「パワハラ、ダメ絶対!」
ドラえもんの主題歌的な感じで
関雲長「樊城を楽に、落としたいな~」
元皇帝「はい、回回砲~」
改めて樊城の戦いをみると、ホントに魏国大ピンチだな
当時の曹操陣営の状況を想像しただけで頭クラクラするわ
三国志の話も既に4ヶ月も前で関羽や張飛の話に至っては3年も前の話だな
蜀の劉備はあくまでも盟主って感じで帝位に就いてもこの二人や派閥から色々取り上げきれず死んだ感じがなあ…劉禅や孔明はようまとめたわ
ホーナーが2試合で4ホーマーって例えが
世代だからめちゃくちゃわかる(笑)
一旦信用ならないと見た人間はどんなに偉い人でもゴミのように扱う関羽みたいな人いますからね
| ^o^ |わたしです
この扱いにくい両極端の二人と組んで、天下を狙えるところまでのしあがった玄徳の器の大きさって...。荊州を預かる関羽の振る舞いは臣下ではなく、同盟者。
浸透襲撃さんがどういう切り口でやるのか楽しみです。
関羽の「お友達作戦」は当初荊州にいた諸葛亮が種をまいていたのかも知れませんね。
関羽が孫権を軽んじたことについて疑問に思ったのですが、その時点での孫権の漢王朝における官職はどの程度だったのでしょうか。
動画の言う通り外交上は最下策で、漢の官職が有名無実なのは承知していますが孫権の官職が低い場合、漢王朝を背景にしている関羽からしたら「皇族の臣下第一位の自分>孫権」が成り立ったのかなと思いました。
漢の丞相である曹操に歯向かっている時点で漢王朝の官職を無視しているので矛盾してるとは思いますが、有識者の方にご意見をいただきたいと思います。
ゲームだと張飛の方が武力(個人戦闘力)が高いけれど、演義を見ると、関羽の方が無双してるという…(まぁアレは、神様関羽の物語でもあるからなー)。
桐生ちゃん「力を持った人間はよく道を間違える…だから人間なんだ」
そう、度し難いな❗️(ロイエンタール
武勇に長けた研究者、内政向けの軍神、有能お坊ちゃんチーマー
バランスいいと思ってしまった。
それに修羅道インテリがくっ付いて国作れたんだなぁ。
関羽と張飛がいて鳳雛と伏龍もゲットしてる劉備が天下を取れなかったのはナンデカナー?w
まあ誰も漢の復興なんて望んでなかった訳なんだが
鳳雛が早死に&これに変わる人材も居ない→荊州から伏龍持ってこざるを得ない→関羽が1人荊州に残る、あとはお察し、
鳳雛と後、法正あたりが長生きしてないと、
んで、魏は人材豊富、武官→夏こう惇、夏こう淵、張遼、徐晃、張コウ、曹仁、楽進、
文官→荀1 族(荀 彧代表)、司馬い、賈 詡、程昱 うーん、コノ!!
そりゃ、劉邦に簫何が居たけど、劉備には彼に匹敵する兵站の神様が居なかったからじゃないですかね。
あと、項羽は自ら有能な将帥・軍師を粛清したり遠ざけたのに対して、曹操・曹丕・曹叡は名将・軍師を自らかき集めていたのも大きいかと。
関羽のドロップキックは判定厚くて持続長いから重宝したなあ。
敵を軽くまとめてから画面端までどんどん押して行ったり、
ダウンが取れてダメージが低いからボスでの雑魚残しにもめちゃ使える
自分も関羽的だな。まあ信念が先に立って不器用だよねえ。
昔の中国文語今の普通語と全然違いますね。まるで文章全体が漢詩のよう。
今回は天地を喰らうか
カカチャンネルのしくじり企業フォーマットは失敗解説にぴったりやな。
ホーナーの名、何十年ぶりに聞いたわw
燃えプロのホーナーがやばいと思いました😃(昭和小並感)
五虎大将軍って公式カップリングだったんか
張飛の低地力はまさにその曹豹の辺りじゃ無いです?
『上の言うことを聞かず下に対しても当たり散らす』私は関羽と張飛を足して二で割った最強かもしれんわ🙂✨
足したあと4くらいで割ってませんか?
昔なんかのスレで【こうなっていれば蜀が最強だった】みたいなスレが有って、そこのレスに
・嘘をつかずに借金をちゃんと返す劉備
・初対面のイメージで人物評価しない諸葛亮
・素直に上司に相談する龐統
・目上や同僚にも一定の敬意をはらう関羽
・部下に優しく親身になってやる張飛
・山に登ろうとしない馬謖
・人当たりのいい顔をした魏延
・赤ん坊を拾おうとしない趙雲
ってのが在ったなぁw
関羽、張飛ともに100人ぐらいの部隊長が向いてたけど、方面軍司令官みたいな仕事やらせない方がよかったんだろう。
とはいえ、経歴実績からして、彼らを差し置いて他の【向いている】と思われる人材を抜擢したら、それはそれで彼らの不平不満が溜まって、いずれ爆発する可能性もあったでしょうし・・・
なまじ有能な古参なだけに、扱いが非常に難しくなっていたというも事実なんでしょうね。
略奪をしなければ資材が足りないから略奪し
そんな状態なのに、捕虜をもてなす
加齢で頭がボケたのを疑うレベルですね
多分彼の頭の中では、
略奪=劉備(自分)より格下の孫権の領土なんだから、自分の領土で徴発するようなもんだから文句ねーだろ
捕虜厚遇=敵ながら苦しい状況下で最後まで奮戦した忠義の士なんだから、これを饗さないのは自分のプライドが許さないし、劉備の名声にも傷がつく
って構図だったんじゃないですかね。劉備陣営内ならともかく、他や孫権からすれば「バカジャネーノ」の一言ですが^^;
儒者が尊ばれる世界で、侠客として名を成した者が大規模勢力になったからといって儒者に成れはしない。
関羽も張飛も生涯侠客として振る舞い、侠客としてあり続けるしかなかった。その果ての最期だと思っています。そのほうがカッコイイから(笑)
うーん、もっと伸びると思ったけど、関羽と張飛って人気ないのかねえ・・・関羽は神としてあがめられるが、張飛は人間としての(欠点含めた)魅力しかないってとこか。