【ゆっくり解説】北伐に関する一考察(街亭の戦い登山編)

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 1 лют 2025

КОМЕНТАРІ • 256

  • @河野伸也-x6p
    @河野伸也-x6p 9 місяців тому

    焦って自滅した奴か… いつの世もある話やね………

  • @apuro66661
    @apuro66661 4 роки тому +29

    このシリーズは自分の頭で考えた自分の言葉を自分のペースで動画にしているから見ていて面白く感じるんだろうな

    • @ティーン-e5v
      @ティーン-e5v 3 роки тому +8

      仕事でもインプットしたままの情報より、そいつの理解の上でそいつの言葉で説明してもらった方が遥かに分かりやすいしその後の仕事がやりやすくなる。
      ホントこのチャンネルは凄いですよね笑

  • @ぱーちん-n8h
    @ぱーちん-n8h 2 роки тому +3

    王平みょん可愛い

  • @ごっつぁん菩薩-h3f
    @ごっつぁん菩薩-h3f 3 роки тому +9

    主さんホントに歴史という学問を楽しんでらっしゃる
    面白い動画をありがとうございます

  • @kagikko21
    @kagikko21 4 роки тому +13

    本当にいつも鋭い考察で感心させられてしまう。
    次回も期待してます。

  • @ささきまぢだ
    @ささきまぢだ 2 роки тому +1

    ハヤテのごとくみたいなノリがいいね

  • @勇拗侃
    @勇拗侃 4 роки тому +73

    朧山を封鎖しようといたら、既に魏軍が突破していた…。
    突発的な遭遇戦に突入、しかし戦力の差は大きく徐々に押しきられ、全軍崩壊を避けるためにやむをえず後方にあった街亭の山に逃げ込み立てこもった。
    その後は有名な話の通り。
    的なことをずっと考えていました。

  • @okie42
    @okie42 2 роки тому +2

    みょんみょん言ってればいいんだよ!w

  • @dexiuxinbao8862
    @dexiuxinbao8862 3 роки тому +2

    負ける奴ってのは、勝つ側に殆ど見えてしまってるんだよな。
    その上、相手の分析に集中しすぎていて、自分の弱点を理解していない。

  • @ちっちゃいちゃん-g6s
    @ちっちゃいちゃん-g6s 3 роки тому +30

    19:02 辺りからの馬謖の言動や思考、正に劉備が遺言した「馬謖は実力に似合わぬ背伸びをする、重用するな」って点だよな。

  • @exjsdpeg
    @exjsdpeg 4 роки тому +2

    2020年11月15日現在は、馬謖の関連ワード登山がBEST3に入ってたww

  • @simonwilliamson547
    @simonwilliamson547 4 роки тому +2

    クビ(物理)笑笑

  • @誇り高きあのオパビニアの子孫

    悲愴的な音楽と内容のマッチングがとても良い

  • @1おおひるめ
    @1おおひるめ Рік тому

    色々納得できたけど、やっぱり時間稼ぎに集中してたら歴史は変わったんじゃないかなぁって思わざるを得ない

  • @ヒトカゲ-w6j
    @ヒトカゲ-w6j 4 роки тому +7

    楽しみにしていましたよ。

  • @山本-r2i
    @山本-r2i 4 роки тому +58

    麻雀で例えれば、安い手でも上がれば勝ちなのに役満目指して逆転負けした感じかな

    • @papapandoki3862
      @papapandoki3862 4 роки тому +10

      目の前の美味しそうな餌に飛びつかないのも強さですよね

    • @おてもやん-n2y
      @おてもやん-n2y 4 роки тому +10

      やめてくれ…この前の逆転負けがフラバする…
      2万点差もありゃ大丈夫だと思っちまったんだよ…

  • @riskilla555
    @riskilla555 4 роки тому +35

    この頃馬謖もアラフォーだからね。孔明死後の事を考えればここで功を焦ったのも分かる。

  • @tkiy5513
    @tkiy5513 4 роки тому +2

    ホントに戦略、政治、地形などに考察が深くて、知っている歴史の話がここまで新鮮になるのかと毎度驚きます!

  • @St_b-sc2uo
    @St_b-sc2uo 2 роки тому +1

    馬謖は600kmの北上移動で疲れたんじゃないかなぁ。

  • @user-5239
    @user-5239 4 роки тому +6

    街亭の位置が今まで分からなかったので、作戦の意味がよく分からなかったのだが、なんとなく理解が深まった気がする。

  • @antikim9821
    @antikim9821 4 роки тому +4

    待ってました!感謝感謝!

  • @一人の日本国民
    @一人の日本国民 4 роки тому +2

    いつも楽しませて貰っています‼

  • @kouminoh
    @kouminoh 4 роки тому +3

    弁当よし、登る道具も揃った!あれっ?なんか喉がかわいてきたなぁ

  • @囲碁-h3c
    @囲碁-h3c 4 роки тому +3

    高きによって低きを視るは勢いすでに破竹の如し

  • @vaja1493
    @vaja1493 4 роки тому +1

    今回も面白いかったです。最高です。

  • @雪枕-o7r
    @雪枕-o7r 4 роки тому +8

    ???「登山ってのは登って終わりじゃないんですよ」

  • @1win1win1
    @1win1win1 4 роки тому +4

    タイムスリップして、どんな感じだったのかドローンで上空から見てみたいな。

  • @適当に生きる-l6u
    @適当に生きる-l6u 4 роки тому +3

    今回の解説を聞いていて、一ノ谷の戦いが思い浮かびました。鵯越をしたかはともかく、その気になれば色々なルートが作れるのでしょう。

  • @YH-nu7wc
    @YH-nu7wc 2 роки тому +2

    無能で片付けられる趙括さんもいつかはそれなりの理があったと思われてほしい…。

    • @戸田賢司
      @戸田賢司 Рік тому

      括さんは、秦軍を突破して勝とうとしたら、白起さんが従深陣を敷いてた罠にはまっただけだからな。

  • @インベーダー-v7l
    @インベーダー-v7l 4 роки тому +19

    馬謖の登山は相手が凡将なら焦って突撃してそれを逆落としで撃破出来たかも知れないが相手の張コウが急がなければならないのにあえて敵軍を包囲した。相手が上手だった

  • @霧生満
    @霧生満 4 роки тому +22

    新しく参加した姜維さんが丞相に気に入られてるのを見て、馬謖さん嫉妬。
    「張郃ちゃん倒して目立ってやる!」だったりして。

    • @卯月-k7y
      @卯月-k7y 4 роки тому +4

      三國志大戦の馬謖がもろにそれ。良いシーンだったと個人的には思ってます。

    • @浅倉慎太郎-t6o
      @浅倉慎太郎-t6o 4 роки тому +3

      大いに有り得ます。

    • @MaSaka-xu1ej
      @MaSaka-xu1ej Рік тому +1

      幾ら何でも演技を信用し過ぎ。普通に考えて仮に姜維の能力が高かったとしても新参が司令官任された馬謖の焦りに繋がるとは思えない。
      呉の陸遜は調べれば分かるが名家で孫権とも親族なので異例の抜擢があった。
      呂蒙が死んで間もないこと、孫権の人を見る目も間違いないものだったこともある。

  • @John-jo7kk
    @John-jo7kk 4 роки тому +10

    街亭の戦いは正史記述が少なすぎる手前、どうしても想像での埋め合わせが大きくなってしまいますが、非常に面白い考察でした。

    • @John-jo7kk
      @John-jo7kk 4 роки тому +2

      ただ、今回の張コウには時間的余裕がない➕隴山山脈が封鎖されていることさえも張コウ側は知らない
      この条件下で街亭の戦いを起こしてしまった馬謖はやはり○○だと思いますけどね。

  • @焼きプディング
    @焼きプディング 4 роки тому +39

    弁当持って水筒忘れたなアイツ

  • @anic0806
    @anic0806 3 роки тому +1

    この時代には既に過去の英傑の活躍が書物として語り継がれていましたから、彼らも自分の活躍が後世に遺されるものという自覚が強くあったのでしょうね。

  • @arisa3991
    @arisa3991 4 роки тому +6

    Airの名シーン再現で泣いた…

  • @MUSASI40
    @MUSASI40 4 роки тому +7

    かつて読んだ本に敵が視認しやすい川を防衛ラインにしたローマは賢いと言っていたけど敵がどこにいるのか解らないの純粋に怖い。

  • @悪の総統
    @悪の総統 4 роки тому +8

    馬謖の策はすばらしい
    相手がコーエーのAIだったら一網打尽の大勝利間違いなしだった

  • @yuusana7735
    @yuusana7735 4 роки тому +3

    1000年以上後の島国の様相がわかる俊英がなぜこんなことを(棒
    丁寧な説明で登山までの意思決定の過程も理論的には有りだということがわかりましたが
    Airの名シーン再現でほとんど吹き飛びました

  • @val2599
    @val2599 4 роки тому +3

    蜀軍の魏に対する最大戦果、漢中の戦いでも蜀は山に依って持久戦に持ち込み勝利しましたね。

  • @らすぼす-d5i
    @らすぼす-d5i 4 роки тому +3

    あー、待ってましたー!!!

  • @mansyouwa3994
    @mansyouwa3994 4 роки тому +4

    動画の通りだとすれば馬謖は決戦を望んだのに
    敵は想定外の消耗戦を仕掛けてきた・・・ということですか?

    • @話ズ
      @話ズ 3 роки тому

      man syouwa
      ですねー

  • @papapandoki3862
    @papapandoki3862 4 роки тому +1

    待ってたよ!

  • @不知火燈夜
    @不知火燈夜 4 роки тому +1

    何回も迂回させてしつこくモグラ叩きしてれば自滅しそうなんだけどなぁ。多分頭はいいのに名案が浮かぶと周りが見えなくなる人だったんでしょうね。

  • @Gヤマ
    @Gヤマ 4 роки тому +8

    おおっ 馬謖が登山したか 斬れっ

    • @ていくノーぷりずな
      @ていくノーぷりずな 4 роки тому +1

      風向き次第では「焼く」のもアリかな…。
      当時大量に木が生えてたかは分からないが…。

  • @明日はコーヒー
    @明日はコーヒー 4 роки тому +2

    自分の死後1800年経って異国の地で、数少ない資料から自分の行動を外国人に検証されるとは、馬謖も九泉でビックリしただろうな。

  • @KOWLOON1983
    @KOWLOON1983 4 роки тому +1

    素通りさせて後方と挟撃でQED

  • @オワタ条約機構
    @オワタ条約機構 Рік тому +1

    この動画を見て思ったのが、諸葛亮が原作を改変しても名作を作る宮崎駿、馬謖が原作を改変してファンから叩かれる並のアニメ監督みたいだなということです。

  • @nomoney8296
    @nomoney8296 4 роки тому +7

    山にはロマンがあるからね、仕方ないね

  • @user-rh4wo3dr4c
    @user-rh4wo3dr4c 4 роки тому +7

    補給が届かないところに大部隊を送ってはいけない(ただし少数部隊は可)

  • @関口樹-e5d
    @関口樹-e5d 4 роки тому +10

    この話を見てみて感じたのは、馬謖は戦略型な気がするな。

  • @ちっち-t1e
    @ちっち-t1e 4 роки тому +2

    限界で押す気持ちよく理解出来ますェ

  • @yrenaled3856
    @yrenaled3856 4 роки тому +15

    4:57 この考え方を毎回やってくれるから浸透襲撃さんの動画は面白い。
    次回も楽しみにしています!

  • @腹減りモンスター-r4l
    @腹減りモンスター-r4l 4 роки тому +14

    これ動画見てる俺ですら『えっ本当に登るの?』って思うのに、当時の兵士たちはどんな気持ちだったんだろう?

    • @1win1win1
      @1win1win1 4 роки тому +2

      登山部だったら「さすが馬謖キャプテン!」という感じだったんだろうけど、そうじゃなかったら「マジで??」てなるね。

  • @taknar4020
    @taknar4020 4 роки тому +9

    やっぱり馬謖が少しでもより軍功を上げようと欲張ったから失敗したってことでしょう。
    荊州出身で益州に一族の地盤があるわけでもない、諸葛亮の寵愛頼みで未だ軍功があるわけでもないから将来に対して焦りがあったのは確かでしょう。諸葛亮が姜維というもう1人の後継者候補を得た直後だったのも影響したかもしれないけど。

  • @dijpistol2249
    @dijpistol2249 4 роки тому +1

    待ってたゼェこの時をヨォ

  • @paranoiary
    @paranoiary 4 роки тому +7

    水源から離れて山登っちゃだめー!

  • @戸田賢司
    @戸田賢司 2 роки тому

    馬謖が蜀軍の補給全部やるくらいでないと三成を馬鹿にする資格はない。

  • @南冲尋定シトクロム
    @南冲尋定シトクロム 4 роки тому +3

    それ今の地図だから道はいっぱいあるように見えるだけで、当時は隴山を越えて西に進む為の道は瓦亭道、鶏頭道、番須道、関隴道の4つがあって、あろう事がその4つ全てが街亭を通る訳なので...

    • @話ズ
      @話ズ 3 роки тому

      南冲尋定シトクロム
      だとしても、道の有無を当てにしてるわけじゃなくて要は通れる所があるかどうかって話でしょう?
      実際には街道封鎖で万事良かったとしても、当時の人間がそこまで判断できるような状態かどうか疑問だという話では?

  • @坂の下安麻呂
    @坂の下安麻呂 4 роки тому +1

    蜀側が兵を分散して守りに入ったからかな

  • @kouyone6835
    @kouyone6835 4 роки тому +2

    張郃軍を撃破したいという理屈はわからなくないが、それにしてもリスクがあり過ぎる選択ですよね。
    戦がこれで終了するわけでは無いので手柄を立てるチャンスもまだまだあるだろうに。

    • @話ズ
      @話ズ 3 роки тому

      Kou Yone
      おそらく、涼州の魏軍がかなり弱かったんじゃないでしょうか?それを見た馬謖が「これならイケる」と思ったけど、魏中央から派遣されて来た国軍は将も兵も強くて賢くて、「何コレ知ってる魏軍と違う!?(・_・;?」となって慌てたとか。

  • @yudaya99
    @yudaya99 4 роки тому +3

    対馬海峡ルートをほぼ確信していたが疑心暗鬼だった日本海海戦みたいな感じやな。でも、孔明は確信してたし、ほぼそうなったと思う。下手に勘ぐって忠実に指示を実行しなかったことが馬謖のミスですね。

  • @minagoroshimaru100
    @minagoroshimaru100 4 роки тому +3

    いよいよ逃亡説に信憑性が

  • @Amichans
    @Amichans 4 роки тому +7

    きっと景色が良いと思ったのでしょう(・w

    • @1win1win1
      @1win1win1 4 роки тому

      「そこに山があるから」という名言は馬謖が言ったんだっけ?

  • @marines2004
    @marines2004 4 роки тому +4

    主の動画を拝見するに、質問の答えは「兵站」(補給線)かな。
    いつも面白い動画ありがとうございます。

  • @KOUMORIish
    @KOUMORIish 4 роки тому +10

    現在とほとんど地形が変わらないことを前提に言うと、ロウ山の封鎖は無理。ざっと見ると三ヶ所街道(間道も含めるとまだ有ると思われる)封鎖しようとすると戦力を分散するため各個撃破される可能性が大きい。魏の倍以上の戦力を動員出来れば違うのかもしれないが良くて同じぐらいだろう。

  • @slotsunday9
    @slotsunday9 4 роки тому +4

    街道封鎖による専守では無く、撃破狙って布陣して失敗したんだと思います
    敗因は相手の張郃がこの局面でまさかの包囲という持久戦仕掛けてきて完全にテンパってしまったとか
    丞相の秘蔵っ子で初の大任、当然それ相応の功も期待されるし本人からしたら相当なプレッシャーですよね

  • @羊平松本
    @羊平松本 4 роки тому +3

    楽しみしていました( ^ω^ )

  • @博文伊藤-n1s
    @博文伊藤-n1s 4 роки тому +4

    まってた。

  • @藻-o3e
    @藻-o3e 4 роки тому +7

    次回まで待てない・・・

  • @ouiilest
    @ouiilest 4 роки тому +1

    待ちわびました!
    今回一番解説に興味があった所だったのですが、またもや納得の解説、流石です!
    馬謖の立場に立っての焦りも秀逸な描写です!孔明の後ろ盾があってもそれがずっと続く訳ではないですからね、実績を上げる絶好の機会だった訳ですね、そんな場面が次もあるとは限らないので馬謖としてはリスク取るのも筋は通ってるんですよね。
    歴史上に名を残した名将はその場面をモノにしてるから名を残せた訳ですが、その裏には数多の敗将が名声欲しさに危ない橋を渡り損ねて...というのも歴史の一面かと思います。

  • @sylphis3621
    @sylphis3621 4 роки тому +32

    失策には必ず、その場では正解と思える判断と、想定外が起こるんですよねえ。だからアホとしてしまうとつまらない。例えば赤壁で船を連結して東南の風で延焼したのは曹操がアホなのか?夷陵で蜀に大敗した呉将たちはアホなのか?じゃあその後、蜀はそのアホになぜ火計をくらって敗れたのか?など、アホにしちゃうとつまらない。

    • @猫のダヤン
      @猫のダヤン 4 роки тому +3

      イリョウの戦いは、
      戦線が延びきった軍は危うい。
      歴史は繰り返される。
      相手は奥の手を秘めて
      全力で向かってきてないからな。
      ソビエトに攻めこんだドイツしかり
      中国を攻めた日本軍しかり

  • @せるじい
    @せるじい 4 роки тому +52

    張コウさんが天才過ぎるんだよなぁ
    時間稼ぎされたらアウトなのに
    時間稼ぎになる長期戦を選ぶとかバケモンなんだよ
    その評価が低すぎる

    • @ていくノーぷりずな
      @ていくノーぷりずな 4 роки тому +8

      演義では山の麓の水の手を断っている事らしいですが…。
      これまでの流れだと長期的戦術は魏側は避けたいでしょうから…。

  • @sakurasakura4412
    @sakurasakura4412 4 роки тому +2

    楊儀のパパラッチがサイコーに笑える。張飛がいれば撲殺されかねんネ。

  • @rclaire2537
    @rclaire2537 4 роки тому +119

    馬謖は無能!と結果だけを見て評価を下してる人多いから、その評価に待ったをかけるこの動画は凄い価値あるよ。
    結果的に馬謖は失敗をしたけど、"何故失敗したのか"を僕達に考察する材料をこの動画は沢山くれてる。三国志好きは勿論、学生で歴史を学んでる人にも是非見てもらいたい動画。
    街亭の戦いというジャンルを超えて、何故学校で歴史を学ぶのか?を僕達に教えてくれている。

  • @gmgm00
    @gmgm00 4 роки тому +12

    権力持たされたが、個性ないやつが、変に個性を出そうとすると大損害を与えるって現代でもよく聞くなぁ…2代目ボンボンとか、どこかの実写化映画監督とかゲームの映画化した監督とか、、、

  • @YT-zo7qs
    @YT-zo7qs 4 роки тому +4

    兵力差がある以上一つ所に留まりたくないから先に仕掛けるっていうのはわからなくもないけど…
    でも確実な勝算があるわけでもない上に一度崩されたら隴西一直線で全軍が瓦解しかねないことを考えるとなぁ

  • @間名歩
    @間名歩 4 роки тому +2

    そこに山があるから登るんだよ  byアルピニスト馬謖

    • @glassbuddha
      @glassbuddha 4 роки тому

      経験と根性が足りないな by 鄧艾

  • @和田主水
    @和田主水 4 роки тому +8

    1:40 張郃に諸葛亮の防衛を命じた
    8:00 軍争
    9:45 アーチャー
    13:13 宮下英樹
    18:45 アーチャー

  • @msh7149
    @msh7149 4 роки тому +4

    姜維も入って焦ってたんかなあ

  • @サトゥー博士-d2w
    @サトゥー博士-d2w 4 роки тому +1

    馬謖は馬鹿ではないが、仕事ができるとが限らないというのはどうでしょうか?もしかしたら軍事よりも内政で仕事させていたほうが良かったのかもしれませんね。

  • @たこヘッド
    @たこヘッド 4 роки тому +13

    占領してるとはいえ敵地だもんなぁ、地の利のないところで内戦作戦なんてのはなぁ

  • @redaluminum2387
    @redaluminum2387 4 роки тому +2

    迂回ルートは、敵が街亭を守るだけではなくさらに進出してくる可能性も考えるとなかなか選びにくいですよね。
    もし万一蜀軍が隴山を東に越えてきたら後方を遮断されてしまう。
    実際の蜀軍にその計画はなかったかもしれませんが魏軍の立場ではそれはわからない。
    元々短いうえに、一番便利なルートである関係上一番整備されている可能性が高く、
    そこを通った蜀軍の機動力は魏軍の後方連絡線に一方的に脅威を与えてくるはずです。
    かと言ってそこに守備隊を分遣していては兵力を分散してしまう。
    要するに魏は街亭方面を主攻正面にする場合が最も兵力を集中でき、それ以外を主攻撃軸にした場合は兵力は比較的に分散されることになります。

  • @t.nagahama5342
    @t.nagahama5342 3 роки тому +1

    >蜀軍の未来
    蜀を支えたのは王平の方でしたとさ、めでたしめでたし。

  • @kelberous471
    @kelberous471 4 роки тому +3

    馬謖がこの戦いでミスったのは兵法通りにやってしまった事ですね。当然、相手も知っているわけですから状況によって変えなければなりません。ましてや相手は歴戦の名将張郃。彼はまさに応変の戦いを得意にし、劉備が夏侯淵よりも恐れた存在。諸葛亮も恐れていました。それと彼は複雑な命令をして場を混乱させたようです。指揮力も無かった為にズタボロ。水源が無かったのも大きいです。わざわざ部下が下りて汲んでたようなので張郃は見逃しませんでした。唯一の救いは王平が陽動した事。あれによって壊滅は免れました。どの将も降格される中、彼だけが昇進しました。

  • @muramasa9582
    @muramasa9582 2 роки тому +1

    実のところ、総合した結果がダメダメだっただけで、一つ一つの判断はそこまで致命的なミスでもないんですよね。
    相手が歴戦の名将である張郃でなければ。
    水の確保の重要性を軽視しなければ。
    王平の意見をちゃんと聞き入れる程度の器があれば。
    どれか一つでも条件が違えば守れた可能性は十分にあるわけです。
    逆に言えば、これらを綺麗にフルコンボさせてしまったから馬謖なんですけどね…。

  • @あいふる-r6j
    @あいふる-r6j 4 роки тому +8

    馬謖は戦後に逃亡しなければ死罪にはならなかったのではないかな?逃げたことで助かる命も助からなくなったという・・・

  • @shou-sho
    @shou-sho 4 роки тому +1

    アーチャーのその台詞はダメ、泣く

  • @raiou_2_2
    @raiou_2_2 4 роки тому +3

    グッバイ馬shock!

  • @隠岐奈は不憫かわいい
    @隠岐奈は不憫かわいい 4 роки тому +5

    素人の考えですが天水にそれなりの兵力と防御があるなら大軍の通過、兵站の確保が容易な道の封鎖ができる街亭を最初から指定されて派兵されてもおかしくないかなと思いました
    迂回されたなら険路や遠回りで疲弊した張郃の後ろを突けるし防御に徹する街亭の隊を丸ごと釘付けにできる兵力に割いたならその分天水を攻める兵力が減って天水が持ちこたえられるという考えですが…

  • @wonder7397
    @wonder7397 4 роки тому +3

    馬謖が山に登ったことは間違いでは無いし、山を駆け下り魏軍に逆落としを食らわせる、という考えも間違ってはいない。
    魏軍からすると、山道を抜け兵が疲弊した状態で目の前に敵軍が布陣している。
    しかも相手はいつでもこちらを攻撃できる体制にある。という状況だけで心理的にかなりのダメージが有る。
    敵が迂回し別のルートを通る場合に備えて、斥候を出しておけば済む話(相手の本陣だけを見張るだけの簡単な仕事です)
    馬謖が致命的な失敗をしたのは相手に逆包囲された時の対応策。そして何より水源の確保。
    籠城戦で相手の水源を断つのは古来からの常識。こちらが山を利用した持久戦を取るなら、歴戦の強者である張郃がそこを衝いてくるのは当然の事。

  • @つきもぐら2
    @つきもぐら2 4 роки тому +2

    来た!
    ゆっくり見よう

  • @リッチまつり
    @リッチまつり 4 роки тому +5

    これ丞相は隴山のルート複数あること知っていたのかね?
    知っていたなら、「全部封鎖できんから敵の動き見て臨機応変に対応しろ。」
    知らないなら、「地形がわからんから現場のお前に任せる。」
    と、どちらも現場の馬謖に任せる形になって命令違反ではなく作戦失敗という評価になりそうなんだが。

    • @baban616
      @baban616 4 роки тому +1

      この考察は当時の地図ではないので本当に複数ルートあるのかはわからないとは思います
      1800年も前のことなので、今ほど整備されてないのは当然ですし複数ルートがあるのかは古い地図等を探して考察する余地はあるとは思いますね

  • @taku581
    @taku581 4 роки тому +14

    張郃に勝とうと思ったのがなあ
    素直に足止めに注力すれば良いのに

  • @こぶらのどく
    @こぶらのどく 4 роки тому +1

    正史三国志は各伝を読んでみても、時系列が良く分からないけど、
    まず孟達が反乱を起こし、蜀の動きを改めて警戒するために、
    曹真は長安に派遣されていると考えて良いと思う。
    隴右(長安で夏侯楙が率いた)軍を引き継ぎ済みだから、
    夏侯楙が率いていた記述が一切なく、曹真が初めから対処していたとしか読めない。
    張郃が長安に派遣されたのは曹叡の指示あるように読める。
    孟達の首を洛陽に届けたのが正月であり、張郃が届けた。そして蜀の襲撃が伝えられた。
    この流れで、曹真が信頼できる副将を派遣する決断をしても不思議ではない。
    蜀来来>曹真把握>曹叡把握>張郃派遣 
    この流れを半月で実現とはいかなくても、20日程度でも、
    長安に張郃がついたのは、蜀軍来訪から一か月かかってないとみて良いと思う。
    張郃が来るまでに、曹真は上邽の郭淮から更に情報を得て、
    隴西は南安ごと、涼州刺史に任せても大丈夫な状況。
    そしてこれは重要だが、祁山が持ちこたえることができる日数も、
    ある程度目算で郭淮は伝えていると思う。(多分2か月程度は持つと伝えたのではないか)
    ここが魏も蜀も非常に重要な関心事。
    趙雲が陽動であることも看破し、祁山・上邽こそが本命と判断済み。
    自ら、その方面に救援に行くのが最上だが、趙雲の視界から迂闊に消えれば、
    陽動がバレたことが、趙雲に分かってしまう。
    ある程度の情報が出揃い、協議を重ねて軍を半分に分け、
    趙雲に対応する守備隊と援軍を行う隊に分け、
    曹真が援軍を担当する流れが当初組まれていたのではないだろうか。
    だが、曹叡が派遣した張郃が急行し、曹真の戦略に大胆さが加わる。
    趙雲に曹真自ら少数で対応することで、陽動が継続して成功してると思わせ、
    本命の軍勢は張郃が率いて、天水方面に駆け上がる戦略。
    張郃が到達した時点でこの戦略を予め組んでいたなら、
    すぐ張郃は出発できたと思われる。
    この場合、如何なる場合においても、重要なのは、いち早く天水に援軍が出ること。
    要所を抑え、情報を流せる将の郭淮、手持ちの情報で戦略を組み立てる曹真。
    そして事態の緊急性を重んじ、信頼できる指揮官張郃を送り込んだ曹叡。
    一方の蜀は、長安からの増援がどれほどの規模で、どの程度の速さでくるか。
    どう予測していたのだろうか。
    上邽を確保し損ねて、高翔を派遣し抑えとしたものの、
    街亭方面から侵攻される可能性は、当然想定されただろう。
    諸葛亮が、その敵増援を阻止する部隊を編成したのは、
    恐らく趙雲が曹真と長安の状態の確認してからだ。
    でなければ、どれだけの兵数を送り込んで、援軍を阻止すればいいかわからない。
    兵力の少ない蜀が陽動の趙雲に預ける兵の質も低かっただろう。
    趙雲伝自体に、自軍が弱かったと書いてるくらいだ。
    つまり、曹真軍に陽動とバレた場合、一瞬で潰される可能性すらあった。
    趙雲軍が健在な以上、陽動は成功し、曹真軍は釘付けになってると諸葛亮は考える。
    これは、諸葛亮の作戦通りなので、疑う前に信じてしまっても不思議は無い。
    敵の増援は恐らく2万も居ないだろうと分かれば、やることは鮮明になる。
    街亭で敵を待ち構える準備を行わせ、そこで敵を防ぐこと。
    街亭手前で上邽に抜ける道もあるのだが、想定される敵の兵力が上邽と合わさって、
    撃って出てきたとしても、要所を盾に逆に防ぐことができる、という判断。
    まだ蜀が手を付けていない、交通の要所で守りやすい街亭こそ、抑える地だと。
    とはいえ、単純な足止めにならない可能性も、当然考慮すべき。
    だからこそ、馬謖というある程度自分で考えて、
    戦況にあった作戦を取って、その援軍を阻止することを諸葛亮は望んだのではないか。
    これが魏延だとしたら、防衛陣地を作る前に、攻撃しかねない。
    当然、戦って勝てる可能性もあるだろうが、
    諸葛亮は「かもしれない運転」を好まないように思える。
    また、勝ったとして、単独で先に進軍する可能性も懸念される。
    魏延は長安を強襲する提案をしている、諸葛亮としては使いにくい。
    他の将でも当然構わないだろうが馬謖なら、自分が想定してなかったことが起きたら、
    善処策を構築できるはずだと信頼もしていただろう。
    そしてそれは実際のところ、当たっている。
    「馬謖は山を登った」
    これは正史で言われるように、水を断たれて敗北した悪手だ。
    しかし、馬謖が街亭についたとき、張郃率いる大軍が数日で突入すると分かったら、
    馬謖は数日で防御陣地を築いて守るなんて、間抜けなことをするだろうか?
    趙雲が諸葛亮と連絡する場合、漢中経由で行ったはずだ。
    抜け道や細道、堂々と魏の領内を伝令が走って、捕まれば大惨事。
    趙雲がいつ、諸葛亮に伝令を出したにしろ、諸葛亮が曹真の様子を把握するのに、
    最悪20日、早くても15日か程度か。
    そして、馬謖に一軍を預け、地域の兵糧を徴集したりしていれば、
    街亭にたどり着く日付が、張郃軍の来援から甘く見積もっても一週間以内。
    勘違いしてはいけないが、馬謖軍は足止めや妨害に行くのだから、
    兵糧の確保は、かなり多めにしなければならない。
    一方の張郃は、基本的には立ちふさがる敵を撃破するくらいの気持ちで乗り込み、
    上邽に入ってしまいさえすれば、兵糧のアテはあったはずだ。
    張郃は快速、馬謖は鈍足。
    これは馬謖が生んだ状況ではなく、諸葛亮が作り出した状況だ。
    そしてこの状況を打破するために、馬謖は博打に出て「登山した」
    王平伝にこう書かれている。
    「謖舍水上山、舉措煩擾、平連規諫謖、謖不能用、大敗於街亭」
    王平は馬謖がトチ狂ったことを言って、山に登ったと書いてる。
    しかし、登らないで、準備不足な陣地を頼っても、
    相手の方が多い上に張郃が相手なら普通にやりあっても、到底勝ち目がない。
    王平にしてみれば、山に登れば緩やかな確実な自滅。
    それならば、乾坤一擲でも一戦してみるべきと、進言したのではないだろうか。
    褒めるべきは郭淮、張郃、曹真、そして曹叡の英断。
    そして、諸葛亮にとって、こうした全体を見通せる人間があまりに少なく、
    受動的な判断を下しながら戦争をする形を作らなかったことが、
    第一次北伐最大の敗因なのではないだろうか。
    自分は少なくとも馬謖のせいだったとは思えないのです。
    とまぁ・・・結構辻褄を合わせようと、魏寄りな思考になってしまったけど、
    馬謖君の名誉回復の弁護としては、どうでしょうかね?

  • @ヨーカン-q6c
    @ヨーカン-q6c 4 роки тому +3

    確かに張郃がハンニバルやオイゲン、スヴォーロフみたいな機動したら意味ないもんな。ベルギーとマジノ線ガン防御しててやらかしたガムランみたくなる可能性もあった訳だし。

  • @河俣直樹
    @河俣直樹 4 роки тому +3

    自信があり過ぎたのかな
    物事を精査して考えられなくなって決め付けてしまうよーになると失敗しやすくなる。
    「オレなら出来るぜ(๑•̀ㅂ•́)و✧」的な感じで。

  • @前原勇介
    @前原勇介 4 роки тому +9

    この動画を見て、改めて隴山封鎖の任務が、「只のとおせんぼ」と言えるほど簡単なものではないと理解できました。孔明の馬謖起用に反対した蜀軍の武将たちの気持ちが理解できます。陽動に趙雲を使ってしまっているため不可能だが、趙雲に任せたい任務だと思います。個人的に。魏延を斜谷道の陽動に・・ではだめだったのかな・・。

  • @enemon2340
    @enemon2340 4 роки тому +10

    漢中攻めの時に方正が夏侯淵を山の上からの攻撃で華麗に破ってるんですよね
    そこらの影響もあったのではないか?と推測します
    慎重派の孔明がリスキーな作戦任すとも考えにくいので独断なのは確実でしょう

    • @猫のダヤン
      @猫のダヤン 4 роки тому

      定軍山より高い山に陣取って互角にしたから。相手も山に陣取ってる
      なら問題ない。

  • @どらやき-z1w
    @どらやき-z1w 4 роки тому +12

    あ~~~っ  
    こ…これは蜀軍
    思いきった作戦にでた!!
    山の上にあらかじめ 馬謖くんが山に登り
    これは完全に 魏軍の侵攻を
    阻止する作戦だぞ!!
    張郃「なにィ!!」

  • @hiroki64461
    @hiroki64461 4 роки тому +1

    お待ちしてました