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馬謖は無能!と結果だけを見て評価を下してる人多いから、その評価に待ったをかけるこの動画は凄い価値あるよ。結果的に馬謖は失敗をしたけど、"何故失敗したのか"を僕達に考察する材料をこの動画は沢山くれてる。三国志好きは勿論、学生で歴史を学んでる人にも是非見てもらいたい動画。街亭の戦いというジャンルを超えて、何故学校で歴史を学ぶのか?を僕達に教えてくれている。
このシリーズは自分の頭で考えた自分の言葉を自分のペースで動画にしているから見ていて面白く感じるんだろうな
仕事でもインプットしたままの情報より、そいつの理解の上でそいつの言葉で説明してもらった方が遥かに分かりやすいしその後の仕事がやりやすくなる。ホントこのチャンネルは凄いですよね笑
朧山を封鎖しようといたら、既に魏軍が突破していた…。突発的な遭遇戦に突入、しかし戦力の差は大きく徐々に押しきられ、全軍崩壊を避けるためにやむをえず後方にあった街亭の山に逃げ込み立てこもった。その後は有名な話の通り。的なことをずっと考えていました。
19:02 辺りからの馬謖の言動や思考、正に劉備が遺言した「馬謖は実力に似合わぬ背伸びをする、重用するな」って点だよな。
主さんホントに歴史という学問を楽しんでらっしゃる面白い動画をありがとうございます
本当にいつも鋭い考察で感心させられてしまう。次回も期待してます。
この頃馬謖もアラフォーだからね。孔明死後の事を考えればここで功を焦ったのも分かる。
麻雀で例えれば、安い手でも上がれば勝ちなのに役満目指して逆転負けした感じかな
目の前の美味しそうな餌に飛びつかないのも強さですよね
やめてくれ…この前の逆転負けがフラバする…2万点差もありゃ大丈夫だと思っちまったんだよ…
麓に水源がある古城って、敵にそこに入られれば、高所の利も活かせずに終わるじゃん・・・
たぶん街亭より西6㎞ほど先にある略陽の城の事か(当時も同じ場所に略陽があるか?は不明)郡県制郷里制の亭で、街亭の中心部にある役所(現代で言う町や村の本庁舎ではなく、出先機関の支庁や出張所のイメージ)の事だと思います。いずれにせよ、古城でボロボロで防御力に疑問符が付くシロモノだったり、集落のお役所みたいな城なので極端に小さく収容できる兵力にも数百人程度で使い物にならなかったのでは???と思うのです
4:57 この考え方を毎回やってくれるから浸透襲撃さんの動画は面白い。次回も楽しみにしています!
楽しみにしていましたよ。
馬謖の登山は相手が凡将なら焦って突撃してそれを逆落としで撃破出来たかも知れないが相手の張コウが急がなければならないのにあえて敵軍を包囲した。相手が上手だった
待ってました!感謝感謝!
ホントに戦略、政治、地形などに考察が深くて、知っている歴史の話がここまで新鮮になるのかと毎度驚きます!
悲愴的な音楽と内容のマッチングがとても良い
弁当持って水筒忘れたなアイツ
演義ではそうなってますね…。
街亭の戦いは正史記述が少なすぎる手前、どうしても想像での埋め合わせが大きくなってしまいますが、非常に面白い考察でした。
ただ、今回の張コウには時間的余裕がない➕隴山山脈が封鎖されていることさえも張コウ側は知らないこの条件下で街亭の戦いを起こしてしまった馬謖はやはり○○だと思いますけどね。
あー、待ってましたー!!!
失策には必ず、その場では正解と思える判断と、想定外が起こるんですよねえ。だからアホとしてしまうとつまらない。例えば赤壁で船を連結して東南の風で延焼したのは曹操がアホなのか?夷陵で蜀に大敗した呉将たちはアホなのか?じゃあその後、蜀はそのアホになぜ火計をくらって敗れたのか?など、アホにしちゃうとつまらない。
イリョウの戦いは、戦線が延びきった軍は危うい。歴史は繰り返される。相手は奥の手を秘めて全力で向かってきてないからな。ソビエトに攻めこんだドイツしかり中国を攻めた日本軍しかり
街亭の位置が今まで分からなかったので、作戦の意味がよく分からなかったのだが、なんとなく理解が深まった気がする。
張コウさんが天才過ぎるんだよなぁ時間稼ぎされたらアウトなのに時間稼ぎになる長期戦を選ぶとかバケモンなんだよその評価が低すぎる
演義では山の麓の水の手を断っている事らしいですが…。これまでの流れだと長期的戦術は魏側は避けたいでしょうから…。
1:40 張郃に諸葛亮の防衛を命じた8:00 軍争9:45 アーチャー13:13 宮下英樹18:45 アーチャー
動画の問いへの答えではないかもしれませんが、馬謖の失敗は、動画で王平も指摘している通り「不要な奇策に出た」ことによると思います。張郃がいくら名将とはいえ、この状況で蜀軍が街道封鎖を本線とした魏軍の足止めに専念していたらそれを崩すのは難しかったでしょうが、あえて馬謖が「敵地での敵軍殲滅」という無用に高いハードルを掲げたことで、蜀軍の取れる戦術の幅が狭まり逆に魏軍に余裕が出来たように思います。そして、第一次北伐の要となる方面軍司令官に文字通り臨機応変に対応できる老練な将軍を配置できなかったのは、蜀漢の人材の薄さもあるとは言え諸葛亮の責任も大きいでしょう。
山上に布陣する事で魏軍の戦術の幅を狭める事が出来たと思い込んだんでしょう1 無理押しの山攻め 2 素通り急ぐ必要のある魏軍にこの2択を強いる事が出来たと思ったんでしょうね。相手の戦略を読めるが故の思い込みですが高くつきましたね。
あのナポレオンですらロシア遠征で老練な名将であるクトゥーゾフに敗北しているんだから自分が生まれる以前から活躍している名将を侮ってはいけない。
魏延さんにしとけばよかった気もするが。
現在とほとんど地形が変わらないことを前提に言うと、ロウ山の封鎖は無理。ざっと見ると三ヶ所街道(間道も含めるとまだ有ると思われる)封鎖しようとすると戦力を分散するため各個撃破される可能性が大きい。魏の倍以上の戦力を動員出来れば違うのかもしれないが良くて同じぐらいだろう。
今回の解説を聞いていて、一ノ谷の戦いが思い浮かびました。鵯越をしたかはともかく、その気になれば色々なルートが作れるのでしょう。
かつて読んだ本に敵が視認しやすい川を防衛ラインにしたローマは賢いと言っていたけど敵がどこにいるのか解らないの純粋に怖い。
主の動画を拝見するに、質問の答えは「兵站」(補給線)かな。いつも面白い動画ありがとうございます。
いつも楽しませて貰っています‼
今回も面白いかったです。最高です。
???「登山ってのは登って終わりじゃないんですよ」
やっぱり馬謖が少しでもより軍功を上げようと欲張ったから失敗したってことでしょう。荊州出身で益州に一族の地盤があるわけでもない、諸葛亮の寵愛頼みで未だ軍功があるわけでもないから将来に対して焦りがあったのは確かでしょう。諸葛亮が姜維というもう1人の後継者候補を得た直後だったのも影響したかもしれないけど。
馬謖の指揮が駄目だったって言うのは、陣形を組んでの戦いは上手かったけど、遭遇戦にはテンパって対応できなかったってことじゃないですかね?馬謖の処刑は敗戦の責任ではなく逃亡を図ったから説をとります
いま気がついたけど馬謖って、まさか…童て…もとい初陣?もしそうなら、戦場から逃亡するのは当たり前かもしれない(太田道灌の異常な無双ぶりも、実は童貞キラーだったんじゃないかって)
補給が届かないところに大部隊を送ってはいけない(ただし少数部隊は可)
Airの名シーン再現で泣いた…
新しく参加した姜維さんが丞相に気に入られてるのを見て、馬謖さん嫉妬。「張郃ちゃん倒して目立ってやる!」だったりして。
三國志大戦の馬謖がもろにそれ。良いシーンだったと個人的には思ってます。
大いに有り得ます。
幾ら何でも演技を信用し過ぎ。普通に考えて仮に姜維の能力が高かったとしても新参が司令官任された馬謖の焦りに繋がるとは思えない。呉の陸遜は調べれば分かるが名家で孫権とも親族なので異例の抜擢があった。呂蒙が死んで間もないこと、孫権の人を見る目も間違いないものだったこともある。
1000年以上後の島国の様相がわかる俊英がなぜこんなことを(棒丁寧な説明で登山までの意思決定の過程も理論的には有りだということがわかりましたがAirの名シーン再現でほとんど吹き飛びました
馬謖の策はすばらしい相手がコーエーのAIだったら一網打尽の大勝利間違いなしだった
あ~~~っ こ…これは蜀軍思いきった作戦にでた!!山の上にあらかじめ 馬謖くんが山に登りこれは完全に 魏軍の侵攻を阻止する作戦だぞ!!張郃「なにィ!!」
この動画を見て、改めて隴山封鎖の任務が、「只のとおせんぼ」と言えるほど簡単なものではないと理解できました。孔明の馬謖起用に反対した蜀軍の武将たちの気持ちが理解できます。陽動に趙雲を使ってしまっているため不可能だが、趙雲に任せたい任務だと思います。個人的に。魏延を斜谷道の陽動に・・ではだめだったのかな・・。
これ動画見てる俺ですら『えっ本当に登るの?』って思うのに、当時の兵士たちはどんな気持ちだったんだろう?
登山部だったら「さすが馬謖キャプテン!」という感じだったんだろうけど、そうじゃなかったら「マジで??」てなるね。
発言に根拠がない馬謖と多くの戦場を駆け抜けた魏延の評価が劉備と孔明で分かれたのは劉備は現場第一主義、孔明は才能第一主義の違いだったんだろうな。
鋭い。孔明は現場感覚が抜けてたと思う。やはり書生上がり。
しかし、劉備が見逃して孔明が取り立てた人物にもちゃんとしたのがいるんですよね。龐統や蒋琬がそれに当たります。なので、孔明もそこまで人を見抜く目がなかったわけではない気が。…とはいえ、劉備よりは落ちますが。
@@YH-nu7wc 国を維持するための登用の目安として2人のバランスは取れているから孔明の目利きが悪いとは思ってはいません。いざ戦地で起用しようとした時に馬謖の軽率さを劉備は見抜いてたのでしょうね。馬謖を起用しないといけない状況にしたのは夷陵の戦いでやらかした劉備本人なんだけど。
UPお疲れ様です。(動画を視聴中)ああ、確かにこの地形だと進行を読みづらいし博打はしたくないよなぁ…何だかんだで馬謖さんよく考えていたんだ。「という事で、ここが街亭だよ」■南山(想像図)あっ……!(察し)あと、他の方々のコメントに「直接戦闘を避けて張郃軍の補給線を妨害する」と言う、最善手と思われる方法がありましたが、悲しいかな実戦経験の薄い&優等生の彼には、その発想は出てこなかったと思われます。ホントこの戦いは「経験値の差」と言うのを痛感させられますな。
この話を見てみて感じたのは、馬謖は戦略型な気がするな。
待ってたよ!
権力持たされたが、個性ないやつが、変に個性を出そうとすると大損害を与えるって現代でもよく聞くなぁ…2代目ボンボンとか、どこかの実写化映画監督とかゲームの映画化した監督とか、、、
山にはロマンがあるからね、仕方ないね
待ちわびました!今回一番解説に興味があった所だったのですが、またもや納得の解説、流石です!馬謖の立場に立っての焦りも秀逸な描写です!孔明の後ろ盾があってもそれがずっと続く訳ではないですからね、実績を上げる絶好の機会だった訳ですね、そんな場面が次もあるとは限らないので馬謖としてはリスク取るのも筋は通ってるんですよね。歴史上に名を残した名将はその場面をモノにしてるから名を残せた訳ですが、その裏には数多の敗将が名声欲しさに危ない橋を渡り損ねて...というのも歴史の一面かと思います。
蜀軍の魏に対する最大戦果、漢中の戦いでも蜀は山に依って持久戦に持ち込み勝利しましたね。
漢中攻めの時に方正が夏侯淵を山の上からの攻撃で華麗に破ってるんですよねそこらの影響もあったのではないか?と推測します慎重派の孔明がリスキーな作戦任すとも考えにくいので独断なのは確実でしょう
定軍山より高い山に陣取って互角にしたから。相手も山に陣取ってるなら問題ない。
高きによって低きを視るは勢いすでに破竹の如し
タイムスリップして、どんな感じだったのかドローンで上空から見てみたいな。
馬謖はもっとバカだったらよかったのにね天才だったが故の悲劇なんだろうねもっとバカだったら、街亭を通らせない事に終始できて、敵が別ルートに変更したならば、後ろからネチネチ攻撃するだけで時間稼ぎができた出世争いの恐ろしさを見た
まってた。
おおっ 馬謖が登山したか 斬れっ
風向き次第では「焼く」のもアリかな…。当時大量に木が生えてたかは分からないが…。
この時代には既に過去の英傑の活躍が書物として語り継がれていましたから、彼らも自分の活躍が後世に遺されるものという自覚が強くあったのでしょうね。
馬謖は戦後に逃亡しなければ死罪にはならなかったのではないかな?逃げたことで助かる命も助からなくなったという・・・
いや、兵力を分散しても各個撃破されるとは限らんでしょ少数で多数を相手にするには、隘路を封鎖するのが一番ってのは常識大軍を活かせない地形を利用してない時点で、馬謖はかなり大きいミスを犯してると思う
数が蜀軍が多いなら…確かに平地でいいね。
でも、街亭近辺の街道が通る谷幅は、おおむね700m~900mで広いんですよねぇ…よほどの大軍でないと封鎖はムリでしょうし…周りの丘陵も街亭のある平地からそれぞれの丘陵の頂上まで、おおむね200m前後しかなく、しかも畑が山頂まで造られ、人が登って畑仕事出来るほど緩やかな傾斜んですよね…越えようと思えば越えて迂回ができる丘陵地なので、戦力の多さがモノを言う地形第一次北伐期間は1ヶ月半。前半は、魏国境~祁山までの約200㎞ぐらい軍の移動と、祁山攻略や雍州3郡の接収と、長安からの情報待ちで時間が潰れてるはずなので、残り1~2週間で祁山から150㎞先の街亭まで軍を移動させねばならない事を考えると…大軍引き連れたら行軍は鈍足になって間に合わない…馬謖軍は、数千~から1万前後の戦力じゃなかったのではなかろーか?…と
街道封鎖による専守では無く、撃破狙って布陣して失敗したんだと思います敗因は相手の張郃がこの局面でまさかの包囲という持久戦仕掛けてきて完全にテンパってしまったとか丞相の秘蔵っ子で初の大任、当然それ相応の功も期待されるし本人からしたら相当なプレッシャーですよね
うーん、本隊を街道に置いて助攻を山頂に置いたら良かったのかな?兵が少ないほうが補給にかかる負荷は軽いし旗やら何やらで大軍が居るように偽装したりしてプレッシャーかけるだけでも効果有りそうだし、『蚊のように舞い、蚊のように刺す』で相手にうざがられるのがいい気がする
次回まで待てない・・・
素人の考えですが天水にそれなりの兵力と防御があるなら大軍の通過、兵站の確保が容易な道の封鎖ができる街亭を最初から指定されて派兵されてもおかしくないかなと思いました迂回されたなら険路や遠回りで疲弊した張郃の後ろを突けるし防御に徹する街亭の隊を丸ごと釘付けにできる兵力に割いたならその分天水を攻める兵力が減って天水が持ちこたえられるという考えですが…
張郃に勝とうと思ったのがなあ素直に足止めに注力すれば良いのに
占領してるとはいえ敵地だもんなぁ、地の利のないところで内戦作戦なんてのはなぁ
動画の通りだとすれば馬謖は決戦を望んだのに敵は想定外の消耗戦を仕掛けてきた・・・ということですか?
man syouwaですねー
楽しみしていました( ^ω^ )
兵力差がある以上一つ所に留まりたくないから先に仕掛けるっていうのはわからなくもないけど…でも確実な勝算があるわけでもない上に一度崩されたら隴西一直線で全軍が瓦解しかねないことを考えるとなぁ
水源から離れて山登っちゃだめー!
負ける奴ってのは、勝つ側に殆ど見えてしまってるんだよな。その上、相手の分析に集中しすぎていて、自分の弱点を理解していない。
対馬海峡ルートをほぼ確信していたが疑心暗鬼だった日本海海戦みたいな感じやな。でも、孔明は確信してたし、ほぼそうなったと思う。下手に勘ぐって忠実に指示を実行しなかったことが馬謖のミスですね。
弁当よし、登る道具も揃った!あれっ?なんか喉がかわいてきたなぁ
これはあくまで考察動画だけど、この動画の当事者の思いを採用するとして、、、演義でも山上に布陣しようとした理由は逆落しで勝とうとしたため。そしてそれの元をただせば、「守る(負けない戦い)」を「勝つ」と勘違い(功名心?)てことになる。攻勢防御するにしろ、相手は百戦錬磨の張コウなわけだし。どちらにせよ、馬謖の分析能力や戦略眼が劣っていたと思う。送りバントでMVP…趙雲かな
どちらかと言うと戦略はそこまで悪くないけれどもリスキーな作戦をやりおおせるだけの戦術能力が欠けていたんじゃないですかね。要塞を死守するようなケースはまた別ですが野戦陣が包囲されてしまうのは単純に言って軍勢の進退がヘタクソ。馬謖の登った山の実際の険しさは知りませんが、包囲されそうならそれを阻止すべく動くべきだし、それができないほど険しい山なら登るべきじゃない。その辺の見極めも戦術眼。
うぽつです。当時の街亭 以外の各街道は現代と違って更に狭く険しかった可能性も考えられるので、他の全ての道は防備をおざなりにしたとしても 大軍が急いで通り易い街亭の街道のみを要塞化させて集中防御さえすれば、街亭 以外の道を通らざるをえなくなった張郃や曹真の全軍が南西に向かうのに時間が掛かりすぎて、その間に孔明の本軍が祁山を完全占領して北上するまでの時間を十二分に稼げるだろうと判断されたのだと考えられなくもないのでは ないかなとも…………あと、できれば妖夢や以前にも出てきていた霊夢や魔理沙も きつね式にしてほしいかもと
隴西のグーグルマップおすすめルートをロックダウンすれば仮に魏軍が迂回ルートを使ったとしても遠回りするから結果として時間稼ぎになるし迂回ルートを通った魏軍の背後の補給線を襲うこともできるからどう考えても隴西のグーグルマップおすすめルートの有利な地形に陣取るのが正しい。それをしなかった馬謖はやはり無能ではないかも知れないけど不要な博打をした気がする。
馬謖がこの戦いでミスったのは兵法通りにやってしまった事ですね。当然、相手も知っているわけですから状況によって変えなければなりません。ましてや相手は歴戦の名将張郃。彼はまさに応変の戦いを得意にし、劉備が夏侯淵よりも恐れた存在。諸葛亮も恐れていました。それと彼は複雑な命令をして場を混乱させたようです。指揮力も無かった為にズタボロ。水源が無かったのも大きいです。わざわざ部下が下りて汲んでたようなので張郃は見逃しませんでした。唯一の救いは王平が陽動した事。あれによって壊滅は免れました。どの将も降格される中、彼だけが昇進しました。
馬謖が無能というよりも、張郃がとても優秀な将軍だったという事もあるでしょうね。馬謖が陥った状況を巧みに分析して、それを利用して圧倒的に勝った。張郃は黄巾の乱当初から最前線で戦っているベテランであり、培った知識も経験も馬謖の比ではありません。魏軍指折りの名将なのです。馬謖の不幸は自身の失策もありましたでしょうが、張郃という歴戦の猛者と戦わざるを得なかった事も大きいでしょうね。
迂回ルートは、敵が街亭を守るだけではなくさらに進出してくる可能性も考えるとなかなか選びにくいですよね。もし万一蜀軍が隴山を東に越えてきたら後方を遮断されてしまう。実際の蜀軍にその計画はなかったかもしれませんが魏軍の立場ではそれはわからない。元々短いうえに、一番便利なルートである関係上一番整備されている可能性が高く、そこを通った蜀軍の機動力は魏軍の後方連絡線に一方的に脅威を与えてくるはずです。かと言ってそこに守備隊を分遣していては兵力を分散してしまう。要するに魏は街亭方面を主攻正面にする場合が最も兵力を集中でき、それ以外を主攻撃軸にした場合は兵力は比較的に分散されることになります。
それ今の地図だから道はいっぱいあるように見えるだけで、当時は隴山を越えて西に進む為の道は瓦亭道、鶏頭道、番須道、関隴道の4つがあって、あろう事がその4つ全てが街亭を通る訳なので...
南冲尋定シトクロムだとしても、道の有無を当てにしてるわけじゃなくて要は通れる所があるかどうかって話でしょう?実際には街道封鎖で万事良かったとしても、当時の人間がそこまで判断できるような状態かどうか疑問だという話では?
とても良い視点だと思います。街亭に限らず、古今東西ほとんどの将軍や為政者は、少なくとも当時の常識(と思われる)の範囲内での決断をしています。本当にどうしもようもない無能だったり、相手や状況が悪すぎてどうしようもないケースはありますが、少なくともそういった一部を除いては、その時々におけるベストを尽くそうとしています。正常な判断ができる人ならば、誰だって死にたくはないし、後世まで能無しと語り継がれたくないものです。
当時の馬謖軍は存在するだけで敵の抑止になるこれって近代海軍でいう「現存艦隊主義」(fleet in being)と同じですねこの戦術は「見敵必殺」の概念と対極の戦術で、日本海軍なんかは戦時中殆ど受け入れなかった戦術だけど、劣勢に回り制海権も奪還できない側の国が取る戦術としては有益な戦術講談とかでは勇ましい場面とかが受けるから、そういった場面ばかり強調されたり創作されたりして、それを見聞きして育った人々が軍人になると、現存艦隊主義のような戦術は卑怯な戦術のように思えて拒絶されるけど、劣勢なのに無理に攻勢をかけて早々に戦力を喪失して戦力的空白な地域や期間を作ってしまうよりも、遙かに長期間抵抗を続けれるんですよね当時の馬謖の心の内は分かりませんが、浸透さんが描いているように、蜀内の派閥抗争とかあって、馬謖自身が功を焦ってしまった可能性もあるでしょうね今後の展開を楽しみにしてますあと別チャンネルの孫子の兵法シリーズも楽しみに待ち続けますのでよろしくお願いします
大和を大舞台で出撃させないと可愛そうだから、とか戦術論の対極ですからね
硫黄島の戦いのようだ
同意 街亭での決戦強要は隴西地方の確保という戦略目標の達成手段の一つでしかないのに、艦隊決戦で制海権を確保し、通商路補給路を確保するという戦略目標の手段がいつのまにか決戦に勝利すること自体が目的になってしまったといわといわれがちな帝国海軍と同じ思想的誤りがあったと思います。
(マップを見て思ったこと)孔明のハラは「最悪でも天水城に籠城すれば足止めになる」じゃないかな? 魏軍を天水包囲と西進軍に分割できればそれでよし。馬謖に余力があれば野戦に出てもよし。
もし魏軍のルートがわかって封鎖しようとしての行動だとしたら、「水源と砦がある!あそこで守ろう!」からの「水?城?……やっぱ山だよね!よし、山登るわwww」とか、なんのために街亭を選んだのかって話ですよあと、王平だって経験豊富で文字が読めないとはいえ勉強熱心だったはずなんだけど、それでも説得しきれなかったほどに馬謖の知力・弁舌がずば抜けてたのも痛かった街亭に着いた瞬間までは誰も何も間違ってなかったのに……
来た!ゆっくり見よう
自分の死後1800年経って異国の地で、数少ない資料から自分の行動を外国人に検証されるとは、馬謖も九泉でビックリしただろうな。
王平みょん可愛い
「街亭の戦い」は、後に王平が活躍する「興勢の役」と比較してみると面白いですよ。条件は違うので単純比較はできませんが。
他のルート通る可能性を指摘されてますけど、その可能性は異様に慎重で細かい諸葛丞相ならちゃんと考慮してるんじゃないですかね・・・多分大軍が素早く侵攻できる道なんてそうないでしょうしDQNの魏延とパパラッチ楊儀は草が生えたり生えなかったり
馬謖が山に登ったことは間違いでは無いし、山を駆け下り魏軍に逆落としを食らわせる、という考えも間違ってはいない。魏軍からすると、山道を抜け兵が疲弊した状態で目の前に敵軍が布陣している。しかも相手はいつでもこちらを攻撃できる体制にある。という状況だけで心理的にかなりのダメージが有る。敵が迂回し別のルートを通る場合に備えて、斥候を出しておけば済む話(相手の本陣だけを見張るだけの簡単な仕事です)馬謖が致命的な失敗をしたのは相手に逆包囲された時の対応策。そして何より水源の確保。籠城戦で相手の水源を断つのは古来からの常識。こちらが山を利用した持久戦を取るなら、歴戦の強者である張郃がそこを衝いてくるのは当然の事。
確かに張郃がハンニバルやオイゲン、スヴォーロフみたいな機動したら意味ないもんな。ベルギーとマジノ線ガン防御しててやらかしたガムランみたくなる可能性もあった訳だし。
どこも山がちで大軍の利が薄い場所だった訳だから、来そうなルート全てに千ずつ程で陣地を築いて本隊は後ろから援護という形を取り、いざ来た時には来なかったルートの軍が補給線を切る形にするのが万全だったんじゃないかと考えました水源の確保が甘かったのはまずかったと思います。後事前に異民族に働きかけて援軍を求めることは無理だったのかな?
限界で押す気持ちよく理解出来ますェ
張郃軍を撃破したいという理屈はわからなくないが、それにしてもリスクがあり過ぎる選択ですよね。戦がこれで終了するわけでは無いので手柄を立てるチャンスもまだまだあるだろうに。
Kou Yoneおそらく、涼州の魏軍がかなり弱かったんじゃないでしょうか?それを見た馬謖が「これならイケる」と思ったけど、魏中央から派遣されて来た国軍は将も兵も強くて賢くて、「何コレ知ってる魏軍と違う!?(・_・;?」となって慌てたとか。
きっと景色が良いと思ったのでしょう(・w
「そこに山があるから」という名言は馬謖が言ったんだっけ?
街亭を封鎖後もし張郃軍が進路変更して引くなら「寡兵の蜀軍を恐れて魏軍が撤退した」と喧伝すれば周辺地域を蜀側に懐柔するのも楽になったのにね戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なりですよ
巨大将軍w
無能で片付けられる趙括さんもいつかはそれなりの理があったと思われてほしい…。
括さんは、秦軍を突破して勝とうとしたら、白起さんが従深陣を敷いてた罠にはまっただけだからな。
馬謖としては自分を長平の戦いの趙活と重ねてたりもしてたのではないでしょうか実戦経験の無い者が兵法書通りにやって失敗した事例ですそれを踏まえて定石通りでは同じ事になると思ってたのではないかと考えます
これ丞相は隴山のルート複数あること知っていたのかね?知っていたなら、「全部封鎖できんから敵の動き見て臨機応変に対応しろ。」知らないなら、「地形がわからんから現場のお前に任せる。」と、どちらも現場の馬謖に任せる形になって命令違反ではなく作戦失敗という評価になりそうなんだが。
この考察は当時の地図ではないので本当に複数ルートあるのかはわからないとは思います1800年も前のことなので、今ほど整備されてないのは当然ですし複数ルートがあるのかは古い地図等を探して考察する余地はあるとは思いますね
待ってたゼェこの時をヨォ
馬謖は戦略は理解してた。魏が急がなければならない事をわかってたから「山上に布陣すれば急ぐ魏軍は無理押しで攻撃するか、素通りする。攻撃してくれば有利だし素通りしたら下山の勢いそのまま追撃すれば良い」ぐらいに考えてたんだろところが張郃は水源を抑えて持久戦の構えを見せたわけだ兵站が足りない馬謖は焦る、馬謖が焦らなくても部下は動揺する。無理に下山して戦った結果大敗した。張郃も馬謖もお互いの戦略の重点は理解してたが、現場での引き出しの数に差があったな。歴戦の名将は伊達じゃないって事だね。
2020年11月15日現在は、馬謖の関連ワード登山がBEST3に入ってたww
馬謖は無能!と結果だけを見て評価を下してる人多いから、その評価に待ったをかけるこの動画は凄い価値あるよ。
結果的に馬謖は失敗をしたけど、"何故失敗したのか"を僕達に考察する材料をこの動画は沢山くれてる。三国志好きは勿論、学生で歴史を学んでる人にも是非見てもらいたい動画。
街亭の戦いというジャンルを超えて、何故学校で歴史を学ぶのか?を僕達に教えてくれている。
このシリーズは自分の頭で考えた自分の言葉を自分のペースで動画にしているから見ていて面白く感じるんだろうな
仕事でもインプットしたままの情報より、そいつの理解の上でそいつの言葉で説明してもらった方が遥かに分かりやすいしその後の仕事がやりやすくなる。
ホントこのチャンネルは凄いですよね笑
朧山を封鎖しようといたら、既に魏軍が突破していた…。
突発的な遭遇戦に突入、しかし戦力の差は大きく徐々に押しきられ、全軍崩壊を避けるためにやむをえず後方にあった街亭の山に逃げ込み立てこもった。
その後は有名な話の通り。
的なことをずっと考えていました。
19:02 辺りからの馬謖の言動や思考、正に劉備が遺言した「馬謖は実力に似合わぬ背伸びをする、重用するな」って点だよな。
主さんホントに歴史という学問を楽しんでらっしゃる
面白い動画をありがとうございます
本当にいつも鋭い考察で感心させられてしまう。
次回も期待してます。
この頃馬謖もアラフォーだからね。孔明死後の事を考えればここで功を焦ったのも分かる。
麻雀で例えれば、安い手でも上がれば勝ちなのに役満目指して逆転負けした感じかな
目の前の美味しそうな餌に飛びつかないのも強さですよね
やめてくれ…この前の逆転負けがフラバする…
2万点差もありゃ大丈夫だと思っちまったんだよ…
麓に水源がある古城って、敵にそこに入られれば、高所の利も活かせずに終わるじゃん・・・
たぶん
街亭より西6㎞ほど先にある略陽の城の事か(当時も同じ場所に略陽があるか?は不明)
郡県制郷里制の亭で、街亭の中心部にある役所(現代で言う町や村の本庁舎ではなく、出先機関の支庁や出張所のイメージ)の事だと思います。
いずれにせよ、古城でボロボロで防御力に疑問符が付くシロモノだったり、集落のお役所みたいな城なので極端に小さく収容できる兵力にも数百人程度で使い物にならなかったのでは???
と思うのです
4:57 この考え方を毎回やってくれるから浸透襲撃さんの動画は面白い。
次回も楽しみにしています!
楽しみにしていましたよ。
馬謖の登山は相手が凡将なら焦って突撃してそれを逆落としで撃破出来たかも知れないが相手の張コウが急がなければならないのにあえて敵軍を包囲した。相手が上手だった
待ってました!感謝感謝!
ホントに戦略、政治、地形などに考察が深くて、知っている歴史の話がここまで新鮮になるのかと毎度驚きます!
悲愴的な音楽と内容のマッチングがとても良い
弁当持って水筒忘れたなアイツ
演義ではそうなってますね…。
街亭の戦いは正史記述が少なすぎる手前、どうしても想像での埋め合わせが大きくなってしまいますが、非常に面白い考察でした。
ただ、今回の張コウには時間的余裕がない➕隴山山脈が封鎖されていることさえも張コウ側は知らない
この条件下で街亭の戦いを起こしてしまった馬謖はやはり○○だと思いますけどね。
あー、待ってましたー!!!
失策には必ず、その場では正解と思える判断と、想定外が起こるんですよねえ。だからアホとしてしまうとつまらない。例えば赤壁で船を連結して東南の風で延焼したのは曹操がアホなのか?夷陵で蜀に大敗した呉将たちはアホなのか?じゃあその後、蜀はそのアホになぜ火計をくらって敗れたのか?など、アホにしちゃうとつまらない。
イリョウの戦いは、
戦線が延びきった軍は危うい。
歴史は繰り返される。
相手は奥の手を秘めて
全力で向かってきてないからな。
ソビエトに攻めこんだドイツしかり
中国を攻めた日本軍しかり
街亭の位置が今まで分からなかったので、作戦の意味がよく分からなかったのだが、なんとなく理解が深まった気がする。
張コウさんが天才過ぎるんだよなぁ
時間稼ぎされたらアウトなのに
時間稼ぎになる長期戦を選ぶとかバケモンなんだよ
その評価が低すぎる
演義では山の麓の水の手を断っている事らしいですが…。
これまでの流れだと長期的戦術は魏側は避けたいでしょうから…。
1:40 張郃に諸葛亮の防衛を命じた
8:00 軍争
9:45 アーチャー
13:13 宮下英樹
18:45 アーチャー
動画の問いへの答えではないかもしれませんが、馬謖の失敗は、動画で王平も指摘している通り「不要な奇策に出た」ことによると思います。
張郃がいくら名将とはいえ、この状況で蜀軍が街道封鎖を本線とした魏軍の足止めに専念していたらそれを崩すのは難しかったでしょうが、あえて馬謖が「敵地での敵軍殲滅」という無用に高いハードルを掲げたことで、蜀軍の取れる戦術の幅が狭まり逆に魏軍に余裕が出来たように思います。
そして、第一次北伐の要となる方面軍司令官に文字通り臨機応変に対応できる老練な将軍を配置できなかったのは、蜀漢の人材の薄さもあるとは言え諸葛亮の責任も大きいでしょう。
山上に布陣する事で魏軍の戦術の幅を狭める事が出来たと思い込んだんでしょう
1 無理押しの山攻め
2 素通り
急ぐ必要のある魏軍にこの2択を強いる事が出来たと思ったんでしょうね。
相手の戦略を読めるが故の思い込みですが高くつきましたね。
あのナポレオンですらロシア遠征で
老練な名将であるクトゥーゾフに敗北しているんだから自分が生まれる以前から活躍している名将を侮ってはいけない。
魏延さんにしとけばよかった気もするが。
現在とほとんど地形が変わらないことを前提に言うと、ロウ山の封鎖は無理。ざっと見ると三ヶ所街道(間道も含めるとまだ有ると思われる)封鎖しようとすると戦力を分散するため各個撃破される可能性が大きい。魏の倍以上の戦力を動員出来れば違うのかもしれないが良くて同じぐらいだろう。
今回の解説を聞いていて、一ノ谷の戦いが思い浮かびました。鵯越をしたかはともかく、その気になれば色々なルートが作れるのでしょう。
かつて読んだ本に敵が視認しやすい川を防衛ラインにしたローマは賢いと言っていたけど敵がどこにいるのか解らないの純粋に怖い。
主の動画を拝見するに、質問の答えは「兵站」(補給線)かな。
いつも面白い動画ありがとうございます。
いつも楽しませて貰っています‼
今回も面白いかったです。最高です。
???「登山ってのは登って終わりじゃないんですよ」
やっぱり馬謖が少しでもより軍功を上げようと欲張ったから失敗したってことでしょう。
荊州出身で益州に一族の地盤があるわけでもない、諸葛亮の寵愛頼みで未だ軍功があるわけでもないから将来に対して焦りがあったのは確かでしょう。諸葛亮が姜維というもう1人の後継者候補を得た直後だったのも影響したかもしれないけど。
馬謖の指揮が駄目だったって言うのは、陣形を組んでの戦いは上手かったけど、遭遇戦にはテンパって対応できなかったってことじゃないですかね?
馬謖の処刑は敗戦の責任ではなく逃亡を図ったから説をとります
いま気がついたけど
馬謖って、まさか…童て…もとい初陣?
もしそうなら、戦場から逃亡するのは当たり前かもしれない
(太田道灌の異常な無双ぶりも、実は童貞キラーだったんじゃないかって)
補給が届かないところに大部隊を送ってはいけない(ただし少数部隊は可)
Airの名シーン再現で泣いた…
新しく参加した姜維さんが丞相に気に入られてるのを見て、馬謖さん嫉妬。
「張郃ちゃん倒して目立ってやる!」だったりして。
三國志大戦の馬謖がもろにそれ。良いシーンだったと個人的には思ってます。
大いに有り得ます。
幾ら何でも演技を信用し過ぎ。普通に考えて仮に姜維の能力が高かったとしても新参が司令官任された馬謖の焦りに繋がるとは思えない。
呉の陸遜は調べれば分かるが名家で孫権とも親族なので異例の抜擢があった。
呂蒙が死んで間もないこと、孫権の人を見る目も間違いないものだったこともある。
1000年以上後の島国の様相がわかる俊英がなぜこんなことを(棒
丁寧な説明で登山までの意思決定の過程も理論的には有りだということがわかりましたが
Airの名シーン再現でほとんど吹き飛びました
馬謖の策はすばらしい
相手がコーエーのAIだったら一網打尽の大勝利間違いなしだった
あ~~~っ
こ…これは蜀軍
思いきった作戦にでた!!
山の上にあらかじめ 馬謖くんが山に登り
これは完全に 魏軍の侵攻を
阻止する作戦だぞ!!
張郃「なにィ!!」
この動画を見て、改めて隴山封鎖の任務が、「只のとおせんぼ」と言えるほど簡単なものではないと理解できました。孔明の馬謖起用に反対した蜀軍の武将たちの気持ちが理解できます。陽動に趙雲を使ってしまっているため不可能だが、趙雲に任せたい任務だと思います。個人的に。魏延を斜谷道の陽動に・・ではだめだったのかな・・。
これ動画見てる俺ですら『えっ本当に登るの?』って思うのに、当時の兵士たちはどんな気持ちだったんだろう?
登山部だったら「さすが馬謖キャプテン!」という感じだったんだろうけど、そうじゃなかったら「マジで??」てなるね。
発言に根拠がない馬謖と多くの戦場を駆け抜けた魏延の評価が劉備と孔明で分かれたのは
劉備は現場第一主義、孔明は才能第一主義の違いだったんだろうな。
鋭い。孔明は現場感覚が抜けてたと思う。やはり書生上がり。
しかし、劉備が見逃して孔明が取り立てた人物にもちゃんとしたのがいるんですよね。龐統や蒋琬がそれに当たります。
なので、孔明もそこまで人を見抜く目がなかったわけではない気が。
…とはいえ、劉備よりは落ちますが。
@@YH-nu7wc 国を維持するための登用の目安として2人のバランスは取れているから孔明の目利きが悪いとは思ってはいません。
いざ戦地で起用しようとした時に馬謖の軽率さを劉備は見抜いてたのでしょうね。
馬謖を起用しないといけない状況にしたのは夷陵の戦いでやらかした劉備本人なんだけど。
UPお疲れ様です。
(動画を視聴中)
ああ、確かにこの地形だと進行を読みづらいし博打はしたくないよなぁ…
何だかんだで馬謖さんよく考えていたんだ。
「という事で、ここが街亭だよ」
■南山(想像図)
あっ……!(察し)
あと、他の方々のコメントに「直接戦闘を避けて張郃軍の補給線を妨害する」と言う、最善手と思われる方法がありましたが、悲しいかな実戦経験の薄い&優等生の彼には、その発想は出てこなかったと思われます。
ホントこの戦いは「経験値の差」と言うのを痛感させられますな。
この話を見てみて感じたのは、馬謖は戦略型な気がするな。
待ってたよ!
権力持たされたが、個性ないやつが、変に個性を出そうとすると大損害を与えるって現代でもよく聞くなぁ…2代目ボンボンとか、どこかの実写化映画監督とかゲームの映画化した監督とか、、、
山にはロマンがあるからね、仕方ないね
待ちわびました!
今回一番解説に興味があった所だったのですが、またもや納得の解説、流石です!
馬謖の立場に立っての焦りも秀逸な描写です!孔明の後ろ盾があってもそれがずっと続く訳ではないですからね、実績を上げる絶好の機会だった訳ですね、そんな場面が次もあるとは限らないので馬謖としてはリスク取るのも筋は通ってるんですよね。
歴史上に名を残した名将はその場面をモノにしてるから名を残せた訳ですが、その裏には数多の敗将が名声欲しさに危ない橋を渡り損ねて...というのも歴史の一面かと思います。
蜀軍の魏に対する最大戦果、漢中の戦いでも蜀は山に依って持久戦に持ち込み勝利しましたね。
漢中攻めの時に方正が夏侯淵を山の上からの攻撃で華麗に破ってるんですよね
そこらの影響もあったのではないか?と推測します
慎重派の孔明がリスキーな作戦任すとも考えにくいので独断なのは確実でしょう
定軍山より高い山に陣取って互角にしたから。相手も山に陣取ってる
なら問題ない。
高きによって低きを視るは勢いすでに破竹の如し
タイムスリップして、どんな感じだったのかドローンで上空から見てみたいな。
馬謖はもっとバカだったらよかったのにね
天才だったが故の悲劇なんだろうね
もっとバカだったら、街亭を通らせない事に終始できて、敵が別ルートに変更したならば、後ろからネチネチ攻撃するだけで時間稼ぎができた
出世争いの恐ろしさを見た
まってた。
おおっ 馬謖が登山したか 斬れっ
風向き次第では「焼く」のもアリかな…。
当時大量に木が生えてたかは分からないが…。
この時代には既に過去の英傑の活躍が書物として語り継がれていましたから、彼らも自分の活躍が後世に遺されるものという自覚が強くあったのでしょうね。
馬謖は戦後に逃亡しなければ死罪にはならなかったのではないかな?逃げたことで助かる命も助からなくなったという・・・
いや、兵力を分散しても各個撃破されるとは限らんでしょ
少数で多数を相手にするには、隘路を封鎖するのが一番ってのは常識
大軍を活かせない地形を利用してない時点で、馬謖はかなり大きいミスを犯してると思う
数が蜀軍が多いなら…確かに平地でいいね。
でも、街亭近辺の街道が通る谷幅は、おおむね700m~900mで広いんですよねぇ…
よほどの大軍でないと封鎖はムリでしょうし…
周りの丘陵も街亭のある平地からそれぞれの丘陵の頂上まで、おおむね200m前後しかなく、しかも畑が山頂まで造られ、人が登って畑仕事出来るほど緩やかな傾斜んですよね…
越えようと思えば越えて迂回ができる丘陵地なので、戦力の多さがモノを言う地形
第一次北伐期間は1ヶ月半。
前半は、魏国境~祁山までの約200㎞ぐらい軍の移動と、祁山攻略や雍州3郡の接収と、長安からの情報待ちで時間が潰れてるはずなので、
残り1~2週間で祁山から150㎞先の街亭まで軍を移動させねばならない事を考えると…
大軍引き連れたら行軍は鈍足になって間に合わない…
馬謖軍は、数千~から1万前後の戦力じゃなかったのではなかろーか?…と
街道封鎖による専守では無く、撃破狙って布陣して失敗したんだと思います
敗因は相手の張郃がこの局面でまさかの包囲という持久戦仕掛けてきて完全にテンパってしまったとか
丞相の秘蔵っ子で初の大任、当然それ相応の功も期待されるし本人からしたら相当なプレッシャーですよね
うーん、本隊を街道に置いて助攻を山頂に置いたら良かったのかな?兵が少ないほうが補給にかかる負荷は軽いし旗やら何やらで大軍が居るように偽装したりしてプレッシャーかけるだけでも効果有りそうだし、『蚊のように舞い、蚊のように刺す』で相手にうざがられるのがいい気がする
次回まで待てない・・・
素人の考えですが天水にそれなりの兵力と防御があるなら大軍の通過、兵站の確保が容易な道の封鎖ができる街亭を最初から指定されて派兵されてもおかしくないかなと思いました
迂回されたなら険路や遠回りで疲弊した張郃の後ろを突けるし防御に徹する街亭の隊を丸ごと釘付けにできる兵力に割いたならその分天水を攻める兵力が減って天水が持ちこたえられるという考えですが…
張郃に勝とうと思ったのがなあ
素直に足止めに注力すれば良いのに
占領してるとはいえ敵地だもんなぁ、地の利のないところで内戦作戦なんてのはなぁ
動画の通りだとすれば馬謖は決戦を望んだのに
敵は想定外の消耗戦を仕掛けてきた・・・ということですか?
man syouwa
ですねー
楽しみしていました( ^ω^ )
兵力差がある以上一つ所に留まりたくないから先に仕掛けるっていうのはわからなくもないけど…
でも確実な勝算があるわけでもない上に一度崩されたら隴西一直線で全軍が瓦解しかねないことを考えるとなぁ
水源から離れて山登っちゃだめー!
負ける奴ってのは、勝つ側に殆ど見えてしまってるんだよな。
その上、相手の分析に集中しすぎていて、自分の弱点を理解していない。
対馬海峡ルートをほぼ確信していたが疑心暗鬼だった日本海海戦みたいな感じやな。でも、孔明は確信してたし、ほぼそうなったと思う。下手に勘ぐって忠実に指示を実行しなかったことが馬謖のミスですね。
弁当よし、登る道具も揃った!あれっ?なんか喉がかわいてきたなぁ
これはあくまで考察動画だけど、この動画の当事者の思いを採用するとして、、、
演義でも山上に布陣しようとした理由は逆落しで勝とうとしたため。そしてそれの元をただせば、「守る(負けない戦い)」を「勝つ」と勘違い(功名心?)てことになる。
攻勢防御するにしろ、相手は百戦錬磨の張コウなわけだし。
どちらにせよ、馬謖の分析能力や戦略眼が劣っていたと思う。
送りバントでMVP…趙雲かな
どちらかと言うと戦略はそこまで悪くないけれども
リスキーな作戦をやりおおせるだけの戦術能力が欠けていたんじゃないですかね。
要塞を死守するようなケースはまた別ですが野戦陣が包囲されてしまうのは単純に言って軍勢の進退がヘタクソ。
馬謖の登った山の実際の険しさは知りませんが、
包囲されそうならそれを阻止すべく動くべきだし、それができないほど険しい山なら登るべきじゃない。
その辺の見極めも戦術眼。
うぽつです。当時の街亭 以外の各街道は現代と違って更に狭く険しかった可能性も考えられるので、他の全ての道は防備をおざなりにしたとしても 大軍が急いで通り易い街亭の街道のみを要塞化させて集中防御さえすれば、街亭 以外の道を通らざるをえなくなった張郃や曹真の全軍が南西に向かうのに時間が掛かりすぎて、その間に孔明の本軍が祁山を完全占領して北上するまでの時間を十二分に稼げるだろうと判断されたのだと考えられなくもないのでは ないかなとも……
……あと、できれば妖夢や以前にも出てきていた霊夢や魔理沙も きつね式にしてほしいかもと
隴西のグーグルマップおすすめルートをロックダウンすれば
仮に魏軍が迂回ルートを使ったとしても遠回りするから結果として時間稼ぎになるし
迂回ルートを通った魏軍の背後の補給線を襲うこともできるから
どう考えても隴西のグーグルマップおすすめルートの有利な地形に陣取るのが正しい。
それをしなかった馬謖はやはり無能ではないかも知れないけど不要な博打をした気がする。
馬謖がこの戦いでミスったのは兵法通りにやってしまった事ですね。当然、相手も知っているわけですから状況によって変えなければなりません。ましてや相手は歴戦の名将張郃。彼はまさに応変の戦いを得意にし、劉備が夏侯淵よりも恐れた存在。諸葛亮も恐れていました。それと彼は複雑な命令をして場を混乱させたようです。指揮力も無かった為にズタボロ。水源が無かったのも大きいです。わざわざ部下が下りて汲んでたようなので張郃は見逃しませんでした。唯一の救いは王平が陽動した事。あれによって壊滅は免れました。どの将も降格される中、彼だけが昇進しました。
馬謖が無能というよりも、張郃がとても優秀な将軍だったという事もあるでしょうね。馬謖が陥った状況を巧みに分析して、それを利用して圧倒的に勝った。張郃は黄巾の乱当初から最前線で戦っているベテランであり、培った知識も経験も馬謖の比ではありません。魏軍指折りの名将なのです。
馬謖の不幸は自身の失策もありましたでしょうが、張郃という歴戦の猛者と戦わざるを得なかった事も大きいでしょうね。
迂回ルートは、敵が街亭を守るだけではなくさらに進出してくる可能性も考えるとなかなか選びにくいですよね。
もし万一蜀軍が隴山を東に越えてきたら後方を遮断されてしまう。
実際の蜀軍にその計画はなかったかもしれませんが魏軍の立場ではそれはわからない。
元々短いうえに、一番便利なルートである関係上一番整備されている可能性が高く、
そこを通った蜀軍の機動力は魏軍の後方連絡線に一方的に脅威を与えてくるはずです。
かと言ってそこに守備隊を分遣していては兵力を分散してしまう。
要するに魏は街亭方面を主攻正面にする場合が最も兵力を集中でき、それ以外を主攻撃軸にした場合は兵力は比較的に分散されることになります。
それ今の地図だから道はいっぱいあるように見えるだけで、当時は隴山を越えて西に進む為の道は瓦亭道、鶏頭道、番須道、関隴道の4つがあって、あろう事がその4つ全てが街亭を通る訳なので...
南冲尋定シトクロム
だとしても、道の有無を当てにしてるわけじゃなくて要は通れる所があるかどうかって話でしょう?
実際には街道封鎖で万事良かったとしても、当時の人間がそこまで判断できるような状態かどうか疑問だという話では?
とても良い視点だと思います。街亭に限らず、古今東西ほとんどの将軍や為政者は、少なくとも当時の常識(と思われる)の範囲内での決断をしています。本当にどうしもようもない無能だったり、相手や状況が悪すぎてどうしようもないケースはありますが、少なくともそういった一部を除いては、その時々におけるベストを尽くそうとしています。正常な判断ができる人ならば、誰だって死にたくはないし、後世まで能無しと語り継がれたくないものです。
当時の馬謖軍は存在するだけで敵の抑止になる
これって近代海軍でいう
「現存艦隊主義」(fleet in being)
と同じですね
この戦術は「見敵必殺」の概念と対極の戦術で、日本海軍なんかは戦時中殆ど受け入れなかった戦術だけど、劣勢に回り制海権も奪還できない側の国が取る戦術としては有益な戦術
講談とかでは勇ましい場面とかが受けるから、そういった場面ばかり強調されたり創作されたりして、それを見聞きして育った人々が軍人になると、現存艦隊主義のような戦術は卑怯な戦術のように思えて拒絶されるけど、劣勢なのに無理に攻勢をかけて早々に戦力を喪失して戦力的空白な地域や期間を作ってしまうよりも、遙かに長期間抵抗を続けれるんですよね
当時の馬謖の心の内は分かりませんが、浸透さんが描いているように、蜀内の派閥抗争とかあって、馬謖自身が功を焦ってしまった可能性もあるでしょうね
今後の展開を楽しみにしてます
あと別チャンネルの孫子の兵法シリーズも楽しみに待ち続けますのでよろしくお願いします
大和を大舞台で出撃させないと可愛そうだから、とか戦術論の対極ですからね
硫黄島の戦いのようだ
同意 街亭での決戦強要は隴西地方の確保という戦略目標の達成手段の一つでしかないのに、艦隊決戦で制海権を確保し、通商路補給路を確保するという
戦略目標の手段がいつのまにか決戦に勝利すること自体が目的になってしまったといわといわれがちな帝国海軍と同じ思想的誤りがあったと思います。
(マップを見て思ったこと)
孔明のハラは「最悪でも天水城に籠城すれば足止めになる」じゃないかな? 魏軍を天水包囲と西進軍に分割できればそれでよし。馬謖に余力があれば野戦に出てもよし。
もし魏軍のルートがわかって封鎖しようとしての行動だとしたら、
「水源と砦がある!あそこで守ろう!」からの
「水?城?……やっぱ山だよね!よし、山登るわwww」とか、なんのために街亭を選んだのかって話ですよ
あと、王平だって経験豊富で文字が読めないとはいえ勉強熱心だったはずなんだけど、
それでも説得しきれなかったほどに馬謖の知力・弁舌がずば抜けてたのも痛かった
街亭に着いた瞬間までは誰も何も間違ってなかったのに……
来た!
ゆっくり見よう
自分の死後1800年経って異国の地で、数少ない資料から自分の行動を外国人に検証されるとは、馬謖も九泉でビックリしただろうな。
王平みょん可愛い
「街亭の戦い」は、後に王平が活躍する「興勢の役」と比較してみると面白いですよ。
条件は違うので単純比較はできませんが。
他のルート通る可能性を指摘されてますけど、その可能性は異様に慎重で細かい諸葛丞相ならちゃんと考慮してるんじゃないですかね・・・多分
大軍が素早く侵攻できる道なんてそうないでしょうし
DQNの魏延とパパラッチ楊儀は草が生えたり生えなかったり
馬謖が山に登ったことは間違いでは無いし、山を駆け下り魏軍に逆落としを食らわせる、という考えも間違ってはいない。
魏軍からすると、山道を抜け兵が疲弊した状態で目の前に敵軍が布陣している。
しかも相手はいつでもこちらを攻撃できる体制にある。という状況だけで心理的にかなりのダメージが有る。
敵が迂回し別のルートを通る場合に備えて、斥候を出しておけば済む話(相手の本陣だけを見張るだけの簡単な仕事です)
馬謖が致命的な失敗をしたのは相手に逆包囲された時の対応策。そして何より水源の確保。
籠城戦で相手の水源を断つのは古来からの常識。こちらが山を利用した持久戦を取るなら、歴戦の強者である張郃がそこを衝いてくるのは当然の事。
確かに張郃がハンニバルやオイゲン、スヴォーロフみたいな機動したら意味ないもんな。ベルギーとマジノ線ガン防御しててやらかしたガムランみたくなる可能性もあった訳だし。
どこも山がちで大軍の利が薄い場所だった訳だから、来そうなルート全てに千ずつ程で陣地を築いて本隊は後ろから援護という形を取り、いざ来た時には来なかったルートの軍が補給線を切る形にするのが万全だったんじゃないかと考えました
水源の確保が甘かったのはまずかったと思います。
後事前に異民族に働きかけて援軍を求めることは無理だったのかな?
限界で押す気持ちよく理解出来ますェ
張郃軍を撃破したいという理屈はわからなくないが、それにしてもリスクがあり過ぎる選択ですよね。
戦がこれで終了するわけでは無いので手柄を立てるチャンスもまだまだあるだろうに。
Kou Yone
おそらく、涼州の魏軍がかなり弱かったんじゃないでしょうか?それを見た馬謖が「これならイケる」と思ったけど、魏中央から派遣されて来た国軍は将も兵も強くて賢くて、「何コレ知ってる魏軍と違う!?(・_・;?」となって慌てたとか。
きっと景色が良いと思ったのでしょう(・w
「そこに山があるから」という名言は馬謖が言ったんだっけ?
街亭を封鎖後もし張郃軍が進路変更して引くなら「寡兵の蜀軍を恐れて魏軍が撤退した」と喧伝すれば
周辺地域を蜀側に懐柔するのも楽になったのにね
戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なりですよ
巨大将軍w
無能で片付けられる趙括さんもいつかはそれなりの理があったと思われてほしい…。
括さんは、秦軍を突破して勝とうとしたら、白起さんが従深陣を敷いてた罠にはまっただけだからな。
馬謖としては自分を長平の戦いの趙活と重ねてたりもしてたのではないでしょうか
実戦経験の無い者が兵法書通りにやって失敗した事例です
それを踏まえて定石通りでは同じ事になると思ってたのではないかと考えます
これ丞相は隴山のルート複数あること知っていたのかね?
知っていたなら、「全部封鎖できんから敵の動き見て臨機応変に対応しろ。」
知らないなら、「地形がわからんから現場のお前に任せる。」
と、どちらも現場の馬謖に任せる形になって命令違反ではなく作戦失敗という評価になりそうなんだが。
この考察は当時の地図ではないので本当に複数ルートあるのかはわからないとは思います
1800年も前のことなので、今ほど整備されてないのは当然ですし複数ルートがあるのかは古い地図等を探して考察する余地はあるとは思いますね
待ってたゼェこの時をヨォ
馬謖は戦略は理解してた。魏が急がなければならない事をわかってたから「山上に布陣すれば急ぐ魏軍は無理押しで攻撃するか、素通りする。攻撃してくれば有利だし素通りしたら下山の勢いそのまま追撃すれば良い」ぐらいに考えてたんだろ
ところが張郃は水源を抑えて持久戦の構えを見せたわけだ
兵站が足りない馬謖は焦る、馬謖が焦らなくても部下は動揺する。無理に下山して戦った結果大敗した。
張郃も馬謖もお互いの戦略の重点は理解してたが、現場での引き出しの数に差があったな。
歴戦の名将は伊達じゃないって事だね。
2020年11月15日現在は、馬謖の関連ワード登山がBEST3に入ってたww