194<ゆっくり解説>二代目マツダ ルーチェ「アメリカンから普通の顔に」「ロータリーの絶頂期からどん底を経験したフラッグシップ」「見た目はヤンチャだけど中身はクリーンな優等生」「フェニックスは飛んだ」
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- Опубліковано 23 сер 2024
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あなたがお探しの名車は有るでしょうか?
是非のぞいてみて下さい。
みんなを夢中にしワクワクさせたあの名車たちをゆっくり解説いたします。
現在の車には無い生き生きした個性を放った当時の名車たち
「懐かしいなぁ」「俺乗ってたぜ!」とノスタルジーに浸っていただけたら嬉しいです。
この動画を見られた後にこの車のCMを見てください。
そして、当時カーステで聞いていた曲を検索すれば青春時代にタイムスリップできます。
よろしくお願いいたします。
FREE BGM "ほんわかぷっぷー" by もっぴーさうんど
dova-s.jp/bgm/...
70年代マツダのアメリカンスタイルはカッコいい
RE版の輸出向けはRX-4と呼ばれてました。
うちの親父が乗っていました
とっても速い車でした
12 Aオートマチックに載ってましたが、当時、ソアラ2.8 Lの車が全然ついてこれなくてめちゃくちゃ速い車でした
オートマでしたが あっという間に8000回転まで回ってしまうさすがロータリー燃費も リッター 6位のびました
13 B の グランツーリスモには
日本初 純正アルミホイールが標準装備されました
ルーチェではありませんでしたが、子供の頃「サバンナAP・GSⅡ」が家の車でした。
長距離ドライブすると親父が「足元が熱い」とよく言ってたのを覚えています。
前期のセダンGR APが我が家にありました。
その時に担当した営業マン氏は本社から出向で販売店に来ていた方で、父の後輩と一緒に2台同時にルーチェを購入して喜ばれたと、生前父は語っていました。
二代目は確かに車好きの友人らがイーグルマスクとかビッグルーチェと言っていた。地元はマツダのお膝元だったのでセダン、HT、ワゴンどれもよく見かけた。
国産車の中でルーチェほど各世代でコンセプトやデザインに脈絡のない車も珍しい。四代目までは前後期でも顔付きが全く違っていたりもした。
レパードはそれ以上だと思う。
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レパードは登場の経緯からして妥協の産物でしたからねぇ。初代は対米向けが没になりブルGシリーズの後釜として、二代目はソアラとのライバル関係を煽られたため、三代目はインフィニティ向けを押し付けられ、四代目はとりあえず無いと困るとディーラーの要望で急造されたものでした…
ルーチェがロータリエンジン🎉三代目の車でしたー😢3年間位乗ってました~マツダ一筋55年です~懐かしい想い出ですね~😂
小さい頃友達の父親乗ってた。
200㎞スピードメーターに興奮したよ。
中学生の頃、クラスの副担任の通勤車両が2ドアのルーチェでした。
4ドアの方は、4月7日に有田で行われた「AUTO & CAFE Vol.2」に1台参加していました。
ロータリーAPの初期型は排気系の高温・熱害が問題だった。枯草の上に止めるとそれがくすぶりだすという話もあった。
掘りの深い、いい顔。 ボンネットにパワーバルジ(必要ないけど)エアースクープ。
ダッグテールスポイラー、ライムグリーンに黒いサイドラインでOK。
友達の親が乗っていましたが、その後ファミリアに乗り換えました。
黛敏郎、越路吹雪のCMが記憶に残っている。ルーチェレガートは特に迫力ありまるでアメ車みたいだった。
ワイの免許。教習車。懐かしいです。レシプロだったが、
自動車学校で教習車がコレ。1の前がRで3段ミッションだった。親父のクルマは日産だったのでシフトパターンに違和感なかった。
2代目ルーチェは、西部警察やあぶない刑事で破壊されていました。ちなみに、2代目ルーチェにも、バンがありました。しかし、ロータリーじゃなく、レシプロのみでした。
ファミリアロータリークーペは
オオクボキヨシの愛車だと
知られてるけど
この2代目ルーチェは
国債を使ったねずみ講
「国利民福の会」の会長が
乗ってたのを覚えてます。
前期型のセダンで多分レシプロ
現役(発売中)の頃からずっと後
確か4代目か5代目が現役の頃だったと思う。
おそらく、私利私欲は求めません
っていうアピールの象徴だったんだろうけど
ずっと乗ってたのか
そのために解体屋から
拾ってきたのかは不明です。
当時の大手企業社長や官公庁が世間的なイメージアップを狙い、社用車・公用車をセンチュリーやプレジデントからデビューしたてのルーチェAPに乗り換えたケースがあった。
さぞや後席が狭かっただろうと思うが、それ以上に体面が大事だったのだろう。
東京駅近くにあった旧逓信博物館には、ルーチェAPに自動車電話を取り付けてあって女性が会話してる写真が飾られていたのを何となく覚えてます。
当時子供ながらに「なんで?
」と思いましたが(笑)
友人がウェーバーのダンドラで山道で攻めた走りをしたら0.9Km/1Lだった
ジュジアーロやめたのね。正解と思う
対米輸出が伸びていた時代ですし、国内デザイナーも実力をつけてきたので、欧州(と日本のジャーナリスト様)以外ではデザインも不評なカロッツェリアに依頼するのをやめたんでしょうね。この後各社、海外にデザインスタジオを設置してデザインコンペで競わせ始めます。
コメント失礼致します。😁
ウチの親父の初新車で
ハードトップGS-2
ダークグリーンのMT
を昭和50年11月に納車。
前年に結婚し、510ブルSSSで大方決まっていたようですが、おかんの親戚にマツダの営業マンがおり、今後の事も考えルーチェにしたようです。
当時、ウチの一族も
爺ちゃん;ハコスカR
伯父貴;サバンナ(RX-3)
親戚;シビックRS
と、中々のレーシー車が流行る中でのルーチェは、一族間では微妙なたち位置でした。
ただ、親父の車熱が芽生えたようで、5年後に
ジャパン後期ターボに更新して以降、数年毎に
あれこれと新車を楽しんだようです。
EVとか自動運転とか、ますます車がつまらなくなっていくね。
軽自動車に660ccロータリーエンジンってダメなの?
AT、ABS、衝突防止装置とかはオプションで、燃費悪くてもいいから見た目フツーっぽいデザインのヤツ・・優等生みたいなのはトヨタさんにかなわないと思うよ。