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当時徳大寺有恒さんが間違いだらけのクルマ選びで、「開発を急ぐために弟分のパルサーのパーツを流用した」と苦言を書いてましたね。そして5代目カローラの出来が良すぎてトヨタの後出しじゃんけんに負ける・・(何回目だよ)
乗ったことはないのですが、この親しみやすくて優しげなデザインは好きでした。70カローラのぱきっとしたデザインも良かったですが、80系カローラが、このサニーに近いデザインになったことから考えても、名デザインだと思います。
室内が広そうでファミリー向けという感じでした。
B11サニーはシトロエンにゼッパ型ジョイントの特許を貸して欲しいとお願いしてたと思いますが(日産サイドからは排ガス浄化装置の技術を提供)開発途中で前輪駆動へシフトした事情があったのですね。新車当時、FF化によって開発費が嵩んだせいか最初の車検を迎える頃に鉄ホイールがサビだらけになったりと、見て触っての部分で損をしてた印象がありますね。
姉が新車買った時、代車で2カ月借りて乗ってました。(マイナーチェンジと重なり納期が遅れ、下取り車の車検切れる為、納車まで廃車予定の車を貸してもらえました)1500ccGLの4MT車でしたが、オプションのパワステ付きでしたので、軽い車体で運転が楽しかったです。当時私が乗っていたR31より燃費良かったので、たまに借りて乗ってました。ボディは…ペラペラで剛性はなかったですが…。
7:16 初代ADバン後期と同じ角型2灯のヘッドランプは元々北米仕様から採用されていたんですね。
ルプリはCMの影響もありハッチバッククーペがけっこう好みだったのですが、実車を見た記憶はありません。テールランプ周りのデザインが特に気に入っています。
BDファミリア全盛期の中・・投入された初代FFサニー・・70カローラの人気と大人気ファミリアが売れまくりの影響も有り人気も有りましたが存在感が霞んでしまった印象の記憶有りますね。
サニー以上に無理やり高級車仕立てにさせたローレルスピリットの方がビックリでした(笑)
100kmほど離れた街で教師をやっていた叔父が、4代目セダンからこれに乗り換えてました。白い1300GLセダンだったかな?彼ら一家が遊びに来たり私がひとり汽車で遊びに行ったりと、両家の行き来が活発な頃でしたね。向こうに行った際に、近くの山の頂上までこのクルマでドライブに連れて行ってくれたのがいちばんの思い出です。いま叔父は90歳を超えまだご健在、叔母は亡くなっちゃったけど娘さん(=いとこ)・お孫さんも元気に生活しているよう。思い出させてくれてありがとうございます。そうそう、確か鉄板が薄く小学生の力でもドアパネルが歪むんですよね。次モデルは逆にガッチリしすぎになったとか。
親父がサニー1500GLの4MTを買い「すぐに80キロ出る!」と嬉しそうに自慢していました。トルクフルなE15Sと超軽量780キロの組み合わせでした。その親父も88歳で要介護5となってしまいました。思い出深い車です。
叔父がサニーターボルプリの3ドアクーペに乗ってました。ドッカンターボで加速が凄かったです。ゴールドとブラックのツートーンカラーのボディもカッコ良かったです。マイナーチェンジで3ドアクーペが廃盤になってスーパーハッチバックになってなんか残念だなぁと思いました。今でも叔父の車はカッコ良かったです!
謎の悪者に捕まった松坂慶子がルプリー!と叫ぶと、時任三郎がサニーターボルプリに乗って助けに来るCM懐かしいです。グリルのTURBOの鏡文字が良いですね。近所の床屋のおじさんに、ルプリの展示会行ったら松坂慶子に会えた話をされた事を思い出しました。
当時は雪が降ったらFFは強いということで売れたようなそれでも角ばったFRのカローラのほうが人気があった
松坂慶子と時任三郎だ!
紫頭巾と牛若丸😂
B12トラッドサニー前期と後期2台乗り継ぎました。
最大のヒットは次世代のトラッドことB12じゃないの?・・・
父がカローラと比較して広いからという理由でサニーにしました。最後はフロントガラス上部のシーリングが傷んで雨漏りするようになりお役御免に。
ルプリという名前がオシャレなB11サニー
0:51、プロペラシャフトですね。
CMでは松坂慶子が、スーパーマリオのピーチ姫並みに毎回ギャング(?)にさらわれてたな
自分が免許を取って初めて買ったクルマがこのサニーのハッチバッククーペでした。 1500の85馬力仕様でしたが800kgの軽量ボディーのお陰で良く走りました。冬に4人乗車+荷物満載で軽井沢プリンスホテルへスキーに行きましたが、リッターあたり18kmと燃費も良かったです。当時は塗装が弱く3年で赤色がピンク色に褪せたのには驚きました。ジャッキアップするとドアが開かなくなるほどのボディー剛性の弱さが嫌になりファミリアのセダンに乗り換えてしまいました。
当時新車で母親の兄が4ドアの赤を乗っていて乗せてもらいました。この頃私の父は初代ビスタに乗っていてトヨタのFF日産のFFをどんなんかな〜と試し合いしていたこと思い出しました。懐かしい。
親父の買った車がこれだったなぁ。僕が小学校の時の話。ATと4MTと5MTが選べて、安いからって4MTを買った親父を、子供ながらに「なんだそれ?」って思ったのを覚えてる。
私が普通自動車免許を取得して初めて購入した日産車がB11サニー3ドアHB1500GX-R5MTでFFなのにノンパワステで車庫入れに多少重かったけど運転しやすく家族で色々出かけたのを覚えています!!😊👍
軽いから燃費は良かったがいかんせん安普請なクルマだった。ドアの開閉音は軽と変わらないベチャッとした音で室内の軋み音も酷かった。売れはしたんだけれど
バイト先の師匠が言ってた存在感が無いサニーとADバン(笑)
1983年10月にはフロントグリルに一部変更があったほか、1985年に登場した5代目末期の特別仕様車「α」シリーズにはエアコン付きの「αⅡ」も実際にありました。しかしながらマイコン式フルオートエアコンだなんてまだ「夢のまた夢」だった時代でした。
免許取得当時の実家の父の車だったのでよく運転してました!
良く走ったけど1300のセダンで760kgと超軽量で車体も弱かったなあとラジエターのリザーブタンクがなくてオーバーヒートでエンジンダメになった売れた割に全然残ってないってのもわかる
ゼロヨン加速は71カローラレビンより速かった記憶があります。
開発変更前のサニーターボ、A15Tの出来が良さそうだったので、市販化された状態をぜひ見てみたかった。(警視庁機捜車入札で、納入仕様が1.5Lターボ4ドアに対してトヨタがカローラGTを同額で競合させ落札させた荒技には驚いた)
え?そんなモンが捜査用車として導入されてたんですか!???
ごく普通の一般家庭に好まれそうなデザインですよね、まさに大衆車。こういう車はどんどん潰されるから残らない
しかし今のシエンタフリードルーミー一群とかは、この時代と比べて倍以上の期間造られて半端なく膨大な数が売り捌かれてるから、50年後でもたくさん生き残ってる可能性ありますよね😅
松坂慶子さん+時任三郎さんの電撃サニーのCMがナツいです⚡
代車でカリフォルニアかりたことがありました。E15搭載でしたがよく回るエンジンでたね。😊
1985年頃、初代ハッチバッククーペの中古車に乗ってたなぁ(´∀`)走行距離が大きくなるにつれ、だんだんクラッチが重くなっていったんだよなー結局4年くらい乗ったかな?当時としてもかなりマイナーな車だった笑
日産は石原社長辺りでガタガタになり塙社長辺りでとどめを刺された感じでしょうかね。ラングレーのターボなんか結構速かったですよ。
石原さんは故川又克二さんの考え方を排除したかったからね。ダットサンの名前を黒歴史扱いしたから。故久米豊さんが901を推進したけどね。
同級生の友達のお父さんが、ディーゼルに乗ってました。サニー初のFF&ディーゼルで、燃費はすこぶる良かっただろうと思います。
リッター18キロ前後でした。回転はすぐにあがりましたが振動がとても大きく速度が上がるにつれて静かになったのを思い出します。
サニーの CMで電撃ルプリ~が懐かしいルプリックスと書いてルプリと読めなかった
実家に1500SGL-Exのマニュアルがあったけど、ずんぐりむっくりな外装でした。
B11とB12サニーはどちらも中古車で乗りました。他の方のコメントにもありましたが、B11はボディが薄く剛性不足でした。でも1300のGLαの4MTで加速が良くキビキビと走れました。その数年後B12前期スーパーサルーンに乗りました。ボディの剛性感がブル910型ぐらいのしっかりした印象でした。
このサニーは、そんなに売れたのはびっくり👀しました。ライバルのカローラは、83年にFF になりました。Cm には、最初は、先代の引き継ぎとして松坂慶子さんが起用されて、ターボルプリとマイナーチェンジのハッチバックには、時任三郎さんが起用されていました。ちなみに、ハッチバッククーペは、マイナーチェンジで、廃止されましたが、1986年にRZ 1として復帰しています。
懐かしい。家の車がSGX-Eでした。安っぽく劣化しやすく錆びやすくエンジンの耐久性が無くてオイル下がり起してたけど、軽量ボディなんで加速は良かった。18で4輪免許取って直ぐに夜の峠でヒールアンドトゥの練習したっけな。
19の頃に親父と交換して乗ってたB11サニー後期型1.5GL.4MTでフルノーマル仕様をmomoステアリングからロンシャン6.5j×14で185/60R14のグランプリ履かせてチンスポと板パネを取付乗ってた頃を今思うと懐かしいですサニー好きな親父だったのでB310にも乗っていたのを覚えてます。
昔よく街中で見かけたけど、営業マン曰く 「値引きで勝負しないと売れない」と言ってなかったかなぁ
まぁ、当時の最大のライバルが、トヨタのFRながらも熟成された70カローラにタコⅡ三兄弟、マツダのFFファミリア、戦闘力は落ちるがFFの先輩格のホンダシビック・三菱ミラージュと競合車がキラ星のごとくありゃ…値引きしないとかなりキツいでしょう。😅
だから当時新古車だらけだった。1500と1300GLあたりにエアコンとカセット付いてお買い得みたいなやつ。
どうもこんにちは今回は日産B11系サニーですね。このサニーよく見かけました。乗りやすいですし、サニーカルフォルニアいいですね。スタンザFXスタンザJXを選ぶならFFサニーの方がいい、私は、日産B11系サニーのデザインが大好きです。もし、このサニーが生産していて販売している頃に若かったら購入して運転したい車です。他の動画でヒュンダイエクセルを見た時、前の所いすゞFFジェミニとか日産FFサニー三菱ミラージュランサーに良く似てますね。
この頃の日産車にしては珍しい流線型ですが次のトラッドサニーでは直線基調となってますね
小学校の時、担任が乗ってた😊
1.5Lの方はノンターボでも後に出たS13シルビア程度なら街中ではちぎれるとオーナーは言ってたな。軽量ボディ故に実用域の加速が速いだけでしたが・・
鉄板サニーと呼ばれてました。軽量化のために薄い鉄板を使っていたから?今の車とはドアの厚さが全然違いました。
この型のサニーと真逆で、次期モデルのトラッドサニーはVWサンタナをお手本にしたせいか、大衆車の割にしっかりしたボディのクルマに変化しました。あのカクカクした見た目は賛否が分かれたかも知れませんが……?
ドア閉めるとパチャッって感じで閉まる。同時期のパルサーも同じ。
実は就職して初めて買った車が後期型の3ドアHBでした。軽い車体によく回るE15Sエンジンで気持ちよく走れました。
@@yone-j1l 新車当時CMは時任三郎のみ出演されてましたね、セダンに比べて若々しさのある3ドアハッチバックでした。
日産サニーのライバルはトヨタカローラとターセルコルサカローラIIマツダファミリアのライバルの時代であった。サニーも3ドアハッチバックも存在されてマツダファミリアとトヨタカローラIIによく似た車でした。
母親が乗っていて帰省したら運転したけどオートマのマネジメントが未熟で減速したらシフトアップして逆に速度が出そうになり、まだマニュアルのほうが乗りやすかった時代です
このサニーは理由はわからんけどなんか好きだった
HBのターボに乗ってました、サンルーフの為か車体剛性が低く少し速い速度で、コーナリングをすると車体が軋む。何でも、無理に売るために、セールスマンを増やしたそうですそのために結果として売れはしたが、車体がもろく、後続のB12がサンタナのノウハウを取り込んで高剛性の車体を持つために、乗り換えた可能性があるだから、現存する車が少ないのでは?。
FF方式を採用して登場したB11系日産サニー、さらにサニー初のディーゼルエンジン搭載車と1500ccFF車としては初のターボエンジン搭載車を世に送り出し、日産サニー史上最大のヒット作、
05:47のカタログ写真は松坂慶子さんと松崎しげるさんかな??!
時任三郎
@@健也坂井 Thx!
ターボ以前のE15E(95PS/12.5kgm)は『ターボキラー』と呼ばれるほどよく走るエンジンと評価されていましたね。後に追加された ターボに載せられたE15-ETの 115PS/17.0kgmのスペックは 先に出ていた三菱が『コルディア/トレディア』に載せていた1.6LのG32B(T)と狙ったように全く同じでした。
0:50細かい突っ込みやけど、「ドライブシャフト」じゃなくて「プロペラシャフト」の間違いでしょ。
B11系サニーは、10年経たずにドアトリムが剥がれる個体が多い気がしました。N11パルサーやK10マーチでは目立たたなかったので、材質ではなく設計に問題があったのでしょうか?
この型のサニーバブル期頃大量に解体屋に送られました。93年以降街中で見なくなったという記憶があります。
初めてパワステ付いたサニーだった気がする、大概小型車は重ステだった時代。
そのS13シルビアに乗ってました。
そういえば、自分の家では3ドアハッチの1.5 SGLだったような...子供の頃だから後部座席は特に狭いとは感じなかったけど、乗り降りが少し面倒くさかったのだけは覚えてる...確かSGLとSGXだけに後部窓を開けるためのスライドバーみたいなのが(運転席と助手席の間に)あったと思うけど、子供の頃だった自分から言えば、意外と便利な装備だったなぁと思うのだが...
B11サニー乗っましたよ。しかも当時流行りの?ディーゼル5速マニュアルミッションでした~。でもその前に乗っていたB110やB310がとても良く出来た車だったのでイマイチだったの覚えています。その前FFチェリー乗ってましたので面白みも無かったです。残念カーでした。
全く個人的意見ですが、1番印象にないサニーがコレな気がします……
B11 aka Sunny SentraTsuru CaliforniaNinja SamuraiLeprix
エンジンの耐久性がなくて7~8年目になるとだいたいエンジンブロー起こす個体が多かった記憶
好きな人には悪いけど全体的に安っぽかったという印象。前の310より質感が下がり売れ筋のGLはシートがセミファブリック、鉄板向き出しのトリム現役当時そりゃないだろうと思った。後発信時のエンジン音がガサツという印象が強い→特に1.3と1.7ディーゼルが顕著以上です😢
サニーは私の家族乗っていましたがサニーは極貧の贅沢車。
パルサーエクサEとかリベルタビラとか最後半額で売ってたよね。アホな幹部ばっかしのクルマ屋はこうなるんやな と当時思いましたで。草
日産のFFといえばサニーだかチェリーだかのカタログでFFの欠点を無理やり利点のように書いたカタログがあって読んで噴いた覚えがある確か「FFはタイヤローテーションがもっとも効果がある駆動方式です」みたいなことなどが色々とかいてあったはず
当時徳大寺有恒さんが間違いだらけのクルマ選びで、「開発を急ぐために弟分のパルサーのパーツを流用した」と苦言を書いてましたね。
そして5代目カローラの出来が良すぎてトヨタの後出しじゃんけんに負ける・・(何回目だよ)
乗ったことはないのですが、この親しみやすくて優しげなデザインは好きでした。70カローラのぱきっとしたデザインも良かったですが、80系カローラが、このサニーに近いデザインになったことから考えても、名デザインだと思います。
室内が広そうでファミリー向けという感じでした。
B11サニーはシトロエンにゼッパ型ジョイントの特許を貸して欲しいとお願いしてたと思いますが(日産サイドからは排ガス浄化装置の技術を提供)開発途中で前輪駆動へシフトした事情があったのですね。
新車当時、FF化によって開発費が嵩んだせいか最初の車検を迎える頃に鉄ホイールがサビだらけになったりと、見て触っての部分で損をしてた印象がありますね。
姉が新車買った時、代車で2カ月借りて乗ってました。
(マイナーチェンジと重なり納期が遅れ、下取り車の車検切れる為、納車まで廃車予定の車を貸してもらえました)
1500ccGLの4MT車でしたが、オプションのパワステ付きでしたので、軽い車体で運転が楽しかったです。
当時私が乗っていたR31より燃費良かったので、たまに借りて乗ってました。
ボディは…ペラペラで剛性はなかったですが…。
7:16 初代ADバン後期と同じ角型2灯のヘッドランプは元々北米仕様から採用されていたんですね。
ルプリはCMの影響もありハッチバッククーペがけっこう好みだったのですが、実車を見た記憶はありません。テールランプ周りのデザインが特に気に入っています。
BDファミリア全盛期の中・・投入された初代FFサニー・・70カローラの人気と大人気ファミリアが売れまくりの影響も有り人気も有りましたが存在感が霞んでしまった印象の記憶有りますね。
サニー以上に無理やり高級車仕立てにさせたローレルスピリットの方がビックリでした(笑)
100kmほど離れた街で教師をやっていた叔父が、4代目セダンからこれに乗り換えてました。白い1300GLセダンだったかな?彼ら一家が遊びに来たり私がひとり汽車で遊びに行ったりと、両家の行き来が活発な頃でしたね。向こうに行った際に、近くの山の頂上までこのクルマでドライブに連れて行ってくれたのがいちばんの思い出です。いま叔父は90歳を超えまだご健在、叔母は亡くなっちゃったけど娘さん(=いとこ)・お孫さんも元気に生活しているよう。思い出させてくれてありがとうございます。
そうそう、確か鉄板が薄く小学生の力でもドアパネルが歪むんですよね。次モデルは逆にガッチリしすぎになったとか。
親父がサニー1500GLの4MTを買い「すぐに80キロ出る!」と嬉しそうに自慢していました。トルクフルなE15Sと超軽量780キロの組み合わせでした。その親父も88歳で要介護5となってしまいました。思い出深い車です。
叔父がサニーターボルプリの3ドアクーペに乗ってました。ドッカンターボで加速が凄かったです。ゴールドとブラックのツートーンカラーのボディもカッコ良かったです。マイナーチェンジで3ドアクーペが廃盤になってスーパーハッチバックになってなんか残念だなぁと思いました。今でも叔父の車はカッコ良かったです!
謎の悪者に捕まった松坂慶子がルプリー!と叫ぶと、時任三郎がサニーターボルプリに乗って助けに来るCM懐かしいです。
グリルのTURBOの鏡文字が良いですね。
近所の床屋のおじさんに、ルプリの展示会行ったら松坂慶子に会えた話をされた事を思い出しました。
当時は雪が降ったらFFは強いということで売れたような
それでも角ばったFRのカローラのほうが人気があった
松坂慶子と時任三郎だ!
紫頭巾と牛若丸😂
B12トラッドサニー前期と後期2台乗り継ぎました。
最大のヒットは次世代のトラッドことB12じゃないの?・・・
父がカローラと比較して広いからという理由でサニーにしました。
最後はフロントガラス上部のシーリングが傷んで雨漏りするようになりお役御免に。
ルプリという名前がオシャレなB11サニー
0:51、プロペラシャフトですね。
CMでは松坂慶子が、スーパーマリオのピーチ姫並みに毎回ギャング(?)にさらわれてたな
自分が免許を取って初めて買ったクルマがこのサニーのハッチバッククーペでした。 1500の85馬力仕様でしたが800kgの軽量ボディーのお陰で良く走りました。冬に4人乗車+荷物満載で軽井沢プリンスホテルへスキーに行きましたが、リッターあたり18kmと燃費も良かったです。当時は塗装が弱く3年で赤色がピンク色に褪せたのには驚きました。ジャッキアップするとドアが開かなくなるほどのボディー剛性の弱さが嫌になりファミリアのセダンに乗り換えてしまいました。
当時新車で母親の兄が4ドアの赤を乗っていて乗せてもらいました。この頃私の父は初代ビスタに乗っていてトヨタのFF日産のFFをどんなんかな〜と試し合いしていたこと思い出しました。懐かしい。
親父の買った車がこれだったなぁ。僕が小学校の時の話。ATと4MTと5MTが選べて、安いからって4MTを買った親父を、子供ながらに「なんだそれ?」って思ったのを覚えてる。
私が普通自動車免許を取得して初めて購入した日産車がB11サニー3ドアHB1500GX-R5MTでFFなのにノンパワステで車庫入れに多少重かったけど運転しやすく家族で色々出かけたのを覚えています!!😊👍
軽いから燃費は良かったがいかんせん安普請なクルマだった。ドアの開閉音は軽と変わらないベチャッとした音で室内の軋み音も酷かった。売れはしたんだけれど
バイト先の師匠が言ってた存在感が無いサニーとADバン(笑)
1983年10月にはフロントグリルに一部変更があったほか、1985年に登場した5代目末期の特別仕様車「α」シリーズにはエアコン付きの「αⅡ」も実際にありました。しかしながらマイコン式フルオートエアコンだなんてまだ「夢のまた夢」だった時代でした。
免許取得当時の実家の父の車だったのでよく運転してました!
良く走ったけど1300のセダンで760kgと超軽量で車体も弱かったな
あとラジエターのリザーブタンクがなくてオーバーヒートでエンジンダメになった
売れた割に全然残ってないってのもわかる
ゼロヨン加速は71カローラレビンより速かった記憶があります。
開発変更前のサニーターボ、A15Tの出来が良さそうだったので、市販化された状態をぜひ見てみたかった。
(警視庁機捜車入札で、納入仕様が1.5Lターボ4ドアに対してトヨタがカローラGTを同額で競合させ落札させた荒技には驚いた)
え?そんなモンが捜査用車として導入されてたんですか!???
ごく普通の一般家庭に好まれそうなデザインですよね、まさに大衆車。こういう車はどんどん潰されるから残らない
しかし今のシエンタフリードルーミー一群とかは、この時代と比べて倍以上の期間造られて半端なく膨大な数が売り捌かれてるから、50年後でもたくさん生き残ってる可能性ありますよね😅
松坂慶子さん+時任三郎さんの電撃サニーのCMがナツいです⚡
代車でカリフォルニアかりたことがありました。E15搭載でしたがよく回るエンジンでたね。😊
1985年頃、初代ハッチバッククーペの中古車に乗ってたなぁ(´∀`)
走行距離が大きくなるにつれ、だんだんクラッチが重くなっていったんだよなー
結局4年くらい乗ったかな?
当時としてもかなりマイナーな車だった笑
日産は石原社長辺りでガタガタになり塙社長辺りでとどめを刺された感じでしょうかね。
ラングレーのターボなんか結構速かったですよ。
石原さんは故川又克二さんの考え方を排除したかったからね。ダットサンの名前を黒歴史扱いしたから。故久米豊さんが901を推進したけどね。
同級生の友達のお父さんが、ディーゼルに乗ってました。
サニー初のFF&ディーゼルで、燃費はすこぶる良かっただろうと思います。
リッター18キロ前後でした。回転はすぐにあがりましたが振動がとても大きく速度が上がるにつれて静かになったのを思い出します。
サニーの CMで
電撃ルプリ~が懐かしい
ルプリックスと書いてルプリと読めなかった
実家に1500SGL-Exのマニュアルがあったけど、ずんぐりむっくりな外装でした。
B11とB12サニーはどちらも中古車で乗りました。他の方のコメントにもありましたが、B11はボディが薄く剛性不足でした。でも1300のGLαの4MTで加速が良くキビキビと走れました。その数年後B12前期スーパーサルーンに乗りました。ボディの剛性感がブル910型ぐらいのしっかりした印象でした。
このサニーは、そんなに売れたのはびっくり👀しました。ライバルのカローラは、83年にFF になりました。Cm には、最初は、先代の引き継ぎとして松坂慶子さんが起用されて、ターボルプリとマイナーチェンジのハッチバックには、時任三郎さんが起用されていました。ちなみに、ハッチバッククーペは、マイナーチェンジで、廃止されましたが、1986年にRZ 1として復帰しています。
懐かしい。家の車がSGX-Eでした。安っぽく劣化しやすく錆びやすくエンジンの耐久性が無くてオイル下がり起してたけど、
軽量ボディなんで加速は良かった。18で4輪免許取って直ぐに夜の峠でヒールアンドトゥの練習したっけな。
19の頃に親父と交換して乗ってたB11サニー後期型1.5GL.4MTでフルノーマル仕様をmomoステアリングからロンシャン6.5j×14で185/60R14のグランプリ履かせてチンスポと板パネを取付乗ってた頃を今思うと懐かしいですサニー好きな親父だったのでB310にも乗っていたのを覚えてます。
昔よく街中で見かけたけど、営業マン曰く 「値引きで勝負しないと売れない」と言ってなかったかなぁ
まぁ、当時の最大のライバルが、トヨタのFRながらも熟成された70カローラにタコⅡ三兄弟、マツダのFFファミリア、戦闘力は落ちるがFFの先輩格のホンダシビック・三菱ミラージュと競合車がキラ星のごとくありゃ…値引きしないとかなりキツいでしょう。😅
だから当時新古車だらけだった。1500と1300GLあたりにエアコンとカセット付いてお買い得みたいなやつ。
どうもこんにちは今回は日産B11系サニーですね。このサニーよく見かけました。乗りやすいですし、サニーカルフォルニアいいですね。スタンザFXスタンザJXを選ぶならFFサニーの方がいい、私は、日産B11系サニーのデザインが大好きです。もし、このサニーが生産していて販売している頃に若かったら購入して運転したい車です。他の動画でヒュンダイエクセルを見た時、前の所いすゞFFジェミニとか日産FFサニー三菱ミラージュランサーに良く似てますね。
この頃の日産車にしては珍しい流線型ですが次のトラッドサニーでは直線基調となってますね
小学校の時、担任が乗ってた😊
1.5Lの方はノンターボでも後に出たS13シルビア程度なら街中ではちぎれるとオーナーは言ってたな。
軽量ボディ故に実用域の加速が速いだけでしたが・・
鉄板サニーと呼ばれてました。軽量化のために薄い鉄板を使っていたから?今の車とはドアの厚さが全然違いました。
この型のサニーと真逆で、次期モデルのトラッドサニーはVWサンタナをお手本にしたせいか、大衆車の割にしっかりしたボディのクルマに変化しました。あのカクカクした見た目は賛否が分かれたかも知れませんが……?
ドア閉めるとパチャッって感じで閉まる。同時期のパルサーも同じ。
実は就職して初めて買った車が後期型の3ドアHBでした。軽い車体によく回るE15Sエンジンで気持ちよく走れました。
@@yone-j1l 新車当時CMは時任三郎のみ出演されてましたね、セダンに比べて若々しさのある3ドアハッチバックでした。
日産サニーのライバルはトヨタカローラとターセルコルサカローラIIマツダファミリアのライバルの時代であった。サニーも3ドアハッチバックも存在されてマツダファミリアとトヨタカローラIIによく似た車でした。
母親が乗っていて帰省したら運転したけどオートマのマネジメントが未熟で減速したらシフトアップして逆に速度が出そうになり、まだマニュアルのほうが乗りやすかった時代です
このサニーは理由はわからんけどなんか好きだった
HBのターボに乗ってました、サンルーフの為か車体剛性が低く少し速い速度で、コーナリングをすると
車体が軋む。何でも、無理に売るために、セールスマンを増やしたそうですそのために結果として売れはしたが、
車体がもろく、後続のB12がサンタナのノウハウを取り込んで高剛性の車体を持つために、乗り換えた可能性がある
だから、現存する車が少ないのでは?。
FF方式を採用して登場したB11系日産サニー、さらにサニー初のディーゼルエンジン搭載車と1500ccFF車としては初のターボエンジン搭載車を世に送り出し、日産サニー史上最大のヒット作、
05:47のカタログ写真は松坂慶子さんと松崎しげるさんかな??!
時任三郎
@@健也坂井
Thx!
ターボ以前のE15E(95PS/12.5kgm)は『ターボキラー』と呼ばれるほどよく走るエンジンと評価されていましたね。
後に追加された ターボに載せられたE15-ETの 115PS/17.0kgmのスペックは 先に出ていた三菱が『コルディア/トレディア』に載せていた1.6LのG32B(T)と狙ったように全く同じでした。
0:50
細かい突っ込みやけど、「ドライブシャフト」じゃなくて「プロペラシャフト」の間違いでしょ。
B11系サニーは、10年経たずにドアトリムが剥がれる個体が多い気がしました。N11パルサーやK10マーチでは目立たたなかったので、材質ではなく設計に問題があったのでしょうか?
この型のサニーバブル期頃大量に解体屋に送られました。93年以降街中で見なくなったという記憶があります。
初めてパワステ付いたサニーだった気がする、大概小型車は重ステだった時代。
そのS13シルビアに乗ってました。
そういえば、自分の家では3ドアハッチの1.5 SGLだったような...
子供の頃だから後部座席は特に狭いとは感じなかったけど、乗り降りが少し面倒くさかったのだけは覚えてる...
確かSGLとSGXだけに後部窓を開けるためのスライドバーみたいなのが(運転席と助手席の間に)あったと思うけど、
子供の頃だった自分から言えば、意外と便利な装備だったなぁと思うのだが...
B11サニー乗っましたよ。しかも当時流行りの?ディーゼル5速マニュアルミッションでした~。でもその前に乗っていたB110やB310がとても良く出来た車だったのでイマイチだったの覚えています。その前FFチェリー乗ってましたので面白みも無かったです。残念カーでした。
全く個人的意見ですが、1番印象にないサニーがコレな気がします……
B11 aka
Sunny
Sentra
Tsuru
California
Ninja
Samurai
Leprix
エンジンの耐久性がなくて7~8年目になるとだいたいエンジンブロー起こす個体が多かった記憶
好きな人には悪いけど全体的に安っぽかったという印象。前の310より質感が下がり売れ筋のGLはシートがセミファブリック、鉄板向き出しのトリム現役当時そりゃないだろうと思った。後発信時のエンジン音がガサツという印象が強い→特に1.3と1.7ディーゼルが顕著以上です😢
サニーは私の家族乗っていましたがサニーは極貧の贅沢車。
パルサーエクサEとかリベルタビラとか
最後半額で売ってたよね。
アホな幹部ばっかしのクルマ屋は
こうなるんやな と当時思いましたで。草
日産のFFといえばサニーだかチェリーだかのカタログで
FFの欠点を無理やり利点のように書いたカタログがあって読んで噴いた覚えがある
確か「FFはタイヤローテーションがもっとも効果がある駆動方式です」みたいなことなどが色々とかいてあったはず