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今回の動画は物語のターニングポイントということを的確に考察されていてなるほどと思って拝聴させていただきました。書きたい動画の感想が山ほどあるのですが厳選しつつ、今回も長文コメント失礼いたします。序破急の話を引用されてて、なるほどと思いました。原作では京都府大会まではほぼ無風のように私は感じていたので、(求の件も含めて)破は後編からと思っていましたが、アニメでは(第9話今で見た状態でも)確かにここから破になっていると動画を見て思いました。ここから一気に展開していく流れになってますので、仰るとおりですね。真由のユーフォのオーディションの時、手を抜いた場合の、「いや、それよりも、久美子はそれをしたいのか」の考察がとても大好きですね。このアニメの展開からするとその部分が原作より強調されていますから、まさにそう思って観ていました。こういう行間を読んだ考察をして頂けるのってホントに有難いです。あと、「だれ?」の演技が鋭すぎて「これまで原作を読みながら積み上げてきた私の中の「真由像」を一変させるほどです」は激しく同感です。戸松遥の演技力に魅了されました。もちろんそのあとの「全員」と答える黒沢ともよの演技力もセットで素晴らしいと思いました。これを見た後に原作を読み返しても、このセリフが頭から離れずに、原作の感想が書き換えられてしまうほどでした。この放送後に原作を読み返しましたが、アニメの印象が強すぎて以前の感想には至らなくなりましたwさいごに、こんなことをコメントするのは失礼かと悩みましたが、一応コメントさせていただきます。「原作ではすずめがAメンバーに選ばれた後に描写されていた、すずめと弥生を鈴木さつきが指導するシーン・・・」の話ですが、原作前編でもオーディション前のタイミングでチューニング指導をしているので、アニメと原作も同じだと思っていました。原作後編の冒頭(オーディション後)でもクレッシェンドの指導をさつきがしているので、その場面と混同されたかもしれません。落選したさつきのメンタルサポートを、葉月と美玲がしっかりしてやっている様子がアニメでも視覚的に描写されていてカットされずによかったと思いました。この場面、結果がわかっていても私も泣いてしまいましたw最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
いつもコメントをありがとうございます!参考にさせて頂いております。ご指摘のさつきの指導のところ、確かにありました!指導の締めを美玲がしていたので、てっきり美玲の指導だと思っておりました。私の誤認でした。ありがとうございます!ただ、であるなら、原作ではあがた祭の前だったこのさつきの指導を、オーディション直前に持ってくる花田十輝のセンスにますます感心しました。原作にある要素を使って、よりエグく構成し直しているところがスゴいです。『けいおん!!』の頃は、『けいおん!』の吉田玲子に比べて、やけに萌え方向に振ってくる花田十輝が苦手でしたが、『響け!』や『よりもい』の花田十輝のシリーズ構成は素晴らしくて、観る度に唸らされます。今はこの『響け!三期』もですが、『ガルクラ』の脚本もなかなか好きです。また、いろいろ教えていただけると嬉しいです。ありがとうございます!!
全編にわたり的確な考察で感心しきりです実力のさつきでなく音量など総合的判断で一年生を選んだとなれば当然7:13~7:45のお言葉通り真由ではなく久美子が選ばれたのは本当に実力によるものなのか?部長だからソリに選ばれた?と久美子の心中に葛藤が生まれますよね。見ている私達も
コメントをありがとうございます!ご同意いただき、とても嬉しいです。コンクールメンバーの編成の機微は、一筋縄ではいかない、本当に難しい問題で、とても興味が湧きます。何度でもチャンスがある大人の楽団等とは違って、高校生の時期はたったの三年間、最大でも三回しか吹奏楽コンクールに挑むチャンスはないわけで、落選してしまった部員の気持ちはいかほどのものかと…久美子も、あすか先輩卒業後はずっとユーフォのトップ奏者かと思いきや、真由の転入でとても難しい立場になりました。そんな久美子のこれからがますます興味深いですよね!!
原作を読み終わっている者です。動画の通り、とても良くできた回だったと思いました。ただ、ややペースが早いのが気になります。確か、府大会は発表順が1番だったため、早朝に集まって会場入りしていたようなシーンがあったように記憶しています。このままだと、「一年の詩〜吹奏楽のための」の演奏シーンは全国大会のみになってしまうのではないかと不安に思っています。2クール(13×2話)でやって欲しかったというのが本音です。
コメントをありがとうございます!せめて2クール…は、おそらく全てのファンの本音でしょうね〜私も、本当にそう思っています。かなり削っているとは言え、物語の要素が大変多いので、おっしゃられるように演奏シーンは全国での一度きりはありそうです。もしくは、演奏シーンの完全版は劇場版まで待たされるとか。演奏順が一番目でのエピソードありましたね〜早朝から行動することでリズムが崩れたり、その日一番目の演奏は基準にされるので高得点が出にくい等の逆境がある中、麗奈が「さらぴんの状態で演奏を聴いてもらえる」ことはメリットだと言い切る前向きさに感服しました!
この回は盛り沢山。その意味を理解するには、まず久美子一年生編の隠された物語から。久美子一年生編では、希美のみぞれに対する嫉妬が描かれます。実はこれが久美子の麗奈に対する嫉妬でして、その絡繰りに気付くとユーフォの隠された物語の扉が開きます。これは久美子が自身の『罪』と向き合う物語なんです。で、香織は天が久美子に与えた音楽の才能(麗奈に敗れる久美子の才能!)たる聖女、その聖女が久美子の『罪』を背負い刑場の丘を登る姿、それが公開処刑たる再オーディションに臨む香織です。つまり香織は久美子の『内なるキリスト』=内なる光、なんです。一方、久美子の『罪』から生じた久美子の内なる闇があすかです。麗奈の父のような音楽の才能を有する有り得ぬ父の希求と実際の血筋との間での葛藤と苦悩、それを形にしたのがあすかです。で、『罪』と向き合う久美子の内面がみぞれ、そして原作者の作家としての才能を見出した大切な御友人の中身を久美子(その中身は原作者)の『罪』で置き換えたのが希美です。久美子は自身の『罪』と向き合います。それが、希美(=中身は久美子の『罪』)から逃げたみぞれを希美と向き合わせることであり、希美が戻った部活から*逃げた* あすか(麗奈の言葉「辞めることは逃げること」がここに効いてきます。)を久美子が部活に連れ戻すことなんです。そして滝先生から伝えられたあすかの父の言葉は、久美子の『罪』との向き合いを評価する天の『父』の言葉でした。あすかは久美子の『罪』から生じた内なる闇にして、実は天の『父』が久美子に与えた試練だったんです。こうして久美子は自身の内なる闇を克服します。久美子の内から闇が去る、それがあすかの卒業です。そしてあすかから貰った『父の愛』のノートを開いた時、久美子は初めて知ります。麗奈の『愛』が『父の愛』であったことを! そして実は久美子は『父の愛』の中に居たことを!原作者の作家としての才能を見出し導いた大切な御友人(希美の元となった人物)とは、実は ”麗奈”その人だったんです。そのことは久美子と麗奈が初めて大吉山に登るシーンの描写に見事に隠されています。麗奈は自分に嫉妬する原作者に対し、その『罪』を赦し『愛』を以て導いたんです。ちょうどイエス・キリストが自分を裏切る弟子たちの足を洗った=『罪』を洗う『愛』を授けたように、久美子は自身の『罪』を洗う『愛』を麗奈から授けられていたんです。麗奈の『愛』=『父の愛』、それを知ったことが久美子の目覚め(=みぞれの覚醒)、つまり原作者の原点、作家としての原点であり且つクリスチャンとしての原点、となっている訳です。当初の出版社の大人の事情の為か、久美子一年生編には、ユーフォの物語のエッセンスがギュッと詰め込まれています。それ故に難解過ぎて、『リズと青い鳥』が世に出なかったら自分は恐らく全く読み解けなかったと思います。で、久美子二年生編以降は一年生編の深掘りであったり、一年生編から割愛されていた視点の描写だったりする訳です。前置きが長くなりましたが、ここからが今回の件です。今回、久美子の滝先生への疑念が描かれました。父から頼まれ北宇治の顧問となった子・滝先生、皆を高みへと導き、久美子に天の『父』の言葉を伝えた指導者。この設定、イエス・キリストのイメージと被ります。つまり滝先生はキリスト教を象徴するキャラクターなんですね。滝先生への疑念とは実は原作者が抱いたキリスト教への疑念を意味する訳です。その原因が真由を通して語られます。真由がオーディションを辞退しようか提案する理由、①北宇治で長くやってきた人が吹くべきでは? 前回真由が挙げた理由でした。そして今回も表向きはそう。そしてもう一つ、②部長がオーディション落ちるとマズいから自分が辞退しようか? 今回の始まりの幹部ノートの会話や奏と久美子・真由の会話で分かる今回の真由の提案のホントの理由がこれでした。この二つの理由、それぞれ隠された意味を持ちます。先ず①、これは余所者真由がコンクールに出るべきではないという久美子の心を写したものです。併せて北宇治の集団心理です。その心は、前回久美子が真由に嘘を付いた件、今回真由に曲名を教えなかった件にも表れています。久美子はその心が何なのかまだ理解できずにもがいていますが、その心の件は、実はサリーの件とセットになって、重たいテーマに関する原作者の考察を形作っています。遠藤周作の『沈黙』でも描かれたあの件です。『沈黙』は2016年にハリウッドで映画化され、バチカンでも上映され法王がコメントするなど世界的に話題となりました。サリーは優秀だから部活を辞めてもらっては困る、久美子のこの利己的な心を写した真由の言葉。辞める子の事など如何でもいいという暴言まがいの利己的な真由の言葉に、久美子はハッとして自身の心を反省し、そしてサリーに利他的な心で接します。それが久美子の『愛の行い』として描かれます。サリーが朝練に戻り久美子と言葉を交わす場面、久美子の目に麗奈の『愛』を意味する*紫*が入っていたのを確認してください! (『罪』と向き合い麗奈の『愛』を知った久美子である夏紀が麗奈と同じ紫の目というのはその記号論です。)サリーは実は日本の伝統宗教を象徴するキャラクターです。そのサリーに対する利己的な心、つまりイエズス会宣教師が日本に到着した当時の教会側の利己的な意図と重なるわけです。つまり久美子(原作者)はキリシタン弾圧に至る原因である当時の教会の利己的な心、それと同じ心が自身の内にあることを知り、つまり当時の教会の『罪』を我が『罪』と認識したんです。そして前回の久美子が真由に嘘を付いた時から(否、正確には真由が現れた当初から)久美子が真由に抱くその感情、それが何なのか久美子はまだ理解できずにもがいていますが、実はキリシタンを弾圧した側の心とその集団心理を表している訳です。いづれ久美子はその意味を知る筈です。そしてこのキリシタン弾圧に纏わる一連のことが、原作者のわだかまり、つまり滝先生への疑念として描かれるキリスト教への疑念となっていて、アニメ第三期では久美子がそれを如何乗り越えていくのかが描かれる筈です。そして②については、これまた余所者真由を排除する集団心理でもあるのですが、実はここにもう一つの意味が隠されています。部長は特別な麗奈と並ぶ特別な幹部だから特別な扱いをして欲しい、そう願う久美子の心を写したものです。裏を返せば、神は何故麗奈には特別な音楽の才能を与え自分には与えなかったのか・・そうした久美子の疑問です。つまりこれも原作者が抱いたキリスト教への疑念の要因の一つに成っていると解されます。原作に照らすと、次回のプールのシーンでは、この②とも関連するもう一つの久美子の疑問が真由を通して語られるかも知れませんね。久美子の中に芽生えた滝先生への疑念、その疑念を振り払いたい久美子は、滝先生にすがる様な思いで聞きます「全国に連れて行ってくれるんですよね?」しかし久美子は滝先生から突き放されてしまいます。これも遠藤周作の『沈黙』の影響でしょうか? 主人公で奉行所に追われる身の宣教師は神に問い掛けます。しかし神は沈黙したままで何も答えてくれない・・長文失礼しました。
いつも見事な解説をありがとうございます!精読させていただきました。「沈黙」は、遠藤周作の原作は未読ですが、映画は観ております。と言っても、私がマーティン・スコセッシ監督のファンだから観に行っただけで、いつもの同監督作品とはずいぶん色合いが違っていて、劇場ではずっと戸惑ってばかりでした。そもそも「沈黙」しているのが「神」であることも、だいぶ後になってから知ったくらいです。ただ、真由には、何らかの宗教的な意味合いを感じていました。「豊穣の神デメテル」の別名がクロエであり、「ダフニスとクロエ」に登場するクロエも若者を誘惑するものとして登場するので、その辺りから取られた存在かと思い検討しましたが、なかなかしっくりこなくて放棄気味だったのですが…なるほど、キリスト教ですか!麗奈に与えられた神の恩寵を妬む心理が久美子の心には隠されていると言うのは、うならされました。唐突に思えた「全国に連れて行ってくれるんですよね」も、そう考えると実に理に適います。その他も実に興味深い考察であり、刺激になります。本当に、ありがとうございます!
拝読させていただき深い思議・思慮に感銘を覚えました。3話の朝練でのサリー(笑顔がみぞれと重なって何度見ても泣けてきます…)と久美子の会話での久美子の瞳を確認しました…逆光描写なのに紫が差していました。貴殿の鋭い観察眼と洞察力にも感服いたしました。
@@renjak_anime @Saori-NekoNeko 過分なお褒めに預かり恐縮です。自分はアニメ第1期・第2期を見て約三か月、表の物語は大体読み解けたと思い、隠された物語を探ろうと原作を見てみました。原作を見て直ぐに、血と才能の問題を巡る原作者の心の軌跡の物語が隠されていると気付き、そこで何か分かった様な気になって、オツムが止まってしまいました😅リズも見ていたので、そのうち希美の嫉妬が久美子の嫉妬とは気付いたのですが、その嫉妬を希美が担う意味を全く理解できていませんでした。ある日、香織の再オーディションの意味が全く解っていないことに気付き、南中カルテットや香織の関係の意味を頭をひねって整理していたら、この仕掛けに気付いたんです。みぞれ(=久美子=原作者)が『罪』と向き合っていること、香織が久美子の『罪』を背負った『内なるキリスト』!衝撃でした。アニメを見てから約八か月が過ぎていました。それからどんどんと読み解きが進みました。結論の意味が理解できた時には本当に感激しました。こんな素晴らしい奇跡のような物語だったとは!久美子のアイコンをクリックしたところに久美子一年生編の読み解きを纏めたPDFを載せています。御参考にどうぞ。
真由の「だれ?」は2期のあすか先輩との会話を思い起こします。銀のユーフォとかも真由はあすかに被らせてくるような演出多いですね。あのときあすか先輩には「わたしが」と言えたのに真由には言えなかった(言いたくなかった)久美子。あがた祭や響けユーフォの楽譜なんかでも久美子が一方的に壁を作ってる印象を受けます。麗奈が滝先生を神格化しててたまに暴走するのに対して、久美子は今までの北宇治を神格化することで暴走してしまうような感じがします。なので滝先生が今までとはやり方を変えようとすることに2人の反応も違ってきていて、麗奈が滝先生のやることだから問題ないというのに対して久美子は滝先生が今までの北宇治のやり方を変えようとしてることに拒否感や不安を感じたりもするし、今までの北宇治のやり方を(無自覚に)否定しようとしてくる真由のことも受け入れられないという感じでしょうか。
コメントをありがとうございます!そうですよね!その通りだと思います。あすかに象徴される、これまでの北宇治を否定する存在である真由だから、久美子は受け入れることができない。私は、真由は、北宇治に入らず、あすかや麗奈をはじめ、北宇治の仲間と出会わなかった、別の可能性の久美子であると考えています。だから、久美子は本能的に真由に対して忌避感を抱いてしまうのではないかと。麗奈が滝先生を神格化しているのに対し、久美子が今までの北宇治を神格化しているというのは、なるほど~と思いました。その辺、漠然としていたので、そこを対比として観ることですっきりしました。ありがとうございます!!
原作未読なので、勘違いがあるかもしれませんさっちゃんではなくすずめが選ばれたことは、滝先生が「勝つこと」に拘った選択だと個人的には解釈しています個人レベルの上手い下手ではなく、チームの弱点を解消するために必要な人選さっちゃんを選ぶことは、いわゆる「勝負に勝って試合に負ける」演奏になりかねない、それを回避するための戦略と言えます技術指導だけではなく「勝てるチーム作り」をすることで、全国金賞を目指す生徒の気持ちに応えようとしているのだと感じました
コメントをありがとうございます!そうですね!私もそう思います。今までのように、上手い演奏を目指していただけでは全国金賞は取れない。そのために必要なことを取り入れることで北宇治は確実に強豪校へと変貌していきますが、同時に失うものも多いように感じます。その痛みもまた、この作品のテーマのひとつだと感じています。
@@renjak_anime 1期で麗奈が言った「良くなってる。でも、コンクール的にはダメ」という台詞を思い出しましたある意味、その発言に対するアンチテーゼのように感じました技術面で不安な部分を割り切ってる点も含め、えげつないまでに勝ちに拘ったやり方だと思いました
ユーフォニアムのソロならば純粋に実力勝負ですが今回はトランペットの奏者との呼吸が重要の為、3年間の絆で久美子が良いと判断したのかも
コメントをありがとうございます!そうですね~それは重要だと思います。北宇治も、ただ上手いだけでなく、勝てる演奏を目指すようになった顕れかとも思われますが、同時に、失ったものもあるように思います。あと、原作に麗奈が真由といつの間にか仲良くなっている描写があって、あれはどこにかかっているのだろう…と思っていましたが、そういうことかもしれないと気付くことができました。ありがとうございます!
真由の「だれ?」は、強烈サンフェス演奏や修学旅行を省いているのはいいのですが、本編自体もやはり駆け足すぎる気がします
コメントをありがとうございます!真由の「だれ?」の冷たさには、これまで見せてこなかった彼女の内面が凝縮されているようで、実に惹きつけられました。ずっと真由という存在について掴みきれていませんでしたので、この解釈は実に大きな収穫でした。やはり、もう少し尺を取って、もっとじっくり描いて欲しかったとは、つい思ってしまいますね〜しかし、その短い尺の中で、どこを選択し描写するかで、アニメスタッフの狙いもまた明確になるのではないかとも期待しています。いずれにせよ、続きが楽しみです。
中世古香織の演奏後、拍手したのは吉川優子と(確か)小笠原晴香だったような。勘違いだったら申し訳ない。
コメントをありがとうございます!香織先輩に拍手したのは、おっしゃるとおり吉川優子と小笠原晴香でした。他にも拍手している人がいたように思っていましたが、今、確認したら、拍手の音を聴くかぎりでは、実際に拍手をしたのはこの二人だけのようです。そして、麗奈に拍手をしたのは、久美子と葉月の二人だけ。ちなみに、劇場版では香織先輩に拍手したのは優子だけ、麗奈に拍手したのも久美子だけになっていました。となると、拍手は同数だったのですね…事実誤認がありました。ありがとうございます。お陰で確認ができました。
れんじゃくさんと同じく、最後の久美子と麗奈の語らいのシーンに「あぁ……」となりました。直前の下駄箱のところでの麗奈が進路ことを誤魔化すシーンも含めて、二人の信頼の"ゆらぎ"をはっきり感じました。6話のタイトルはここに凝縮されていたのかな?とも思います。原作読了してますがアニメならではの表現にハラハラ感がたまりません。9話あたりから胃腸薬が必須かもですね~
コメントをありがとうございます!ですよね~随所で不協和音がちらちらしていましたが、美しい夕日の中で、笑顔でされた久美子と麗奈の会話こそが、一番の「ディゾナンス」でしたね!麗奈の「そんなドラムメジャーと仲良しな部長もいるしね」と言うセリフが、胸に突き刺さるのは、やはり我々も久美子の罪悪感を共有しているからでしょうね。ここも原作よりもアニメの方が胸に迫る場面になっていました。おっしゃられるように、原作読了して先々まで分かっているはずなのに、全然この先の展開に安心なんてできませんよね~私も、胃腸薬、用意しておきます!!
今までは弱小校だった北宇治の技術的の底上げの為に滝先生は演奏技術を徹底的に重視して鍛えてきたが、ここにきてバランス重視にスタンスを変えてきたのはここ2年の間にレベルが高い1・2年生が入ってきた事で負担が軽くなり、楽器編成の選択肢の幅が増えた事も一因でしょう。またソリストの場合はソロの技量もさることながら相性も重視されます。『リズと青い鳥』では傘木希美と鎧塚みぞれのソリストで、麗奈が「相性が悪いんじゃないんですか?」と勘繰ったくらいでした。仮に技量的に久美子より上回る真由と麗奈を組ませたら同じ様になるのかもしれません。久美子の技量が真由よりも若干が落ちたとしても問題にならない差であったり阿吽の呼吸が取れるペア同士の方ならば指導者としてはそちらを優先するのでしょう。またチューバパートは前年の奏者である後藤&りこ先輩ペアが抜けた事で美怜以外の3名で補うつもりだったが、すずめの音量で補えたからチューバの1枠を他の楽器編成で充てる為にさつきが外されたとも解釈出来ます。すずめが初心者で粗削りの技量ながらもバスケ部で鍛えた肺活量が滝先生の目に止まった為に技巧派のさつきの能力が埋もれてしまったのは何とも皮肉な事です。
コメントをありがとうございます!ご指摘の点について、北宇治が、以前のようにただ個々の上手さだけを求めていた段階から、次の全国を舞台に演奏できる本当の意味での強豪校へと進化していく過程で、生まれ変わる為の痛みを乗り越えている時期なのかなと思っています。ソリの相性の問題についても同様に感じております。となると、麗奈と久美子の仲が良く相性が良いから…と言う前提を覆すものとして、原作で久美子が知らないうちに麗奈と真由が親しくなっている描写が合ったのかな?と、皆さんのコメントを見ていて気付きました。これまで、その描写が何にかかっているのか分からなかったのですが、これは、後に麗奈と真由でソリを吹く伏線だったのではないかと思い至ったのです。チューバパートについても、まったくその通りですね。しかし、そのすずめが編成に加わったおかげで、ユーフォに枠を割くことができて奏ちゃんがメンバーに入ることができたわけです。では、滝先生が、もっと低音が欲しいと考えたら…ですね。
いつも拝見させていただいております。序破急に関してはヱヴァンゲリヲンで知りました。これから麗奈が暴走し始めるのかと思うとわくわくしますね。言論統制パトロールとか。オーディションが大会毎に行われる事になりましたね。立花編で一度メンバー落ちした的場太一が神田南の𠮟責から努力し、後から昇格したのを思い出しました。しかし、BメンバーもBとして大会に出場するはずですが、メンバーの入れ替えがあったとき、Aから落ちた人はBの楽曲をすぐには吹けないだろうからAにもBにも居られなくなってしまうのでは?という疑念が起こりました。まあ、今年はB編成は大会出場しないのかな?Bの人もAに昇格するためにAの楽曲の練習しかしないだろうし。後、加藤葉月がメンバー入りしましたね。葉月がなぜ北宇治に来たのかというのが謎ですね。どうして中学の続きでテニスを選ばなかったのか。緑は制服がかわいい、強豪校のギスギスに嫌気がさした、という設定があるのに。例え、背が低いから不利、選手に選ばれたことがない、という想像はできますが、なんで吹奏楽?という疑問は晴れないです。
コメントと、いつもご視聴をありがとうございます。そう言っていただくと、とても励みになります。「新劇場版」ですね。「急」が「Q」になったのは驚きましたね。でも、あれは「序破急+完結編」なのでちょっとインチキですねwww的場太一が、怪我をしてしまった未来先輩の代わりにコンクールメンバーになった時、そう言えば物語序盤で小柄な太一は未来先輩と同じくらいの背格好とか言うセリフがあって、この時のための伏線だったか!と気付いて震えました!確かに、おっしゃられるようにB編成の曲目ってどうなっているのですかね?まさか、A編成と同じなわけないですよね。過去の定番曲とかで出るのですかね?考えだしたら気になってきました。緑の動機は、恋愛映画に憧れて、そんな高校生活を送りたくなったからという、にわかには信じがたいものでしたが、確かに、葉月が吹奏楽を目指した明確な理由って語られていませんね。実に面白い視点です!何かに挑戦したかったということですが、それにしてもテニスから吹奏楽では方向性が違いすぎます。案外、武田綾乃の友人・知人の実話とかかもしれませんね。これだけ突飛だと、そんな気もしてきます。
指揮者の音楽が作曲家の心をどこまで表わせるのか、且つまた選んだ作品がどれ程のものなのか、しかも審査員が全作曲家中での位置的にレベルある人達なのか?目立つ事だけを重要視した全国大会ならば意味がないけど基本的に一人一人の演奏者の演奏技術とはあまり関係度が無い大会に思えます。音楽を目指す若者達には合奏を楽しむだけにして欲しい。大会の結果は自分の音楽とはあんまり関係が無いぐらいの気持ちで良いのでは無いでしょうか?このアニメは参加者の心の揺れがある人々も居るんだなぁぐらいで良いでしょう
コメントをありがとうございます!おっしゃられること、わかる気がします。この物語に触れていると、つい大会の結果を求めてしまいますが、学校の部活のあり方としてそれが全てではないことは自明です。橋本先生が口癖のように「音を楽しめ」と言いますが、音だけでなく、三年間しかない高校生活全てを楽しんで欲しいです。そのうえで結果もついてきたら最高なのですが、その辺りはまた別の問題ですね。私は野球が好きなのでつい高校野球に例えてしまうのですが、現千葉ロッテの佐々木朗希投手が高三の時、将来の為に肩を温存し投げなかったために学校は甲子園出場を逃しました。佐々木朗希は良いのです。その後、プロ野球で大活躍しておりますので。では、そのために甲子園に行けなかったチームメイトはどうなのだろう…と、つい考えてしまいます。正解は無い問題ですが、それだけに、そうしたドラマに興味が尽きません。
今回の動画は物語のターニングポイントということを的確に考察されていてなるほどと思って拝聴させていただきました。
書きたい動画の感想が山ほどあるのですが厳選しつつ、今回も長文コメント失礼いたします。
序破急の話を引用されてて、なるほどと思いました。原作では京都府大会まではほぼ無風のように私は感じていたので、(求の件も含めて)破は後編からと思っていましたが、アニメでは(第9話今で見た状態でも)確かにここから破になっていると動画を見て思いました。ここから一気に展開していく流れになってますので、仰るとおりですね。
真由のユーフォのオーディションの時、手を抜いた場合の、「いや、それよりも、久美子はそれをしたいのか」の考察がとても大好きですね。このアニメの展開からするとその部分が原作より強調されていますから、まさにそう思って観ていました。こういう行間を読んだ考察をして頂けるのってホントに有難いです。
あと、「だれ?」の演技が鋭すぎて「これまで原作を読みながら積み上げてきた私の中の「真由像」を一変させるほどです」は激しく同感です。戸松遥の演技力に魅了されました。もちろんそのあとの「全員」と答える黒沢ともよの演技力もセットで素晴らしいと思いました。これを見た後に原作を読み返しても、このセリフが頭から離れずに、原作の感想が書き換えられてしまうほどでした。この放送後に原作を読み返しましたが、アニメの印象が強すぎて以前の感想には至らなくなりましたw
さいごに、こんなことをコメントするのは失礼かと悩みましたが、一応コメントさせていただきます。
「原作ではすずめがAメンバーに選ばれた後に描写されていた、すずめと弥生を鈴木さつきが指導するシーン・・・」の話ですが、原作前編でもオーディション前のタイミングでチューニング指導をしているので、アニメと原作も同じだと思っていました。
原作後編の冒頭(オーディション後)でもクレッシェンドの指導をさつきがしているので、その場面と混同されたかもしれません。
落選したさつきのメンタルサポートを、葉月と美玲がしっかりしてやっている様子がアニメでも視覚的に描写されていてカットされずによかったと思いました。この場面、結果がわかっていても私も泣いてしまいましたw
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
いつもコメントをありがとうございます!参考にさせて頂いております。
ご指摘のさつきの指導のところ、確かにありました!指導の締めを美玲がしていたので、てっきり美玲の指導だと思っておりました。私の誤認でした。ありがとうございます!
ただ、であるなら、原作ではあがた祭の前だったこのさつきの指導を、オーディション直前に持ってくる花田十輝のセンスにますます感心しました。原作にある要素を使って、よりエグく構成し直しているところがスゴいです。
『けいおん!!』の頃は、『けいおん!』の吉田玲子に比べて、やけに萌え方向に振ってくる花田十輝が苦手でしたが、『響け!』や『よりもい』の花田十輝のシリーズ構成は素晴らしくて、観る度に唸らされます。今はこの『響け!三期』もですが、『ガルクラ』の脚本もなかなか好きです。
また、いろいろ教えていただけると嬉しいです。ありがとうございます!!
全編にわたり的確な考察で感心しきりです
実力のさつきでなく音量など総合的判断で一年生を選んだとなれば当然7:13~7:45のお言葉通り真由ではなく久美子が選ばれたのは本当に実力によるものなのか?部長だからソリに選ばれた?と久美子の心中に葛藤が生まれますよね。見ている私達も
コメントをありがとうございます!
ご同意いただき、とても嬉しいです。
コンクールメンバーの編成の機微は、一筋縄ではいかない、本当に難しい問題で、とても興味が湧きます。何度でもチャンスがある大人の楽団等とは違って、高校生の時期はたったの三年間、最大でも三回しか吹奏楽コンクールに挑むチャンスはないわけで、落選してしまった部員の気持ちはいかほどのものかと…
久美子も、あすか先輩卒業後はずっとユーフォのトップ奏者かと思いきや、真由の転入でとても難しい立場になりました。そんな久美子のこれからがますます興味深いですよね!!
原作を読み終わっている者です。動画の通り、とても良くできた回だったと思いました。ただ、ややペースが早いのが気になります。確か、府大会は発表順が1番だったため、早朝に集まって会場入りしていたようなシーンがあったように記憶しています。このままだと、「一年の詩〜吹奏楽のための」の演奏シーンは全国大会のみになってしまうのではないかと不安に思っています。2クール(13×2話)でやって欲しかったというのが本音です。
コメントをありがとうございます!
せめて2クール…は、おそらく全てのファンの本音でしょうね〜私も、本当にそう思っています。かなり削っているとは言え、物語の要素が大変多いので、おっしゃられるように演奏シーンは全国での一度きりはありそうです。もしくは、演奏シーンの完全版は劇場版まで待たされるとか。
演奏順が一番目でのエピソードありましたね〜早朝から行動することでリズムが崩れたり、その日一番目の演奏は基準にされるので高得点が出にくい等の逆境がある中、麗奈が「さらぴんの状態で演奏を聴いてもらえる」ことはメリットだと言い切る前向きさに感服しました!
この回は盛り沢山。その意味を理解するには、まず久美子一年生編の隠された物語から。
久美子一年生編では、希美のみぞれに対する嫉妬が描かれます。実はこれが久美子の麗奈に対する嫉妬でして、その絡繰りに気付くとユーフォの隠された物語の扉が開きます。これは久美子が自身の『罪』と向き合う物語なんです。
で、香織は天が久美子に与えた音楽の才能(麗奈に敗れる久美子の才能!)たる聖女、その聖女が久美子の『罪』を背負い刑場の丘を登る姿、それが公開処刑たる再オーディションに臨む香織です。つまり香織は久美子の『内なるキリスト』=内なる光、なんです。
一方、久美子の『罪』から生じた久美子の内なる闇があすかです。麗奈の父のような音楽の才能を有する有り得ぬ父の希求と実際の血筋との間での葛藤と苦悩、それを形にしたのがあすかです。
で、『罪』と向き合う久美子の内面がみぞれ、そして原作者の作家としての才能を見出した大切な御友人の中身を久美子(その中身は原作者)の『罪』で置き換えたのが希美です。
久美子は自身の『罪』と向き合います。それが、希美(=中身は久美子の『罪』)から逃げたみぞれを希美と向き合わせることであり、希美が戻った部活から*逃げた* あすか(麗奈の言葉「辞めることは逃げること」がここに効いてきます。)を久美子が部活に連れ戻すことなんです。
そして滝先生から伝えられたあすかの父の言葉は、久美子の『罪』との向き合いを評価する天の『父』の言葉でした。あすかは久美子の『罪』から生じた内なる闇にして、実は天の『父』が久美子に与えた試練だったんです。
こうして久美子は自身の内なる闇を克服します。久美子の内から闇が去る、それがあすかの卒業です。
そしてあすかから貰った『父の愛』のノートを開いた時、久美子は初めて知ります。麗奈の『愛』が『父の愛』であったことを! そして実は久美子は『父の愛』の中に居たことを!
原作者の作家としての才能を見出し導いた大切な御友人(希美の元となった人物)とは、実は ”麗奈”その人だったんです。そのことは久美子と麗奈が初めて大吉山に登るシーンの描写に見事に隠されています。麗奈は自分に嫉妬する原作者に対し、その『罪』を赦し『愛』を以て導いたんです。ちょうどイエス・キリストが自分を裏切る弟子たちの足を洗った=『罪』を洗う『愛』を授けたように、久美子は自身の『罪』を洗う『愛』を麗奈から授けられていたんです。
麗奈の『愛』=『父の愛』、それを知ったことが久美子の目覚め(=みぞれの覚醒)、つまり原作者の原点、作家としての原点であり且つクリスチャンとしての原点、となっている訳です。
当初の出版社の大人の事情の為か、久美子一年生編には、ユーフォの物語のエッセンスがギュッと詰め込まれています。それ故に難解過ぎて、『リズと青い鳥』が世に出なかったら自分は恐らく全く読み解けなかったと思います。で、久美子二年生編以降は一年生編の深掘りであったり、一年生編から割愛されていた視点の描写だったりする訳です。
前置きが長くなりましたが、ここからが今回の件です。
今回、久美子の滝先生への疑念が描かれました。父から頼まれ北宇治の顧問となった子・滝先生、皆を高みへと導き、久美子に天の『父』の言葉を伝えた指導者。この設定、イエス・キリストのイメージと被ります。つまり滝先生はキリスト教を象徴するキャラクターなんですね。滝先生への疑念とは実は原作者が抱いたキリスト教への疑念を意味する訳です。その原因が真由を通して語られます。
真由がオーディションを辞退しようか提案する理由、
①北宇治で長くやってきた人が吹くべきでは?
前回真由が挙げた理由でした。そして今回も表向きはそう。そしてもう一つ、
②部長がオーディション落ちるとマズいから自分が辞退しようか?
今回の始まりの幹部ノートの会話や奏と久美子・真由の会話で分かる今回の真由の提案のホントの理由がこれでした。
この二つの理由、それぞれ隠された意味を持ちます。
先ず①、これは余所者真由がコンクールに出るべきではないという久美子の心を写したものです。併せて北宇治の集団心理です。その心は、前回久美子が真由に嘘を付いた件、今回真由に曲名を教えなかった件にも表れています。久美子はその心が何なのかまだ理解できずにもがいていますが、その心の件は、実はサリーの件とセットになって、重たいテーマに関する原作者の考察を形作っています。
遠藤周作の『沈黙』でも描かれたあの件です。『沈黙』は2016年にハリウッドで映画化され、バチカンでも上映され法王がコメントするなど世界的に話題となりました。
サリーは優秀だから部活を辞めてもらっては困る、久美子のこの利己的な心を写した真由の言葉。辞める子の事など如何でもいいという暴言まがいの利己的な真由の言葉に、久美子はハッとして自身の心を反省し、そしてサリーに利他的な心で接します。それが久美子の『愛の行い』として描かれます。サリーが朝練に戻り久美子と言葉を交わす場面、久美子の目に麗奈の『愛』を意味する*紫*が入っていたのを確認してください! (『罪』と向き合い麗奈の『愛』を知った久美子である夏紀が麗奈と同じ紫の目というのはその記号論です。)
サリーは実は日本の伝統宗教を象徴するキャラクターです。そのサリーに対する利己的な心、つまりイエズス会宣教師が日本に到着した当時の教会側の利己的な意図と重なるわけです。つまり久美子(原作者)はキリシタン弾圧に至る原因である当時の教会の利己的な心、それと同じ心が自身の内にあることを知り、つまり当時の教会の『罪』を我が『罪』と認識したんです。
そして前回の久美子が真由に嘘を付いた時から(否、正確には真由が現れた当初から)久美子が真由に抱くその感情、それが何なのか久美子はまだ理解できずにもがいていますが、実はキリシタンを弾圧した側の心とその集団心理を表している訳です。いづれ久美子はその意味を知る筈です。
そしてこのキリシタン弾圧に纏わる一連のことが、原作者のわだかまり、つまり滝先生への疑念として描かれるキリスト教への疑念となっていて、アニメ第三期では久美子がそれを如何乗り越えていくのかが描かれる筈です。
そして②については、これまた余所者真由を排除する集団心理でもあるのですが、実はここにもう一つの意味が隠されています。
部長は特別な麗奈と並ぶ特別な幹部だから特別な扱いをして欲しい、そう願う久美子の心を写したものです。裏を返せば、神は何故麗奈には特別な音楽の才能を与え自分には与えなかったのか・・そうした久美子の疑問です。つまりこれも原作者が抱いたキリスト教への疑念の要因の一つに成っていると解されます。
原作に照らすと、次回のプールのシーンでは、この②とも関連するもう一つの久美子の疑問が真由を通して語られるかも知れませんね。
久美子の中に芽生えた滝先生への疑念、その疑念を振り払いたい久美子は、滝先生にすがる様な思いで聞きます
「全国に連れて行ってくれるんですよね?」
しかし久美子は滝先生から突き放されてしまいます。
これも遠藤周作の『沈黙』の影響でしょうか? 主人公で奉行所に追われる身の宣教師は神に問い掛けます。しかし神は沈黙したままで何も答えてくれない・・
長文失礼しました。
いつも見事な解説をありがとうございます!
精読させていただきました。
「沈黙」は、遠藤周作の原作は未読ですが、映画は観ております。と言っても、私がマーティン・スコセッシ監督のファンだから観に行っただけで、いつもの同監督作品とはずいぶん色合いが違っていて、劇場ではずっと戸惑ってばかりでした。
そもそも「沈黙」しているのが「神」であることも、だいぶ後になってから知ったくらいです。
ただ、真由には、何らかの宗教的な意味合いを感じていました。「豊穣の神デメテル」の別名がクロエであり、「ダフニスとクロエ」に登場するクロエも若者を誘惑するものとして登場するので、その辺りから取られた存在かと思い検討しましたが、なかなかしっくりこなくて放棄気味だったのですが…
なるほど、キリスト教ですか!
麗奈に与えられた神の恩寵を妬む心理が久美子の心には隠されていると言うのは、うならされました。唐突に思えた「全国に連れて行ってくれるんですよね」も、そう考えると実に理に適います。
その他も実に興味深い考察であり、刺激になります。本当に、ありがとうございます!
拝読させていただき深い思議・思慮に感銘を覚えました。
3話の朝練でのサリー(笑顔がみぞれと重なって何度見ても泣けてきます…)と久美子の会話での久美子の瞳を確認しました…逆光描写なのに紫が差していました。
貴殿の鋭い観察眼と洞察力にも感服いたしました。
@@renjak_anime @Saori-NekoNeko 過分なお褒めに預かり恐縮です。自分はアニメ第1期・第2期を見て約三か月、表の物語は大体読み解けたと思い、隠された物語を探ろうと原作を見てみました。原作を見て直ぐに、血と才能の問題を巡る原作者の心の軌跡の物語が隠されていると気付き、そこで何か分かった様な気になって、オツムが止まってしまいました😅
リズも見ていたので、そのうち希美の嫉妬が久美子の嫉妬とは気付いたのですが、その嫉妬を希美が担う意味を全く理解できていませんでした。
ある日、香織の再オーディションの意味が全く解っていないことに気付き、南中カルテットや香織の関係の意味を頭をひねって整理していたら、この仕掛けに気付いたんです。みぞれ(=久美子=原作者)が『罪』と向き合っていること、香織が久美子の『罪』を背負った『内なるキリスト』!
衝撃でした。アニメを見てから約八か月が過ぎていました。
それからどんどんと読み解きが進みました。結論の意味が理解できた時には本当に感激しました。こんな素晴らしい奇跡のような物語だったとは!
久美子のアイコンをクリックしたところに久美子一年生編の読み解きを纏めたPDFを載せています。御参考にどうぞ。
真由の「だれ?」は2期のあすか先輩との会話を思い起こします。銀のユーフォとかも真由はあすかに被らせてくるような演出多いですね。あのときあすか先輩には「わたしが」と言えたのに真由には言えなかった(言いたくなかった)久美子。あがた祭や響けユーフォの楽譜なんかでも久美子が一方的に壁を作ってる印象を受けます。
麗奈が滝先生を神格化しててたまに暴走するのに対して、久美子は今までの北宇治を神格化することで暴走してしまうような感じがします。
なので滝先生が今までとはやり方を変えようとすることに2人の反応も違ってきていて、麗奈が滝先生のやることだから問題ないというのに対して久美子は滝先生が今までの北宇治のやり方を変えようとしてることに拒否感や不安を感じたりもするし、今までの北宇治のやり方を(無自覚に)否定しようとしてくる真由のことも受け入れられないという感じでしょうか。
コメントをありがとうございます!
そうですよね!その通りだと思います。
あすかに象徴される、これまでの北宇治を否定する存在である真由だから、久美子は受け入れることができない。私は、真由は、北宇治に入らず、あすかや麗奈をはじめ、北宇治の仲間と出会わなかった、別の可能性の久美子であると考えています。だから、久美子は本能的に真由に対して忌避感を抱いてしまうのではないかと。
麗奈が滝先生を神格化しているのに対し、久美子が今までの北宇治を神格化しているというのは、なるほど~と思いました。その辺、漠然としていたので、そこを対比として観ることですっきりしました。ありがとうございます!!
原作未読なので、勘違いがあるかもしれません
さっちゃんではなくすずめが選ばれたことは、滝先生が「勝つこと」に拘った選択だと個人的には解釈しています
個人レベルの上手い下手ではなく、チームの弱点を解消するために必要な人選
さっちゃんを選ぶことは、いわゆる「勝負に勝って試合に負ける」演奏になりかねない、それを回避するための戦略と言えます
技術指導だけではなく「勝てるチーム作り」をすることで、全国金賞を目指す生徒の気持ちに応えようとしているのだと感じました
コメントをありがとうございます!
そうですね!私もそう思います。今までのように、上手い演奏を目指していただけでは全国金賞は取れない。そのために必要なことを取り入れることで北宇治は確実に強豪校へと変貌していきますが、同時に失うものも多いように感じます。その痛みもまた、この作品のテーマのひとつだと感じています。
@@renjak_anime
1期で麗奈が言った「良くなってる。でも、コンクール的にはダメ」という台詞を思い出しました
ある意味、その発言に対するアンチテーゼのように感じました
技術面で不安な部分を割り切ってる点も含め、えげつないまでに勝ちに拘ったやり方だと思いました
ユーフォニアムのソロならば純粋に実力勝負ですが今回はトランペットの奏者との呼吸が重要の為、3年間の絆で久美子が良いと判断したのかも
コメントをありがとうございます!
そうですね~それは重要だと思います。北宇治も、ただ上手いだけでなく、勝てる演奏を目指すようになった顕れかとも思われますが、同時に、失ったものもあるように思います。
あと、原作に麗奈が真由といつの間にか仲良くなっている描写があって、あれはどこにかかっているのだろう…と思っていましたが、そういうことかもしれないと気付くことができました。ありがとうございます!
真由の「だれ?」は、強烈
サンフェス演奏や修学旅行を省いているのはいいのですが、本編自体もやはり駆け足すぎる気がします
コメントをありがとうございます!
真由の「だれ?」の冷たさには、これまで見せてこなかった彼女の内面が凝縮されているようで、実に惹きつけられました。ずっと真由という存在について掴みきれていませんでしたので、この解釈は実に大きな収穫でした。
やはり、もう少し尺を取って、もっとじっくり描いて欲しかったとは、つい思ってしまいますね〜しかし、その短い尺の中で、どこを選択し描写するかで、アニメスタッフの狙いもまた明確になるのではないかとも期待しています。いずれにせよ、続きが楽しみです。
中世古香織の演奏後、拍手したのは吉川優子と(確か)小笠原晴香だったような。勘違いだったら申し訳ない。
コメントをありがとうございます!
香織先輩に拍手したのは、おっしゃるとおり吉川優子と小笠原晴香でした。他にも拍手している人がいたように思っていましたが、今、確認したら、拍手の音を聴くかぎりでは、実際に拍手をしたのはこの二人だけのようです。そして、麗奈に拍手をしたのは、久美子と葉月の二人だけ。
ちなみに、劇場版では香織先輩に拍手したのは優子だけ、麗奈に拍手したのも久美子だけになっていました。
となると、拍手は同数だったのですね…事実誤認がありました。ありがとうございます。お陰で確認ができました。
れんじゃくさんと同じく、最後の久美子と麗奈の語らいのシーンに「あぁ……」となりました。
直前の下駄箱のところでの麗奈が進路ことを誤魔化すシーンも含めて、二人の信頼の"ゆらぎ"をはっきり感じました。
6話のタイトルはここに凝縮されていたのかな?とも思います。
原作読了してますがアニメならではの表現にハラハラ感がたまりません。
9話あたりから胃腸薬が必須かもですね~
コメントをありがとうございます!
ですよね~随所で不協和音がちらちらしていましたが、美しい夕日の中で、笑顔でされた久美子と麗奈の会話こそが、一番の「ディゾナンス」でしたね!
麗奈の「そんなドラムメジャーと仲良しな部長もいるしね」と言うセリフが、胸に突き刺さるのは、やはり我々も久美子の罪悪感を共有しているからでしょうね。ここも原作よりもアニメの方が胸に迫る場面になっていました。
おっしゃられるように、原作読了して先々まで分かっているはずなのに、全然この先の展開に安心なんてできませんよね~私も、胃腸薬、用意しておきます!!
今までは弱小校だった北宇治の技術的の底上げの為に滝先生は演奏技術を徹底的に重視して鍛えてきたが、ここにきてバランス重視にスタンスを変えてきたのはここ2年の間にレベルが高い1・2年生が入ってきた事で負担が軽くなり、楽器編成の選択肢の幅が増えた事も一因でしょう。
またソリストの場合はソロの技量もさることながら相性も重視されます。
『リズと青い鳥』では傘木希美と鎧塚みぞれのソリストで、麗奈が「相性が悪いんじゃないんですか?」と勘繰ったくらいでした。仮に技量的に久美子より上回る真由と麗奈を組ませたら同じ様になるのかもしれません。久美子の技量が真由よりも若干が落ちたとしても問題にならない差であったり阿吽の呼吸が取れるペア同士の方ならば指導者としてはそちらを優先するのでしょう。
またチューバパートは前年の奏者である後藤&りこ先輩ペアが抜けた事で美怜以外の3名で補うつもりだったが、すずめの音量で補えたからチューバの1枠を他の楽器編成で充てる為にさつきが外されたとも解釈出来ます。すずめが初心者で粗削りの技量ながらもバスケ部で鍛えた肺活量が滝先生の目に止まった為に技巧派のさつきの能力が埋もれてしまったのは何とも皮肉な事です。
コメントをありがとうございます!
ご指摘の点について、北宇治が、以前のようにただ個々の上手さだけを求めていた段階から、次の全国を舞台に演奏できる本当の意味での強豪校へと進化していく過程で、生まれ変わる為の痛みを乗り越えている時期なのかなと思っています。
ソリの相性の問題についても同様に感じております。となると、麗奈と久美子の仲が良く相性が良いから…と言う前提を覆すものとして、原作で久美子が知らないうちに麗奈と真由が親しくなっている描写が合ったのかな?と、皆さんのコメントを見ていて気付きました。これまで、その描写が何にかかっているのか分からなかったのですが、これは、後に麗奈と真由でソリを吹く伏線だったのではないかと思い至ったのです。
チューバパートについても、まったくその通りですね。しかし、そのすずめが編成に加わったおかげで、ユーフォに枠を割くことができて奏ちゃんがメンバーに入ることができたわけです。では、滝先生が、もっと低音が欲しいと考えたら…ですね。
いつも拝見させていただいております。
序破急に関してはヱヴァンゲリヲンで知りました。これから麗奈が暴走し始めるのかと思うとわくわくしますね。言論統制パトロールとか。
オーディションが大会毎に行われる事になりましたね。立花編で一度メンバー落ちした的場太一が神田南の𠮟責から努力し、後から昇格したのを思い出しました。
しかし、BメンバーもBとして大会に出場するはずですが、メンバーの入れ替えがあったとき、Aから落ちた人はBの楽曲をすぐには吹けないだろうからAにもBにも居られなくなってしまうのでは?という疑念が起こりました。
まあ、今年はB編成は大会出場しないのかな?Bの人もAに昇格するためにAの楽曲の練習しかしないだろうし。
後、加藤葉月がメンバー入りしましたね。葉月がなぜ北宇治に来たのかというのが謎ですね。どうして中学の続きでテニスを選ばなかったのか。緑は制服がかわいい、強豪校のギスギスに嫌気がさした、という設定があるのに。例え、背が低いから不利、選手に選ばれたことがない、という想像はできますが、なんで吹奏楽?という疑問は晴れないです。
コメントと、いつもご視聴をありがとうございます。そう言っていただくと、とても励みになります。
「新劇場版」ですね。「急」が「Q」になったのは驚きましたね。でも、あれは「序破急+完結編」なのでちょっとインチキですねwww
的場太一が、怪我をしてしまった未来先輩の代わりにコンクールメンバーになった時、そう言えば物語序盤で小柄な太一は未来先輩と同じくらいの背格好とか言うセリフがあって、この時のための伏線だったか!と気付いて震えました!
確かに、おっしゃられるようにB編成の曲目ってどうなっているのですかね?まさか、A編成と同じなわけないですよね。過去の定番曲とかで出るのですかね?考えだしたら気になってきました。
緑の動機は、恋愛映画に憧れて、そんな高校生活を送りたくなったからという、にわかには信じがたいものでしたが、確かに、葉月が吹奏楽を目指した明確な理由って語られていませんね。実に面白い視点です!
何かに挑戦したかったということですが、それにしてもテニスから吹奏楽では方向性が違いすぎます。案外、武田綾乃の友人・知人の実話とかかもしれませんね。これだけ突飛だと、そんな気もしてきます。
指揮者の音楽が作曲家の心をどこまで表わせるのか、且つまた選んだ作品がどれ程のものなのか、しかも審査員が全作曲家中での位置的にレベルある人達なのか?
目立つ事だけを重要視した全国大会ならば意味がないけど
基本的に一人一人の演奏者の演奏技術とはあまり関係度が無い大会に思えます。
音楽を目指す若者達には合奏を楽しむだけにして欲しい。大会の結果は自分の音楽とはあんまり関係が無いぐらいの気持ちで良いのでは無いでしょうか?
このアニメは参加者の心の揺れがある人々も居るんだなぁぐらいで良いでしょう
コメントをありがとうございます!
おっしゃられること、わかる気がします。この物語に触れていると、つい大会の結果を求めてしまいますが、学校の部活のあり方としてそれが全てではないことは自明です。橋本先生が口癖のように「音を楽しめ」と言いますが、音だけでなく、三年間しかない高校生活全てを楽しんで欲しいです。そのうえで結果もついてきたら最高なのですが、その辺りはまた別の問題ですね。
私は野球が好きなのでつい高校野球に例えてしまうのですが、現千葉ロッテの佐々木朗希投手が高三の時、将来の為に肩を温存し投げなかったために学校は甲子園出場を逃しました。佐々木朗希は良いのです。その後、プロ野球で大活躍しておりますので。では、そのために甲子園に行けなかったチームメイトは
どうなのだろう…と、つい考えてしまいます。正解は無い問題ですが、それだけに、そうしたドラマに興味が尽きません。