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P10プリメーラを18年乗り続けています。数多くの故障を経験していますが、修理しながら乗り続けて現在は走行距離が42万キロを超えました。大きすぎず小さすぎずのボディサイズ、デザイン、走りが大変気に入っています。この動画を作ってくれてありがとうございます。
スゴイはオーナーも!
18年という事は、十数年落ちの底値の中古車なわけで、大抵の人は使い捨て感覚。それをそこまで大切にしているという事は、余程気に入ってるんだろうね。
私は10年前まで乗ってましたが、30万キロ手前で「プリつながりだからいいか(^o^)」とプリウスに乗り換えた根性なしです。師匠と呼ばせてください。
p11のってんだけど、これでマイルドって、p10どんだけ硬いの足
P10いい車でしたね。ガンメタのP10を8年ほど乗りましたが、買ってすぐの頃に車のことは何もわからない妻が運転したときに、「すごいタイヤが地面に張り付いているみたい」だと驚いていたことを思い出しました。一度GSで特売していた安いタイヤを履いたら、P10の足回りの性能が良いのでタイヤのサイドウォールの剛性が足りなくて交差点を普通に右折や左折するだけでフロントタイヤが悲鳴を上げて、恥ずかしいのですぐタイヤをグレードの良いものに変えたことがありました。室内やトランクも広く、とても使いやすいファミリーカーなのに、高速道路での直進の安定性や、その気になって走るとワインディングをスポーツカーのような走りもできましたね。自分としては高性能でハードな足回りが、もう少し柔らかくしなるようなセッティングだったらまだまだ乗っていたかもしれない思います。あの頃の日産は良い車がいくつもあったのに、その後の低迷が残念でなりません。がんばれ日産
現オーナーです。おとなしい顔からは想像できないたくましいエンジン音が気に入っています。皆さんおっしゃるように中低速トルクがすごくあってドライブが楽しい車ですね。
この時代の日産こそ「やっちゃえ日産」のキャッチコピーがよく似合う
@@yokaren_boy若干時代がズレるけど、87年ごろまでトヨタのキャッチコピーは「FUN To Drive」。そのリバイバルが今の「FUN TO DRIVE "AGAIN"」。この頃の方がもなにも、元々そういうコピーを掲げてた時代だから当たり前。
この時代は、あっ、この瞬間が日産だね。FEEL THE BEATでした。
社長自らやっちゃいましたねぇ…
今の日産はキムタクが「やっちまった日産」。キムタクは千葉県八街市出身?
@@ken-rm1sp それなw💢
今となっては外車が電子デバイス山盛りでお客さんをモルモット化してますね自動車評論家も日本車だと非難してたくせに外車だと手のひら返しで褒めまくりw
オーテックバージョンに乗ってました。カラー印刷の厚手の紙1枚に「コーナーで ストレートで その気になれる瞬間がある」と書いてありましてw専用エアロでリアにデカい羽が付いてるんですよwもうね 即決しましたねwノーマルの車体がディーラーに納車され点検後、オーテックに持ち込まれカスタムされディーラーに戻って来て点検納車だったせいか3ヶ月近く待ちましたよ。真夏の渋滞でエアコンをつけるとエンストするので窓全開で送風で耐えてたのも良い思い出ですwエンストの件では購入したレッドステージのメカさんには大変お世話になりました、最後はクレーム対応ということでオーテックの人も来て診てもらったんですが「このECUではこれが制御限界なんです 申し訳ございません」ということでしたねマイナス点はそれぐらいで、運転が楽しくて箱根やら道志やらなんやら毎週200km近く走ってましたね(今に比べたらガソリンも安かったしw)ハイカムの「ドゥドゥドゥドゥ・ン」ってアイドリング音だけでもワクワクするんですが、高速乗ってもどこ走ってもワクワク出来るクルマでしたねあと車検証の「P10改」にもワクワクさせられましたねw車高調入れたりなんやりしてましたけど、手放す時ノーマルに戻して乗ったらノーマル足のバランスの良さを再認識させられましたね。
1991年式 2.0Te 4AT に乗ってました。サイバー CR-X から乗り替えましたが、まずボンネットの重さにびっくりしました。ボディ剛性の塊のようなシャーシ性能でマルチリンクのフロントサスは素晴らしかったです。ハイオク仕様のSR20DEはノーマルでは普通のエンジンでした。シート角度調整がダイヤルのみとか、トランクスルー機構が付いてないとか、センターコンソールにパワーウィンドウのボタンが集中していたりとか、当時のドイツ車を参考に作られていました。また内外装の無塗装黒樹脂が白くなったりしましたが、当時の日産が欧州セダンへ真っ向勝負した歴史的なモデルだと思います。アコードインスパイアと最後まで迷いましたがこのクルマにして本当に良かったです。後にアウディA4を購入するきっかけにもなったクルマです。
うちの母親があまり詳しくないのに当時これのMTに乗ってた足回りがしっかりしてて好きだったらしい
P10プリメーラ懐かしいですね。本当に良い車でした。FF車でこんなハンドリングマシンが創れるんだっ!て本当にビックリした記憶があります。あと、地味にレカロ風シートもホールド具合が良くて疲れ知らずでどこまでも走っていける様な感覚があったのも覚えています。最期は、大雨の高速(50km規制)で相対速度60kmでオカマ掘られて一発全損でした。エンジン脱落・ドアをエンジンカッターで切る位の激しい損傷だったにもかかわらず、右側頭部の打撲・むち打ち位で生還できたのは、本当にこのクルマのお陰だと思ってます。今更ですが、ありがとうプリメーラ。
NISSANのメカニックですHP10のTeに乗ってましたHP10の純正シートは、実はレカロ社製なんですちゃんとフレームにRECAROと刻印があります
@@takeshiosato5301 おぉ!そうだったんですね。あのホールドの良さは流石で納得です。ご教示ありがとうございました!
@@takeshiosato5301 そこもドイツ流儀なんですね。開発主管の津田さん(旧プリンス入社組)がサンタナのノックダウン生産に携わっていて、そこからドイツ流の車づくりのノウハウを得て徹底的に突き詰めたということは以前から知っていました。
@@takeshiosato5301 初耳です。貴重な情報ありがとうございました。だから背もたれの調整が一般的なレバー式ではなく、ハンドル式だったんですね。
そこがまた良かったとぼくは思うの。
友人の親父さん(メルセデス一筋40年w)が冷やかしで試乗会に行ってその場で契約しその後30年以上所有していますw勿論前期型それもデビューモデルが気に入って部品取りも二台確保し、パーツが欠品になりそうなら即購入してますw更には部品取り車も含め三台と各パーツが収納可能なガレージも建てて凄い状況に・・・(;´∀`)ご本人曰く「出来ることなら墓場まで持って行きたいだそうですwww
自分が20歳の頃、JTCCで一目惚れして中古のHP10(2.0te)買いました。ダウンサス入れてワタナベ履いて…今思い出しても、格好良いスタイリングと気持ちの良い足回りでした。取り上げていただきありがとうございます😭
デザイン、走り、実用性、国産車では未だにトップクラスだ。
初代Te代替フロン対策車に乗ってました。車酔いせず気持ち良い硬さでした。当時ランエボIIに乗ってた友人は、車体剛性がエボIIより高いだの、S13を改造して乗ってた知り合いからはウチより足回り硬いけど手を入れた?って聞かれたり、VR-4乗りからはダイヤル式シートがカチッとして滅茶苦茶良い!交換して(笑)とか、言われました。IMPULホイールでインチアップし、ツライチに近く、豊田に行きゃコチラは4人でアチラは一人なのに勝負挑む奴いたり、兎に角パトカーが数台後から追走多かったです😅ただならぬオーラ出てる!って友人からは突っ込まれましたが至ってノーマルでした😅雪道には極端に弱かった為、ステージアを発売前に予約して乗り換えましたが、運転姿勢は断然プリメーラは自然で楽でした。
初めて買った車が初代プリメーラでした。この動画で、沢山の思い出がよみがえりました。
二代目プリメーラが人生唯一新車で買った車。17万キロ乗ったけど、未だに人生最高な車。
新車から14年間ありがとう。その後のNISSANは、結局P10を越えられなかった。セグメントとの違いはあれど似たようなコンセプトで被るのは、S社スイフトではないかと思うのは自分だけでしょうか?しかし楽しい国産車、無くなりましたね
204ps、最終P12の20Vに乗ってました。自分史上、ベストカーです。P10は助手席だけですが、足は固かった。その点、足もしなやかで、オンザレールで、排気音も過激。高回転の伸びもある。燃費もV-TECを上回って、言う事なし。デザインのクセと3ナンバーのせいか、売れなかったのが残念。もっと評価されるべき車でした。
最後の車としてP12とP11で悩みましたが、私は11にしました。スペック、年式全てにおいて凌駕してるはずですが、欲しいとは思えませんでした…
その通りですね見た目はオッサン車なのに乗ると足がシャーシが良く名車でしたね私はハチロク乗って峠攻めてましたがP10で攻めてる方もいてなかなか速い、乗らせてもらったハチロクみたく過激な改造せず素材を生かしたライトチューン街中でも使いやすい車に仕上げてあり基本が良い車はやはり良いが分かる車でした
大学の合宿に行くためレンタカーでプリメーラを運転してからその楽しさに魅了され、卒業後に貯めたお金で新車を購入した。あれから28年、今もプリメーラは相棒であり、楽しませてもらっている。この車に出会えた事は本当に幸運だったと思う。
P10はTeばかり3台乗りました。最後に乗ったTeは、フルピロ化してガチガチにしましたが、首都高でも安定して走り込めるほどの車でした。速さだけであればシビックやインテの方が早かったけれど、街乗りから遠出までステージを選ばず楽しく乗れた車でした。今見ても、スタイリングに古さは感じないし、懐かしくてコメントしてしまいました。
同窓会の会場はここですか?w2.0Teでした。スカイラインの後継はスカイラインだけど、羊の皮を被った狼の後継はプリメーラでした。動画にしてくれて感謝です。当時シルビアやプレリュード、インテグラといった中級スペシャリティーカーがまだ元気だった頃、結婚したり子供ができたりで「しかたなく4ドアをえらばなくちゃいけない/スペシャリティーカーを降りなくちゃいけない」連中がみんなとびつきましたよ。動画で紹介されたコピーよりも、口コミやウワサで広まったのがロングセラーの秘密です。シルビアより吹けるエンジンや堅い足回りの話は、かーちゃんたちにはないしょだったのです。ミニバン全盛になった後生では考えられません。ミニバンが盛り上がるまえに最後に咲いた花でした。
昔2代目P11乗ってました。スタイリングの良さと室内の広さを両立して且つすんばらしくフィーリングの良いエンジン。小回りはきかないけど、ハンドリングもバッチリでした。非常に満足して10年乗りました。今こそプリメーラのような車を作ってほしいですね。やってくれよ日産
今のNISSANに無いものがP10プリメーラには詰まっている!!あと、S13でも装着していたRグリルを付けていると更にカッコイイ!!!
とにかくハンドリングは抜群で、高速走行でもトラクションコントロールがあるみたいな安定性が得られました。エンジン出力もシャーシーダイナモで154馬力を記録、ブレーキバッドをストリート系に替えたら楽しく乘れます。ボディー剛性はBMWなどのドイツ車には劣りますが、それ以外は2,000㏄クラスのヨーロッパ車を凌駕していました。
シャシダイ測定でカタログ数値以上の馬力は凄いですね。
私も乗っていたプリメーラ2.0Te、足回りは硬く、シートもガチガチ。2時間も運転しているとお尻が痛くて大変だった。しかし、そのハンドリングは素晴らしいの一言。高速道路と峠では水を得た魚のよう。このような素晴らしいハンドリングマシンをまた作ってくれないかな、期待しています日産!
雪国だったので結果「T4」に乗っておりましたが、燃費以外は素晴らしいクルマでした。取引先の方がR32の「GTS-4」に乗っていて偶然出先で遭遇、その後の仕事で大変懇意になったのは良い思い出です。
T4が家の車で欲しかったなー。オレはのちにGTS-4クーペに乗ったけど、雪道でケツが流れやすい車でしたw
この動画を作成してくれてありがとう。ワタシは大学を卒業した22歳の春に、それまで乗っていたダイハツの83年式シャレードガソリンターボ(非デトマソ)から、マイナーチェンジ後に発売された、93年式ATTESAフルタイム四駆T4の5MT(車輌本体価格240万少々)を買いました。マイチェン前よりヤワくなったと、散々な事を書かれた記事を確かに見ましたけれど、モータージャーナリスト様と違う一般人は日常で高速周回路やらサーキットに峠道を全開で走るわけもなく、それで必要十分。不快にならない程度に足周りは適度に硬くありました。確かに空力は非常に素晴らしく、どしゃ降りの日に時速100マイ○/hで高崎ICから新木場ICまで、おそらく全台数フル追越し、1時間半弱で到着しました。そして、全く不安なく走行できました。フルエアロではありませんでしたが、純正リアスポイラーはかなり秀逸。時速130㌔を超えるあたりになると、後ろから巨人の手で摑まれたかのように直進しました。また、雪の峠道では煽ってきたガチガチチューンの品川ナンバーお金持ちGTRを置き去りにできましたよ。(ワタシのスタッドレスは純正サイズの195-60-14ではなく、185-65-14サイズのヨコハマガーデックスでした。GTRが履いていたスタッドレスは、何を履いていたのか知りませんけど)ワタシは、大した腕の持ち主ではなく、クルマの性能で速く走れただけでしたけど、あの90年代初頭当時の市販ノーマル2リッターNAセダンでは、最もパワフルだったワケではありませんが、適切なトルクとパワーの出方にエンジンレスポンスの良さ、足廻りの良さと空力性能で世界最速だったのではないかと思います。因みに動画最後のほうで扱われていたオーテックバージョン、MTは2−3速がクロスレシオでしたが、それはノーマルT4の5MTからの転用であります。豆知識で失礼!最後に…プリメーラですが、当時は同じく日産のブルーバードSSSのATTESAターボのセダンやスカイラインGTS4セダン、三菱のランサー1800GSRターボ(ランエボ発売直前に一瞬だけ存在した激レアモデル)とモデル末期のギャランVR4に、初代レガシィのRSと迷った(悩んだ)末に決定しました。
4台乗り継ぎました!!最高の車です!!!
30数年前、追浜工場でP10の右側フロントアッパーリンク取り付けてました。同じラインでブルーバードとレパードも流れてたな。
SR系エンジンも実際はプリメーラのために開発されたエンジンで有ったといっても過言ではないと思う。当時の日本車はアウトバーンでの高速巡行時(常速3000rpm以上)にガソリン冷却(必要以上のガソリン噴射・注入によるガソリンの気化熱でバルブを保護)が必要だったが、Gr.A目線で開発されたRB26DETTと同じくナトリウム封入の中空バルブが惜しげも無く採用され、ガソリン冷却せずにアウトバーンでの高速巡行、低燃費が実現された。10モードや60km/h定地燃費などのカタログスペックに貢献しない日産技術陣の本気度を表す意気込みを見せた。また、同じくコッグベルト全盛のこの時期に、金属チェーンを採用するなど、高速巡行での経年劣化も重視され、今では一般的となったドイツ車水準を大衆車として先取りした。
いや〜皆さんのコメントが熱い!自分も始めて乗った実家のP10に衝撃を受けてから、自分でもP11をずっと乗ってました。一旦買い替えてミニバンになりましたが、また乗りたいなと思っていた所によい出物があり即購入。免許返納するまで乗っていきたいと思います!
若い頃唯一欲しいと思ったセダンだった!FFなのにアンダーステアーをほとんど感じずにコーナリングが出来たのを今でもハッキリ覚えている。
ひねた性格してるからか、純粋なスポーツカーよりU12ブルーバードやプリメーラみたいな運動神経の良いセダンに惹かれるなぁ...
当時は確かにプリメーラ賞賛の嵐でした。でもその裏にはこんなにもの努力がなされていたとは知りませんでした。
もともとラリーをやってた後輩が、家庭を持ってラリーから足を洗ったころに選んだ車がプリメーラだったので時々乗せてもらいました。足回りがしっかりしていてエンジンのふけも良く、いい車でしたね。
初代後期型Teに乗ってました。硬すぎるサスを改良したと言われたが、先ず硬い脚周りに驚いた。これに慣れるのに、2年くらい掛かった気がする。その恩恵は、普通に角を曲がるだけで発揮された。楽しいのだ。別に箱根に行かなくても普通に運転するだけで、違いが明らかだった。高速の直進性。何台か乗った車の中で、抜群の安定感だった。低速トルク。それまでの、例えば、アコードとかマークⅡとかは、同じATでもアクセルを踏み込んでもまずフー――っとノロノロと走りだしてから、加速が始まった。マニュアル乗りには我慢ならないレベルだった。プリメーラはアクセルを踏むと、ATにも拘わらず間髪入れず、まさにキビキビと加速した。一番驚いたのは、トランクの容量だった。灯油缶4本収納のボックスが入り、18Lポリタンを出さなくても、そのまま給油できた。キャンプを始めて、その恩恵に存分に浴した。セダンでキャンプと言うと、後ろ座席の足下に積むのが一般的だけど、キャリアと組み合わせれば、室内には一切モノを入れなくても済んだ。キャンプに便利とされたステージアを見て、その容量の少なさにびっくりしたもんだ。後ろの席を畳めば、そりゃ入るけど、こっちは4人乗ってるぜ。みたいな。そして、古いクルマとの決定的な違いは、その耐久性だった。80年代前半までのクルマは大体5年くらいで駄目に成ってた。プリメーラは13年くらい乗ったけど、燃費以外は特に不満も無かった。クルマ業界を見渡しても、当時は技術的に成熟期で目新しい技術や、機構は特に発表されなかった。80年代、特に前半は毎月の様に新型が発表され、先代より大きく進歩してた。パフォーマンスはターボも有ってウナギ上りだった。が、バブル崩壊と経済の長期低迷で、クルマは押しなべて大人しくなった。ガソリンを食うターボ車をメーカーも出さなくなった。こと、走りに関しては、13年経っても、全く問題なかった。記憶に残るいいクルマだったな。
後期型2.0Te乗ってました。友達を乗せた時、足回り変えてる?って聞かれる程、ガチガチでした。ハンドル切った角度だけ向きを変えてくれる、FFなのにアンダーとは無縁なハンドリングでした。
会社で友達のクルマを運転した時、ハンドルを切ったら30cmくらい外側を廻って苦笑したっけ。それくらいプリメーラは違ってた。
この初代プリメーラも “ミスターGTR” こと『水野和敏』さんが開発全般に深く関わっていた事を知る人は少ない。
901運動はレガシィの開発にも影響を与えたことが言われています。二代目レガシィはスカイラインとプリメーラに似た部分をもってますね。
昔車検時の代車で借りたことがありました。たぶんそんなスポーツグレードのものではなかったとは思いますが、日本車離れしたハンドリングと足回り、直進安定性の良さが凄く印象的でした。車検に出してたA60セリカとの違いを思い知らされたことを思い出しましたよ。
当時ガンメタ2.0Teに乗ってました。型式はHP10だったと思います。箱型4ドアセダンでしたが空力数値も良かったですよね。5MTでサス、キノコ、タコ足、マフラー、16インチアルミ入れて峠も行ってたなぁ。JTCCも鈴鹿に観戦しに行ってました。ガチンコレース楽しかったのを覚えています。
昔P10FF新車購入を検討していましたが、スキーの為に4駆MT(T4)発売まで待ってから購入しました。(FFの試乗車には何回も乗りました)4駆は重量増もあるので、FFよりはキビキビしていませんでしたが、共通部分での評価としては・サスの出来が良く路面に吸い付くような走り(今まで乗った車では2代目以降のスイフトが近いかも)・シートが硬めで疲れない(過去乗った車の中で純正シートとしては最高、初代ヴィッツも柔らかいが良かった)・FFベースなので高速走行安定性が高い・余計なものは無し・4駆はトランクスルー可能(但しトランク容量はサスの関係からFFよりは狭い、それでも4人宿泊スキーには十分な容量)残念なことに貰い事故で下取りに出しましたが、それが無ければ長く所有していたと思います。もし日産がエンジン/安全機構は別物としても、外観/サス/シートを同じで復活させてくれたら絶対買いますね。
P10プリメーラと言えば、辛口評価で有名な三本和彦さんのインプレッションを思い出します。三本さんは、日本国内の道路事情や普段使いの実用性をとても重視している方なので、プリメーラが欧州勢に対抗しつつもコンパクトな5ナンバーサイズにしている事を大変評価していました。同じ理由でスバルの2代目レガシィも絶賛されてました。また、この時代に流行っていた屋根が低いセダンについて結構辛辣な評価をしており、プリメーラがいたずらにピラーを寝かせたりせず乗り降りがしやすく閉塞感を与えない点も良い点、つまり良いパッケージングだと言ってました。あと、細かい点だとリアランクがヒンジじゃなくてダンパーを採用しているのが高級感があり、ヒンジみたいに出っ張ってないのでそれで荷物にぶつける心配が少ないみたいな事も挙げてました。2代目も高評価でしたが、3代目については大変残念がっていた記憶があります。
2.0eGT所有でした。今では信じられないほど脚回りはかなりハードでした。エンジンとATは秀逸で実用域での加速からトップエンドの加速は素晴らしく、雨降りの高速巡航での安定感、帯状の水飛沫がCD値の良さを感じました。また、輸入車とよく間違えられましたけど、ちょっと嬉しかったですねぇ。
当時、同時期に販売されていたドイツのOPEL(車名は忘れました)とボディーデザインが似ていたと記憶しています。
シフトゲートに毛が生えてた気がする。
@@akira70s80eGTのカムカバーだけが赤色でお洒落でしたね✨
ボディ剛性や足回りの接地感はヴェントやベクトラと同等だった
あの5ドアハッチはカッコよかったですよね👍
P10プリメーラ自分が小さい時、親が乗ってたから懐かしい‼︎ 上級グレードの2.0Teのマニュアルで速かったって言ってたな!個人的にプリメーラがP10が1番かっこいいし、JTCCカルソニックのイメージがある‼︎
代車で貸してもらいましたが、面白すぎて、高速で160キロ巡航してもびくともしないし、軽快な運動性。抑えが効かなくなる車でした。最高です。初代プリメーラ
免許取って最初に買ったのがP10でした。抜群に楽しいクルマでしたよ。ワンチャンもう一回手にしたい。
若かりし頃、就職して初めて買った愛車がP10 2.0Te MTでした最高に乗りやすかったですホントこのままもう一度発売してほしいです
親戚の兄ちゃんも乗っていて実家では兄貴が初代P10を購入し、私は足回りの素晴らしさに感動し気付けば日産で働きそしてWHP11のワゴンで富士スピードウェイを快走してました 2分26秒
確かTsに乗ってました。FF、2000cc、MTです。スカイラインに試乗後プリメーラに乗って、地に張り付くような走りで、明らかに次元が違う感覚だったのでプリメーラを購入しました。一般人ですが硬さはあまり気にならなかったので、雑誌などで「硬い、硬い」と言われ過ぎてイメージで硬いと思われたのかもしれません。14年乗りましたが、後輪後ろのボディーが錆びてきたので手放しました。同部位の錆びの弱さがあったようです。錆びなければもっと乗っていたと思います。下取りは確か2~3万位だったと思いますが、すぐに売れたそうです。2代目、3代目と残念な結果でしたが、901運動で誕生した、R32GT-R、フェアレディ、シルビア、プリメーラなど、2代目が何故か残念な結果でした。901の次世代シルビアも開発段階では「映り込みの美しさも考慮したデザイン」と聞いてましたが結果は残念なデザインでした。どんどん残念な製品を作っていくので、日産から離れるきっかけになりました。
P10とP11それぞれ5年20万キロ乗りました。沖縄を除く日本全国を走り回りました。日本では2.0と1.8が、欧州では2.0と1.6リーターモデルが売られていました。2.0に比べて1.8はタイヤが一回り小さく車検の代車で借りましたが2.0との差が大きい並の車でした。内装も外見もグレード感の差がほとんどわからなかったのが1.8が売れた理由と思います。初代初期モデルはシートのリクライニングはダイヤル式、助手席のパワーウィンドウスイッチはセンターコンソールのみ、冬季ヒーターを入れてもインパネ中央の拭きだし口からは常にラム圧で冷たい空気が出てくるなど完全欧州車でしたので同乗者には評判が悪かったのです。P11は装備は良くなったのですがあちこちコストカットの跡がありました。それでもいい車でした。P12は全く興味が無い、私は「オブジェ」のようなデザイナーの屁理屈デザインの車は好きになれないのです。走る動物をよく観察してデッサンをたくさん描いて審美眼を上げろと車のデザイナーに私は言いたいのです。
ハンドルをきっただけ素直にまわった!その時の接地感が凄くよかったのを今でも覚えています。
友人がプリメーラから他の車に乗り換える前日に、「査定無いから何やっても良いよ」と言われ、初めて運転しました。とりあえず峠に・・。コーナリング限界がかなり高く、その限界が初めて乗ったのに関わらず分かりやすい。リアが流れてもゆったりと収束する感覚。その後、自分の車で帰るときに「うわ、剛性無い!」と、感じた(笑)
初代E-HP102.0TEでGT-Rと同じ色ダークグレーメタリックを所有してましたカタログに小さく記載してあったビスカスLSDをメーカーオプションで装着してましたノーマンでカッチリした足回りが好きでしたダイヤル式のリクライニングやパワーウインドーのスイッチがサイドブーレーキ付近にあったりと他の日本車に無い個性があったと思いますマイナーチェンジでそんな個性が無くなっていったのは残念でした
日産901運動の象徴的な1台だったな。ハンドリング、パッケージング文句ない出来だった。と、誉め言葉ばかりが出てくるが、思い出のひとつとしては94年から始まったJTCCでは当初はコロナやBMW、ベクトラの後塵を拝して思うような結果が出なかったこともあえて追記・・・
初代プリメーラ、これ、ノーマル?ってくらい硬めの足回り、シックなエクステリアもカッコ良かったです。
シンプルな内外装デザイン、しっかりとした足回り、充分なエンジンパワー、凄く良い車だったけど、雪国で乗ってたら下回りが朽ち果ててしまい廃車にせざるを得なくなった。日産車は錆びやすいって思う。
物心付いた時の車がP10でした。2リッターなのでSR20のマニュアルです。幼少期ながら「ハイオク満タン」はやけに耳に残りました。後から父から聞いたのですが、ハチロクレビンからの乗り換え、また当時R33にモデルチェンジを控えて投げ売り状態だったHCR32セダンと迷い、母の「スカイラインは狭い」というダメ出しからこちらになったとのことでした。結局幼少期の私が当時の日産の弱点であるパワーウインドウをぶっ壊したのがきっかけ+3世代では乗れなくなってきたことからプレサージュに乗り換えましたが、私がマニュアル車に、また日産に乗るきっかけになった一台です。ありがとうございます。余談ですが、今は私がマーチニスモ、親父はノートニスモに乗っております。もちろんどちらもニスモSです。
P10プリメーラは901時代の日産を代表する名車!ベスモのサーキットバトルで2度も1位になったりと速いファミリーセダンの代表格と言える😊欧州で認められたのも頷けるね👍
初めて購入したのが、2.0TMのMTでした。とても気持ちいい乗り味で今でももう一度欲しい1台です。
P10プリメーラの前期型2.0TmのMTに乗っていたけど、エンジンと足回りはTeと共通ですがシートはバケットシートでは無くリアシートも何か安っぽいものが付いていました。これ買ったときは働き始めたばかりの頃で、車の知識に疎く中古車屋に並んでいたコイツはオプションのリアスポイラーとフォグランプが付いていたからTeと勘違いして買ってしまいました。Te違う事に気づいたのは納車されてから1ケ月も経った後でした。結局は、マフラー替えたり 車高調に変えたり、運転席だけ中古のレカロを装着したり フロントスポイラーとサイドスカートも付けたりしてしまいました。
実直な見た目でありながら走りが良いと言うギャップが良いですね!日産らしい車造りだと思いますデザインも良い意味で良く馴染みますし、扱いやすいサイズ感が魅力的ですね
昔乗ってましたけど、扱いやすいサイズでありながら、高速180キロくらいなら会話しながら片手運転オッケーの安定感と剛性感。リミッターまでならFCFDs13より全然怖くない。ベンツのs600も乗ってたけど、同じ感じ。関越道265キロで怖くない。ベンツはストロークと剛性の懐が深い。逆に峠やショートサーキットはサイズと駆動形式とウラハラに1、2速ギヤ比が合わず苦手な印象。実際の車重より重く感じる足回り。車体サイズ小さく一見カタログスペックでは取り回しがいいが、街乗りが厳しい重ステと追従が早いが14インチでも激しい突き上げで具合わるくなる。dc2ほどではないが、EKばりの小回りオーバーステア特性、ストローク少なし。重ステアリングはマキシマも同じか。剛性感はあるが剛性はない、当時の日産お得意様な感じ。
一番印象に残っているのはマツダのランティスが発売になった時、新聞一面を使った大きな広告でこのプリメーラと並べて大きく載せて、ライバル宣言した広告がありましたね。それからこの車の有用性について全世界のメーカーがショックを受けハンドリングについてまじめに研究を始めたが、ただ一社それに気づかなかったメーカーがあったと、それがほかならぬ日産だったと揶揄されてましたね。自分はP10は所有しませんでしたがU12,U14ブルーバードを所有しました、U13は究極のストラットを目指しフロント周りをガジェットで固めるなど作り込みをしていてハンドリングは悪くなかったのですがデザインをやらかしてましたから代替は見送りになりました。U12はSSSアテーサだったのでまさにオンザレール感覚でしたが、マルチリンクのU14はFFでもう少しコーナリング中のコントロールをもう一歩踏み込めた感じがしました。最後のSSSでした。
GTOにブチ抜かれた峠の登り…峠の下りでブチ抜き返したのは若かりし日の良き想い出…
昔某レーサーがインプレッションで筑波を走ってましたが、一人で乗る場合リアが突っ張りすぎで動きが収まらないと言う事でしたが4人乗車になるとすごく安定性が良いと評価されていたのを思い出しました。 実用的なデザインですが思いのほか動きが良かった車でしたね。
懐かしいです!エンジンも素晴らしかったし足回りも固めでノ―マルでワインディングでも結構楽しく走れました🚗
P10のTeに乗ってました。あんなに優れたパッケージングのセダンは、なかったんじゃないでしょうか?タックインが出にくいハンドリングに大人4人であれば、余裕の居住性。広いトランクに独特のヒンジ。ちょっとエンジンフィールは、ガサツなSRだったけど、凄く気に入ってました。20万km越えた当たりで、クラッチワイヤーが切れて、クラッチ無しで出先から帰ったのも良い思い出。あの頃の日産は、本当に技術の日産!って感じだったな!結局、当て逃げされて24万kmほど走行して、手放したけど今でも良い車だったと思います。
このP10プリメーラが初動生産された時に追浜工場にいて、ラインで生産に携わっていたんだけど、ジャーナリストでは語れない事を言えば、「ホワイトボディの頑強」さが尋常じゃなかった。勿論、先代のT11オースター・スタンザやU12ブルーバード比でね。(他メーカーのホワイトボディ迄は分からん)因みに発売されて欲しかったあのエンジンや駆動システムもガンガンラインに流れて来てたんだけど、市販化が見送られた様で、個人的に欲しかったので残的に思った当時。
当時はZ32乗りでエンジントラブルの代車がP10プリメーラでした。タックインを初めて体験したのもこの車、とにかくFF車の常識を変えたコントロールしやすい車でした。
プリメーラ乗りたいと思った時期があったなぁ。
最後は内装が浮いてきて、ピラーとバンパーが白くなりましたが低速からトルクフルで扱いやすい車でした。
当時、N14パルサーと似たようなフロントマスクということで、パルサーの上級車としか映らなかったです。あまりにも質素で地味なデザインのせいで、実は凄いという正に「羊の皮を被った狼」といった表現が当て嵌まる唯一の車かもしれませんね。
グランツーリスモに初期から出てたりしたので、性能の高さは本物だった思う。
この初代が1番プリメーラらしさがあったかなと思いましたそれ以降のモデルは確かにお客様の声に応えている部分はあったのですが、プリメーラらしさが減っていっていたようなただ実際に乗っていた人はどう感じていたかは気になるところです
私も同感です。初代1.8ci所有しておりましたが、お客様の声を聞きすぎてモデルチェンジのたびにどんどん良さがスポイルされていった気がします。
P10後期型の1.8Lに乗っていたけれど、高速での路面に吸いつくような安定した走りは衝撃だった。動力性能も必要十分だった。そして、スポーツシートの出来が最高に良かった。ただ、リヤスポイラーが重すぎて、開けてトランクルームに頭を突っ込んでいると、自然に下がってきて挟まれてしまうのは仕様だった。
26歳のときAE86から新車で購入して乗ってました。それまでが86だったこともあり、足回りの限界の高さには驚きました。しかし限界がわかりづらくまだまだいけると思ってたら突然リヤからスピンをして死にかけました。直進安定性は凄かったです。
限界が高い車はだいたいピーキーになるんですよね〜^_^
オプションのLSDを付けるとリヤが流れてもコントロールしやすいのです。工場オプションでオーダしてラインに乗せるので2ヶ月待でしたが待ったかいはありました。当時のファミリーカーでLSDのオプションがある車は日産以外なかったと思います。
エアロパーツやサイドモールのデザインも懐かしいが、この頃まさに、俺は、チェリー店に勤めていてこの車のハンドリング性能には、驚いた!
兄が2000に乗ってました。何をしても破綻しないハンドリングでしたね。それまでのFFしか知らなかったので、こんなFFが造れるんだ❗と感動したものです。
P10プリメーラを最初にドライブした時はVWやオペルのようなドイツ車的な印象を強く抱いた記憶があります。固い乗り心地、重目のパワーステアリング、しっかりしたボディの剛性感などセンターに配置されたパワーウィンドウスイッチすら「異国の車」っぽかったよwwwオーテック仕様はどうせなら大型のブリスターフェンダーなどでエクステリアも派手にレーシーにして欲しかったって思ったのは贅沢な話かな?w
P10がそろそろフルモデルチェンジする頃だったけど迷わずP10 2.0Teを購入。17年間で家族で色々なところに出かけて思い出がいっぱいです。とにかく足回りがすごくて回り込んだ下りのコーナーでも全く平気でクリアするような車でした。元気なエンジン、十分な車室、広いトランク、洗練された飽きのこないデザイン、余分なギミックの無いシンプルなインパネ、、、、、本当に良くできた世界レベルのセダンでした。手放すときに車に興味の無さそうだった息子がしみじみと見つめていた姿が心に残っています。
2.0teのオートマに乗ってましたが本当に良い車でした。脚周り最高で高速で路面に貼り付くような安定性は今でもはっきり覚えていますね。これまで色々と乗りましたがどれか一台選べと言われたら即答で初代プリメーラを選びます。東南アジアのビーチで知り合ったOPELで働いているというドイツ人がやたらと褒めていたことをよく覚えています。
プリメーラの解説無かったから嬉しいです!3台乗り継いだけど最高の車でした!
マニュアル5速、2.0teに乗っていました。プリメーラは当時のGolfなど欧州車と同じフィーリング、ダブルコーンシンクロでギヤの入りもよく高速道路をよく使う自分としては150キロ巡航でも前の31スカイラインと遜色ない安定感でとても良い車でした。
初期型プリメーラに昔友人が乗ってました。当時自分が乗ってた車がKP61やNAのEP82で強化ショックやサスを入れていたので本動画で不評の足廻りの乗り心地は実に丁度良く、乗せてもらうのは超快適でした。シートもホールド感はそこそこなのにすごく気持ちよかったです。何度か運転させてもらいましたがその足廻りの良さはハンドル握ってこそで、フロントマルチリンクの安定感、ボディの剛性の良さ、エンジンのレスポンスの良さなどめちゃくちゃ羨ましく感じた事を覚えてます。加えて十分な居住空間、トランクの広さなどもう最高な一台でした。本当、この頃はライトウェイトスポーツだけではなく、セダン車もいい車多かったんですよね。何で今の車って、ワクワクするものが少ないんでしょうか?
2.0Ts に乗ってました。ボディ剛性を伴った素晴らしい高速安定感、風切り音の少なさ、身の詰まったエンジン、広い室内とトランク、質素でシンプルな室内と、まさに質実剛健なクルマでした。当時のこのクラス迄のセダンで印象に残っているのはこの車と海外でレンタカーで借りた6代目カローラ(NUMI製)、どちらも主査の思いが良く出た大変よくできたクルマだったと思います。
当時の数多のFFスポーティーカーが、後脚を滑り易くして見た目の回頭性でごまかしていたのに、プリメーラはちゃんと前脚がグリップして前へ進みながらしっかり曲がりました。
プリメーラ、大学生時代にバイトの都合上2、3度乗ったことがあります。😆驚いたのがそのハンドリング。切った分だけスッと曲がる❗当時の日産の技術力を伺い知れる車だったなー。😁😋😚
自分も大学生の時に乗ってました〜。外見はめちゃ普通だったけど、足回りの安定性が凄く良かったですよ。50扁平のタイヤでも峠でもアンダー少なくてスイスイ曲がりましたよ。
初代プリメーラは名車と思います。ボディーも足回りも当時の同クラス車を凌駕しています。 当時は若かった為か?お馬鹿で本物の良さが余り分かっていなっかったので購入に至りませんでしたが、今新車が有れば即買いです。
現在P11 2.0Tm後期乗ってますけど、近場、長距離、サーキットと比較的乗りやすくていい車ですよ「オリジナル性がなくなった」とか「P10より大人しすぎてガッカリした」とかよく言われますが、逆に今は他車との共通部品が多くて補修系は助かってますそれでも製廃パーツは多くなってきてますがちょっと電装系が弱い気はしますが、まあその辺は日産あるあるですね
P10の1.8Lって全グレードリアブレーキがドラム式(2.0Lはディスク)なんだけど、マイチェン辺りから1.8Lでも「ホイールを14インチ化+ABS搭載」を条件にドラム→ディスクに変更出来たみたいなオプションがあったみたいで、自分が今乗ってるP10もリアディスクだからてっきり初代オーナーがオプションでディスクにしたんやなと思ってたら、つい先日自分のはそもそもABS未搭載車両だったということと、前オーナーが整備工場で2.0のリアブレーキ周りの部品を移植したことが判明したので、界隈では「ABS無しなのにリアディスクになってる1.8のP10」という見たことない仕様になってます😇
サーキットでも速かったです。動力性能(エンジン)よりもコーナリング性能で速かったですね。最寄りのサーキットでEK9より速いP10乗りが居ましたよ。
P10のT4を足掛け17年乗りました。当時のGTRと同じガンメタ塗装で後ろに控えめにオレンジ色の型名がお気に入りでした。足回りが硬いのは皆さん仰る通りですがそれが初代プリメーラの味というものです。新婚の時に転勤中で地方にいたのですが、妻ともども東京者でしたので、しょっちゅう東名高速をぶっ飛ばして往復しました。路面の凹凸の振動はよく拾いますが高速走行ではまさに吸い付く感覚でしかも四駆だから雨降りでも安心でした。デザイン・性能・使い勝手の良さが長年乗り続けた理由ですが、最後は車下部の4WDブロックにヒビが入りオイル漏れがひどくなったので泣く泣く廃車となりました。 PS3のグラン・ツーリスモでプリメーラの走行を選ぶとSR20DEの挙動がそのまま再現されていて非常に驚いた記憶があります。
社会人なって初めて買ったのが、P10(マイナー後)の2.0Teでした。エアロがカッコよくって最高でした。柿本Rのマフラーを入れ、ホイールは16インチのスーパーアドバン3本スポーク入れて、サスも入れ変えてこれでジムカーナに出ていました。懐かしいな。高速でも安定していて思わずあっという間にスピードが出ているので焦ります。またあんな車出たら欲しいです。
1.8もすごく良かったですよ。通常使用の領域でも十分スポーティーでしたしシートも硬くて2.0同様のヨーロッパ車気分が味わえました。
新婚旅行でシャルルドゴール空港からパリ市内まで乗ったのが1.8のタクシーでした。大人三人(我々夫婦と旅行会社の人)を後席に乗せトランクにスーツケースを2個積んで、初老の運転手が高速を160km/h以上でぶっ飛ばしてくれましたが、リアヘビーなこの状況でうねりを超えてもほとんどフワつくことがありませんでした。
私が住んでいる市では、おそらく新車購入したであろう二桁ナンバーのシルバーの1.8が現役で走っています。その車は私が20年以上前にその市に引っ越して来た時からずっと同じ駐車場に停まっています。その車が停まっている駐車場の前を通りかかる度に、プリメーラとオーナーさん両者の凄さを感じています。
房総半島のドライブに1.8のレンタカーを借りてとっても良かったから家のクルマを2.0TmのATにしました。元嫁は最初ATに反対しましたけど、プリメーラのATはよくできてましたね。ブレーキもよく効いて、ハンドリングも楽しい最高のクルマでした。子どもが増えて、E50に乗り換えましたけれど。
レンタカーで初代プリメーラ(黒)乗ったけど、ホントに運転しやすくて軽くって、気持ち良かった。リアスタイルもカッコ良かったな✨
懐かしいな~。昔峠に通ってた時に何度か遭遇したけど、コーナーの安定感は後ろから見ていてもわかったね。4ドアセダンでよくこんな走りが出来るもんだ、相当上手いドライバーが乗ってるのか等と思ってたが解説を見て納得。販売当初はホントに沢山走ってて、コンパクトなセダンだから大衆車的なイメージが強かったなぁ~。
プリメーラは2リッターセダンではかなりコンパクトだった今のくそデカいクルマも見習ってほしい
発売してすぐに1.8をレンタカーで借りたところ車内が適度に広く快適という印象でした。2LのMTは本当に良車で走り好きのおじさん達には大好評。但しリアシートに座るとあまりのサスの堅さに乗り物酔いする人が結構いたな。
初めて買ったのが初期型プリメーラでした。ラジエターが弱くてリコールで無償交換だったのと、後期型は、ヨーロピアンウィンカーが廃止、シートのダイヤル調整と別にレバーで倒せる仕様と自分的には重いトランクがめちゃくちゃ軽くなっていた事。
若い頃に2.0Teを乗ってました。4WDで直進安定性も抜群でした。NISMOのバンパーとマフラー入れてドレスアップして楽しんでました。解説にあった通り、足は硬めでしたが、心地よい硬さだったと記憶してます。本当に良い車でした。
初代は、まさに、質実剛健と言う言葉がが当てはまる、名車だと思います。日産が輝いていた時代でした。
P10プリメーラを18年乗り続けています。数多くの故障を経験していますが、修理しながら乗り続けて現在は走行距離が42万キロを超えました。
大きすぎず小さすぎずのボディサイズ、デザイン、走りが大変気に入っています。
この動画を作ってくれてありがとうございます。
スゴイはオーナーも!
18年という事は、十数年落ちの底値の中古車なわけで、大抵の人は使い捨て感覚。
それをそこまで大切にしているという事は、余程気に入ってるんだろうね。
私は10年前まで乗ってましたが、30万キロ手前で「プリつながりだからいいか(^o^)」とプリウスに乗り換えた根性なしです。師匠と呼ばせてください。
p11のってんだけど、これでマイルドって、p10どんだけ硬いの足
P10いい車でしたね。ガンメタのP10を8年ほど乗りましたが、買ってすぐの頃に車のことは何もわからない妻が運転したときに、「すごいタイヤが地面に張り付いているみたい」だと驚いていたことを思い出しました。
一度GSで特売していた安いタイヤを履いたら、P10の足回りの性能が良いのでタイヤのサイドウォールの剛性が足りなくて交差点を普通に右折や左折するだけでフロントタイヤが悲鳴を上げて、恥ずかしいのですぐタイヤをグレードの良いものに変えたことがありました。
室内やトランクも広く、とても使いやすいファミリーカーなのに、高速道路での直進の安定性や、その気になって走るとワインディングをスポーツカーのような走りもできましたね。
自分としては高性能でハードな足回りが、もう少し柔らかくしなるようなセッティングだったらまだまだ乗っていたかもしれない思います。
あの頃の日産は良い車がいくつもあったのに、その後の低迷が残念でなりません。
がんばれ日産
現オーナーです。おとなしい顔からは想像できないたくましいエンジン音が気に入っています。皆さんおっしゃるように中低速トルクがすごくあってドライブが楽しい車ですね。
この時代の日産こそ「やっちゃえ日産」のキャッチコピーがよく似合う
@@yokaren_boy
若干時代がズレるけど、87年ごろまでトヨタのキャッチコピーは「FUN To Drive」。
そのリバイバルが今の「FUN TO DRIVE "AGAIN"」。
この頃の方がもなにも、元々そういうコピーを掲げてた時代だから当たり前。
この時代は、
あっ、この瞬間が日産だね。
FEEL THE BEAT
でした。
社長自らやっちゃいましたねぇ…
今の日産はキムタクが「やっちまった日産」。キムタクは千葉県八街市出身?
@@ken-rm1sp それなw💢
今となっては外車が電子デバイス山盛りでお客さんをモルモット化してますね
自動車評論家も日本車だと非難してたくせに外車だと手のひら返しで褒めまくりw
オーテックバージョンに乗ってました。
カラー印刷の厚手の紙1枚に「コーナーで ストレートで その気になれる瞬間がある」と書いてありましてw専用エアロでリアにデカい羽が付いてるんですよw
もうね 即決しましたねw
ノーマルの車体がディーラーに納車され点検後、オーテックに持ち込まれカスタムされディーラーに戻って来て点検納車だったせいか3ヶ月近く待ちましたよ。
真夏の渋滞でエアコンをつけるとエンストするので窓全開で送風で耐えてたのも良い思い出ですw
エンストの件では購入したレッドステージのメカさんには大変お世話になりました、最後はクレーム対応ということでオーテックの人も来て診てもらったんですが
「このECUではこれが制御限界なんです 申し訳ございません」ということでしたね
マイナス点はそれぐらいで、運転が楽しくて箱根やら道志やらなんやら毎週200km近く走ってましたね(今に比べたらガソリンも安かったしw)
ハイカムの「ドゥドゥドゥドゥ・ン」ってアイドリング音だけでもワクワクするんですが、高速乗ってもどこ走ってもワクワク出来るクルマでしたね
あと車検証の「P10改」にもワクワクさせられましたねw
車高調入れたりなんやりしてましたけど、手放す時ノーマルに戻して乗ったらノーマル足のバランスの良さを再認識させられましたね。
1991年式 2.0Te 4AT に乗ってました。サイバー CR-X から乗り替えましたが、まずボンネットの重さにびっくりしました。ボディ剛性の塊のようなシャーシ性能でマルチリンクのフロントサスは素晴らしかったです。ハイオク仕様のSR20DEはノーマルでは普通のエンジンでした。シート角度調整がダイヤルのみとか、トランクスルー機構が付いてないとか、センターコンソールにパワーウィンドウのボタンが集中していたりとか、当時のドイツ車を参考に作られていました。また内外装の無塗装黒樹脂が白くなったりしましたが、当時の日産が欧州セダンへ真っ向勝負した歴史的なモデルだと思います。アコードインスパイアと最後まで迷いましたがこのクルマにして本当に良かったです。後にアウディA4を購入するきっかけにもなったクルマです。
うちの母親があまり詳しくないのに当時これのMTに乗ってた
足回りがしっかりしてて好きだったらしい
P10プリメーラ懐かしいですね。本当に良い車でした。FF車でこんなハンドリングマシンが創れるんだっ!て本当にビックリした記憶があります。あと、地味にレカロ風シートもホールド具合が良くて疲れ知らずでどこまでも走っていける様な感覚があったのも覚えています。
最期は、大雨の高速(50km規制)で相対速度60kmでオカマ掘られて一発全損でした。エンジン脱落・ドアをエンジンカッターで切る位の激しい損傷だったにもかかわらず、右側頭部の打撲・むち打ち位で生還できたのは、本当にこのクルマのお陰だと思ってます。今更ですが、ありがとうプリメーラ。
NISSANのメカニックです
HP10のTeに乗ってました
HP10の純正シートは、実はレカロ社製なんです
ちゃんとフレームにRECAROと刻印があります
@@takeshiosato5301 おぉ!そうだったんですね。あのホールドの良さは流石で納得です。ご教示ありがとうございました!
@@takeshiosato5301
そこもドイツ流儀なんですね。
開発主管の津田さん(旧プリンス入社組)がサンタナのノックダウン生産に携わっていて、そこからドイツ流の車づくりのノウハウを得て徹底的に突き詰めたということは以前から知っていました。
@@takeshiosato5301
初耳です。貴重な情報ありがとうございました。
だから背もたれの調整が一般的なレバー式ではなく、ハンドル式だったんですね。
そこがまた良かったとぼくは思うの。
友人の親父さん(メルセデス一筋40年w)が冷やかしで試乗会に行ってその場で契約しその後30年以上所有していますw勿論前期型それもデビューモデルが気に入って部品取りも二台確保し、パーツが欠品になりそうなら即購入してますw
更には部品取り車も含め三台と各パーツが収納可能なガレージも建てて凄い状況に・・・(;´∀`)ご本人曰く「出来ることなら墓場まで持って行きたいだそうですwww
自分が20歳の頃、JTCCで一目惚れして中古のHP10(2.0te)買いました。
ダウンサス入れてワタナベ履いて…
今思い出しても、格好良いスタイリングと気持ちの良い足回りでした。
取り上げていただきありがとうございます😭
デザイン、走り、実用性、国産車では未だにトップクラスだ。
初代Te代替フロン対策車に乗ってました。
車酔いせず気持ち良い硬さでした。
当時ランエボIIに乗ってた友人は、車体剛性がエボIIより高いだの、S13を改造して乗ってた知り合いからはウチより足回り硬いけど手を入れた?って聞かれたり、VR-4乗りからはダイヤル式シートがカチッとして滅茶苦茶良い!交換して(笑)とか、言われました。
IMPULホイールでインチアップし、ツライチに近く、豊田に行きゃコチラは4人でアチラは一人なのに勝負挑む奴いたり、兎に角パトカーが数台後から追走多かったです😅
ただならぬオーラ出てる!って友人からは突っ込まれましたが至ってノーマルでした😅
雪道には極端に弱かった為、ステージアを発売前に予約して乗り換えましたが、運転姿勢は断然プリメーラは自然で楽でした。
初めて買った車が初代プリメーラでした。
この動画で、沢山の思い出がよみがえりました。
二代目プリメーラが人生唯一新車で買った車。17万キロ乗ったけど、未だに人生最高な車。
新車から14年間ありがとう。その後のNISSANは、結局P10を越えられなかった。セグメントとの違いはあれど似たようなコンセプトで被るのは、S社スイフトではないかと思うのは自分だけでしょうか?しかし楽しい国産車、無くなりましたね
204ps、最終P12の20Vに乗ってました。自分史上、ベストカーです。P10は助手席だけですが、足は固かった。その点、足もしなやかで、オンザレールで、排気音も過激。高回転の伸びもある。燃費もV-TECを上回って、言う事なし。デザインのクセと3ナンバーのせいか、売れなかったのが残念。もっと評価されるべき車でした。
最後の車としてP12とP11で悩みましたが、私は11にしました。
スペック、年式全てにおいて凌駕してるはずですが、欲しいとは思えませんでした…
その通りですね
見た目はオッサン車なのに乗ると足がシャーシが良く名車でしたね
私はハチロク乗って峠攻めてましたがP10で攻めてる方もいてなかなか速い、乗らせてもらったハチロクみたく過激な改造せず素材を生かしたライトチューン街中でも使いやすい車に仕上げてあり基本が良い車はやはり良いが分かる車でした
大学の合宿に行くためレンタカーでプリメーラを運転してからその楽しさに魅了され、卒業後に貯めたお金で新車を購入した。あれから28年、今もプリメーラは相棒であり、楽しませてもらっている。この車に出会えた事は本当に幸運だったと思う。
P10はTeばかり3台乗りました。
最後に乗ったTeは、フルピロ化してガチガチにしましたが、首都高でも安定して走り込めるほどの車でした。
速さだけであればシビックやインテの方が早かったけれど、街乗りから遠出までステージを選ばず楽しく乗れた車でした。
今見ても、スタイリングに古さは感じないし、懐かしくてコメントしてしまいました。
同窓会の会場はここですか?w
2.0Teでした。スカイラインの後継はスカイラインだけど、羊の皮を被った狼の後継はプリメーラでした。動画にしてくれて感謝です。
当時シルビアやプレリュード、インテグラといった中級スペシャリティーカーがまだ元気だった頃、結婚したり子供ができたりで「しかたなく4ドアをえらばなくちゃいけない/スペシャリティーカーを降りなくちゃいけない」連中がみんなとびつきましたよ。動画で紹介されたコピーよりも、口コミやウワサで広まったのがロングセラーの秘密です。シルビアより吹けるエンジンや堅い足回りの話は、かーちゃんたちにはないしょだったのです。
ミニバン全盛になった後生では考えられません。ミニバンが盛り上がるまえに最後に咲いた花でした。
昔2代目P11乗ってました。
スタイリングの良さと室内の広さを両立して且つすんばらしくフィーリングの良いエンジン。小回りはきかないけど、ハンドリングもバッチリでした。
非常に満足して10年乗りました。
今こそプリメーラの
ような車を作ってほしいですね。
やってくれよ日産
今のNISSANに無いものがP10プリメーラには詰まっている!!
あと、S13でも装着していたRグリルを付けていると更にカッコイイ!!!
とにかくハンドリングは抜群で、高速走行でもトラクションコントロールがあるみたいな安定性が得られました。エンジン出力もシャーシーダイナモで154馬力を記録、ブレーキバッドをストリート系に替えたら楽しく乘れます。ボディー剛性はBMWなどのドイツ車には劣りますが、それ以外は2,000㏄クラスのヨーロッパ車を凌駕していました。
シャシダイ測定でカタログ数値以上の馬力は凄いですね。
私も乗っていたプリメーラ2.0Te、足回りは硬く、シートもガチガチ。2時間も運転しているとお尻が痛くて大変だった。
しかし、そのハンドリングは素晴らしいの一言。高速道路と峠では水を得た魚のよう。このような素晴らしいハンドリングマシンをまた作ってくれないかな、期待しています日産!
雪国だったので結果「T4」に乗っておりましたが、燃費以外は素晴らしいクルマでした。
取引先の方がR32の「GTS-4」に乗っていて偶然出先で遭遇、その後の仕事で大変懇意になったのは良い思い出です。
T4が家の車で欲しかったなー。
オレはのちにGTS-4クーペに乗ったけど、雪道でケツが流れやすい車でしたw
この動画を作成してくれてありがとう。ワタシは大学を卒業した22歳の春に、それまで乗っていたダイハツの83年式シャレードガソリンターボ(非デトマソ)から、マイナーチェンジ後に発売された、93年式ATTESAフルタイム四駆T4の5MT(車輌本体価格240万少々)を買いました。マイチェン前よりヤワくなったと、散々な事を書かれた記事を確かに見ましたけれど、モータージャーナリスト様と違う一般人は日常で高速周回路やらサーキットに峠道を全開で走るわけもなく、それで必要十分。不快にならない程度に足周りは適度に硬くありました。確かに空力は非常に素晴らしく、どしゃ降りの日に時速100マイ○/hで高崎ICから新木場ICまで、おそらく全台数フル追越し、1時間半弱で到着しました。そして、全く不安なく走行できました。
フルエアロではありませんでしたが、純正リアスポイラーはかなり秀逸。時速130㌔を超えるあたりになると、後ろから巨人の手で摑まれたかのように直進しました。また、雪の峠道では煽ってきたガチガチチューンの品川ナンバーお金持ちGTRを置き去りにできましたよ。(ワタシのスタッドレスは純正サイズの195-60-14ではなく、185-65-14サイズのヨコハマガーデックスでした。GTRが履いていたスタッドレスは、何を履いていたのか知りませんけど)
ワタシは、大した腕の持ち主ではなく、クルマの性能で速く走れただけでしたけど、あの90年代初頭当時の市販ノーマル2リッターNAセダンでは、最もパワフルだったワケではありませんが、適切なトルクとパワーの出方にエンジンレスポンスの良さ、足廻りの良さと空力性能で世界最速だったのではないかと思います。
因みに動画最後のほうで扱われていたオーテックバージョン、MTは2−3速がクロスレシオでしたが、それはノーマルT4の5MTからの転用であります。豆知識で失礼!
最後に…プリメーラですが、当時は同じく日産のブルーバードSSSのATTESAターボのセダンやスカイラインGTS4セダン、三菱のランサー1800GSRターボ(ランエボ発売直前に一瞬だけ存在した激レアモデル)とモデル末期のギャランVR4に、初代レガシィのRSと迷った(悩んだ)末に決定しました。
4台乗り継ぎました!!
最高の車です!!!
30数年前、追浜工場でP10の右側フロントアッパーリンク取り付けてました。同じラインでブルーバードとレパードも流れてたな。
SR系エンジンも実際はプリメーラのために開発されたエンジンで有ったといっても過言ではないと思う。当時の日本車はアウトバーンでの高速巡行時(常速3000rpm以上)にガソリン冷却(必要以上のガソリン噴射・注入によるガソリンの気化熱でバルブを保護)が必要だったが、Gr.A目線で開発されたRB26DETTと同じくナトリウム封入の中空バルブが惜しげも無く採用され、ガソリン冷却せずにアウトバーンでの高速巡行、低燃費が実現された。10モードや60km/h定地燃費などのカタログスペックに貢献しない日産技術陣の本気度を表す意気込みを見せた。また、同じくコッグベルト全盛のこの時期に、金属チェーンを採用するなど、高速巡行での経年劣化も重視され、今では一般的となったドイツ車水準を大衆車として先取りした。
いや〜皆さんのコメントが熱い!
自分も始めて乗った実家のP10に衝撃を受けてから、自分でもP11をずっと乗ってました。一旦買い替えてミニバンになりましたが、また乗りたいなと思っていた所によい出物があり即購入。免許返納するまで乗っていきたいと思います!
若い頃唯一欲しいと思ったセダンだった!FFなのにアンダーステアーをほとんど感じずにコーナリングが出来たのを今でもハッキリ覚えている。
ひねた性格してるからか、純粋なスポーツカーよりU12ブルーバードやプリメーラみたいな運動神経の良いセダンに惹かれるなぁ...
当時は確かにプリメーラ賞賛の嵐でした。でもその裏にはこんなにもの努力がなされていたとは知りませんでした。
もともとラリーをやってた後輩が、家庭を持ってラリーから足を洗ったころに選んだ車がプリメーラだったので時々乗せてもらいました。
足回りがしっかりしていてエンジンのふけも良く、いい車でしたね。
初代後期型Teに乗ってました。硬すぎるサスを改良したと言われたが、
先ず硬い脚周りに驚いた。これに慣れるのに、2年くらい掛かった気がする。
その恩恵は、普通に角を曲がるだけで発揮された。楽しいのだ。別に箱根に行かなくても
普通に運転するだけで、違いが明らかだった。
高速の直進性。何台か乗った車の中で、抜群の安定感だった。
低速トルク。それまでの、例えば、アコードとかマークⅡとかは、同じATでもアクセルを踏み込んでも
まずフー――っとノロノロと走りだしてから、加速が始まった。マニュアル乗りには我慢ならないレベルだった。
プリメーラはアクセルを踏むと、ATにも拘わらず間髪入れず、まさにキビキビと加速した。
一番驚いたのは、トランクの容量だった。灯油缶4本収納のボックスが入り、18Lポリタンを出さなくても、
そのまま給油できた。
キャンプを始めて、その恩恵に存分に浴した。セダンでキャンプと言うと、後ろ座席の足下に積むのが一般的だけど、
キャリアと組み合わせれば、室内には一切モノを入れなくても済んだ。キャンプに便利とされたステージアを見て、
その容量の少なさにびっくりしたもんだ。後ろの席を畳めば、そりゃ入るけど、こっちは4人乗ってるぜ。みたいな。
そして、古いクルマとの決定的な違いは、その耐久性だった。80年代前半までのクルマは大体5年くらいで駄目に成ってた。
プリメーラは13年くらい乗ったけど、燃費以外は特に不満も無かった。クルマ業界を見渡しても、当時は技術的に成熟期で
目新しい技術や、機構は特に発表されなかった。80年代、特に前半は毎月の様に新型が発表され、先代より大きく進歩してた。パフォーマンスはターボも有ってウナギ上りだった。
が、バブル崩壊と経済の長期低迷で、クルマは押しなべて大人しくなった。ガソリンを食うターボ車をメーカーも出さなく
なった。こと、走りに関しては、13年経っても、全く問題なかった。
記憶に残るいいクルマだったな。
後期型2.0Te乗ってました。友達を乗せた時、足回り変えてる?って聞かれる程、ガチガチでした。ハンドル切った角度だけ向きを変えてくれる、FFなのにアンダーとは無縁なハンドリングでした。
会社で友達のクルマを運転した時、ハンドルを切ったら30cmくらい外側を廻って苦笑したっけ。
それくらいプリメーラは違ってた。
この初代プリメーラも “ミスターGTR” こと『水野和敏』さんが開発全般に深く関わっていた事を知る人は少ない。
901運動はレガシィの開発にも影響を与えたことが言われています。二代目レガシィはスカイラインとプリメーラに似た部分をもってますね。
昔車検時の代車で借りたことがありました。たぶんそんなスポーツグレードのものではなかったとは思いますが、
日本車離れしたハンドリングと足回り、直進安定性の良さが凄く印象的でした。
車検に出してたA60セリカとの違いを思い知らされたことを思い出しましたよ。
当時ガンメタ2.0Teに乗ってました。型式はHP10だったと思います。
箱型4ドアセダンでしたが空力数値も良かったですよね。
5MTでサス、キノコ、タコ足、マフラー、16インチアルミ入れて峠も行ってたなぁ。
JTCCも鈴鹿に観戦しに行ってました。ガチンコレース楽しかったのを覚えています。
昔P10FF新車購入を検討していましたが、スキーの為に4駆MT(T4)発売まで待ってから購入しました。
(FFの試乗車には何回も乗りました)
4駆は重量増もあるので、FFよりはキビキビしていませんでしたが、共通部分での評価としては
・サスの出来が良く路面に吸い付くような走り(今まで乗った車では2代目以降のスイフトが近いかも)
・シートが硬めで疲れない(過去乗った車の中で純正シートとしては最高、初代ヴィッツも柔らかいが良かった)
・FFベースなので高速走行安定性が高い
・余計なものは無し
・4駆はトランクスルー可能(但しトランク容量はサスの関係からFFよりは狭い、それでも4人宿泊スキーには十分な容量)
残念なことに貰い事故で下取りに出しましたが、それが無ければ長く所有していたと思います。
もし日産がエンジン/安全機構は別物としても、外観/サス/シートを同じで復活させてくれたら絶対買いますね。
P10プリメーラと言えば、辛口評価で有名な三本和彦さんのインプレッションを思い出します。
三本さんは、日本国内の道路事情や普段使いの実用性をとても重視している方なので、プリメーラが欧州勢に対抗しつつもコンパクトな5ナンバーサイズにしている事を大変評価していました。
同じ理由でスバルの2代目レガシィも絶賛されてました。
また、この時代に流行っていた屋根が低いセダンについて結構辛辣な評価をしており、プリメーラがいたずらにピラーを寝かせたりせず乗り降りがしやすく閉塞感を与えない点も良い点、つまり良いパッケージングだと言ってました。
あと、細かい点だとリアランクがヒンジじゃなくてダンパーを採用しているのが高級感があり、ヒンジみたいに出っ張ってないのでそれで荷物にぶつける心配が少ないみたいな事も挙げてました。
2代目も高評価でしたが、3代目については大変残念がっていた記憶があります。
2.0eGT所有でした。今では信じられないほど脚回りはかなりハードでした。エンジンとATは秀逸で実用域での加速からトップエンドの加速は素晴らしく、雨降りの高速巡航での安定感、帯状の水飛沫がCD値の良さを感じました。また、輸入車とよく間違えられましたけど、ちょっと嬉しかったですねぇ。
当時、同時期に販売されていたドイツのOPEL(車名は忘れました)とボディーデザインが似ていたと記憶しています。
シフトゲートに毛が生えてた気がする。
@@akira70s80eGTのカムカバーだけが赤色でお洒落でしたね✨
ボディ剛性や足回りの接地感はヴェントやベクトラと同等だった
あの5ドアハッチはカッコよかったですよね👍
P10プリメーラ自分が小さい時、親が乗ってたから懐かしい‼︎ 上級グレードの2.0Teのマニュアルで速かったって言ってたな!
個人的にプリメーラがP10が1番かっこいいし、JTCCカルソニックのイメージがある‼︎
代車で貸してもらいましたが、
面白すぎて、高速で160キロ巡航しても
びくともしないし、軽快な運動性。
抑えが効かなくなる車でした。
最高です。初代プリメーラ
免許取って最初に買ったのがP10でした。
抜群に楽しいクルマでしたよ。
ワンチャンもう一回手にしたい。
若かりし頃、就職して初めて買った愛車がP10 2.0Te MTでした
最高に乗りやすかったです
ホントこのままもう一度発売してほしいです
親戚の兄ちゃんも乗っていて実家では兄貴が初代P10を購入し、私は足回りの素晴らしさに感動し気付けば日産で働きそしてWHP11のワゴンで富士スピードウェイを快走してました 2分26秒
確かTsに乗ってました。FF、2000cc、MTです。スカイラインに試乗後プリメーラに乗って、地に張り付くような走りで、明らかに次元が違う感覚だったのでプリメーラを購入しました。一般人ですが硬さはあまり気にならなかったので、雑誌などで「硬い、硬い」と言われ過ぎてイメージで硬いと思われたのかもしれません。14年乗りましたが、後輪後ろのボディーが錆びてきたので手放しました。同部位の錆びの弱さがあったようです。錆びなければもっと乗っていたと思います。下取りは確か2~3万位だったと思いますが、すぐに売れたそうです。2代目、3代目と残念な結果でしたが、901運動で誕生した、R32GT-R、フェアレディ、シルビア、プリメーラなど、2代目が何故か残念な結果でした。901の次世代シルビアも開発段階では「映り込みの美しさも考慮したデザイン」と聞いてましたが結果は残念なデザインでした。どんどん残念な製品を作っていくので、日産から離れるきっかけになりました。
P10とP11それぞれ5年20万キロ乗りました。沖縄を除く日本全国を走り回りました。日本では2.0と1.8が、欧州では2.0と1.6リーターモデルが売られていました。2.0に比べて1.8はタイヤが一回り小さく車検の代車で借りましたが2.0との差が大きい並の車でした。内装も外見もグレード感の差がほとんどわからなかったのが1.8が売れた理由と思います。初代初期モデルはシートのリクライニングはダイヤル式、助手席のパワーウィンドウスイッチはセンターコンソールのみ、冬季ヒーターを入れてもインパネ中央の拭きだし口からは常にラム圧で冷たい空気が出てくるなど完全欧州車でしたので同乗者には評判が悪かったのです。P11は装備は良くなったのですがあちこちコストカットの跡がありました。それでもいい車でした。P12は全く興味が無い、私は「オブジェ」のようなデザイナーの屁理屈デザインの車は好きになれないのです。走る動物をよく観察してデッサンをたくさん描いて審美眼を上げろと車のデザイナーに私は言いたいのです。
ハンドルをきっただけ素直にまわった!その時の接地感が凄くよかったのを今でも覚えています。
友人がプリメーラから他の車に乗り換える前日に、「査定無いから何やっても良いよ」と言われ、初めて運転しました。とりあえず峠に・・。コーナリング限界がかなり高く、その限界が初めて乗ったのに関わらず分かりやすい。リアが流れてもゆったりと収束する感覚。その後、自分の車で帰るときに「うわ、剛性無い!」と、感じた(笑)
初代E-HP10
2.0TEでGT-Rと同じ色ダークグレーメタリックを所有してました
カタログに小さく記載してあったビスカスLSDをメーカーオプションで装着してました
ノーマンでカッチリした足回りが好きでした
ダイヤル式のリクライニングやパワーウインドーのスイッチがサイドブーレーキ付近にあったりと他の日本車に無い個性があったと思います
マイナーチェンジでそんな個性が無くなっていったのは残念でした
日産901運動の象徴的な1台だったな。ハンドリング、パッケージング文句ない出来だった。と、誉め言葉ばかりが出てくるが、思い出のひとつとしては94年から始まったJTCCでは当初はコロナやBMW、ベクトラの後塵を拝して思うような結果が出なかったこともあえて追記・・・
初代プリメーラ、これ、ノーマル?ってくらい硬めの足回り、シックなエクステリアもカッコ良かったです。
シンプルな内外装デザイン、しっかりとした足回り、充分なエンジンパワー、
凄く良い車だったけど、雪国で乗ってたら下回りが朽ち果ててしまい廃車にせざるを得なくなった。
日産車は錆びやすいって思う。
物心付いた時の車がP10でした。
2リッターなのでSR20のマニュアルです。
幼少期ながら「ハイオク満タン」はやけに耳に残りました。
後から父から聞いたのですが、ハチロクレビンからの乗り換え、また当時R33にモデルチェンジを控えて投げ売り状態だったHCR32セダンと迷い、母の「スカイラインは狭い」というダメ出しからこちらになったとのことでした。
結局幼少期の私が当時の日産の弱点であるパワーウインドウをぶっ壊したのがきっかけ+3世代では乗れなくなってきたことからプレサージュに乗り換えましたが、私がマニュアル車に、また日産に乗るきっかけになった一台です。
ありがとうございます。
余談ですが、今は私がマーチニスモ、親父はノートニスモに乗っております。もちろんどちらもニスモSです。
P10プリメーラは901時代の日産を代表する名車!
ベスモのサーキットバトルで2度も1位になったりと速いファミリーセダンの代表格と言える😊
欧州で認められたのも頷けるね👍
初めて購入したのが、2.0TMのMTでした。とても気持ちいい乗り味で今でももう一度欲しい1台です。
P10プリメーラの前期型2.0TmのMTに乗っていたけど、エンジンと足回りはTeと共通ですがシートはバケットシートでは無くリアシートも何か安っぽいものが付いていました。
これ買ったときは働き始めたばかりの頃で、車の知識に疎く中古車屋に並んでいたコイツはオプションのリアスポイラーとフォグランプが付いていたからTeと勘違いして買ってしまいました。
Te違う事に気づいたのは納車されてから1ケ月も経った後でした。
結局は、マフラー替えたり 車高調に変えたり、運転席だけ中古のレカロを装着したり フロントスポイラーとサイドスカートも付けたりしてしまいました。
実直な見た目でありながら走りが良いと言うギャップが良いですね!
日産らしい車造りだと思います
デザインも良い意味で良く馴染みますし、扱いやすいサイズ感が魅力的ですね
昔乗ってましたけど、扱いやすいサイズでありながら、高速180キロくらいなら会話しながら片手運転オッケーの安定感と剛性感。
リミッターまでならFCFDs13より全然怖くない。ベンツのs600も乗ってたけど、同じ感じ。関越道265キロで怖くない。ベンツはストロークと剛性の懐が深い。
逆に峠やショートサーキットはサイズと駆動形式とウラハラに1、2速ギヤ比が合わず苦手な印象。実際の車重より重く感じる足回り。車体サイズ小さく一見カタログスペックでは取り回しがいいが、街乗りが厳しい重ステと追従が早いが14インチでも激しい突き上げで具合わるくなる。dc2ほどではないが、EKばりの小回りオーバーステア特性、ストローク少なし。重ステアリングはマキシマも同じか。剛性感はあるが剛性はない、当時の日産お得意様な感じ。
一番印象に残っているのはマツダのランティスが発売になった時、新聞一面を使った大きな広告でこのプリメーラと並べて大きく載せて、ライバル宣言した広告がありましたね。それからこの車の有用性について全世界のメーカーがショックを受けハンドリングについてまじめに研究を始めたが、ただ一社それに気づかなかったメーカーがあったと、
それがほかならぬ日産だったと揶揄されてましたね。自分はP10は所有しませんでしたがU12,U14ブルーバードを所有しました、U13は究極のストラットを目指しフロント周りをガジェットで固めるなど作り込みをしていてハンドリングは悪くなかったのですがデザインをやらかしてましたから代替は見送りになりました。U12はSSSアテーサだったのでまさにオンザレール感覚でしたが、マルチリンクのU14はFFでもう少しコーナリング中のコントロールをもう一歩踏み込めた感じがしました。最後のSSSでした。
GTOにブチ抜かれた峠の登り…
峠の下りでブチ抜き返したのは若かりし日の良き想い出…
昔某レーサーがインプレッションで筑波を走ってましたが、一人で乗る場合リアが突っ張りすぎで動きが収まらないと言う事でしたが4人乗車になるとすごく安定性が良いと評価されていたのを思い出しました。 実用的なデザインですが思いのほか動きが良かった車でしたね。
懐かしいです!エンジンも素晴らしかったし足回りも固めでノ―マルでワインディングでも結構楽しく走れました🚗
P10のTeに乗ってました。
あんなに優れたパッケージングのセダンは、なかったんじゃないでしょうか?タックインが出にくいハンドリングに大人4人であれば、余裕の居住性。広いトランクに独特のヒンジ。ちょっとエンジンフィールは、ガサツなSRだったけど、凄く気に入ってました。
20万km越えた当たりで、クラッチワイヤーが切れて、クラッチ無しで出先から帰ったのも良い思い出。
あの頃の日産は、本当に技術の日産!って感じだったな!
結局、当て逃げされて24万kmほど走行して、手放したけど今でも良い車だったと思います。
このP10プリメーラが初動生産された時に追浜工場にいて、ラインで生産に携わっていたんだけど、ジャーナリストでは語れない事を言えば、「ホワイトボディの頑強」さが尋常じゃなかった。
勿論、先代のT11オースター・スタンザやU12ブルーバード比でね。(他メーカーのホワイトボディ迄は分からん)
因みに発売されて欲しかったあのエンジンや駆動システムもガンガンラインに流れて来てたんだけど、市販化が見送られた様で、個人的に欲しかったので残的に思った当時。
当時はZ32乗りでエンジントラブルの代車がP10プリメーラでした。タックインを初めて体験したのもこの車、とにかくFF車の常識を変えたコントロールしやすい車でした。
プリメーラ乗りたいと思った時期があったなぁ。
最後は内装が浮いてきて、ピラーとバンパーが白くなりましたが低速からトルクフルで扱いやすい車でした。
当時、N14パルサーと似たようなフロントマスクということで、パルサーの上級車としか映らなかったです。
あまりにも質素で地味なデザインのせいで、実は凄いという正に「羊の皮を被った狼」といった表現が当て嵌まる唯一の車かもしれませんね。
グランツーリスモに初期から出てたりしたので、性能の高さは本物だった思う。
この初代が1番プリメーラらしさがあったかなと思いました
それ以降のモデルは確かにお客様の声に応えている部分はあったのですが、プリメーラらしさが減っていっていたような
ただ実際に乗っていた人はどう感じていたかは気になるところです
私も同感です。初代1.8ci所有しておりましたが、お客様の声を聞きすぎてモデルチェンジのたびにどんどん良さがスポイルされていった気がします。
P10後期型の1.8Lに乗っていたけれど、高速での路面に吸いつくような安定した走りは衝撃だった。
動力性能も必要十分だった。
そして、スポーツシートの出来が最高に良かった。
ただ、リヤスポイラーが重すぎて、開けてトランクルームに頭を突っ込んでいると、自然に下がってきて挟まれてしまうのは仕様だった。
26歳のときAE86から新車で購入して乗ってました。それまでが86だったこともあり、足回りの限界の高さには驚きました。
しかし限界がわかりづらくまだまだいけると思ってたら突然リヤからスピンをして死にかけました。直進安定性は凄かったです。
限界が高い車はだいたいピーキーになるんですよね〜^_^
オプションのLSDを付けるとリヤが流れてもコントロールしやすいのです。
工場オプションでオーダしてラインに乗せるので2ヶ月待でしたが待ったかいはありました。
当時のファミリーカーでLSDのオプションがある車は日産以外なかったと思います。
エアロパーツやサイドモールのデザインも懐かしいが、この頃まさに、俺は、チェリー店に勤めていてこの車のハンドリング性能には、驚いた!
兄が2000に乗ってました。何をしても破綻しないハンドリングでしたね。それまでのFFしか知らなかったので、こんなFFが造れるんだ❗と感動したものです。
P10プリメーラを最初にドライブした時はVWやオペルのようなドイツ車的な印象を強く抱いた記憶があります。
固い乗り心地、重目のパワーステアリング、しっかりしたボディの剛性感などセンターに配置されたパワーウィンドウスイッチすら「異国の車」っぽかったよwww
オーテック仕様はどうせなら大型のブリスターフェンダーなどでエクステリアも派手にレーシーにして欲しかったって思ったのは贅沢な話かな?w
P10がそろそろフルモデルチェンジする頃だったけど迷わずP10 2.0Teを購入。17年間で家族で色々なところに出かけて思い出がいっぱいです。
とにかく足回りがすごくて回り込んだ下りのコーナーでも全く平気でクリアするような車でした。元気なエンジン、十分な車室、広いトランク、
洗練された飽きのこないデザイン、余分なギミックの無いシンプルなインパネ、、、、、本当に良くできた世界レベルのセダンでした。
手放すときに車に興味の無さそうだった息子がしみじみと見つめていた姿が心に残っています。
2.0teのオートマに乗ってましたが本当に良い車でした。脚周り最高で高速で路面に貼り付くような安定性は今でもはっきり覚えていますね。これまで色々と乗りましたがどれか一台選べと言われたら即答で初代プリメーラを選びます。東南アジアのビーチで知り合ったOPELで働いているというドイツ人がやたらと褒めていたことをよく覚えています。
プリメーラの解説無かったから嬉しいです!3台乗り継いだけど最高の車でした!
マニュアル5速、2.0teに乗っていました。
プリメーラは当時のGolfなど欧州車と同じフィーリング、ダブルコーンシンクロでギヤの入りもよく高速道路をよく使う自分としては150キロ巡航でも前の31スカイラインと遜色ない安定感でとても良い車でした。
初期型プリメーラに昔友人が乗ってました。当時自分が乗ってた車がKP61やNAのEP82で強化ショックやサスを入れていたので本動画で不評の足廻りの乗り心地は実に丁度良く、乗せてもらうのは超快適でした。シートもホールド感はそこそこなのにすごく気持ちよかったです。何度か運転させてもらいましたがその足廻りの良さはハンドル握ってこそで、フロントマルチリンクの安定感、ボディの剛性の良さ、エンジンのレスポンスの良さなどめちゃくちゃ羨ましく感じた事を覚えてます。加えて十分な居住空間、トランクの広さなどもう最高な一台でした。本当、この頃はライトウェイトスポーツだけではなく、セダン車もいい車多かったんですよね。何で今の車って、ワクワクするものが少ないんでしょうか?
2.0Ts に乗ってました。ボディ剛性を伴った素晴らしい高速安定感、風切り音の少なさ、身の詰まったエンジン、広い室内とトランク、質素でシンプルな室内と、まさに質実剛健なクルマでした。
当時のこのクラス迄のセダンで印象に残っているのはこの車と海外でレンタカーで借りた6代目カローラ(NUMI製)、どちらも主査の思いが良く出た大変よくできたクルマだったと思います。
当時の数多のFFスポーティーカーが、後脚を滑り易くして見た目の回頭性でごまかしていたのに、プリメーラはちゃんと前脚がグリップして前へ進みながらしっかり曲がりました。
プリメーラ、大学生時代にバイトの都合上2、3度乗ったことがあります。😆驚いたのがそのハンドリング。切った分だけスッと曲がる❗当時の日産の技術力を伺い知れる車だったなー。😁😋😚
自分も大学生の時に乗ってました〜。外見はめちゃ普通だったけど、足回りの安定性が凄く良かったですよ。50扁平のタイヤでも峠でもアンダー少なくてスイスイ曲がりましたよ。
初代プリメーラは名車と思います。
ボディーも足回りも当時の同クラス車を凌駕しています。 当時は若かった為か?お馬鹿で本物の良さが余り分かっていなっかったので
購入に至りませんでしたが、今新車が有れば即買いです。
現在P11 2.0Tm後期乗ってますけど、近場、長距離、サーキットと比較的乗りやすくていい車ですよ
「オリジナル性がなくなった」とか「P10より大人しすぎてガッカリした」とかよく言われますが、逆に今は他車との共通部品が多くて補修系は助かってます
それでも製廃パーツは多くなってきてますが
ちょっと電装系が弱い気はしますが、まあその辺は日産あるあるですね
P10の1.8Lって全グレードリアブレーキがドラム式(2.0Lはディスク)なんだけど、マイチェン辺りから1.8Lでも「ホイールを14インチ化+ABS搭載」を条件にドラム→ディスクに変更出来たみたいなオプションがあったみたいで、自分が今乗ってるP10もリアディスクだからてっきり初代オーナーがオプションでディスクにしたんやなと思ってたら、つい先日自分のはそもそもABS未搭載車両だったということと、前オーナーが整備工場で2.0のリアブレーキ周りの部品を移植したことが判明したので、界隈では「ABS無しなのにリアディスクになってる1.8のP10」という見たことない仕様になってます😇
サーキットでも速かったです。
動力性能(エンジン)よりもコーナリング性能で速かったですね。
最寄りのサーキットでEK9より速いP10乗りが居ましたよ。
P10のT4を足掛け17年乗りました。当時のGTRと同じガンメタ塗装で後ろに控えめにオレンジ色の型名がお気に入りでした。足回りが硬いのは皆さん仰る通りですがそれが初代プリメーラの味というものです。
新婚の時に転勤中で地方にいたのですが、妻ともども東京者でしたので、しょっちゅう東名高速をぶっ飛ばして往復しました。路面の凹凸の振動はよく拾いますが高速走行ではまさに吸い付く感覚でしかも四駆だから雨降りでも安心でした。デザイン・性能・使い勝手の良さが長年乗り続けた理由ですが、最後は車下部の4WDブロックにヒビが入りオイル漏れがひどくなったので泣く泣く廃車となりました。
PS3のグラン・ツーリスモでプリメーラの走行を選ぶとSR20DEの挙動がそのまま再現されていて非常に驚いた記憶があります。
社会人なって初めて買ったのが、P10(マイナー後)の2.0Teでした。エアロがカッコよくって
最高でした。柿本Rのマフラーを入れ、ホイールは16インチのスーパーアドバン3本スポーク
入れて、サスも入れ変えてこれでジムカーナに出ていました。懐かしいな。高速でも安定していて
思わずあっという間にスピードが出ているので焦ります。
またあんな車出たら欲しいです。
1.8もすごく良かったですよ。通常使用の領域でも十分スポーティーでしたしシートも硬くて2.0同様のヨーロッパ車気分が味わえました。
新婚旅行でシャルルドゴール空港からパリ市内まで乗ったのが1.8のタクシーでした。大人三人(我々夫婦と旅行会社の人)を後席に乗せトランクにスーツケースを2個積んで、初老の運転手が高速を160km/h以上でぶっ飛ばしてくれましたが、リアヘビーなこの状況でうねりを超えてもほとんどフワつくことがありませんでした。
私が住んでいる市では、おそらく新車購入したであろう二桁ナンバーのシルバーの1.8が現役で走っています。
その車は私が20年以上前にその市に引っ越して来た時からずっと同じ駐車場に停まっています。
その車が停まっている駐車場の前を通りかかる度に、プリメーラとオーナーさん両者の凄さを感じています。
房総半島のドライブに1.8のレンタカーを借りてとっても良かったから家のクルマを2.0TmのATにしました。元嫁は最初ATに反対しましたけど、プリメーラのATはよくできてましたね。
ブレーキもよく効いて、ハンドリングも楽しい最高のクルマでした。子どもが増えて、E50に乗り換えましたけれど。
レンタカーで初代プリメーラ(黒)乗ったけど、ホントに運転しやすくて軽くって、気持ち良かった。リアスタイルもカッコ良かったな✨
懐かしいな~。昔峠に通ってた時に何度か遭遇したけど、コーナーの安定感は後ろから見ていてもわかったね。
4ドアセダンでよくこんな走りが出来るもんだ、相当上手いドライバーが乗ってるのか等と思ってたが解説を見て納得。
販売当初はホントに沢山走ってて、コンパクトなセダンだから大衆車的なイメージが強かったなぁ~。
プリメーラは2リッターセダンではかなりコンパクトだった
今のくそデカいクルマも見習ってほしい
発売してすぐに1.8をレンタカーで借りたところ車内が適度に広く快適という印象でした。
2LのMTは本当に良車で走り好きのおじさん達には大好評。但しリアシートに座ると
あまりのサスの堅さに乗り物酔いする人が結構いたな。
初めて買ったのが初期型プリメーラでした。ラジエターが弱くてリコールで無償交換だったのと、後期型は、ヨーロピアンウィンカーが廃止、シートのダイヤル調整と別にレバーで倒せる仕様と自分的には重いトランクがめちゃくちゃ軽くなっていた事。
若い頃に2.0Teを乗ってました。
4WDで直進安定性も抜群でした。
NISMOのバンパーとマフラー入れてドレスアップして楽しんでました。
解説にあった通り、足は硬めでしたが、心地よい硬さだったと記憶してます。
本当に良い車でした。
初代は、まさに、質実剛健と言う言葉がが当てはまる、
名車だと思います。
日産が輝いていた時代でした。