【1996年 懐かしい映像 030】東武8000系 未修繕 初期顔車 全盛時代 オール幕車 修繕車も一部活躍【1000回再生で次の動画アップ】
Вставка
- Опубліковано 10 бер 2023
- 2023年03月11日
◆懐かしい映像 030
この映像では、1996年に撮影した「東武8000系 未修繕 初期顔車 全盛時代 オール幕車 修繕車も一部活躍」を載せたいと思います。
東武8000系
「準急」浅草
「準急」南栗橋
「準急」新栃木
「準急」東武宇都宮
「準急」館林
「準急」太田
「準急」伊勢崎
「普通」南栗橋
「回送」
柏
運河⇔柏
清水公園⇔柏
大宮
などを 全て幕車で撮影している映像を載せたいと思います。
東武8000系は、まだ修繕途中で、1996年頃までの修繕車は、全て幕車だった(LED修繕車は無かった)と思います。
映像でも、未修繕車、修繕車が混ざって走行している様子が分かります。
※懐かしい映像のため、音声が片側だけなど、聞こえずらい場合がありますがご了承ください。
1つ前の動画【1996年 懐かしい映像 029】東武350系 急行 南会津、ビジネスライナーしもつけ 350系 全車廃車解体済
• 【1996年 懐かしい映像 029】東武35...
の再生回数が、1000回に達しましたので、次の動画をアップします。
1994年~2006年の懐かしい鉄道映像を、友人より譲り受け、UA-camアップする許可を頂きました。
編集した映像は、全部で「180本程度」を予定しています。
鉄道会社は、東武、営団(東京メトロ)、東急、JR東日本、小田急、都営地下鉄、西武鉄道、京王電鉄、京浜急行、
上毛電鉄、長野電鉄、秩父鉄道、富士急行、江ノ電などをアップ予定です。
1994年から始め、年代別、鉄道会社別にプレイリストを作りながらアップしていく予定です。
◆動画アップについて
1000回以上再生達成したら、次の動画を載せたいと思います。
◆メインチャンネル
azumatakeshi(東武 あずまたけし) 【交通系 UA-camr】
/ azumatakeshi
こちらも、併せてご覧頂き、チャンネル登録して頂けるとありがたいです。 - Авто та транспорт
何故か5000系の唸り声をしていまう僕がいる。😅💡
しかも前面改造前が有ったのが驚きですね。😲‼️
これは凄く貴重な動画です。
非常に懐かしいです。
コメントありがとうございます。
今となっては、懐かしいですよね。
おはようございます😃
8000系の初期顔懐かしいですね🤗
乗り換えなしで浅草まで行けたのはありがたかったですね😊
8000系初期顔車が多く活躍していた時代ですね。
伊勢崎や東武日光にも、乗り換えなし(特急以外)で直通列車が走っていた時代ですね。
この時高校生で通学で使ってました。
懐かしいなー😊
東武と聞くと1番に思い浮かぶのがこの8000系ですね😊
高校生当時の様子を、懐かしく思い出して頂けたようで、良かったと思います。
この未修繕8000系は、東武の顔と言ってもいい存在でしたね。
えっ、すごすぎ‼️これは見れないので、超貴重ですね
あと、チャンネル登録したよー
今では見られない、8000系初期顔車がたくさん走っている時代ですね。
チャンネル登録ありがとうございます。
前面幕の未修繕車、棒状アンテナ、妻面塗装、シルバーシートのマーク 懐かしいですね
言われるところを注目して見ると、確かに懐かしさがいっぱい詰まっていますね。
ラストの準急東武宇都宮行きは、
東武宇都宮線のホームの長さから
前2両は新栃木止まりになるという
貴重な記録ですね。
確かに、東武宇都宮線は4両まで入線可能ですので、新栃木で2両切り離しが行われていた時代ですね。
現在は、下今市駅の500系のみになってしまいましたが、東武鉄道では、いろいろな駅で分割併合を実施していたんですよね。
これより4年前の東上線では沿線情報誌「ゆぁ東上」に「繁忙期に「みつみね」・「ながとろ」を森林公園で小川町方4両切り離しによる10両編成で運行致します。」という文献掲載もあったほど(実際行われたかは不明)だし、西武では不定期の西武秩父行き準急が10両編成(小手指で飯能方2両切り離し)あったり、拜島・西武遊園地ゆきの増解運用があったりとJRを含んだ各鉄道会社で増解結運用が多くあった時代でしたね。
(つい最近までスカイツリーラインでも北千住増解結ありの浅草行きもありましたし・・・)
未更新と更新車の増結も、結構多く走っていたんですね。ブツ6も今では見れません。この時代はまだワンマン化前のため、長距離運用なども多いです。この時代はほとんどが準急ですね。未更新の10000系も出てきました。
現在では、8000系どうしの連結運用は全て無くなりましたからね。
本線で8000系が主力だった時代ですね。
撮影ご苦労様です。リニューアル前の8000系ですね
未リニューアルの8000系が、多く活躍していた時代ですね。
令和5年にもなって、この顔の8000系をツートンカラーで野田線に導入する東武は、控えめに言って頭おかしいw(良い意味で)
ツートンカラーになった8111Fが、また野田線を走るようになるとは、予想できませんでしたね。
まだ、私が社会人として、間もない頃だ…。とにかく懐かしい!!
今となっては、懐かしいですね。
僕と同い年💡
初期顔と額縁スタイルの8000系の連結めっちゃ好き
8000系 初期顔と更新顔が連結して、当たり前に走っていた時代ですね。
現在では、8000系の連結運用自体が無くなりましたね。
2:07 修繕工事が本格的に実施されてない頃の8000系ブツ6があったのは知らなかったですね
側面方向幕が無いので、完全に未修繕8000系のブツ6ですね。
あと81120Fが伊勢崎線を走っていた事は知らなかったですね。
その頃は自転車通勤だから縁があまりなかった。
81120Fは、修繕前に本線に所属していた時代がありましたね。
現在では、東上線・越生線ワンマン車として活躍していますね。
この時代の東武鉄道日中はテールランプほとんどの列車が無灯火ですね。未修繕の8000系の先頭車のサボ受が懐かしいですね。JRではこの時代前照灯とテールランプ日中でも点燈していました。
以前は日中、前照灯、尾灯ともに無灯火でしたね。
未修繕8000系には、前面と側面にサボ受けがありましたね。
いやーなつかしい…
やっぱり、これですよ、これ❗
越谷はまだ工事中のときですね。
緩行線に8000系が…各駅のときは種別が白なんですよね。ただ、少ない数で普通表示もありましたが、微妙に配列が違うのが走ってましたね。自動にしたからですかね?
横方向幕もありましたし。
【浅 草】なのが【 浅 草 】みたいな。
個人的には【清水公園↔柏】がつぼりました。
やばい…また熱くなってしまった…
東武8000系は、この初期顔が好きでした。
ちょっとした仕様の違いなど、色々ありましたね。
熱くなる気持ち、わかります。
おはようございます。はじめまして。はじめて拝見させて戴きました。はじめて投書させて戴きました。ちなみに僕はs.54.3の生まれの者で、h.6.4~h.9.3の間の3年間は高等専修学校の時代の頃に通学で髙崎線と東北線をも利用して居りましたが、s.60.3~h.7.12の間は越谷の千間台に住んで居りましたので一時期ですが野田線も通学に限らず中学校へ入った頃に大宮や柏に遊びに行くのに春日部~大宮の間をも利用して居りました。
ご覧いただきありがとうございます。
当時の様子を、少しでも想い出して頂いたのであれば、良かったと思います。
本線系統の伊勢崎線と野田線が、8000系全盛期の頃ですね!
この頃私は、西新井大師前駅まで、せんげん台駅から通勤していました。
東武鉄道の各線区で、8000系が活躍していた時代ですね。
この初期顔も懐かしいです。
2005年夜東武東上線で原型撮ったこと有りました。😃☀️
手動幕の頃は、独特のフォントでしたね。
浅草の草のくさかんむりが++だったり、準急の急の真ん中の横線が突き抜けていたり。
新栃木の木の字がなぜかはねていたりもしました。
あと、その頃は、方向幕を回すのは駅員の仕事でしたね。だから野田線なんかは清水公園ー柏みたいに両方表示してたのかな?
方向幕を回すのは、確かに駅員の仕事でしたね。
回す手間を省くために、「⇔」表記が多く用いられていましたね。
フォントが独特だったのは、あまり気にしていませんでした。勉強になります。
わし8000系はクリーム色の方がえかったで。
セイジクリームも、良かったですよね。
セイジクリーム塗装懐かしいですね
懐かしいですね。東上線で通学していた頃、行き先幕が手動で矢印表示でした。
池袋⇔志木
池袋⇔川越市
池袋⇔小川町
等がありました。
たまに行き先が
池袋
川越市
小川町
の幕の車両に乗った時は滅多に出会えないのでとてもラッキーな気分でした。
8000系 未修繕車は、側面方向幕は無く、前面幕も手回しでしたね。
池袋駅では、駅員さんが手回しで方向幕を変える必要があり、その手間を少しでも省くために、「⇔」の幕が使われていたようです。
8000系未修繕の末期には、方向幕がLED化されて、手回しの手間自体を省略してしまいましたね。
今でもその名残?が9000系9101Fや10000系未修繕で見る事ができますね
まだ東武顔のほうが更新顔より勢力が多かった時代でしょうかね。
元々、前面を変えた理由がイメージアップに加えて10000系などと運転台の配置を揃える目的だったらしいんですが、
結果的に8000系のほとんどが更新顔に改造されてしまって、かえって原型の東武顔のほうが貴重になり、
そっちのほうが人気になって公式も推すようになるとは、
未来とは予想できないものです。
考えてみれば、小学生ぐらいの人は、この顔が現役だった頃を知らないんですね。
8000系 初期顔車で現在残るのは、8111Fのみになってしまいましたね。
東武8000系の同世代である阪急車がいまだに現役なのに、廃車がでているのはもったいないですね。
東武8000系は、712両製造され、現時点では残り43編成 182両が残っています。
できるだけ塗装車を減らすことで、検査作業の低減など、期待できると思いますね。
趣味的には、寂しいですけどね。
東武車の幕車すっかり少なくなりましたね
セイジクリーム時代の8000系、北千住で初めて種別が赤、行き先が紺の色付き幕を初めて見たときは「おーーぉ!」と思いました
その時に初めて、各停の種別に「普通」と文字が入ったんですよね、それまでは何も表示せず、中には丸抜き2個並びの表示を出してました
行先幕にも丸抜き2個並びもあって、たしか丸抜き1個もあったような記憶があります
今はすっかりLED表示が流行ってますが、自分は幕車が好きです
この当時は、幕車が当たり前でしたが、現在残る幕車は、野田線8150F、8159F、8163F、事業用車8506F、保存車8111Fのみになりましたね。
丸抜き2個並びは、「これ以上回すな」という位置まで、手回しで回している感じですね。
『東武鉄道・8000系電車』の津覇車輌の手によっての更新改修版の方が新車みたいな感じがありました。
1995年、1996年当時、私はこの頃の更新改修されたばかりの改修版8000系電車に乗ったことがあるのですが、新品と思われる明るい茶色の床は多少の凸凹はありました。
壁や天井も未改修版8000系とは違って新たな明るい感じがありました。
修繕したての8000系は、新車のようでしたね。
今となっては、この初期顔車が8111Fだけになり、珍しくなりましたけどね。
動画で見て居て思い出しましたが、動画内の13:50~の8000系の正面の方向幕は僕が越谷の千間台に住んで居る頃は朝のラッシュが終わり午前9時頃から下りの送込の回送列車が浅草や業平橋の方から主に北春日部や南栗橋に在る電車区(小山や新前橋とかと同じく)にピストン輸送の返却の事由で手廻の頃は左横側の種別が回送か白抜で真中側の行先は業平橋や浅草の文字の中途半端の処に起用に出して居る車輛も見た事が在りますし、動画内の06:15~の当時は野田線に本線から鞍替された車輛の一部ですが大宮か何処かで1度か1回か忘れましたが柏行の鈍行なのに本線からの継承と共に種別が白抜では無く快速?【柏】と出して居るのも見掛けた事が在ります。
そんな幕車も事業用と東武博物館所有を含めると8506,8159,8163,8111Fの4編成しかいませんね……
8506Fが2024年6月3日 廃車になりましたね。
これで8000系幕車は、残り3編成となりました。
本線の赤準急とか懐かしい
この時代は、区間急行、区間準急などが無かった時代ですね。
確かこの数年後に後期の未修繕車の前面幕がLEDになりましたね。
手回し幕だった未修繕車の駅係員の工数削減のために、無理やりLED表示化した感じでしたね。
東武顔には私、意外と乗ってないなー。です。初めての東武が10030の準急浅草行き、栗橋から牛田でして、私には東武=10030が染み込んじゃってます(^o^;)
東武顔に乗ったのは、東武宇都宮→新栃木の5000系くらいかも。です。
その乗車された少し前には、本線で8000系が主力で走っていた時代です。
東武顔は、3000系列、5000系列、8000系と以前は多く走っていたんですけどね。
現在では、動態保存車8111Fのみとなってしまいました。
8000系未更新車の行先幕は3000系からの転用。
ダイヤは3000系基準だったので発車してもすぐノッチオフでチンタラ走っていた。
当時のダイヤは、3000系基準だと、だいぶスジが寝ていた感じですかね。
手巻きの時代の方向幕は、3000系も8000系も共通だったわけですね。
野田線の未修繕、2023年現在でも元気に走ってますね!8166f、81117f、そしてスーパー8000の81114f!!
小学校の卒業遠足で野田線乗って清水公園行きました。野田線はどことなくボロい感じが好きでした。
それが今じゃアーバンパークラインという名称がつき、急行も走るようになり、野田線らしさがなくなってしまったような気がします。
あと伊勢崎線の準急伊勢崎行きとか新栃木行きとかも懐かしいです。
この時代の野田線は、本線からのお下がりの車両ばっかりでしたね。
野田線に60000系を新車で直接投入すると聞いた時は、驚いたものです。笑
昔は、末端まで直通の列車も多く走っていましたね。
8000系もまだ未修繕車が多かったものの、3000系の置き換えでアーバンパークラインでの活躍が多くなってきます。東上線も2・4・6・8両固定も結構多かったですが、越生線は4両以外にも2+2両のブツ4もありました。
浅草発の普通南栗橋行きも今じゃ貴重です。
4:34に出てくる6+2の回送はどこへ向かうんでしょうか?北春日部や南栗橋じゃなさそうですが。
当時は、いろいろなバリエーションの8000系が活躍していましたね。
4;34に出てくる回送は、方向幕の色から、東上線の車両ということが分かります。
秩父鉄道の羽生駅を、寄居へ向けて8505F、8506F、8510F(秩父鉄道ATS搭載車)のどれかが先導して発車していくシーンですね。
@@nishitakeshi 東上線の8000系だったのは知りませんでしたが、撮影したところは羽生ってことになります。なのでこれは南栗橋じゃなくて西新井出場後の森林公園までの回送ですね。
長きに渡り東武鉄道通勤型電車の代表格8000系、東上線はもとより東武鉄道沿線の通勤輸送を担った車両、
8000系が、東武の一時代を作ったと言ってもいいくらいですね。
6:10、今も野田線にいる8166Fですね。
未修繕時代の8166Fですね。
そこら中に8000系の未更新車がいる…!!!無くなった運用もあるし…。
にしてもこのころの鉄道車両ってどれもヘッドライト点灯せずに運用してますよね…
俺りょうもうがヘッドライトつけずに運用についてる写真(2018年頃撮影)持ってるんですけど、
あれを「1990年代に撮りました」って言ったら信じる人はどれくらいいるのか…()
ところで、西武の映像はまだ上げてないものあるんですか?←(旧発車メロディ目的ですごめんなさい)
まだ、8000系の未更新車がたくさん活躍していた時代ですね。
当時は、夜間以外ヘッドライトは点灯していませんでしたね。
西武の発車メロディー付き映像は、今後ありません。
@@nishitakeshi フムフム…。
Oh…別に発車メロディ付きにしろとは言いませんけど、もう無いですくぁ…()
残念…!!まあ、武蔵野線の旧接近メロディが聞けただけでもありがたいでっせ…()
リニューアル前の8000系と修繕後の連結は珍しいんですか?
頻繁に見られましたよ。
8000系の原顔って言うんでしょうか、あの顔で運転席側の窓だけが拡大されていた車両が1両あったと父から聞いたのですが、ネットで探しても見つからず、ご存じだったりしませんか?
この時代の東武鉄道の通勤車は、この顔(東武顔)が多かったですね。
「運転席側の窓だけが拡大されていた車両」ごめんなさい分からないです。
7800系じゃない?
8000系が走っていた時の東武が好きです。
今の東武線はあまり好きになれない。
本線でも、8000系が現役で活躍していた頃が懐かしいですね。
現在でも、残り200両の8000系が、野田線やワンマン区間で活躍していますね。
そのほかは、銀色の車体が多くなってしまいましたが・・・。