【1995年 懐かしい映像 009】東武8000系 全て幕車「快速たびし・快速・準急」東武日光、東武宇都宮、東武動物公園、業平橋行き 未修繕8150F 4両映像も!【1000回再生で次の動画アップ】
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- Опубліковано 4 тра 2022
- 2022年05月05日
◆懐かしい映像 009
この映像では、1995年に撮影した
東武8000系
「快速たびし」東武日光
「快速たびし」東武動物公園
「快速たびし」浅草
「回送」未修繕車で、行き先を半分手回しした状態 ←「回送」まで回すのが大変なため
「準急」新栃木 から側面幕回し
「準急」東武宇都宮
「準急」浅草
「快速」東武動物公園
「普通」浅草
「準急」伊勢崎
「普通」業平橋
などを 全て幕車で撮影している映像を載せたいと思います。
東武8000系は、まだ修繕途中で、1995年までの修繕車は、全て幕車だった(LED修繕車は無かった)と思います。
映像でも、未修繕車、修繕車が混ざって走行している様子が分かります。
ちなみに現在、野田線で最も古い車両として活躍している、8150F(4両)の未修繕時代の映像(3:54)が見られます。サボ受けに行先を表示しています。
8150Fは、このあと1995年10月修繕工事を実施し、同時に8550Fを中間車に組み込み6両化されています。
※懐かしい映像のため、音声が片側だけなど、聞こえずらい場合がありますがご了承ください。
1つ前の動画、【1995年 懐かしい映像 008】吊掛駆動 東武小泉線 5000系 5102F、東武宇都宮線 5050系 5160F、杉戸工場 5157F 入換えシーン!
• 【1995年 懐かしい映像 008】吊掛駆動...
の再生回数が、1000回に達しましたので、次の動画をアップします。
1994年~2006年の懐かしい鉄道映像を、友人より譲り受け、UA-camアップする許可を頂きました。
編集した映像は、全部で「180本程度」を予定しています。
鉄道会社は、東武、営団(東京メトロ)、東急、JR東日本、小田急、都営地下鉄、西武鉄道、京王電鉄、京浜急行、
上毛電鉄、長野電鉄、秩父鉄道、富士急行、江ノ電などをアップ予定です。
1994年から始め、年代別、鉄道会社別にプレイリストを作りながらアップしていく予定です。
◆動画アップについて
1000回以上再生達成したら、次の動画を載せたいと思います。
◆メインチャンネル
azumatakeshi(東武 あずまたけし) 【交通系 UA-camr】
/ azumatakeshi
こちらも、併せてご覧頂き、チャンネル登録して頂けるとありがたいです。
もう8000系が本線から引退して10年以上経過しました。
この頃は側扉の注意シールもガラス外側に貼付されてましたね
台車も今の万系と同じような軽い音のする車輪ではなく、103系や115系と同じような重厚な車輪でした。
いろいろ撮影について言われる世の中ですが、歴史的な価値や懐かしく昔を思い出して心が温まる画像を残すことはとても尊いことだと思います。
扉の注意シールや、台車の違いも、言われないと気づきませんでした。
ありがとうございます。
こうやって、映像に残していくのは大事だと思いますね。
今を精一杯撮影して、後世に映像を残していきたいと思います。
当時は臨時快速が結構ダイヤに組み込まれていた記憶があります。
しかし、快速たびじ東武動物公園行きなんてかなりレアですね。
GWなどの長期連休には、臨時快速が運行されていましたね。
確かに、快速たびじ 東武動物公園行きは、レアですね。
この時代はまだ動画を撮るビデオカメラやビデオテープ代が高く気軽に撮れず当時は東武8000系がたくさん走っていて珍しくないからか動画を撮る人が少なくUA-camには東武8000系の準急の動画が少なかったので投稿していただきありがとうございます。
確かに、この時代は、動画撮影している人は少なかったですね。
1994年~2006年まで、184本アップを予定していますので、今後もご覧いただければと思います。
本当その通りですよね。西武さんの動画の見ていて面白いのは、当時の「ありふれた」光景が記録されている所ですよね。8000系の準急とか臨時快速なんて当時はあまりにありふれていてわざわざカメラを向ける人は殆どいなかったはずです。そういう物の方が却って後世に伝わりにくい気がします。
ドアステッカーがまさに過渡期で、浅草方から2番目のドアの右側だけが新タイプの大型になっているのが非常に興味深いです。1995年の間に新タイプに結構切り替わったと思いますが、このような過渡期が存在したのはこの動画で初めて知りました。それにしてもなぜ浅草方から2番目のドアだけ綺麗にこのステッカーにしているのか、不思議です。
ドアステッカーに注目しましたか。
私は、そこまで見ていませんでしたが、ステッカーが切り替わる過渡期の映像というのは、ある意味貴重かもしれませんね。
1995〜96年頃は8000系の修繕工事が全体の半数近くになった頃かと思います。
96年までGWとお盆、秋の紅葉シーズン土日になると8000系が数本臨時快速に使われていたのですが、97年になると通勤型の臨時快速はパッタリ見かけなくなったと記憶しています。
6:13 4両で発車する東武宇都宮行きは81111Fですね。前面サボ付き本線仕様の原型顔ですが、側面サボ受が一切無いスタイルで東上線が新製配置だった名残がありました。大分後になって東上線に戻り更新顔でセイジクリームになるとは誰も予想できなかった頃です。
側ドアの注意ステッカーも95年の途中から位置が変更されていますね。私は変更時期をはっきり覚えていなかったのですが、8月の映像以前は戸袋寄りにあったのが12月に浅草駅で撮られた映像以降は内寄りになっていますね。
この時代は、8000系の修繕車と更新車が混ざって走っていた時代ですね。
1997年から通勤型の臨時快速は、見かけなくなったんですね。
この映像は、その直前映像だったわけですね。
81111Fは、この映像では車番が読めませんでしたが、今では東上線でワンマン化、セイジクリームになって活躍していますね。
いろいろ、当時の情報ありがとうございます。
こんだけ更新車が見れるのは素晴らしい✨浅草のpassengerも懐かしい☺️良い時代だ🎵
これだけ多くの8000系が、当時は活躍していたんですよね。
浅草のpassengerを含め、良い時代でしたね。
この頃は、8000系の幕車がたくさん走っていたのでですね。そういえば水曜日に野田線に行きましたが幕車の8150Fと8159Fに乗ることができました!!今では、8000系の幕車を見る機会もなかなか難しくなりましたね。あと8000系の幕車が見れるのもあと数年になりそうなので今のうちにたくさん記録しておいた方が良さそうですね。
東武8000系は、この時代LED車は登場しておらず、全て幕車でした。
8506F、8111Fを除けば、8000系幕車は野田線に3編成のみとなりましたからね。
その野田線8000も、カウントダウンが始まった感じですね。
幕でも春日部配属編成と館林配属編成で若干幕が異なります。
(春日部配属には下町ローカルと日光ローカル幕と臨時快速「たびじ」と団体「たびじ」「林間学校」・館林配属編成には館林ローカルのコマがあったりします)
配属線区によって、幕も違いましたね。
今から20年ほど前、東上線で未修繕の車両に何回か乗ったことがあります。
濃いクリーム色の車内、更新顔と連結した時に小さく見える特徴的な連結面、丸い戸締め灯、赤いブレーキの紐など今でも鮮明に思い出せます。
言葉で書いて頂いただけでも、どんな状況だったか思い出せますね。
@@nishitakeshi なお、未修繕最後の幕車(手動幕)は81109Fだったそうです。この車両が2001年3月27日を最後にLED化されて手動幕車は消滅したということです。
21世紀まで手動幕車が残ってたのは意外ですね。
快速たびじは、今でも団体列車として、名前は引き継がれています。快速たびじは行き先の種類が多いですね。8000系といえば、やっぱり併結パターンでしょうか?昔はパターンも多くて、面白かったようです。
種別表示に「快速たびじ」と表示できるのはこの時代ならではでしたね。
日宇準急など、併結で、途中で分割する運用もありましたね。
後期未修繕車の前面幕がLEDでない時代ですね。
窓下帯も妻面まで周り込んでいますね。業平橋行とか
宇都宮線直通準急とか懐かしい。
まだ、LED行先表示の無い時代の8000系の様子ですね。
種別、行先表示も懐かしいですね。
首都圏の私鉄車両の世代交代が早いなあって感じますね。8000系と同世代の阪急3300系、5100系などまだまだ現役バリバリなのに…。
関東の中でも、東武鉄道は、車両を長く大事に使うほうですね。
東武8000系は、712両→200両まで減ったものの、まだ現役で活躍しています。
最初の映像、、おしい、あと1日早かったら、ちょうど27年前だったのですね。(でももう、27年も前なのか…)
確かに、1995年5月4日の映像でしたね。
もう、27年前になるんですよね。
いせや懐かしい。
いせや(現ベイシア)が懐かしいですね。
これぞ「東武」って感じの映像ですね。懐かしい。
でも、車体の色が関西の泉北高速鉄道とほぼ同じ。
8000系は、東武を代表する通勤型と言ってもいいですね。
泉北高速鉄道は、側面だけ見ると、本当に似ていますね。
東武の顔といえば8000系のイメージが強いですね。
未修繕の8000系が、まさに東武顔と呼ばれていましたからね。
4分23秒辺りの8000系の10連回送列車
が通過した場所って多分西新井ですよね。
95年頃の本線の下り線のホームって8両までしか対応してなくて10両対応ホームになったのが区間準急が新設された97年頃だと
思います。
明らかに日付が入っているものは、分かりますが、
もしかしたら、1997年頃の映像も入っているかもしれません。
元映像から、かなり編集を加えていますので。
西新井駅です。
赤っぽい建物は今でもあの色で建ってます。
トイレの位置からホーム延伸前の西新井駅ですね。この映像の後の1997年頃に北千住寄りにホームを伸ばしてます。ホーム伸ばす前から回送は下りでも10両がありました。トイレが懐かしい(今でもあるのか?)のと、手抜き回送幕表示が懐かしいですね。
団体専用 たびじはかつて快速列車の愛称だったんですね
そうですね。
臨時快速の愛称だったと思います。
野田線沿線民としては今でも8000がいるため余り昔の映像に見えないです(笑)
ただ、車輪が違うのかジョイント音が今と違うように感じます。
確かに、現在でも野田線に幕車は走っていますね。
当時、未修繕車は、前面幕は手回し、側面幕は無しでした。
現在、走っている車両とは、細かく見ていくと違うんですよね。
現役最古参の8150Fも当時は未更新だったんですね
確かに、未修繕8150F(4両)が見られますね。
表題と説明欄に8150Fの内容を追記しました。
気づいて頂きありがとうございます。
西新井を通過する回送ですが、8000系未修繕(幕時代)の回送だと業平橋と浅草の間で止めてたのが謎です。もしかすると回送までのコマが長いからじゃないでしょうか?
東上線も当時は「池袋ー成増」「池袋ー志木」といった起終点だけが書かれた行先だけでした。
幕が手回しだったので、回送まで回すのが大変だったと思います。
こういった、幕と幕の間で止めているのが結構ありましたね。
あとは、言われるように「⇔」で両方の行先を記載して、回す回数を減らすようにしていた区間もありました。
のちに、8000系の修繕が進み、未修繕車が少なくなって来た頃、LED表示に変更して「手回し」を解消していますね。
本線の8000系の手回しの幕は、行先の幕には回送は入ってなくて、種別幕に入ってました。多分、種別の幕を回すのが面倒(行先幕と違い、幕回しのハンドルがついてない)で、半端な位置にしてたのかと。
これが3000系だと、種別幕が、運行番号幕で3分割されてるので、行先の幕に回送があったのかと思います。3分割されてる幕にも回送はありましたけどね。
回と送がズレてる時とかもありましたよ。
追伸、投稿者様の同じシリーズの015の、3000系の動画の14分過ぎの列車がちょうど回送と試運転が見切れてますが、運の字だけ少しズレてたりしてるのがお分かり頂けます。
幕式の更新は1996年度までやってましたね。8159Fが最後
修繕後も幕車にしたのは、言われる通り1996年度までで、1997年度以降の修繕は、LED車になりましたね。
2002年から急激に栃木地区から利用客が減りはじめ 2017年4月20日日光・会津田島~浅草間の長距離電車6050系6両編成による運転が老朽化を理由に終わり スペーシアも本数が減り 数本が3両特急リバティーに代わった 今年の3月11日 2017年4月21日から日光鬼怒川線を4両で運転してきた6050系が20400型により引退 南栗橋~日光 新藤原間20400型になりました 6050型は野岩鉄道の新藤原~会津高原尾瀬口間として3本いますが 今後どうなるのかな
南栗橋以北の車両も、だいぶ変化がありましたね。
今後は、しばらく20400系の時代が続きそうですね。
野岩鉄道の6050系は、あと何年見られるのか、その辺も気になります。
野田線8000系側面の錆が目立ってきました。ヤバいです。
鋼鉄車は、4年の検切れ近くなると、錆が目立ってくるのは仕方ないですね。
撮影されている8000系殆ど解体されています。
この時、修繕済の8000系は全て解体されていますね。
8150F、いつ頃森林公園から本線に転属したのだろう?
1995年3月 東上線→本線、1995年9月 本線→野田線 という感じで転属されたようですね。
快速たびじの停車駅って分かる人いますか?
子供の頃、何度か見かけましたが記憶がないので、
覚えている人いませんか?
当時の快速と同じ停車駅だと思います。
浅草、北千住、春日部、東武動物公園、新大平下、栃木、新栃木、新鹿沼、下今市、東武日光
@@nishitakeshi
ありがとうございます。
6:35 これどこですか?
半蔵門線に直通する前の曳舟駅です。
今はないですが曳舟駅で特急の退避待ちをしていました。
7:00で越谷と言っていますよ
@@chibitetu-channel
もう一度見直して見ると
確かに越谷と言っていました。
皆さんありがとうございます