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和田岬線の旧型客車が現役だった頃の映像観た事あるんですが開きっぱなしの扉から乗客が半分体出したりして中々カオスな光景だなって感じました個人的にこの車両が凄いと感じたのは改造内容よりも平成のバブル期の頃まで現役だった事ですね
子どもの頃只見線で乗った列車がロングシート化した旧客でした。それだけで目が点になりましたが、この映像を見てもっと凄いのがいたんだと一種の感動をおぼえましたw
国鉄時代(自分が生まれてから国鉄末期)の牽引機はDD13でした。兵庫駅の地平ヤードに貨車等と共にバラバラと置いていた。
あのインドの通勤風景のような乗り具合なら この改造は必然だったと思います。次のキハ35系改造車も『和田岬線スペシャル』でしたね。
@@toriri-service 和田岬線は103系においてもHゴムのオール6両原型車が投入されていたりと1年ほど前までカオスが残っているような路線でしたが今の姿を見ると正直寂しくなりますね。。
@@watagasi583TV さま昔(昭和62年頃)は和田岬駅にも駅舎があり。たまたまクルマで通りかかったので 入場券を買おうと窓口で求めたら。「えっ!?夕方まで来ませんよ。いいんですか?」と駅員さんに驚かれたのも良い思い出です。列車は 良くなったけど駅舎のない無人駅となり 寂しくなりましたね。
@@toriri-serviceだから駅そばのファミマが駅舎代わりとか言われるww
旧客で一番記憶に残っているのは、新宿発の長野行き425便夜行列車ですね(EF64牽引)。22:30ホーム入線、23:55出発の通称「山男列車」です。当時の登山好きには必須アイテムでしたね。車内が木造の旧型客車と山小屋がクロスオーバーしていました。夜行列車なので、車軸発電による薄暗い白熱灯の車内は、登山の雰囲気満点で、まさに夜行列車には向いていましたね。途中の長時間停車でもドアが手動だったので、ホームに降りて水を飲んだり、山での深呼吸もできました。山口線のようなナンチャッテ旧型客車でもいいから復活させてほしいなんて思います。機関車はJR貨物のものを借りればいいのです。昭和50年3月に115系電車の441M列車になってしまいました。新宿駅から客車列車、気動車列車が消えた瞬間です。
Nゲージ版を仕入れてKATO製DD13旧製品を前後に繋げて遊びましたね。横浜市の某ポポンのポイントある駅もコケたり急減速なく通過できて安堵。KATOのマイテ付き旧客セットのオハフ33と緩急車換えて代走運用も楽しそう……
@@秋津のOB Nゲージのオハ64も欲しいですね、、
DE10は機回ししてたけど、俺が初めて乗った昭和57年当時はDD13のPPだったな確か。
旧客を乗りたくなる衝突に駆られて乗りに行った記憶が蘇るよ
@@bakayarou4545 旧客は全く世代ではありませんが面白味が詰まっていると思いますね。。特に鉄道の原点です。
「衝突に駆られて乗りに行った」とは物騒ですね。衝動との間違いでしょうけど、面白いです。
マジでいいんだよね〜
旧客の記憶というと北陸トンネルを開けっぴろげの後方貫通路から眺めたことすさまじい轟音で迫力満点でした
最後にこういう客車に乗ったのは昭和56年に高崎線の熊谷22時台から上野までの便で、おお懐かしいと歓喜して乗ったものの、なぜか遅れてしまって地元の千葉の田舎に行く終電の接続に間に合わなかった思い出ですね。
下りは朝6時台上野発高崎行きの2321レがありましたが貴兄が乗られたのは復路である2322レですかね。この上下の列車、実は郵便者+荷物車を繋げたまま高崎→長野→新潟まで走っていたんですね。それだけ走るので多数の特急が走った時代でもあり、終点近くでの遅れは多かったろうと想像します。ワタシも同時期に下りを乗りましたが、高崎で長野方面列車に乗り継ぐつもりが列車番号が321レに化けて長野行きになると聞き、1時間待ってまた客車に揺られましたよ。その間に牽引機はEF58→EF62へ替わっていましたね。長野に着いたら着いたでその先へも走る放送が入りましたが、さすがに中学生にはそれ以上足が伸ばせませんでした…。これら高崎線最後のボロ客列車も最末期(上越新幹線開業前)は12系に替わり、郵便や荷物車も無くなってたようです。
高崎の客車列車末永く活躍を願います
いわゆる和田岬線は独特の雰囲気が好きです。気動車の頃、行きました。
常磐線や水郡線で客車列車が走っていた頃は、時刻表を調べてわざわざ乗ったな。 高い天井にカラカラ回る扇風機が好きだった。
家の近くなんで小学生の時によく見に行ってました。たまに扉から川に落ちる人がいましたけど😂
今回の動画、面白いです。(笑)某番組のパロディが面白かった。すごい珍車だなと思った。国鉄は、妙案を思いつくなぁ。そのまま架線を伸ばせなかったのかなと思った。
@@E531系特快 ありがとうございます!少しコメディ風にと笑
0:00~BGMのアレンジが64にあってる(爆😂😂)2:11「ほ..ほっといてくれ😅」(オハ64😅)
な、なんじゃこりゃ⁉︎⁉︎⁈⁈⁉︎⁈なんなんだよこの通勤電車風のヘンテコ客車は⁉︎
TR11のようなイコライザー台車を履いた営業車も無くなっちゃいましたね。定員爆増し車体にも台車にもかなりの負荷となったでしょうが、よくぞ長年もたせたものです。
わずかな座席は、製造直後のモハ63を思わせました。この発想が6ダァ座席収納車に引き継がれたとは思いませんが、短時間の通勤客輸送なら構わんだろう、という発想は致し方なかったのかな、と。なお、ちゃんと座りたいという客のためか、1両だけ未改造(2ダァ全BOXシート)車が連結されていました。
1:24 鶴見線みたい。
最初DD13にて牽引、途中でDE10に変わりました、ドアも手動で人がぶら下がっていました、過去一度だけ人が運河に落下したと聞いています。
私が乗った時もDD13でした。もはやエレベーターみたいな乗り物でしたね。
おはふた36ではなくオハニ36ですね。
サハ204等の“座席収納車”は、この客車をヒントにして開発されたのでは?
もはや家畜車...
社畜車なのでだいたい合ってるのでは?(え
船岡駅かな?
んーいまならE233系ばかりになったなー、205系も撤退したし
60系客車は43系に比べてしょぼい
和田岬線の旧型客車が現役だった頃の映像観た事あるんですが開きっぱなしの扉から乗客が半分体出したりして中々カオスな光景だなって感じました
個人的にこの車両が凄いと感じたのは改造内容よりも平成のバブル期の頃まで現役だった事ですね
子どもの頃只見線で乗った列車がロングシート化した旧客でした。それだけで目が点になりましたが、この映像を見てもっと凄いのがいたんだと一種の感動をおぼえましたw
国鉄時代(自分が生まれてから国鉄末期)の牽引機はDD13でした。
兵庫駅の地平ヤードに貨車等と共にバラバラと置いていた。
あのインドの通勤風景のような乗り具合なら この改造は必然だったと思います。
次のキハ35系改造車も『和田岬線スペシャル』でしたね。
@@toriri-service 和田岬線は103系においてもHゴムのオール6両原型車が投入されていたりと1年ほど前までカオスが残っているような路線でしたが今の姿を見ると正直寂しくなりますね。。
@@watagasi583TV さま
昔(昭和62年頃)は和田岬駅にも駅舎があり。
たまたまクルマで通りかかったので 入場券を買おうと窓口で求めたら。「えっ!?夕方まで来ませんよ。いいんですか?」と駅員さんに驚かれたのも良い思い出です。
列車は 良くなったけど駅舎のない無人駅となり 寂しくなりましたね。
@@toriri-serviceだから駅そばのファミマが駅舎代わりとか言われるww
旧客で一番記憶に残っているのは、新宿発の長野行き425便夜行列車ですね(EF64牽引)。22:30ホーム入線、23:55出発の通称「山男列車」です。当時の登山好きには必須アイテムでしたね。車内が木造の旧型客車と山小屋がクロスオーバーしていました。夜行列車なので、車軸発電による薄暗い白熱灯の車内は、登山の雰囲気満点で、まさに夜行列車には向いていましたね。途中の長時間停車でもドアが手動だったので、ホームに降りて水を飲んだり、山での深呼吸もできました。
山口線のようなナンチャッテ旧型客車でもいいから復活させてほしいなんて思います。機関車はJR貨物のものを借りればいいのです。
昭和50年3月に115系電車の441M列車になってしまいました。新宿駅から客車列車、気動車列車が消えた瞬間です。
Nゲージ版を仕入れてKATO製DD13旧製品を前後に繋げて遊びましたね。横浜市の某ポポンのポイントある駅もコケたり急減速なく通過できて安堵。
KATOのマイテ付き旧客セットのオハフ33と緩急車換えて代走運用も楽しそう……
@@秋津のOB Nゲージのオハ64も欲しいですね、、
DE10は機回ししてたけど、俺が初めて乗った昭和57年当時はDD13のPPだったな確か。
旧客を乗りたくなる衝突に駆られて乗りに行った記憶が蘇るよ
@@bakayarou4545 旧客は全く世代ではありませんが面白味が詰まっていると思いますね。。特に鉄道の原点です。
「衝突に駆られて乗りに行った」とは物騒ですね。衝動との間違いでしょうけど、面白いです。
マジでいいんだよね〜
旧客の記憶というと北陸トンネルを開けっぴろげの後方貫通路から眺めたこと
すさまじい轟音で迫力満点でした
最後にこういう客車に乗ったのは昭和56年に高崎線の熊谷22時台から上野までの便で、おお懐かしいと歓喜して乗ったものの、なぜか遅れてしまって地元の千葉の田舎に行く終電の接続に間に合わなかった思い出ですね。
下りは朝6時台上野発高崎行きの2321レがありましたが貴兄が乗られたのは復路である2322レですかね。
この上下の列車、実は郵便者+荷物車を繋げたまま高崎→長野→新潟まで走っていたんですね。
それだけ走るので多数の特急が走った時代でもあり、終点近くでの遅れは多かったろうと想像します。
ワタシも同時期に下りを乗りましたが、高崎で長野方面列車に乗り継ぐつもりが列車番号が321レに化けて長野行きになると聞き、1時間待ってまた客車に揺られましたよ。
その間に牽引機はEF58→EF62へ替わっていましたね。
長野に着いたら着いたでその先へも走る放送が入りましたが、さすがに中学生にはそれ以上足が伸ばせませんでした…。
これら高崎線最後のボロ客列車も最末期(上越新幹線開業前)は12系に替わり、郵便や荷物車も無くなってたようです。
高崎の客車列車
末永く活躍を願います
いわゆる和田岬線は独特の雰囲気が好きです。気動車の頃、行きました。
常磐線や水郡線で客車列車が走っていた頃は、時刻表を調べてわざわざ乗ったな。
高い天井にカラカラ回る扇風機が好きだった。
家の近くなんで小学生の時によく見に行ってました。たまに扉から川に落ちる人がいましたけど😂
今回の動画、面白いです。(笑)某番組のパロディが面白かった。
すごい珍車だなと思った。
国鉄は、妙案を思いつくなぁ。そのまま架線を伸ばせなかったのかなと思った。
@@E531系特快 ありがとうございます!少しコメディ風にと笑
0:00~BGMのアレンジが64にあってる(爆😂😂)
2:11「ほ..ほっといてくれ😅」
(オハ64😅)
な、なんじゃこりゃ⁉︎⁉︎⁈⁈⁉︎⁈
なんなんだよこの通勤電車風のヘンテコ客車は⁉︎
TR11のようなイコライザー台車を履いた営業車も無くなっちゃいましたね。
定員爆増し車体にも台車にもかなりの負荷となったでしょうが、よくぞ長年もたせたものです。
わずかな座席は、製造直後のモハ63を思わせました。この発想が6ダァ座席収納車に引き継がれたとは思いませんが、短時間の通勤客輸送なら構わんだろう、という発想は致し方なかったのかな、と。
なお、ちゃんと座りたいという客のためか、1両だけ未改造(2ダァ全BOXシート)車が連結されていました。
1:24 鶴見線みたい。
最初DD13にて牽引、途中でDE10に変わりました、ドアも手動で人がぶら下がっていました、過去一度だけ人が運河に落下したと聞いています。
私が乗った時もDD13でした。もはやエレベーターみたいな乗り物でしたね。
おはふた36ではなくオハニ36ですね。
サハ204等の“座席収納車”は、この客車をヒントにして開発されたのでは?
もはや家畜車...
社畜車なのでだいたい合ってるのでは?(え
船岡駅かな?
んーいまならE233系ばかりになったなー、205系も撤退したし
60系客車は43系に比べてしょぼい