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キハ08 3形は1973年公開の「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」で気動車改造前のオハ62130形客車時代を見ることができる。
キハ08系は実際に加悦SL広場に保存されてるとこを見に行った事があります影が薄いながらもこの車両が無ければキハ141系や143系は生まれてなかったかも知れませんね
加悦では飲食店舗に利用され、冷房をつけるため家庭用エアコンが取り付けられ、上下水道の配管もつながれてまったく動けない状態だった。使い倒されたあげくに縛りつけられて自由まで奪われたようで、動態保存が基本だった加悦SLの広場の方針にもそぐわず、悲しい気持ちになった思い出がある。
そうだったんですか!こういう車両こそ、動態保存すべきだと思いますがね・・
加悦鉄道で活躍しているときに実際に乗ったことがあります。重たそうな音を出しながらも長閑に走っていて、快適だった思い出があります。こういった線区には合っていたのかも。
私も同感です🎵乗り心地は良かったですよ❤️ 昭和51年8月でした😃
一番気になってた国鉄車両だったけど、とうとう乗れず終い、どうにか6年前に実物を丹後で拝めた。これ、登場当初はキハ40(両運)/45(片運)を付番してたけど、その頃はキクハ45とかキサハ45とかとんでもねえのが一族にいたんだよなあ。キサハに至ってはほとんど何の違いがあんのか分からん状況で。でも確か時代が下って城端線で12系→気動車用付随車になった奴がいたから、サロ→クハとかオハ→キハ同様、歴史が繰り返したという……。
グリーンマックスのオハ61・オハフ61客車セットにキハ08の顔がおまけで付いてました。Nゲージでトミックスのオハフ50を気動車に改造する記事があったけど、キハ33やキハ141がリアルで登場したのには驚愕したものです。
今は廃墟になった加悦SL広場にc58とc57達と放置されているから不安…
キハ11形・キハ120形・キハ125形・キハ141系のご先祖に当たります。特にキハ141系は客車から気動車への改造という共通点があり、客車の名残も多少残しています。
まぁ、このキハ08から50系客車改造の気動車が日本中にできてきたわけだから、ある意味凄いです。しかもこの車両の最後の一両が、野ざらしとはいえ、まだ静態保存されているんたから、それも凄いです。早くこの最後の一両も、新たな保存先を見つけてほしいです。
キハ10と共に内定はしてるみたいだけどね。
余剰旧型客車は電車化改造も検討されたが実現しなかった。気動車化は実現されたが、当時の非力なエンジンで重い車体を走らせるのは無理があったようだ。
60系は戦災復旧車ではなく鋼体化改造車ですね。戦災復旧車は70系です。
札幌生まれの札幌育ち、現在も札幌在住です。今回取り上げていただいたキハ08系は、子供の頃小樽方面へ汽車で行ったときに乗車した記憶があります。それでウイキペディアで検索すると、登場時キハ40という気動車が、どうもキハ22や27といった形式の車両と先頭が似ても似つかない形だったので、記憶に残っています。まあこれがのちに、50系客車の余剰対策の先駆けになっているので、当時の国鉄の関係者を尊敬しますね。
魔改造のメッカ関東鉄道(筑波鉄道)でも例はあったみたいだが上手くいかなかったのか後にエンジンを降ろされた。成功を収めたのは頚城鉄道のホジ3だろうか、年に数回だが現在でも動くところを見せてくれる。
ちょっと前ならサンパチと並ぶ迷車扱いされていたキハ08こと初代キハ40が、SL銀河で引退し北でも終焉が近づくキハ141系の功績と共にそのパイオニアとして昨今再評価されてきてるの感慨深い。
またマニアックな車両を…😅これが元祖『キハ45』でもあるんですよね。キハ17系と比べて中は広かったけど 重くて走らなかったとか。中には両方ともDT22に替えてある車両もあったそうです。
実際にはキハ40の元祖ですな
そのためか今のキハ40(2代目)は101番がトップナンバーでした。
2:1808「おう、頼むな。😒」20系「は..はい..😅💦」
ラストシーンがキハ40なんて意味深すぎる...
これがあるため、キハ40の0番代が存在しない。
発想はよかったんだけど、選んだ種車が悪すぎた、エンジンが弱すぎた(国鉄すべてに言えるけど)、が迷要素かなと思いました。
おっ!キハ40だ・・・えっキハ08なにそれ?と思った自分はおそらく少数派。
ああ、加悦にあったのがそうでしたか。客車改造かどうかわかりませんが、和田岬線にもありましたね。😅
初代キハ45客車自体重いんだな50系は軽いと
車両の重量自体は50系の方が重いが、エンジンパワーが半端なく上がっているので問題なかったそうな
ローカル線にディーゼルカーが不足しています。どうする国鉄?余剰の客車にエンジンを載せればいいんじゃない。中にはエンジンすら載せられずに気動車の仲間に加えられた車両もあった。
コレ、まだ引き取り先が見つからないんですたっけ?津山はもう収容できないかな・・・
魂を揺さぶるカッコ良さなんだよなぁ〜
キハ08・・・今後の動向が気になって夜しか寝れないwwそれは置いておいて、加悦の4号機関車だったかがクラファンで千葉行きが決まったけど、誰か同じようにクラファンする人居ないかな・・・キハ08は残してほしい・・・
こういう特異な車両には、一定数の熱狂的マニアがいると思う。こういう車輛こそ、博物館モノだと思うんだけどなぁ…カネのある鉄道ファンってこういうことには一切タッチしないんだよねw
60系は木造車を鋼体化した客車ではあるけど戦災復旧車ではないよ、それは70系。08ファミリーは片運のやキクハ、キサハもあったね。国鉄だとこれくらいだけど戦前は気動車を持ってれば客寄せにもなるから中小私鉄で客車改造気動車が流行ってた。知る限りナローが多い、角田軌道のは特に有名だね。戦時中不要不急路線指定で消えた出石鉄道も気動車不足解消のため客車改造気動車を作ろうとしてたのを昔本で見た覚え。
加悦鉄道で現役時代に乗ったことがあります。スピードが50kmも出なかったのですが、乗り心地はそれなりでした。元々客車だったので加速はゆっくりでした。(^_^;) 動力台車に泰和車両の銘板がついていました。 これが貴重なんですよね。
キハ08、面白い車両だなと感じた。と、同時に、日本人の発想の豊かさには、見習うことが多いと思います。型にとらわれない発想が大事だなと、思った。
津山まなび館にキハ10と共に収蔵すべき!!!
キハ08は何気に鉄コレにラインナップされてましたな
キハ08 3形は1973年公開の「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」で気動車改造前のオハ62130形客車時代を見ることができる。
キハ08系は実際に加悦SL広場に保存されてるとこを見に行った事があります
影が薄いながらもこの車両が無ければキハ141系や143系は生まれてなかったかも知れませんね
加悦では飲食店舗に利用され、冷房をつけるため家庭用エアコンが取り付けられ、上下水道の配管もつながれてまったく動けない状態だった。
使い倒されたあげくに縛りつけられて自由まで奪われたようで、動態保存が基本だった加悦SLの広場の方針にもそぐわず、悲しい気持ちになった思い出がある。
そうだったんですか!こういう車両こそ、動態保存すべきだと思いますがね・・
加悦鉄道で活躍しているときに実際に乗ったことがあります。
重たそうな音を出しながらも長閑に走っていて、快適だった思い出があります。こういった線区には合っていたのかも。
私も同感です🎵乗り心地は良かったですよ❤️ 昭和51年8月でした😃
一番気になってた国鉄車両だったけど、とうとう乗れず終い、どうにか6年前に実物を丹後で拝めた。
これ、登場当初はキハ40(両運)/45(片運)を付番してたけど、その頃はキクハ45とかキサハ45とかとんでもねえのが一族にいたんだよなあ。キサハに至ってはほとんど何の違いがあんのか分からん状況で。でも確か時代が下って城端線で12系→気動車用付随車になった奴がいたから、サロ→クハとかオハ→キハ同様、歴史が繰り返したという……。
グリーンマックスのオハ61・オハフ61客車セットにキハ08の顔がおまけで付いてました。
Nゲージでトミックスのオハフ50を気動車に改造する記事があったけど、キハ33やキハ141が
リアルで登場したのには驚愕したものです。
今は廃墟になった加悦SL広場にc58とc57達と放置されているから不安…
キハ11形・キハ120形・キハ125形・キハ141系のご先祖に当たります。
特にキハ141系は客車から気動車への改造という共通点があり、客車の名残も多少残しています。
まぁ、このキハ08から50系客車改造の気動車が日本中にできてきたわけだから、ある意味凄いです。しかもこの車両の最後の一両が、野ざらしとはいえ、まだ静態保存されているんたから、それも凄いです。早くこの最後の一両も、新たな保存先を見つけてほしいです。
キハ10と共に内定はしてるみたいだけどね。
余剰旧型客車は電車化改造も検討されたが実現しなかった。
気動車化は実現されたが、当時の非力なエンジンで重い車体を走らせるのは無理があったようだ。
60系は戦災復旧車ではなく鋼体化改造車ですね。戦災復旧車は70系です。
札幌生まれの札幌育ち、現在も札幌在住です。
今回取り上げていただいたキハ08系は、子供の頃小樽方面へ汽車で行ったときに乗車した記憶があります。
それでウイキペディアで検索すると、登場時キハ40という気動車が、どうもキハ22や27といった形式の車両と先頭が似ても似つかない形だったので、記憶に残っています。
まあこれがのちに、50系客車の余剰対策の先駆けになっているので、当時の国鉄の関係者を尊敬しますね。
魔改造のメッカ関東鉄道(筑波鉄道)でも例はあったみたいだが上手くいかなかったのか後にエンジンを降ろされた。成功を収めたのは頚城鉄道のホジ3だろうか、年に数回だが現在でも動くところを見せてくれる。
ちょっと前ならサンパチと並ぶ迷車扱いされていたキハ08こと初代キハ40が、
SL銀河で引退し北でも終焉が近づくキハ141系の功績と共にそのパイオニアとして昨今再評価されてきてるの感慨深い。
またマニアックな車両を…😅
これが元祖『キハ45』でもあるんですよね。
キハ17系と比べて中は広かったけど 重くて走らなかったとか。
中には両方ともDT22に替えてある車両もあったそうです。
実際にはキハ40の元祖ですな
そのためか今のキハ40(2代目)は101番がトップナンバーでした。
2:18
08「おう、頼むな。😒」
20系
「は..はい..😅💦」
ラストシーンがキハ40なんて意味深すぎる...
これがあるため、キハ40の0番代が存在しない。
発想はよかったんだけど、選んだ種車が悪すぎた、エンジンが弱すぎた(国鉄すべてに言えるけど)、が迷要素かなと思いました。
おっ!キハ40だ・・・えっキハ08なにそれ?
と思った自分はおそらく少数派。
ああ、加悦にあったのがそうでしたか。客車改造かどうかわかりませんが、和田岬線にもありましたね。😅
初代キハ45
客車自体重いんだな
50系は軽いと
車両の重量自体は50系の方が重いが、エンジンパワーが半端なく上がっているので問題なかったそうな
ローカル線にディーゼルカーが不足しています。どうする国鉄?余剰の客車にエンジンを載せればいいんじゃない。中にはエンジンすら載せられずに気動車の仲間に加えられた車両もあった。
コレ、まだ引き取り先が見つからないんですたっけ?津山はもう収容できないかな・・・
魂を揺さぶるカッコ良さなんだよなぁ〜
キハ08・・・
今後の動向が気になって夜しか寝れないww
それは置いておいて、加悦の4号機関車だったかがクラファンで千葉行きが決まったけど、誰か同じようにクラファンする人居ないかな・・・
キハ08は残してほしい・・・
こういう特異な車両には、一定数の熱狂的マニアがいると思う。
こういう車輛こそ、博物館モノだと思うんだけどなぁ…
カネのある鉄道ファンってこういうことには一切タッチしないんだよねw
60系は木造車を鋼体化した客車ではあるけど戦災復旧車ではないよ、それは70系。
08ファミリーは片運のやキクハ、キサハもあったね。
国鉄だとこれくらいだけど戦前は気動車を持ってれば客寄せにもなるから中小私鉄で客車改造気動車が流行ってた。
知る限りナローが多い、角田軌道のは特に有名だね。
戦時中不要不急路線指定で消えた出石鉄道も気動車不足解消のため客車改造気動車を作ろうとしてたのを昔本で見た覚え。
加悦鉄道で現役時代に乗ったことがあります。スピードが50kmも出なかったのですが、乗り心地はそれなりでした。元々客車だったので加速はゆっくりでした。(^_^;) 動力台車に泰和車両の銘板がついていました。 これが貴重なんですよね。
キハ08、面白い車両だなと感じた。
と、同時に、日本人の発想の豊かさには、見習うことが多いと思います。
型にとらわれない発想が大事だなと、思った。
津山まなび館にキハ10と共に収蔵すべき!!!
キハ08は何気に鉄コレにラインナップされてましたな