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何処の地方幹線も機関車牽引の普通列車の頃は本当に良かった💧
旧型客車は、普通列車ですね✨とても貴重な映像ですね✨
特急電車には食堂車が付いてるし、急行気動車にもグリーン車が付いてるし。何よりもJNR マークが輝いてますね。
今より「ものが無い?」時代デモ「食堂車」有る。イイ時代 (笑) 俺の家の窓から見える路線福島 金子慎 080(3334)8119
板谷峠に貨物列車が走っていたことは知らなかったので驚いています。今では新幹線しか通らないところがこの時は485系つばさの食堂車付き長大編成に、50系や旧客の普通列車、キハ58の長大編成の急行、12系の臨時列車、そして夜は夜行列車の津軽やあけぼのもありバリエーション豊富で飽きないですね。
50代です。両親の実家が米沢でした。【やまばと】【つばさ】【ざおう】【おが】乗車しました。感動しました。ありがとうございます。😭
つばさの食堂車、映像で見ることができるなんて・・・・感動しました。当時7歳、母の田舎の横手への通り道でした。
ちょうどこの動画の頃、新庄の祖父母宅に行くために、DC急行おがに何回も乗りました。ホントは上野を1時間後に出発する特急つばさに乗りたかったが、当時は急行が安かったので。後に、ハザ14系つばさ51号にも何回か乗りました。とても懐かしい動画ですね。
今じゃE3と719しか来ない板谷峠だが、82年はいろんな車両が駆け抜けていた。エースは当然、秋田の485-1000の『つばさ』『やまばと』。食堂車組み込み12連なんて、今じゃ考えられん…
この頃、「つばさ」は秋田区、「やまばと」は仙台区の受け持ちだったので、1000番台は「つばさ」のみです 「やまばと」は0,200,300番台の混成です
@@すももさん-x8g いやいや、「やまばと」も1000番台でしたよ。
茶色い客車が凄く懐かしい。垂直背もたれ、真鍮(?)の窓開閉レバー、丸い蛍光灯と扇風機。また乗ってみたい。
「つばさ」の485系は、耐寒耐雪構造の1000番台が充当されてたんですよね。国鉄時代はほとんどの編成にサシ(食堂車)が連結されてました。
庭坂大カ―ブを走るつばさ51号いいですね。181系のつばさも見たかった。
何度も見に来てしまう。大カーブは絵になりますね。
貴重な映像有難うございました。今から40年近く前でしょうか…その頃は木造座席の客車で、福島駅で牽引する機関車を連結して米沢駅に向かってました。峠駅だったと思いますが、職員宿舎(?)も現役でした。当時の生活は色々と有りまして、見てる内に思い出してなんだか目頭が熱くなりました。
つばさははつかりと共通編成8M4Tの強力編成です。
いきなりEF71重連の貨物列車…良いですなぁ
長野全宏 2輌目はED78
側面のフィルタを見ると違いがわかりますね!
82年ころは旧客が走ってたのか。。。いい時代だな
60ー3(1985年)まで、この区間で旧客走ってました!
キハ58ですか? 補機なしで大丈夫だったんですか。
キハ181よりも古いキハ82と同じDMH17系エンジンながら、変速比(特急用は高速向け)の関係で補機無で登れるのだそうです。
登れると言えば登れましたが、峠の頂上あたりでは30km/hぐらいまでスピード落ちます東北にはキハ65は配備して貰えなかったんですよね
@@すももさん-x8g 当時の東北は非冷房車が大半だったので冷房付きのキハ65は必要なかったのでしょうね。
途中写ってるDC急行は「おが」でしょうか?東北と言えども夏は暑く、普通車の非冷房は大変だったでしょうなぁ。私は旧客引退間際の1984年夏に訪れています。中学3年生でした。
鉄道が輝いている時代!いいなあ
昔はこの山の中を12両の特急が走ってたのか・・・
「やまばと」ですねその前の段階は9両で、食堂車確保しつつMT比確保するために先頭車の片方に「グロ481」使ってました
この動画の少し後の60ー3直前に旧客乗りました!ギリギリ旧客4駅連続スイッチバック間に合いました!
キハ58は、EF71を繋げなくても板谷峠を行けるのか?
360馬力で…全動力車(全M)ならば…👈どうかな•́ω•̀)?どなたかの動画にて…「ノッチマン」…でのシュミレートデータ…キハ181で…色々な検証してますね…
登坂は可能だけど速度はお察し。
ディーゼルカーでも全M?
@@tydeentetuota5514 キハ181は食堂車が動力無し。これが相当足引っ張った。キハ58は360馬力、キロ28が180馬力
yokumagai 電車ならMだけどディーゼルカーもMなのかって疑問だったの。
当時の板谷峠は485系特急つばさは12両での運転でキハ58系の急行おがも健在でした。動画には載ってませんが455系も板谷峠を走ってました。当時旧型客車で福島→山形に乗った時赤岩→板谷間で455系上り急行ざおうとすれ違いました。あの頃の旧型客車懐かしいです。
昔、何かの本で見たことがありますが、板谷峠の写真でキハ181系「つばさ」がEF71の単機に牽引されて峠を越える写真を見たことがあるような覚えがあります。うるおぼえなので分かりませんが・・・。
キハ181系のつばさに小さい頃乗りましたよ。折りたたみのドアが珍しかったのを覚えています。そして、今まで自力で走って来たのにどうして途中から機関車をつなぐのか不思議に思ってました。
@@TotaniMasayoshi2 さん☀…確か、キハ181は…鉄道雑誌の特集で読みました。…WebでもUPされている方が居られると思います🙋…キハ181ファンは多いですからね🙋…板谷峠の連続勾配で、自然冷却方式の放熱器(ラジエーター)では冷却が追い付かず、『オーバーヒート』続出で、導入した当初は補機無しでしたが、短期間で、補機との協調運転になった、…はずです🙋…キハ181の大出力(500馬力)をもってしても、板谷峠は難所だったんですね🙋…まぁキハ181は『じゃじゃ馬』で有名ですよね🙆…『適正化』の名のもとに、出力調整される迄は、『550馬力』❔でしたか、出てた機関もあったという話です🙋…なんとまぁ、アバウトな時代ですよね🙋…『6ノッチ5分』…キハ181の特殊なボタンノッチ『キックバックノッチ(ボタン)』は、『5分縛り』を無視した使用が当たり前で、『常に』オーバーヒート状態で運転されていたそうです☺…無理矢理の『力技』は、『電車のスジを寝かさない』ための『命題』であったという、『気動車』のかなしい定めでしょうか(T-T)…私は、昔(四国に導入された1972年)から現在に至る迄…キハ181が一番好きです🙋
協調運転の回路あったのかな。
@@tydeentetuota5514 そんなもん気動車とどう協調させんねん
@@ちくひめ 東北本線をフルスピードで走って急勾配に挑めばオーバーヒートも無理はないかと・・
つばさにサシがいる!
国鉄時代の485系はほとんどの車両にサシが連結されてましたよ。
つばさが12両編成だったんですね
その代わり、「つばさ」「やまばと」あわせて1日6往復。急行入れても今よりはるかに本数少ない。
ヨ ワム ワム ワム ワム ワラ ワム ワラ ワラ ワラ トラ トラ トラ トラ ワキ ワラ ワム ワム トラ トラ ヨ楽しい貨物列車。
ヨ…👈乗りたかった😭
485系特急つばさ、貫禄ですね。
山形新幹線が通る僅か10年前なんですね。
山形新幹線開業の1年前までは、普通に機関車牽引の普通列車が走ってましたかからね。さすがに旧客は引退していましたけど。
ケツのモゲる客車に、また乗ってみたいなァ。
DC急行の板谷峠超え動画は初めてですね。見た印象としては思ったより登る速度が速い!僕は板谷駅スイッチバック辺りを登坂してる急行おがを撮影してましたが、時速20km/h位でそれこそ喘いで登る感じ。
実際キハ58急行で板谷超えしましたが、運転台をずっと覗いていました。庭坂カーブが過ぎたあたりからLOWギヤに切り替わり時速30km/hエンジン高回転爆音でした。気動車にはやばいルートです。
@@itsme-fq4cj キハ181系も最初は自力で峠を登っていましたが、故障が頻発してしまい、結局は機関車のお世話になったくらいですからね。
福島駅では盆、正月の繁忙期はキハ58にEF連結させてました。
@@ヒラメゲッター それ見たかった〜
Nゲージのネタに使わせていただきます。
内陸は貨物と無縁になったのが残念。
場所によりますね。松本はタキが今でも来ます。
14系座敷車つばさ51号が泣かせます。今より華があった
これ、窓大きくないですかね?12系っぽく見えるのはウチだけですかね?
つばさ51号設定は1972年3月 改正より12系客車、翌年より14系に
4:50なら12系ですね。「つばさ」ではなく「ざおう」か「出羽」(いずれも臨時)ですね。
板谷峠の乗務員の方が書いた本を読んだけど雪がピークのときは下り勾配をEF71重連のあけぼのがフルノッチで歩くようなスピードで、、、ってあって下り勾配っちゅうところを二度見してしまった機関車の単弁を当てて空転を防止し、自弁を緩めて起動させるとか架線電圧計を見ながらノッチを進めないとすぐに他の列車から乗務員無線で罵声が飛んでくるとか33‰の上に豪雪地帯の運転は想像以上やったやろなラッセルに出動したDD15の車輪のフランジに雪が噛んで脱線したのもあったし夏場はこの普通列車や貨物列車みたいにホンマにのどかやけど
線路内立ち入りで鳴らされました。
何処の地方幹線も機関車牽引の普通列車の頃は本当に良かった💧
旧型客車は、普通列車ですね✨とても貴重な映像ですね✨
特急電車には食堂車が付いてるし、急行気動車にもグリーン車が付いてるし。
何よりもJNR マークが輝いてますね。
今より「ものが無い?」時代デモ「食堂車」有る。イイ時代 (笑) 俺の家の窓から見える路線
福島 金子慎 080(3334)8119
板谷峠に貨物列車が走っていたことは知らなかったので驚いています。今では新幹線しか通らないところがこの時は485系つばさの食堂車付き長大編成に、50系や旧客の普通列車、キハ58の長大編成の急行、12系の臨時列車、そして夜は夜行列車の津軽やあけぼのもありバリエーション豊富で飽きないですね。
50代です。両親の実家が米沢でした。【やまばと】【つばさ】【ざおう】【おが】乗車しました。
感動しました。
ありがとうございます。😭
つばさの食堂車、映像で見ることができるなんて・・・・感動しました。当時7歳、母の田舎の横手への通り道でした。
ちょうどこの動画の頃、新庄の祖父母宅に行くために、DC急行おがに何回も乗りました。ホントは上野を1時間後に出発する特急つばさに乗りたかったが、当時は急行が安かったので。後に、ハザ14系つばさ51号にも何回か乗りました。とても懐かしい動画ですね。
今じゃE3と719しか来ない板谷峠だが、82年はいろんな車両が駆け抜けていた。
エースは当然、秋田の485-1000の『つばさ』『やまばと』。食堂車組み込み12連なんて、今じゃ考えられん…
この頃、「つばさ」は秋田区、「やまばと」は仙台区の受け持ちだったので、1000番台は「つばさ」のみです 「やまばと」は0,200,300番台の混成です
@@すももさん-x8g いやいや、「やまばと」も1000番台でしたよ。
茶色い客車が凄く懐かしい。
垂直背もたれ、真鍮(?)の窓開閉レバー、丸い蛍光灯と扇風機。
また乗ってみたい。
「つばさ」の485系は、耐寒耐雪構造の1000番台が充当されてたんですよね。国鉄時代はほとんどの編成にサシ(食堂車)が連結されてました。
庭坂大カ―ブを走るつばさ51号いいですね。181系のつばさも見たかった。
何度も見に来てしまう。
大カーブは絵になりますね。
貴重な映像有難うございました。
今から40年近く前でしょうか…
その頃は木造座席の客車で、福島駅で牽引する機関車を連結して米沢駅に向かってました。
峠駅だったと思いますが、職員宿舎(?)も現役でした。
当時の生活は色々と有りまして、見てる内に思い出してなんだか目頭が熱くなりました。
つばさははつかりと共通編成8M4Tの強力編成です。
いきなりEF71重連の貨物列車…良いですなぁ
長野全宏
2輌目はED78
側面のフィルタを見ると違いがわかりますね!
82年ころは旧客が走ってたのか。。。
いい時代だな
60ー3(1985年)まで、この区間で旧客走ってました!
キハ58ですか? 補機なしで大丈夫だったんですか。
キハ181よりも古いキハ82と同じDMH17系エンジンながら、変速比(特急用は高速向け)の関係で補機無で登れるのだそうです。
登れると言えば登れましたが、峠の頂上あたりでは30km/hぐらいまでスピード落ちます
東北にはキハ65は配備して貰えなかったんですよね
@@すももさん-x8g 当時の東北は非冷房車が大半だったので冷房付きのキハ65は必要なかったのでしょうね。
途中写ってるDC急行は「おが」でしょうか?
東北と言えども夏は暑く、普通車の非冷房は大変だったでしょうなぁ。
私は旧客引退間際の1984年夏に訪れています。中学3年生でした。
鉄道が輝いている時代!いいなあ
昔はこの山の中を12両の特急が走ってたのか・・・
「やまばと」ですね
その前の段階は9両で、食堂車確保しつつMT比
確保するために先頭車の片方に「グロ481」使ってました
この動画の少し後の60ー3直前に旧客乗りました!ギリギリ旧客4駅連続スイッチバック間に合いました!
キハ58は、EF71を繋げなくても板谷峠を行けるのか?
360馬力で…全動力車(全M)ならば…👈どうかな•́ω•̀)?
どなたかの動画にて…「ノッチマン」…でのシュミレートデータ…
キハ181で…色々な検証してますね…
登坂は可能だけど速度はお察し。
ディーゼルカーでも全M?
@@tydeentetuota5514 キハ181は食堂車が動力無し。これが相当足引っ張った。キハ58は360馬力、キロ28が180馬力
yokumagai
電車ならMだけどディーゼルカーもMなのかって疑問だったの。
当時の板谷峠は
485系特急つばさは12両での運転で
キハ58系の急行おがも健在でした。
動画には載ってませんが
455系も板谷峠を走ってました。
当時旧型客車で福島→山形に乗った時
赤岩→板谷間で455系上り急行ざおうとすれ違いました。
あの頃の旧型客車懐かしいです。
昔、何かの本で見たことがありますが、板谷峠の写真でキハ181系「つばさ」がEF71の単機に牽引されて峠を越える写真を見たことがあるような覚えがあります。うるおぼえなので分かりませんが・・・。
キハ181系のつばさに小さい頃乗りましたよ。折りたたみのドアが珍しかったのを覚えています。
そして、今まで自力で走って来たのにどうして途中から機関車をつなぐのか不思議に思ってました。
@@TotaniMasayoshi2 さん☀…確か、キハ181は…鉄道雑誌の特集で読みました。…WebでもUPされている方が居られると思います🙋…キハ181ファンは多いですからね🙋…板谷峠の連続勾配で、自然冷却方式の放熱器(ラジエーター)では冷却が追い付かず、『オーバーヒート』続出で、導入した当初は補機無しでしたが、短期間で、補機との協調運転になった、…はずです🙋…キハ181の大出力(500馬力)をもってしても、板谷峠は難所だったんですね🙋…まぁキハ181は『じゃじゃ馬』で有名ですよね🙆…『適正化』の名のもとに、出力調整される迄は、『550馬力』❔でしたか、出てた機関もあったという話です🙋…なんとまぁ、アバウトな時代ですよね🙋…『6ノッチ5分』…キハ181の特殊なボタンノッチ『キックバックノッチ(ボタン)』は、『5分縛り』を無視した使用が当たり前で、『常に』オーバーヒート状態で運転されていたそうです☺…無理矢理の『力技』は、『電車のスジを寝かさない』ための『命題』であったという、『気動車』のかなしい定めでしょうか(T-T)…私は、昔(四国に導入された1972年)から現在に至る迄…キハ181が一番好きです🙋
協調運転の回路あったのかな。
@@tydeentetuota5514 そんなもん気動車とどう協調させんねん
@@ちくひめ 東北本線をフルスピードで走って急勾配に挑めばオーバーヒートも無理はないかと・・
つばさにサシがいる!
国鉄時代の485系はほとんどの車両にサシが連結されてましたよ。
つばさが12両編成だったんですね
その代わり、「つばさ」「やまばと」あわせて1日6往復。急行入れても今よりはるかに本数少ない。
ヨ ワム ワム ワム ワム ワラ ワム ワラ ワラ ワラ トラ トラ トラ トラ ワキ ワラ ワム ワム トラ トラ ヨ
楽しい貨物列車。
ヨ…👈乗りたかった😭
485系特急つばさ、貫禄ですね。
山形新幹線が通る僅か10年前なんですね。
山形新幹線開業の1年前までは、普通に機関車牽引の普通列車が走ってましたかからね。
さすがに旧客は引退していましたけど。
ケツのモゲる客車に、また乗ってみたいなァ。
DC急行の板谷峠超え動画は初めてですね。見た印象としては思ったより登る速度が速い!僕は板谷駅スイッチバック辺りを登坂してる急行おがを撮影してましたが、時速20km/h位でそれこそ喘いで登る感じ。
実際キハ58急行で板谷超えしましたが、運転台をずっと覗いていました。
庭坂カーブが過ぎたあたりからLOWギヤに切り替わり時速30km/hエンジン高回転爆音でした。
気動車にはやばいルートです。
@@itsme-fq4cj キハ181系も最初は自力で峠を登っていましたが、故障が頻発してしまい、
結局は機関車のお世話になったくらいですからね。
福島駅では盆、正月の繁忙期はキハ58にEF連結させてました。
@@ヒラメゲッター それ見たかった〜
Nゲージのネタに使わせていただきます。
内陸は貨物と無縁になったのが残念。
場所によりますね。松本はタキが今でも来ます。
14系座敷車つばさ51号が泣かせます。今より華があった
これ、窓大きくないですかね?
12系っぽく見えるのはウチだけですかね?
つばさ51号設定は1972年3月 改正より12系客車、翌年より14系に
4:50なら12系ですね。「つばさ」ではなく「ざおう」か「出羽」(いずれも臨時)ですね。
板谷峠の乗務員の方が書いた本を読んだけど
雪がピークのときは下り勾配をEF71重連のあけぼのがフルノッチで歩くようなスピードで、、、
ってあって下り勾配っちゅうところを二度見してしまった
機関車の単弁を当てて空転を防止し、自弁を緩めて起動させるとか
架線電圧計を見ながらノッチを進めないとすぐに他の列車から乗務員無線で罵声が飛んでくるとか
33‰の上に豪雪地帯の運転は想像以上やったやろな
ラッセルに出動したDD15の車輪のフランジに雪が噛んで脱線したのもあったし
夏場はこの普通列車や貨物列車みたいにホンマにのどかやけど
線路内立ち入りで鳴らされました。