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男子77歳にして初めてこのエピソードを知りました。感動しました。次のお話を待っております。
思わず泣いてとても感動しました。
歴史の深いお話も面白いですが。ほっこりする物語も非常に雄弁に語られて、引き込まれました。扇子をパシンっと叩く音が絶妙で気持ちよかっです。有難うございました。
お殿様は粋(いき)なはからいをされましたね。創作でも、涙がボロボロと出ました。まだ頬を流れています。いい話でございました。心が洗われたように思います。ありがとうございました。
小名木先生の話が面白くて笑ったり泣いたり儚いラブストーリーいいですね。近々、所用で両国に行くので吉良邸に行きこの外伝の空気を味わって来ます。ありがとうございました。
いつも素晴らしい配信、有難うございます。 コメントを拝見して多くの方と感性を共有できた事も日本人として嬉しく思います。私も涙を流しながらコメントせていただきました。
大変素晴らしい語り口でした。赤穂浪士のお話は日本人の魂を揺さぶる物語です。心を繋いでいる話をこれからも長く語られて貰いたいものです。
素晴らしいお話に胸が熱くなりました。小名木先生の最後の言葉を聞いて私もまだ感動する心があるんだなと、少し嬉しく思いました。
すてきなお話でした. この気持ちを日本人はいつまでも大切に持ち続けたいものです.
素晴らしいお話ありがとうございました😭泣けました😭
良い話をして頂き、ありがとうございました😭
吉良家のお隣さん、土屋家。そこの分家の土浦藩の藩主子孫でございます。赤穂浪士が討ち入りを遂げたと耳にした当時の先祖の心中いかばかりか。。今では知る由もありませんが、先生のお話を聞いていると少しわかるような気がしました。ありがとうございました。
隣家より長尺提灯を上げて、明るくしてくださったと伝わる土屋家ですね。
奥が深いですね!いつもいつも驚きです‼️幼い清らかな愛が赤穂浪士に詰まっていようとは!語り口もよく本当に涙腺が緩みました。
小名木先生前回に引き続き忠臣蔵のお話ありがとうございます。感動して聞いております。次回も楽しみにしております。感謝です。🙏
大変貴重なお話をありがとうございます。感激しております。日本人として生まれたこと嬉しく思います。この時代、武将は粋なことをなさるその様な話しが多く残っているのも日本人が大和魂をもち死生観、武士道精神を学び公の考え、私の考えを区別して生きてこられたからだと思います。かっこいいデスね!後世に語り継がれるカッコイイ生き方をしたいですね!!日本人をカッコよく!いや、元々カッコイイ!!!!
初めて結び大学しりました。涙がでて、こんな深き意味があったとは、、と恥ずかしかったです。とても良い勉強になりました。もっと早く知りたかったです。歴史が好きで、(赤穂浪士)大好きでした。先生方の話し方も、とてもわかり易くたのしいです。これからも応援します。ありがとうございます!
今の日本の政治を思うと情けないですね。この大学の話を聞いて勉強して欲しいです。昔の総理大臣には、相談役となる人がいて正しく総理を導いてくれてたようです。そうあって欲しいですね〜
良いお話しでした。日本人の心。本日講義、心に染み入りました。毎回配信感謝申し上げます。
涙が出ました。そして、最後の締めが痛快でした! 今回も良いお話をありがとうございました。
まさかこの年になって恋の話を聞いて涙を流すとは思いませんでした。哀しく美しい話でした。誰かティッシュくれ〜
日本人の心というものがテーマになっているのですね。ジーンときました。若い人にも聞いてもらいたいと転送しました。
感涙 涙が止まりません🥲 互いに相手を思いやる温かな心
最近の小名木さんの解説は、くだくだと長ったらしく興ざめです。もっと淡々とおはなし願いたい。弁士ようなパホーマンスは、いりませんよ。初心に戻って下さい。
日本の魂のドラマ。ご講義、有難うございました。
いつも先生が扇子を持っているのが不思議でした。でも今日はその意味がよく分かりました。いつもは落語家の扇子と思っていましたが、今日は講談師でした。次も楽しみにしています。
矢頭右衛門七といえば、本懐を遂げるべく母親と江戸表に共に向かう道中、「足手まといになりとうない。」と、母親が街道の脇で、短刀で自ら命を断つ話も泣けますね。先生のこのお話、始めて聞きました。素敵な話有り難うございました。
泣けました。ありがとうございました。
久しぶりに感動し涙を流してしまいました。
お話を聞き終えて、今涙してます。
水野のお殿様の相手を察する心に感動いたしました。
本日は、良い講談を伺いました。
この前も別の動画で涙が自然に出ましたが、今日も出てしまいました。何度も感動して涙を流す様では今後の動画を視聴出来ないかもしれません。
初めから昔の話で作りが入ってるだろうと聞いて楽しく聞いてましたが、最後は涙出ましたよ。作り物だったとしても聞いて良かったなと🎵
寝る前に見て、最後泣きました。お互いを思う気持ちと、またそれを察した第三者(水野氏)の計らい....、梅にひと役かってもらうだなんて美しすぎます。物理的にはハッピーエンドではありませんでしたが、私の心はすごく暖かい気持ちで眠れそうです。私も思う人がいるんです。これほどすれ違いでもないですが、ちょっと遠い。お互いの通う心を大事にしたいです。
最後は泣けました。今回も楽しい講座をありがとうございました。
先生の講談、最高でした。
とても素晴らしいお話でした‼️
講談師、見てきたように嘘をつき。ならぬ見て来たような名調子の小名木先生の講釈に思わず目頭が熱くなりました。再度NHK大河の元禄繚乱DVDを借りて来ようと思わせる、日本人好みの優しいお話有難うございました。
野暮なことは抜きにして良い話でしたありがとうございます
この武士としての心意気がまだ日本人に残っていると信じたい
日本人の心がこの物語には確かにありますねいつの時代も忘れないで欲しい日本人なら
本当に素晴らしいお話でした。赤穂浪士のお話楽しみにしています。よく兄うえの着物を見ながらお酒を飲む場面が有ると思うのですが是非とも聞いてみたいです。宜しくお願い致します。
こんないいお話を聞かせていただきありがとうございました🙏やはり年末は忠臣蔵ですね👌おりしも12月14日に✨😭
感動しました。
良いお話を聞いて良い年の瀬になりました。有難うございます。👍
人としてのあり方は世界共通だと思いますが日本人の毅然とした心の奥ゆかしさは忘れずに後世にも語り継ぎたいものです
お話に感動して、一人泣いてしまいました😭
涙。。涙涙もっと知りたいです。四十七士の物語
「人間じゃあ、ねーっつーの!」に笑いましたw今回も素晴らしい話をありがとうございます。
いやぁ~美しい話だなぁ。愛知県は西尾の人たちにも聞いてもらいたい。ちなみに吉良の殿様は西尾では名士なのだ。
日本人に生まれて良かった。
号泣してました、ありがとうございます!
小名木落語。ありがとうございます👍👍何か自分の高校時代をやり直したくなるようなお話しでした。 おせんちゃん、ドラマ化するにはどなたがよろしいでしょうかね🍶
よっ、講談❗️涙が、でるわ‼️
昔の日本人の精神が見えるようで泣ける話ですね。最後に私が好きな「子連れ狼」「首切り朝」の小池一夫さん、小島剛夕さんのお名前が出てきてさらに納得しました。精神的に非常に通じるものがあり、なるほど、と。「子連れ狼」「首切り朝」どちらにもあったかとあいまいながら記憶していますが、一言のセリフもない話があります。絵のみでセリフが一つもないのですが、読んでるうちに心の声が聞こえてくるのです。今回のお話も、ああいった話を見た時と同じ様な心に熱いものが湧き上がってくる感じで感じ感動しました!
ある程度の忠臣蔵関連のお話は聞いてましたが、今回のお話は初めてお聞きしました。ほっこりしました^ ^釣り好きの人たちには知る人も多いかと思います。 吉良上野介の娘(あぐり)婿は津軽政兕(まさたけ)日本初の釣指南書(何羨録)を遺しました。綱吉の小姓まで勤めてましたが、赤穂事件で出世街道から外された、でも後の世の釣り好きへは、大きな贈り物をしてくれました^ ^
72歳の爺さんも泣きました。
右衛門七とおせんの恋淡く切ないけど聴いていて私改めて日本人で良かったと思いました💞きっと天国で楽しく暮らしていると思います水野家の御殿様粋な事する想像して場面が目に焼き付きましたありがとうございます💝🌸扇子良いですね〜
すばらしい!!赤穂浪士シリーズ第三回もお願いします。
素晴らしいお話ありがとうございます場面想像できまし💞💝💚た
寝坊して起きて「モーニングランチ」食べながらで恐縮ですが「先生の物語」お聞きして「ハイッ泣きました」89歳ですが、今の今まで知らなかったです。エピソード或いはフィクションって言われても「ほんとうにあったと思いたいです」。僕も「ロミオとジュリエット」が好きですが、映画の「ローマの休日」も本当にあったって思いたいです。日本人の「義理人情文化も」情の機微がこっそり仕舞われていてイイですね「それがわからなければ人間じゃね~ヨ」には参りました。難聴で難儀してますが先生の「ハヤクチ」発音が速くても「子音がお綺麗」ですので補聴器でなんとか追いついています。
先生ありがとー時代の淡い深い恋ですね‼️👏👏👏💪🇯🇵🙇
このお話し,講談,或いは落語の名作(古典)なんでしょうね~素晴らしい‼️。落語好きの高齢者ですが…初めて拝見致しました。地方の落語ファンは😅辛いなァ~。
「以心伝心」日本人でしか解らない心もあります。幼くして儚く散った2人に涙しました。
お疲れ様です、まさに仰る通りです、感動しました
今ではすっかり有名な忠臣蔵ですが、実は広く日本人に知られる様になったのは討ち入りから実に200年弱の年月が経ってからで、倒幕を果たした長州藩士が明治政府に移行する際、忠義を語るためのプロパガンダとして利用し、当時の天皇を通じて発言されてから国民全体に浸透していったそうです。ただ、元禄の当時から民衆は幕府に鬱積を募らせていたためこの討ち入りがアンダーグラウンドで大衆演劇化で大人気となっており、当時からおそらく大小様々な脚本が繰り返し描かれて来たため、美化されてしまったエピソード等たくさんあるのも事実だと思います。そんな『外伝』で私が一番好きなエピソードは 「誉の三百石」です。
深い知識と教養を得られる素晴らしい場だったのに… いつからこのチャンネルは少女マンガ風情になってしまったんですかあ 溢れる涙で画面がボヤけてしまうやろ
小池一夫、小島剛夕とくれば子連れ狼という超代表作コンビですが忠臣蔵も描かれていたとは知りませんでした。
グルーバルがやたらに出回り、日本語に英語が入り乱れるおかしな世の中になっても、赤穂浪士の物語は日本の心です。12月に討ち入りを見ないと年は明けません。もう時期ですね。^_^
言葉にできない程、感銘を受けましたこの話を沢山の人に伝えたいと思いますがパクリになってしまう…それ程までに先生の語りが素晴らかったです
明日こそ12月14日!討ち入りの日ですね。その前日にいい話しを聞きました。これは偶然です。赤穂の浪士はほとんどの方が若かった。
浅野本家家臣の子孫の方が親類でいます✨エピソード満載ありがとうございました😭✨
講談きいてるみたいでした(*^^*)
六本木ヒルズが立っている場所は赤穂浪士が切腹した毛利屋敷と4つのお寺があった。この土地は町人拝金主義を受け入れないのか村上ファンド、ライブドア、リーマンブラザーズ、競馬のフサイチさんなどみんな不幸になってますね。
その筋の間では、六本木ヒルズは、想念でキツイと言われていますね。頭がふらつく感じです。
矢頭右衛門七は主君の仇討ちに参加出来なかった病弱の父親の代わりに加わったその根性には頭が下がります。のちに浪士全員が切腹の時17才の少年の首を斬つ介錯人もさぞ忍びない気持ちではなかったかと察しますね。
絵に浮かびます。しみました~
忠臣蔵から離れますが、赤穂の上水道設備は池田氏統治の頃から始まり浅野氏統治の代でほぼ完成しました。清流 千種川から浄水を 市中まで引いてきて各戸で利用できました。とかく 赤穂は塩が有名ですが、実は水が美味いのですよ😋この伝統は引き継がれて 現在でも水道料金は全国的にトップクラスで安いです‼︎
本当に泣きました。出来れば四十七人のエピソード全部知りたいです。
日本人人じゃねぇつうの!ありがとうございましたあたたまる心しみいりました
小名木先生は、神田善行の名で講談師デビューされるとか?細川の水流れは清けれど、ただ大海の沖ぞ濁れる。細川家と水野家は良いけど、毛利甲斐守と松平隠岐守はダメだの落首の水野家は、浪士の扱い方は丁寧で良かったですね。田町駅から慶應に向かう中通りの方が屋敷跡ですね。
うーん 宇野重吉の蜘蛛のじんじゅう郎を思い出した おのおのがた🎶
何度も涙が出そうに熱くなりました。人情の浅い現代人とは大違いです。
右衛門七とおせんさんのお話、初めて知りました。忠臣蔵のお話はだいたいのあらすじは知ってたつもりでしたが、こちらのチャンネルで忠臣蔵に関するお話を伺って、 大石内蔵助はなぜ祇園で豪遊したのか、天野屋利兵衛のお話など、初めて知ることも多く、とても勉強になりました。どうも有難うございました。右衛門七とおせんさんの最後のくだりでは、思わず涙が出ました(早速、小池一夫さん原作の漫画、注文しました)。江戸の芸は二度おいしい…その二度目の方の忠臣蔵のドラマを是非、観てみたいと思いました。
泣けた。赤穂浪士の話にはおかる、三平とか、多数の悲恋話があるが、いい話だ( ;∀;)
関西弁の忠臣蔵が見たいものです。
いよっ!名調子....善行さんて落語家だと思ってたら講談師だったんですね!
水野のお殿様のご配慮。感動しました。
泣けた。
小芝居する先生を見るのが醍醐味です
落涙禁じ得ず。次なる講和お待ち申しております。御免。
インターネットのおかげで一部の人しか分からなかった事が皆んなが分かるようになりました。
ドラマでは右衛門七の母親が自害するエピソードが有名ですがこのお話は初めて聞きました。涙が止まらない…
ヨッ📣ねず屋~👏👏👏😆👍
若くして散った特攻隊を思い出してしまった🎌余りにも若すぎた🐥勿体無過ぎたから😭💫
耳コピして、ライブ配信で紹介しております😆。
何だが流れました。
事件についての学術的な議論ー2「遺恨」の内容について幕府当局は、まずその場に居合わせた梶川与惣兵衛より状況を聴取、吉良が抜刀していないことを確認してから、ついで浅野を聴取し、内匠頭は刃傷の際言ったとされる「此間の遺恨、覚えたるか」(『梶川与惣兵衛筆記』写本)の「遺恨」について尋ねた。これに対する浅野の回答は、一言の申し開きもないとしたうえで、私的な遺恨から前後も考えずに、上野介を討ち果たそうとして刃傷に及んだ。どのような処罰を仰せ付けられても異議を唱える筋はない。しかし、上野介を打ち損じたことは残念である。というものであった。一方、吉良は遺恨の内容について思い当たることがあるのではないか、と問われたが、恨みを受ける覚えはなく、内匠頭は乱心したと思う。老体の身でもあり、恨みを買うようなことを言った覚えもないと答えた。しかし身に覚えがあると言えば立場が悪くなるのは目に見えているので、身に覚えがあったとしても隠してこのように証言した可能性もありうる[108]。一方で、「乱心」とすれば裁定においても一定の酌量の余地が出ることもまた事実であるため、「乱心」ということにすれば浅野吉良双方にとって利害が一致しているのもまた事実である(乱心説については後述)四十七士の一人堀部弥兵衛が討ち入り前に書いた『堀部弥兵衛金丸私記』には、以下のように原因が吉良の悪口にあると記している:伝奏屋敷において、吉良上野介殿品々悪口(あっこう)共御座候へ共、御役儀大切に存じ、内匠頭堪忍仕り候処、殿中において、諸人の前に武士道立たざる様に至極悪口致され候由、これに依り、其の場を逃し候ては後々までの恥辱と存じ、仕らすと存じ候[108]。(伝奏屋敷で、吉良上野介殿がいろいろと悪しざまにおっしゃいました。御役儀を大切に考え、内匠頭は堪忍しておりましたが、殿中において、諸人を前にして武士道が立たないようなひどいお言葉をかけられましたので、そのままにしておくと後々までの恥辱と思い、斬りかけたものと存じております)[108]仮に、浅野が吉良に「武士道立たざる様に至極悪口」を言われたとしても文脈から刃傷事件当日のことと推察でき、堀部弥兵衛はその事情を伝聞以外で知ることは出来ないはずである。この記述の信頼性には疑問があるが、少なくとも家臣達にはそのように言われたと信じていたと推察できる[108]。なお堀部弥兵衛は続けて「悪口は殺害同様の御制禁」と書いており、吉良がその御制禁を犯したから内匠頭はそれに応じたまでだとしている[108]。他に塩田を巡る諍いも挙げられるが、信憑性が低い(吉良領には塩田はなく、堺屋太一『峠の群像』の誤認による創作が広まったとされる)[109]賄賂当時の文献には吉良が暗に賄賂を要求したのに浅野内匠頭が十分な賄賂をおくらなかった事が両者の不和の原因だとするものがある。ただし、五千石の高家である吉良から浅野などの大名が指南を受ける場合、指南料や何らかの贈り物をするのが当時としては慣例となっており、当然だった[110]。賄賂に関して書かれた文献には例えば『江赤見聞記』の一巻があり、以下のように記されている:上野介欲ふかき人故、前々御務めなされ候御衆、前廉より御進物等度々これ有る由に付き、喜六、政右衛門、御用人どもまで申し達し、御用人共も度々その段申し上げ候処、内匠頭様仰せにも、御馳走御用相済み候上にてはいか程もこれを進らせらるべく候、前廉に度々御音物これ有る儀は如何しく思し召され候由、仰せられ候。尤も、格式の御付届けの音物は前廉に遣わされ候由也[110]。(上野介は欲が深い人なので、以前に御勤めなさった方も、前もって御進物等を度々していたので、喜六や政右衛門、御用人たちまで伝え、御用人たちも度々その段を申し上げたけれども、内匠頭様は「御馳走御用が済んだ後にはどれほどでも進(まい)らせたいと思う。しかし、前もって度々御進物を贈るのは、如何かと思う」と仰せられました。もっとも、決まった御付届けの進物は前もって遣わされていたということです[110])文中にある「喜六、政右衛門」は建部喜六(250石)と近藤政右衛門(250石)で、ともにこうした折衝にあたる江戸留守居役である[110]。また事件直後に書かれた『秋田藩家老岡本元朝日記』にも次のようにある吉良殿日頃かくれなきおうへい人ノ由。又手ノ悪キ人二て、且物を方々よりこい取被成候事多候由。先年藤堂和泉殿へ始て御振舞二御越候時も、雪舟ノ三ふく対御かけ候へハ則こひ取被成候よし。ケ様之事方々二て候故、此方様へ御越之時も御出入衆内々二て、目入能御道具被出候事御無用と御申被成候由二候[111][110]。(吉良殿は平生から横柄な態度で有名な人物だということです。また手の悪い人で、方々から物をせびりなさる事が多いということです。先年藤堂和泉殿(高久、伊勢津藩主)へはじめて御振舞に御越になった時も、雪舟の三幅対の御掛け軸をかけたところ、せびって自分の物にしたということです。このような事を方々でなされるので、こちら様へ御越の時も御出入の旗本衆が内々に、よい御道具は出されない方がよいと御申しなされたという事です[110])ただしこの記事は事件直後のもの[110]であるのにもかかわらず、この文章の前段には、松の廊下の刃傷事件の顛末が綴られているが、「切り付けられた義央が刀に手を掛けて「何をするか」と取って斬り返した」などと記されている。しかしこれは、実際の刃傷の経緯とはかなり異なる(梶川与惣兵衛の証言とも逸脱している)。尾張藩士の朝日重章も『鸚鵡籠中記』に次のように記している:吉良は欲深き者故、前々皆音信にて頼むに、今度内匠が仕方不快とて、何事に付けても言い合わせ知らせなく、事々において内匠齟齬すること多し。内匠これを含む。今日殿中において御老中前にて吉良いいよう、今度内匠万事不自由ふ、もとより言うべからず、公家衆も不快に思さるという。内匠いよいよこれを含み座を立ち、その次の廊下にて内匠刀を抜きて詞を懸けて、吉良が烏帽子をかけて頭を切る[110](吉良は欲が深い者なので、前々から皆贈り物をして物を頼んでいたが、今度の内匠頭のやり方が不快だということで、何事につけても知らせをせず、内匠頭が間違って恥をかくことが多かった。内匠頭はこれを遺恨に思って座を立ち、その次の廊下で、刀を抜き、声を懸けて吉良の烏帽子ごと頭を斬った)山本博文は、「朝日は当時名古屋にいたため、全国的に広まった噂だったとみられる[110]。」と考察している。しかし、『鸚鵡籠中記』は英邁と言われた徳川吉通[112]を「愚行を繰り返す暗君」と評するなど、いわば主君を侮辱する「不忠臣」のような記述が多く、尾張藩では禁書扱い[113]で尾張徳川家では公式資料とはされていない[114]。
映画にもなった瀬尾孫左衛門と大石の忘れ形見の事をお願いします✨🥺✨
なかなか良いお話でした。ドラマの題材にして欲しいです。最近、忠臣蔵がテレビで放映されないので残念に思っています。一つの日本精神が薄らいでいくようで、悲しいです。
おっしゃる通り、義士一人一人の物語が伝わっています。矢頭殿のこの話は初めて聴きました、歌舞伎で演じられたことはあるのでしょうか?
お預けになった水野家の領地岡崎の城のすぐ北にある大林寺に右衛門七の墓があります(なぜか彼だけ) 家康の父親広忠、祖父清康の墓もある由緒ある寺です
坂東さんの本読んだら右衛門七とおせんちゃん、あの世で二人の魂は出会ってつ再び生まれ変わって子供を作ってやり直そうと強く願って後の時代に転生して夫婦で仲良く魂を磨いているような気がします。
涙が止まりません😃お互い短い命が運命だとして、別の世界で結ばれて欲しいです😃最近の(余命1年)と、言う映画見たいです😃
丸山会議で、ばしっと正論を言った三村次郎左衛門の詳しいお話もお願いします。
男子77歳にして初めてこのエピソードを知りました。感動しました。次のお話を待っております。
思わず泣いてとても感動しました。
歴史の深いお話も面白いですが。ほっこりする物語も非常に雄弁に語られて、引き込まれました。
扇子をパシンっと叩く音が絶妙で気持ちよかっです。有難うございました。
お殿様は粋(いき)なはからいをされましたね。創作でも、涙がボロボロと出ました。まだ頬を流れています。いい話でございました。心が洗われたように思います。ありがとうございました。
小名木先生の話が面白くて笑ったり泣いたり儚いラブストーリーいいですね。近々、所用で両国に行くので吉良邸に行きこの外伝の空気を味わって来ます。ありがとうございました。
いつも素晴らしい配信、有難うございます。 コメントを拝見して多くの方と感性を共有できた事も日本人として嬉しく思います。
私も涙を流しながらコメントせていただきました。
大変素晴らしい語り口でした。赤穂浪士のお話は日本人の魂を揺さぶる物語です。心を繋いでいる話をこれからも長く語られて貰いたいものです。
素晴らしいお話に胸が熱くなりました。
小名木先生の最後の言葉を聞いて私もまだ感動する心があるんだなと、少し嬉しく思いました。
すてきなお話でした. この気持ちを日本人はいつまでも大切に持ち続けたいものです.
素晴らしいお話ありがとうございました😭泣けました😭
良い話をして頂き、ありがとうございました😭
吉良家のお隣さん、土屋家。
そこの分家の土浦藩の藩主子孫でございます。
赤穂浪士が討ち入りを遂げたと耳にした当時の先祖の心中いかばかりか。。
今では知る由もありませんが、先生のお話を聞いていると少しわかるような気がしました。
ありがとうございました。
隣家より長尺提灯を上げて、明るくしてくださったと伝わる土屋家ですね。
奥が深いですね!いつもいつも驚きです‼️幼い清らかな愛が赤穂浪士に詰まっていようとは!語り口もよく本当に涙腺が緩みました。
小名木先生前回に引き続き忠臣蔵のお話ありがとうございます。感動して聞いております。次回も楽しみにしております。感謝です。🙏
大変貴重なお話をありがとうございます。感激しております。
日本人として生まれたこと
嬉しく思います。
この時代、武将は粋なことをなさる
その様な話しが多く残っているのも
日本人が大和魂をもち
死生観、武士道精神を学び
公の考え、私の考えを区別して生きてこられたからだと思います。
かっこいいデスね!
後世に語り継がれるカッコイイ生き方をしたいですね!!
日本人をカッコよく!
いや、元々カッコイイ!!!!
初めて結び大学しりました。
涙がでて、こんな深き意味があったとは、、と恥ずかしかったです。
とても良い勉強になりました。
もっと早く知りたかったです。
歴史が好きで、(赤穂浪士)大好きでした。
先生方の話し方も、とてもわかり易くたのしいです。
これからも応援します。
ありがとうございます!
今の日本の政治を思うと情けないですね。この大学の話を聞いて勉強して欲しいです。
昔の総理大臣には、相談役となる人がいて正しく総理を導いてくれてたようです。
そうあって欲しいですね〜
良いお話しでした。日本人の心。本日講義、心に染み入りました。毎回配信感謝申し上げます。
涙が出ました。そして、最後の締めが痛快でした! 今回も良いお話をありがとうございました。
まさかこの年になって恋の話を聞いて涙を流すとは思いませんでした。哀しく美しい話でした。
誰かティッシュくれ〜
日本人の心というものがテーマになっているのですね。ジーンときました。
若い人にも聞いてもらいたいと転送しました。
感涙 涙が止まりません🥲 互いに相手を思いやる温かな心
最近の小名木さんの解説は、くだくだと長ったらしく興ざめです。もっと淡々とおはなし願いたい。弁士ようなパホーマンスは、いりませ
んよ。初心に戻って下さい。
日本の魂のドラマ。
ご講義、有難うございました。
いつも先生が扇子を持っているのが不思議でした。でも今日はその意味がよく分かりました。
いつもは落語家の扇子と思っていましたが、今日は講談師でした。
次も楽しみにしています。
矢頭右衛門七といえば、本懐を遂げるべく母親と江戸表に共に向かう道中、「足手まといになりとうない。」と、母親が街道の脇で、短刀で自ら命を断つ話も泣けますね。
先生のこのお話、始めて聞きました。素敵な話有り難うございました。
泣けました。ありがとうございました。
久しぶりに感動し涙を流してしまいました。
お話を聞き終えて、今涙してます。
水野のお殿様の相手を察する心に感動いたしました。
本日は、良い講談を伺いました。
この前も別の動画で涙が自然に出ましたが、今日も出てしまいました。
何度も感動して涙を流す様では今後の動画を視聴出来ないかもしれません。
初めから昔の話で作りが入ってるだろうと聞いて楽しく聞いてましたが、最後は涙出ましたよ。
作り物だったとしても聞いて良かったなと🎵
寝る前に見て、最後泣きました。
お互いを思う気持ちと、またそれを察した第三者(水野氏)の計らい....、梅にひと役かってもらうだなんて美しすぎます。
物理的にはハッピーエンドではありませんでしたが、私の心はすごく暖かい気持ちで眠れそうです。
私も思う人がいるんです。これほどすれ違いでもないですが、ちょっと遠い。
お互いの通う心を大事にしたいです。
最後は泣けました。今回も楽しい講座をありがとうございました。
先生の講談、最高でした。
とても素晴らしいお話でした‼️
講談師、見てきたように嘘をつき。ならぬ見て来たような名調子の小名木先生の講釈に思わず目頭が熱くなりました。再度NHK大河の元禄繚乱DVDを借りて来ようと思わせる、日本人好みの優しいお話有難うございました。
野暮なことは抜きにして良い話でした
ありがとうございます
この武士としての心意気がまだ日本人に残っていると信じたい
日本人の心がこの物語には確かにありますねいつの時代も忘れないで欲しい日本人なら
本当に素晴らしいお話でした。赤穂浪士のお話楽しみにしています。よく兄うえの着物を見ながらお酒を飲む場面が有ると思うのですが是非とも聞いてみたいです。宜しくお願い致します。
こんないいお話を聞かせていただきありがとうございました🙏やはり年末は忠臣蔵ですね👌おりしも12月14日に✨😭
感動しました。
良いお話を聞いて
良い年の瀬になりました。
有難うございます。👍
人としてのあり方は世界共通だと思いますが
日本人の毅然とした心の奥ゆかしさは忘れずに後世にも語り継ぎたいものです
お話に感動して、一人泣いてしまいました😭
涙。。涙涙
もっと知りたいです。四十七士の物語
「人間じゃあ、ねーっつーの!」に笑いましたw
今回も素晴らしい話をありがとうございます。
いやぁ~美しい話だなぁ。愛知県は西尾の人たちにも聞いてもらいたい。ちなみに吉良の殿様は西尾では名士なのだ。
日本人に生まれて良かった。
号泣してました、ありがとうございます!
小名木落語。ありがとうございます👍👍
何か自分の高校時代をやり直したくなるようなお話しでした。
おせんちゃん、ドラマ化するにはどなたがよろしいでしょうかね🍶
よっ、講談❗️涙が、でるわ‼️
昔の日本人の精神が見えるようで泣ける話ですね。
最後に私が好きな「子連れ狼」「首切り朝」の小池一夫さん、小島剛夕さんのお名前が出てきてさらに納得しました。精神的に非常に通じるものがあり、なるほど、と。
「子連れ狼」「首切り朝」どちらにもあったかとあいまいながら記憶していますが、一言のセリフもない話があります。絵のみでセリフが一つもないのですが、読んでるうちに心の声が聞こえてくるのです。
今回のお話も、ああいった話を見た時と同じ様な心に熱いものが湧き上がってくる感じで感じ感動しました!
ある程度の忠臣蔵関連のお話は聞いてましたが、今回のお話は初めてお聞きしました。ほっこりしました^ ^
釣り好きの人たちには知る人も多いかと思います。
吉良上野介の娘(あぐり)婿は津軽政兕(まさたけ)日本初の釣指南書(何羨録)を遺しました。
綱吉の小姓まで勤めてましたが、赤穂事件で出世街道から外された、でも後の世の釣り好きへは、大きな贈り物をしてくれました^ ^
72歳の爺さんも泣きました。
右衛門七とおせんの恋淡く切ないけど聴いていて
私改めて日本人で良かったと思いました💞
きっと天国で楽しく暮らしていると思います
水野家の御殿様粋な事する
想像して場面が目に焼き付きました
ありがとうございます💝🌸扇子良いですね〜
すばらしい!!赤穂浪士シリーズ第三回もお願いします。
素晴らしいお話
ありがとうございます
場面想像できまし💞💝💚た
寝坊して起きて「モーニングランチ」食べながらで恐縮ですが「先生の物語」お聞きして「ハイッ泣きました」89歳ですが、今の今まで知らなかったです。エピソード或いはフィクションって言われても「ほんとうにあったと思いたいです」。僕も「ロミオとジュリエット」が好きですが、映画の「ローマの休日」も本当にあったって思いたいです。日本人の「義理人情文化も」情の機微がこっそり仕舞われていてイイですね「それがわからなければ人間じゃね~ヨ」には参りました。難聴で難儀してますが先生の「ハヤクチ」発音が速くても「子音がお綺麗」ですので補聴器でなんとか追いついています。
先生ありがとー
時代の淡い深い
恋ですね‼️
👏👏👏💪🇯🇵🙇
このお話し,講談,或いは落語の名作(古典)なんでしょうね~素晴らしい‼️。落語好きの高齢者ですが…初めて拝見致しました。地方の落語ファンは😅辛いなァ~。
「以心伝心」日本人でしか解らない心もあります。幼くして儚く散った2人に涙しました。
お疲れ様です、まさに仰る通りです、感動しました
今ではすっかり有名な忠臣蔵ですが、実は広く日本人に知られる様になったのは討ち入りから実に200年弱の年月が経ってからで、
倒幕を果たした長州藩士が明治政府に移行する際、忠義を語るためのプロパガンダとして利用し、当時の天皇を通じて発言されてから
国民全体に浸透していったそうです。
ただ、元禄の当時から民衆は幕府に鬱積を募らせていたためこの討ち入りがアンダーグラウンドで大衆演劇化で大人気となっており、
当時からおそらく大小様々な脚本が繰り返し描かれて来たため、美化されてしまったエピソード等たくさんあるのも事実だと思います。
そんな『外伝』で私が一番好きなエピソードは 「誉の三百石」です。
深い知識と教養を得られる素晴らしい場だったのに… いつからこのチャンネルは少女マンガ風情になってしまったんですかあ 溢れる涙で画面がボヤけてしまうやろ
小池一夫、小島剛夕とくれば子連れ狼という超代表作コンビですが忠臣蔵も描かれていたとは知りませんでした。
グルーバルがやたらに出回り、日本語に英語が入り乱れるおかしな世の中になっても、赤穂浪士の物語は日本の心です。12月に討ち入りを見ないと年は明けません。もう時期ですね。^_^
言葉にできない程、感銘を受けました
この話を沢山の人に伝えたいと思いますがパクリになってしまう…
それ程までに先生の語りが素晴らかったです
明日こそ12月14日!討ち入りの日ですね。
その前日にいい話しを聞きました。
これは偶然です。
赤穂の浪士はほとんどの方が若かった。
浅野本家家臣の子孫の方が親類でいます✨
エピソード満載ありがとうございました😭✨
講談きいてるみたいでした(*^^*)
六本木ヒルズが立っている場所は赤穂浪士が切腹した毛利屋敷と4つのお寺があった。
この土地は町人拝金主義を受け入れないのか村上ファンド、ライブドア、リーマンブラザーズ、競馬のフサイチさんなどみんな不幸になってますね。
その筋の間では、六本木ヒルズは、想念でキツイと言われていますね。
頭がふらつく感じです。
矢頭右衛門七は主君の仇討ちに参加出来なかった病弱の父親の代わりに加わったその根性には頭が下がります。のちに浪士全員が切腹の時17才の少年の首を斬つ介錯人もさぞ忍びない気持ちではなかったかと察しますね。
絵に浮かびます。しみました~
忠臣蔵から離れますが、赤穂の上水道設備は池田氏統治の頃から始まり浅野氏統治の代でほぼ完成しました。清流 千種川から浄水を 市中まで引いてきて各戸で利用できました。とかく 赤穂は塩が有名ですが、実は水が美味いのですよ😋
この伝統は引き継がれて 現在でも水道料金は全国的にトップクラスで安いです‼︎
本当に泣きました。
出来れば四十七人のエピソード全部知りたいです。
日本人人じゃねぇつうの!
ありがとうございました
あたたまる心しみいりました
小名木先生は、神田善行の名で講談師デビューされるとか?
細川の水流れは清けれど、ただ大海の沖ぞ濁れる。
細川家と水野家は良いけど、毛利甲斐守と松平隠岐守はダメだの落首
の水野家は、浪士の扱い方は丁寧で良かったですね。
田町駅から慶應に向かう中通りの方が屋敷跡ですね。
うーん 宇野重吉の蜘蛛のじんじゅう郎を思い出した おのおのがた🎶
何度も涙が出そうに熱くなりました。人情の浅い現代人とは大違いです。
右衛門七とおせんさんのお話、初めて知りました。忠臣蔵のお話はだいたいのあらすじは知ってたつもりでしたが、こちらのチャンネルで忠臣蔵に関するお話を伺って、 大石内蔵助はなぜ祇園で豪遊したのか、天野屋利兵衛のお話など、初めて知ることも多く、とても勉強になりました。どうも有難うございました。右衛門七とおせんさんの最後のくだりでは、思わず涙が出ました(早速、小池一夫さん原作の漫画、注文しました)。江戸の芸は二度おいしい…その二度目の方の忠臣蔵のドラマを是非、観てみたいと思いました。
泣けた。赤穂浪士の話にはおかる、三平とか、多数の悲恋話があるが、いい話だ( ;∀;)
関西弁の忠臣蔵が見たいものです。
いよっ!名調子....善行さんて落語家だと思ってたら講談師だったんですね!
水野のお殿様のご配慮。
感動しました。
泣けた。
小芝居する先生を見るのが醍醐味です
落涙禁じ得ず。
次なる講和お待ち申しております。
御免。
インターネットのおかげで一部の人しか分からなかった事が皆んなが分かるようになりました。
ドラマでは右衛門七の母親が自害するエピソードが有名ですが
このお話は初めて聞きました。涙が止まらない…
ヨッ📣ねず屋~👏👏👏😆👍
若くして散った特攻隊を思い出してしまった🎌余りにも若すぎた🐥勿体無過ぎたから😭💫
耳コピして、ライブ配信で紹介しております😆。
何だが流れました。
事件についての学術的な議論ー2
「遺恨」の内容について
幕府当局は、まずその場に居合わせた梶川与惣兵衛より状況を聴取、吉良が抜刀していないことを確認してから、ついで浅野を聴取し、内匠頭は刃傷の際言ったとされる「此間の遺恨、覚えたるか」(『梶川与惣兵衛筆記』写本)の「遺恨」について尋ねた。これに対する浅野の回答は、一言の申し開きもないとしたうえで、
私的な遺恨から前後も考えずに、上野介を討ち果たそうとして刃傷に及んだ。どのような処罰を仰せ付けられても異議を唱える筋はない。しかし、上野介を打ち損じたことは残念である。
というものであった。
一方、吉良は遺恨の内容について思い当たることがあるのではないか、と問われたが、
恨みを受ける覚えはなく、内匠頭は乱心したと思う。老体の身でもあり、恨みを買うようなことを言った覚えもない
と答えた。しかし身に覚えがあると言えば立場が悪くなるのは目に見えているので、身に覚えがあったとしても隠してこのように証言した可能性もありうる[108]。一方で、「乱心」とすれば裁定においても一定の酌量の余地が出ることもまた事実であるため、「乱心」ということにすれば浅野吉良双方にとって利害が一致しているのもまた事実である(乱心説については後述)
四十七士の一人堀部弥兵衛が討ち入り前に書いた『堀部弥兵衛金丸私記』には、以下のように原因が吉良の悪口にあると記している:
伝奏屋敷において、吉良上野介殿品々悪口(あっこう)共御座候へ共、御役儀大切に存じ、内匠頭堪忍仕り候処、殿中において、諸人の前に武士道立たざる様に至極悪口致され候由、これに依り、其の場を逃し候ては後々までの恥辱と存じ、仕らすと存じ候[108]。
(伝奏屋敷で、吉良上野介殿がいろいろと悪しざまにおっしゃいました。御役儀を大切に考え、内匠頭は堪忍しておりましたが、殿中において、諸人を前にして武士道が立たないようなひどいお言葉をかけられましたので、そのままにしておくと後々までの恥辱と思い、斬りかけたものと存じております)[108]
仮に、浅野が吉良に「武士道立たざる様に至極悪口」を言われたとしても文脈から刃傷事件当日のことと推察でき、堀部弥兵衛はその事情を伝聞以外で知ることは出来ないはずである。この記述の信頼性には疑問があるが、少なくとも家臣達にはそのように言われたと信じていたと推察できる[108]。
なお堀部弥兵衛は続けて「悪口は殺害同様の御制禁」と書いており、吉良がその御制禁を犯したから内匠頭はそれに応じたまでだとしている[108]。
他に塩田を巡る諍いも挙げられるが、信憑性が低い(吉良領には塩田はなく、堺屋太一『峠の群像』の誤認による創作が広まったとされる)[109]
賄賂
当時の文献には吉良が暗に賄賂を要求したのに浅野内匠頭が十分な賄賂をおくらなかった事が両者の不和の原因だとするものがある。ただし、五千石の高家である吉良から浅野などの大名が指南を受ける場合、指南料や何らかの贈り物をするのが当時としては慣例となっており、当然だった[110]。
賄賂に関して書かれた文献には例えば『江赤見聞記』の一巻があり、以下のように記されている:
上野介欲ふかき人故、前々御務めなされ候御衆、前廉より御進物等度々これ有る由に付き、喜六、政右衛門、御用人どもまで申し達し、御用人共も度々その段申し上げ候処、内匠頭様仰せにも、御馳走御用相済み候上にてはいか程もこれを進らせらるべく候、前廉に度々御音物これ有る儀は如何しく思し召され候由、仰せられ候。尤も、格式の御付届けの音物は前廉に遣わされ候由也[110]。
(上野介は欲が深い人なので、以前に御勤めなさった方も、前もって御進物等を度々していたので、喜六や政右衛門、御用人たちまで伝え、御用人たちも度々その段を申し上げたけれども、内匠頭様は「御馳走御用が済んだ後にはどれほどでも進(まい)らせたいと思う。しかし、前もって度々御進物を贈るのは、如何かと思う」と仰せられました。もっとも、決まった御付届けの進物は前もって遣わされていたということです[110])
文中にある「喜六、政右衛門」は建部喜六(250石)と近藤政右衛門(250石)で、ともにこうした折衝にあたる江戸留守居役である[110]。
また事件直後に書かれた『秋田藩家老岡本元朝日記』にも次のようにある
吉良殿日頃かくれなきおうへい人ノ由。又手ノ悪キ人二て、且物を方々よりこい取被成候事多候由。先年藤堂和泉殿へ始て御振舞二御越候時も、雪舟ノ三ふく対御かけ候へハ則こひ取被成候よし。ケ様之事方々二て候故、此方様へ御越之時も御出入衆内々二て、目入能御道具被出候事御無用と御申被成候由二候[111][110]。
(吉良殿は平生から横柄な態度で有名な人物だということです。また手の悪い人で、方々から物をせびりなさる事が多いということです。先年藤堂和泉殿(高久、伊勢津藩主)へはじめて御振舞に御越になった時も、雪舟の三幅対の御掛け軸をかけたところ、せびって自分の物にしたということです。このような事を方々でなされるので、こちら様へ御越の時も御出入の旗本衆が内々に、よい御道具は出されない方がよいと御申しなされたという事です[110])
ただしこの記事は事件直後のもの[110]であるのにもかかわらず、この文章の前段には、松の廊下の刃傷事件の顛末が綴られているが、「切り付けられた義央が刀に手を掛けて「何をするか」と取って斬り返した」などと記されている。しかしこれは、実際の刃傷の経緯とはかなり異なる(梶川与惣兵衛の証言とも逸脱している)。
尾張藩士の朝日重章も『鸚鵡籠中記』に次のように記している:
吉良は欲深き者故、前々皆音信にて頼むに、今度内匠が仕方不快とて、何事に付けても言い合わせ知らせなく、事々において内匠齟齬すること多し。内匠これを含む。今日殿中において御老中前にて吉良いいよう、今度内匠万事不自由ふ、もとより言うべからず、公家衆も不快に思さるという。内匠いよいよこれを含み座を立ち、その次の廊下にて内匠刀を抜きて詞を懸けて、吉良が烏帽子をかけて頭を切る[110]
(吉良は欲が深い者なので、前々から皆贈り物をして物を頼んでいたが、今度の内匠頭のやり方が不快だということで、何事につけても知らせをせず、内匠頭が間違って恥をかくことが多かった。内匠頭はこれを遺恨に思って座を立ち、その次の廊下で、刀を抜き、声を懸けて吉良の烏帽子ごと頭を斬った)
山本博文は、「朝日は当時名古屋にいたため、全国的に広まった噂だったとみられる[110]。」と考察している。しかし、『鸚鵡籠中記』は英邁と言われた徳川吉通[112]を「愚行を繰り返す暗君」と評するなど、いわば主君を侮辱する「不忠臣」のような記述が多く、尾張藩では禁書扱い[113]で尾張徳川家では公式資料とはされていない[114]。
映画にもなった
瀬尾孫左衛門と大石の忘れ形見の事を
お願いします✨🥺✨
なかなか良いお話でした。
ドラマの題材にして欲しいです。
最近、忠臣蔵がテレビで放映されないので残念に思っています。
一つの日本精神が薄らいでいくようで、悲しいです。
おっしゃる通り、義士一人一人の物語が伝わっています。矢頭殿のこの話は初めて聴きました、歌舞伎で演じられたことはあるのでしょうか?
お預けになった水野家の領地岡崎の城のすぐ北にある大林寺に右衛門七の墓があります(なぜか彼だけ) 家康の父親広忠、祖父清康の墓もある由緒ある寺です
坂東さんの本読んだら右衛門七とおせんちゃん、あの世で二人の魂は出会ってつ再び生まれ変わって子供を作ってやり直そうと強く願って後の時代に転生して夫婦で仲良く魂を磨いているような気がします。
涙が止まりません😃
お互い短い命が運命だとして、別の世界で
結ばれて欲しいです😃
最近の(余命1年)と、言う映画見たいです😃
丸山会議で、ばしっと正論を言った三村次郎左衛門の詳しいお話もお願いします。