学校では教えない忠臣蔵の隠された真実と歴史が動く瞬間|小名木善行

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  • Опубліковано 16 вер 2024
  • 【目次】
    2:55 忠臣蔵で登場する人物の本当の顔
    11:27 思惑が交差する裏側のストーリー
    23:04 討ち入りを決意した家臣の思い
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    #忠臣蔵 #赤穂浪士 #浅野内匠頭

КОМЕНТАРІ • 99

  • @ジャコビ-v6u
    @ジャコビ-v6u Рік тому +48

    567が流行って、病院では待合室の椅子を一つ空けて座らないといけないようになったのですが、赤穂市の病院では、その空いた席に赤穂義士47人のプロファイルを一人ずつ置いているのですね。それを待っている間にいつも読んでおりました。

  • @誠爽花
    @誠爽花 Рік тому +11

    12月14日は、赤穂義士のお墓参りに行ってきました‼️行く前に、湊川神社の楠木正成さんのお墓に行き、近くで買ったお花を赤穂義士のお墓に御供えしました✨️生まれ変わり説は、胸熱です!

  • @rinmama3849
    @rinmama3849 Рік тому +21

    勅使と将軍の位置が忠臣蔵の要となる事柄だとは❗️
    面白く拝聴いたしました。

  • @kandy2245
    @kandy2245 Рік тому +24

    若い美容師さんに忠臣蔵の話をしたら、「へえー、昔の日本でそんなことあったんですねえ」と驚いてました。今やこの話題についていけるのは、昭和生まれのみかと。私はテレビで忠臣蔵見て育った世代なので、このテーマ興味深く拝見しました。

  • @mi-ya.
    @mi-ya. Рік тому +15

    納得しました。どちらも立派な方だったと知った時から、モヤモヤしてました。忠臣も自責の念があったのですね。深く納得。

  • @m.n.9036
    @m.n.9036 Рік тому +16

    これは素晴らしいお話でした。人に伝えられるくらいになりたいものです。ありがとうございました!

  • @kerokeron5191
    @kerokeron5191 Рік тому +23

    いやあ、ためになるお話でした。忠臣蔵は好きで毎年の如く見ておりましたが、このような解釈があろうとは、思いもよらず…う〜む。

  • @ob9470
    @ob9470 Рік тому +11

    目から鱗でした。。。
    知らなかったです。
    とても楽しみました。
    ありがとうございます。😂

  • @weirdohsrodd
    @weirdohsrodd Рік тому +19

    かなり前ですが、泉岳寺でお墓1つ1つに線香をそなえ手を合わせていた女学生?の外人さんがいました。そこの誰もが感動したのを覚えています、、、

  • @autumngolden1035
    @autumngolden1035 Рік тому +10

    今年はBSで、忠臣蔵をたくさん放送していました。
    三船敏郎さん、松平健さん他。
    どの忠臣蔵も見応えあって良かったです。

  • @challenge6474
    @challenge6474 Рік тому +11

    久方ぶりにコメントいたします。藤原朝臣秀郷公の子孫で、忠臣蔵により江戸城から米沢藩に降った者の末裔です。「中朝事実」に着目されたのはごもっともと。ただ一点、この事件を考察されるにあって、痛恨のモレがございます。吉良上野介は米沢藩主上杉家3代目を暗殺して息子を米沢藩主にしたこと。次に紀州松平家を標的にしていた可能性が高いこと。大石内蔵助は足利家に滅亡させられた小山氏の血統である事実。赤穂浪士に「大忠義」を与えた町奉行の松前氏がその小山氏の直系子孫を江戸城に連れてきていたということ。その小山氏は、江戸城廊下番頭や城内与力はであったという事実。これらを鑑みて忠臣蔵を考察いただければ、先生なら歴史の真実に近づけることでしょう。
    「忠臣蔵」とは天皇の命にかかっていると存じます。私は松前氏の直下で米沢に動いた小山氏の末裔になります。

    • @genji744
      @genji744 Рік тому

      某地元大学経済学部「米沢藩の財政改革と上杉鷹山」研究論文
      120万石→30万石減封されるが家臣6千人付いてくる。しかし付いてきた家臣は生活態度を改めない。
      吉良上野介の助言で参勤交代の行列を盛大にし、大規模な藩施設の新築や寺院への寄付の増額、役所の人員の増大などの大盤振る舞いをするなどしてバラ撒き政策。
      吉良家借金6千両肩代り。吉良邸全焼。吉良家豪邸2万5千両のほとんどを出費。
      尾張藩主徳川宗勝を動かして、重定に藩政改革を進めるように依頼する動きに出た。名家の誇りを重んずる故に、豪奢な生活を改められなかった。
      側近が1万両を着服し、豪邸を造り十余人の妾を同居させるなどの乱れた生活をする。
      新藩主鷹山前期藩政改革の始まり
      新藩主となって二年半後、初めてのお国入り(入部)の大名行列。「大倹令」の後であり、今までの十分の一程度の人数で埃にまみれたみすぼらしい質素な行列。上杉家の大名行列は謙信以来の威風を守り堂々とした行列であるべきであるとの思いが強い重臣たちにとっては苦々しい行列。
      七家騒動
      一部の重臣たちによる改革の中止と改革を推進する奉行の竹俣当綱(美作)一派の罷免を治憲に強訴。
      信頼していた家臣が権限を乱用して次第に公私混同の行動が現れる。豪農宅に泊まり翌朝まで宴会。
      以降鷹山の努力
      吉良家からこれだけ優秀な将来を期待していた嫡男を婿に貰っておいて改革には反発、悪口。生活態度を改めない。
      吉良家の三男が亡くなって上杉から養子を送っておいて見殺し。
      吉良家と上杉は室町時代から縁戚関係でお互い放っておけない気持ちだったと思う。でもそんな自分の主の気持ちを察しない、本当にどうしようもないクズ家臣ですね。
      失礼しました、自分は貴方様が憎んでる吉良家分家の者です。
      因みに上杉綱勝の正室富子の祖父二代将軍秀忠の母西郷局の実家は吉良家分家です。

    • @challenge6474
      @challenge6474 Рік тому

      @@genji744 さん
      うちは藤原朝臣秀郷の血統です。足利も一緒でしたかね?吉良など憎んでないですよ。赤穂浪士や米沢の藩民達はどうか知りませんがね。
      うちの一族は江戸城番頭組のお役目。とりわけ先祖は江戸南町奉行直下の内与力。幕府か朝廷か知りませんが、その命令に動いただけですよ。うちが米沢まで動いたなら天下泰平とは言い難いことが起きていたのでしょう。あなたが論文を引用されたように、吉良のお殿様の後の米沢藩は酷かったようですよ。吉良家の借金の肩代わりは元より、お預かり天領か幕領での不正や横行があったと思いますね。代々上杉家がやっていた天皇への忠義が揺らいでいたのでしょう。忠誠心と信仰心と腕っぷしだけは強かったうちしか出来ないお役目があったのでしょう。
      うちは政策に口出しできる身分ではありませんから、おっしゃる通り、上杉鷹山公が米沢に入部して政策を実行できなかったら、かなりの藩民や幕領の農民らが飢えで死んだでしょう。うちも鷹山の跡取りが決まってからは城下に移りましたから、質素倹約に随分となれましたよ。
      なお、政策を実行できたのは、鷹山公ひとりの努力ではございません。鷹山公はもとより上杉一族のお命を守りながら、それを実行した家臣と藩民。それと、政策に賛同して心同じく質素倹約で金銭の都合をつけてくれた越後の庄屋達のお陰ですよ。

    • @genji744
      @genji744 Рік тому

      @@challenge6474 陰謀説を説ておられたので憎んでるものと思っておりました。
      上杉は幕府の命があった以上どうにもならなかったのはお察しします。
      家は最近の研究で足利支流ということが判明した家なのでそこまで詳しくないですが、伝え聞いてることはあります。確かに様々な陰謀説があるように恐らく不正も横行してたと思われます。
      数々の無礼、申し訳ございませんでした。

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu 4 місяці тому

      奥さんの兄に毒を盛って毒殺したんだよね。悪いやっちゃ。
      他の大名屋敷からは、壺や掛け軸を盗んでくるし、吉良上野介は、本当に悪い輩でしたね。切りつけられても仕方ないのかも。

  • @yasashiinihongo_makiko777
    @yasashiinihongo_makiko777 Рік тому +12

    とても分かりやすかったです。ありがとうございました。その結果、上座と下座は逆転したのですか?とても気になります。

    • @戸田義継
      @戸田義継 Рік тому +7

      小名木先生の別の番組で、100年後に本来の姿に戻すとの綱吉の沙汰があり、実際にそうなったとありました。

  • @こばやしあきら-o6p
    @こばやしあきら-o6p Рік тому +4

    勉強になりました。今まで今までの忠臣蔵の認識が浅かったです。深い日本人の精神があったんですね。

  • @satsuki46
    @satsuki46 Рік тому +5

    見てよかった、初めてしりました。

  • @匿名-v6n4c
    @匿名-v6n4c Рік тому +5

    お話のとおり、皇室尊崇で起こした事件であるなら、吉良上野介の浅野内匠頭に対するいじめはなかったということで、普通に云われている主君の刃傷と切腹、その主君に従う家臣たちの報復というストーリーではないとなると、いちばん迷惑したのは吉良家ということになりますね。結局、幕府によって失脚させられ、後世まで悪人のように見られることになるからです。それにしても内匠頭の「春のなごりをいかにとかせん」は、やはり将軍が上座、勅使が下座という悪しき慣習を変えられなかったことについての思いが歌われているというより、いじめた吉良へ、もう一太刀浴びせることができなかった、止めた梶川氏への恨みではなかろうけど、やはり吉良への恨みを、家臣たちへの敵討ちの指令があらわされている…とみる方が納得できるんですが…、ちがうのですかね?やはり私は、いじめに対してキレた未熟な殿さまを持った家臣たちの熱き情による敵討ちの物語として受けとめる方が日本人のメンタリティーに即していると思います。

  • @スーパーカップ-x1p
    @スーパーカップ-x1p Рік тому +10

    今月は歌舞伎座でも忠臣蔵は掛かっていません
    團十郎襲名もあるのかと思いますがコロナで役者さんの接触を避けるため少なく上演している気がします
    テレビ、映画では少なくとも47人以上のちゃんと芝居を出来る役者が揃わないでしょうし、時間の問題もあるかと思います
    時代劇が最近減ったのも衣装やセットに現代劇と比べて倍以上かかると聞いたことがあります
    なんとなく寂しい世の中になってしまいました…
    この時期に忠臣蔵を感じることが出来るのは寄席だけになってしまいそうです

    • @モフモフ-n9y
      @モフモフ-n9y Рік тому +6

      悲しいですね。せめて歌舞伎で…と思うのですが。

    • @katsukensanba
      @katsukensanba Рік тому +3

      せめて映画作ってほしいです。。

  • @kazumasuishikawa2733
    @kazumasuishikawa2733 Рік тому +3

    浅野内匠頭はかなりアレな人だったと言われてますし、そんな大事な行事の最終日にキレるとは。。。
    かわいそうだったのが、息子だったな。

  • @takafumiwada4692
    @takafumiwada4692 Рік тому +6

    忠臣蔵の話!前回も大変興味深く観させていただきましたが、今回も面白かったですね~^^。次回の忠臣蔵も期待してます。
    来年末ですかね……(^^ゞ

  • @梅松竹-q7d
    @梅松竹-q7d Рік тому +7

    日本は十七条憲法から始まって、管理官僚への決まり事や要求が非常に厳しいね。
    今の世とは全く真逆だね

  • @user-re2ll5sr3d
    @user-re2ll5sr3d Рік тому +6

    大河ドラマ第2号は忠臣蔵やった(1964年)👍

  • @kk-me6un
    @kk-me6un Рік тому +1

    勉強になりました。ありがとうございます。

  • @NETDOUGA
    @NETDOUGA Рік тому +4

    いや~、、、だから、日本の文化は、表面だけじゃあわからない、奥が深いってな。
    しかあし、現代では、表面の結果だけでしか評価しないんだよなっ!

  • @supernature1577
    @supernature1577 Рік тому +6

    『察する』ならいいけど『忖度』はいただけない。特に、ジェノサイド国家モドキには。

  • @teru512
    @teru512 Рік тому +8

    なんだか ワクワクする 始まり

  • @noel8446
    @noel8446 Рік тому +7

    足利幕府の嘘に根っこがあったとは知らなかったです。
    目先の利益の為に慣習を変えてしまう事はリスクを伴うという教訓ですね。

  • @user-do8sb7lq3z
    @user-do8sb7lq3z Рік тому +6

    こんばんは、いつも楽しく勉強させていただいてます。
    前回の忠臣蔵の時もコメントさせていただいたと思いますが、少し思い出した事があったのでコメントします!
    小名木先生とは伯王家の御神事の時にご一緒しました。その時も来ていたと思いますが、そこによく来ていた浅野さんという方、末裔の人で真実をよく語っておられました。
    現代でも今の時期は催し事に呼ばれたりするそうです。
    もう先生は面識があるのかも知れませんが、まだ世に出ていない真実の話しなどあったら面白いと思ってコメントさせていただきました(^^)
    いつも有り難う御座います。

  • @user-nn3bp3in2k
    @user-nn3bp3in2k 9 місяців тому

    深いですね。唸ります。ありがとうございます。

  • @standingrosheout268
    @standingrosheout268 Рік тому +1

    私は、三河吉良氏ではなく、奥州武蔵吉良氏に従えていた家臣の末裔です。もう一方の吉良氏ですが出は同じ足利一門なので、興味深くじっくり試聴させていただきました。先生のお話にもありましたが最近は忠臣蔵放映しませんね、これまでの忠臣蔵はこれでくくって、現代の最新の研究を主体にしたかたよりの無い新しい忠臣蔵を是非やってほしいものです。吉良氏に関してはまだまだ謎があると思います、また次の動画楽しみにしております。

  • @user-nw1sb2bt8o
    @user-nw1sb2bt8o Рік тому +7

    江戸時代からメディア操作があったのですね。
    物悲しい物語に涙が出ます。
    ニッポンをカッコ良く(^^ゞ
    小名木先生いつもありがとうございますm(_ _)m

  • @MK-fz5tr
    @MK-fz5tr Рік тому

    分かりやすい解説ありがとうございます!聞いていて本当に面白くて勉強になります。一時期忠臣蔵が大好きで赤穂まで訪れました。
    実際にはこんな背景があったなんて今の今まで全然知らなかったです。日本の歴史は裏の話を知ればしる程深いなぁと思います。
    またテレビでも忠臣蔵やって欲しいですね♪

  • @Naraaogaki
    @Naraaogaki Рік тому +7

    待ってました(*>∇<)ノ

  • @沈黙の鈴鹿
    @沈黙の鈴鹿 Рік тому +5

    小名木上野介の忠臣蔵が見てみたい(笑)

  • @ヒロ-f5f
    @ヒロ-f5f Рік тому +1

    分からないのは殿中で刀を抜くとかは御法度で、浅い傷をあたえる前に刀を抜いた時点で徒事ではないかぐらい浅野内匠頭は分かってた筈ですが。なので扇子で叩くとか蹴りを入れるとかにすれば良かったのにと思ってしまいます。

  • @7of9of007
    @7of9of007 8 місяців тому +1

    「風さそう 花よりもなお我はまた 春の名残をいかにとかせん」は多門伝八郎の覚書にしか出てこない。他の一時資料にも。赤穂市もこれは後に創作された可能性に言及している。

  • @sno6093
    @sno6093 Рік тому +10

    西国中心史観から距離をとった話ができるチャンネルと思い、見続けています。今回もタイトルを見て、きっと所謂忠臣蔵の話ではないことと予想して、ワクワクで見通しましたー^_^

  • @msda_30
    @msda_30 9 місяців тому

    赤穂市民だから小学校の時に忠臣蔵を習うが、今までこんなこと知らなかった。ありがとうございます!by20歳

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu 4 місяці тому

      赤穂市民なら、赤穂義士会とかの方が、より正確な事実がわかるよ。

  • @yakushima1
    @yakushima1 Рік тому +2

    おーーー、すごい! そういうことでしたか。

  • @user-ei4gx3rw6b
    @user-ei4gx3rw6b Рік тому +1

    田舎の風習や田舎の家の風習は、無くす事は大変な労力が必要です。

  • @user-pv9sr5bc4f
    @user-pv9sr5bc4f 4 місяці тому

    物心ついた頃から赤穂浪士を年中行事のように観て育ちました😁赤穂浪士を観るたびに「あぁ日本人に生まれてきて良かった」と思ってました。私が赤穂浪士の熱狂的ファンだったのでどう言う御縁か、娘が兵庫県の方と結婚しちゃいました(笑)

  • @mecom3450
    @mecom3450 Рік тому +5

    赤穂は秦河勝終焉の地

  • @de-gn9ov
    @de-gn9ov Рік тому +1

    室町幕府が徳川幕府に変わった時点でなぜ悪しき風習を改められないのが分からない。
    以前の価値思想信条を否定するから、新しいモノが出来るんだよね。

  • @user-kf6ux9rd4y
    @user-kf6ux9rd4y Рік тому +1

    でも、それなら背中にも切り付けている理由は何。
    栗崎道有という医者が治療にあたったと言われているが、その「道有日記」には以下のように記されているようです。

    「上野介の額の切創は斜めに三寸五分(十一センチ余)あり、骨まで達していた。背中にも七寸(二十センチ余)の切創があったが、こちらは浅手であった。そこで額の傷を熱湯で洗い、小針小糸で六針縫い、そのあと石灰をまぜた煉薬を貼って傷口を塞いだ。背中の傷は三針縫合しただけですんだ。さらに上野介の着ていた白帷子(しろかたびら)の袖を引き裂いて包帯とし、手際よく縫合個所に巻きつけた」

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu 4 місяці тому

      頭に血が上り詰めて切りつけたのだから、切る場所など、選んでいられなかったのでは?
      この医者のお陰で、最後、吉良上野介の首と胴体は、針と糸を使い、縫合されたんだよね。
      吉良と仲良くなったからそこまでしてくれたわけで、他の人間なら、どうしていたか、ある意味、気の毒な事になりそうに思える。

  • @user-ng9tf9jb8h
    @user-ng9tf9jb8h Рік тому

    先生!私も大好きてす(笑)
    ガキの頃は義士祭の剣道大会に参加してました(笑)私のヒーローは堀部家に養子に入った武庸(安兵衛)です。😁

  • @user-js3fc3nx6z
    @user-js3fc3nx6z Рік тому

    忠臣蔵は日本人の心原点ですね。

  • @hiroshih3365
    @hiroshih3365 9 місяців тому

    浅野内匠頭も吉良上野介も可哀想だと思う。浪士たちも同様です。今となってはその時の亡くなった全員のご冥福を祈りたいです。

  • @shikosaiHS
    @shikosaiHS Рік тому +1

    BSでやってましたよ!

  • @bluewater5239
    @bluewater5239 Рік тому +2

    一つ疑問がある、、?勅使の休憩所の畳替え(200畳)を一晩でやった事実があり、、吉良上野介は赤穂藩を下に見ていた(吉良が田舎侍は黙っておれ!)と内匠頭に言って怒りをかったと言われていますが、、、?上座/下座の違いもだし、、内匠頭の事件後の切腹を庭先で行った(1国1城の主人に対して)無礼極まりない幕府(綱吉の判断?)行いも一因にあると思うけど!

  • @理想と現実
    @理想と現実 8 місяців тому +1

    😵‍💫この人の話は本当に都合良すぎ。
    桜の花が皇室を彷彿とさせる? 皇室は令和を最後に儚く散るの?
    饗応役を嫌がっていた浅野が死の直前に天皇のことなんか考えるわけないでしょ。
    吉良も本当は嫌われ者ではなかったという説がここ10年で広がりつつある。
    吉良邸に略奪者が押し寄せなかったことでこの説が真実味を帯びてくる。
    寺坂の失踪も謎だが、一番の謎は最後まで口を割らなかった浅野。
    動機については当時から議論の的だった。
    浅野に全く機会を与えず切腹だなんて大嘘やめて。
    詳しい取り調べ資料が見つからないだけ。
    「学校では教えない」ってタイトルつけりゃ、好き放題に歴史は語れるの?
    まず背後から切りつけたんでしょ。
    浅野が大声出して刀抜けば周りは大慌てで駆け寄るわ。
    吉良が振り向かず逃げていれば額の怪我はなかった。

  • @matukawatositane
    @matukawatositane Рік тому +2

    彼らは自力救済しただけよ

  • @京都のペンギンその名もオニショー

    赤穂浪士では大高源吾が好きです。
    泉岳寺行くと必ず彼の墓に参るようにしています

    • @大高敏秀
      @大高敏秀 Рік тому

      ありがとうございます。

    • @mt-uq5hx
      @mt-uq5hx Рік тому +1

      義商、天野屋利兵衛の墓碑もお忘れなく、願いあげます。

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu 4 місяці тому

      ​実際に金銭面で支援していたのは、綿屋善右衛門(わたやぜんえもん)という人で、天野屋は、まるで無関係なのだが。

  • @katokiyomasa1951
    @katokiyomasa1951 Рік тому

    私の祖母から伝わった話ですが、赤穂浪士の討ち入りの時は、江戸にいた浪人たちが、かなり酒が入っていた頃合いですが、たくさん吉良邸へ駆けつけ助っ人に入ったという事ですよ。吉良邸には家臣が200名、対する赤穂浪士は49名、赤穂浪士の死者はゼロ名。戦力で言えば、助っ人の数は100名以上いてもおかしくないでしょうね。このこと、誰も書いていませんね。参考までに。

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu Рік тому

      討ち入り時には、外には内蔵助の親類である大石無人や三平親子他、外で見張りをしていて吉良家には他に人をいれさせなかったのに、どうしめたくさんの助っ人がという事になるのでしょうか?
      他に、医者も同行していて血止めの薬を用意していた事とか、ご存じですか?
      最近、研究が物凄くすすんでいるので、改めて事実を調べてみると良いですよ。

  • @daisukenijigenn6394
    @daisukenijigenn6394 Рік тому +5

    殿中で刀を抜く事は 殿中禁令條目という規則で禁止され 過去においても御家断絶の例もあるようです。
    今回は 刀を抜いただけではなく 勅使接待中において上司?指導者?とで事件を 起こした事です。
    赤穂事件では 加害者への尋問が あったように思いますが
    浅野殿が いきなり吉良殿に斬りつけ その理由が周辺の者にも全く知らせなかったようです。 
    いずれにせよ幕府にとって朝廷の目の前で大失態をひき起こし面目丸つぶれになった事に代わりません。
    以上の事から 刀を抜いた事で御家断絶 面目を潰した事で切腹 吉良殿には無罪 幕府にとって当然の処置と思います。
    しかし その後 吉良家廃絶 上杉家減俸のご沙汰には 陰謀の臭いが 充満しているように思います。
    綱吉公は どこかの総理大臣のように そそのかされ態度を変えたのでしょうか?
    大石殿は 御家復興が絶たれたから吉良殿を 殺害する事にしたのですが なぜそれが 忠義なのでしょうね? ヤツアタリ?

    • @mi-ya.
      @mi-ya. Рік тому +2

      この説からすると、主君を死に追いやった自責の念から、死に場所を求めたと解釈できると思いました。

    • @daisukenijigenn6394
      @daisukenijigenn6394 Рік тому +3

      そう言う解釈も有りですね。
      忠義です。

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu 4 місяці тому

      綱吉が激怒して即効で腹を切らせたものの、ケンカの末に起きた事が判明してくると、処置を早まった事を、綱吉自身、後悔する様子が記録としてある。
      幕府内の人間だけでなく、朝廷からも嫌われている事がわかってくると、頭脳明晰の柳沢吉保は、吉良を見限ったし、老中に至っては、討入り日にすぐに報告を受けたものの、吉良を助けずに見殺しにしたからね。
      身内にまで、「切りつけられたのは、自業自得」と言われるし、奥さんからは、「浅野様が腹を切ったのだから、あなた様も切腹しなさい」とまで言われる始末。
      深く研究すると、いろんな背景が見えてくる。それが忠臣蔵。

    • @nami2450
      @nami2450 3 місяці тому

      母方の祖父は、明治生まれ東大卒です。大学の末裔です。母方の祖母の妹 大叔母は、明治時代皇族関係へ嫁いでいます。幼少期から忠臣蔵は見せられてきました。様々な思考見解がありますので 私にも未だ真実が見えません。参考にさせて頂きます。有難う御座いました。

  • @おっかぁなっき
    @おっかぁなっき Рік тому +2

    初めて知りました・・・・が、吉良が片付いた後は、勅使は上座になったのでしょうか? それとも、足利幕府の否定になるので、そのまま下座? して、その理由は? それでも、松の廊下での刃傷をきっかけとして必要だというには、かなり飛躍があるとおもうなぁ・・・・。 浅野が一回目と2回目の勅使供応で同じことができない、やりたくないというのも、納得いかないなぁ。 それに、毎年年賀でやるんだから、浅野が饗応しないときは他藩が勅使下座でやるんでしょう? 浅野の時だけもめるというのも、どうなの?と思うんだけど。 今の時代で思う事だけど、足利時代も、貿易のために「国王」を便宜上名乗ったというなら、その当時だって、対外的には江戸幕府が一括窓口なんだから、同じだと幕末までも同じでしょう。

  • @久岡敏郎-t5i
    @久岡敏郎-t5i 8 місяців тому

    なかなか〜難しい〜事ですか〜😢

  • @shirow5
    @shirow5 Рік тому +1

    八代吉宗公が紀州の部屋住みだった頃に「高家を鼻にかけて威張り散らす奴」と言って江戸城ではすこぶる評判が悪かったそうです。
    吉良上野が名君とされるのは忠臣蔵であまりの悪辣ぶりに地元で名君に仕立てたというのが真相っぽいです。

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu Рік тому +2

      NHKの赤穂浪士放映後からですよ。無理やり名君に仕立て上げたのは。
      観光のため、無理やり名君にしただけ。

  • @長尾秀一-r8x
    @長尾秀一-r8x Рік тому +2

    私は、解せませんね。
    あの松の廊下の事件、浅野の殿様がよほどの事を考えてください。吉良の発言などが原因と考えます。

  • @genji744
    @genji744 Рік тому

    高家の仕事は参議で決まった事を将軍に報告したり、将軍の代理で朝廷と接触したり儀礼準備、儀礼作法を各大名に伝授、参加仕事です。
    常に京都と江戸往復してる高家の人相手に勅使なんてあり得ませんから。
    その考えからすると吉良さんが朝廷の勅使です。

  • @seriseri2978
    @seriseri2978 5 місяців тому

    忠臣蔵の「臣」は、もともと天皇の臣下ということか・・

  • @藤川成子
    @藤川成子 11 днів тому

    今なら裁判所で浅野内匠頭も゙吉良殿も゙死ななくて済んだはず
    弁護士検事裁判長などで判決出ると思いますか゚?
    浅野内匠頭は生まれるのが早すぎたと考えます

  • @user-ed2ql6zx3w
    @user-ed2ql6zx3w Рік тому

    勅使饗応役はだいたい5万~7万石の外様大名から選任され、数回ほど任命されるとのこと。
    一度経験した浅野長矩(この時も指南役は吉良義央)がなぜ2回目に刃傷沙汰を起こしたのかとても興味深い。
    それを踏まえると、加来耕三氏の採用している浅野長矩精神障害説も腑に落ちるところはある。

  • @qr172
    @qr172 Рік тому +1

    忠臣蔵についてはそう言う解釈もできると思います。そのような裏や表の機微を掻い潜って、庶民は自分に理解しやすい結論を捏ね上げるわけでしょうね。
    ですが今回も前回も小名木先生の言いたいことは、歴史の解釈は一筋縄ではいかないと言うことで、なおかつ日本のように、裏表の多い文化の中では、なおさらそうだと言うこととお見受けしました。
    でも歴史の解釈が表面だけでは正しくないと言う点では、アメリカ史でもたいして変わりませんと思います。こんな歴史の浅い国でもね。
    理由?
    この国は他人の国土を盗んで造った、という事実がある。それをなんとか隠したいと言うことで裏と表が作られた歴史だからです。
    本日の話とは趣旨が違いますが、小名木先生のご講義では、日本は特殊な国だというご主張があまりにも多いように思われるので、その点を多少中立なものにしていただきたいからのコメでした。

  • @user-bo2ss5pt4s
    @user-bo2ss5pt4s Рік тому

    幾ら人がタヒんでも時代劇の御奉行さんは全く責任取らないですね。

  • @user-ni2gv6cn7y
    @user-ni2gv6cn7y Рік тому +1

    うーん、難しい話しですねー。

  • @lemonchan893
    @lemonchan893 3 місяці тому

    忠臣蔵は美談(フィクション)のかたまり❗️事実は程遠い話し。賢いお殿様だったら刃傷おこさないよ‼️

  • @user-st4ch3mt7d
    @user-st4ch3mt7d Рік тому

    NHK党が会見ライブで参政党の悪行を暴いてぶっ潰すと宣言してる
    参政党は命懸けと言いながら都合が悪い質問から逃げまくって、妨害だと印象操作してる
    NHK党は会見ライブで誰からの質問にも答えて、一切の編集もなく発信してる
    主張の中身をしっかりと理解して具体的な根拠を持って確認して判断することが大事だ