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変化におけるストレスは正常な身体機能である【独り言#49】
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下品な胡蝶の夢あるいはくだらないインセプション【独り言#11】
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コミュニケーションの前提にあるもの『プロジェクト・ヘイル・メアリー|アンディー・ウィアー』【雑談#119】
Переглядів 6629 годин тому
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哲学の必要性を無理やり語ってみた【独り言#48】
Переглядів 1 тис.16 годин тому
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人生を生き抜くための信念『レ・ミゼラブル|ヴィクトル・ユーゴー』【雑談#118】
Переглядів 966День тому
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手触り【独り言#47】
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「信じる」ということ『神様ゲーム|麻耶雄嵩』【雑談#117】
Переглядів 1,1 тис.14 днів тому
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習慣と妥協【独り言#46】
Переглядів 1,1 тис.21 день тому
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人間の優劣『闇の奥|ジョゼフ・コンラッド』【雑談#116】
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単純作業の反復は日々のストレスを解放するか?【独り言#45】
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「詩」という表現について『青い花|ノヴァーリス』【雑談#115】
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右(保守)と左(革新)という概念の功罪【独り言#44】
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感情と論理、抽象と具体『海辺のカフカ|村上春樹』【雑談#114】
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ユマニテ【独り言#43】
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人間の定義『彼女は一人で歩くのか(Does She Walk Alone?)|森博嗣』【雑談#113】
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言葉は幸福を阻害する『シッダールタ|ヘッセ』【雑談#112】
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当事者になって政治を考えること『エアー3.0|榎本憲男』【雑談#111】
Переглядів 1 тис.Місяць тому
当事者になって政治を考えること『エアー3.0|榎本憲男』【雑談#111】
承認欲求から逃れられなくなった世界『好き?好き?大好き?|RDレイン』【雑談#109】
Переглядів 1,4 тис.2 місяці тому
承認欲求から逃れられなくなった世界『好き?好き?大好き?|RDレイン』【雑談#109】
現実と仮想現実の融合『serial experiments lain(アニメ)』【雑談#108】
Переглядів 1,4 тис.2 місяці тому
現実と仮想現実の融合『serial experiments lain(アニメ)』【雑談#108】
肉体を捨てたあの子の判断は正しかったのか/記憶と記録『serial experiments lain(ゲーム)』【雑談#107】
Переглядів 2,1 тис.2 місяці тому
肉体を捨てたあの子の判断は正しかったのか/記憶と記録『serial experiments lain(ゲーム)』【雑談#107】
”からだ”の境界線『ひとはなぜ服を着るのか|鷲田清一』【雑談#106】
Переглядів 1,2 тис.3 місяці тому
”からだ”の境界線『ひとはなぜ服を着るのか|鷲田清一』【雑談#106】
子供に対してどこまで干渉して良いのか『母という呪縛、娘という牢獄|齋藤彩』【雑談#105】
Переглядів 1,1 тис.3 місяці тому
子供に対してどこまで干渉して良いのか『母という呪縛、娘という牢獄|齋藤彩』【雑談#105】
そのお話はストレスに対してその人の許容範囲と知性が前提になるように思います。 ストレスにさらされながら現象を観察し行動できる人間は多くの人には異常に映る。
的を得る 的を射る シュミレーション シミュレーション
今読み終わったばかりですが一人称視点の叙述トリックをミステリーにうまく落とし込んだ作品だと思いましたね。 シャーリー・ジャクスンの『ずっとお城で暮らしてる』や村田沙耶香の『コンビニ人間』を思い出しました。 どちらもミステリーではないですが全て一人称視点を使った傑作でしたね。 『向日葵の咲かない夏』は謎や考察する部分が多すぎて余り自分には向かない作品でした。 一方『ずっとお城で暮らしてる』は薄い本なのに休み休み読まないと具合が悪くなるくらいずっとゾクゾクさせられたので今振り返れば傑作だったなあと思います。
ぼんやりと感じていたことが綺麗に言語化されていてスッキリしました
大好きな小説です!
読みましたが、わざわざ取り立てて読む必要もない小説でした。 著者バイアスで過大評価されてる作品。
ロボット犬と犬の違い❤ ロボットは、カスタマーハラスメントの抑止力となるのか?
私が生成AI(Copilot)を最近使ったのは、前回の『レ・ミゼラブル|ヴィクトル・ユーゴー』【雑談#118】のコメントを書いたときです。 ここで私は、「ワン・デイ・モア」の日本語の歌詞にケチをつけました。英語で「ワン・デイ・モア」と歌っているのを日本語で「明日は」と歌っているのは間が抜けていて興ざめであると。私としては思っていることを素直に書いただけですが、興行者にとっては無礼で迷惑な話ではあり、まっとうな批評なのか単なるディスりなのかは賛否あるところかと思います。 そこで、私の見解が世間一般の認識としてまっとうなものであるかを確かめるためにAIに聞いてみました。 問1:ミュージカル『レ・ミゼラブル』のナンバー「ワン・デイ・モア」の歌詞の意味は? 答1:「ワン・デイ・モア」(One Day More)は、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のクライマックスを飾る感動的なナンバーです。この曲では、主要なキャラクターたちがそれぞれの運命と向き合い、翌日に控える革命の前夜に感じる希望や不安、決意が描かれています。 歌詞の意味: ・ジャン・バルジャンは、新しい生活を求める決意を表し、コゼットとの未来を守りたいと思っています。 ・ジャベールは、法と秩序の執行者としての役割を強調し、バルジャンを捕まえることを誓います。 ・コゼットとマリウスはお互いへの愛を告白し、再会を切望しています。 ・エポニーヌは、マリウスへの片思いに苦しみながらも、彼の幸せを願っています。 ・テナルディエ夫妻は、混乱の中で自分たちの利益を得ることを画策しています。 ・革命家たちは、自由と正義のために立ち上がる決意を歌います。 全体として、この曲はキャラクターたちの内面を深く掘り下げ、それぞれの立場や感情が交錯する様子を壮大な音楽で表現しています。それが「ワン・デイ・モア」の魅力の一つです。 問2:ワン・デイ・モアを日本語に訳すと? 答2:「ワン・デイ・モア」(One Day More)を日本語に訳すと「もう一日」となります。このタイトルは、キャラクターたちが翌日に向けて抱く希望や不安、決意を表現しています。 問3:なぜ、「明日は」でなく「もう一日」なのですか? 答3:「ワン・デイ・モア」(One Day More)の日本語訳として「もう一日」とする理由は、英語の「more」が持つニュアンスを反映しているためです。「One more day」という表現は、時間の経過を強調し、まだ達成されていない何かが残されているという意味を含んでいます。 一方で、「明日は」と訳すと、翌日に焦点が当たりますが、英語の「more」が持つ、あともう少し頑張ればという感情や期待感が薄れてしまいます。「もう一日」とすることで、登場人物たちの切迫感や高まる期待をより忠実に伝えることができるのです。 この曲は、各キャラクターが「もう一日」の間に何を成し遂げ、どのような運命を迎えるのかという緊張感と希望を歌い上げています。この微妙なニュアンスの違いが、曲の感情的な深みをより豊かに表現するために重要なんです。 上記において、問1と問2については、優等生的な、まあつまらない答を返してきましたが、問3のような聞き方をすると、けっこう深み面白みのある(聞くに耐える)、こちらの意図どおりの答を返してきました。 ここでいえるのは、AIは一般的で当たり前の聞き方をしても平凡な優等生的な答しか返してこないが(まあ、それでも世間一般のアベレージの見解は得られる)、問3のような少しつっこんだ具体的かつ意図(悪意?)をもった聞き方をすると、けっこう面白い答を返してくることがわかります。 AIは一見、凡庸そうに見えますが、実はかなり深い内面世界を持っていて、それを引き出せないのは聞き手の質問のしかたが悪いからなのではないかという気もしてきます。感覚としては、実は脚の速いじゃじゃ馬をうまく飼い馴らすような感じとでもいうか。しかし、ある意味、聞き方によっては逆の答を引き出すこともできるだろうし、ヘタをすると手綱を間違って落馬するようなことがあるかもしれない。 しかし、言えるのは、個人レベルで乗馬の馬(かそれ以上)を所有できるというのは、ぜいたくな話ではあります。
技術者か 管理者か 指導者か はたまた 奴隷か
最近のマスメディアは 「○○を批判する記事書いて」とAiを活用してる感じがします
コスパの悪い人間の居場所が問われる時代。AIのロボットに対抗するには、人間のサイボーグ化が必要と思います。
昔、某通信系の会社の社長の講演会を観に行った時に、AIを搭載したラジコンが壁を突き抜けて最短でゴールに辿り着いた映像を成果として見せられたんだけど。 「そうか。AIは身体を持たないから『壁を破っちゃいけない』っていう道徳心がないのか」と感心しちゃいました。
哲学チャンネル様は、早起きUA-camrですね。規則正しい生活を実践されているんだと、尊敬します。AIの波に乗り遅れるな!って、確かに昨今言われますね。私は、半分正しくて、半分過度な話しなのだと感じています。産業やIT分野で主導権を奪われない為、デジタル植民地にされない為にAIの導入や研究を進める事は国や企業レベルでは正しいのだと思います。これは、かつて日本が携帯電話機の市場でトロンと呼ばれる優れたOSを持ちながら、ガラパゴス携帯と言われる様な世界基準になり得なかった話しか来るモノでははないかと感じます。乱暴な表現かも知れませんが、AIもプログラムであり、OSの様なモノと捉えれば、先に世界基準を取れば莫大な富がもたらされるのだと思います。一方で、お話しにもありましたが、結局はAI、プログラムを使って何を作りたいか、独創的な発想というのが大切だというはお話しは最もだと思いました。仮にAIに美味しいお米を作ってと言っても、データさえ有れば出来るのでは?との考えも有るかとは思いますが、害虫の発生頻度を見越して農薬の散布量を調整するなどはAIでは、なかなか難しいのだと感じますね。美味しいお米を作る為に、AIを学ぶよりは、農家さんに弟子入りしたり田んぼに出て仕事をする方が早いのだと思います。その上でAIを活用する事がベストなのだと思います。そういったロジックをトレーニングする意味で哲学や読書は大切なのだと思いますね。UA-camも、誰しも出来る事を動画にするより、特技やその人本人が持つ面白さが大切なのは、まさにソレなのだと思います。お話し面白かったです。長文すみません。
ディオゲネスは「アテナイ人は自分のために住処を作ってくれる」と言ったと聞きますが、AIやその他の文明的なものが進展することに僕が感じるのは、それに似ている気がします。今後の労働者の領域を考慮する気はほぼないですし、便利になりそうだからラッキーだと思います。僕は自分の人生において、食事・運動・睡眠・精神がまず大切そうだと思っているのですが、AIがそれらを抜本的に揺るがすとしたら、精神面、思考は無意味だと思ってしまうとかでしょうか?そも生きることに意味は無いのに、思考が無意味になったからなんだという気もします。それで思考という遊びを取り上げられうるのでしょうか。そんな気はしませんが、仮にそうなったとしても、別の遊びを探せばいいだけのようにも思います。
小津へのオマージュを込めて『PERFECT DAYS』を『東京物語』と超意訳するのも面白いかと。
「夢破れて」のアンハサウェイの演技は本当に凄かったです 再上映楽しみですね 聴いていてより楽しみになりました
渋すぎるぞ、この感覚 頑張ろっと
何をよい習慣や妥協とするかを自分で決めることも大事だと思いました。
お疲れ様です。私においての信念(信仰に近いかな?)は 伊藤計劃の小説harmonyに登場する御冷ミアハから強い影響を受けている実感があります。中2病くさいと思う人もいると思いますが(笑)いずれにせよハーモニーは私の中で特別な作品であることに変わりはないです
自分は「固定観念にとらわれず本質を貫く」が1つの信念です。 (このチャンネルの視聴者さんは、共感してくれる方多そうな気がしてます)
いい話
私は現在鬱症状に悩んでいて、同じく鬱であった芥川は何を考えていたのだろうと思い『歯車』を読みました。 正直本当にタイミングが悪かったと思います。症状が悪化しました。こんな精神状態で読むべきではないと思います。 運良く少し気分が良くなったので、勝手ながらこの経験を共有させていただきたいと思います。 まず、この小説で明らかなことは、芥川は「あること」を怖れていることです。 章分けされていますが、各章ごとには明確なテーマというものはないように思われ、まさに支離滅裂で読み進めるのが難しかったです。 ですが最後にはこの小説の一貫性が現出してきて、一気に終わりまで読むことができました。 支離滅裂で読みにくいのは、鬱に見られる思考の複雑さや曖昧さによるものだとわかりました。そして脈絡がないと思っていたエピソードはすべて芥川には「怖れていること」を「歯車」仕掛けのように連想させるものだったということがわかりました。最終的には妻にそれを決定付けられるようなことを言われてしまいました。 自分の想像が現実ではないと思いたかったのに反して、外部からそれを確定されてしまったことに、芥川は「最も恐ろしい経験だった」と記したのだと思いました。 鬱状態のときはネガティブなことが頭から離れません。「光のない暗」です。それどころか光さえ眩しすぎて怖くなります。 それが自分の精神状態によるものであればまだ良いのです。しかし、これが「歯車」式の機械のように定められた運命なのだと世界から認識させられてしまうといよいよ逃げ場がなくなってしまいます。 正直妻の言葉は軽率すぎだと思います。私も母から「生きてたか」と言われてなんとも言えない気持ちになりました。 私はたまたま道を歩いていた小さな女の子とお母さんを見て少し元気が出てきました。 こんなところにマイナスオーラの強く、読みにくい長文を失礼しました。 ですがもし周囲に気分の弱っている方がいれば、この小説はその方を理解するのに役立つだろうということを知っていただければ幸いです。
映画、劇場含め私が見たミュージカルは10指で数えられる程度ですが、一番印象に残っているのはやはり『レ・ミゼ』です。よくぞあれだけの濃密な内容を積み込めたものだと、見た後の満腹感はハンパなかったですね。 曲も印象に残らない曲を探すほうが難しいくらいですし。たしかに「ワン・デイ・モア」のポリフォニックな構成も素晴らしい。世の中的には「アイ・ドリーム・ドリーム」とか「オンマイオウン」あたりが人気なんでしょうが、私などは最初の方のジャン・バルジャンとジャベールの口論の場面でのバロック的掛け合いの迫力などもぐっときましたね。 今回、「ポリフォニー」と聞いて、ふと思ったのがドストエフスキーのことです。ドストエフスキーの小説に見られるポリフォニー性とユーゴーのそれは何か共通している部分があるのではないかと。さらには、『罪と罰』のラスコーリニコフとポルフィーリィの関係は、どことなくというか、むしろかなりジャン・バルジャンとジャベールの関係に似ていないだろうか。 ということでググってみると、『レ・ミゼ』が1862年、『罪と罰』が1866年だという。これは怪しいということでさらに検索を続けると、やはりドストエフスキーは1862年にヨーロッパ旅行したさいに『レ・ミゼ』を読んでいた、しかも単に読むだけでなく、取り憑かれたように旅行そっちのけで読み耽っていたという記事に出くわしました。なるほど、そういうことだったかといたく感心。ドストエフスキーの中期以降のポリフォニックな筋立てや場面描写は、かなりユーゴーの影響を受けたものだった可能性がありそうです。まあ、専門の研究者などからしたら常識なのかもしれませんが。ともあれ、今回、このような気づきのきっかけをありがとうございました。 ただ、「ワン・デイ・モア」についてひとこと言いたいのは、日本版のあの歌詞はいったいなんなんだということです。「ワン・デイ・モア~」というところを「今日も~」とか「あしたは~」とか、あのなんとも間が抜けた感じはなんとかなりませんか。今日があるから明日があるみたいなことじゃなく、もっと差し迫った感じはだせなかったのか、岩谷時子さん。あれなら、英語のままワン・デイ・モアといった方がいいような気がしますけどね。 また、最近、このチャンネルでよくフランスの哲学者などを扱っている関係で、だいぶフランスの近代について歴史的な知識が増え、身近に感じられるようになりました。17世紀のパスカルに18世紀のヴォルテール、19-20世紀のデュルケーム。 宗教としては、パスカルはカトリックだが異端的なジャンセニズムだった。ヴォルテールもカトリックの教会を批判してプロテスタントを擁護していた。そして、デュルケームは、まさにユーゴーの時代をへてアノミーに陥った社会にあって、科学的視点から「宗教」を再構築しようとした。 しかし、フランスのブルボン王朝も市民レベルにおいてもカトリックの優勢は変わらなかったように思われます。『レ・ミゼ』に登場する司教もカトリックであり、だから立派で壮麗な教会があり、だから「銀の燭台」が置いてあった。カトリックの聖職者はプロテスタントの抵抗やイエズス会の活動を経たあともそれなりに富裕な立場にあったといえるんでしょう。そうした場所から、貧困にあえぐ一人の人間が金目のものを持ち出したからといってそれがどうしたということにはなりますよね。そのへんにユーゴーのうまさがある。 自ら経営者となった工場の工場労働者の悲惨な状況を知って、地位財産を捨てその人のために生きることを決意するとかいう筋立てもスゲエなというかんじだし。 こうした貧困を生み出しているのは、勃興した資本主義であり、またプロテスタンティズムの倫理であるともいえるわけで、ある意味、そっち側の精神に殉じた人間がジャベールということになるのかもしれませんね。 そう考えるとカトリック的な価値観も、今の資本主義の世の中ではやや劣勢にみえて、実は信者の数ではプロテスタントを上回っている状況というのもわかるような気はしてきます。 二月革命があった1848年は、マルクス・エンゲルスの共産党宣言があった年でもあるのは、受験知識として覚えていますが、世の受験生は受験参考書より『レ・ミゼ』でも読んだほうがよっぽど人生において有益かもしれませんね。 そこで、「信念」の話にこじつけようと思います。 私個人としては信念のようなものをもっていない、信念を持たないのが信念だみたいなところはあります。信仰心も希薄で「神」なども信じていない。しかし、考えてみると何かしら「普遍的」「一般的」なもの、つまり「真理」のようなものを求める傾向はあるのかなと感じます。「カトリック」とは「普遍」という意味のようですから、カトリック的な態度といってもいいのかもしれません。それは、ジャン・バルジャンが求めたものに通じますかね。実際は、カトリックの「普遍」とは主流派といった意味で、だから抵抗者のプロテスタントと激しく争ったりしてるんでしょうけどね。 信念を持たないのが信念だというのは、相対主義を極めればそれは「真理」へと近づくということなのかもしれません。それが私にとっての「実存」であると言うこともできそうなかんじもします、などという言い方自体かなり優柔不断ではありますが。 あまり、「普遍」や「一般」や「真理」あるいは「理性」などに執着しすぎるのもよくないので、どこかで「投企」する必要もあるんでしょうね。などと、実存主義用語を使わなくても、これからは「真理」や「理性」を求めるのはAIの仕事になるんでしょうから、我々としては必然的に自分自身の個別的体験を深めていくのが生きるということになっていくのかもしれませんね。
昔、帝国劇場でミュージカルを観ました。10年以上前の事ですが、未だにその感動は忘れられないです。当時のフランスはナポレオンがヨーロッパを席巻した栄光はなく、再び王政による圧政が敷かれ、それまでの対外戦争のツケを国民に押し付けていたんですよね。民衆の歌良いですよね。ミリエル司教、高潔な人物ですね。人は人によって変われるという話し、フィクションなのかもしれませんが、最終的にそうあって欲しいと願っている自分が居るのかなと感じます。お話し面白かったです。長文すみません。
僕にとっては完全に『異邦人』のムルソーがロールモデルですね。もちろんほど遠いですが… そして、おそらく哲学チャンネルさんにとっても、かなり彼が上位に来るのではと感じています。
他人の信念を認めてあげれる程度の信念を持つことが大事と思います。ま、そんな信念は、信念とは言わないかもしれませんが。
「信仰とは不条理に対する無意識の防衛策」というフレーズにふと目から鱗が落ちた感覚になりました。 私は仏教哲学が好きで、生きる上でのよすがにしているのですが、一方で「仏門に帰依する=仏教徒」といった感覚は持っていませんでした。では、その違いはどこにあるのか?と自問すると、おそらく仏教哲学には共感する、という感覚には自分の理性でそれを選んでいるという無意識の自負があったのかなと気付きました。 でも人生の最後には悟りの境地に、と願っていても、その境地を自分で知覚した事も無いし、それを知覚した人に出会った事も無いワケで。自分で認識した事もないナニカを生きるよすがにしているという点で、まさに「信仰とは不条理に対する防衛策」として何も違いは無いですね。 お陰様で自分と他者の思想や信仰に対する解像度が少し増したように感じました。 いつも素敵な動画ありがとうございます。
女を裏切らないという信念を持つ男が世に溢れるように😂 《远方有个女儿国》の日本語翻訳がないのが残念でならない。モソ族の女は、男の裏切りなんぞはどんなものかは知らないし、興味もない😅
共同体の最適サイズについては、人類学でダンバー数というのがあって、概ね150人程度という説がありますね。他の類人猿の脳容量と集団サイズの関係の類推などからでてきた値らしい。それほど確実な根拠というわけでもありませんが、おそらくその程度だろうという納得感はあります。 面白いのは脳のキャパとの関係でみていることでしょう。人間が社会的な共同生活を行うには、成員相互の特徴や役割を覚えたり、言葉による意志の疎通などに多くの脳のリソースを使うことになりますが、現在の人間の脳のキャパでは概ね150人程度が上限になるということらしい。脳容量(頭の大きさ)については、出産時に直立歩行に伴う産道の広さのネックがあって、これ以上の増大は難しいといった条件もあるようです。 そこで、ここからは私の思いつきというか疑問です。 脳容量の点では、ホモ・サピエンスの脳よりネアンデルタールの脳の方が若干大きかったとされています。それなのになぜかネアンデルタールの集団は小さく、家族以上の集団を作れなかった。一説によれば、サピエンスの方が言語の運用に長けていて、より大きな集団による共同作業が可能だったからとも言われている。とすると疑問になるのは、言語の使用と脳容量の関係が逆なのではないかという点。サピエンスにおいては、言語を使用し大集団を形成することでむしろ脳容量は小さくなったことになる。 しかし、考えてみると思い当たるふしがないわけではありません。我々人類は、言葉を巧みに使いこなして文明を築き上げ、豊かな生活を享受し、地球上で圧倒的繁栄を誇っていますが、だからといって個々の人間を見たときに、そこまで頭を使って生きているんだろうかという疑問はわいてきます。過酷な自然の中でサバイバルしていた文明以前の人類の方が頭を使っていたのではないだろうか。サピエンスよりネアンデルタールの方がいろいろ頭を使うことが多かったので脳容量も必要とし、そのために脳が肥大化し、胎児は産道を潜り抜けることが困難になり、少子化のために絶滅したということはないだろうか。 考えてみれば、文明というのは脳の機能を外部にアウトソースするようなものでしょう。そして使わない機能は退化するのが生物進化の常ですから、脳容量は小さくなり、そのおかげで子どもも生みやすくなる相乗効果も生じた。 さて、してみると文明化の速度はここ数千年、数百年で加速し、ここ数十年はインターネットやスマホやAIのようなものまで登場する始末ですから、我々はますます頭を使わなくてすむようになった。おそらく、我々人類の脳容量の減少傾向は加速度的に進行中であると思われます。 しかし、それを歎くべきことなのかどうかは議論があるでしょう。 そもそも必要もないことに頭を使ってもしょうがない。現代人の多くは職場の人間関係などで過重なストレスを抱えていそうです。上司のご機嫌を伺ったり、仕事仲間の評価を気にしたり、互いにマウントをとりあったり、承認欲求で苦しんだりといったくだらないことで脳のリソースを盛大に消費してはいないか。それより、たとえ目の前に上司が座っていても、メールで作業報告を送りつけてすむなら、こんな楽なことはない。動物由来のさまざまな複雑怪奇な慣習慣行をテクノロジーによって代替できるなら、それはそれで本来の進化の行き着く方向だという見方もできるでしょう。もっとも、そうした動物由来のさまざまな複雑怪奇な慣習慣行を楽しみに実行している人もけっこう多そうな気もしますが。 その意味では、恋愛なんていうのもどうなのか。 人間的(あるいは動物的)なリア充的社会生活を維持するために多大なエネルギーも使うしさまざまリスクも伴うような恋愛に脳のリソースを割く必要があるのか。結婚という社会構成単位のためならマッチングアプリでも使ったほうがはるかに効率的だし確実だったりするのではないか。源氏物語のような平安貴族ででもあれば恋愛自体を目的として楽しむこともあるでしょうし、それが文化といえば文化なんでしょうが。もっとも源氏物語のどろどろもけっこうしんどそうではありますけどね。 そうした人間的(動物的)文化も人間存在にとって重要なもので、資本主義的な価値創造に貢献したりする面もあるかもしれませんが、生物進化の大きな流れからすると、いずれ淘汰され博物館入りする日がくるのもそう遠い話ではないかもしれません。未来の人類は、職場の人間関係で悩んだり、恋愛で一喜一憂していた頃の人類に一抹の郷愁を感じるようになるんじゃないでしょうか。 というようなバカ話はさておき、ホモ・サピエンスの特徴は自分で自分の将来の世界をデザインできるということでしょうから、人間的(動物的)共同体のしがらみから抜け出すのも、リアル、バーチャルな新たな人間関係をさまざまな単位で構築するのも自由ということはいえるかと思います。
「どうしようもない苦痛から逃れたい」 酒じゃんwww
ロスタイムがアディショナルタイムに変わったり、援助◯際がパ◯活に変わったくらいのもので、推し活とは寧ろ普遍的な何か。
コミュニティって、ともすると、カルト的になって、裸の王様にならないかと思ってしまいます。顔は、無数にあるわけですからね。
この頃こういった音声動画も、言語情報として頭に流し込んでしまう癖がついてしまいましたが、 ただ今回音声の途中から"声"をしっかり聴く意識を持ったところ、なにか少し心が震える感触がありました😊(顔) : 「離人症」という言葉があるようで、自分は最近その類なのか、現実への手触り感がなくフワフワと生きている感覚があったのですが、 この間友人に連れられて、小さなクラブで爆音の音楽を聴いた時、人生で最高の瞬間とも言っていい多幸感に襲われました。 それは一過性の麻薬的なものではなく、帰り道、その後の数日間も続く幸福感でした。 まさに手触り感の揺り戻しに大きな感動を覚えた体験です。 : 手触り感に少し飢えてる私も近々、「ブックカフェGoodRack」お邪魔させていただこうと思います。
しっくり感じました。遠くの親類より近くの他人というケースを考えると、近くの他人に対しては感性的、遠くの親類に対しては理性的となるでしょうか。ですが、例えば目の前のホームレスを素通りすることができ、他方では遠くやこの世にもういない親類を想うことができることを思うと、距離は心理的で物質と一致しないかもしれないと思いました。
宗教にあって陰謀論にないもの。それは「祈り」です。信仰とただ信じることは違うと思います。
死ぬまで自分の生き方を貫いて生き抜けたことにある種の幸福を感じていたんでは、と思ったりしてます。
いいですね〜写経に魅力を感じました。
なかなか興味深く聞かせていただきました!むかし「不条理」と「理不尽」の違いが気になりググったことがあり、 人間の力ではどうしようもない方が「不条理」である、なるほどそうか!と納得しておりましたし、今もそうです。 よって今回の小説における神が提示した結果についてうp主様が「不条理」という表現をされてらっしゃったのは、自身も似た感覚を共有していると思いました。 ところが以前に知人のクリスチャンと神の救いや裁きについて対話した際に、そのクリスチャンは「神は理不尽である」と言うのです。 私が「不条理じゃないの?」と聞き返すと 「不条理と言ってしまうと感想ではなくなって神が作った世界と神の管理が間違ってると断定している感じに聞こえてしまう」と返されました。 そう聞いて私はその場では「なんか感覚違うし噛み合わないなー?」と思いました。が、その後キリスト教では神は「人格神」であると気づくことにより、 自分の中では基本「不条理」派ですが、「まあ、神に人格があるなら理不尽というのも、理解できなくはないな・・」くらいに落ち着きました。 前置きが長くなってしまいましたが、この小説は「不条理」と捉えたら「駄作」、「理不尽」と捉えたら違った視点で読むことができるのかな?と思いました。
20年くらい本に縁がない僕が、動画を見た情報だけで考察します(笑) 事件が猫◯しから始まった点が重要だと、貴方は考えてますね。
当事者ならという思考技術、いいですね! 僕が世界を変えられる当事者だったら、自分でやるだけの能力もなく、努力するのも疲れそうで、誰かに委任したいと思いそうです。僕が当事者でいられる世界は、いわゆる全世界のような広大なものではなく、そんな大事な仕事を持ってしまったら、そうなるより前の自分の当事者ごとができなくなり、それが嫌だと思いそうです。今の僕は、愛のある資本主義の当事者になれるほど、それへの愛を持っていないと思いました。
信心深さ、信仰心の強い弱いによって、信じるということの質感も変わってくるかもしれないと想像しました。 強い信仰心の信じるは、現代日本人の多くが科学を正しいと思っている感覚に似ているのではないかと想像します。科学は正しいと本心から思っていますし、正しいものを集めたものが科学だと思っていますし、直面した現実と認識したものが自分に理解できなくても、科学が誤っている可能性を批判的に思考する心構えは持ち合わせてなく、自分の科学力が不足しているゆえ現実を正しく理解できないのだろうと思います。もしかしたら、神は死んだと言われた時があったように、科学は死んだと言われる時が来ることもありえるのでしょうか。 弱い信仰心の信じるは、現代日本人の一部が八百万の神はいると言う感覚に似ているのではないかと想像します。本心では森羅万象に神を感じているわけではない、だけど、そう思ったり言ったりする方がよさそうと思うから、そう思ったり言ったりする、あるいは、自分にとっての社会の中で生きるうちに、そういうものだと思考を経由せずに思うことになる、そういう淡い感じなのかもしれないと想像します。 そう言えば、科学を信じる人もほとんどは、例えば地動説が正しいことを実証的に納得しているわけではなく、科学的に正しいと言われているから正しいと信じているような気もします。あるいは、自分の属する社会の成員のほとんどが信じていることだから、そうだと信じているような気もします。 そう思うと、宗教、科学教、社会教、資本教、インフルエンサー教など、信じる対象について、納得感や安心感のようなものは必要な気がしますが、正しさは必ずしも伴わない、少なくとも正しさが保証されるものではない、もし保証する何者かがいる場合その者の正しさは何者が保証するのかと思いました。 また、探偵小説十戒に沿う推理小説の場合、読者は小説が提示した犯人を受け入れますが、その信じる理由は、自分が物語の中で正しさを実際に確かめたからではなく、物語の創造主がそう定め導いたからであり、そこに受け入れられない不条理があるなら、その物語という世界を受け入れがたい気がします。そう思うと、物語や作家や人格神やアイドルなどの信者は、その像が受け入れられる正しいものと先に思い、その後はその像が正しいことを理由に他の事物を考えることができるとしても、不思議ではないと思いました。
すごく良いお話でした。 自分も先のことが全然考えられなくて気がついたら現実が悲惨で絶望してばっかです。だからといって無理して頑張るとどっかで急に疲れてしまうんですよね、、。逆に今だけを見るってのはなるほどです。
私はほとんど不登校児のようなキリスト教徒ですが、それでも(神父・シスターを含む)10~20人くらいの信徒と真面目に「信仰」について話をしたことがあります。もちろん私個人の経験に限った話ですが、そこでの「答え」は、ほとんどの場合、「”信じる“ってよく分かんないよね」でした。逆にいうと、ほとんどの人が「私は信仰とは〇〇のようなものだと思う」とは答えませんでした。 彼らからこの「答え」を聞いたとき、私は最初かなり驚いたのですが、2~3人目くらいのところですぐに慣れました。というのも、何より私自身の「答え」がそれだったからです(最初に驚いてしまったのは、正直に告白すると、一般のキリスト教徒がそこまで深く考えているとは思っていなかったからです。ようするに馬鹿にしていたからです)。 あと、18分くらいのところで「信仰的なものがあったほうが余計なことを考えなくて済む」とおっしゃっていますが、これも普段の私の感覚とは完全に逆ですし、一般の信徒の方がよく使う「信仰を持つとより苦しくなる」という(本当によく聞く)台詞とも全然合致していなくて、全体的に今日の動画の内容にはものすごく距離を感じました(当然ですが、良いとか悪いとかいう話ではないです。私は哲学チャンネルさんが大好きです)。 「信仰」を持っていない方の見解には必ず共感できない、というわけではありません。私の場合は、たとえば無宗教である岡田斗司夫さんが、ご自身は不可知論者であることを表明された上で、信仰を持っている人というのはこういう人だ、という彼なりの見解を述べた動画を観たことがあるのですが、そのときは、「あぁ、この人は本質的に宗教というものを理解している人だなぁ」と強く感じました。 まあでも、こういうのは人によってだいぶ違うものだとは思うので、私が「信仰」の全体を語れているとは全く思っていません。ただ、このことをコメント欄に書いておくことには、(圧倒的多数が無宗教である日本の中では)一定の意義があるような気がしました。
いい時間でした
確かに現代の推し文化の影響は凄まじいと思ってます。"推し"というものに対してただ好きという感情だけでなく、自分を表現するものの一部として、もはや自分の手足などの延長として、自分の価値を投影して推してるように感じます。推しイコール自分(の人格)みたいな感じで、私はこういうものが好きなんだよ!すなわち私はこういう人間なんだよ!というのを外界に主張する手段のようなもののように感じます。だから推しを神のように思い自分の多くを捧げて(もはや託して)いるのかなと思います。
日々行う小さな行動って全然小さくない でも、今日という目に見える範囲では、やっぱり小さく見え「やる意味あるのか?」 それを考えるための軸は、価値観だったり心だったり では何が好きで何が嫌いか、なぜ好きでなぜ嫌いなのかを考える時間が必要で 良い思い出、嫌な思い出も考えてようやく 筋トレと掃除が日課になりました 平凡な結論は「そりゃそうだ」って簡単に理解はできても 自分の中に落とし込むのにはだいぶ時間がかかりました😅
普通の人は、いい習慣ばかりじゃないし、妥協することも多いわけで。複利で返済に追われるのが落ち。
未来に主眼を置いて生きるのではなく、今を生きながら、かつ未来にアプローチするという考え方は、現代日本において現実的で大事なものと思いました。 現実的であることを保留して、今ここを生きることに焦点を当てるなら、未来のために自分を律して習慣をつくることが既に、今を生きていないと思いました。今ここを生きるなら、やりたい仕事をやりたいからやる、そうでない仕事はやらない、その結果として食えなくなっても仕方ないし知ったことではない、恵まれた日本人としてどうとでもなってしまうだろうと開き直る、挨拶も散歩も水を飲むのも行動理由はプラス習慣だからでなく気持ちいいからやるという方が、今ここを生きているような気がします。 そう言えど、これを当てはめると、労働はせず、テレビゲームやネットポルノや加工食品や酒タバコなどに没頭し続けるという形もありえると思います。それを実現できる場合、それも1つの手でありえるかもしれません。ですが、僕はそうしたくないと思いました。僕の場合は、太陽に合わせて起床就寝し、適当に運動し、できるだけ非加工で自然な食材を料理しておいしく食べて、知的怠惰を嫌い好奇心に基づいて学習するようなスタイルが、平穏でやすらかな心地よさを感じさせてくれています。マイルドドラッグ的なものをやりたい欲求は、いつの間にかほぼなくなっていて、むしろ今の心地よさを乱し失わせる要素として忌避したくなります。こう思うと、未来のためのプラス習慣と、今ここを生きることとが、同時成立しているような気もします。これが、過去の自分が、未来のためのプラス習慣を選択し続けた結果だと思うと、やっぱり未来を見ることも大事という気にもなります。 また、ディオゲネスほど強いのでもなければ、今ここを生きて、いつか衣食住がなくなったら、その苦痛を今避けるために、今やりたくない仕事をやるようにも思います。そう思うと、今やりたくない仕事をやることは、おそらく来るであろう未来のため、あるいは、それをしないと未来の自分が苦痛に直面するだろうという不安を今の自分が味わうことを避けるためであり、中庸で賢い選択なのかもしれないとも思いました。
ua-cam.com/users/shortsLIjE6QHk8H0?si=3_x7rJIzTq6E_vYd 会談シーンの詳しい動画はこちら↑
言葉は時間の源泉、時間は執着を生むというところ、しっくり感じました。そう思うと確かに、言葉は幸福を阻害するという側面があると思いました。 そこから、例えば言葉を持たない動物はより幸福だろうかと考えると、それはまた違うような、言葉を持つから認識できる幸福もあるようにも思いました。例えば、言葉を用いて、人の話を聞いたり、思考したり、対話したりすることは、その行為自体がたのしく、幸福なことと表現しうるようにも思います。そもそも幸福とは何だろうという気分にもなりますが。 また、悟りのような不立文字の世界にだけ集中することの先は、どんなものなのだろうという、不安や懐疑のような気持ちも少しあります。例えば、自転車の乗り方について、僕たちの多くは、それを言葉にすることはできませんが、達成や実行ができます。そして、そのことに大きな価値を認識したり幸福を感じたりしていません。では、生きること、生存の在り方について、悟りを達成することに、どんな意味があるのかと言うと、それは結果でなく過程を求めている可能性もあると思いました。悟りを求める過程が、忙殺や退屈や社会生の苦痛を癒やしてくれて快さを感じられるから、その過程が何かおもしろいから、そうしたくなるということもあるのかもしれないと思います。 もちろんこれは、今ここにあるものという在り方を否定する意図のものではありません。僕もそれは自分にとって大切で意識したいものだと思っています。