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昔、某通信系の会社の社長の講演会を観に行った時に、AIを搭載したラジコンが壁を突き抜けて最短でゴールに辿り着いた映像を成果として見せられたんだけど。「そうか。AIは身体を持たないから『壁を破っちゃいけない』っていう道徳心がないのか」と感心しちゃいました。
ロボット犬と犬の違い❤ロボットは、カスタマーハラスメントの抑止力となるのか?
コスパの悪い人間の居場所が問われる時代。AIのロボットに対抗するには、人間のサイボーグ化が必要と思います。
最近のマスメディアは 「○○を批判する記事書いて」とAiを活用してる感じがします
私が生成AI(Copilot)を最近使ったのは、前回の『レ・ミゼラブル|ヴィクトル・ユーゴー』【雑談#118】のコメントを書いたときです。ここで私は、「ワン・デイ・モア」の日本語の歌詞にケチをつけました。英語で「ワン・デイ・モア」と歌っているのを日本語で「明日は」と歌っているのは間が抜けていて興ざめであると。私としては思っていることを素直に書いただけですが、興行者にとっては無礼で迷惑な話ではあり、まっとうな批評なのか単なるディスりなのかは賛否あるところかと思います。そこで、私の見解が世間一般の認識としてまっとうなものであるかを確かめるためにAIに聞いてみました。問1:ミュージカル『レ・ミゼラブル』のナンバー「ワン・デイ・モア」の歌詞の意味は?答1:「ワン・デイ・モア」(One Day More)は、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のクライマックスを飾る感動的なナンバーです。この曲では、主要なキャラクターたちがそれぞれの運命と向き合い、翌日に控える革命の前夜に感じる希望や不安、決意が描かれています。歌詞の意味:・ジャン・バルジャンは、新しい生活を求める決意を表し、コゼットとの未来を守りたいと思っています。・ジャベールは、法と秩序の執行者としての役割を強調し、バルジャンを捕まえることを誓います。・コゼットとマリウスはお互いへの愛を告白し、再会を切望しています。・エポニーヌは、マリウスへの片思いに苦しみながらも、彼の幸せを願っています。・テナルディエ夫妻は、混乱の中で自分たちの利益を得ることを画策しています。・革命家たちは、自由と正義のために立ち上がる決意を歌います。全体として、この曲はキャラクターたちの内面を深く掘り下げ、それぞれの立場や感情が交錯する様子を壮大な音楽で表現しています。それが「ワン・デイ・モア」の魅力の一つです。問2:ワン・デイ・モアを日本語に訳すと?答2:「ワン・デイ・モア」(One Day More)を日本語に訳すと「もう一日」となります。このタイトルは、キャラクターたちが翌日に向けて抱く希望や不安、決意を表現しています。問3:なぜ、「明日は」でなく「もう一日」なのですか?答3:「ワン・デイ・モア」(One Day More)の日本語訳として「もう一日」とする理由は、英語の「more」が持つニュアンスを反映しているためです。「One more day」という表現は、時間の経過を強調し、まだ達成されていない何かが残されているという意味を含んでいます。一方で、「明日は」と訳すと、翌日に焦点が当たりますが、英語の「more」が持つ、あともう少し頑張ればという感情や期待感が薄れてしまいます。「もう一日」とすることで、登場人物たちの切迫感や高まる期待をより忠実に伝えることができるのです。この曲は、各キャラクターが「もう一日」の間に何を成し遂げ、どのような運命を迎えるのかという緊張感と希望を歌い上げています。この微妙なニュアンスの違いが、曲の感情的な深みをより豊かに表現するために重要なんです。上記において、問1と問2については、優等生的な、まあつまらない答を返してきましたが、問3のような聞き方をすると、けっこう深み面白みのある(聞くに耐える)、こちらの意図どおりの答を返してきました。ここでいえるのは、AIは一般的で当たり前の聞き方をしても平凡な優等生的な答しか返してこないが(まあ、それでも世間一般のアベレージの見解は得られる)、問3のような少しつっこんだ具体的かつ意図(悪意?)をもった聞き方をすると、けっこう面白い答を返してくることがわかります。AIは一見、凡庸そうに見えますが、実はかなり深い内面世界を持っていて、それを引き出せないのは聞き手の質問のしかたが悪いからなのではないかという気もしてきます。感覚としては、実は脚の速いじゃじゃ馬をうまく飼い馴らすような感じとでもいうか。しかし、ある意味、聞き方によっては逆の答を引き出すこともできるだろうし、ヘタをすると手綱を間違って落馬するようなことがあるかもしれない。しかし、言えるのは、個人レベルで乗馬の馬(かそれ以上)を所有できるというのは、ぜいたくな話ではあります。
ディオゲネスは「アテナイ人は自分のために住処を作ってくれる」と言ったと聞きますが、AIやその他の文明的なものが進展することに僕が感じるのは、それに似ている気がします。今後の労働者の領域を考慮する気はほぼないですし、便利になりそうだからラッキーだと思います。僕は自分の人生において、食事・運動・睡眠・精神がまず大切そうだと思っているのですが、AIがそれらを抜本的に揺るがすとしたら、精神面、思考は無意味だと思ってしまうとかでしょうか?そも生きることに意味は無いのに、思考が無意味になったからなんだという気もします。それで思考という遊びを取り上げられうるのでしょうか。そんな気はしませんが、仮にそうなったとしても、別の遊びを探せばいいだけのようにも思います。
哲学チャンネル様は、早起きUA-camrですね。規則正しい生活を実践されているんだと、尊敬します。AIの波に乗り遅れるな!って、確かに昨今言われますね。私は、半分正しくて、半分過度な話しなのだと感じています。産業やIT分野で主導権を奪われない為、デジタル植民地にされない為にAIの導入や研究を進める事は国や企業レベルでは正しいのだと思います。これは、かつて日本が携帯電話機の市場でトロンと呼ばれる優れたOSを持ちながら、ガラパゴス携帯と言われる様な世界基準になり得なかった話しか来るモノでははないかと感じます。乱暴な表現かも知れませんが、AIもプログラムであり、OSの様なモノと捉えれば、先に世界基準を取れば莫大な富がもたらされるのだと思います。一方で、お話しにもありましたが、結局はAI、プログラムを使って何を作りたいか、独創的な発想というのが大切だというはお話しは最もだと思いました。仮にAIに美味しいお米を作ってと言っても、データさえ有れば出来るのでは?との考えも有るかとは思いますが、害虫の発生頻度を見越して農薬の散布量を調整するなどはAIでは、なかなか難しいのだと感じますね。美味しいお米を作る為に、AIを学ぶよりは、農家さんに弟子入りしたり田んぼに出て仕事をする方が早いのだと思います。その上でAIを活用する事がベストなのだと思います。そういったロジックをトレーニングする意味で哲学や読書は大切なのだと思いますね。UA-camも、誰しも出来る事を動画にするより、特技やその人本人が持つ面白さが大切なのは、まさにソレなのだと思います。お話し面白かったです。長文すみません。
昔、某通信系の会社の社長の講演会を観に行った時に、AIを搭載したラジコンが壁を突き抜けて最短でゴールに辿り着いた映像を成果として見せられたんだけど。
「そうか。AIは身体を持たないから『壁を破っちゃいけない』っていう道徳心がないのか」と感心しちゃいました。
ロボット犬と犬の違い❤
ロボットは、カスタマーハラスメントの抑止力となるのか?
コスパの悪い人間の居場所が問われる時代。AIのロボットに対抗するには、人間のサイボーグ化が必要と思います。
最近のマスメディアは 「○○を批判する記事書いて」とAiを活用してる感じがします
私が生成AI(Copilot)を最近使ったのは、前回の『レ・ミゼラブル|ヴィクトル・ユーゴー』【雑談#118】のコメントを書いたときです。
ここで私は、「ワン・デイ・モア」の日本語の歌詞にケチをつけました。英語で「ワン・デイ・モア」と歌っているのを日本語で「明日は」と歌っているのは間が抜けていて興ざめであると。私としては思っていることを素直に書いただけですが、興行者にとっては無礼で迷惑な話ではあり、まっとうな批評なのか単なるディスりなのかは賛否あるところかと思います。
そこで、私の見解が世間一般の認識としてまっとうなものであるかを確かめるためにAIに聞いてみました。
問1:ミュージカル『レ・ミゼラブル』のナンバー「ワン・デイ・モア」の歌詞の意味は?
答1:「ワン・デイ・モア」(One Day More)は、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のクライマックスを飾る感動的なナンバーです。この曲では、主要なキャラクターたちがそれぞれの運命と向き合い、翌日に控える革命の前夜に感じる希望や不安、決意が描かれています。
歌詞の意味:
・ジャン・バルジャンは、新しい生活を求める決意を表し、コゼットとの未来を守りたいと思っています。
・ジャベールは、法と秩序の執行者としての役割を強調し、バルジャンを捕まえることを誓います。
・コゼットとマリウスはお互いへの愛を告白し、再会を切望しています。
・エポニーヌは、マリウスへの片思いに苦しみながらも、彼の幸せを願っています。
・テナルディエ夫妻は、混乱の中で自分たちの利益を得ることを画策しています。
・革命家たちは、自由と正義のために立ち上がる決意を歌います。
全体として、この曲はキャラクターたちの内面を深く掘り下げ、それぞれの立場や感情が交錯する様子を壮大な音楽で表現しています。それが「ワン・デイ・モア」の魅力の一つです。
問2:ワン・デイ・モアを日本語に訳すと?
答2:「ワン・デイ・モア」(One Day More)を日本語に訳すと「もう一日」となります。このタイトルは、キャラクターたちが翌日に向けて抱く希望や不安、決意を表現しています。
問3:なぜ、「明日は」でなく「もう一日」なのですか?
答3:「ワン・デイ・モア」(One Day More)の日本語訳として「もう一日」とする理由は、英語の「more」が持つニュアンスを反映しているためです。「One more day」という表現は、時間の経過を強調し、まだ達成されていない何かが残されているという意味を含んでいます。
一方で、「明日は」と訳すと、翌日に焦点が当たりますが、英語の「more」が持つ、あともう少し頑張ればという感情や期待感が薄れてしまいます。「もう一日」とすることで、登場人物たちの切迫感や高まる期待をより忠実に伝えることができるのです。
この曲は、各キャラクターが「もう一日」の間に何を成し遂げ、どのような運命を迎えるのかという緊張感と希望を歌い上げています。この微妙なニュアンスの違いが、曲の感情的な深みをより豊かに表現するために重要なんです。
上記において、問1と問2については、優等生的な、まあつまらない答を返してきましたが、問3のような聞き方をすると、けっこう深み面白みのある(聞くに耐える)、こちらの意図どおりの答を返してきました。
ここでいえるのは、AIは一般的で当たり前の聞き方をしても平凡な優等生的な答しか返してこないが(まあ、それでも世間一般のアベレージの見解は得られる)、問3のような少しつっこんだ具体的かつ意図(悪意?)をもった聞き方をすると、けっこう面白い答を返してくることがわかります。
AIは一見、凡庸そうに見えますが、実はかなり深い内面世界を持っていて、それを引き出せないのは聞き手の質問のしかたが悪いからなのではないかという気もしてきます。感覚としては、実は脚の速いじゃじゃ馬をうまく飼い馴らすような感じとでもいうか。しかし、ある意味、聞き方によっては逆の答を引き出すこともできるだろうし、ヘタをすると手綱を間違って落馬するようなことがあるかもしれない。
しかし、言えるのは、個人レベルで乗馬の馬(かそれ以上)を所有できるというのは、ぜいたくな話ではあります。
ディオゲネスは「アテナイ人は自分のために住処を作ってくれる」と言ったと聞きますが、AIやその他の文明的なものが進展することに僕が感じるのは、それに似ている気がします。今後の労働者の領域を考慮する気はほぼないですし、便利になりそうだからラッキーだと思います。僕は自分の人生において、食事・運動・睡眠・精神がまず大切そうだと思っているのですが、AIがそれらを抜本的に揺るがすとしたら、精神面、思考は無意味だと思ってしまうとかでしょうか?そも生きることに意味は無いのに、思考が無意味になったからなんだという気もします。それで思考という遊びを取り上げられうるのでしょうか。そんな気はしませんが、仮にそうなったとしても、別の遊びを探せばいいだけのようにも思います。
哲学チャンネル様は、早起きUA-camrですね。規則正しい生活を実践されているんだと、尊敬します。AIの波に乗り遅れるな!って、確かに昨今言われますね。私は、半分正しくて、半分過度な話しなのだと感じています。産業やIT分野で主導権を奪われない為、デジタル植民地にされない為にAIの導入や研究を進める事は国や企業レベルでは正しいのだと思います。これは、かつて日本が携帯電話機の市場でトロンと呼ばれる優れたOSを持ちながら、ガラパゴス携帯と言われる様な世界基準になり得なかった話しか来るモノでははないかと感じます。乱暴な表現かも知れませんが、AIもプログラムであり、OSの様なモノと捉えれば、先に世界基準を取れば莫大な富がもたらされるのだと思います。一方で、お話しにもありましたが、結局はAI、プログラムを使って何を作りたいか、独創的な発想というのが大切だというはお話しは最もだと思いました。仮にAIに美味しいお米を作ってと言っても、データさえ有れば出来るのでは?との考えも有るかとは思いますが、害虫の発生頻度を見越して農薬の散布量を調整するなどはAIでは、なかなか難しいのだと感じますね。美味しいお米を作る為に、AIを学ぶよりは、農家さんに弟子入りしたり田んぼに出て仕事をする方が早いのだと思います。その上でAIを活用する事がベストなのだと思います。そういったロジックをトレーニングする意味で哲学や読書は大切なのだと思いますね。UA-camも、誰しも出来る事を動画にするより、特技やその人本人が持つ面白さが大切なのは、まさにソレなのだと思います。お話し面白かったです。長文すみません。