人生を生き抜くための信念『レ・ミゼラブル|ヴィクトル・ユーゴー』【雑談

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  • Опубліковано 20 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 8

  • @ri_1067
    @ri_1067 7 днів тому +1

    「夢破れて」のアンハサウェイの演技は本当に凄かったです
    再上映楽しみですね
    聴いていてより楽しみになりました

  • @qoamb410
    @qoamb410 10 днів тому +2

    昔、帝国劇場でミュージカルを観ました。10年以上前の事ですが、未だにその感動は忘れられないです。当時のフランスはナポレオンがヨーロッパを席巻した栄光はなく、再び王政による圧政が敷かれ、それまでの対外戦争のツケを国民に押し付けていたんですよね。民衆の歌良いですよね。ミリエル司教、高潔な人物ですね。人は人によって変われるという話し、フィクションなのかもしれませんが、最終的にそうあって欲しいと願っている自分が居るのかなと感じます。お話し面白かったです。長文すみません。

  • @自由のマルゲリータ
    @自由のマルゲリータ 9 днів тому

    自分は「固定観念にとらわれず本質を貫く」が1つの信念です。
    (このチャンネルの視聴者さんは、共感してくれる方多そうな気がしてます)

  • @SITR_surviveintheroom
    @SITR_surviveintheroom 10 днів тому +2

    僕にとっては完全に『異邦人』のムルソーがロールモデルですね。もちろんほど遠いですが…
    そして、おそらく哲学チャンネルさんにとっても、かなり彼が上位に来るのではと感じています。

  • @akiraooq8498
    @akiraooq8498 10 днів тому +1

    他人の信念を認めてあげれる程度の信念を持つことが大事と思います。ま、そんな信念は、信念とは言わないかもしれませんが。

  • @Lain_999
    @Lain_999 9 днів тому

    お疲れ様です。私においての信念(信仰に近いかな?)は
    伊藤計劃の小説harmonyに登場する御冷ミアハから強い影響を受けている実感があります。中2病くさいと思う人もいると思いますが(笑)いずれにせよハーモニーは私の中で特別な作品であることに変わりはないです

  • @空蝉-i4q
    @空蝉-i4q 10 днів тому

    映画、劇場含め私が見たミュージカルは10指で数えられる程度ですが、一番印象に残っているのはやはり『レ・ミゼ』です。よくぞあれだけの濃密な内容を積み込めたものだと、見た後の満腹感はハンパなかったですね。
    曲も印象に残らない曲を探すほうが難しいくらいですし。たしかに「ワン・デイ・モア」のポリフォニックな構成も素晴らしい。世の中的には「アイ・ドリーム・ドリーム」とか「オンマイオウン」あたりが人気なんでしょうが、私などは最初の方のジャン・バルジャンとジャベールの口論の場面でのバロック的掛け合いの迫力などもぐっときましたね。
    今回、「ポリフォニー」と聞いて、ふと思ったのがドストエフスキーのことです。ドストエフスキーの小説に見られるポリフォニー性とユーゴーのそれは何か共通している部分があるのではないかと。さらには、『罪と罰』のラスコーリニコフとポルフィーリィの関係は、どことなくというか、むしろかなりジャン・バルジャンとジャベールの関係に似ていないだろうか。
    ということでググってみると、『レ・ミゼ』が1862年、『罪と罰』が1866年だという。これは怪しいということでさらに検索を続けると、やはりドストエフスキーは1862年にヨーロッパ旅行したさいに『レ・ミゼ』を読んでいた、しかも単に読むだけでなく、取り憑かれたように旅行そっちのけで読み耽っていたという記事に出くわしました。なるほど、そういうことだったかといたく感心。ドストエフスキーの中期以降のポリフォニックな筋立てや場面描写は、かなりユーゴーの影響を受けたものだった可能性がありそうです。まあ、専門の研究者などからしたら常識なのかもしれませんが。ともあれ、今回、このような気づきのきっかけをありがとうございました。
    ただ、「ワン・デイ・モア」についてひとこと言いたいのは、日本版のあの歌詞はいったいなんなんだということです。「ワン・デイ・モア~」というところを「今日も~」とか「あしたは~」とか、あのなんとも間が抜けた感じはなんとかなりませんか。今日があるから明日があるみたいなことじゃなく、もっと差し迫った感じはだせなかったのか、岩谷時子さん。あれなら、英語のままワン・デイ・モアといった方がいいような気がしますけどね。
    また、最近、このチャンネルでよくフランスの哲学者などを扱っている関係で、だいぶフランスの近代について歴史的な知識が増え、身近に感じられるようになりました。17世紀のパスカルに18世紀のヴォルテール、19-20世紀のデュルケーム。
    宗教としては、パスカルはカトリックだが異端的なジャンセニズムだった。ヴォルテールもカトリックの教会を批判してプロテスタントを擁護していた。そして、デュルケームは、まさにユーゴーの時代をへてアノミーに陥った社会にあって、科学的視点から「宗教」を再構築しようとした。
    しかし、フランスのブルボン王朝も市民レベルにおいてもカトリックの優勢は変わらなかったように思われます。『レ・ミゼ』に登場する司教もカトリックであり、だから立派で壮麗な教会があり、だから「銀の燭台」が置いてあった。カトリックの聖職者はプロテスタントの抵抗やイエズス会の活動を経たあともそれなりに富裕な立場にあったといえるんでしょう。そうした場所から、貧困にあえぐ一人の人間が金目のものを持ち出したからといってそれがどうしたということにはなりますよね。そのへんにユーゴーのうまさがある。
    自ら経営者となった工場の工場労働者の悲惨な状況を知って、地位財産を捨てその人のために生きることを決意するとかいう筋立てもスゲエなというかんじだし。
    こうした貧困を生み出しているのは、勃興した資本主義であり、またプロテスタンティズムの倫理であるともいえるわけで、ある意味、そっち側の精神に殉じた人間がジャベールということになるのかもしれませんね。
    そう考えるとカトリック的な価値観も、今の資本主義の世の中ではやや劣勢にみえて、実は信者の数ではプロテスタントを上回っている状況というのもわかるような気はしてきます。
    二月革命があった1848年は、マルクス・エンゲルスの共産党宣言があった年でもあるのは、受験知識として覚えていますが、世の受験生は受験参考書より『レ・ミゼ』でも読んだほうがよっぽど人生において有益かもしれませんね。
    そこで、「信念」の話にこじつけようと思います。
    私個人としては信念のようなものをもっていない、信念を持たないのが信念だみたいなところはあります。信仰心も希薄で「神」なども信じていない。しかし、考えてみると何かしら「普遍的」「一般的」なもの、つまり「真理」のようなものを求める傾向はあるのかなと感じます。「カトリック」とは「普遍」という意味のようですから、カトリック的な態度といってもいいのかもしれません。それは、ジャン・バルジャンが求めたものに通じますかね。実際は、カトリックの「普遍」とは主流派といった意味で、だから抵抗者のプロテスタントと激しく争ったりしてるんでしょうけどね。
    信念を持たないのが信念だというのは、相対主義を極めればそれは「真理」へと近づくということなのかもしれません。それが私にとっての「実存」であると言うこともできそうなかんじもします、などという言い方自体かなり優柔不断ではありますが。
    あまり、「普遍」や「一般」や「真理」あるいは「理性」などに執着しすぎるのもよくないので、どこかで「投企」する必要もあるんでしょうね。などと、実存主義用語を使わなくても、これからは「真理」や「理性」を求めるのはAIの仕事になるんでしょうから、我々としては必然的に自分自身の個別的体験を深めていくのが生きるということになっていくのかもしれませんね。

  • @家有小粉红无奈
    @家有小粉红无奈 11 днів тому +2

    女を裏切らないという信念を持つ男が世に溢れるように😂
    《远方有个女儿国》の日本語翻訳がないのが残念でならない。モソ族の女は、男の裏切りなんぞはどんなものかは知らないし、興味もない😅