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動画拝見しました。東京発、浜松行ロマンがあっていいですね。現在、東海道線の東京口から普通列車でJR東海エリアに直通するのは、沼津行しかないですね。2005年?までは島田発の東京行、2012年までは東京発の静岡行がありましたね。ここまで長距離になると、新幹線と競合してしまうので、廃止は仕方がないことですよね。一度でもいいから、JR東日本のE231系1000番台もしくはE233系3000番台の基本編成(10両編成)をまるごと1編成貸し切って、各駅停車 東京発の浜松行を走らせてみたいですね。東京〜静岡を直通させるとTHE東海道線という感じがしてきますよね。高評価させていただきました!
謎のちゃんねる広報部 さんコメントありがとうございます。高評価ありがとうございます!東京駅から静岡県内に行く場合はまず新幹線を利用すると思います。または、わざわざお金をかけて出かけることがないと思います。神奈川県内ー静岡県内の沿線移動については、案外、新幹線が使いにくくて、その昔を知っていると、熱海できっちり分断されている現状にはどうしても違和感じてしまいます(笑)。駅で旅行案内のパンフレットに静岡県のもの(伊豆除く)が見当たらないことをもったいなく思います。
貴重な音源ありがとうございます。そして外扇モーターにベテラン車掌の放送。。最高です。
コメントいただき、どうもありがとうございます。サイトの仕組みに不慣れで最近気づいた次第です。大変失礼して申し訳ございません。ところで、初期の211系はボックス席はゆったりしていて、音質も心地よいものだったと思います。その後を大変期待したのですが、なかなかどうして、そうはいかないものですね。
この当時、熱海以西直通の113系だと東日本所属の基本編成が東海区間へも乗り入れ、東海所属の付属編成が平塚あたりで切り離す運用もありましたね。懐かしいです。
まつだまつ子 さんそうです、増結編成が東海車なのに途中駅で切り離されて、熱海までたどり着けない運用でした。よく考えると滑稽ですね。返却のためなのか、113系時代のかなり遅い時期まで横浜始発の8両編成が運行されていた記憶があります。それが是正された結果、静岡への直通便が減ってしまったということなんでしょうか。
@@fujihara-ky1wg横浜行横浜始発は静岡車の伊豆急運用の送り込みだったかと
国鉄当時の静岡運転所には113系グリーン車付き基本編成が配置してましたね、付属編成の御殿場線直通も結構ありました、乗務員はJRになってもJR東海の車掌さんが東京まで乗務してたし、大垣夜行も国鉄時代は全区間東京車掌区が担当してました。
青函局 さんそうだったんですね!そのまま配属されていたら、今でも・・ってことはまあないでしょうね。笑御殿場線直通は山北行の表示を時々見かけました見た。ある程度の一体感があったと思います。今となっては神奈川県の路線という感じがしないのが残念です。乗務員の件ですが、国鉄時代は担当区を超えた、出張業務があったということなんでしょうかね。
2002年W杯のエコパ試合時静岡滞泊の2階建てグリーン車付き211系を臨時浜松行に充当しエコパに試合観に行った帰りに偶然乗れました。浜松の幕を出した上にグリーン車開放だったのでもちろんそちらに乗車。まさかその昔あった東京発浜松行廃止以来の最初で最後のグリーン車付きの田町211系の浜松行復活でした。もう20年前になりますが
TAっち さん情報ありがとうございます。臨時でそうした運用もあったんですね。211系のグリーン車は座り心地も良かった記憶があります。それにしても、復活が20年前とは・・もう、そんなに昔な事になってしまいました
昔、私用で静岡を往復する際に、東京から静岡直通の普通電車を利用しました。弁当を買って、グリーン車によく乗りました。今は、東京方面からの電車は全て熱海か沼津止まりになってしまい、静岡に行くには乗り換えがマストになってしまい、不便になってしまいました。1時間に1本でいいので、静岡直通を復活して欲しいです。
西露波人 さんグリーン車はゆったりした気分で利用できる快適な手段ですよね。景色の変化もあって、旅気分を満喫できる区間だと思います。復活が叶うといいですね。
この列車の接続で浜松→米原まで行けるなんて18きっぱー思いの列車やん米原からはどこまで乗り継げたのかなぁ
荷物が多い場合、乗り換えが少なくて済むのはありがたいですね。米原から先は・・ そこまでは考えが及びませんでした。笑時刻的に京都付近が限度かと思いますが、当時の時刻表を残しておらず私には正確なことがわかりません。申し訳ございません。
色々今と違ってとても興味深く視聴いたしました。個人的には、車掌が複数乗務しているからでしょうが、発車直後に次駅の案内が入るのが新鮮でした。今だとホームの監視のためかもう少し遅いタイミングでアナウンスしているように思います。
そう言われてみればそうですね。ある時から、新橋発車後に・・ というアナウンスを聞く様になった覚えがあります。あと、国鉄時代には始発時にドアチェックなど各種のチェックをしていた(確か。。)ので、その分だけ時間にゆとりがあったのかもしれません。
東京発浜松行きあったね。本数少なかったけど新幹線掛川駅なかった頃。グリーン車連結なしもあった。懐かしいな。
もう、だいぶ昔のことになってしまいました。苦笑グリーン車無しの便もあったんですね。 情報ありがとうございます。
島田行きもありましたっけ?
高橋邦彦 さん東京発島田行きは見たことないですが、実際はどうだったんでしょうね島田発東京行きは、時刻表上ですが見た記憶があります
平塚までの禁煙区間案内、令和に聞くと隔世の感がありますが、味がありますね!
北小谷JR西日本 さんコメントいただきありがとうございます。まさに隔世の感ですね。たばこを吸う人にはパラダイスの様に見えるかも。笑当時の車内は白っぽい緑色の内装だったのですが、経年した車両はすすけた古ぼけた色をしていました。日焼けよりも、たばこのヤニが付着していてああなっていたのではと思います。レスが遅くなりすみませんでした。
東京が午後2時43分発で、終点の浜松が夜7時7分到着、約4時間半に及ぶ大移動はエグいな
真壁勇介 さん当時、通しで乗っている人は居なかったと思います。苦笑18きっぷも普及する前でした。ということで、地域によって人の入れ替わりがあって、思ったほど飽きなかった印象があります。(乗り心地が良かったのもあります)
中央本線の話になりますが今でも高尾13時代に篠ノ井線直通長野行きがありこれが全区間乗ると4時間位です。
piggy smell さんコメントありがとうございます。中央線ではまだ健在のようですね。久しぶりにのんびり旅行したいです(苦笑)そういえば、、中央線の中距離列車についてはその昔に新宿発があったような・・
東日本の車輌、そして東日本管内でも東海の車掌さんが乗務してたことがあるんですねぇ……貴重音声ですよ
小淵工機 さん当時は当たり前の光景だったと思われますが、時代は変わっていくものですね。切れずに再生できたカセットテープはすごいと思います。その後、カセットデッキのほうが輪ゴム(駆動ベルト)が切れた様で再生できなくなってます。。
ちょうど夕ラッシュ時に東海区間を走るような設定ですね。静岡地区が113系ばかりだった頃は増結しても編成が足りないカツカツ状態で回していたと記憶しています。それを長大編成の東の車で補完しているような感じですかね。昔からの名残と言えばそれまでですが…w
ペガサス さんコメントありがとうございます。静岡口の朝夕の輸送力増強分を東京口の車両で賄っていた可能性がありますね。(正確なことを答えられず申し訳ありません)10両通し運転はこの運用には合っているように見えました。ところで話が変わりますが、この便と名古屋地区の211系の運用を合わせると、211系は登場後早い時期に運行範囲を東京ー大垣間に拡大していたことになりますね。
1981年頃は浜松に2120頃到着の東京発11連がありましたよ それに乗ると寝台特急富士に乗り継げました
情報ありがとうございます。確か、16時台にも東京発浜松行があったことを思い出しました。こちらは113系で、これではお尻がもたない・・と感じました(笑)(14時台も日によって113系で運行されていました)遅い時間の浜松行は寝台列車に乗る人を拾う役目もあったんですね。寝台列車・・東京駅から九州まで毎日運行されていたなんて、改めてスケールの大きさに感心しますが、もう、夢の世界になってしまいましたね。
211系も浜松運用あったんだ。あまり意識していなかったが、民営化後も残っていた東京ー浜松系統。このもうひとつ前の時代となると111・113系の東京ー豊橋直通があった時代になるが、いつまであったのだろう。
コメントありがとうございます。民営化後も2年程度は残っていましたね。快速アクティが登場した頃、静岡行きに短縮されたようですが、この際に113系での運行に変わったように見えました(正確なところを知りません)。東京発豊橋行きは見た経験がありませんが、方向幕で見たことがあります。もしかして、郵便車が先頭に着いていた時代でしょうか?
この運用があったとは知りませんでしたが調べると民営化した翌年の88年3月まであったんですね。
kiHa3062 さんコメントありがとうございます。調べていただき、お知らせいただきありがとうございます!コメントでご教示いただいたのですが、国鉄時代には郵便や出版物や新聞などの輸送もしていて、そうしたことも関係しているようです。奥が深そうです。SDGsの一環で復活するとか・・・ありますかね?レスが遅くなって申し訳ございませんでした。
0:50 ※各駅停車と言っていますが戸塚まで通過駅があります。
@-St_saitama さん厳密に言うとそうなりますね。笑そのためか”各駅停車”という種別はあまり使われなくなってしまいました。
各停の浜松行きとかケツ爆発しそう…でも乗ってみたいです
新車の頃の211系、特にボックス席は快適だったと思います。 実に、惜しいものを無くしました。笑しなやかな足回り、シートはゆったり、座面には縫い込みがあるクッション、窓ガラスは無色透明で景色を楽しめました。(根府川、由比付近が印象に残ってます)それ以前の車両は1時間程度でお尻がしびれて、その後落ち着くかあるいは我慢大会になるかといった具合でした(私の場合)。現代の車両は席が狭いものに戻ったので、正座するつもりで利用してます。でも、窮屈であっても、ボックス席の選択肢があるのは有り難いことなんだ、と日々、自分に言い聞かせて利用してます。
静岡車掌区が越境乗務してたことに驚き。車両運用も、乗務員運用も複雑だったんですねー…。
現在の制度で考えるとそうですよね。当時は路線別で乗務範囲が定められていたのでしょうか?ブルートレインはどうしていたのでしょうね。詳しくなくて申し訳ございません。運用については東京中心で定めていたとみなせば、それほど複雑では無いのかもしれません。
1990年代後半の東京発静岡行きも東海の車掌が全区間担当してました。この頃は沼津行きも日中運転していたので沼津発着、静岡発着と急行東海は東海の車掌が担当だったんでしょう。
上り東海四号304M静岡=東京のみグリーン付き8+3両編成によ;間合い運用は下り375上り372M東京=大垣~~^^
@@fujihara-ky1wg 浜松行は今だと運転士✙車掌が熱海[東];沼津;静岡[海]に交代;数多く寝台特急が在った頃,さくらとみずほ:長崎車掌区,富士:大分車掌区,あさかぜ:博多;下関車掌区;出雲:米子車掌区;瀬戸:岡山車掌区;銀河:大阪車掌区~~^^
JR東日本区間も、JR東海静岡運輸区の乗務員が担当なのですね。長時間ですね…
私は詳しくないのですが、国鉄時代の名残だったようです。長時間乗車のためか車掌さんがたくさん乗車してますね。車内放送によると、静岡から先は車掌さんは一人のようでした。
113系の普通浜松行きは何回も乗りました。川崎や横浜までですけど。
返信がかなり遅くなり、申し訳ございません。当時は特に珍しくなく、日常に風景でしたよね。国鉄は私鉄とは規模が違うなぁと思っていました。
東海道線東京口の普通電車でJR東海の車掌が乗務した列車だと車掌よりJR東海のオレンジカードをよく買ったものでした(トオイメ)
Hideki Takatsuji さんそういうことも出来たんですね。車掌さんが積極に売って回っていたのはそういうニーズがあったからなんですね。
@@fujihara-ky1wgさん、でしょうね。使用済みの静岡車掌区のオレンジカードが実家に結構あります。
Hideki Takatsuji さん私も初期の頃のオレンジカードはミニアルバムに保管していて残ってます。使い残しのあるカードのほか、未使用のテレホンカードがそれなりにあります。笑
懐かしいですね。帰省先が浜松でしたのでこの1本か2本あとの電車に何回か乗りました。時代的にはこの動画より数年前で、まだ211系デビュー前です。ヒマはあるが金がない大学生、この当時、浜松まで乗りとおす普通電車グリーン料金は、東京→浜松の新幹線特急券よりも安かったという時代でした。グリーン車に乗って、駅で寝台特急の追い抜きを見たりしてました。 なんとも、優雅でしたね。
tkb-test6649 さんコメントありがとうございます。景色を眺めながらのんびり(あるいは友人たちとおしゃべりしながら)移動を楽しむのには良い列車でしたね。当時は大垣行きがとても有名だったので、地味でしたが、徹夜せずに利用できる便利な列車だったと思います。
今は東海乗り入れは沼津迄だが北は東京出なく宇都宮や前橋と逆に長い運用に
荒井健さん東京近郊の乗り物としては便利になったと思います。是非、新幹線も直通できる様に改造して欲しいです。笑当初は行き先に違和感があったのですが、東横線よりはマシだとおもいました。今ではすっかり馴染みましたが、よく見ると行き先のバリエーションが減った気がします。
1:22 区間禁煙は時代を感じます。
リフィー さん当時はタバコを吸う人がいっぱいいたんですね。今は受動喫煙の問題は改善されましたね。でも、喫煙者側の見解を一般人の感覚で例えると、車内飲食が禁止された(暴挙!)といったことろでしょうか。未来を想像すると・・禁酒化が進められて ”区間禁酒”、”飲酒コーナー” とか出来てる!?かも 笑
民営化当初までありましたねそれが島田まで縮小され、さらに沼津までに縮小されました。
当時はまだ運転ダイヤに汽車の時代?の名残があったと思います。間もなく、速達性重視の運転ダイヤに変わって、走り方ものんびりではなくなり、次に快速アクティが登場すると直通のメリットが薄れていった様に記憶しています。一時期はJR熱海線状態になっていましたが、上野東京ライン開通に備えてJR東海と縁切りを図る側面もあったのでしょうね。
@国鉄MAKOTO さんそう言われてみれば、運転士の紹介はありませんので、運転士の方はJR東日本の方だったのかと思います。(国鉄時代はどうだったのでしょうかね)熱海、静岡でそれぞれ5分程度の停車時間があったので、熱海で運転士が交代、静岡で車掌(運転士も?)が交代していたと思われます。
この浜松行き確か東京発だけで三本ぐらい走っていた 様に覚えている今思うと乗って行こうかなと思った事がある
透 藤木 さんコメントありがとうございます。確か、この1時間後も浜松行でした。あとは午前中に1本程度あったような。私も,乗ってみようと思いつつ、実行できたのは1年近く後でした。
東京発浜松行か俺の記憶だと5時間以上かかっていたはず、浜松市は静岡県西部で浜松機関区がかつて存在していたはず(主にEF58)、東京浜松間だと新幹線で2時間30分ぐらい
尾崎憲行 さんこの列車は14:43発で19:07着でした。5時間は切っているようです。停車時間が短縮されたのかもしれませんね。浜松駅の西(新幹線と交差するあたり)に広い敷地がありますが、機関区は存在していないんですね。
昔はEF58やEH10の基地でもあった
@@浜龍-k4i お召予備機のEF5860号機も浜松配属でしたね。国鉄時代に廃車になってしまいましたが。
東京からぶっ通しで乗務ってエグいw
車掌さんが何人も常務しているのもすごいと思います。交代で休憩するにしても、どこで休むのでしょうね。
東京駅から東海道本線を浜松駅まで行く普通電車列車はグリーン無しの327Mとグリーン車つきの335Mと336Mの電車列車と記憶しています。以上、
根岸聡 さんコメントありがとうございます。グリーン車無しの浜松行きもあったんですね。327M、少し前に見つけた1985年の時刻表に載っていました!浜松行の設定は時期によって変化があったんですね。
東海道線東京発普通列車の最長は島田までの運転があったというのは承知してたんですが、浜松が存在していたとはねぇ•••今では沼津が最長ですし、その沼津行きも本数が少なくなりましたから、今では貴重な行先表示でありますね。この211系も過去のものとなりました。
東京発の島田行きもあったんですね。最近は上野東京ラインも運転区間が短くなってきていて、そのうち京浜東北線の親玉状態になってしまうかもしれません。(グリーン車の乗車率次第なのでしょうか?)この浜松行きですが、時々113系で運行されていました。113系では私のお尻が耐えることができませんでした。211系の腰掛け、特にボックスシートはよく出来ていると思います。
昔走っていた東京〜静岡間の直通列車が懐かしいです。18キッパーがよく利用していました。
ややアバウトな記憶ですが、JR初期の頃は今の沼津行きの様な感じ、、よりももっと日常的に静岡行きが走っていたと思います。思い起こせば、付属4両がJR東海所属車両で運転していたのが、今となっては珍しいですね。もし、東海号が踊り子号に連結できたら現存したのでは? などと即興で思いついてみました。(失礼しました・・)
@@fujihara-ky1wg E231になるまでは結構な本数静岡行ありましたね。
@@うみはらゆうやま さん当時、静岡行きはそれほど珍しくなかったと思います。そう思えば、伊豆の山で分断された今の形態はちょっと残念な気もします。もうちょっとだけでも一体感があったら良くなると思います。
あいうえお さん増解結は手間も時間もかかるので、煩わしいですね。ということで、早朝か、午後に基本編成で直通していたのかなと思います。
夜上り、早朝下りの373系の東京から静岡がありましたね。
東京発浜松行きの長距離運用に就いていた211系、グリーン車とサハを抜いて長野転用後高尾発長野行きの長距離運用に就いていたことも。
もし、混載で荷物を運ぼうとしたら長距離運用はとても有効だと思います。AIなどで、柔軟な運用管理が出来るようになれば、もしかすると、そのうち復活して来るかもしれませんね。
旧チタ車セミクロス0番台又はシマ車3000番台が使われ;ダイヤ改正後は大月始発~~^^
今はこんな超長距離運用は無いですね
荒井健さんコメントありがとうございます。東海道線としては、距離が短くなりましたね。通勤で使う分には不便はあまり感じませんが、遊び心の様な、刺激の様な何かも感じなくなってしまいました。特急列車になりますが、サンライズ号の行き先の表示を見ると、おっ、と旅情をかき立てられ、懐かし感じがします。レスが遅くなり、申し訳ありませんでした。
車両が同じと言うこともあって、会社もあまり関係なく柔軟な運用をこなしてたんでしょうか。定期列車として、E231系やE233系が静岡浜松まで行ってくれたら面白いのに笑1:26 平塚まで禁煙、とかそういうのもあったんですね
かしお さん国鉄時代は車両も設備も互換性があったんだと思います。今でも静岡まで直通していたら・・グリーン車に乗って行きたいです(笑)かつて東海道線の東京近郊区間は平塚まででした。それで ”平塚まで禁煙” だった様です。
113系には禁煙の下に東京から平塚と書いてあったような気がします。
hayato0905y さん私はそれで113系をしていました。懐かしいです。禁煙の区間限定がなくなった時に、剥がされたんでしょうね。
今ではあり得ないJR東海の車掌が東京駅から乗務しているんですね⁉︎
コメントありがとうございます。ひょっとすると昔は普通の事だったのかもしれません。車両の乗り入れと同様の扱いだったのでしょうか?(詳しくなくて申し訳ありません)
この東京発浜松行きはいつまで残ってました?
総武線京成線民の人 さんコメントありがとうございます。いつだったか、コメントいただいた方からご教示いただいているのですが、1988年頃だったと記憶しています。(ハッキリ答えられなくてすみません)分割民営化の過渡期にあった、国鉄時代の名残だったんですね。当時としては珍しいものでは無くて、無くなってしまうとも思っておらず、後でそういうことだったんだと知りました。レスが遅くなってすみませんでした。
@@fujihara-ky1wgご無沙汰します、88年3月のダイヤ改正迄残ってたと思います!!
E231の投入と同時に静岡直通大幅に削減されたようですね。乗ってみたかった。
そうですね。段階的に短縮されていきました。以前、静岡は東京に向いている様に見えたのですが、JRになって変わりました。残念です。ところで、当時は東京発大垣行き普通電車が毎日運行されていました。東京始発時には酔っ払いのサラリーマンで満席に。今では想像がつかない世界です。笑
@@fujihara-ky1wg 大垣夜行ですね。345Mだっけ
@@人人-t7w さん そう・・でした。 久しぶりに聞く番号です。笑
@@fujihara-ky1wg ちなみに僕は中学生なので大垣夜行は見たことないんですよね・・・国鉄型好きなんですが、近くで見れるのは185だけです・・・
@@人人-t7w さん そうですね。そうなりますね。 あべこべにいうと、今は上野東京ラインが開通していて新しい世界がみえていますよ〜165系は私が見ても昔を感じるものでした。(室内はアニメ銀河鉄道999の客車を半端に新しくした様子といったところでしょうか・笑)でも、乗り心地は良くて185系よりも走りには高級感がありました。185系ですが、日本が盛況だった頃の名残という見方をすると、去ってしまうのはさみしいです。
東京までJR東海静岡車掌区の常務だったのは驚きです( *゚A゚) いつ頃までJR東海は普通列車で東京までの常務をしていたのですか?
コメントありがとうございます。ちょっと詳しいことは分かりません。申し訳ございません。個人的には、元々が東海道線というくくりで、静岡は東京とのつながりが強かった様に思います。国鉄がJRに変わった後も、しばらくの間は元々の運用が継続されていたのかな?と、振り返ってみるとそう考えます。
この列車はグリーン車連結無しですか?
通常の編成で、グリーン車を連結していました。(2両とも平屋)
その211系、今では、私の地元の高尾駅に来ます。
コメントありがとうございます。1年ほど前に高尾駅から乗車する機会がありました!ボックスシート、車番はモハ211−8で、記録時と同じ編成だった様です。高尾駅から相模湖へ加速しながら登っていく時の様子が、付随車をたくさん牽引していた時の東海道線での走り方に似ていて、211系の中速域の力強さが生かした運用なんだと思いました。
この列車は何両で運転されていたのでしょう?
りんごのうどん割り さんこの列車は10両編成でした。それから、113系(11両)で運転される日もありました。
発車メロディーではなくベルなのが旅情誘いますね。浜松行きは見る機会ありませんでしたが、静岡行きの165系は何度か乗りました。
今だと新幹線の発車ベルなのでしょうかね。笑メロディーが登場する前は東京圏の各駅でベルが鳴っていました。”国電”の駅では特別仕様なのか、壊れているのか、音程が微妙かつ様々に異なるものが散見されました。静岡行きの165系は早朝と昼過ぎにあった様に記憶していますが、どうだったでしょうか?
@@fujihara-ky1wg 早朝のは大垣夜行の折り返しでしたね。日中はよく覚えておないけどおそらくは急行東海の間合い運用かと。
@@noborushimomura4243 さん記憶が定かで無いのですが、急行東海と大垣夜行を絡めた2系統の運用があった様な・・気がします。
東京と大阪のほぼ中間地点まで行くのですね。
コメントありがとうございます。通しで乗る人は希だと思いますが、旅好きには旅情をかき立てられるものでした。
MT61モーターのサウンド、ばっちりですね、特に新橋→川崎間のフル回転は見事な収録だと思います🎵現在もこのような行先設定があれば、是非とも乗りたいです🙆高崎発、上野東京ライン、東海道線直通、浜松行き、無理無理😊青春18切符シーズンであれば、グリーン車座席の取り合い必至でしょうね✨今は、最長でも沼津止まりですし寂しく感じますが、それでも小金井~宇都宮からはるばる沼津までの直通が数本ありますし、青春シーズンにはもってこいですね✨滋賀県に住んでいますので、この収録の電車だと、浜松乗り換え1回のみで、米原行き快速なんてあったかも。脱線失礼しました😅
コメントありがとうございます。この当時は90km/h程度しか速度を出していなかったと思います。それぐらいがちょうど良い感じ、というか、それを前提とした設計だったのかなと思います。211系の初期車は車体にほとんど遮音材を使っていない様に感じますが、その分、音が耳障りなものにならない様に巧みに設計していたとすると趣深いです。響きが妙に良いので。笑今のご時世、18きっぷなどの鈍行旅行者向けの企画列車がウケるかもしれませんね。ボックス席で向かい合ってだらだらしゃべって長い道中を移動するのは結構楽しい思い出になります。
@@ひろし-n9m確かに東京から一回の乗り換えで関西の入口まで行けるのは画期的ですね
東京発静岡行きより長距離の電車ってあったんだ!!昼行だと最長じゃないですか??
文文 さん当時の東京発の東海道線”各駅停車”では最長だったと思います。(その昔は豊橋行、汽車時代にはもっと遠くまで行っていたようです)ただ、ほぼ同じ時期に大垣発熱海行きという列車があって、距離的にはこちらの方が長かったようです。
@@fujihara-ky1wg 米原7時59分の熱海行きがありましたね。
@@快特印旛日本医大行き さん米原発でしたか!どうも失礼いたしました。(途中から乗車したことがあったのですが、いい加減なことを書いてしまいました)
私が所持していた1961年の時刻表に、東京発姫路行きの普通列車が載ってました。多分SLの客車列車でしょうけど。(追加)その前は門司行きだったらしいですが、ダイヤ改正によって姫路で分割されたらしいです。
@@limonene3232 さん情報ありがとうございます!スケールが異次元ですね。 各駅停車なのに、行き先が新幹線並。その昔は、気持ちにゆとりがある時代だったのか、単に、SLの向きを変えるのが大変だっただけなのか、ちょっと知りたくなりました。笑
今では発車メロディーですがこの時代は発車ベルですね、当時は113系や211系でしたが今ではE213系ですね時代を感じます、これ何年頃ですか?教えてください。
藤本一郎 さんコメントありがとうございます。この記録は1988年のものです。今でもメロディーの一つの扱いなのか、特定のホームでピロピロ鳴っているのを聞きますね。最近、E231系もくたびれ感があって、更なる時の流れを感じます。苦笑
213?231系と233系ですよ!213系は東海と西日本なので!
そういえば、、215系、E217系もありましたが、219系はどうしてしまったのでしょうね??
@@fujihara-ky1wg ☹️う…んそういえば幻になってしまいましたね!湘南電車用の掃除機231系がそれと言えるかも!217系のあとは走るんですシリーズに移行したため、219系は幻になってしまいました!☹️
上野東京ライン、湘南新宿ライン開通後に熱海~米原間が繋がっていたら高崎発特別快速米原行きが存在していました。
英樹 林口 さんコメントありがとうございます。熱海でJRが分かれていなければ実在したかもしれませんね。大阪のJR在来線は会社が分かれていないので、運用範囲の規模が違う様に感じます。(あくまで、距離感が定かで無いままでのイメージです)
@@fujihara-ky1wg 米原発上野東京ライン特別快速高崎行きだから関西の鉄道は関係が有りません、あくまでも滋賀県北部、岐阜県、愛知県、静岡県、神奈川県、東京都、埼玉県、群馬県ですから。
15年くらい前までは浜松だか静岡から東京行きって1本だけあったよね。朝の6時頃に!
15年前というと、113系が走っていた頃ですね。時期は違うかもしれませんが、島田発東京行きというのを見たことがあります。(時刻表で・笑)
東京~浜松って国鉄時代だよね?JRになってから復活したのか?臨時かな
浜龍 さんコメントありがとうございます。浜松行の湘南電車は、国鉄からJRに変わってしばらくの間は定期運行していました。 快速アクティが登場した頃から、段階的に区間が詰まっていきました。
今、この列車有れば本当楽だなグリーン車連結してくれれば爆睡して新橋で飲み歩く
浜龍 さん今の料金体系なら間違いなくグリーン車ですね!ちなみに、新橋で飲み歩いてから乗ると、乗り越しに注意!ですね・笑
懐かしいです。所謂かれち
カレチ常務。国鉄時代ならば専務車掌が乗っていた列車でした。今のような下請け任せとは違います。
サロ165名カキ さん専務車掌という呼び名や、車掌にも区分があることを初めて知りました・・車内検札とか乗越精算とか、オレンジカードの販売をやっていた方が専務車掌なんですね。今は電子化と駅の有人改札で代行しているのでしょうか?
専務車掌は主要駅の放送やグリーン車の改札を担当します。最後尾の車掌は途中駅のドア扱いを担当します。
@@cjrtokkai さんすみません、もしかしてこれは、ぐすたふさんコメントの「発車直後に次の駅の案内が入る」ことの解でしょうか?
113系時代に静岡行きまあまあ有ったな
風間佑介 さんそうですよね今現在の沼津行の存在感、といったところでしょうか
普通電車に車掌4人常務www国鉄時代の採用人数多数に伴う名残かな・・・
そして3:26では国鉄永楽型放送がw東海道線のホームにも搭載されていたのですね
ウルトラ太郎 さん国鉄に限らず、組織には人がたくさんいて賑やかな時代だったおぼえがあります。大垣夜行の様に、グリーン車のついた長距離便のため複数人で役割分担していたのではと思います。ワンマン列車が普及しつつある現在とは,隔世の感がありますね・笑
今もう越境乗務ってないですよね?
joban 657さん現在は少なくとも東京発では無いと思います。当時は過渡期で、国鉄時代の名残があったのだと思います。基本編成がJR東日本、付属編成がJR東海という便もありました。東海道線というくくりで扱われるのは、国鉄時代には普通のことだったのかと思います。
車掌は東海の方ですか
コメントありがとうございます。今の時代でみると妙な感じがしますね。当時は”東海道線”の一体感があったので、実はあまり気にしてませんでした。むしろ、車掌さんの人数の多さに驚いてました。どこに詰めていたのでしょうか?笑
この頃は、2Fグリーン車はあったのでしょうか?
コメントありがとうございます。当時、まだ2Fグリーン車はありませんでした(その逆に、新幹線にはありました)。今の時代から見ると少し寂しく見えますが、平屋のグリーン車は明るく開放的で十分に特別感があったと思います。
この運用が復活する可能性はありますか?
ちょっと私にはわかりません。笑両社の協力があれば出来ないことはないのでしょうが、利用者のニーズや動機に依ると思います。当時のこの便は増結無しの10両編成で、普通車でみれば8両、東京近郊が昼下がり、静岡近郊では帰宅時間帯という点で合理性があったと考えます。ついでに、国鉄時代には、新車投入効果のお裾分けをしていたのかも!などと妄想してみました。
@@fujihara-ky1wg ですよね確かにこの状況ですと運用復活するのは難しいですもんね
ドア数、運航経費の負担割合から臨時列車を除けば多分、復活することはないと思う。現時点で、熱海あるいは沼津乗り換えで十分対応できていることから、東海道新幹線が長期不通とならない限りは、復活しないと思う。
@@結城あかね-p8x さん確かにそうですね。各社でシステムが進化して調整毎が多いと思います。違った見方をしてみると・・仮に、国府津ー熱海間を増便することになった場合、日中は短いJR東海編成が同区間に直通し、その分、帰宅時間帯にJR東日本編成が沼津から西の区間に直通する という形であれば会社側にもメリットがあるのではと思いつきました。
ギリギリ静岡までならあり得そうですが・←あくまでオープン・アクセス・オペレーターでの運用として・
これって何年代の頃ですか?
コメントありがとうございます。1988年の記録です(写真の日付で確認)。・・35年も前ですね。
@@fujihara-ky1wg分割民営化が1987年なのでまだ国鉄の運用の名残が強いのかもしれないですね
東海道線の沼津以西で静岡や嶋田への直通がスゲー懐かしい😢⤵️⤵️御殿場線が神奈川県らしくないが、せめて御殿場駅で緩急接続且つ系統分割でやるべきやろ。上野東京ライン経由で御殿場-籠原or小金井・宇都宮・黒磯ならかなり面白い☺️
小鹿野雄一さん御殿場線にも直通便があったら世界が広がりますね。地域のつながりで見たら、御殿場線は山北あたりで会社を分けた方が便利だったかもと思います。そのかわりに、昔と変わらない、やや謎めいた感じの残るローカル線で、沿線でハイキングすると旅気分を満喫できると思います。(宣伝)
静岡の先が田舎なので昔乗り換えなしだから乗ってみようと乗りましたけど遅いので1度乗っただけで急行東海か新横からこだま乗ってましたけど今なら品川駅でひかりこだまのが便利なので乗らないでしょう373ならまだいいですけどG車じゃ新幹線と似たような価格ですしねw
MD FC さんコメントありがとうございます。浜松まで通しで乗る人は当時でもほとんどいなかった様に思います。グループ旅行で長い道中を楽しむのには都合良かったかもしれません。(当時の車両の場合)
国鉄分割民営化後も、JR東海の車掌さんがJR東日本管内まで乗務していた。廃止になった急行東海や特急東海や静岡行の普通とか。分割民営後しばらく経ってから、運転士さん同様に、会社の境の駅で交代するようになった。沼津から東京の普通列車に乗ったら、沼津から東日本の車掌さんが、沼津から、車内検札にまわっていた
DJ貴史 さんコメントいただきありがとうございます。会社が変わった際に運用規則の変更があって、急に変えられない件は移行期間が用意されて、その間は今から見ると変則的な運用になっていたのでは?と推測します。湘南電車といえば東京ー沼津間の電車を指していたので、もしかして、運行管理上の境界は沼津だったのでは?と思いますが、当方では正しい情報は知り得ていません。
昔は東海?っていう全車グリーン車の電車があって乗った記憶がある。
march2836さん全車グリーン車の東海号は無かったと思いますが、ジョイフルトレインとかであったのかもしれませんね。あ、ゆうゆう東海 ですね! (そういう車両があったんですね)
@@fujihara-ky1wg 165系700番台改造車??^^
昔は、平塚より先は、煙草を吸っても良かったのですね。
ヒロヒロさんコメントありがとうございます。今では信じられませんが、当時の近郊型電車ではそうでした。飲み物を飲むのと同じ様に、たばこを吸う人が普通にいるといったところでしょうか。さすがに、京浜東北線や中央線とかで吸っている人は見かけませんでした。レスが遅くなり申し訳ございませんでした。
祖父から聞きましたが、その頃は、まもなく平塚ですの放送が流れるとみんなタバコとライターを手に持ち、平塚駅に到着して扉が開くと同時に吸い始めてたらしいです。逆は平塚到着のタイミングで吸い終わるよう、二宮を出るくらいでみんな火をつけるので、上りも下りも平塚〜大磯〜二宮あたりは車内がモクモクだったらしい…
コメントありがとうございます。当時はそんな様子だったんですね。貴重な?情報ありがとうございます。笑そういわれてみると、下りで小田原まで乗っていくと最後のあたりは煙たかったような気がしなくもありません。113系は経年車ほどヤニの沈着度が高くなっていたのが印象的でした。
まぁ自分は、浜松行きが残っていても、一回乗ればいいやってなるかも。いや、大井川鉄道がある限り利用するかな?(時間帯にもよるけど)
鈴木秀和 さんコメントありがとうございます。もし直通するなら、ぜひ快速運転で!(笑)グリーン車も利用できれば首都圏からの観光利用が増えるのではと思います。
この電車乗りたかったしかし凄いな東京発浜松行き例えば私は大阪に住んでいます東京から私が住んでいる大阪まで浜松と米原で2回で乗換済めば良いですね東日本内に静岡車掌区は珍しいですねこの電車は清水まで一本で行けるから便利ですね
戸川秀之さん当時、乗ってみたい!と思い、乗ってみました。苦笑その前に一度、東京駅から区間利用してこの列車の存在を知ったのですが、「浜松行き」のほかに、登場間もない新型車両のつくりの良さにも感心しました。新車の頃の211系はゆりかごの様な乗り心地で、走行音も113系から変わってました。普通電車の長距離便について、それを活用する機会は少ないのですが、つながっていることで、自分の世界がひろがる様に感じて、いつか行ってみたいという気になります。(私見で失礼しました)
今や東海道線の在来線は、完全に東京→熱海→浜松と運転系統が分離されていて、熱海から島田とかで分離するのもあります。最速で東京→熱海→浜松だから、東京から一本で浜松まで行けたこの当時は、さぞ便利だったでしょうね(^_^;)浜松まで乗り通せば、意外と名古屋、大阪方面まで簡単ですからね。もうこの運行が復活しないのは辛いですね(^_^;)
多芸屋ゆめおいそ さんコメントいただきありがとうございます。確かに、時間帯が合えばとても便利な運用でしたし、旅行気分を楽しめました。快速「アクティ」(当時)が登場すると、運行本数が多く、乗り換えがあっても早いほうを選ぶようになりましたが、気ぜわしくなってしまいました。現在は、するがシャトルが拡張された様な運行形態になっていますね。
車内でタバコが吸えることに驚き
当時は東京ー平塚間禁煙・・それ以外の区間は吸っている人がいました。煙たかったです。ボックス席とその背中のドア横の席には灰皿がありました。
昔の映像などで特急の食堂車なんかは食べてる横でスパスパは当たり前でした。
ボックスシートなんかは窓側に灰皿ついてましたし、栓抜きもありました。
hayato0905y さん当時は喫煙権が強かったということでしょうかね。笑そういえば、栓抜きありましたね。車内で瓶ビールだったのでしょうか!?(さすがに見たことありません)
突然失礼します。この動画の音声を音mad動画に使わせていただきたいです。
返信がかなり遅くなり、申し訳ございません。私は音mad動画をよく知らないのですが、興味ありますのでもしまだご関心がありましたら使ってみて下さい。
@@fujihara-ky1wgありがとうございます。全区間使用するかもしれませんが、大丈夫ですか?
>@shizuoka211さん全区間使用することは、特に問題ないです(と思います)。動画は東京寄りの駅間の長い区間をカットして公開していますが、需要ありますか?公開した際には是非、私にも見させて下さい。
@@fujihara-ky1wg ありがとうございます。公開した際はまた送りたいと思います。
211系だったのか。ロングシートで東京〜浜松はきついわ。
コメントありがとうございます。この当時は211系は登場間もなく必ずボックスシートの車両(0番台)がやってきました。(ハズレは代車でやってくる113系で、しかも座席の小さいやつ)快速アクティが登場する頃にロングシート車両が登場してきて、その頃には浜松行きがなくなっていたと記憶しています。今夏、久しぶりに静岡県内の普通電車を利用しましたが、クロスシート車が連結されるようになってましたね。景色を堪能できてまた出かけたくなりました。
復活するなら上野~浜松まで走ってほしいわな!
アニメV系好き さん臨時列車などで復活すると楽しいですね。
基本的に熱海~浜松は東海,名古屋圏
確かに熱海〜浜松はJR東海です。個人的には名古屋圏は静岡を含まない気がしています。
車掌さんの音声のほうが味があっていいと思うのは僕だけでしょうか?自動放送はどうも好きになれません…国鉄時代は近郊形車両はタバコが吸えたんですね。
一定の水準が保たれていたら、あとは車掌さんの創意工夫に任せても良いと思いますが、あくまで私見です。そのうち、AIで自動放送にも個性が出てきたりして。普段は車内でたばこを吸っている人はいなかったのですが、静岡県内で東海道線に乗ったときの煙たさは未だに忘れられません。笑その昔はSLだったようなので、煙に寛容だったのかと思います。
103にも灰皿有ってタバコ吸ってた人いたよな戸袋窓下のドア横に強引な取り付け方だったが。貫通扉の横にも有って20個の灰皿ついてた。
でむ さん103系にも付いていたんですか! 何線の車両でしょうか今の時代の感覚だと、ちょっと怖い雰囲気が想像されます。ちょっとの間もたばこを我慢できない人がいっぱいだったとか?笑
入社したときはJR東海とか言ってなかったんだろうに・・・
声から察するに、国鉄時代に入社されていると思います。笑JRになった後、ガッカリしていたのかもしれませんが、いろいろ積極的な活動が展開されていた印象があります。アナウンスも丁寧になったと思いましたが、211系はスピーカーの音質が各段に良くなって、それが際だっていました。JRになって悲惨に見えるのは御殿場線・・
動画拝見しました。
東京発、浜松行ロマンがあっていいですね。
現在、東海道線の東京口から普通列車でJR東海エリアに直通するのは、沼津行しかないですね。
2005年?までは島田発の東京行、2012年までは東京発の静岡行がありましたね。
ここまで長距離になると、新幹線と競合してしまうので、廃止は仕方がないことですよね。
一度でもいいから、JR東日本のE231系1000番台もしくはE233系3000番台の基本編成(10両編成)をまるごと1編成貸し切って、各駅停車 東京発の浜松行を走らせてみたいですね。
東京〜静岡を直通させるとTHE東海道線という感じがしてきますよね。
高評価させていただきました!
謎のちゃんねる広報部 さん
コメントありがとうございます。
高評価ありがとうございます!
東京駅から静岡県内に行く場合はまず新幹線を利用すると思います。
または、わざわざお金をかけて出かけることがないと思います。
神奈川県内ー静岡県内の沿線移動については、案外、新幹線が使いにくくて、その昔を知っていると、熱海できっちり分断されている現状にはどうしても違和感じてしまいます(笑)。
駅で旅行案内のパンフレットに静岡県のもの(伊豆除く)が見当たらないことをもったいなく思います。
貴重な音源ありがとうございます。
そして外扇モーターにベテラン車掌の放送。。最高です。
コメントいただき、どうもありがとうございます。
サイトの仕組みに不慣れで最近気づいた次第です。
大変失礼して申し訳ございません。
ところで、初期の211系はボックス席はゆったりしていて、音質も心地よいものだったと思います。その後を大変期待したのですが、なかなかどうして、そうはいかないものですね。
この当時、熱海以西直通の113系だと東日本所属の基本編成が東海区間へも乗り入れ、東海所属の付属編成が平塚あたりで切り離す運用もありましたね。懐かしいです。
まつだまつ子 さん
そうです、増結編成が東海車なのに途中駅で切り離されて、熱海までたどり着けない運用でした。よく考えると滑稽ですね。
返却のためなのか、113系時代のかなり遅い時期まで横浜始発の8両編成が運行されていた記憶があります。
それが是正された結果、静岡への直通便が減ってしまったということなんでしょうか。
@@fujihara-ky1wg
横浜行横浜始発は静岡車の伊豆急運用の送り込みだったかと
国鉄当時の静岡運転所には113系グリーン車付き基本編成が配置してましたね、付属編成の御殿場線直通も結構ありました、乗務員はJRになってもJR東海の車掌さんが東京まで乗務してたし、大垣夜行も国鉄時代は全区間東京車掌区が担当してました。
青函局 さん
そうだったんですね!
そのまま配属されていたら、今でも・・ってことはまあないでしょうね。笑
御殿場線直通は山北行の表示を時々見かけました見た。ある程度の一体感があったと思います。
今となっては神奈川県の路線という感じがしないのが残念です。
乗務員の件ですが、国鉄時代は担当区を超えた、出張業務があったということなんでしょうかね。
2002年W杯のエコパ試合時静岡滞泊の2階建てグリーン車付き211系を臨時浜松行に充当しエコパに試合観に行った帰りに偶然乗れました。浜松の幕を出した上にグリーン車開放だったのでもちろんそちらに乗車。まさかその昔あった東京発浜松行廃止以来の最初で最後のグリーン車付きの田町211系の浜松行復活でした。もう20年前になりますが
TAっち さん
情報ありがとうございます。
臨時でそうした運用もあったんですね。
211系のグリーン車は座り心地も良かった記憶があります。
それにしても、復活が20年前とは・・もう、そんなに昔な事になってしまいました
昔、私用で静岡を往復する際に、東京から静岡直通の普通電車を利用しました。
弁当を買って、グリーン車によく乗りました。
今は、東京方面からの電車は全て熱海か沼津止まりになってしまい、静岡に行くには乗り換えがマストになってしまい、不便になってしまいました。
1時間に1本でいいので、静岡直通を復活して欲しいです。
西露波人 さん
グリーン車はゆったりした気分で利用できる快適な手段ですよね。
景色の変化もあって、旅気分を満喫できる区間だと思います。
復活が叶うといいですね。
この列車の接続で浜松→米原まで行けるなんて18きっぱー思いの列車やん
米原からはどこまで乗り継げたのかなぁ
荷物が多い場合、乗り換えが少なくて済むのはありがたいですね。
米原から先は・・ そこまでは考えが及びませんでした。笑
時刻的に京都付近が限度かと思いますが、
当時の時刻表を残しておらず私には正確なことがわかりません。申し訳ございません。
色々今と違ってとても興味深く視聴いたしました。
個人的には、車掌が複数乗務しているからでしょうが、発車直後に次駅の案内が入るのが新鮮でした。今だとホームの監視のためかもう少し遅いタイミングでアナウンスしているように思います。
そう言われてみればそうですね。
ある時から、新橋発車後に・・ というアナウンスを聞く様になった覚えがあります。
あと、国鉄時代には始発時にドアチェックなど各種のチェックをしていた(確か。。)ので、その分だけ時間にゆとりがあったのかもしれません。
東京発浜松行きあったね。本数少なかったけど新幹線掛川駅なかった頃。グリーン車連結なしもあった。懐かしいな。
もう、だいぶ昔のことになってしまいました。苦笑
グリーン車無しの便もあったんですね。 情報ありがとうございます。
島田行きもありましたっけ?
高橋邦彦 さん
東京発島田行きは見たことないですが、実際はどうだったんでしょうね
島田発東京行きは、時刻表上ですが見た記憶があります
平塚までの禁煙区間案内、令和に聞くと隔世の感がありますが、味がありますね!
北小谷JR西日本 さん
コメントいただきありがとうございます。
まさに隔世の感ですね。
たばこを吸う人にはパラダイスの様に見えるかも。笑
当時の車内は白っぽい緑色の内装だったのですが、経年した車両はすすけた古ぼけた色をしていました。
日焼けよりも、たばこのヤニが付着していてああなっていたのではと思います。
レスが遅くなりすみませんでした。
東京が午後2時43分発で、終点の浜松が夜7時7分到着、約4時間半に及ぶ大移動はエグいな
真壁勇介 さん
当時、通しで乗っている人は居なかったと思います。苦笑
18きっぷも普及する前でした。
ということで、地域によって人の入れ替わりがあって、思ったほど飽きなかった印象があります。(乗り心地が良かったのもあります)
中央本線の話になりますが今でも高尾13時代に篠ノ井線直通長野行きがありこれが全区間乗ると4時間位です。
piggy smell さん
コメントありがとうございます。
中央線ではまだ健在のようですね。久しぶりにのんびり旅行したいです(苦笑)
そういえば、、中央線の中距離列車についてはその昔に新宿発があったような・・
東日本の車輌、そして東日本管内でも東海の車掌さんが乗務してたことがあるんですねぇ……貴重音声ですよ
小淵工機 さん
当時は当たり前の光景だったと思われますが、時代は変わっていくものですね。
切れずに再生できたカセットテープはすごいと思います。
その後、カセットデッキのほうが輪ゴム(駆動ベルト)が切れた様で再生できなくなってます。。
ちょうど夕ラッシュ時に東海区間を走るような設定ですね。
静岡地区が113系ばかりだった頃は増結しても編成が足りないカツカツ状態で回していたと記憶しています。
それを長大編成の東の車で補完しているような感じですかね。
昔からの名残と言えばそれまでですが…w
ペガサス さん
コメントありがとうございます。
静岡口の朝夕の輸送力増強分を東京口の車両で賄っていた可能性がありますね。(正確なことを答えられず申し訳ありません)
10両通し運転はこの運用には合っているように見えました。
ところで話が変わりますが、
この便と名古屋地区の211系の運用を合わせると、211系は登場後早い時期に運行範囲を東京ー大垣間に拡大していたことになりますね。
1981年頃は浜松に2120頃到着の東京発11連がありましたよ それに乗ると寝台特急富士に乗り継げました
情報ありがとうございます。
確か、16時台にも東京発浜松行があったことを思い出しました。こちらは113系で、これではお尻がもたない・・と感じました(笑)(14時台も日によって113系で運行されていました)
遅い時間の浜松行は寝台列車に乗る人を拾う役目もあったんですね。
寝台列車・・東京駅から九州まで毎日運行されていたなんて、改めてスケールの大きさに感心しますが、もう、夢の世界になってしまいましたね。
211系も浜松運用あったんだ。
あまり意識していなかったが、民営化後も残っていた東京ー浜松系統。
このもうひとつ前の時代となると111・113系の東京ー豊橋直通があった時代になるが、いつまであったのだろう。
コメントありがとうございます。
民営化後も2年程度は残っていましたね。
快速アクティが登場した頃、静岡行きに短縮されたようですが、この際に113系での運行に変わったように見えました(正確なところを知りません)。
東京発豊橋行きは見た経験がありませんが、方向幕で見たことがあります。もしかして、郵便車が先頭に着いていた時代でしょうか?
この運用があったとは知りませんでしたが調べると民営化した翌年の88年3月まであったんですね。
kiHa3062 さん
コメントありがとうございます。
調べていただき、お知らせいただきありがとうございます!
コメントでご教示いただいたのですが、国鉄時代には郵便や出版物や新聞などの輸送もしていて、そうしたことも関係しているようです。
奥が深そうです。
SDGsの一環で復活するとか・・・ありますかね?
レスが遅くなって申し訳ございませんでした。
0:50 ※各駅停車と言っていますが戸塚まで通過駅があります。
@-St_saitama さん
厳密に言うとそうなりますね。笑
そのためか
”各駅停車”という種別はあまり使われなくなってしまいました。
各停の浜松行きとかケツ爆発しそう…
でも乗ってみたいです
新車の頃の211系、特にボックス席は快適だったと思います。 実に、惜しいものを無くしました。笑
しなやかな足回り、シートはゆったり、座面には縫い込みがあるクッション、
窓ガラスは無色透明で景色を楽しめました。(根府川、由比付近が印象に残ってます)
それ以前の車両は1時間程度でお尻がしびれて、その後落ち着くかあるいは我慢大会になるかといった具合でした(私の場合)。
現代の車両は席が狭いものに戻ったので、正座するつもりで利用してます。
でも、窮屈であっても、ボックス席の選択肢があるのは有り難いことなんだ、と日々、自分に言い聞かせて利用してます。
静岡車掌区が越境乗務してたことに驚き。車両運用も、乗務員運用も複雑だったんですねー…。
現在の制度で考えるとそうですよね。
当時は路線別で乗務範囲が定められていたのでしょうか?
ブルートレインはどうしていたのでしょうね。
詳しくなくて申し訳ございません。
運用については
東京中心で定めていたとみなせば、それほど複雑では無いのかもしれません。
1990年代後半の東京発静岡行きも
東海の車掌が全区間担当してました。
この頃は沼津行きも日中運転していたので沼津発着、静岡発着と急行東海は
東海の車掌が担当だったんでしょう。
上り東海四号304M静岡=東京のみグリーン付き8+3両編成によ;間合い運用は下り375上り372M東京=大垣~~^^
@@fujihara-ky1wg 浜松行は今だと運転士✙車掌が熱海[東];沼津;静岡[海]に交代;数多く寝台特急が在った頃,さくらとみずほ:長崎車掌区,富士:大分車掌区,あさかぜ:博多;下関車掌区;出雲:米子車掌区;瀬戸:岡山車掌区;銀河:大阪車掌区~~^^
JR東日本区間も、JR東海静岡運輸区の乗務員が担当なのですね。
長時間ですね…
私は詳しくないのですが、国鉄時代の名残だったようです。
長時間乗車のためか車掌さんがたくさん乗車してますね。
車内放送によると、静岡から先は車掌さんは一人のようでした。
113系の普通浜松行きは何回も乗りました。川崎や横浜までですけど。
返信がかなり遅くなり、申し訳ございません。
当時は特に珍しくなく、日常に風景でしたよね。
国鉄は私鉄とは規模が違うなぁと思っていました。
東海道線東京口の普通電車でJR東海の車掌が乗務した列車だと車掌よりJR東海のオレンジカードをよく買ったものでした(トオイメ)
Hideki Takatsuji さん
そういうことも出来たんですね。
車掌さんが積極に売って回っていたのはそういうニーズがあったからなんですね。
@@fujihara-ky1wgさん、でしょうね。
使用済みの静岡車掌区のオレンジカードが実家に結構あります。
Hideki Takatsuji さん
私も初期の頃のオレンジカードはミニアルバムに保管していて残ってます。
使い残しのあるカードのほか、未使用のテレホンカードがそれなりにあります。笑
懐かしいですね。帰省先が浜松でしたのでこの1本か2本あとの電車に何回か乗りました。時代的にはこの動画より数年前で、まだ211系デビュー前です。ヒマはあるが金がない大学生、この当時、浜松まで乗りとおす普通電車グリーン料金は、東京→浜松の新幹線特急券よりも安かったという時代でした。グリーン車に乗って、駅で寝台特急の追い抜きを見たりしてました。 なんとも、優雅でしたね。
tkb-test6649 さん
コメントありがとうございます。
景色を眺めながらのんびり(あるいは友人たちとおしゃべりしながら)移動を楽しむのには良い列車でしたね。
当時は大垣行きがとても有名だったので、地味でしたが、徹夜せずに利用できる便利な列車だったと思います。
今は東海乗り入れは沼津迄だが北は東京出なく宇都宮や前橋と逆に長い運用に
荒井健さん
東京近郊の乗り物としては便利になったと思います。
是非、新幹線も直通できる様に改造して欲しいです。笑
当初は行き先に違和感があったのですが、東横線よりはマシだとおもいました。
今ではすっかり馴染みましたが、よく見ると行き先のバリエーションが減った気がします。
1:22 区間禁煙は時代を感じます。
リフィー さん
当時はタバコを吸う人がいっぱいいたんですね。
今は受動喫煙の問題は改善されましたね。
でも、喫煙者側の見解を一般人の感覚で例えると、車内飲食が禁止された(暴挙!)といったことろでしょうか。
未来を想像すると・・禁酒化が進められて ”区間禁酒”、”飲酒コーナー” とか出来てる!?かも 笑
民営化当初までありましたね
それが島田まで縮小され、さらに沼津までに縮小されました。
当時はまだ運転ダイヤに汽車の時代?の名残があったと思います。
間もなく、速達性重視の運転ダイヤに変わって、走り方ものんびりではなくなり、次に快速アクティが登場すると直通のメリットが薄れていった様に記憶しています。
一時期はJR熱海線状態になっていましたが、上野東京ライン開通に備えてJR東海と縁切りを図る側面もあったのでしょうね。
@国鉄MAKOTO さん
そう言われてみれば、運転士の紹介はありませんので、運転士の方はJR東日本の方だったのかと思います。
(国鉄時代はどうだったのでしょうかね)
熱海、静岡でそれぞれ5分程度の停車時間があったので、熱海で運転士が交代、静岡で車掌(運転士も?)が交代していたと思われます。
この浜松行き確か東京発だけで三本ぐらい走っていた 様に覚えている今思うと乗って行こうかなと思った事がある
透 藤木 さん
コメントありがとうございます。
確か、この1時間後も浜松行でした。あとは午前中に1本程度あったような。
私も,乗ってみようと思いつつ、実行できたのは1年近く後でした。
東京発浜松行か俺の記憶だと5時間以上かかっていたはず、浜松市は静岡県西部で浜松機関区がかつて存在していたはず(主にEF58)、東京浜松間だと新幹線で2時間30分ぐらい
尾崎憲行 さん
この列車は14:43発で19:07着でした。5時間は切っているようです。停車時間が短縮されたのかもしれませんね。
浜松駅の西(新幹線と交差するあたり)に広い敷地がありますが、機関区は存在していないんですね。
昔はEF58やEH10の基地でもあった
@@浜龍-k4i お召予備機のEF5860号機も浜松配属でしたね。国鉄時代に廃車になってしまいましたが。
東京からぶっ通しで乗務ってエグいw
車掌さんが何人も常務しているのもすごいと思います。
交代で休憩するにしても、どこで休むのでしょうね。
東京駅から東海道本線を浜松駅まで行く普通電車列車はグリーン無しの327Mとグリーン車つきの335Mと336Mの電車列車と記憶しています。以上、
根岸聡 さん
コメントありがとうございます。
グリーン車無しの浜松行きもあったんですね。
327M、少し前に見つけた1985年の時刻表に載っていました!
浜松行の設定は時期によって変化があったんですね。
東海道線東京発普通列車の最長は島田までの運転があったというのは承知してたんですが、浜松が存在していたとはねぇ•••
今では沼津が最長ですし、その沼津行きも本数が少なくなりましたから、今では貴重な行先表示でありますね。
この211系も過去のものとなりました。
東京発の島田行きもあったんですね。
最近は上野東京ラインも運転区間が短くなってきていて、
そのうち京浜東北線の親玉状態になってしまうかもしれません。
(グリーン車の乗車率次第なのでしょうか?)
この浜松行きですが、時々113系で運行されていました。
113系では私のお尻が耐えることができませんでした。
211系の腰掛け、特にボックスシートはよく出来ていると思います。
昔走っていた東京〜静岡間の直通列車が懐かしいです。
18キッパーがよく利用していました。
ややアバウトな記憶ですが、JR初期の頃は今の沼津行きの様な感じ、、よりももっと日常的に静岡行きが走っていたと思います。
思い起こせば、付属4両がJR東海所属車両で運転していたのが、今となっては珍しいですね。
もし、東海号が踊り子号に連結できたら現存したのでは? などと即興で思いついてみました。(失礼しました・・)
@@fujihara-ky1wg E231になるまでは結構な本数静岡行ありましたね。
@@うみはらゆうやま さん
当時、静岡行きはそれほど珍しくなかったと思います。
そう思えば、伊豆の山で分断された今の形態はちょっと残念な気もします。
もうちょっとだけでも一体感があったら良くなると思います。
あいうえお さん
増解結は手間も時間もかかるので、煩わしいですね。
ということで、早朝か、午後に基本編成で直通していたのかなと思います。
夜上り、早朝下りの373系の東京から静岡がありましたね。
東京発浜松行きの長距離運用に就いていた211系、グリーン車とサハを抜いて長野転用後高尾発長野行きの長距離運用に就いていたことも。
もし、混載で荷物を運ぼうとしたら長距離運用はとても有効だと思います。
AIなどで、柔軟な運用管理が出来るようになれば、
もしかすると、そのうち復活して来るかもしれませんね。
旧チタ車セミクロス0番台又はシマ車3000番台が使われ;ダイヤ改正後は大月始発~~^^
今はこんな超長距離運用は無いですね
荒井健さん
コメントありがとうございます。
東海道線としては、距離が短くなりましたね。
通勤で使う分には不便はあまり感じませんが、遊び心の様な、刺激の様な何かも感じなくなってしまいました。
特急列車になりますが、
サンライズ号の行き先の表示を見ると、おっ、と旅情をかき立てられ、懐かし感じがします。
レスが遅くなり、申し訳ありませんでした。
車両が同じと言うこともあって、会社もあまり関係なく柔軟な運用をこなしてたんでしょうか。
定期列車として、E231系やE233系が静岡浜松まで行ってくれたら面白いのに笑
1:26 平塚まで禁煙、とかそういうのもあったんですね
かしお さん
国鉄時代は車両も設備も互換性があったんだと思います。
今でも静岡まで直通していたら・・グリーン車に乗って行きたいです(笑)
かつて東海道線の東京近郊区間は平塚まででした。
それで ”平塚まで禁煙” だった様です。
113系には禁煙の下に東京から平塚と書いてあったような気がします。
hayato0905y さん
私はそれで113系をしていました。懐かしいです。
禁煙の区間限定がなくなった時に、剥がされたんでしょうね。
今ではあり得ないJR東海の車掌が東京駅から乗務しているんですね⁉︎
コメントありがとうございます。
ひょっとすると昔は普通の事だったのかもしれません。
車両の乗り入れと同様の扱いだったのでしょうか?
(詳しくなくて申し訳ありません)
この東京発浜松行きはいつまで残ってました?
総武線京成線民の人 さん
コメントありがとうございます。
いつだったか、
コメントいただいた方からご教示いただいているのですが、1988年頃だったと記憶しています。
(ハッキリ答えられなくてすみません)
分割民営化の過渡期にあった、国鉄時代の名残だったんですね。
当時としては珍しいものでは無くて、無くなってしまうとも思っておらず、後でそういうことだったんだと知りました。
レスが遅くなってすみませんでした。
@@fujihara-ky1wgご無沙汰します、88年3月のダイヤ改正迄残ってたと思います!!
E231の投入と同時に静岡直通大幅に削減されたようですね。乗ってみたかった。
そうですね。段階的に短縮されていきました。
以前、静岡は東京に向いている様に見えたのですが、JRになって変わりました。残念です。
ところで、当時は東京発大垣行き普通電車が毎日運行されていました。
東京始発時には酔っ払いのサラリーマンで満席に。今では想像がつかない世界です。笑
@@fujihara-ky1wg 大垣夜行ですね。345Mだっけ
@@人人-t7w さん そう・・でした。 久しぶりに聞く番号です。笑
@@fujihara-ky1wg ちなみに僕は中学生なので大垣夜行は見たことないんですよね・・・
国鉄型好きなんですが、近くで見れるのは185だけです・・・
@@人人-t7w さん そうですね。そうなりますね。
あべこべにいうと、今は上野東京ラインが開通していて新しい世界がみえていますよ〜
165系は私が見ても昔を感じるものでした。
(室内はアニメ銀河鉄道999の客車を半端に新しくした様子といったところでしょうか・笑)
でも、乗り心地は良くて185系よりも走りには高級感がありました。
185系ですが、日本が盛況だった頃の名残という見方をすると、去ってしまうのはさみしいです。
東京までJR東海静岡車掌区の常務だったのは驚きです( *゚A゚)
いつ頃までJR東海は普通列車で東京までの常務をしていたのですか?
コメントありがとうございます。
ちょっと詳しいことは分かりません。申し訳ございません。
個人的には、
元々が東海道線というくくりで、静岡は東京とのつながりが強かった様に思います。国鉄がJRに変わった後も、しばらくの間は元々の運用が継続されていたのかな?と、振り返ってみるとそう考えます。
この列車はグリーン車連結無しですか?
通常の編成で、グリーン車を連結していました。(2両とも平屋)
その211系、今では、私の地元の高尾駅に来ます。
コメントありがとうございます。
1年ほど前に高尾駅から乗車する機会がありました!
ボックスシート、車番はモハ211−8で、記録時と同じ編成だった様です。
高尾駅から相模湖へ加速しながら登っていく時の様子が、
付随車をたくさん牽引していた時の東海道線での走り方に似ていて、
211系の中速域の力強さが生かした運用なんだと思いました。
この列車は何両で運転されていたのでしょう?
りんごのうどん割り さん
この列車は10両編成でした。
それから、113系(11両)で運転される日もありました。
発車メロディーではなくベルなのが旅情誘いますね。浜松行きは見る機会ありませんでしたが、静岡行きの165系は何度か乗りました。
今だと新幹線の発車ベルなのでしょうかね。笑
メロディーが登場する前は東京圏の各駅でベルが鳴っていました。
”国電”の駅では特別仕様なのか、壊れているのか、音程が微妙かつ様々に異なるものが散見されました。
静岡行きの165系は早朝と昼過ぎにあった様に記憶していますが、どうだったでしょうか?
@@fujihara-ky1wg 早朝のは大垣夜行の折り返しでしたね。日中はよく覚えておないけどおそらくは急行東海の間合い運用かと。
@@noborushimomura4243 さん
記憶が定かで無いのですが、急行東海と大垣夜行を絡めた2系統の運用があった様な・・気がします。
東京と大阪のほぼ中間地点まで行くのですね。
コメントありがとうございます。
通しで乗る人は希だと思いますが、旅好きには旅情をかき立てられるものでした。
MT61モーターのサウンド、ばっちりですね、特に新橋→川崎間のフル回転は見事な収録だと思います🎵
現在もこのような行先設定があれば、是非とも乗りたいです🙆
高崎発、上野東京ライン、東海道線直通、浜松行き、無理無理😊
青春18切符シーズンであれば、グリーン車座席の取り合い必至でしょうね✨
今は、最長でも沼津止まりですし寂しく感じますが、それでも小金井~宇都宮からはるばる沼津までの直通が数本ありますし、青春シーズンにはもってこいですね✨
滋賀県に住んでいますので、この収録の電車だと、浜松乗り換え1回のみで、米原行き快速なんてあったかも。
脱線失礼しました😅
コメントありがとうございます。
この当時は90km/h程度しか速度を出していなかったと思います。
それぐらいがちょうど良い感じ、というか、それを前提とした設計だったのかなと思います。
211系の初期車は車体にほとんど遮音材を使っていない様に感じますが、その分、音が耳障りなものにならない様に巧みに設計していたとすると趣深いです。響きが妙に良いので。笑
今のご時世、18きっぷなどの鈍行旅行者向けの企画列車がウケるかもしれませんね。ボックス席で向かい合ってだらだらしゃべって長い道中を移動するのは結構楽しい思い出になります。
@@ひろし-n9m確かに東京から一回の乗り換えで関西の入口まで行けるのは画期的ですね
東京発静岡行きより長距離の電車ってあったんだ!!
昼行だと最長じゃないですか??
文文 さん
当時の東京発の東海道線”各駅停車”では最長だったと思います。
(その昔は豊橋行、汽車時代にはもっと遠くまで行っていたようです)
ただ、ほぼ同じ時期に大垣発熱海行きという列車があって、距離的にはこちらの方が長かったようです。
@@fujihara-ky1wg
米原7時59分の熱海行きがありましたね。
@@快特印旛日本医大行き さん
米原発でしたか!
どうも失礼いたしました。(途中から乗車したことがあったのですが、いい加減なことを書いてしまいました)
私が所持していた1961年の時刻表に、東京発姫路行きの普通列車が載ってました。多分SLの客車列車でしょうけど。
(追加)
その前は門司行きだったらしいですが、ダイヤ改正によって姫路で分割されたらしいです。
@@limonene3232 さん
情報ありがとうございます!
スケールが異次元ですね。 各駅停車なのに、行き先が新幹線並。
その昔は、気持ちにゆとりがある時代だったのか、
単に、SLの向きを変えるのが大変だっただけなのか、ちょっと知りたくなりました。笑
今では発車メロディーですがこの時代は発車ベルですね、当時は113系や211系でしたが今ではE213系ですね時代を感じます、これ何年頃ですか?教えてください。
藤本一郎 さん
コメントありがとうございます。この記録は1988年のものです。
今でもメロディーの一つの扱いなのか、特定のホームでピロピロ鳴っているのを聞きますね。
最近、E231系もくたびれ感があって、更なる時の流れを感じます。苦笑
213?231系と233系ですよ!213系は東海と西日本なので!
そういえば、、215系、E217系もありましたが、
219系はどうしてしまったのでしょうね??
@@fujihara-ky1wg
☹️う…んそういえば幻になってしまいましたね!湘南電車用の掃除機231系がそれと言えるかも!217系のあとは走るんですシリーズに移行したため、219系は幻になってしまいました!☹️
上野東京ライン、湘南新宿ライン開通後に熱海~米原間が繋がっていたら高崎発特別快速米原行きが存在していました。
英樹 林口 さん
コメントありがとうございます。
熱海でJRが分かれていなければ実在したかもしれませんね。
大阪のJR在来線は会社が分かれていないので、運用範囲の規模が違う様に感じます。(あくまで、距離感が定かで無いままでのイメージです)
@@fujihara-ky1wg 米原発上野東京ライン特別快速高崎行きだから関西の鉄道は関係が有りません、あくまでも滋賀県北部、岐阜県、愛知県、静岡県、神奈川県、東京都、埼玉県、群馬県ですから。
15年くらい前までは浜松だか静岡から東京行きって1本だけあったよね。
朝の6時頃に!
15年前というと、113系が走っていた頃ですね。
時期は違うかもしれませんが、島田発東京行きというのを見たことがあります。(時刻表で・笑)
東京~浜松って国鉄時代だよね?JRになってから復活したのか?臨時かな
浜龍 さん
コメントありがとうございます。
浜松行の湘南電車は、国鉄からJRに変わってしばらくの間は定期運行していました。 快速アクティが登場した頃から、段階的に区間が詰まっていきました。
今、この列車有れば本当楽だな
グリーン車連結してくれれば爆睡して新橋で飲み歩く
浜龍 さん
今の料金体系なら間違いなくグリーン車ですね!
ちなみに、新橋で飲み歩いてから乗ると、乗り越しに注意!ですね・笑
懐かしいです。所謂かれち
カレチ常務。国鉄時代ならば専務車掌が乗っていた列車でした。
今のような下請け任せとは違います。
サロ165名カキ さん
専務車掌という呼び名や、車掌にも区分があることを初めて知りました・・
車内検札とか乗越精算とか、オレンジカードの販売をやっていた方が専務車掌なんですね。
今は電子化と駅の有人改札で代行しているのでしょうか?
専務車掌は主要駅の放送やグリーン車の改札を担当します。最後尾の車掌は途中駅のドア扱いを担当します。
@@cjrtokkai さん
すみません、もしかしてこれは、
ぐすたふさんコメントの「発車直後に次の駅の案内が入る」ことの解でしょうか?
113系時代に静岡行きまあまあ有ったな
風間佑介 さん
そうですよね
今現在の沼津行の存在感、といったところでしょうか
普通電車に車掌4人常務www
国鉄時代の採用人数多数に伴う名残かな・・・
そして3:26では国鉄永楽型放送がw
東海道線のホームにも搭載されていたのですね
ウルトラ太郎 さん
国鉄に限らず、組織には人がたくさんいて賑やかな時代だったおぼえがあります。
大垣夜行の様に、グリーン車のついた長距離便のため
複数人で役割分担していたのではと思います。
ワンマン列車が普及しつつある現在とは,隔世の感がありますね・笑
今もう越境乗務ってないですよね?
joban 657さん
現在は少なくとも東京発では無いと思います。
当時は過渡期で、国鉄時代の名残があったのだと思います。
基本編成がJR東日本、付属編成がJR東海という便もありました。
東海道線というくくりで扱われるのは、国鉄時代には普通のことだったのかと思います。
車掌は東海の方ですか
コメントありがとうございます。
今の時代でみると妙な感じがしますね。
当時は”東海道線”の一体感があったので、実はあまり気にしてませんでした。むしろ、車掌さんの人数の多さに驚いてました。どこに詰めていたのでしょうか?笑
この頃は、2Fグリーン車はあったのでしょうか?
コメントありがとうございます。
当時、まだ2Fグリーン車はありませんでした(その逆に、新幹線にはありました)。
今の時代から見ると少し寂しく見えますが、
平屋のグリーン車は明るく開放的で十分に特別感があったと思います。
この運用が復活する可能性はありますか?
ちょっと私にはわかりません。笑
両社の協力があれば出来ないことはないのでしょうが、利用者のニーズや動機に依ると思います。
当時のこの便は増結無しの10両編成で、普通車でみれば8両、東京近郊が昼下がり、静岡近郊では帰宅時間帯という点で合理性があったと考えます。
ついでに、国鉄時代には、新車投入効果のお裾分けをしていたのかも!などと妄想してみました。
@@fujihara-ky1wg ですよね
確かにこの状況ですと運用復活するのは難しいですもんね
ドア数、運航経費の負担割合から臨時列車を除けば多分、復活することはないと思う。
現時点で、熱海あるいは沼津乗り換えで十分対応できていることから、東海道新幹線が長期不通とならない限りは、復活しないと思う。
@@結城あかね-p8x さん
確かにそうですね。
各社でシステムが進化して調整毎が多いと思います。
違った見方をしてみると・・仮に、国府津ー熱海間を増便することになった場合、日中は短いJR東海編成が同区間に直通し、その分、帰宅時間帯にJR東日本編成が沼津から西の区間に直通する という形であれば会社側にもメリットがあるのではと思いつきました。
ギリギリ静岡までならあり得そうですが・
←あくまでオープン・アクセス・オペレーターでの運用として・
これって何年代の頃ですか?
コメントありがとうございます。
1988年の記録です(写真の日付で確認)。・・35年も前ですね。
@@fujihara-ky1wg分割民営化が1987年なのでまだ国鉄の運用の名残が強いのかもしれないですね
東海道線の沼津以西で静岡や嶋田への直通がスゲー懐かしい😢⤵️⤵️
御殿場線が神奈川県らしくないが、せめて御殿場駅で緩急接続且つ系統分割でやるべきやろ。上野東京ライン経由で御殿場-籠原or小金井・宇都宮・黒磯ならかなり面白い☺️
小鹿野雄一さん
御殿場線にも直通便があったら世界が広がりますね。
地域のつながりで見たら、御殿場線は山北あたりで会社を分けた方が便利だったかもと思います。
そのかわりに、昔と変わらない、やや謎めいた感じの残るローカル線で、沿線でハイキングすると旅気分を満喫できると思います。(宣伝)
静岡の先が田舎なので昔乗り換えなしだから乗ってみようと乗りましたけど
遅いので1度乗っただけで急行東海か新横からこだま乗ってましたけど
今なら品川駅でひかりこだまのが便利なので乗らないでしょう
373ならまだいいですけどG車じゃ新幹線と似たような価格ですしねw
MD FC さん
コメントありがとうございます。
浜松まで通しで乗る人は当時でもほとんどいなかった様に思います。
グループ旅行で長い道中を楽しむのには都合良かったかもしれません。(当時の車両の場合)
国鉄分割民営化後も、JR東海の車掌さんがJR東日本管内まで乗務していた。廃止になった急行東海や特急東海や静岡行の普通とか。分割民営後しばらく経ってから、運転士さん同様に、会社の境の駅で交代するようになった。
沼津から東京の普通列車に乗ったら、沼津から東日本の車掌さんが、沼津から、車内検札にまわっていた
DJ貴史 さん
コメントいただきありがとうございます。
会社が変わった際に運用規則の変更があって、急に変えられない件は移行期間が用意されて、その間は今から見ると変則的な運用になっていたのでは?と推測します。
湘南電車といえば東京ー沼津間の電車を指していたので、もしかして、運行管理上の境界は沼津だったのでは?と思いますが、当方では正しい情報は知り得ていません。
昔は東海?っていう全車グリーン車の電車があって乗った記憶がある。
march2836さん
全車グリーン車の東海号は無かったと思いますが、
ジョイフルトレインとかであったのかもしれませんね。
あ、ゆうゆう東海 ですね! (そういう車両があったんですね)
@@fujihara-ky1wg 165系700番台改造車??^^
昔は、平塚より先は、煙草を吸っても良かったのですね。
ヒロヒロさん
コメントありがとうございます。
今では信じられませんが、当時の近郊型電車ではそうでした。
飲み物を飲むのと同じ様に、
たばこを吸う人が普通にいるといったところでしょうか。
さすがに、京浜東北線や中央線とかで吸っている人は見かけませんでした。
レスが遅くなり申し訳ございませんでした。
祖父から聞きましたが、その頃は、まもなく平塚ですの放送が流れるとみんなタバコとライターを手に持ち、平塚駅に到着して扉が開くと同時に吸い始めてたらしいです。
逆は平塚到着のタイミングで吸い終わるよう、二宮を出るくらいでみんな火をつけるので、上りも下りも平塚〜大磯〜二宮あたりは車内がモクモクだったらしい…
コメントありがとうございます。
当時はそんな様子だったんですね。貴重な?情報ありがとうございます。笑
そういわれてみると、下りで小田原まで乗っていくと最後のあたりは煙たかったような気がしなくもありません。
113系は経年車ほどヤニの沈着度が高くなっていたのが印象的でした。
まぁ自分は、浜松行きが残っていても、一回乗ればいいやってなるかも。いや、大井川鉄道がある限り利用するかな?(時間帯にもよるけど)
鈴木秀和 さん
コメントありがとうございます。
もし直通するなら、ぜひ快速運転で!(笑)
グリーン車も利用できれば首都圏からの観光利用が増えるのではと思います。
この電車乗りたかった
しかし凄いな東京発浜松行き
例えば私は大阪に住んでいます
東京から私が住んでいる大阪まで
浜松と米原で2回で乗換済めば良いですね
東日本内に静岡車掌区は珍しいですね
この電車は清水まで一本で行けるから便利ですね
戸川秀之さん
当時、乗ってみたい!と思い、乗ってみました。苦笑
その前に一度、東京駅から区間利用してこの列車の存在を知ったのですが、
「浜松行き」のほかに、登場間もない新型車両のつくりの良さにも感心しました。
新車の頃の211系はゆりかごの様な乗り心地で、走行音も113系から変わってました。
普通電車の長距離便について、それを活用する機会は少ないのですが、
つながっていることで、自分の世界がひろがる様に感じて、
いつか行ってみたいという気になります。(私見で失礼しました)
今や東海道線の在来線は、完全に東京→熱海→浜松と運転系統が分離されていて、熱海から島田とかで分離するのもあります。
最速で東京→熱海→浜松だから、東京から一本で浜松まで行けたこの当時は、さぞ便利だったでしょうね(^_^;)
浜松まで乗り通せば、意外と名古屋、大阪方面まで簡単ですからね。
もうこの運行が復活しないのは辛いですね(^_^;)
多芸屋ゆめおいそ さん
コメントいただきありがとうございます。
確かに、時間帯が合えばとても便利な運用でしたし、旅行気分を楽しめました。
快速「アクティ」(当時)が登場すると、運行本数が多く、乗り換えがあっても早いほうを選ぶようになりましたが、気ぜわしくなってしまいました。
現在は、するがシャトルが拡張された様な運行形態になっていますね。
車内でタバコが吸えることに驚き
当時は東京ー平塚間禁煙・・それ以外の区間は吸っている人がいました。煙たかったです。
ボックス席とその背中のドア横の席には灰皿がありました。
昔の映像などで特急の食堂車なんかは食べてる横でスパスパは当たり前でした。
ボックスシートなんかは窓側に灰皿ついてましたし、栓抜きもありました。
hayato0905y さん
当時は喫煙権が強かったということでしょうかね。笑
そういえば、栓抜きありましたね。車内で瓶ビールだったのでしょうか!?(さすがに見たことありません)
突然失礼します。
この動画の音声を音mad動画に使わせていただきたいです。
返信がかなり遅くなり、申し訳ございません。
私は音mad動画をよく知らないのですが、興味ありますので
もしまだご関心がありましたら使ってみて下さい。
@@fujihara-ky1wgありがとうございます。
全区間使用するかもしれませんが、大丈夫ですか?
>@shizuoka211さん
全区間使用することは、特に問題ないです(と思います)。
動画は東京寄りの駅間の長い区間をカットして公開していますが、
需要ありますか?
公開した際には是非、私にも見させて下さい。
@@fujihara-ky1wg ありがとうございます。
公開した際はまた送りたいと思います。
211系だったのか。ロングシートで東京〜浜松はきついわ。
コメントありがとうございます。
この当時は211系は登場間もなく必ずボックスシートの車両(0番台)がやってきました。(ハズレは代車でやってくる113系で、しかも座席の小さいやつ)
快速アクティが登場する頃にロングシート車両が登場してきて、その頃には浜松行きがなくなっていたと記憶しています。
今夏、久しぶりに静岡県内の普通電車を利用しましたが、クロスシート車が連結されるようになってましたね。景色を堪能できてまた出かけたくなりました。
復活するなら上野~浜松まで走ってほしいわな!
アニメV系好き さん
臨時列車などで復活すると楽しいですね。
基本的に熱海~浜松は東海,名古屋圏
確かに熱海〜浜松はJR東海です。
個人的には名古屋圏は静岡を含まない気がしています。
車掌さんの音声のほうが味があっていいと思うのは僕だけでしょうか?
自動放送はどうも好きになれません…
国鉄時代は近郊形車両はタバコが吸えたんですね。
一定の水準が保たれていたら、あとは車掌さんの創意工夫に任せても良いと思いますが、あくまで私見です。
そのうち、AIで自動放送にも個性が出てきたりして。
普段は車内でたばこを吸っている人はいなかったのですが、
静岡県内で東海道線に乗ったときの煙たさは未だに忘れられません。笑
その昔はSLだったようなので、煙に寛容だったのかと思います。
103にも灰皿有ってタバコ吸ってた人いたよな戸袋窓下のドア横に強引な取り付け方だったが。貫通扉の横にも有って20個の灰皿ついてた。
でむ さん
103系にも付いていたんですか! 何線の車両でしょうか
今の時代の感覚だと、ちょっと怖い雰囲気が想像されます。
ちょっとの間もたばこを我慢できない人がいっぱいだったとか?笑
入社したときはJR東海とか言ってなかったんだろうに・・・
声から察するに、国鉄時代に入社されていると思います。笑
JRになった後、ガッカリしていたのかもしれませんが、いろいろ積極的な活動が展開されていた印象があります。
アナウンスも丁寧になったと思いましたが、211系はスピーカーの音質が各段に良くなって、それが際だっていました。
JRになって悲惨に見えるのは御殿場線・・