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武田四天王のかっこよさ、忠誠心、潔さ、悲しさ、、、何回も見てしまいます。
鳥居強右衛門ニキ涙のカット草馬防柵の目の前にある連吾川が馬の勢いを削ぐ感じで絶妙にいやらしい敗将のセリフとして「我が首取って手柄にせよ」とか、かっこよすぎるな
ワイは殿として勝頼を逃がす為に真田昌幸に後を託して本隊に特攻する真田信綱が好きだな。
この長篠の戦いで歴史に興味を持ち好きになりました。アップ、ありがとうございます😅
鬼美濃の最期・・お見事でした。主君を戦場から退却させ自らは敵陣に特攻をかけるとは涙ぐむ
いつも楽しく拝見させて頂き、ありがとうございます🎵YUKIMURA CHANNEL 最高です。内容、演出、リズム感が好きです‼️いつもありがとうございます👌
25:57 信長は桶狭間、長篠と「情報戦」をこの上なく理解していた味方の幹部しか入れない軍議においても、敵に情報がもれることを恐れて幹部のまえで一芝居をうつとは
野戦築城による敵機動の拘束、火力による突撃破砕も注目ですねこれだけの弾量を準備出来た織田方恐るべし
やっぱり経済の中心である畿内を抑えてたのが大きい田舎大名には真似できない派手な戦い方
本当に面白い。分かりやすいし。
秀逸な小ネタや敵将の心理を突いた緻密な戦略にただただ脱帽
何度見ても素晴らしい動画です動画アップした時から定期的に見たくなり何度も見てます馬場の死様カッコ良すぎます
長野県民ですか?
設楽が原の戦いの詳細を初めて知りました。勉強になりました。山縣の中央突破、こんな感じだったんですね、善戦していたように思えました。
信長の野望では畿内、尾張の経済力でじり貧になるのは明らかだったから決戦するしかなかったって描写もありますね。なんにせよ武将の生きざまは壮絶ですね。
いやぁ毎回為になります。ありがとうございます!
内藤隊を見てやってくれ・・・。シンガリを頼むと言われたわけでもない、味方はことごとく逃走しているのに、最後までその場を守り続けて、まだ本陣に攻めようとすらして、孤独に死んでいく様を見てやってくれ
泣かせるな。。。
いやー本当に面白い!次回も楽しみにしてます!
まさに信玄公の「敵を知り己を知れば百戦危うからず」これですね、勝頼の判断のしくじりで武田は滅亡に向かった。山県、馬場と言った智将が生きていればこうは簡単に武田は滅ぼされてはいないかったと思う。
この動画の作者、武将を生き生きとさせる能力がある。諸説あるとはいえ、どういう思いを各人が持ったかから、シナリオを作り上げ、面白くするところは脱帽。それにしても、武田はここで勢いづかずに四天王の意見も聞きながら落とした長篠城で待機するなり、背後を取られた後に退却を選ぶなりをしたら、事態が変わっていたんだなぁとつくづく。自滅に次ぐ自滅…
連合軍は大軍で兵糧の不足も考えられたし、長篠から一時撤退して山岳で連合軍を迎え撃つこともできただろうが・・・。浅井、朝倉、長島一向一揆はもういないし、焦ったのか・・・。
信玄が生きていたなら また違っていたでしょうね。
毎週楽しみにしてます。見応え十分ですね。素晴らしい。
すごい分かりやすいです!!
待ってました♥️ありがとうございます❗️
長篠の戦いは何回見ても悲しい。武田の勇将がバタバタと死んでいく様を見ると目を覆いたくなる😰
本多忠勝も同じように感じたからこそ、合戦後にもう今後は戦で血が沸き立つことはないと吐露したんでしょうね。
夷陵の戦いにも似ている
それな
鉄砲3000丁3段撃ちは怪しいが、鉄砲が原因で大敗したのは事実。歴戦の勇将達が足軽に撃たれて死んで逝くのは無念だったろうね…
@@武田信玄-f9m 実際には鉄砲隊は存在しなかったんだそうですよ。それが証拠に、その後の戦いにて、鉄砲隊はでてこない
長篠、設楽原の古戦場に行ったことがありますが、起伏の激しい土地で、騎馬戦には向かない戦場でしたね。武田軍の名高い武将達の墓が至る所にあって、武田ファンとしては結構胸にグッとくる場所でした。因みに長篠と設楽原の史跡を全部回るんだったら半日じゃ回りきれないです。1日かけて回るなら十分ですが、午後から散策を始めたら日が暮れて、お墓巡りということもあって殆ど心霊スポット巡りみたくなっちゃいましたね笑笑、真田信綱、昌輝兄弟の墓があった場所とか特に怖かったなぁ〜…長文失礼しました。
クルマは置き場に困る事もあるのでバイク、自転車くらいは欲しい理想は城や決戦地の近くで宿泊できること
作ってくれてありがとうございます。よく解ります❗
夢中で2時間も見てしまった!うぐっ!
根来、雑賀の鉄砲撃ち。織田勢も石山本願寺攻めで雑賀衆には散々悩まされてましたが、すぐに応用出来る力を持っていたのは流石です😊 興奮しますねぇー!
根来忍者は残忍というイメージがあったのですが、信長とは上手く共闘していたのですね。上手く忍びを使う、流石に信長ですね。
まだ見始めて1分ですがもう見応えがあるとしか思えません!またまた見応えのある動画ありがとうございます!
内藤昌豊(工藤家)の傍系の子孫です。何百年前の出来事ですが、最後まで踏ん張ったご先祖様を思うと胸が苦しくなる勝頼公は老臣たちを疎んじてたと言われますが、立場を考えるとそうなるのも仕方ないのかなあと感じます。
すご
@@Takeda-Singen. いやいやあなたは本人でしょ?
内藤家には及ばないですが俺の先祖も長篠で亡くなりました。立場上仕方ないことですけどやっぱり苦しいですね。
武田信玄も若い時は諌める重臣の意見を聞かず信濃の村上軍に大敗してますし決して勝頼が劣っていたとは思いませんが時代の趨勢には逆らえなかったということでしょう。
あと20年早ければもっと武名を残せたでしょうね
あと20年早く生まれていれば…伊達政宗もそうだった。近代になって勝頼が武田の織田家のような刷新化をしていた事が分かってきているが、どうしても出来なかった箇所が「古来家臣への刷新化への共感」が足りなかったからではないだろうか。織田家は秀吉や光秀のような浮浪者、浪人も登用したが、武田は殆どいない。何人かいるが、決して当主に意見を言える立場に立てなかった。もしそのような状況になれば、初期の織田のように内乱になりそこに付け込まれ…と勝頼は恐れたのかもしれない。旧い考えに囚われ、武田は滅んだ、こんなとこかもしれない。
いや、織田にロックオンされたらもう無理でしょ
@@kasinsatoru はあ?しったかすんな、山本勘助や高坂昌信がいるだろ武田滅亡の原因を無理矢理こじつけるにはあまりに間抜けだな
@@ツバサゴクウスグルケンセイヤ 山本勘助…上杉謙信との戦いで戦死。高坂昌信…最前線の砦にほぼ左遷。病死。織田信長の配下と違うのは戦略方針に口出し出来なかった。またはただの1個の駒に徹していた。秀吉、光秀は古参の重臣から疎まれたが信長は旧い考えを相手せず、新しい考えも聞き入れ採用。武田氏はやはり中世思考のままだったのだ。
今回も面白かったです若さが出た勝頼と修羅場をくぐって経験を積んだ信長の差が出ていましたね
長篠の戦はカリフォルニアで使われている高校の世界史の教科書にも載っています。信長君の火縄銃の画期的な活用が世界中に知られています。
ヨーロッパで火縄銃が大規模に使われるのは1631年のブライテンフェルトの戦いからになります。その60年近く前にこれだけ大規模に鉄砲が使われていたのですから、世界史的にもすごいことなんですね。
信長もすごいが、これを高校の世界史で教えるカリフォルニアもすごい。
日本史の人物達で世界で通じるやつなんて数人しかいないと思うけど、信長は間違えなく入るな。たしかポルトガルかイギリスだっけ。火縄銃のお祭りの名前がノブナガ祭りって名前だったような...
もっと勉強せーよ
三段撃ちや武田の騎馬隊が作り話だったってバレないといいけどね。
絶対に信玄なら取らない戦法を勝頼が取った負け戦。哀れ・・・武田の宿老たち。兵の数より司令官級の人的損失が甚大。
おっしゃる通りで信玄なら、まず信長が来るとわかった時点で長篠城を力攻めして本陣にする。実際に年寄衆はそう進言したそうです。そうして信長の兵科を調べるでしょう。この時は足軽が非常に多かったそうですので信玄なら信長の狙いは読めるから絶対に決戦はしない。そうなれば多分信長には勝算は失くなるので多分撤退したでしょう。だから信長は梅雨明けギリギリに到着して、トコトン勝頼が決戦したくなるように仕向けた。さらに信長は勝頼が少し慢心して年寄衆の助言に耳を貸さない状況であることまで把握していたと言われています。そこまで追い込まれたら鉄砲が沢山あるとわかっていても退路を絶たれた武田に残された道は正面の織田軍団に突っ込んで風穴を開けての撤退しかなかったのです。
今回も楽しい動画を作って頂きありがとうございます。正直、視聴が追いついていないのが現状です。動画のみの話ですが、書状の本心の表し方が非常に的を射ており、またユニークです。家康の援軍要請がもはや援軍要請ではないというのは非常に面白かったです。また、なぜ木下秀吉の改名が出たのか謎ですが、関係ないですが語呂が良いには笑いました。信長の「ブツブツ本願寺」の表現にも相当に笑えます。最初の武田家臣団の金平糖の話は、家臣団の仲良しぶりが見られて微笑ましい限りでした。この家臣団の存在が逆に勝頼をやり辛くしたのではないか?と思います。きっと来る貞子のところも非常に面白かったです。真田信綱の、余計な報告とどうでも良い突っ込みが見れなくなるのは非常に残念ではありますが、これまでそれほど有名ではなかった信綱をこのようなキャラにした作者に感謝します。以下は、少し真面目な話ですが、今回の戦いの最大の功労者は鳥居強右衛門だったと思います。彼の「援軍は来る」の一言が長篠城の城兵を勇気づけ、結果武田方の作戦の大幅な狂いを生じさせたことは大きな貢献だったと思います。また、酒井忠次の奇襲も大きかったと思います。忠次は関東入り以後は不遇でしたが、間違いなく徳川四天王の筆頭だと思いました。
穴山がちゃんと動いていないのすごいです。後の伏線ね
この8時間の戦が今後数百年の歴史を決定することになろうとわ・・・・
また次回も楽しみにしてます
高天神城の戦いを観てきたので再視聴。勝頼さん慢心でしたね。
昔から情報が重要なんですね。過信と油断は禁物!
酒井忠次の進言の話、好きです。
こちらもとても勉強になりました。キャラクターの会話も面白いです。特に地図があるので、地理感とか掴めて非常に有益です。
動画中では省略されているけど、内藤昌豊を討ち取ったのは今川氏真家臣の朝比奈泰勝。たまたま氏真の使いで家康の陣に居て(氏真自身は家康の元で後方の城で後詰担当)、追撃戦に加わりこの殊勲を得た。
とりあえず。三段打ち、武田に鉄砲がなく最初から騎馬突撃しているの旧来のでたらめが消え信長公の上手い戦術、勝頼公と武田重臣のしてやられたが分かりやすく面白い動画でした。
この戦で教科書に載せられるほど決定的に戦争の歴史を変えてしまった信長というだけでなく、純粋な戦国時代ファンをも魅了するほど色々なできごとがあった戦なんですね~
この戦には鶴見辰吾さんのご両親のご先祖様、志村けんさんのご先祖様、三木谷浩史楽天会長のご先祖様も参戦していました。
だからなんやねん
かなや
や
父信玄が攻略できなかった、高天神城を落した武田勝頼の力は決して煩悩な武将ではなかった。しかし、この自信が仇となりその後も力ずくで来た。それが武田家を滅びるきっかけとなった。
たぶん凡庸.....
高天神城が第2次大戦におけるシンガポール、そしてこの長篠がミッドウェーなんだよね。
分かりやすくておもしろくてよかったです
織田徳川軍は武田の倍の兵力差なのに、武田は後方の長篠城に兵を割かねばならない上に、その上で半ば城攻めのような戦をせねばならなかった。それも大軍が籠る城を寡兵で攻めるような、およそ道理に合わない戦をせねばならない状況に引きずり込まれた武田には、残念ながら勝ち目は万に一つもなかった。
武田家臣として北条編最終回で見た面々がいて感動
一乗谷・小谷城攻めと設楽原合戦の間の「伊勢長島一向一揆攻め」をやって欲しいです
高天神城を見てから来ました、勝頼は慢心してしまいましたね……
ロバートの山本・秋山・馬場ってよくできた名前のトリオだよな武田真治あたりと共演してほしい
全然関係ないコメントなのにいいね押してる奴いるの大草原www
@@ロンドベル-k4x 秋山信友山本勘助馬場信房武田勝頼 って事じゃない?
@@hkrnswk あー、なるへそ!俺気づかなかったわ!恥ずかしい!教えてくれてありがとう!
@@ロンドベル-k4x どーも!
あと山県と高坂を準備しないとな…
「その時歴史は動いた」の本の中であった、長篠の大敗後に織田方から「一旦、水に流して同盟を結ばない?上杉攻めに協力して滅ぼしたあかつきには上杉領を与えるから」という話を受け入れていたら、勝頼さんと武田家の命運はどうなっていたのでしょうか?歴史はいろいろ「if」あって、面白いし興味深いですね❗️👍
アメリカから 見ています。戦国時代は 本当に 男のロマンスを感じますね。信長様 やっぱり かっこいいです!
この戦の武田軍の敗北、勝頼の慢心と焦りが原因ではあるけど、それだけでなくそもそも兵力が違いすぎましたね…
確かにそもそも勝頼の判断が間違っていたと思うし
現代で言うところ ベテランと若手の融合.入れ替えをしなかった.いや出来なかった典型的な御家の末路。勉強熱心で有能な武将だったんだけどなぁ……ドンマイ勝頼さん
勝頼について皆さんに知っていてもらいたいことがあるのでコメントします。勝頼は側室の子で、その側室は武田家から見て敵国出身でした。また、勝頼は正式に跡継ぎとして信玄から任命されたのではなく、真の跡継ぎ(勝頼の子)が育つまでの代行人として任命されただけでした。(微妙な立場だから家臣から見ても少し軽んじられやすい)そんなこともあってか武田家の多くの重臣からは蚊帳の外扱いなところもあったのかもしれません。その家臣達との亀裂を埋めるため、領土を拡大したりとある程度の功績は納めているものの努力が裏目に出てしまったところがあったと思います。家臣たちとよくお茶会を開いたりなどコミュニケーションを取ることにも努めていたそうです。よく勝頼は無能だとか言われておりますが、決して無能な武将ではないと思います。お家を断絶させてしまったため、有能とは言い難いですが、家臣との人間関係があまり良くない中、信玄が攻略できなかった土地を制覇してることから普通以上の実力はあったのではないでしょうか?あと長篠の戦いの突撃ですが、後方の城を落とされてしまえば、前に出るしかありません。決してヤケクソになって全軍突撃した訳ではないと思います。そしてこれは私の感想ですが、最後の最後で家臣に裏切られ方自刃するなど生き様が正反対な朝倉義景と同じ死に方をしていますよね。世の中不平等だと思います…個人的に勝頼は哀愁漂う滅びの美学に相応しい武将だと思ってます。ただただ若い血気盛んな武将だと思われがちですが、以上のことをより多くの人に知っていただければ幸いです。長文失礼しました。
勝頼は、陣代で正式な後継者ではなかった、と言う説がありますが私はそうは思いません、高遠から躑躅が崎の新館に入った、と言うことは正式な後継者と言うことです、御披露目もしていますが、時期が遅すぎました信玄が死ぬ2年前です。
古参陣と勝頼側近陣の対立はともかく勝頼が出てくのは仕方なかった感はある武田と織田の国力差がどんどん開いていくからこの辺で1度主力部隊を叩かないといけなかっただろうし
信濃や甲斐は、山ばっかだからね。金が採れなくなるとつらい。駿河は裕福そうだけど。
時代を遡って上田原の戦いとかやって欲しいです。
個人的に今年のMVP UA-camr 最有力候補です!
面白いし勉強になります!
鳥居強右衛門は真の漢
チーズ牛丼3種の 人狼ジャッジメントやめい
まさにモノホンのヤクザ
甲州討伐も楽しみにしておりますぞ
おもしろいです。次も期待してます。
武田好きなのでずっと見るの躊躇してた。やっぱり辛いな。
待ってましたー!!!!
待ってたあ!!!
最近の作品は細かいところまで作りこんで時間が伸びまくっているからリメイク版で鳥居さんを救ってほしいですw今回のうぐ集1号 15:22 鳥居強右衛門2号 28:36 河窪信実3号 32:25 真田信綱 (32:40 死なずにぐを一つ足して二回うぐった武田勝頼さん)4号 33:04(のおよそ10秒後)山県政景5号 34:44 内藤昌豊6号 35:13 馬場信房合計6うぐ通算10うぐ
真田信綱 享年39歳、信綱の弟の昌輝は33歳、山県昌景は47歳、内藤昌豊は54歳、馬場信房は61歳であった。
これを待ってた!!
鳥居強右衛門大幅カットは泣ける
山県昌景の死に様が忠勝のただの噛ませ犬扱い💢
ある作品で勝頼はあくまで次の武田家当主が大きくなるまでの繋ぎの当主であり、10年足らずで当主の座を明け渡さないといけない事情が勝頼に性急な戦をさせたという見方もあるようです。
そんなことをしたら上手くいかないに決まっています信玄はそんなバカではありません。
@@虫山セカンド 信玄は類まれなる戦上手ではありましたが、外交や家内統制に関しては失策も多い人物です
@@umakara55 ですよね。武田信玄って史実以上に神格化されてますよね。徳川家康を追い込んだことがあるので、徳川幕府も信玄の神格化を止めなかったみたいですし、信玄を格上げすれば三方ヶ原で負けた家康も信玄相手じゃしょうがないなと思いますし。
戦国無双とかでもそうだけど、長篠の戦いは残酷なまでの武田の騎馬武者のボロ負けを見るのが、見てはいけないものを見てしまっているようでキツい
yukimuraさん!!これを待っていたのですよ!1番すきな合戦です徳川が好きなのですが、武田の散り際もカッコイイ✨次回も楽しみにしてます!
やっぱり信長はすごいなというのと鳥居強右衛門がかっこよすぎる!
毎回楽しみにしてます!
この戦いは地域格差というか、どんな強力な大国でも結局地方だったんだなと感じさせられてしまうな日本で最も物流の盛んだった尾張という場所に信長という男が生まれたのは奇跡と言えるかもしれないな
むしろ尾張だったから今日知られる信長が生まれたとも…環境の差が人を生んだとしか(生まれながらより環境で人は影響受ける)
でも三好長慶とかも最高の立地だけど成功しなかったことを考えるとやっぱり信長は偉大やで
@@aaj42930 天下布武は信長の器量+尾張の立地+忠実な家臣団でなし得たことだからもちろん信長は偉大ですその対極が朝倉義景とかじゃないですか三好長慶は立派な成功者ですよ
@@七階堂ふみ-g1x そうか?確かに基盤は作ったけど松永久秀に誑かされて弟とかも殺して自ら権力基盤無くしてるんじゃない?
三好長慶はそれこそ近すぎたからダメだった。基盤脆い癖に自立意識強すぎる義輝(政所もとい裁判所の決めた判決に介入しようとしたこともあり、あの、松永が諫めるレベル)の面倒見るとかやること多いし、細川家畠山家等の分裂争いやらに巻き込まれて家中まとまらないし、畿内はそれこそ比叡山や本願寺や興福寺等寺社勢力や国衆の発言力が強すぎる(六角とかも…)。幕府の血みどろの争いに巻き込まれない程よい遠さってのが良かったし、織田の場合はそれこそ東は徳川が良い協力者になってくれたから京方面に集中できたのも大きいだろう(朝倉は若狭武田&一向宗と両サイドに爆弾で仮に倒しても毘沙門天と隣接しうるしそもそも畿内の大名は三好とやりあう体力がない、毛利は尼子と大内+大友と両サイドに大国とどの大名も懸念材料ある)
長篠の戦いで、織田·徳川軍鉄砲隊長活躍で勝利しました!
地図や戦術や合戦状況が細かく描かれているのが分かりやすくいつも楽しみにしてます!長篠の次は、信長と上杉の『手取川の戦い』をお願いします!
勝頼「足軽バーン!弓隊ビューン!騎馬隊ドドーン!」は草
武田の未来を考えるとキン肉マンみたいな冗談を言ってる場合ではなかった・・・
ダメダメ主君(勝頼)
大阪府民の道案内で草
信長は初めから野戦などする気はなかったという見方があるそうですね。馬防柵と陣城で攻城戦として武田が攻めてきてくれればよし、長篠城を見捨ててでも自分の方から攻める気など無かったと。「目の前に家康と信長がいるぞ!」で攻城戦を仕掛けてしまった時点で勝頼の負けなのだと。信玄も勝頼に「信長と戦う時は地の利で戦え」と遺言してたようですし、功を焦った勝頼の判断ミスなんでしょうね。
決戦前の武田陣営内部での対立は主戦論vs撤退論ではなく戦後の論功行賞を見据えた主導権争いだったのでは?今まで信玄のもとで全戦全勝だったことで信玄時代の宿老連中も勝頼の側近連中も戦えば必ず勝てると思っていた節があることから両者の対立は「誰が信長と家康の首級を挙げるのか」「織田徳川滅亡後の広大な領土をどう配分するか」といった対立だったが後世になって主戦論vs撤退論にすり変えられたのだと思う。
若さ故の暴走、信玄の負の遺産、勝頼好きです
僕は元々信玄公が好きで不肖の息子と言われた、勝頼公の事をよく思っていませんでした。しかし色々知っていく内に信玄公よりも好きになってしまいました。長篠以降の武田家の立て直しに尽力したり、家族愛に溢れ当時としては珍しい奥方と二人で神社へ参拝したり、肖像画を描いてもらった時も自分と一緒に奥方と息子も描いてもらったようで😉ただ戦の相手が信長で時代の流れに逆らえずに滅亡したようで。自分が死んだら一番会ってみたい歴史上の人物ですね。
@@武田勝頼-f1u 一部将としては優秀で、武将としては、信玄公には及ばないにしても、信長公、家康公を苦戦させている。ただ、信長公が畿内を制圧してしまうと、経済力、政治力、人口などで圧倒されてしまい滅亡してしまったけれど、直前まで、真田が北条を苦戦させている。武田ももう少しまとまるか、浅間山が噴火しなければ、上杉家のように生き延びられたのではないでしょうか。
この後武田は衰退と滅亡へと進む訳だが、決して勝頼が無能なせいではない。もしこの時信玄が存命なら、信長が来ると知った時点で長篠城を落として様子を見るか決戦を避けて撤退したであろうが、武田が滅亡しなかったかと言えば信玄がいても変わらなかったと思う。この時の織田の国力は少なくとも武田の5倍はあったはずなので織田にケンカ売った時点で信玄がいても武田の滅亡は避けられなかったはず。もっとも信玄ならこの時の織田と武田単体での決戦はしないでしょうが。
@@soleil-rk2bi でも喧嘩を始めたの信玄だからねえ。。。
@@soleil-rk2bi いやそうじゃなくて、信玄ならば1573年の時点で物事考えないと駄目だろ、本当に信玄過小評価する奴らって頭悪い奴多すぎるわあの時点の信長はまだ鉄砲を大量保有叶わず、かなり追い詰められた状態であり、信玄があのまま存命であれば、再び北条と敵対なんてしないはずだし間違いなく三河遠江は領土化にまで至っていただろうから、その辺りから考えないと
この役40年後に真田が鉄砲で徳川を蹴散らしたのマジで胸熱だな
来週現地に行くので復習します!
ユキムラさん、お疲れ様です!あのイケイケの信長が、あの策略をされたら、勝ち目は無い、それに、まだ若い武将では、勝ち目は無いですねぇ!次は、どこの誰なのかぁ、楽しみにしていますよ!ユキムラさんもコロナには気を付けてください!
勝頼が騎馬隊を過信したせいもあるけど、信長が凄過ぎた。
根来衆と戦っていたから、鉄砲戦術を彼らから学んだからのようだ。信長は、失敗を活かすから。米軍みたいだね。
天目山の戦いも見たいです😊
毎度のことながらめちゃくちゃ面白い
勝頼が凡才なのではなく親父が偉大すぎただけ勝頼も大変だったろうに
失敗した相手か3英傑だから。村上くらいなら良かったのに。
忠勝はいつも迫力がある笑笑!
これは面白い❗🎵チャンネル登録したよ。
情報戦で信長が優性過ぎる
いつも楽しみにしてます🎵おもしろいです😀
とても分かりやすく、面白く描かれていて見るのが楽しみです。今回長い話のせいか、せっかく鳥居 強右衛門が出てきたので、エピソードを入れてもらえるとよかったなと思いました。あの旗印は本当は上下が逆だったところとかね。
信長の野望で馬場信春が言ったように「ここで信長・徳川を叩いておかないと数万の兵を引き連れて甲斐になだれ込んでくる」って言葉の通り、焦ってたんだろうな
やっぱり酒井忠次隊の活躍がでかいね
まさにその通り、これで勝頼は決戦を挑むしか選択肢かなくなった。
その中に、鶴見辰吾さんのお母様のご先祖様もいました。
昌景様、昌豊様、信房様、昌胤様、信綱様、昌輝様…この戦で四天王の3人、多くの重臣がここで散っていってしまった。勝頼公もさぞ肩を落とされたでしょう。
何にせよ、人は何を背負うかで大きく変わりますな。勝頼は、諏訪で大人しく生涯を終えた方が幸せだったかも。武士の道を、領主の道を選んだ~武士として領主として、立派に生きて亡くなられましたね。
今武田の歴史を学びたくて見てます!合戦の背景まで解説してくれるので大好きなチャンネルです!今やってる北条家はあまり興味ないので、毛利家をやってほしい!
70戦無傷の馬場信房vs50戦無傷の本多忠勝めっちゃ見たかった。。。
確かに長篠の戦いの時は梅雨時期だったが、決戦の時だけ快晴になった。天は信長と家康の方に付いたか。
信長は桶狭間の戦いにおいても天候が味方しています。鉄砲を封じるためならば寧ろ雨の時を狙って攻撃を仕掛けるべきだったのでしょうが、豪雨では見通しが悪くなり勢いを削がれる恐れもあったので武田軍は晴れるのを待ったのかもしれません。
いや。信長はわざとゆっくり進軍した。実際は斥候を使って決戦地の梅雨明けの時期を農民からヒアリングしていたのでそれに合わせて進軍したのです。信長は四方を見渡す限り敵だらけだったので騎馬隊を中心とする精鋭は尾張や岐阜国境に残して置かなければならず徳川への援軍は足軽と工兵中心でしか編成できなかったので鉄砲や弓隊、長槍隊を中心に飛び道具とリーチと数で安全な柵の中から迎撃するほかしか無かった。実際に織田徳川の圧勝ではなくど南北と中央の馬防柵は破られるか迂回され数千の死傷者を出した。
馬場 山県 内藤 真田兄弟 三枝と主だった譜代家臣を失ったのは痛すぎたよな勝頼は偉大な父を意識しすぎなければまた違っていたんだろうけどね
ちなみに真田兄弟の戦死が昌幸の家督相続になった。
勝頼が、ちゃんと描かれているのが素敵♪♪ただの無能と思われている方も多いので。
勝頼は無能じゃなくて意見も取り入れる人だし、24騎の1人でもある猛将としても評価は高い。当主としては…
当主として、臣下の建言を良い理由も無いで却下し、力任せだけで戦をやるのやつ、無能の評判は適切。
@@vans2721 甲陽軍鑑には、勝頼は「強すぎたる大将」と書かれている
@yamada taro 桶狭間の織田信長も大馬鹿、上田合戦の真田昌幸も大馬鹿だね
@yamada taro 信長も真田昌幸も今川や徳川を挑発しなければ戦は回避できました^^
26:50 歓喜!!
武田四天王のかっこよさ、忠誠心、潔さ、悲しさ、、、何回も見てしまいます。
鳥居強右衛門ニキ涙のカット草
馬防柵の目の前にある連吾川が馬の勢いを削ぐ感じで絶妙にいやらしい
敗将のセリフとして「我が首取って手柄にせよ」とか、かっこよすぎるな
ワイは殿として勝頼を逃がす為に真田昌幸に後を託して本隊に特攻する真田信綱が好きだな。
この長篠の戦いで歴史に興味を持ち好きになりました。アップ、ありがとうございます😅
鬼美濃の最期・・
お見事でした。
主君を戦場から退却させ自らは
敵陣に特攻をかけるとは
涙ぐむ
いつも楽しく拝見させて頂き、ありがとうございます🎵
YUKIMURA CHANNEL 最高です。
内容、演出、リズム感が好きです‼️
いつもありがとうございます👌
25:57 信長は桶狭間、長篠と「情報戦」をこの上なく理解していた
味方の幹部しか入れない軍議においても、敵に情報がもれることを恐れて幹部のまえで一芝居をうつとは
野戦築城による敵機動の拘束、火力による突撃破砕も注目ですね
これだけの弾量を準備出来た織田方恐るべし
やっぱり経済の中心である畿内を抑えてたのが大きい
田舎大名には真似できない派手な戦い方
本当に面白い。
分かりやすいし。
秀逸な小ネタや敵将の心理を突いた緻密な戦略にただただ脱帽
何度見ても素晴らしい動画です
動画アップした時から定期的に見たくなり何度も見てます
馬場の死様カッコ良すぎます
長野県民ですか?
設楽が原の戦いの詳細を初めて知りました。勉強になりました。
山縣の中央突破、こんな感じだったんですね、善戦していたように思えました。
信長の野望では畿内、尾張の経済力でじり貧になるのは明らかだったから決戦するしかなかったって描写もありますね。なんにせよ武将の生きざまは壮絶ですね。
いやぁ毎回為になります。
ありがとうございます!
内藤隊を見てやってくれ・・・。シンガリを頼むと言われたわけでもない、味方はことごとく逃走しているのに、最後までその場を守り続けて、まだ本陣に攻めようとすらして、孤独に死んでいく様を見てやってくれ
泣かせるな。。。
いやー本当に面白い!
次回も楽しみにしてます!
まさに信玄公の「敵を知り己を知れば百戦危うからず」これですね、勝頼の判断のしくじりで武田は滅亡に向かった。
山県、馬場と言った智将が生きていればこうは簡単に武田は滅ぼされてはいないかったと思う。
この動画の作者、武将を生き生きとさせる能力がある。諸説あるとはいえ、どういう思いを各人が持ったかから、シナリオを作り上げ、面白くするところは脱帽。
それにしても、武田はここで勢いづかずに四天王の意見も聞きながら落とした長篠城で待機するなり、背後を取られた後に退却を選ぶなりをしたら、事態が変わっていたんだなぁとつくづく。自滅に次ぐ自滅…
連合軍は大軍で兵糧の不足も考えられたし、長篠から一時撤退して山岳で連合軍を迎え撃つこともできただろうが・・・。浅井、朝倉、長島一向一揆はもういないし、焦ったのか・・・。
信玄が生きていたなら また違っていたでしょうね。
毎週楽しみにしてます。見応え十分ですね。素晴らしい。
すごい分かりやすいです!!
待ってました♥️ありがとうございます❗️
長篠の戦いは何回見ても悲しい。武田の勇将がバタバタと死んでいく様を見ると目を覆いたくなる😰
本多忠勝も同じように感じたからこそ、合戦後にもう今後は戦で血が沸き立つことはないと吐露したんでしょうね。
夷陵の戦いにも似ている
それな
鉄砲3000丁3段撃ちは怪しいが、鉄砲が原因で大敗したのは事実。歴戦の勇将達が足軽に撃たれて死んで逝くのは無念だったろうね…
@@武田信玄-f9m 実際には鉄砲隊は存在しなかったんだそうですよ。それが証拠に、その後の戦いにて、鉄砲隊はでてこない
長篠、設楽原の古戦場に行ったことがありますが、起伏の激しい土地で、騎馬戦には向かない戦場でしたね。武田軍の名高い武将達の墓が至る所にあって、武田ファンとしては結構胸にグッとくる場所でした。因みに長篠と設楽原の史跡を全部回るんだったら半日じゃ回りきれないです。1日かけて回るなら十分ですが、午後から散策を始めたら日が暮れて、お墓巡りということもあって殆ど心霊スポット巡りみたくなっちゃいましたね笑笑、真田信綱、昌輝兄弟の墓があった場所とか特に怖かったなぁ〜…長文失礼しました。
クルマは置き場に困る事もあるのでバイク、自転車くらいは欲しい
理想は城や決戦地の近くで宿泊できること
作ってくれてありがとうございます。よく解ります❗
夢中で2時間も見てしまった!うぐっ!
根来、雑賀の鉄砲撃ち。織田勢も石山本願寺攻めで雑賀衆には散々悩まされてましたが、すぐに応用出来る力を持っていたのは流石です😊 興奮しますねぇー!
根来忍者は残忍というイメージがあったのですが、信長とは上手く共闘していたのですね。
上手く忍びを使う、流石に信長ですね。
まだ見始めて1分ですがもう見応えがあるとしか思えません!
またまた見応えのある動画ありがとうございます!
内藤昌豊(工藤家)の傍系の子孫です。
何百年前の出来事ですが、最後まで踏ん張ったご先祖様を思うと胸が苦しくなる
勝頼公は老臣たちを疎んじてたと言われますが、立場を考えるとそうなるのも仕方ないのかなあと感じます。
すご
@@Takeda-Singen. いやいやあなたは本人でしょ?
内藤家には及ばないですが俺の先祖も長篠で亡くなりました。
立場上仕方ないことですけどやっぱり苦しいですね。
武田信玄も若い時は諌める重臣の意見を聞かず信濃の村上軍に大敗してますし決して勝頼が劣っていたとは思いませんが時代の趨勢には逆らえなかったということでしょう。
あと20年早ければもっと武名を残せたでしょうね
あと20年早く生まれていれば…伊達政宗もそうだった。
近代になって勝頼が武田の織田家のような刷新化をしていた事が分かってきているが、どうしても出来なかった箇所が「古来家臣への刷新化への共感」が足りなかったからではないだろうか。
織田家は秀吉や光秀のような浮浪者、浪人も登用したが、武田は殆どいない。何人かいるが、決して当主に意見を言える立場に立てなかった。もしそのような状況になれば、初期の織田のように内乱になりそこに付け込まれ…と勝頼は恐れたのかもしれない。
旧い考えに囚われ、武田は滅んだ、こんなとこかもしれない。
いや、織田にロックオンされたらもう無理でしょ
@@kasinsatoru はあ?しったかすんな、山本勘助や高坂昌信がいるだろ
武田滅亡の原因を無理矢理こじつけるにはあまりに間抜けだな
@@ツバサゴクウスグルケンセイヤ
山本勘助…上杉謙信との戦いで戦死。
高坂昌信…最前線の砦にほぼ左遷。病死。
織田信長の配下と違うのは戦略方針に口出し出来なかった。またはただの1個の駒に徹していた。
秀吉、光秀は古参の重臣から疎まれたが信長は旧い考えを相手せず、新しい考えも聞き入れ採用。
武田氏はやはり中世思考のままだったのだ。
今回も面白かったです
若さが出た勝頼と修羅場をくぐって経験を積んだ信長の差が出ていましたね
長篠の戦はカリフォルニアで使われている高校の世界史の教科書にも載っています。信長君の火縄銃の画期的な活用が世界中に知られています。
ヨーロッパで火縄銃が大規模に使われるのは1631年のブライテンフェルトの戦いからになります。その60年近く前にこれだけ大規模に鉄砲が使われていたのですから、世界史的にもすごいことなんですね。
信長もすごいが、これを高校の世界史で教えるカリフォルニアもすごい。
日本史の人物達で世界で通じるやつなんて数人しかいないと思うけど、信長は間違えなく入るな。たしかポルトガルかイギリスだっけ。火縄銃のお祭りの名前がノブナガ祭りって名前だったような...
もっと勉強せーよ
三段撃ちや武田の騎馬隊が作り話だったって
バレないといいけどね。
絶対に信玄なら取らない戦法を勝頼が取った負け戦。哀れ・・・武田の宿老たち。兵の数より司令官級の人的損失が甚大。
おっしゃる通りで信玄なら、まず信長が来るとわかった時点で長篠城を力攻めして本陣にする。実際に年寄衆はそう進言したそうです。そうして信長の兵科を調べるでしょう。この時は足軽が非常に多かったそうですので信玄なら信長の狙いは読めるから絶対に決戦はしない。そうなれば多分信長には勝算は失くなるので多分撤退したでしょう。だから信長は梅雨明けギリギリに到着して、トコトン勝頼が決戦したくなるように仕向けた。さらに信長は勝頼が少し慢心して年寄衆の助言に耳を貸さない状況であることまで把握していたと言われています。そこまで追い込まれたら鉄砲が沢山あるとわかっていても退路を絶たれた武田に残された道は正面の織田軍団に突っ込んで風穴を開けての撤退しかなかったのです。
今回も楽しい動画を作って頂きありがとうございます。
正直、視聴が追いついていないのが現状です。
動画のみの話ですが、書状の本心の表し方が非常に的を射ており、またユニークです。
家康の援軍要請がもはや援軍要請ではないというのは非常に面白かったです。
また、なぜ木下秀吉の改名が出たのか謎ですが、関係ないですが語呂が良いには笑いました。
信長の「ブツブツ本願寺」の表現にも相当に笑えます。
最初の武田家臣団の金平糖の話は、家臣団の仲良しぶりが見られて微笑ましい限りでした。
この家臣団の存在が逆に勝頼をやり辛くしたのではないか?と思います。
きっと来る貞子のところも非常に面白かったです。
真田信綱の、余計な報告とどうでも良い突っ込みが見れなくなるのは非常に残念ではありますが、
これまでそれほど有名ではなかった信綱をこのようなキャラにした作者に感謝します。
以下は、少し真面目な話ですが、今回の戦いの最大の功労者は鳥居強右衛門だったと思います。
彼の「援軍は来る」の一言が長篠城の城兵を勇気づけ、結果武田方の作戦の大幅な狂いを
生じさせたことは大きな貢献だったと思います。
また、酒井忠次の奇襲も大きかったと思います。
忠次は関東入り以後は不遇でしたが、間違いなく徳川四天王の筆頭だと思いました。
穴山がちゃんと動いていないのすごいです。後の伏線ね
この8時間の戦が今後数百年の歴史を決定することになろうとわ・・・・
また次回も楽しみにしてます
高天神城の戦いを観てきたので再視聴。勝頼さん慢心でしたね。
昔から情報が重要なんですね。
過信と油断は禁物!
酒井忠次の進言の話、好きです。
こちらもとても勉強になりました。
キャラクターの会話も面白いです。
特に地図があるので、地理感とか掴めて非常に有益です。
動画中では省略されているけど、内藤昌豊を討ち取ったのは今川氏真家臣の朝比奈泰勝。
たまたま氏真の使いで家康の陣に居て(氏真自身は家康の元で後方の城で後詰担当)、
追撃戦に加わりこの殊勲を得た。
とりあえず。三段打ち、武田に鉄砲がなく最初から騎馬突撃しているの旧来のでたらめが消え信長公の上手い戦術、勝頼公と武田重臣のしてやられたが分かりやすく面白い動画でした。
この戦で教科書に載せられるほど
決定的に戦争の歴史を変えてしまった信長
というだけでなく、
純粋な戦国時代ファンをも魅了するほど色々なできごとがあった戦なんですね~
この戦には鶴見辰吾さんのご両親のご先祖様、志村けんさんのご先祖様、三木谷浩史楽天会長のご先祖様も参戦していました。
だからなんやねん
かなや
や
父信玄が攻略できなかった、高天神城を落した武田勝頼の力は決して煩悩な武将ではなかった。しかし、この自信が仇となりその後も力ずくで来た。それが武田家を滅びるきっかけとなった。
たぶん凡庸.....
高天神城が第2次大戦におけるシンガポール、そしてこの長篠がミッドウェーなんだよね。
分かりやすくておもしろくてよかったです
高天神城の戦いを観てきたので再視聴。勝頼さん慢心でしたね。
織田徳川軍は武田の倍の兵力差なのに、武田は後方の長篠城に兵を割かねばならない上に、その上で半ば城攻めのような戦をせねばならなかった。
それも大軍が籠る城を寡兵で攻めるような、およそ道理に合わない戦をせねばならない状況に引きずり込まれた武田には、残念ながら勝ち目は万に一つもなかった。
武田家臣として北条編最終回で見た面々がいて感動
一乗谷・小谷城攻めと設楽原合戦の間の「伊勢長島一向一揆攻め」をやって欲しいです
高天神城を見てから来ました、勝頼は慢心してしまいましたね……
ロバートの山本・秋山・馬場ってよくできた名前のトリオだよな
武田真治あたりと共演してほしい
全然関係ないコメントなのにいいね押してる奴いるの大草原www
@@ロンドベル-k4x
秋山信友
山本勘助
馬場信房
武田勝頼 って事じゃない?
@@hkrnswk あー、なるへそ!俺気づかなかったわ!恥ずかしい!教えてくれてありがとう!
@@ロンドベル-k4x どーも!
あと山県と高坂を準備しないとな…
「その時歴史は動いた」の本の中であった、長篠の大敗後に織田方から「一旦、水に流して同盟を結ばない?上杉攻めに協力して滅ぼしたあかつきには上杉領を与えるから」という話を受け入れていたら、勝頼さんと武田家の命運はどうなっていたのでしょうか?
歴史はいろいろ「if」あって、面白いし興味深いですね❗️👍
アメリカから 見ています。戦国時代は 本当に 男のロマンスを感じますね。信長様 やっぱり かっこいいです!
この戦の武田軍の敗北、勝頼の慢心と焦りが原因ではあるけど、それだけでなくそもそも兵力が違いすぎましたね…
確かにそもそも勝頼の判断が間違っていたと思うし
現代で言うところ ベテランと若手の融合.入れ替えをしなかった.いや出来なかった典型的な御家の末路。勉強熱心で有能な武将だったんだけどなぁ……ドンマイ勝頼さん
勝頼について皆さんに知っていてもらいたいことがあるのでコメントします。
勝頼は側室の子で、その側室は武田家から見て敵国出身でした。また、勝頼は正式に跡継ぎとして信玄から任命されたのではなく、真の跡継ぎ(勝頼の子)が育つまでの代行人として任命されただけでした。(微妙な立場だから家臣から見ても少し軽んじられやすい)そんなこともあってか武田家の多くの重臣からは蚊帳の外扱いなところもあったのかもしれません。その家臣達との亀裂を埋めるため、領土を拡大したりとある程度の功績は納めているものの努力が裏目に出てしまったところがあったと思います。家臣たちとよくお茶会を開いたりなどコミュニケーションを取ることにも努めていたそうです。よく勝頼は無能だとか言われておりますが、決して無能な武将ではないと思います。お家を断絶させてしまったため、有能とは言い難いですが、家臣との人間関係があまり良くない中、信玄が攻略できなかった土地を制覇してることから普通以上の実力はあったのではないでしょうか?
あと長篠の戦いの突撃ですが、後方の城を落とされてしまえば、前に出るしかありません。決してヤケクソになって全軍突撃した訳ではないと思います。
そしてこれは私の感想ですが、最後の最後で家臣に裏切られ方自刃するなど生き様が正反対な朝倉義景と同じ死に方をしていますよね。世の中不平等だと思います…個人的に勝頼は哀愁漂う滅びの美学に相応しい武将だと思ってます。ただただ若い血気盛んな武将だと思われがちですが、以上のことをより多くの人に知っていただければ幸いです。長文失礼しました。
勝頼は、陣代で正式な後継者ではなかった、と言う説がありますが私はそうは思いません、高遠から躑躅が崎の新館に入った、と言うことは正式な後継者と言うことです、御披露目もしていますが、時期が遅すぎました信玄が死ぬ2年前です。
古参陣と勝頼側近陣の対立はともかく勝頼が出てくのは仕方なかった感はある
武田と織田の国力差がどんどん開いていくからこの辺で1度主力部隊を叩かないといけなかっただろうし
信濃や甲斐は、山ばっかだからね。金が採れなくなるとつらい。駿河は裕福そうだけど。
時代を遡って上田原の戦いとかやって欲しいです。
個人的に今年のMVP UA-camr 最有力候補です!
面白いし勉強になります!
鳥居強右衛門は真の漢
チーズ牛丼3種の 人狼ジャッジメントやめい
まさにモノホンのヤクザ
甲州討伐も楽しみにしておりますぞ
おもしろいです。次も期待してます。
武田好きなのでずっと見るの躊躇してた。
やっぱり辛いな。
待ってましたー!!!!
待ってたあ!!!
最近の作品は細かいところまで作りこんで時間が伸びまくっているからリメイク版で鳥居さんを救ってほしいですw
今回のうぐ集
1号 15:22 鳥居強右衛門
2号 28:36 河窪信実
3号 32:25 真田信綱
(32:40 死なずにぐを一つ足して二回うぐった武田勝頼さん)
4号 33:04(のおよそ10秒後)
山県政景
5号 34:44 内藤昌豊
6号 35:13 馬場信房
合計6うぐ
通算10うぐ
真田信綱 享年39歳、信綱の弟の昌輝は33歳、山県昌景は47歳、内藤昌豊は54歳、馬場信房は61歳であった。
これを待ってた!!
鳥居強右衛門大幅カットは泣ける
山県昌景の死に様が忠勝のただの噛ませ犬扱い💢
ある作品で勝頼はあくまで次の武田家当主が大きくなるまでの繋ぎの当主であり、10年足らずで当主の座を明け渡さないといけない事情が勝頼に性急な戦をさせたという見方もあるようです。
そんなことをしたら上手くいかないに決まっています信玄はそんなバカではありません。
@@虫山セカンド 信玄は類まれなる戦上手ではありましたが、外交や家内統制に関しては失策も多い人物です
@@umakara55 ですよね。武田信玄って史実以上に神格化されてますよね。徳川家康を追い込んだことがあるので、徳川幕府も信玄の神格化を止めなかったみたいですし、信玄を格上げすれば三方ヶ原で負けた家康も信玄相手じゃしょうがないなと思いますし。
戦国無双とかでもそうだけど、長篠の戦いは残酷なまでの武田の騎馬武者のボロ負けを見るのが、見てはいけないものを見てしまっているようでキツい
yukimuraさん!!これを待っていたのですよ!
1番すきな合戦です
徳川が好きなのですが、武田の散り際もカッコイイ✨
次回も楽しみにしてます!
やっぱり信長はすごいなというのと鳥居強右衛門がかっこよすぎる!
毎回楽しみにしてます!
この戦いは地域格差というか、どんな強力な大国でも結局地方だったんだなと感じさせられてしまうな
日本で最も物流の盛んだった尾張という場所に信長という男が生まれたのは奇跡と言えるかもしれないな
むしろ尾張だったから
今日知られる信長が生まれたとも…
環境の差が人を生んだとしか
(生まれながらより環境で人は影響受ける)
でも三好長慶とかも最高の立地だけど成功しなかったことを考えるとやっぱり信長は偉大やで
@@aaj42930 天下布武は信長の器量+尾張の立地+忠実な家臣団でなし得たことだからもちろん信長は偉大です
その対極が朝倉義景とかじゃないですか
三好長慶は立派な成功者ですよ
@@七階堂ふみ-g1x
そうか?確かに基盤は作ったけど松永久秀に誑かされて弟とかも殺して自ら権力基盤無くしてるんじゃない?
三好長慶はそれこそ近すぎたからダメだった。基盤脆い癖に自立意識強すぎる義輝(政所もとい裁判所の決めた判決に介入しようとしたこともあり、あの、松永が諫めるレベル)の面倒見るとかやること多いし、細川家畠山家等の分裂争いやらに巻き込まれて家中まとまらないし、畿内はそれこそ比叡山や本願寺や興福寺等寺社勢力や国衆の発言力が強すぎる(六角とかも…)。
幕府の血みどろの争いに巻き込まれない程よい遠さってのが良かったし、織田の場合はそれこそ東は徳川が良い協力者になってくれたから京方面に集中できたのも大きいだろう(朝倉は若狭武田&一向宗と両サイドに爆弾で仮に倒しても毘沙門天と隣接しうるしそもそも畿内の大名は三好とやりあう体力がない、毛利は尼子と大内+大友と両サイドに大国とどの大名も懸念材料ある)
長篠の戦いで、織田·徳川軍鉄砲隊長活躍で勝利しました!
地図や戦術や合戦状況が細かく描かれているのが分かりやすくいつも楽しみにしてます!
長篠の次は、信長と上杉の『手取川の戦い』をお願いします!
勝頼「足軽バーン!弓隊ビューン!騎馬隊ドドーン!」は草
武田の未来を考えるとキン肉マンみたいな冗談を言ってる場合ではなかった・・・
ダメダメ主君(勝頼)
大阪府民の道案内で草
信長は初めから野戦などする気はなかったという見方があるそうですね。
馬防柵と陣城で攻城戦として武田が攻めてきてくれればよし、
長篠城を見捨ててでも自分の方から攻める気など無かったと。
「目の前に家康と信長がいるぞ!」
で攻城戦を仕掛けてしまった時点で勝頼の負けなのだと。
信玄も勝頼に
「信長と戦う時は地の利で戦え」
と遺言してたようですし、
功を焦った勝頼の判断ミスなんでしょうね。
決戦前の武田陣営内部での対立は主戦論vs撤退論ではなく戦後の論功行賞を見据えた主導権争いだったのでは?今まで信玄のもとで全戦全勝だったことで信玄時代の宿老連中も勝頼の側近連中も戦えば必ず勝てると思っていた節があることから両者の対立は「誰が信長と家康の首級を挙げるのか」「織田徳川滅亡後の広大な領土をどう配分するか」といった対立だったが後世になって主戦論vs撤退論にすり変えられたのだと思う。
若さ故の暴走、信玄の負の遺産、
勝頼好きです
僕は元々信玄公が好きで不肖の息子と言われた、勝頼公の事をよく思っていませんでした。
しかし色々知っていく内に信玄公よりも好きになってしまいました。
長篠以降の武田家の立て直しに尽力したり、家族愛に溢れ当時としては珍しい奥方と二人で神社へ参拝したり、肖像画を描いてもらった時も自分と一緒に奥方と息子も描いてもらったようで😉
ただ戦の相手が信長で時代の流れに逆らえずに滅亡したようで。
自分が死んだら一番会ってみたい歴史上の人物ですね。
@@武田勝頼-f1u 一部将としては優秀で、武将としては、信玄公には及ばないにしても、信長公、家康公を苦戦させている。ただ、信長公が畿内を制圧してしまうと、経済力、政治力、人口などで圧倒されてしまい滅亡してしまったけれど、直前まで、真田が北条を苦戦させている。武田ももう少しまとまるか、浅間山が噴火しなければ、上杉家のように生き延びられたのではないでしょうか。
この後武田は衰退と滅亡へと進む訳だが、決して勝頼が無能なせいではない。もしこの時信玄が存命なら、信長が来ると知った時点で長篠城を落として様子を見るか決戦を避けて撤退したであろうが、武田が滅亡しなかったかと言えば信玄がいても変わらなかったと思う。
この時の織田の国力は少なくとも武田の5倍はあったはずなので織田にケンカ売った時点で信玄がいても武田の滅亡は避けられなかったはず。
もっとも信玄ならこの時の織田と武田単体での決戦はしないでしょうが。
@@soleil-rk2bi でも喧嘩を始めたの信玄だからねえ。。。
@@soleil-rk2bi いやそうじゃなくて、信玄ならば1573年の時点で物事考えないと駄目だろ、本当に信玄過小評価する奴らって頭悪い奴多すぎるわ
あの時点の信長はまだ鉄砲を大量保有叶わず、かなり追い詰められた状態であり、信玄があのまま存命であれば、再び北条と敵対なんてしないはずだし間違いなく三河遠江は領土化にまで至っていただろうから、その辺りから考えないと
この役40年後に真田が鉄砲で徳川を蹴散らしたのマジで胸熱だな
来週現地に行くので復習します!
ユキムラさん、お疲れ様です!あのイケイケの信長が、あの策略をされたら、勝ち目は無い、それに、まだ若い武将では、勝ち目は無いですねぇ!次は、どこの誰なのかぁ、楽しみにしていますよ!ユキムラさんもコロナには気を付けてください!
勝頼が騎馬隊を過信したせいもあるけど、信長が凄過ぎた。
根来衆と戦っていたから、鉄砲戦術を彼らから学んだからのようだ。信長は、失敗を活かすから。米軍みたいだね。
天目山の戦いも見たいです😊
毎度のことながらめちゃくちゃ面白い
勝頼が凡才なのではなく親父が偉大すぎただけ
勝頼も大変だったろうに
失敗した相手か3英傑だから。村上くらいなら良かったのに。
忠勝はいつも迫力がある笑笑!
これは面白い❗🎵
チャンネル登録したよ。
情報戦で信長が優性過ぎる
いつも楽しみにしてます🎵おもしろいです😀
とても分かりやすく、面白く描かれていて見るのが楽しみです。
今回長い話のせいか、せっかく鳥居 強右衛門が出てきたので、
エピソードを入れてもらえるとよかったなと思いました。
あの旗印は本当は上下が逆だったところとかね。
信長の野望で馬場信春が言ったように
「ここで信長・徳川を叩いておかないと数万の兵を引き連れて甲斐になだれ込んでくる」
って言葉の通り、焦ってたんだろうな
やっぱり酒井忠次隊の活躍がでかいね
まさにその通り、これで勝頼は決戦を挑むしか選択肢かなくなった。
その中に、鶴見辰吾さんのお母様のご先祖様もいました。
昌景様、昌豊様、信房様、昌胤様、信綱様、昌輝様…この戦で四天王の3人、多くの重臣がここで散っていってしまった。勝頼公もさぞ肩を落とされたでしょう。
何にせよ、人は何を背負うかで大きく変わりますな。勝頼は、諏訪で大人しく生涯を終えた方が幸せだったかも。武士の道を、領主の道を選んだ~武士として領主として、立派に生きて亡くなられましたね。
今武田の歴史を学びたくて見てます!
合戦の背景まで解説してくれるので大好きなチャンネルです!
今やってる北条家はあまり興味ないので、毛利家をやってほしい!
70戦無傷の馬場信房vs50戦無傷の本多忠勝
めっちゃ見たかった。。。
確かに長篠の戦いの時は梅雨時期だったが、決戦の時だけ快晴になった。
天は信長と家康の方に付いたか。
信長は桶狭間の戦いにおいても天候が味方しています。
鉄砲を封じるためならば寧ろ雨の時を狙って攻撃を仕掛けるべきだったのでしょうが、豪雨では見通しが悪くなり勢いを削がれる恐れもあったので武田軍は晴れるのを待ったのかもしれません。
いや。信長はわざとゆっくり進軍した。実際は斥候を使って決戦地の梅雨明けの時期を農民からヒアリングしていたのでそれに合わせて進軍したのです。信長は四方を見渡す限り敵だらけだったので騎馬隊を中心とする精鋭は尾張や岐阜国境に残して置かなければならず徳川への援軍は足軽と工兵中心でしか編成できなかったので鉄砲や弓隊、長槍隊を中心に飛び道具とリーチと数で安全な柵の中から迎撃するほかしか無かった。実際に織田徳川の圧勝ではなくど南北と中央の馬防柵は破られるか迂回され数千の死傷者を出した。
馬場 山県 内藤 真田兄弟 三枝と主だった譜代家臣を失ったのは痛すぎたよな
勝頼は偉大な父を意識しすぎなければまた違っていたんだろうけどね
ちなみに真田兄弟の戦死が昌幸の家督相続になった。
勝頼が、ちゃんと描かれているのが素敵♪♪
ただの無能と思われている方も多いので。
勝頼は無能じゃなくて意見も取り入れる人だし、24騎の1人でもある猛将としても評価は高い。
当主としては…
当主として、臣下の建言を良い理由も無いで却下し、力任せだけで戦をやるのやつ、無能の評判は適切。
@@vans2721 甲陽軍鑑には、勝頼は「強すぎたる大将」と書かれている
@yamada taro 桶狭間の織田信長も大馬鹿、上田合戦の真田昌幸も大馬鹿だね
@yamada taro 信長も真田昌幸も今川や徳川を挑発しなければ戦は回避できました^^
26:50 歓喜!!