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中曽根のブレーンになってからの偉そうな態度は…少しは戦時中のことを反省しろよと思った
所詮はチンピラだと私は思いますけどね。
露のスパイ
いろいろな点で大東亜戦争の敗戦と大量の兵士や民間人の犠牲者に対して大本営の一員としての大罪の一端の責任はあろう。
配信ありがとうございます。
こちらこそご視聴ありがとうございます!引き続きよろしくお願い申し上げます!
戦後ソ連の高官がアメリカに亡命し、日本国内のソ連スパイを暴露した中に、この瀬島が入っていました。申し訳ないですがそう言う人物を擁護するような配信は、我が国にとってマイナスだと思います。
シベリア抑留の張本人。昭和天皇も1番許せないと言ってたと思います。
ご視聴ありがとうございます。ご意見しかと拝見させていただきました。コメントをいただき深謝致します。
佐々淳行(警察キャリア、初代内閣安全保障室長)は ソ連のスパイを張ってたら 瀬島と接触してたと言ってましたね
陸軍参謀本部にはソ連と共同して英米に当たるというお花畑が戦争後半会ったのは事実
素晴らしい動画に深謝致します🙇 戦前の政府や軍部に沢山の共産主義者がいて、革命を志向しておりましたね。 未熟な資本主義社会では正統化もされうる!? 瀬島龍三さんには残念な思いがしますが、歴史事実として受け入れたい🤣 応援📣
父と陸軍士官学校で同期だった人ですが。同期の中でもトップクラスのエリートだったらしいが彼はいつも自分を安全地帯に置く事には長けていたようです。
この瀬島はソ連抑留から帰った後、スリーパーになっているという噂があったらしいが、後に中曽根元首相が政治ブレーンに引き込んだ際には、当然中曽根元首相はこいつの正体を知っていながら引き入れたんだろうね。
台湾航空戦についての「情報握り潰し」については、当時の大本営陸海軍部内の雰囲気もあり、瀬島中佐のような若手佐官ではネガティヴな情報の具申ができなかったのかもしれませんね。山下大将からしたら堪ったものでありませんが。
配信ありがとうございます。責任云々の話はごもっともと思うこともありますが、もともと大本営陸軍部(参謀本部)第一部第二課って、そんなに人がいるわけじゃないですからね…
戦後、戦前の日本軍人の業績につき評価する際に、戦後の生きざまに、人間としぶれていないことにつき、今や真摯に受け止めて評価すべき時期に至っていると理解します。今回の総選挙が、戦後の連合軍の手先となり多くの方が利用され、未だに自民党の裏金問題の経緯を読み解くと、いかに、戦後もぶれず功績をあげた方々を評価することが、現在をいきる人の努めと理解します。瀬島さんは最後の軍人の任務として、ロシアとの停戦交渉に当たっています。当時、ロシアは、ヤルタ協定にて、米国が、本土を占領するなら、ロシアは北海道に侵攻すると提言していた事実が明らかになっています。瀬島さん自ら一切口外していないと理解しています。だが、戦後十数年を経て、昭和天皇から、外国の賓客のレセプションの際、別室にご夫婦で呼ばれて、直々に先の大戦に触れて労いのお言葉を頂き感涙したと述べています。
台湾航空戦の誤報訂正を握りつぶして、終戦間際にモスクワに行ってシベリア抑留了承してきた人
動画とても楽しかったです。ちょっと気になったのですが台湾沖の誤報握り潰し事件の告白の席に同席したのは、堀参謀のご子息でなくて、田中静壱氏のご子息だった記憶があります。あと瀬島が捷一号作戦のために比島視察後に「心気症」と診断されたとして休職したので、それが体調不良ということなんでしょうかね。(これを仮病いう参謀もいますので真意は謎です)
現在でも有りがちな、教科書とペーパーテストだけが突出した優等生の典型例です。陸士は次席卒の銀時計組、陸大は首席卒の軍刀組だけに、例外なく陸軍参謀本部作戦部作戦課付参謀となり、起案した作戦計画は、その殆どが班長~課長~~部長の手を加える事が無いか稀な修正ぐらいで参謀総長決裁に至った事から「瀬島参謀総長」とまで称された。此の間、比島赴任途中の情報参謀堀栄三中佐が、鹿屋基地から打電した「台湾沖航空戦」の戦果が誤りである可能性甚だ大につき、再度検討を要求する電文を握り潰した(帰国後本人に伝えながら、後で否定)戦争末期の昭和20年には関東軍参謀に転出(前任者は竹田宮恒徳王陸軍中佐)し、ソ連侵攻👉️降伏交渉軍使を経て捕虜となった。帰国後は自衛隊入隊の勧めもあったが、家族の反対で断念して伊藤忠商事に入社しかし、コレだけ「毀誉褒貶」が非常に激しい曲者も、珍しいくらいだ。ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B3%B6%E9%BE%8D%E4%B8%89
台湾沖航空戦の誤認の結果として行われたのは、大規模に定められていた動かしがたい作戦の維持ではなく、攻勢的な作戦への急改変だった筈です。これがために、幾分かマシに構築されていた防衛計画を捨て、輸送中にむざむざ溺れ死んだり、陣地構築や陣形が全く整わないまま無念の戦死しなくても良かった玉砕を敷いられた勇敢で能力のあったはずの日本兵、すなわち私達と同じ普通の日本国民、が大量に出たと記憶しています。従って瀬島らが「重い雰囲気に押された」事には違和感を感じます。自分たちの逆転の作戦を撤回したくなった、恥ずかしくてできなかった(どうせ悪いのは海軍だ…)、それだけではないでしょうか?なにせ、ここでまんまと味方の甘言に迂闊に乗りましたと言うような無能を晒せば、学歴と経歴が全ての官僚にとって、戦後の生活水準に関わってくる可能性が高くあります…たとえ自分たちの決断(怠慢)により、恐ろしいほど多くの日本人たちが、二度と家族のもとに戻れないと解っていても(知らなかった)フリをした方が得策と考えたのだと思います。そもそも、勝てない戦争を始めた時点で、マトモな正論が通らない状況であったことは確かだと思いますが、彼らは自分自身で正論を潰すことを、確かににやったのだと思います。
ミッドウエー海戦は、機体の損耗は多かったが、パイロットはさほど損耗していなかった、と淵田美津雄大佐が『機動部隊』で回想しているのだが・・・。
搭乗員1/3が戦死されてます歴戦の船乗りが多数 戦死されてます
昔、佐々淳行さんが外事課で日本国内のKGBを監視していた時、麻布狸穴町のソ連大使館近くの公園で大使館員と頻繁に会う日本人がいてそれが瀬島だったという。瀬島を逮捕すべしと後藤田正晴に進言したのだけどストップがかかったそう。
そもそも勝てる戦争なのかどうかの見極めができないならどうしようもない。
美男子だな。俳優でも通じる容姿だ。しかも陸軍参謀なら当時としてはスーパーエリートだしな。
今を見る→正しい
9:52 陸軍としては陸軍の提案に反対である
すーつかっこえ
伊藤忠商事から解説した方がこの人はいいと思うよ
伊藤忠が繊維商社から脱却すべく 航空機商戦に参入したときに この御仁を入社させたしかしこのときの航空機商戦に負けて 次のレーダーなどでは受注したが それ以降 航空機商戦には参入せず その代わりに賠償ビジネスに参入し 巨額な利益を得たとも瀬島軍団ともてはやされてましたね
@@asaichban9842😅
まあ、少佐クラスの瀬島に、当時の作戦課の責任を全部背負わすのは無理がある。おそらく、課長クラスか班長クラスとのコンビで作戦を立案しているくらいではないかな?それに、彼自身、もう相当参謀本部勤務を続けているため、どっかの司令部の参謀か、隊付けが必要になってくる。彼自身のキャリアが危なくなりますからね。
日本のよふけに出ていた時のおじいちゃんの印象しかなかったのですが、若い頃は男前だったんですねえ。
写真は30代半ばの頃です
日本のよふけ、瀬島特集見てました。余りのインパクトに二度目の収録にネプチューン名倉がスタジオセット外にいたり、仁鶴師匠が司会の鶴瓶さんに興奮したりとありましたねわ、
そもそも陸軍では田中義一による「六列車」報告を高く評価するという悪弊があったからセーさんだけの問題では無いと思う。
こんな佐官クラスが・・・服部、辻、瀬島、源田・・・・・旧帝国陸海軍ってそこがおかしい
なぜこんな音声に!全く視聴する気が起こらない。
中曽根のブレーンになってからの偉そうな態度は…少しは戦時中のことを反省しろよと思った
所詮はチンピラだと私は思いますけどね。
露のスパイ
いろいろな点で大東亜戦争の敗戦と大量の兵士や民間人の犠牲者に対して大本営の一員としての大罪の一端の責任はあろう。
配信ありがとうございます。
こちらこそご視聴ありがとうございます!引き続きよろしくお願い申し上げます!
戦後ソ連の高官がアメリカに亡命し、日本国内のソ連スパイを暴露した中に、この瀬島が入っていました。
申し訳ないですがそう言う人物を擁護するような配信は、我が国にとってマイナスだと思います。
シベリア抑留の張本人。昭和天皇も1番許せないと言ってたと思います。
ご視聴ありがとうございます。ご意見しかと拝見させていただきました。コメントをいただき深謝致します。
佐々淳行(警察キャリア、初代内閣安全保障室長)は ソ連のスパイを張ってたら 瀬島と接触してたと言ってましたね
陸軍参謀本部にはソ連と共同して英米に当たるというお花畑が戦争後半会ったのは事実
素晴らしい動画に深謝致します🙇 戦前の政府や軍部に沢山の共産主義者がいて、革命を志向しておりましたね。 未熟な資本主義社会では正統化もされうる!? 瀬島龍三さんには残念な思いがしますが、歴史事実として受け入れたい🤣
応援📣
父と陸軍士官学校で同期だった人ですが。
同期の中でもトップクラスのエリートだったらしいが
彼はいつも自分を安全地帯に置く事には長けていたようです。
この瀬島はソ連抑留から帰った後、スリーパーになっているという噂があったらしいが、後に中曽根元首相が政治ブレーンに引き込んだ際には、当然中曽根元首相はこいつの正体を知っていながら引き入れたんだろうね。
台湾航空戦についての「情報握り潰し」については、当時の大本営陸海軍部内の雰囲気もあり、瀬島中佐のような若手佐官ではネガティヴな情報の具申ができなかったのかもしれませんね。山下大将からしたら堪ったものでありませんが。
配信ありがとうございます。
責任云々の話はごもっともと思うこともありますが、もともと大本営陸軍部(参謀本部)第一部第二課って、そんなに人がいるわけじゃないですからね…
戦後、戦前の日本軍人の業績につき評価する際に、戦後の生きざまに、人間としぶれていないことにつき、今や真摯に受け止めて評価すべき時期に至っていると理解します。今回の総選挙が、戦後の連合軍の手先となり多くの方が利用され、未だに自民党の裏金問題の経緯を読み解くと、いかに、戦後もぶれず功績をあげた方々を評価することが、現在をいきる人の努めと理解します。瀬島さんは最後の軍人の任務として、ロシアとの停戦交渉に当たっています。当時、ロシアは、ヤルタ協定にて、米国が、本土を占領するなら、ロシアは北海道に侵攻すると提言していた事実が明らかになっています。瀬島さん自ら一切口外していないと理解しています。だが、戦後十数年を経て、昭和天皇から、外国の賓客のレセプションの際、別室にご夫婦で呼ばれて、直々に先の大戦に触れて労いのお言葉を頂き感涙したと述べています。
台湾航空戦の誤報訂正を握りつぶして、終戦間際にモスクワに行ってシベリア抑留了承してきた人
動画とても楽しかったです。
ちょっと気になったのですが台湾沖の誤報握り潰し事件の告白の席に同席したのは、堀参謀のご子息でなくて、田中静壱氏のご子息だった記憶があります。
あと瀬島が捷一号作戦のために比島視察後に「心気症」と診断されたとして休職したので、それが体調不良ということなんでしょうかね。(これを仮病いう参謀もいますので真意は謎です)
現在でも有りがちな、教科書とペーパーテストだけが突出した優等生の典型例です。
陸士は次席卒の銀時計組、陸大は首席卒の軍刀組だけに、例外なく陸軍参謀本部作戦部作戦課付参謀となり、起案した作戦計画は、その殆どが班長~課長~~部長の手を加える事が無いか稀な修正ぐらいで参謀総長決裁に至った事から「瀬島参謀総長」とまで称された。
此の間、比島赴任途中の情報参謀堀栄三中佐が、鹿屋基地から打電した「台湾沖航空戦」の戦果が誤りである可能性甚だ大につき、再度検討を要求する電文を握り潰した(帰国後本人に伝えながら、後で否定)
戦争末期の昭和20年には関東軍参謀に転出(前任者は竹田宮恒徳王陸軍中佐)し、ソ連侵攻👉️降伏交渉軍使を経て捕虜となった。
帰国後は自衛隊入隊の勧めもあったが、家族の反対で断念して伊藤忠商事に入社
しかし、コレだけ「毀誉褒貶」が非常に激しい曲者も、珍しいくらいだ。
ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B3%B6%E9%BE%8D%E4%B8%89
台湾沖航空戦の誤認の結果として行われたのは、大規模に定められていた動かしがたい作戦の維持ではなく、攻勢的な作戦への急改変だった筈です。
これがために、幾分かマシに構築されていた防衛計画を捨て、輸送中にむざむざ溺れ死んだり、陣地構築や陣形が全く整わないまま無念の戦死しなくても良かった玉砕を敷いられた勇敢で能力のあったはずの日本兵、すなわち私達と同じ普通の日本国民、が大量に出たと記憶しています。
従って瀬島らが「重い雰囲気に押された」事には違和感を感じます。自分たちの逆転の作戦を撤回したくなった、恥ずかしくてできなかった(どうせ悪いのは海軍だ…)、それだけではないでしょうか?
なにせ、ここでまんまと味方の甘言に迂闊に乗りましたと言うような無能を晒せば、学歴と経歴が全ての官僚にとって、戦後の生活水準に関わってくる可能性が高くあります…たとえ自分たちの決断(怠慢)により、恐ろしいほど多くの日本人たちが、二度と家族のもとに戻れないと解っていても(知らなかった)フリをした方が得策と考えたのだと思います。
そもそも、勝てない戦争を始めた時点で、マトモな正論が通らない状況であったことは確かだと思いますが、彼らは自分自身で正論を潰すことを、確かににやったのだと思います。
ミッドウエー海戦は、機体の損耗は多かったが、パイロットはさほど損耗していなかった、と淵田美津雄大佐が『機動部隊』で回想しているのだが・・・。
搭乗員1/3が戦死されてます
歴戦の船乗りが多数 戦死されてます
昔、佐々淳行さんが外事課で日本国内のKGBを監視していた時、麻布狸穴町のソ連大使館近くの公園で大使館員と頻繁に会う日本人がいてそれが瀬島だったという。瀬島を逮捕すべしと後藤田正晴に進言したのだけどストップがかかったそう。
そもそも勝てる戦争なのかどうかの
見極めができないならどうしようもない。
美男子だな。
俳優でも通じる容姿だ。
しかも陸軍参謀なら当時としてはスーパーエリートだしな。
今を見る→正しい
9:52 陸軍としては陸軍の提案に反対である
すーつかっこえ
伊藤忠商事から解説した方がこの人はいいと思うよ
伊藤忠が繊維商社から脱却すべく 航空機商戦に参入したときに この御仁を入社させた
しかしこのときの航空機商戦に負けて 次のレーダーなどでは受注したが それ以降 航空機商戦には参入せず
その代わりに賠償ビジネスに参入し 巨額な利益を得たとも
瀬島軍団ともてはやされてましたね
@@asaichban9842😅
まあ、少佐クラスの瀬島に、当時の作戦課の責任を全部背負わすのは無理がある。おそらく、課長クラスか班長クラスとのコンビで作戦を立案しているくらいではないかな?それに、彼自身、もう相当参謀本部勤務を続けているため、どっかの司令部の参謀か、隊付けが必要になってくる。彼自身のキャリアが危なくなりますからね。
日本のよふけに出ていた時のおじいちゃんの印象しかなかったのですが、若い頃は男前だったんですねえ。
写真は30代半ばの頃です
日本のよふけ、瀬島特集見てました。
余りのインパクトに二度目の収録にネプチューン名倉がスタジオセット外にいたり、仁鶴師匠が司会の鶴瓶さんに興奮したりとありましたねわ、
そもそも陸軍では田中義一による「六列車」報告を高く評価するという悪弊があったからセーさんだけの問題では無いと思う。
こんな佐官クラスが・・・
服部、辻、瀬島、源田・・・・・
旧帝国陸海軍ってそこがおかしい
なぜこんな音声に!全く視聴する気が起こらない。