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ご覧頂きありがとうございます。三国志の天下分け目の戦い、官渡の戦い。圧倒的有利と思われた袁紹がまさかの敗退!なぜ、袁紹軍は敗北したのか?皆さんのご意見をお聞かせください。リーダーは決断力と、誰の意見を採用するかが重要ですね。勉強になります。
昨今のウクライナVSロシアの戦争にも同じことがいえるな
そうなんですね、今のNewsに疎くて。
袁紹のイラストだけ猿なの悪意的なんよw
すいません、、、
「兵糧はウソウにある」「嘘うーー??」
うん、そう!
( ´艸`)
中国が後漢末から唐の中期までずっと戦争してたのは以下の二つのことのせいな気がする。1.曹操が赤壁で負けたこと、2.樊城で孫権が関羽を裏切ったことだと思うんだよな。赤壁で勝ってれば順当に曹操が統治してただろうし、孫権は統一するほどの力はないくせに場を引っ掻き回したから数百年ずっと戦争だったんだろうな。
曹操に天運があったのだ皆んな袁紹に割と辛辣だが寧ろあの時の袁紹に勝てたから曹操は凄いのよ…そこを見誤ってる
天運!確かにその通りですね。
みんな、袁紹に対して辛口すぎるのは同感です。ここで辛口な意見を出してる人は結果しか見てないと思います。
勢力立ち上げた直後の袁紹(いくら家格が勝っても、一族中での地位はかなり低かったと思われる)は英雄的資質を備えていたが、組織が肥大化するにつれ、グダったという印象。
@@Hayato_Takezawa 曹操もそうだけど組織がデカくなるとそういう事態は発生しますねー
官渡の直後はまだ巻き返せるだけの力は残ってたし、実際に混乱を立て直して攻勢に出るまでにはなってる。その直後に袁紹が死ぬ幸運が無かったら曹操もどうなってたかという感じ。敗北自体は致命傷じゃなかったんだからそもそも官渡の敗戦だけで袁紹の人間性を論じる事自体がどうなんだという所がある。
まさに「宝の持ち腐れ」ですね、袁紹は。しかし、曹操と織田信長は本当に共通点がありますね。
そうですね、信長とかぶりますね。
官渡の戦い直前まで、曹操は袁紹陣営であり、袁術陣営の公孫瓉や呂布と戦っていた袁術陣営が消滅したことで、曹操は袁紹に「反乱を起こした」というのが、建前上の関係だから戦いの主体は、袁紹を見限り格下の曹操についた「荀彧と郭嘉の戦い」である
あれだけ優秀な文官武将を揃えながら。。。
逆、逆を袁紹は引きましたね。
まだまだ知らないことがたくさんある。確かに郭嘉が言うなら手放しで従ってもいいかもしれないw。あと、いつの時代も歯茎を見せたやつが負けるんやなって。
でも、勝ったから良い様なものの、曹操も薄氷の勝利だったと冷や汗をかいていたと思われ
許攸が裏切ってなければ、曹操が負けていた
@@山田敦士-x5k ホントにそうですよね
そうですね、何回もおいこまれてますよね。
官渡の戦いで勝利するも、大軍にものを言わせて呉に攻め込んで赤壁で敗れるのは歴史の皮肉😅
そうですね、次は曹操の番ですね、、、
赤壁・烏林では曹操陣営の将が参加しておらず、降伏した劉琮の水軍が主戦力だった事が伺えます。曹操は領有したばかりの荊州各地の経営に連れて来た主戦力を投入していますので、従属してくる予定の孫権との戦いは過去の劉表・黄祖との因縁によって起きた曹操にとっては想定しない偶発的なものだったのでしょう。現に孫権は赤壁で守勢に回るどころか自ら軍を率い合肥と徐州に同時侵攻しています。
田豊と沮授の献策を素直に用いていれば、曹操軍を窮地に追いやっていたかもしれないのに。二人が不憫でならない。
そうですね、この二人を更迭してしまうから、、、、
@@sangokushich 田豊、沮授そして審配や張郃といったあたりって実は元々の地元(冀州)出身者で袁紹に冀州を奪われた韓馥に元々使えていましたもっと言うと特に前三者はそれぞれ冀州牧の側近(従事)の中でも首席、次席の補佐官職に任命されるような地元名士でした韓馥にしろ袁紹にしろ(官渡戦後の)曹操にしろ(とりあえず最初は)彼らを高く評価するのは外様である彼ら(全員豫洲の名家出身)が冀州を統治するのに地元名家の存在が無視できなかったという事の現れでありまた後の袁紹のように統治が軌道に乗った後次第に彼らを邪険に扱うようになるのは地元名士層から主導権を奪い返し君主権を確立しようとする動きなのかもしれません
というか割と沮授田豊の策は入れてて、官渡はその巨大になった権限を削る時期になってる
兵力差で慢心していた袁紹、常に危機感を抱いていた曹操。結果は曹操の逆転勝利だが、後の赤壁では自分がかつての袁紹の様な立場になって逆転敗けするのは何とも皮肉な話だな。
勝って、負けて、どらまですね!
官渡って地図上で見るに西の司隷の中心洛陽と東の曹操の旗揚げ以来の根拠地陳留を結ぶ街道の中間、北の袁紹領の中心地鄴と南の後漢皇帝の宮城と曹操が定めていた許の中間というまさに”結節点”に位置する地であり、孫子で言うところの『争地』なわけですこの地を拠点に籠城した曹操はさすがに兵法者、そのあたりの地政学的意味付けも理解していたという事でしょうね
なるほど、官渡の地図上の結果もありますか!勉強になります。
明智秀満みを感じる公孫瓚だな笑
すいません、イラストも作る費用のない素人動画で。
袁紹の臣下たちも、名士だったので足の引っ張り合いがあったのだろうと考えます。袁紹は名家の出身だっただけに、名士たちの呪縛から抜け出ることはできなかったでしょう。それに対して、曹操は袁紹よりも家格が落ち、祖父が宦官出身だったため、名士という縛りに囚われていない分、行動しやすかったのかなと。
内部の権力闘争ですか。確かに名士たちの争いはあったでしょうね。
結局、魏も名士国家から逃れられていないからなぁ…
袁紹が愚かかどうかいう前に……。自軍が不利な時の曹操の冴え具合は神憑り的だし、博奕に近い策が面白いように成功する。対青州黄巾軍、寃州での対呂布軍、官渡の戦いでの対袁紹軍、白狼山での対異民族戦、そして馬超相手の渭水の戦い。自軍が不利になればなるほど、冴えに冴えまくる逆境での強さこそが曹操の本分。なお、対張繍や赤壁みたいに自軍が圧倒的に有利だと……笑。
そうですね、曹操が優れていたというほうがただしいですね。
心なしか春来さんのトーンが高いような😊やっぱり官渡の戦いが好きなのかな?袁紹軍の内情を知る荀彧、部下を信じる曹操。袁紹も部下を信じてたらもっと違う展開になってだでしょうね。神がかりの荀彧の采配ですね。私も官渡の戦いが1番すきです😊
そうですね!大好きです。袁紹も大好きです。
「失敗は許攸のせいに違いない。いや、そうに決まった!」
で、結果、裏切られる、、、
若い頃の曹操と袁紹は仲が良く、一緒に女性の廬に夜這いをかけたりする悪友でもあったそうですね。その実、体格に自信のない曹操は体躯に恵まれた袁紹に嫉妬していたという話も、、、
そうなんですね、勉強になります。
袁紹って朝倉義景に似てるんだよな。お互い上手く立ち回ってたら天下取れてた思うんだよな。そして後世馬鹿にされてしまうところなんか。
兵力差があったにもかかわらず、幕下の優秀な人材を活用出来なかったことが最大の原因。史書の三国志では袁紹を“その愚かさは度し難い”とケチョンケチョンです💦
悪名を残してしまいましたね。
賢臣の進言を聞かない、愚臣の讒言を信用するなど人を見る目がなさすぎる。これではどれだけ人材に恵まれていても宝の持ち腐れです。
トップの采配が重要ですね
袁紹側は勝って当然の雰囲気だから戦争中だってのに天下取ったつもりで内部抗争や粛清始めちゃったんだろう沮授は戦争前から讒言で軍権奪われてたくらいだし
慢心で、内部が崩れていたんでしょうか。
@@sangokushich 多分そう言った袁紹側の内情は名士ネットワークで荀彧あたりに駄々洩れだったんでしょうねー圧倒的優位でも内部で抗争や分裂があると勝てないですし
優柔不断で決断力に欠けて身内以外は信用しない袁紹適材適所に人を使い才と人望ある曹操では結末がわかる気がするw
袁紹は優柔不断で、身内に甘く、曹操は即断即決で、能力主義で、部下を評価する為、曹操は袁紹に勝ちました。
実力評価、大事ですね。
袁紹は極論自分しか信じていなくて、曹操の方が甘いし荀彧程昱にケツ叩かれてるんだよなぁ…
袁紹は乱世ではともかく平時なら優秀だったってのは聞きますが官渡前後では失策(それも致命的な)が目立ちますね敗戦後も60歳ぐらいまで生きるか、せめて後継者問題を盤石にしておけばもうちょっと歴史が変わったのかなと気になります
逆に曹操が無能、凡将だったら袁紹が勝った。戦いは数。数さえ揃えばある程度戦いは勝てる。袁紹の無能さを補ってなお余る数の力を上回った曹操の有能さの勝利。
そうですね、曹操が超優秀だったんですね。
袁紹もあれだけの兵力、人材が揃ってたのに、袁紹自身が指揮官としては曹操に及ばないのが敗因ですかね。人材を上手く使えてれば、天下を取ってたのは袁紹かもしれないですねえ。顔良、文醜、張郃、田豊、郭図と居たんですがね。あとはちゃんと後継者を育ててれば。平和な世なら政治家としては優秀な袁紹。乱世には向いてるとは言い切れないかと。三国志のドラマでの荀彧の曹操の十勝、袁紹の十敗と曹操が袁紹とお茶を飲んで、ワシが袁紹なら、曹孟徳と和睦はせん!最後に勝つのはこの曹孟徳だからなは好きです。まあ許攸が袁紹軍の兵糧庫の場所を教えてしまいましたし。まあ最後は息子達が喧嘩して、そこを曹操軍に攻められて袁家は滅びましたね。三国志戦記2での評価で袁紹になると人材や兵が居ても使いこなせなければ意味はないと言われますね
トップの采配、重要ですね。
ご覧頂きありがとうございます。
三国志の天下分け目の戦い、官渡の戦い。圧倒的有利と思われた袁紹がまさかの敗退!
なぜ、袁紹軍は敗北したのか?皆さんのご意見をお聞かせください。
リーダーは決断力と、誰の意見を採用するかが重要ですね。勉強になります。
昨今のウクライナVSロシアの戦争にも同じことがいえるな
そうなんですね、今のNewsに疎くて。
袁紹のイラストだけ猿なの悪意的なんよw
すいません、、、
「兵糧はウソウにある」
「嘘うーー??」
うん、そう!
( ´艸`)
中国が後漢末から唐の中期までずっと戦争してたのは以下の二つのことのせいな気がする。
1.曹操が赤壁で負けたこと、2.樊城で孫権が関羽を裏切ったこと
だと思うんだよな。赤壁で勝ってれば順当に曹操が統治してただろうし、孫権は統一するほどの力はないくせに場を引っ掻き回したから数百年ずっと戦争だったんだろうな。
曹操に天運があったのだ
皆んな袁紹に割と辛辣だが寧ろあの時の袁紹に勝てたから曹操は凄いのよ…そこを見誤ってる
天運!確かにその通りですね。
みんな、袁紹に対して辛口すぎるのは同感です。ここで辛口な意見を出してる人は結果しか見てないと思います。
勢力立ち上げた直後の袁紹(いくら家格が勝っても、一族中での地位はかなり低かったと思われる)は英雄的資質を備えていたが、組織が肥大化するにつれ、グダったという印象。
@@Hayato_Takezawa 曹操もそうだけど組織がデカくなるとそういう事態は発生しますねー
官渡の直後はまだ巻き返せるだけの力は残ってたし、実際に混乱を立て直して攻勢に出るまでにはなってる。その直後に袁紹が死ぬ幸運が無かったら曹操もどうなってたかという感じ。敗北自体は致命傷じゃなかったんだからそもそも官渡の敗戦だけで袁紹の人間性を論じる事自体がどうなんだという所がある。
まさに「宝の持ち腐れ」ですね、袁紹は。
しかし、曹操と織田信長は本当に共通点がありますね。
そうですね、信長とかぶりますね。
官渡の戦い直前まで、曹操は袁紹陣営であり、袁術陣営の公孫瓉や呂布と戦っていた
袁術陣営が消滅したことで、曹操は袁紹に「反乱を起こした」というのが、建前上の関係
だから戦いの主体は、袁紹を見限り格下の曹操についた「荀彧と郭嘉の戦い」である
あれだけ優秀な文官武将を揃えながら。。。
逆、逆を袁紹は引きましたね。
まだまだ知らないことがたくさんある。確かに郭嘉が言うなら手放しで従ってもいいかもしれないw。あと、いつの時代も歯茎を見せたやつが負けるんやなって。
でも、勝ったから良い様なものの、曹操も薄氷の勝利だったと冷や汗をかいていたと思われ
許攸が裏切ってなければ、曹操が負けていた
@@山田敦士-x5k ホントにそうですよね
そうですね、何回もおいこまれてますよね。
官渡の戦いで勝利するも、大軍にものを言わせて呉に攻め込んで赤壁で敗れるのは歴史の皮肉😅
そうですね、次は曹操の番ですね、、、
赤壁・烏林では曹操陣営の将が参加しておらず、降伏した劉琮の水軍が主戦力だった事が伺えます。
曹操は領有したばかりの荊州各地の経営に連れて来た主戦力を投入していますので、従属してくる予定の孫権との戦いは過去の劉表・黄祖との因縁によって起きた曹操にとっては想定しない偶発的なものだったのでしょう。
現に孫権は赤壁で守勢に回るどころか自ら軍を率い合肥と徐州に同時侵攻しています。
田豊と沮授の献策を素直に用いていれば、曹操軍を窮地に追いやっていたかもしれないのに。
二人が不憫でならない。
そうですね、この二人を更迭してしまうから、、、、
@@sangokushich 田豊、沮授そして審配や張郃といったあたりって実は元々の地元(冀州)出身者で
袁紹に冀州を奪われた韓馥に元々使えていました
もっと言うと特に前三者はそれぞれ冀州牧の側近(従事)の中でも首席、次席の補佐官職に任命されるような地元名士でした
韓馥にしろ袁紹にしろ(官渡戦後の)曹操にしろ(とりあえず最初は)彼らを高く評価するのは
外様である彼ら(全員豫洲の名家出身)が冀州を統治するのに地元名家の存在が無視できなかったという事の現れであり
また後の袁紹のように統治が軌道に乗った後次第に彼らを邪険に扱うようになるのは地元名士層から主導権を奪い返し君主権を確立しようとする動きなのかもしれません
というか割と沮授田豊の策は入れてて、官渡はその巨大になった権限を削る時期になってる
兵力差で慢心していた袁紹、常に危機感を抱いていた曹操。
結果は曹操の逆転勝利だが、後の赤壁では自分がかつての袁紹の様な立場になって逆転敗けするのは何とも皮肉な話だな。
勝って、負けて、どらまですね!
官渡って地図上で見るに
西の司隷の中心洛陽と東の曹操の旗揚げ以来の根拠地陳留を結ぶ街道の中間、北の袁紹領の中心地鄴と南の後漢皇帝の宮城と曹操が定めていた許の中間というまさに”結節点”に位置する地であり、孫子で言うところの『争地』なわけです
この地を拠点に籠城した曹操はさすがに兵法者、そのあたりの地政学的意味付けも理解していたという事でしょうね
なるほど、官渡の地図上の結果もありますか!勉強になります。
明智秀満みを感じる公孫瓚だな笑
すいません、イラストも作る費用のない素人動画で。
袁紹の臣下たちも、名士だったので足の引っ張り合いがあったのだろうと考えます。
袁紹は名家の出身だっただけに、名士たちの呪縛から抜け出ることはできなかったでしょう。
それに対して、曹操は袁紹よりも家格が落ち、祖父が宦官出身だったため、名士という縛りに囚われていない分、行動しやすかったのかなと。
内部の権力闘争ですか。確かに名士たちの争いはあったでしょうね。
結局、魏も名士国家から逃れられていないからなぁ…
袁紹が愚かかどうかいう前に……。
自軍が不利な時の曹操の冴え具合は神憑り的だし、博奕に近い策が面白いように成功する。
対青州黄巾軍、寃州での対呂布軍、官渡の戦いでの対袁紹軍、白狼山での対異民族戦、そして馬超相手の渭水の戦い。
自軍が不利になればなるほど、冴えに冴えまくる逆境での強さこそが曹操の本分。
なお、対張繍や赤壁みたいに自軍が圧倒的に有利だと……笑。
そうですね、曹操が優れていたというほうがただしいですね。
心なしか春来さんのトーンが高いような😊やっぱり官渡の戦いが好きなのかな?袁紹軍の内情を知る荀彧、部下を信じる曹操。袁紹も部下を信じてたらもっと違う展開になってだでしょうね。神がかりの荀彧の采配ですね。私も官渡の戦いが1番すきです😊
そうですね!大好きです。袁紹も大好きです。
「失敗は許攸のせいに違いない。いや、そうに決まった!」
で、結果、裏切られる、、、
若い頃の曹操と袁紹は仲が良く、一緒に女性の廬に夜這いをかけたりする悪友でもあったそうですね。その実、体格に自信のない曹操は体躯に恵まれた袁紹に嫉妬していたという話も、、、
そうなんですね、勉強になります。
袁紹って朝倉義景に似てるんだよな。
お互い上手く立ち回ってたら天下取れてた思うんだよな。そして後世馬鹿にされてしまうところなんか。
兵力差があったにもかかわらず、幕下の優秀な人材を活用出来なかったことが最大の原因。史書の三国志では袁紹を“その愚かさは度し難い”とケチョンケチョンです💦
悪名を残してしまいましたね。
賢臣の進言を聞かない、愚臣の讒言を信用するなど人を見る目がなさすぎる。
これではどれだけ人材に恵まれていても宝の持ち腐れです。
トップの采配が重要ですね
袁紹側は勝って当然の雰囲気だから戦争中だってのに天下取ったつもりで内部抗争や粛清始めちゃったんだろう
沮授は戦争前から讒言で軍権奪われてたくらいだし
慢心で、内部が崩れていたんでしょうか。
@@sangokushich 多分そう言った袁紹側の内情は名士ネットワークで荀彧あたりに駄々洩れだったんでしょうねー
圧倒的優位でも内部で抗争や分裂があると勝てないですし
優柔不断で決断力に欠けて身内以外は信用しない袁紹
適材適所に人を使い才と人望ある曹操では結末がわかる気がするw
袁紹は優柔不断で、身内に甘く、曹操は即断即決で、能力主義で、部下を評価する為、曹操は袁紹に勝ちました。
実力評価、大事ですね。
袁紹は極論自分しか信じていなくて、曹操の方が甘いし荀彧程昱にケツ叩かれてるんだよなぁ…
袁紹は乱世ではともかく平時なら優秀だったってのは聞きますが官渡前後では失策(それも致命的な)が目立ちますね
敗戦後も60歳ぐらいまで生きるか、せめて後継者問題を盤石にしておけばもうちょっと歴史が変わったのかなと気になります
逆に曹操が無能、凡将だったら袁紹が勝った。
戦いは数。数さえ揃えばある程度戦いは勝てる。袁紹の無能さを補ってなお余る数の力を上回った曹操の有能さの勝利。
そうですね、曹操が超優秀だったんですね。
袁紹もあれだけの兵力、人材が揃ってたのに、袁紹自身が指揮官としては曹操に及ばないのが敗因ですかね。人材を上手く使えてれば、天下を取ってたのは袁紹かもしれないですねえ。顔良、文醜、張郃、田豊、郭図と居たんですがね。あとはちゃんと後継者を育ててれば。平和な世なら政治家としては優秀な袁紹。乱世には向いてるとは言い切れないかと。三国志のドラマでの荀彧の曹操の十勝、袁紹の十敗と曹操が袁紹とお茶を飲んで、ワシが袁紹なら、曹孟徳と和睦はせん!最後に勝つのはこの曹孟徳だからなは好きです。まあ許攸が袁紹軍の兵糧庫の場所を教えてしまいましたし。まあ最後は息子達が喧嘩して、そこを曹操軍に攻められて袁家は滅びましたね。三国志戦記2での評価で袁紹になると人材や兵が居ても使いこなせなければ意味はないと言われますね
トップの采配、重要ですね。