【三国志】曹操の天下最強への道!「河北平定」の戦い!【ゆっくり歴史解説】
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- Опубліковано 21 лип 2024
- 三国志関係の書籍とかをいろいろ買って読んではいるんですけど、この河北平定の一連の戦役って端折られたりしていることが多いんですよね。あくまでメインは「官渡の戦い」みたいな。
「官渡の戦いの後は袁紹が没して後継者争いが起き、曹操がその隙を突いて河北を平定しました」みたいにざっくりとまとめられていることが多いんです。
でもこの平定戦、端折るには曹操の掛けた労力や時間が大きいじゃないですか?
ということで解説してみようかなぁと思った次第です。動画作りだして思ったけど、1本の動画にまとめるには内容が濃すぎるのよなぁ…(笑)
🌸 項目
⓪スタート 00:00
① 官渡の戦い 01:58
② 黎陽の戦い 05:30
③ 冀州争奪戦 10:47
④ 曹操対袁譚 17:46
⑤ 曹操包囲網 22:06
⑥ 袁家の滅亡 27:12
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📚 参考文献一覧
「正史三国志(著:陳寿/ちくま学芸文庫)」
「史記(著:司馬遷/ちくま学芸文庫)」
「三国志(著:横山光輝)」
「三国志地図(販売:東光書店)」
「三国志運命の十二大決戦(著:渡邉善浩)」
「はじめての三国志(著:渡邉善浩)」
「三国志その後の真実(著:渡邉善浩・仙石知子)」
「漢帝国─400年の興亡(著:渡邉善浩)」
「地図でスッと頭に入る三国志(監修:渡邉善浩)」
「中国史 上巻(著:冨谷至・森田憲司)」
「もう一つの『三国志』 異民族との戦い(著:坂口和澄)」
「よいこの君主論(著:架神恭介・辰巳一世)」
「教養としての世界史の読み方(著:本村凌二)」
「入門老荘思想(著:湯浅邦弘)」
「ある地方官吏の生涯(著:三宅潔)」
「南北朝時代─五胡十六国から隋の統一まで(著:会田大輔)」
「魏志倭人伝の謎を解く(著:渡邉善浩)」
「馬の世界史(著:本村凌二)」
「武器と防具 中国編(著:篠田耕一)」
「物語 食の文化(著:北岡正三郎)」
「古代中国の24時間(著:柿沼陽平)」
「周縁の三国志 非漢族にとっての三国時代(著:関尾史郎)」
🌎 使用させて使用させていただいた白地図掲載サイト
蒼天:3594.wiki.fc2.com/
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【まとめテストの答え】
① 袁尚・袁譚
② 高幹
③ 遼東郡の公孫康
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#試験に出る三国志 #三国志
あらゆる三国志作品で省略されるんだよな、この7年間に及ぶ袁家の討伐戦って。
新キャラが次々と出てきては曹操に敗れていく、この連続だから、まぁ、ストーリー上で省きたくなる気持ちも何となく分かる🤔(笑)
蒼天航路くらいだわな
蒼天航路も袁紹撃破後はかなり簡略化してるだろ。
袁譚は出てこないし、袁熙・袁尚の烏桓への敗走と烏桓との一戦くらいだ。
横山光輝三国志よりは、烏巣急襲とかよく描いてあるけどな。
河北平定戦については、ドラマ三国志スリーキングダムの前作、三国演义は以前BSで NHKが放送してました。
横山光輝三国志「時は流れた…」
官渡や倉亭であれだけの敗北していてここまで滅ぼすのに時間がいるのは流石袁家。三兄弟と高幹達がしっかり力合わせて連携できてたら…
ほんとそれ。もう、ほんとそれ(笑)
包囲されてる鄴にうまいこと出入りした李孚の話とか好き。
袁紹が公孫瓚を滅ぼすのに足掛け8年(界橋から易京)。その余勢を駆って官渡に敗れる。曹操も袁紹勢力を滅ぼすのに足掛け8年(官渡から白狼山)。そして赤壁へ…。この辺りよく似てる。
一つの勢力を滅ぼすのに時間が掛かるんだなと思うとともに楚漢戦争があまりの早さに驚く。
袁紹下げが無いの好感度高い
蒼天航路の烏丸討伐編面白かったな〜
でも官渡からそこまで至る過程はどの創作でも省略されるので、今回の動画は勉強になりました!
袁家平定に約7年掛かっているんですよね
この7年で孫呉が体制を整えて赤壁に繋がると考えると袁家は強大な敵でしたね
その勢力を1代で作った袁紹も凄い
ですねぇ。ちょっと時間をかけすぎてる感じすらありますよね。やはりそれほど袁家は侮れなかった、と。
袁紹は1代で作ったわけではなく数百年前から受け継がれてきた勢力だったのではないですか?
@@user-gc4kc8qc4g 袁家事態は前からありますが代々の袁家の地盤は汝南方面でそれを最終的に引き継いだのが袁術。最初引き継いだのは袁基という人物。その袁基は董卓側についてます。あの頃の朝廷に仕えている人は殆どが董卓側です。要するに袁紹は袁家の正当な後継者ではないです。ただ、若い時から人望を高めるような行動をしていたので本家よりも人が集まりましたが。
袁紹が董卓に反抗して河北に逃げたのが始まりです。そこは元々袁家の地盤はありませんでした。
袁紹が董卓に反抗したことで本家である袁基達やその一門は内通していると疑われて皆董卓に殺されます。袁家の正当な当主の席が空席になるわけですね。袁紹からしたらラッキーというかわざと狙った可能性も。後にその椅子を袁紹と袁術が争うわけです。
孫家や曹家の一門が充実しているのに対して、名門袁家なのに袁紹の周りの一門が息子と甥の高幹ぐらいしかいないのは董卓の時に殆ど死んでいるから。実質河北の袁家は袁紹の代で築いたものです
生き残った袁家の関係者も袁術側に結集しましたしねー
@@user-lf5xl7ii3k そうなんですね。
詳しくありがとうございます。
では袁紹もまぎれもない逸材だったのですね。
曹操が強すぎただけで。
三国志のゲームで、かつては袁紹を選んでプレイしていたので感慨深いです。
ありがとうございました。
袁紹は、三國志前半の主人公格の曹操に負けてるから残念扱いだけど、治世なら能臣扱いされていると思う。でなきゃ顔良文醜田豊沮授とかが忠義を尽くさないんではなかろうか。
兵は神速を貴ぶはだいぶ先になりますが仲達が孟達反乱でこれを実践しましたね。
ある意味、これも袁家版赤壁の戦いなんだよな。黄河か長江かの違いは有れ、
・大河を挟む二大勢力の、
・数的有利な側の失敗と、
・寡兵側の名采配で意外な結末を迎える。
曹操が河北平定の逆絵図を、赤壁で食らったというのも面白い。
大体どの媒体の三国志でもやっても官渡の戦いくらいまでなので今回の解説はとても為になりました
そう言っていただけて本当に嬉しいです!
試験に出る三国志 さんの活動を応援します。
本当に嬉しいです!これからも頑張るのでどうぞよろしくお願いします!!
年齢的に曹操にとっての、そして魏の成立と見てもクライマックスな戦いの説明が詳しく見れるのは嬉しいです
三国志では数行で終わる箇所でもあるけど非常に大事な所ですよね。ありがとうございます。
改めて曹操の規格外さが分かる場面
横山三国志かな?
@@user-em9lc9nu9d 最初に三国志って言えば年代的にあれでした。半年くらいで滅亡したのだと思っていて実は長い抵抗があったのは驚いていた記憶あります。
曹操ってやっぱとんでもないな。。。
部下たちも自らに期待されている役割や任務をきっちり理解していたっぽい。
でないと包囲網の攻略はきっと厳しい。少なくとも地理的には大将自ら“地獄”に突っ走ってる。。。
この組織力が基盤にあって、そのうえで曹操が先頭を走る。そりゃあ強いわけだ🐎
後漢書より「譚、尚敗退。操將圍之,乃夜遁還鄴。操進軍,尚逆擊破操,操軍還許」と記述があり
諸葛亮も偪於黎陽と言ってるように袁氏側も曹操を破ってるんですよね
仲間割れをしなければ十分に勝てた戦いだっただろうに残念ですね
また荀彧は鄴陥落後の九州制復活の意見を受けて
「そんなことをしたら関西の者を刺激して変を起こし、袁尚は死を免れ、袁譚は二心を懐き、劉表は江漢の間を保ってしまいます」と反対するなど、袁譚の同盟をしばらく維持する方針だったように見えるんですよね
袁譚の約定違反というのも本当にあったのか
深堀りすればするほど、また新たな視点も浮かんでくる。それもまた、歴史の面白さですね🐎💥
中国の歴史を日本語で扱っている UA-cam チャンネルはほとんどないので、中国の歴史に関するあなたの動画がとても好きです。私も中国の歴史が大好きです。 ということで、今後もこのような動画を作り続けていただければ幸いです。 私は日本語を話せませんが、将来はあなたのビデオを理解できるように日本語を勉強します(翻訳ツールを使用しているため、表現が間違っていて申し訳ありません)
ありがとうございます!とても嬉しいです!
袁紹があっけなく亡くなったから曹操に流れが一気にきた感じがする。袁譚なり、袁尚なりの1本化を生前にきちんと出来ていればなあ。
袁譚、袁煕、袁尚、高幹。。この辺大物のはずなのに消化試合のように消えていく。
河北平定戦が史実より後二年くらい早く捲ければ曹操は天下獲れたんだろうと思う。その頃だと孫権はまだ黄祖に梃子摺ってて江夏郡さえ手にしてない寄せ集めの中堅地方軍閥だったし
そう考えると曹魏による統一王朝が成立しなかったのは袁家のせいと言えるかも(笑)
ですねぇ。そして袁紹による統一王朝が成立しなかったのは曹操のせいとも言えるし、宿敵とはまさにこのこと🐎
降伏してもタダでは折れない袁一族の野心に脱帽
そして常に冷静に状況を見ていた郭嘉
袁紹と袁術のいさかいから群雄割拠が本格化して、袁紹側が袁術側(公孫サン、孫堅など)を退けて、呂布が乱入してきたり劉備が放浪したりして、勢力の大きくなった袁紹と曹操が両雄並び立たずとなって、袁紹が大敗して、そのあとは、7年かかったという部分もあるし、後はなし崩しに袁紹勢力が滅んだ感もあるし、郭嘉が死んだとこがこのあたりの最大のクライマックスだったと、物語的にはなるわけだものね…
蹋頓が出てきて嬉しい!!
黄巾の乱〜この官渡の戦いまでが、三国志の前半第1幕と区切るイメージが強いです。西暦もジャスト200年ですしね。
蒼天航路では、官渡の戦いの後、烏桓族戦みたいな感じだったから、そんな入り組んだ戦いがあったなんて知らなかったぞ。袁紹も官渡で死んだかのような演出だったしw
なんか穴に埋まってましたよね(笑)
横山三国志だと「時は流れた・・」って2ページ位で省略されてた所ですね。詳しく教えて頂きありがとうございます。
👊キング・クリムゾン発動で、一気に七年時間が消し飛ばされた。
蒼天航路のカクカの死亡シーンで泣かない漢いない説
ほんとそれ。マジで好き
おおっ! 今回は時系列がちゃんとしてるw(正直反董卓の回はわやくちゃだったので
次回はそれぞれの出来事が何年何月何日だったかを整理すればさらによいと思います。
あと細かいところだけど2つ。
1.以前から気になってたんですが、「中原」の意味を勘違いしてます。
色々な解釈がありますが、[中原:黄河の中(・下)流域]です。
黄河は「司隷」の真ん中を通り、「冀州」と「兗州」の間を抜け、「青州」で海に出ます。基本的にはこの4州だと思います。
官渡の戦いは黄河の両岸で戦っていて、まさにここが中原です。
河北の袁紹vs中原の曹操という対比はおかしいかな?
2.曹操は鄴を落とした後はここを本拠地にしています。許昌は皇帝が居るだけです。
武帝紀を読めば、この後はずっと「鄴に帰還した」と記述されていることに気がつくと思います。
曹操は許昌に行きたがらなかったんです。
鄴に銅雀台が建てられたのもその流れです。
慣れてしまってる表現や認識を少しずつ修正していかないとですね。日々、勉学あるのみか😅(笑)
リクエストするなら何顒かな。
この人物を知ると袁紹と曹操と荀彧を含む荀氏一族が繋がると思う。(奔走の友は面白い)
王允の董卓暗殺計画も何顒が絡んでる様にも思えてくる。
という事で何顒をお願いしたい。(既にUPされてる様ならすいません)
リクエストありがとうございます!
袁紹が死んで権力が分散したが為にこの瞬間にしか出ないキャラクターが沢山出てくるが故に生産性が低いからあんまり描かれないイメージw
まぁ、ストーリー的に省きたくなるのは分かる(笑)
袁氏は前漢末からの名門ですが高氏も王莽の頃からの先祖が分かってる名門。袁氏は汝南、高氏は陳留が本籍なんで曹操が冀州を攻めてる隙に後背で蜂起される危険性はあった訳ですが、袁紹は叔父袁隗を見捨てるような挙兵をしたりそもそも袁紹・袁術で勢力争いしてたりと、何故か一族挙げて協力体制をとってるようには見えないんですよね。
結果、袁渙・高柔は魏に仕えて、袁術の娘は孫権の側室になったりとバラバラになるという…
羅憲についての解説が見たい
ある意味、三国志時代最後の残響です..….
袁譚、袁尚両名ががっちり手を組んでいれば曹操相手にしても勝てる←ここ重要
中国には鼎三足だったかな?という諺もあり
日本だと三本の矢という諺がある、如何に強大な力を持ったとしても、分散してしまえば脆いということです
袁家兄弟の失敗はまさにこれに尽きる、各々が独立した勢力に留まるならまだしも、潰し合ってるのだから曹操からしたら儲けもん、しかも曹操は「劣勢側に加担すればより美味しい」状態だから
後何気に侮れないのが高幹、官渡の戦い敗戦後に即座に数万動かせる動員力と指揮能力、ここは長篠の戦いの後の高坂昌信とかぶるね(勝頼を迎えるために即座に一万の兵を動員して、軍装を整えた)
曹操包囲網のときに勝ちきれなかったのは、連携取れてないというか、各々が勝手に動いた結果の包囲網だと思ってる、だから各個撃破もされた
それと、長年の戦で優秀な将兵を失ったから反転攻勢が出来なかったのでは?とも思ってるね
けれど、ここまで悪い条件揃ってても、官渡の戦い敗戦から袁家滅亡まで7年掛かったのは、袁家の元々の実力が曹操より上回っていた証左だと思う
曹操「袁家が内部割れを起こすとは思わなかった。儲けもんと言っても良いんじゃないかな」
いつも楽しく拝見しています^ ^
横山三国志では、ナレ死していたので、詳しく解説して頂き、とても面白かったです(*゚∀゚*)b
特に袁譚の粘り強さには、聴いてて、ちょっとワクワクしました(*´꒳`*)
個人的に袁譚ちょっと好きだから、解説でも良い感じに語ってしまう(笑)
袁譚は父親と似てて戦は上手く統治が難しい青洲も一応収めてたから結構優秀な人物だと思いますね。部下にも慕われている
個人的に気になるのは袁譚と袁尚の二人に仲が悪いエピソードが一切ないんですよね
派閥争いに巻き込まれて仕方なくやっていたのか本人たちも乗り気だったのか
こうみるとタイミングは最悪でしたが袁紹が沮授や田豊みたいな冀州派閥の力を削るのは正解だと思いますね。
完全に派閥争いに乗せられて、引くに引けなくなった感じがありますよね、あの兄弟。
袁紹にとって本当に官渡の敗戦は予想外だったんでしょうね。ここで負けなければ、急逝しなければ、冀州派閥を削る判断もうまいこといったのでしょうけど。
龐徳の解説をしてほしいです!
リクエストありがとうございます!
元々袁譚と袁尚の仲が悪かったとすれば、一度は団結して曹操の侵攻を防げたとしても結局は仲間割れして曹操に乗じられていただろうな。
ここまできたらもう、早めにどちらかがどちらかを消してしまわなきゃいけなかった、ですね。
郭嘉、余命を知ってて、曹操をせかしたとしか見えませんね。
一転、南下しての荊州攻略までが彼の「作品」でしょう。
蒼天航路では、そんな郭嘉の最後の輝きがあまりにも眩しい😭
戦力差10倍は正史が盛ってると思うけど、袁紹は内政面も戦争面でもかなり有能だったと思うよ。
袁紹の寿命が長ければ曹操は勢力のばせてないどころか、劉表との連合で負けてたまである。
曹操が勝者だから人に好かれたのは曹操って記述が多いけど、官渡の時は"両軍で"裏切りが続出してて曹操陣営も重鎮まで裏切ろうとしてたし、結局運の差だったんじゃないかなぁ。
袁譚、本気で生き残りを図るなら、曹操に本気で帰順すべきだったか。
結果論ではあるけれど、生き残りの目があるなら彼だけだっただけに。
袁紹か、教育係の方針でこの気質だったのか、軍才はあったのでそれに賭けたか。
袁尚は袁譚を懐柔できてないし、一気に攻め滅ぼせもしてないから、どのみち生き残れんし。
家格のことも考えるとやはり、曹操は格下という意識が抜けなかったのか、それとも頴川名士が曹操への基準を嫌がったか…🤔
この辺はスルーされてしまうことが多いので解説してくれてありがとうございます。中国のドラマでも官渡まででスルーされているんですよねえ。そこからも長く抵抗しているし曹丕が甄姫を寝とるところとか、ドラマ化して面白い場面はあるんですけどね。
袁紹は後ろ盾もない中河北に勢力を伸ばしましたし後の時代でも「袁紹統治時代は良かった」と言われるくらい政治も行き届いていたので袁紹のカリスマ性が凄かったんだなって思います。残念なのはその後のゴタゴタですね。曹操すら勝てるか不安だったそうなので袁紹も負けるとは思っていなかったんでしょうね。せめて後継者をちゃんと指定していれば。ただ、そんな状態でも7年粘れるだけの勢力を築いたことや、郭嘉や参謀団がすごかったなって思います。
袁尚一派が袁譚サイドと上手くやらなかったからなぁ…
誰が悪いってなると、まぁ、官渡が終わってないのに内輪揉めを煽ったパパが悪い、のかな?🤔
@@KOUMEI_NO_WANADA 袁紹としては袁尚担ぎ上げてきた冀州の連中の処分始めてますからねー
曹操の人生において間違いなく重要な河北平定戦はだいたい端折られるよね。昔の人はどんだけ曹操アンチだったんだよ
演義読んでると、劉備絶対正義 曹操絶対悪だからね 正史知るまで 曹操ゆるさんでしたよ私も
90年代に中国で制作した三国演義を再放送してて、そのドラマを観た親父が一言。「袁紹の配下の参謀達は日本の民主党だな」と言ってました。
これ袁紹どうやったら曹操に勝ててたのだろうか?
曹操の首を取るその瞬間まで、一瞬たりとも油断しなければ…かな('ω')
無理じゃないかなー。袁紹が優秀すぎて「(普通に考えれば)勝ち確」だから内輪揉めする余裕があり過ぎる。
楚と同じで強大になり過ぎると内部粛清と派閥争いで自滅する運命にある気がする。
横山三国志では、官渡の戦いは出版社の事情で省略されていますが、アニメ版では補填されています
袁家を討伐するのに七年がかかっていたことと複雑な人間ドラマがあったとは
そう考えると孫呉を討伐するには、袁家以上にもっと慎重かつ計画性は必要になると思います
勝ちに乗じて進行するのは大切かもしれませんが、状況を甘くみるのは
劉表は、手をこまねいていた訳じゃなく⁉️
色々やったのね⁉️まあ、蔡帽の進言からだろうが⁉️
郭図って、のんで賢人扱いされてたんやろ
袁家対曹操軍の戦いのダイジェストですが、本来は官渡の戦い以後の方が長く他勢力も出現して面白いのですが。
作品にもよるが袁煕・袁尚兄弟間の争いに派閥間の対立まであり袁紹が後継者を指名し切れなかった害も表れる。
一方の曹操軍は歴戦の猛者を従え、自ら先頭に立って指揮をして軍を鼓舞し難敵を打ち破る対比もある。
郭嘉が言ったとされる、曹操と袁紹の10の違いがそのまま当てはまる戦いに推移していき早逝が悔やまれる。
このとき何で呉は動かなかったの?
呉も孫策死んだばかりで反乱とか発生してて、内側の立て直しに忙しかったんですよね。加えて宿敵の黄祖討伐に手こずってもいましたし。
だから曹操があと二年くらい早く河北平定を成し遂げられてたら、赤壁も起こりようが無かったのでは?なんて推測されてたりします。
一番乗り。「黄巾の乱」は184年である。スケールが異なるが、後世の日本の上杉家で起きた「御館(おたて)の乱」の先例に見える。ただ、事前に後継者を決めていたら内紛は避けられたかだが、どのみち袁紹が死んだ途端に揉めた可能性が高かっただろう。それにしても、この一連の動きが「横山三国志」で描かれなかったのは残念。
もうほんとにもう…😭(笑)
袁紹ゲームで違うとすぐ統一できる説🎮
袁紹存命時は官渡の戦いの後も袁紹側が優勢で袁紹が死んだ後も勢力自体はまだ袁家が優勢だったのに袁尚、袁譚がバラバラにしたせいで負けたって感じだよね、まあ後継者の遺言で偽造文出した審配たち配下の権力争いもかなり大きな原因だけど、三国志で戦争は曹操だろうけど統治力はダントツで袁紹だったと思う、漫画やゲームではボンボン息子みたいになってるけど袁紹があと10年生きてたら間違いなく曹操に勝ってたと思う、支配してる地域で反乱もあまりないのは統治力が凄いってことだろうし、孫呉とかあまり書かれてないだけでずっと反乱軍の相手してたみたいだし
袁紹の失敗は、曹操が異常に強いことを認識できてなかったことくらいだと思ってます(笑)