崩れた斜面は緑に覆われ…住民12人が亡くなった大原ハイツ 災害の記憶を後世に 広島

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  • Опубліковано 4 жов 2024
  • 西日本豪雨の甚大な被害は、広島県内各地で起きました。あの日から6年の被災地、熊野町には辰已アナウンサーがいます。
    【辰已アナ】
    熊野町川角の住宅団地、大原ハイツです。
    この団地では、西日本豪雨で、12人の方が亡くなりました。
    6年前、2018年7月6日の午後8時頃、現在、道路ができているこちらの山が崩れ、団地につながる道路が寸断されました。
    その後、画面、左側の山が崩れ、この道路沿いにも土砂が流れ出したと言います。
    今、ご覧いただいているのは、当時の団地の様子です。
    生活していた方の住宅や道路が奪われました。災害発生直後、この団地では消防や自衛隊など400人体制で、行方不明者の捜索活動が行われました。
    私がいるのは、犠牲者のご冥福を祈り、災害の教訓を次の世代に伝えようと作られた「大原祈念公園」です。ひまわりや花で追悼の気持ちがあらわされています。
    ここには、先週の日曜日から、地域の住民の皆さんが設置された献花台があります。
    つい先ほども花を手向けに来た方がいらっしゃいました。
    災害がおきて3年後に建立された「災害碑」です。
    「災害碑」には、『未来へ繋ぐ尊い命の大切さ』という文字が刻まれています。
    また、碑の土台には、12人の犠牲者を追悼す意味を込めて、12個の丸い石が置かれています。
    6年経った大原ハイツは住宅や寸断された道路も元通りになっています。
    災害をもたらした団地の裏山、崩れた斜面は、緑に覆われています。災害の痕跡は薄れようとしています。
    西日本豪雨を知らない人が来たら、あれほどの災害があったとはわからないかもしれません。災害の爪痕が薄れてくると、災害の教訓の風化まで起きてしまうのではないかという懸念の声もありました。
    【加藤キャスター】
    私も広島市から坂町に移動してくる際に、大きく景色が変わったなと思いました。道路が舗装されてきれいになっていたり、山に目を向けても、当時は爪痕を遺したように土石流があった部分が緑で隠れて見えなくなっていたり、こうして復旧復興が進んでいること自体は非常にいいことだとおもいます。また時間が経つにつれて記憶の風化が進むこと、これも避けられないことだと思います。ただ一方で、災害を語り継いでいくことは、これから10年、20年と時が経つにつれて非常に大切さを増していくことですから、これは被災した人だけではなくて、私たち全員で考えていかなくてはいけない、そういう風に改めて感じます。

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