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現在の河和線で平日に運転されてる全車一般車特急が、かつての高速みたいな運用。特別車が無く、普通乗車券のみで乗車出来ます。ただ、運用列車は多岐に渡るので、比較的新しい車両から、年季ある6000系などもあります。
電車でGO!名鉄編にも入ってましたね、高速
3400系新岐阜行きですね
本線の高速は正月ダイヤになると大幅に運行パターンが変わる時代がありました。1.新岐阜から急行→新名古屋から高速で、堀田・鳴海・美合・国府に特別停車し堀田と新安城で特急に抜かれる、急行のスジを高速にしていたパターン2.新岐阜から高速→新名古屋から急行だった豊川稲荷行き3.豊橋から高速だったものの東岡崎まで普段よりゆっくり走り、東岡崎からは豊川稲荷発の急行のスジで走り、神宮前から急行に種別変更したパターンちなみに常滑高速の末期は、常滑行きは朝倉、御嵩・犬山経由新岐阜行きは新舞子に特別停車していました。ある年は高速が無くなった時間帯もありました。
小学校卒業迄、一宮に住んでいましたが、正月ダイヤで、急行が新名古屋で特別停車をする急行に近い高速に変わり、途中で特急待避をする列車の記憶がありません。
@@user-wk2tr4wkbz さん、このダイヤは1年だけでしかも休日のみだったと思います。
但しJR貨物は高速と言う種別を使っていて高速が急行を抜き、高速が新快速どころか鈍行に抜かれるカオスっぷりです。
8:00ちなみに、このダイヤ改正で高速の標準停車駅に新安城が追加され…理由は、蒲郡〜西尾〜新安城〜新名古屋〜津島線方面の急行(こちらもAL車)が廃止された事による救済措置。蒲郡発着の特急は平日の朝夕と休日のみで、平日昼は西尾発着になった。この頃から蒲郡線が寂れ始めた。
笑えるのは『全車一般車両』→特急。名古屋鉄道らしい名称。
1日2本、高速豊川稲荷行きがありました。新名古屋10時30分発と13時30分発でした。国府で高速豊橋行きに接続するのですが、これがAL2連やHL2連と言う、凄まじい車両でした。
6000系の高速に乗ったけど🙄💬
私もあります。
名鉄のカオス停車駅のBGMは、『モンタギュー家とキャピュレット家』よりもレミオロメンの『タクシードライバー』のほうがしっくりくる。
懐かしいですね。当時国府宮に住んでいた祖父母宅を訪れるときに利用していました。新名古屋駅のホームに降りたら新岐阜行きが止まってたから慌てて乗ったら特急で新一宮まで行ってしまったのもイイ思い出です。車で移動するようになってからは乗らなくなったんだけど、久々に名鉄乗ったときに「高速」が廃止されたと知ってなんだか寂しさを感じたよ。
近鉄特急に抜かれる特急阪神快速急行に抜かれる区間特急京阪準急に抜かれる区間急行名鉄急行に抜かれる急行結局どれもカオスwちなみに高速というのは、名鉄でしかみたことがありませんでした。位置付けが全く分からず、長い間「?」な種別でした。
別に不可思議でも何でもなくオリジナリティ溢れてて、好きな種別でしたよ
最近の大手私鉄では、混雑する優等列車に「着席サービス」をするために、「プレミアムカー」だの、「○○シート」だのといった一部指定席を連結する動きがあるが、名鉄さんの場合は、その何年も前から、元々あった全車指定席の「特急」と、全車自由席の「高速」の2種類を統合する形で、今の「一部指定席特急」が誕生し、結果的に優等列車の着席サービスを行っている。発想は全然違うが、一歩先を行ってますな。
後に快速急行が他の私鉄に浸透するけど、流石に判り難い高速は使われなかったと。
名鉄以外では、近鉄が上本町~伊勢中川系統で使用してました
あったあった!高速電車!今の全車両一般席特急に当たるんですよね!懐かしい〜🥹
高速の種別は、近鉄上本町~伊勢中川系統でも使用されていました
犬山線の急行停車駅が最寄駅の者からすると、高速は使い勝手が悪かったです。当時は広見線・御嵩発着系統と各務原線・新岐阜発着系統がありましたが、この他に新名古屋20時台以降に御嵩発着系統が八百津線・八百津発着系統になったものがあった記憶があります。その後はこの動画にある通り、犬山線を走る高速は急行に格下げされましたが、当時は日中は栄生に、朝ラッシュ時と夕方ラッシュ時には扶桑に特別停車をすると言うカオスぶりでした。上小田井開業後には上小田井にも特別停車をするものもありました。複雑奇怪なダイヤでした。その後、栄生、上小田井、扶桑は急行の標準停車駅となったので、その点ではスッキリしたダイヤになっています。また、かつての常滑〜御嵩(八百津)間の高速をルーツに保つ系統は中部国際空港〜新可児間の準急となりました。これは岩倉〜犬山間各駅停車、犬山で種別を普通に特別停車となり、実質的に岩倉〜新可児間各駅停車なので、かつての「高速運行」した面影は完全に消滅しました。
高速が運転されていた頃は鳴海駅に停車していた。左京山、有松、中京競馬場前、前後、豊明の駅を利用する旅客に、各駅で鳴海で乗換えて神宮前、金山橋、新名古屋に行く時の時刻表の案内がありました。昼間は普通電車が約15分間隔で運行していたから、鳴海で高速か急行退避で乗り換えるから便利だし、名駅に行くのも速く行けた。高速が運転していた時、豊橋〜新岐阜間は1時間当たり全車指定席特急が2本、高速2本、急行2本が運行されていた。駅名は当時の名称。金山総合駅はまだ存在せず、金山橋駅から地下鉄金山までは徒歩で大津通を横断して行ったから、朝夕は通勤通学客で大混雑でした。
瀬戸線6750系2次編成にも、高速の種別幕は用意されていましたが、使用されませんでした
もし、瀬戸線で高速が存在したら…
@@fh-oq5iu さん予想停車駅 尾張瀬戸 新瀬戸 尾張旭 喜多山 小幡 大曽根 栄町
電車でgo名古屋鉄道編のいもむしも高速でしたね
いもむし3400系をイベント列車で使用して各務原線新岐阜駅から犬山経由して知多新線の内海駅まで乗ったけど、内海駅で列車撮影したが、高速·犬山経由新岐阜行きの行き先表示板差し替えて撮影したが、名鉄にはかなりの無理なお願いしてやりました。
???「今日は、高速について知っておこう……うーん…これ尾西線だから高速ないね!じゃあ!」
昔、まだ快急の種別が使われて間もない頃に逝っとけダイヤで幕更新前の快急表示ができない車両を快急にしてしまったらしく、快急のアナウンスなのにホームへ入線してきた車両の種別は「高」この時から名鉄では普通のことだと理解するようになった。
面白い動画をありがとうございます。相変わらず中途半端さを最大限に発揮し、乗客のことを1番に考えない名鉄電車の特徴がよく表れています。
準急河和行き、三柿野から急行、知多半田から普通、後ろ3両新鵜沼止まり、特別停車木津用水、特別通過大江、神宮前で高速豊橋行きと急行豊川稲荷行き接続ですか?w
不思議でも何でもない通学で乗っていた。俺が高校を辞めた時に無くなってたのか。
あったわぁ金かからん特急だわな。昔は、好んで乗ったな。一部特別車特急とかいう、よーわからんのよりも良かったと思う。昔特急は座席指定と決まっとったでね。
特別停車、種別変更、種別整理、カオスだったなあ
50代の者ですが、小学校時代に知立から豊橋方面に帰る時に5000系が来ると泣いてパノラマカ-がいいとダダをこねたのを思い出します。確かに真夏にあの扇風機だけの車両に乗るのは地獄でしたね(汗)座席も所々いたずらされたのか補修の縫い目だらけだった。 時間に余裕のあるときはやり過ごしてパノラマカ-が来るまで待ったこともあったなあ。
その後、「全車一般車特急」と「快速急行」になったというわけだ常滑線の快速急行と河和線の特急は分ける理由がよく分からないが(河和線では急行のやや上位として快速急行があるからだろうけど、それなら常滑線も特急でいいやんとなる…全車一般車が河和線にも出来たのだから)
近鉄にもよく分からん種別っていっぱいありますねぇ
10:55 東岡崎以東の停車駅がなんか変です。
失礼いたしました。正確には内海→本宿となります
別のユーチューバが京王の準特急のネタをアップされていた。
ミュースカイを横文字の特急って言わないであげて?あれでも中部空港へのアクセス専門の特急なんだから。
美合発着の「高速」の前身は、その2年ほど前のダイヤ改正で登場した「特急」(全車一般席)。子供ながらかなり違和感を持った。それ以前のダイヤは「急行」が無く、「準急」しか停車しなかった。鳴海、新安城停車は「区間○○」とか「もどき」と理解した。現に当時新安城駅で豊橋行高速の5000系8連がスピード通過していた。美合行は新名古屋を毎時20,50分発だったが、夏は内海行、初詣シーズンは豊川稲荷行の臨時特急に割り当てられ、繰り上げ・下げられる措置もとられ、後者のダイヤでは豊川稲荷まで延長運転された(急行へ変更)。これが最近平日昼廃止された豊川稲荷急行の前身。なお、定期で豊川稲荷へエンチョウされた際は一時、各務原経由の新岐阜発着の時もあった。本線の優等列車をサポートする目的だったのが今はそれがニーズに合わなかったのは残念。
JR貨物にも高速はありますよ。
1990年のダイヤ改正で、廃止されるまで、名鉄河和線・名鉄知多新線にも、1日一本ですが、高速「内海」行きが、設定されてました。
名古屋駅の放送が大変でしたね「次の電車は常滑内海行高速・・・」緑色何番、太田川で切り離し、常滑方面は何番から何番、内海方面は何番から何番、常滑行は太田川から急行に変るなどの放送でした。急行になってからは先ほどの放送プラス、太田川から知多半田までの特別通過の放送もありました。しかも知多半田以南は通常の急行と同じ停車駅・・・
かつては1日2本内海行高速がありましたよ。夕方の内海行高速(知多半田から急行)は常滑行(太田川から急行)と併結していました。
白帯特急は、子供の頃見まして魅力的でした
因みに瀬戸線特急は、元々が全車一般席だった事から、高速ではなく急行に変更されましたその後は停車駅を増やしなから現在に至ります
高速は「Superfast Express」という名でインドに受け継がれています
「高速」種別は現在、「神姫バス」に存在しています。高速道路を経由しますが、「高速バス」という意味ではなく、優等種別としての「高速」です。神姫バスでは、「全線定期券では高速バスは利用できない」規定ですが、種別としての「高速」は、この定期が使えるのです。ランクとしては、登場当時は特急より格上(特急停車停留所を通過)、現在は停車停留所から見ると「同格」といえるでしょう。(ただし、特急や高速が停車し、急行が停車しない停留所もあります)バスとしては恐らくもっとも種別の多い会社ではないでしょうか?エクスプレス(完全またはほぼノンストップでハイウエイバスを除く最上位種別)、高速、特急、急行、準急、快速があり、普通と急行には「直行」の補助表示のある便があります。中国ハイウエイバスを含めると、「超特急」があり、かつては「快速急行」もありました。
さすが迷鉄!!
高卒ぅ😅
特急は250円、高速は国府宮に止まると覚えてました
当時を知らない身からすると「高速」っていう種別がパワーワードというか、異質すぎて逆に気になっていろいろ覚えてしまう
高速という種別は言うほど違和感なかったと思うね。7500の高速が来ると嬉しかった。
高速という種別は自分が子供時代だったのでよく覚えています。中学生のころに5700系の高速に乗って名古屋から豊橋へ・・・その何年か後に一部指定席の特急が設定されても国府宮・新安城停車の特急ならば5700系の一般席車に乗れば、指定席を連結していると『特急』の案内以外に「高速」時代と比較しても違和感がありませんでした。国府宮・新安城通過の特急はパノラマスーパーの4打点チャイムが一般席車にも流れてちょっと得した気分にもなりました。
【高速】と言う名の種別が設定された例は、名鉄と近鉄の2社だけか…。これがのちに、《快速急行(快急)》に繋がっていったわけね…。
快速急行は昔の高速だね
全然違います快速急行と高速に、直接の関連は全くありません高速は、1990年のダイヤ改正で一部特別車(当時は一部指定席)特急の一般席編成に吸収合併され、数年後に当時の新岐阜~東岡崎に快速急行が設定されました停車駅 新岐阜 新一宮 国府宮 新名古屋 金山 神宮前 鳴海 知立 新安城 東岡崎東岡崎で東岡崎→豊橋行きの一部特別車特急に接続してました
高速っていうし種別は当時わくわくしたものです。
流石は名鉄・パノラマカーで高速が多かったね。古知野、金山橋、新名古屋、新一宮、新岐阜。懐かしいですな。特急料金の要らない特急が高速です。
イモムシやナマズと言ったネームの列車も少し前に走ってました。45年前はパノラマカーが唯一、冷房付きの列車でしたな。
古知野は現在、江南と改名されました!
1984年改正時に存在した広見線の特別通過はこれの名残なんだろうか
京王の準特急よりましww
この時期に名鉄いましが高速名称は名鉄の長年の夢を叶える一歩でした。
新春ライナーも不可解な種別だよ?
新春ライナーは特急指定席車両が一般の座席と同じなのは・・・とい指導が入ったようで作られた種別のようです。指定席は一般席と同じ車両じゃなく専用の車両で運行するようにのようでした。。。あくまでも噂ですが。この指定席用車両は改装された白帯の7000系と7700系も含みます。それでも豊川稲荷の正月増発には足らなかったようで、一般仕様の7000系や7500系が運用についていました。それを示すのか?何年か後には白帯特急に変わっていきました。そんな豊川正月増発も昔の話、懐かしいです。
名前のなじみは別として、座席指定のない特急=高速ってわかりやすくていいと思うんだけどなあ…。
昔、名鉄の高速に乗ったことがあります。車掌のアナウンスが高速ですが鳴海にも停まります。
昭和56年に豊橋ー名古屋を名鉄で通勤してました豊橋発6:23だったかな高速岐阜行きのパノラマカーあの頃は特急だと座席指定券200円が必要でしたが高速だと必要ないでしたから確か知立を通過する列車だったと思う美合が今のようになった時に臨時停車したことが思い出です
英語表記があったら何と表記されたのか気になる。
High speedとか?
名鉄のことだから「KOUSOKU」とかw。
「Semi Limited Exp.」だったかも?
高速っていまの全一特急とイメージしかない
運用範囲は違いますけどだいたいそんな感じですね〜
元々鳴海のところに車庫があったから停まるのでは?
日中のみの停車なのでそれは可能性としてはかなり低いと思います。
高速よかったな~
高速と高速1号、2号系統、名古屋ならではだよね‼️近鉄は臨時みたいだったけどさ
名鉄は、令和3年現在ミュースカイは列車愛称で列車種別になってます。ミュースカイは、当初は快速特急でしたが、名鉄の特急施策の変更に伴い、ミュースカイ=列車種別になりました。したがって、名鉄の現在の列車種別は次のように分類されてます。ミュースカイ。快速特急特急快速急行急行準急普通(各駅停車)なお、私の記憶が間違って無ければ、かつては、特急、急行、普通の3種類しか種別が無かった時期があったし、急行が無かった時期もありました。高速は、主に本線系統に投入された種別で、特急は全車指定席車(今の全車特別車)で利用者から高速のような指定席券無しでの利用出来る列車が良いと言われて、登場したのが高速だった気がします。特急は、比較的スピードが早いSR車が充当されましたが、高速は時間帯によっては旧型AL車が充当され、釣り掛け駆動を唸らせて、走る光景を見る事がありました。
種別を3種類に絞ったときは名鉄では無茶だと思っていましたが、やはりその通りで高速は復活しなかったけど快速急行(事実上の初代でかつての高速と同等)の新設と準急の復活がありましたね。快速急行の扱いも迷走していますね。事実上の初代快速急行はかつての高速と同等で特急に近い存在でした、それから性格が変わった実質の2代目は急行系で正急行というべき停車駅が少なめの列車になり、急行がその下って感じで本線は豊橋系統が快速急行で豊川稲荷系統が急行という時代もありました。しかしいつの間にか本線は急行がほとんどになって快速急行の運転自体がなくなった時期もありました。 しかし平日朝の常滑線・空港線の特別車供給が過剰になったため、特別車をミュースカイに任せて特急を運転しなくなった代わりに快速急行が復活しました。これは特急寄りで事実上の初代快速急行に近い存在です。(特別停車は一部にありますが)となると空港発最終の前車一般席特急は快速急行でいいんじゃね?って思いますが枇杷島分岐点~神宮前以外の本線に快速急行が設定されていなくて当該特急は岐阜行のため快速急行を名乗っていないかもしれません。
私の名鉄高速は、パノラマカーや5000系、5700系等のクロスシート車が多く、たまに6000系に当たりました。旧AL車の高速はありません。
懐かしい!
近鉄の高速「伊勢志摩号」を思い出して懐かしく思いましたꉂꉂ(´ᗜ`*)アハハ
『高速』あったね!まだ子供やったから詳しくはよく分からんけど、いつもオカンに連れられて、名東区時代は地下鉄金山駅から、多治見時代はJR金山駅から、それぞれ名鉄金山橋駅まで歩いてたの、覚えとるぉ☆たまには名駅乗り換えもしとって、北アルプス号が、あの名駅の地下トンネルを排煙上げながら、ディーゼル臭ブチかましながら犬山線に向かって行くのが好きでした♪♪♪で、いつも岐阜市の婆ちゃん家行ってました!当時は『岐阜』と言えば名鉄で、JRは運子やったし、市電もバスも『新岐阜(今の名鉄岐阜)』発やったからね(泣)JR岐阜から新岐阜まで歩くと5分~10分くらい掛かりましたかね(鬱)『高速美合行き』も、あたね★大人になってから美合駅に1年くらい通って、感慨深かったです♪♪♪デラ懐ぃ☆☆☆
高校時代金山橋から金山へと変わった時にはその便利さに感動したものです。まだ今みたいにわちゃわちゃしていなくて閑散としてました。雨の金山橋の改札の混雑が懐かしいです。
懐かしい!高速美合行きは、新名古屋から急行に変わりましたね。
高速をガンダムで例えるとグフ(伝われ)
うん、やはり名鉄は、よく分からん😓
高速が誕生した昭和53年の迷列車ですと、平日知立を17時台始めの名古屋方面の普通列車で始発はおそらく東岡崎、車両は元東急デハ3700を名鉄スカーレットカラー、ATSに変更の上、3両固定にした3880系を更に重連の6両編成八百津行き。神宮前で高速に種別変更、つまり犬山まで金山橋、新名古屋、岩倉、古知野しか停車せず。犬山から広見線内は普通、伏見口で3両は御嵩行き。動画でもありましたが、常河線、犬山線はツリカケAL車が充当された典型例。しかも運用ではロングランという感じ。今だったら大手私鉄としてどうか?当時は名鉄らしいというのですまされていた。
これ、東岡崎から犬山まで乗ったことがあります。鳴海で3両増結していました。
5500系の高速好きでした、存在は知ってましたが当時見ても不可思議に思いました、
動画にもあるように高速と言えば5000系美合行きというイメージだったな。指定席料金の必要な座席特急は一応、専用車は設定されていて7000系の場合、オリジナルが暗緑色シート、薄黄緑のカーテンに灰色ビニール枕カバーだったが座席特急用はシートはスカーレット、紺色白ストライプカーテン、布風枕カバーとなっていた。もちろん名鉄のことなので暗緑色シートに布風枕カバーを付けてお茶を濁した座席特急も当たり前のように走っていた。座席特急は「三河湾4号」という感じに行先が愛称となって発券の便を図っていた。
割と違いがあったんですね。てっきりみんな同じだと思っていたので驚きました。
ラッシュ時間帯に旧型車種(7000&7500系以外)の高速が名古屋に入ってきた時の「特急料金払えない貧乏人はこいつにでも乗ってろ( ゚д゚)、ペッ」感よ、特に真夏にイモムシ(3400系)が入線してきた時の絶望感と来たらもうね・・・「これで豊橋まで帰れと?(;´Д`)(新快速乗れば良かった・・・)」ってなった人多かったんじゃないかなぁ?(^^;)
その頃から新快速もあるんですね…いもむし、恐るべし
やはり当時の名鉄に種別という概念は邪魔だったようだ、、、(?)
高速……座席指定券の要らない特急(当時は、一部特別車という概念がなかったので)大学の通学で、お世話になりました。新名古屋駅を毎時00分と30分が基本(上り豊橋方面)しかも、16時30分までの高速は、鳴海に特別(?)停車、17時以降の高速は鳴海を通過するようになる列車、一番お世話になったのが17時30分発高速豊橋行き、パノラマカーを使っていて、いつも一番前のパノラマ席に乗ってました。懐かしいなぁ。
昭和の頃に初めて名鉄乗った時、なんじゃこりゃ?って思った。(笑)そう言えば、『みゃースカイ』って、乗る機会無いなぁ。
名鉄は瀬戸線しか知りません。
瀬戸線が名鉄であるというのが不思議です(笑)地下鉄の栄駅で名鉄の駅の場所を聞いても栄町駅の案内を1発でされないからね。かならず行き先を聞いて名鉄名古屋か金山に誘導するべきかどうか判断しますね。
瀬戸線だけ独自に切り離されているので、瀬戸線沿線で育つと本線につながる路線に乗る機会は殆ど無いまま育つことは珍しくありません。瀬戸線には今回の高速はおろか、特急は無く、基本的には急行・準急・普通で区分されるので、その意味では分かりやすいです。反面、名鉄の各種話題に瀬戸線だけ置いていかれるので、そこは悲しいです。ちなみに戦時中の鉄道の強制大合併の中で瀬戸線も名鉄に組み入れられましたが、名古屋城の外堀を走るお堀電車時代ならともかく、栄町乗り入れとなってからは本線に繋がる可能性を完全に無くしたので、瀬戸線は独自の文化を残します。しかし、栄町乗り入れのときの費用は返済したから30円上乗せが無くなったように、瀬戸線はそこそこうまく回っている路線ではあります。
名鉄他線につながってない ぼっち路線だから、ある程度高齢の方から「せとでん」と旧称で呼ばれるんです。
名称として急行を基準に組むのはレベルが分かりやすくて有り難いのですが、高速はその範疇に入りにくいので、その意味では名前として消えて正解だったように思います。
現在の河和線で平日に運転されてる全車一般車特急が、かつての高速みたいな運用。
特別車が無く、普通乗車券のみで乗車出来ます。
ただ、運用列車は多岐に渡るので、比較的新しい車両から、年季ある6000系などもあります。
電車でGO!名鉄編にも入ってましたね、高速
3400系新岐阜行きですね
本線の高速は正月ダイヤになると大幅に運行パターンが変わる時代がありました。
1.新岐阜から急行→新名古屋から高速で、堀田・鳴海・美合・国府に特別停車し堀田と新安城で特急に抜かれる、急行のスジを高速にしていたパターン
2.新岐阜から高速→新名古屋から急行だった豊川稲荷行き
3.豊橋から高速だったものの東岡崎まで普段よりゆっくり走り、東岡崎からは豊川稲荷発の急行のスジで走り、神宮前から急行に種別変更したパターン
ちなみに常滑高速の末期は、常滑行きは朝倉、御嵩・犬山経由新岐阜行きは新舞子に特別停車していました。
ある年は高速が無くなった時間帯もありました。
小学校卒業迄、一宮に住んでいましたが、正月ダイヤで、急行が新名古屋で特別停車をする急行に近い高速に変わり、途中で特急待避をする列車の記憶がありません。
@@user-wk2tr4wkbz さん、
このダイヤは1年だけでしかも休日のみだったと思います。
但しJR貨物は高速と言う種別を使っていて
高速が急行を抜き、高速が新快速どころか鈍行に抜かれる
カオスっぷりです。
8:00ちなみに、このダイヤ改正で高速の標準停車駅に新安城が追加され…
理由は、蒲郡〜西尾〜新安城〜新名古屋〜津島線方面の急行(こちらもAL車)が廃止された事による救済措置。蒲郡発着の特急は平日の朝夕と休日のみで、平日昼は西尾発着になった。この頃から蒲郡線が寂れ始めた。
笑えるのは『全車一般車両』→特急。名古屋鉄道らしい名称。
1日2本、高速豊川稲荷行きがありました。
新名古屋10時30分発と13時30分発でした。
国府で高速豊橋行きに接続するのですが、これがAL2連やHL2連と言う、凄まじい車両でした。
6000系の高速に乗ったけど🙄💬
私もあります。
名鉄のカオス停車駅のBGMは、『モンタギュー家とキャピュレット家』よりもレミオロメンの『タクシードライバー』のほうがしっくりくる。
懐かしいですね。
当時国府宮に住んでいた祖父母宅を訪れるときに利用していました。
新名古屋駅のホームに降りたら新岐阜行きが止まってたから慌てて乗ったら特急で新一宮まで行ってしまったのもイイ思い出です。
車で移動するようになってからは乗らなくなったんだけど、久々に名鉄乗ったときに「高速」が廃止されたと知ってなんだか寂しさを感じたよ。
近鉄
特急に抜かれる特急
阪神
快速急行に抜かれる区間特急
京阪
準急に抜かれる区間急行
名鉄
急行に抜かれる急行
結局どれもカオスw
ちなみに高速というのは、名鉄でしかみたことがありませんでした。位置付けが全く分からず、長い間「?」な種別でした。
別に不可思議でも何でもなくオリジナリティ溢れてて、好きな種別でしたよ
最近の大手私鉄では、
混雑する優等列車に「着席サービス」をするために、「プレミアムカー」だの、「○○シート」だのといった一部指定席を連結する動きがあるが、
名鉄さんの場合は、その何年も前から、元々あった全車指定席の「特急」と、全車自由席の「高速」の2種類を統合する形で、今の「一部指定席特急」が誕生し、結果的に優等列車の着席サービスを行っている。
発想は全然違うが、一歩先を行ってますな。
後に快速急行が他の私鉄に浸透するけど、流石に判り難い高速は使われなかったと。
名鉄以外では、近鉄が上本町~伊勢中川系統で使用してました
あったあった!高速電車!今の全車両一般席特急に当たるんですよね!懐かしい〜🥹
高速の種別は、近鉄上本町~伊勢中川系統でも使用されていました
犬山線の急行停車駅が最寄駅の者からすると、高速は使い勝手が悪かったです。当時は広見線・御嵩発着系統と各務原線・新岐阜発着系統がありましたが、この他に新名古屋20時台以降に御嵩発着系統が八百津線・八百津発着系統になったものがあった記憶があります。
その後はこの動画にある通り、犬山線を走る高速は急行に格下げされましたが、当時は日中は栄生に、朝ラッシュ時と夕方ラッシュ時には扶桑に特別停車をすると言うカオスぶりでした。上小田井開業後には上小田井にも特別停車をするものもありました。複雑奇怪なダイヤでした。
その後、栄生、上小田井、扶桑は急行の標準停車駅となったので、その点ではスッキリしたダイヤになっています。また、かつての常滑〜御嵩(八百津)間の高速をルーツに保つ系統は中部国際空港〜新可児間の準急となりました。これは岩倉〜犬山間各駅停車、犬山で種別を普通に特別停車となり、実質的に岩倉〜新可児間各駅停車なので、かつての「高速運行」した面影は完全に消滅しました。
高速が運転されていた頃は鳴海駅に停車していた。左京山、有松、中京競馬場前、前後、豊明の駅を利用する旅客に、各駅で鳴海で乗換えて神宮前、金山橋、新名古屋に行く時の時刻表の案内がありました。昼間は普通電車が約15分間隔で運行していたから、鳴海で高速か急行退避で乗り換えるから便利だし、名駅に行くのも速く行けた。高速が運転していた時、豊橋〜新岐阜間は1時間当たり全車指定席特急が2本、高速2本、急行2本が運行されていた。駅名は当時の名称。金山総合駅はまだ存在せず、金山橋駅から地下鉄金山までは徒歩で大津通を横断して行ったから、朝夕は通勤通学客で大混雑でした。
瀬戸線6750系2次編成にも、高速の種別幕は用意されていましたが、使用されませんでした
もし、瀬戸線で高速が存在したら…
@@fh-oq5iu さん
予想停車駅 尾張瀬戸 新瀬戸 尾張旭 喜多山 小幡 大曽根 栄町
電車でgo名古屋鉄道編のいもむしも高速でしたね
いもむし3400系をイベント列車で使用して各務原線新岐阜駅から犬山経由して知多新線の内海駅まで乗ったけど、内海駅で列車撮影したが、高速·犬山経由新岐阜行きの行き先表示板差し替えて撮影したが、名鉄にはかなりの無理なお願いしてやりました。
???「今日は、高速について知っておこう……うーん…これ尾西線だから高速ないね!じゃあ!」
昔、まだ快急の種別が使われて間もない頃に逝っとけダイヤで幕更新前の快急表示ができない車両を快急にしてしまったらしく、快急のアナウンスなのにホームへ入線してきた車両の種別は「高」この時から名鉄では普通のことだと理解するようになった。
面白い動画をありがとうございます。
相変わらず中途半端さを最大限に発揮し、乗客のことを1番に考えない名鉄電車の特徴がよく表れています。
準急河和行き、三柿野から急行、知多半田から普通、後ろ3両新鵜沼止まり、特別停車木津用水、特別通過大江、神宮前で高速豊橋行きと急行豊川稲荷行き接続ですか?w
不思議でも何でもない通学で乗っていた。
俺が高校を辞めた時に無くなってたのか。
あったわぁ
金かからん特急だわな。
昔は、好んで乗ったな。
一部特別車特急とかいう、よーわからんのよりも良かったと思う。昔特急は座席指定と決まっとったでね。
特別停車、種別変更、種別整理、カオスだったなあ
50代の者ですが、小学校時代に知立から豊橋方面に帰る時に5000系が来ると泣いてパノラマカ-がいいとダダをこねたのを思い出します。確かに真夏にあの扇風機だけの車両に乗るのは地獄でしたね(汗)
座席も所々いたずらされたのか補修の縫い目だらけだった。 時間に余裕のあるときはやり過ごしてパノラマカ-が来るまで待ったこともあったなあ。
その後、「全車一般車特急」と「快速急行」になったというわけだ
常滑線の快速急行と河和線の特急は分ける理由がよく分からないが
(河和線では急行のやや上位として快速急行があるからだろうけど、それなら常滑線も特急でいいやんとなる…全車一般車が河和線にも出来たのだから)
近鉄にもよく分からん種別っていっぱいありますねぇ
10:55 東岡崎以東の停車駅がなんか変です。
失礼いたしました。
正確には内海→本宿となります
別のユーチューバが京王の準特急のネタをアップされていた。
ミュースカイを横文字の特急って
言わないであげて?
あれでも中部空港への
アクセス専門の特急なんだから。
美合発着の「高速」の前身は、その2年ほど前のダイヤ改正で登場した「特急」(全車一般席)。子供ながらかなり違和感を持った。それ以前のダイヤは「急行」が無く、「準急」しか停車しなかった。鳴海、新安城停車は「区間○○」とか「もどき」と理解した。現に当時新安城駅で豊橋行高速の5000系8連がスピード通過していた。美合行は新名古屋を毎時20,50分発だったが、夏は内海行、初詣シーズンは豊川稲荷行の臨時特急に割り当てられ、繰り上げ・下げられる措置もとられ、後者のダイヤでは豊川稲荷まで延長運転された(急行へ変更)。これが最近平日昼廃止された豊川稲荷急行の前身。なお、定期で豊川稲荷へエンチョウされた際は一時、各務原経由の新岐阜発着の時もあった。本線の優等列車をサポートする目的だったのが今はそれがニーズに合わなかったのは残念。
JR貨物にも高速はありますよ。
1990年のダイヤ改正で、廃止されるまで、名鉄河和線・名鉄知多新線にも、
1日一本ですが、高速「内海」行きが、設定されてました。
名古屋駅の放送が大変でしたね「次の電車は常滑内海行高速・・・」緑色何番、太田川で切り離し、常滑方面は何番から何番、内海方面は何番から何番、常滑行は太田川から急行に変るなどの放送でした。急行になってからは先ほどの放送プラス、太田川から知多半田までの特別通過の放送もありました。しかも知多半田以南は通常の急行と同じ停車駅・・・
かつては1日2本内海行高速がありましたよ。
夕方の内海行高速(知多半田から急行)は常滑行(太田川から急行)と併結していました。
白帯特急は、子供の頃見まして魅力的でした
因みに瀬戸線特急は、元々が全車一般席だった事から、高速ではなく急行に変更されました
その後は停車駅を増やしなから現在に至ります
高速は「Superfast Express」という名でインドに受け継がれています
「高速」種別は現在、「神姫バス」に存在しています。高速道路を経由しますが、「高速バス」という意味ではなく、優等種別としての「高速」です。神姫バスでは、「全線定期券では高速バスは利用できない」規定ですが、種別としての「高速」は、この定期が使えるのです。
ランクとしては、登場当時は特急より格上(特急停車停留所を通過)、現在は停車停留所から見ると「同格」といえるでしょう。(ただし、特急や高速が停車し、急行が停車しない停留所もあります)
バスとしては恐らくもっとも種別の多い会社ではないでしょうか?
エクスプレス(完全またはほぼノンストップでハイウエイバスを除く最上位種別)、高速、特急、急行、準急、快速があり、普通と急行には「直行」の補助表示のある便があります。
中国ハイウエイバスを含めると、「超特急」があり、かつては「快速急行」もありました。
さすが迷鉄!!
高卒ぅ😅
特急は250円、高速は国府宮に止まると覚えてました
当時を知らない身からすると「高速」っていう種別がパワーワードというか、異質すぎて逆に気になっていろいろ覚えてしまう
高速という種別は言うほど違和感なかったと思うね。7500の高速が来ると嬉しかった。
高速という種別は自分が子供時代だったのでよく覚えています。中学生のころに5700系の高速に乗って名古屋から豊橋へ・・・その何年か後に一部指定席の特急が設定されても国府宮・新安城停車の特急ならば5700系の一般席車に乗れば、指定席を連結していると『特急』の案内以外に「高速」時代と比較しても違和感がありませんでした。
国府宮・新安城通過の特急はパノラマスーパーの4打点チャイムが一般席車にも流れてちょっと得した気分にもなりました。
【高速】と言う名の種別が設定された例は、名鉄と近鉄の2社だけか…。
これがのちに、《快速急行(快急)》に繋がっていったわけね…。
快速急行は昔の高速だね
全然違います
快速急行と高速に、直接の関連は全くありません
高速は、1990年のダイヤ改正で一部特別車(当時は一部指定席)特急の一般席編成に吸収合併され、数年後に当時の新岐阜~東岡崎に快速急行が設定されました
停車駅 新岐阜 新一宮 国府宮 新名古屋 金山 神宮前 鳴海 知立 新安城 東岡崎
東岡崎で東岡崎→豊橋行きの一部特別車特急に接続してました
高速っていうし種別は当時わくわくしたものです。
流石は名鉄・パノラマカーで高速が多かったね。古知野、金山橋、新名古屋、新一宮、新岐阜。懐かしいですな。特急料金の要らない特急が高速です。
イモムシやナマズと言ったネームの列車も少し前に走ってました。45年前はパノラマカーが唯一、冷房付きの列車でしたな。
古知野は現在、江南と改名されました!
1984年改正時に存在した広見線の特別通過はこれの名残なんだろうか
京王の準特急よりましww
この時期に名鉄いましが
高速名称は名鉄の長年の夢を叶える一歩でした。
新春ライナーも不可解な種別だよ?
新春ライナーは特急指定席車両が一般の座席と同じなのは・・・とい指導が入ったようで作られた種別のようです。指定席は一般席と同じ車両じゃなく専用の車両で運行するようにのようでした。。。あくまでも噂ですが。この指定席用車両は改装された白帯の7000系と7700系も含みます。それでも豊川稲荷の正月増発には足らなかったようで、一般仕様の7000系や7500系が運用についていました。それを示すのか?何年か後には白帯特急に変わっていきました。
そんな豊川正月増発も昔の話、懐かしいです。
名前のなじみは別として、座席指定のない特急=高速ってわかりやすくていいと思うんだけどなあ…。
昔、名鉄の高速に乗ったことがあります。車掌のアナウンスが高速ですが鳴海にも停まります。
昭和56年に豊橋ー名古屋を名鉄で通勤してました
豊橋発6:23だったかな高速岐阜行きのパノラマカー
あの頃は特急だと座席指定券200円が必要でしたが
高速だと必要ないでしたから
確か知立を通過する列車だったと思う
美合が今のようになった時に臨時停車したことが思い出です
英語表記があったら何と表記されたのか気になる。
High speedとか?
名鉄のことだから「KOUSOKU」とかw。
「Semi Limited Exp.」だったかも?
高速っていまの全一特急とイメージしかない
運用範囲は違いますけどだいたいそんな感じですね〜
元々鳴海のところに車庫があったから停まるのでは?
日中のみの停車なのでそれは可能性としてはかなり低いと思います。
高速よかったな~
高速と高速1号、2号系統、名古屋ならではだよね‼️
近鉄は臨時みたいだったけどさ
名鉄は、令和3年現在ミュースカイは列車愛称で列車種別になってます。
ミュースカイは、当初は快速特急でしたが、名鉄の特急施策の変更に伴い、ミュースカイ=列車種別になりました。
したがって、名鉄の現在の列車種別は次のように分類されてます。
ミュースカイ。
快速特急
特急
快速急行
急行
準急
普通(各駅停車)
なお、私の記憶が間違って無ければ、かつては、特急、急行、普通の3種類しか種別が無かった時期があったし、急行が無かった時期もありました。
高速は、主に本線系統に投入された種別で、特急は全車指定席車(今の全車特別車)で利用者から高速のような指定席券無しでの利用出来る列車が良いと言われて、登場したのが高速だった気がします。
特急は、比較的スピードが早いSR車が充当されましたが、高速は時間帯によっては旧型AL車が充当され、釣り掛け駆動を唸らせて、走る光景を見る事がありました。
種別を3種類に絞ったときは名鉄では無茶だと思っていましたが、やはりその通りで
高速は復活しなかったけど快速急行(事実上の初代でかつての高速と同等)の新設と準急の復活がありましたね。
快速急行の扱いも迷走していますね。事実上の初代快速急行はかつての高速と同等で特急に近い存在でした、それから性格が変わった実質の2代目は急行系で正急行というべき停車駅が少なめの列車になり、急行がその下って感じで本線は豊橋系統が快速急行で豊川稲荷系統が急行という時代もありました。しかしいつの間にか本線は急行がほとんどになって快速急行の運転自体がなくなった時期もありました。
しかし平日朝の常滑線・空港線の特別車供給が過剰になったため、特別車をミュースカイに任せて特急を運転しなくなった代わりに快速急行が復活しました。これは特急寄りで事実上の初代快速急行に近い存在です。(特別停車は一部にありますが)となると空港発最終の前車一般席特急は快速急行でいいんじゃね?って思いますが枇杷島分岐点~神宮前以外の本線に快速急行が設定されていなくて当該特急は岐阜行のため快速急行を名乗っていないかもしれません。
私の名鉄高速は、パノラマカーや5000系、5700系等のクロスシート車が多く、たまに6000系に当たりました。旧AL車の高速はありません。
懐かしい!
近鉄の高速「伊勢志摩号」を
思い出して懐かしく思いました
ꉂꉂ(´ᗜ`*)アハハ
『高速』あったね!
まだ子供やったから詳しくはよく分からんけど、いつもオカンに連れられて、名東区時代は地下鉄金山駅から、多治見時代はJR金山駅から、それぞれ名鉄金山橋駅まで歩いてたの、覚えとるぉ☆
たまには名駅乗り換えもしとって、北アルプス号が、あの名駅の地下トンネルを排煙上げながら、ディーゼル臭ブチかましながら犬山線に向かって行くのが好きでした♪♪♪
で、いつも岐阜市の婆ちゃん家行ってました!
当時は『岐阜』と言えば名鉄で、JRは運子やったし、市電もバスも『新岐阜(今の名鉄岐阜)』発やったからね(泣)
JR岐阜から新岐阜まで歩くと5分~10分くらい掛かりましたかね(鬱)
『高速美合行き』も、あたね★
大人になってから美合駅に1年くらい通って、感慨深かったです♪♪♪
デラ懐ぃ☆☆☆
高校時代金山橋から金山へと変わった時にはその便利さに感動したものです。まだ今みたいにわちゃわちゃしていなくて閑散としてました。雨の金山橋の改札の混雑が懐かしいです。
懐かしい!高速美合行きは、新名古屋から急行に変わりましたね。
高速をガンダムで例えると
グフ(伝われ)
うん、やはり名鉄は、よく分からん😓
高速が誕生した昭和53年の迷列車ですと、平日知立を17時台始めの名古屋方面の普通列車で始発はおそらく東岡崎、車両は元東急デハ3700を名鉄スカーレットカラー、ATSに変更の上、3両固定にした3880系を更に重連の6両編成八百津行き。神宮前で高速に種別変更、つまり犬山まで金山橋、新名古屋、岩倉、古知野しか停車せず。犬山から広見線内は普通、伏見口で3両は御嵩行き。動画でもありましたが、常河線、犬山線はツリカケAL車が充当された典型例。しかも運用ではロングランという感じ。今だったら大手私鉄としてどうか?当時は名鉄らしいというのですまされていた。
これ、東岡崎から犬山まで乗ったことがあります。鳴海で3両増結していました。
5500系の高速好きでした、存在は知ってましたが当時見ても不可思議に思いました、
動画にもあるように高速と言えば5000系美合行きというイメージだったな。
指定席料金の必要な座席特急は一応、専用車は設定されていて7000系の場合、オリジナルが暗緑色シート、薄黄緑のカーテンに灰色ビ
ニール枕カバーだったが座席特急用はシートはスカーレット、紺色白ストライプカーテン、布風枕カバーとなっていた。
もちろん名鉄のことなので暗緑色シートに布風枕カバーを付けてお茶を濁した座席特急も当たり前のように走っていた。
座席特急は「三河湾4号」という感じに行先が愛称となって発券の便を図っていた。
割と違いがあったんですね。てっきりみんな同じだと思っていたので驚きました。
ラッシュ時間帯に旧型車種(7000&7500系以外)の高速が名古屋に入ってきた時の「特急料金払えない貧乏人はこいつにでも乗ってろ( ゚д゚)、ペッ」感よ、
特に真夏にイモムシ(3400系)が入線してきた時の絶望感と来たらもうね・・・「これで豊橋まで帰れと?(;´Д`)(新快速乗れば良かった・・・)」
ってなった人多かったんじゃないかなぁ?(^^;)
その頃から新快速もあるんですね…いもむし、恐るべし
やはり当時の名鉄に種別という概念は邪魔だったようだ、、、(?)
高速……座席指定券の要らない特急(当時は、一部特別車という概念がなかったので)
大学の通学で、お世話になりました。新名古屋駅を毎時00分と30分が基本(上り豊橋方面)
しかも、16時30分までの高速は、鳴海に特別(?)停車、17時以降の高速は鳴海を通過するようになる列車、一番お世話になったのが17時30分発高速豊橋行き、パノラマカーを使っていて、いつも一番前のパノラマ席に乗ってました。懐かしいなぁ。
昭和の頃に初めて名鉄乗った時、なんじゃこりゃ?って思った。(笑)
そう言えば、『みゃースカイ』って、乗る機会無いなぁ。
名鉄は瀬戸線しか知りません。
瀬戸線が名鉄であるというのが不思議です(笑)
地下鉄の栄駅で名鉄の駅の場所を聞いても栄町駅の案内を1発でされないからね。
かならず行き先を聞いて名鉄名古屋か金山に誘導するべきかどうか判断しますね。
瀬戸線だけ独自に切り離されているので、瀬戸線沿線で育つと本線につながる路線に乗る機会は殆ど無いまま育つことは珍しくありません。
瀬戸線には今回の高速はおろか、特急は無く、基本的には急行・準急・普通で区分されるので、その意味では分かりやすいです。
反面、名鉄の各種話題に瀬戸線だけ置いていかれるので、そこは悲しいです。ちなみに戦時中の鉄道の強制大合併の中で瀬戸線も名鉄に組み入れられましたが、名古屋城の外堀を走るお堀電車時代ならともかく、栄町乗り入れとなってからは本線に繋がる可能性を完全に無くしたので、瀬戸線は独自の文化を残します。しかし、栄町乗り入れのときの費用は返済したから30円上乗せが無くなったように、瀬戸線はそこそこうまく回っている路線ではあります。
名鉄他線につながってない ぼっち路線だから、ある程度高齢の方から「せとでん」と旧称で呼ばれるんです。
名称として急行を基準に組むのはレベルが分かりやすくて有り難いのですが、高速はその範疇に入りにくいので、その意味では名前として消えて正解だったように思います。