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昔上りの全車指定席8両パノスパで江南通過するのが爽快だったな。
やっぱり名鉄は謎鉄だ❕犬山線特急で思い出すのは、1007編成ブルーライナーかな?ブルーライナー乗りたさに、新鵜沼〜河和・内海を何回乗り通した事か(^_^;)
昔、三河線から御嵩や八百津に直通する特急があり、HL車が多用されていました。その特急は犬山から新名古屋までノンストップと言う運用でした。
明治村口・新可児特急の岩倉分割ですが、これは当時の犬山駅のホームが6両分しかない為です(2面4線)。この特急は8両編成(7700系4両白帯なし×2)なので、そのままでは犬山駅に入れません。ドアカットとかすればいいのかも知れませんがややこしかったのだと思います。
なるほど、そのような事情があったのですか。
犬山線の特急停車駅は、一時急行が廃止されていた昭和40年代半ばでは、新名古屋(名鉄名古屋)を出ると古知野(江南)まで停まらなかった。しかし「北アルプス」は後に岩倉停車になっても江南は通過だった。本線牛田付近在住の自分にしてみると、子供の頃は犬山線の行先、種別は未知の世界だった。強いて言えば知立駅の時刻表で平日、休日とも朝に名古屋方面の特急で「新広見(可児)・明治村口(羽黒)」行きが2本設定されていて、名称は「日本ライン・明治村」とあったのが懐かしい。
元犬山線住民です。90年代後半はまさに高校生で犬山線使ってました。朝から新岐阜・新可児のパノラマカーの急行重連があったり新鵜沼・新可児の特急があったりとめちゃくちゃ運用だった記憶があります。
99年に1600系がデビューした当時に平日の朝7時代の全車指定席が初めて設定されましたが、ラッシュ時間帯のピークに近かった上に6両だったので、当日の発車の20分前に江南駅に行っても満席の日が多々ありました。すぐにパノラマスーパーの8両に変更されましたが、それでも満席が多かったです。
あれ?北アルプスって犬山遊園通過、新鵜沼は手前の連絡線を通るし、鵜沼駅も通らないから犬山の次は美濃太田だったはず
完全にど忘れしておりました...遊園と新鵜沼は通過でしたね。
北アルプス号は.今の一般車とは違い自由席だけど特急料金が必要な車両が付いてました。国鉄JRに合わせたんだと思います。地味な名鉄線内特急との違いは、特急料金を徴収していたことです。他の名鉄特急は座席指定券や特別車両券の購入が必要な車両があったり、全車両がその対象だった時代もありますが特急料金は徴収してませんでした。北アルプスは正真正銘の特急で当時の名鉄線内フリー切符では特急料金を払っても乗車できず乗車券を別途買うのが必要でした。JRで言う青春18切符では特急に乗れないのと一緒の感覚です。
確か定期券でも利用不可で、学生時代に一度だけ利用しましたが、社内特急券と普通乗車券を買わないと乗れませんでしたが、当時は名鉄線内で唯一車内販売があったり、喫煙車が連結されてたりで、かなり異色な列車でした。
懐かしいです。すべての特急が全車指定席特急時代に走っていた朝の内海発名古屋方面行き特急は知多半田を出ると太田川通過して神宮前まで停車しませんでした。太田川駅からの乗客に売る座席指定券の余裕がなかったんでしょう。しかし車両は1000系パノラマスーパーの4両編成× 2の当時の名鉄最大の指定席座席数だったはずです。当時のお客の多さを感じます。あと海水浴シーズンに走っていた、名古屋から内海までの全車指定席特急は河和線富貴駅と神宮前駅の間をノンストップだった記憶があります。しかも1時間2本運転して夏休みシーズンは知多新線の貴重な普通電車を特急に変えてしまって本数を減らしてました。しかも富貴駅まで座席制限なしで乗せてくれるような、素晴らしいサービスをするわけもなく、殿様商売名鉄様の実力を発揮していました。
本来は常滑から内海へ延ばしたほうが自然の流れだったと思います。知多新線ではなく常滑線を延伸して対応したほうがよかったのではないでしょうか?空港が造られると想定したいなかったのでしょうね。
まつかぜさん元々、常滑から内海への延長計画はあったらしいんだけど、いろいろな事情から河和線の富貴分岐になったらしい。
8:26 上りで岩倉行きってどんな運用か気になる
まさかの小牧線直通特急…さすが謎鉄と言われるだけの事はある。これで知立要塞が完成してトヨタ特急が走り始めたら、何だか当時よりカオスになりそうな気がする😅💦
昔上りの全車指定席8両パノスパで江南通過するのが爽快だったな。
やっぱり名鉄は謎鉄だ❕犬山線特急で思い出すのは、1007編成ブルーライナーかな?ブルーライナー乗りたさに、新鵜沼〜河和・内海を何回乗り通した事か(^_^;)
昔、三河線から御嵩や八百津に直通する特急があり、HL車が多用されていました。
その特急は犬山から新名古屋までノンストップと言う運用でした。
明治村口・新可児特急の岩倉分割ですが、これは当時の犬山駅のホームが6両分しかない為です(2面4線)。この特急は8両編成(7700系4両白帯なし×2)なので、そのままでは犬山駅に入れません。ドアカットとかすればいいのかも知れませんがややこしかったのだと思います。
なるほど、そのような事情があったのですか。
犬山線の特急停車駅は、一時急行が廃止されていた昭和40年代半ばでは、新名古屋(名鉄名古屋)を出ると古知野(江南)まで停まらなかった。しかし「北アルプス」は後に岩倉停車になっても江南は通過だった。本線牛田付近在住の自分にしてみると、子供の頃は犬山線の行先、種別は未知の世界だった。強いて言えば知立駅の時刻表で平日、休日とも朝に名古屋方面の特急で「新広見(可児)・明治村口(羽黒)」行きが2本設定されていて、名称は「日本ライン・明治村」とあったのが懐かしい。
元犬山線住民です。90年代後半はまさに高校生で犬山線使ってました。朝から新岐阜・新可児のパノラマカーの急行重連があったり新鵜沼・新可児の特急があったりとめちゃくちゃ運用だった記憶があります。
99年に1600系がデビューした当時に平日の朝7時代の全車指定席が初めて設定されましたが、ラッシュ時間帯のピークに近かった上に6両だったので、当日の発車の20分前に江南駅に行っても満席の日が多々ありました。
すぐにパノラマスーパーの8両に変更されましたが、それでも満席が多かったです。
あれ?北アルプスって犬山遊園通過、新鵜沼は手前の連絡線を通るし、鵜沼駅も通らないから犬山の次は美濃太田だったはず
完全にど忘れしておりました...
遊園と新鵜沼は通過でしたね。
北アルプス号は.今の一般車とは違い自由席だけど特急料金が必要な車両が付いてました。国鉄JRに合わせたんだと思います。地味な名鉄線内特急との違いは、特急料金を徴収していたことです。
他の名鉄特急は座席指定券や特別車両券の購入が必要な車両があったり、全車両がその対象だった時代もありますが特急料金は徴収してませんでした。
北アルプスは正真正銘の特急で当時の名鉄線内フリー切符では特急料金を払っても乗車できず乗車券を別途買うのが必要でした。JRで言う青春18切符では特急に乗れないのと一緒の感覚です。
確か定期券でも利用不可で、学生時代に一度だけ利用しましたが、社内特急券と普通乗車券を買わないと乗れませんでしたが、当時は名鉄線内で唯一車内販売があったり、喫煙車が連結されてたりで、かなり異色な列車でした。
懐かしいです。すべての特急が全車指定席特急時代に走っていた朝の内海発名古屋方面行き特急は知多半田を出ると太田川通過して神宮前まで停車しませんでした。太田川駅からの乗客に売る座席指定券の余裕がなかったんでしょう。しかし車両は1000系パノラマスーパーの4両編成× 2の当時の名鉄最大の指定席座席数だったはずです。当時のお客の多さを感じます。
あと海水浴シーズンに走っていた、名古屋から内海までの全車指定席特急は河和線富貴駅と神宮前駅の間をノンストップだった記憶があります。しかも1時間2本運転して夏休みシーズンは知多新線の貴重な普通電車を特急に変えてしまって本数を減らしてました。しかも富貴駅まで座席制限なしで乗せてくれるような、素晴らしいサービスをするわけもなく、殿様商売名鉄様の実力を発揮していました。
本来は常滑から内海へ延ばしたほうが自然の流れだったと思います。
知多新線ではなく常滑線を延伸して対応したほうがよかったのではないでしょうか?
空港が造られると想定したいなかったのでしょうね。
まつかぜさん
元々、常滑から内海への延長計画はあったらしいんだけど、いろいろな事情から河和線の富貴分岐になったらしい。
8:26 上りで岩倉行きってどんな運用か気になる
まさかの小牧線直通特急…さすが謎鉄と言われるだけの事はある。これで知立要塞が完成してトヨタ特急が走り始めたら、何だか当時よりカオスになりそうな気がする😅💦