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車掌さんの最後の「ありがとうございました」がすごっく感慨深いですね。
僕も特急あさま38号に乗ってみた気分になりましたぁ~特に横川駅&上野駅の人だかり、ハンパないですね~それだけ皆様にとって感慨深い思いだったんでしょうね~上野駅終点到着直前の車掌のアナウンス、聞いていてとっても感動的でした~平成9年9/30㈫、皆様にとって感慨深い1日になったんじゃないでしょうか!最後の最後に粋な計らいを用意してくれて本当に有難う御座いました~
もう15年も経つのか・・・父の実家が小諸にあったので、小さい頃遊びに行く時は、必ず特急あさまに乗っていました。
動画最初の小諸駅は特急あさま全列車停車の主要駅から、新幹線停車駅から外れたローカル駅に転落してしまいましたからね。東京へ直通するのは高速バスのみになり、長野新幹線と同時に開業した佐久平駅周辺の発展ぶりと比較すると新幹線停車駅から外れた影響は大きいです。
横川〜軽井沢間の最終日(1997年9月30日)、最後の上り定期特急列車「あさま38号」(3038M)の補機を務めたのは、EF63 10+EF63 15。この2両は最後の上り始発列車となった185系の定期普通列車(126M)と、最後の下り普通列車となった185系の定期普通列車(155M)の補機も担当している。その後、EF63 15は解体されたが、EF63 10は碓氷峠鉄道文化むらにて現在も静態保存されている。
こんな時代に生まれたかった…
最後の車内放送がとても感動的でした。貴重な映像をありがとうございました。
車内アナウンスの「ありがとうございまいました」のあとに10:25でふるさとを流した時は思はず目頭が熱くなってしまいました・・・。自分はこの碓氷線の廃止の時に生まれたので、一度も乗った事がありませんがなぜか懐かしく感じます。出来る事だったらまた復活して欲しいです・・・。
ちょうど26年後の今日も、見に来ました。
26年が経ってしまったのですねコメント頂いて、あの日が蘇りました。
今日偶然この動画を見ました。26年前のきょうのできごとだと思うと感慨深いですね・・・
当時と違って、今は新幹線で碓氷峠もすぐ越えてしまいます。しかも、保機連結もなくただトンネルの坂を上り下りするだけ。今のほうが便利だけど、当時のあさまにも乗ってみたいです。
幼いときに親と長野に旅行に行った時上野から通しで長野まで乗りました
現在の横川駅はかつての賑わいの面影がほとんど残っていませんね。189系や489系の愛着の沸くデザインがお気に入りです。
6:08の高崎線と並走して飛ばしていると、上野駅が近くなってきたことが実感できますね・・・
やはり碓氷峠は本当に長く感じた高崎を過ぎるとスピードアップしてしばしば車掌が「ただいま あさま号の最高速度です」とアナウンスしていた
国鉄時代を思いだすアドリブ放送、感動です(><
当日あさま38号を高崎駅で見送ってました。良く見ると、あさまのヘッドマークが、引っかかったのか、裂け目が入っていたのはそのほかの回答5件中 1~5件表示並べ替え: 残念でした。なお、補足として、上野到着が遅れた理由ですが、この日高崎線吹上駅構内で人身事故があったからだそうです。下り最終あさま37号も5分くらい遅れてました。
廃止の半月前、あさま73号・あさま34号を使って、須坂の先にある、山田温泉に、友人と行きました。帰りに乗った、特急あさま34号の補機は、EF63-24・25号機でした。廃止を目前に控え、18・19・24・25号機は、横川・軽井沢間の粘着運転開始当時の塗色(ぶどう色2号)に戻されていました。ぶどう色2号は、鉄道ファンの皆さんにとっては、「カシオペアクルーズ(信州方面行き)」を牽引した、EF64-37の塗色と言えば、わかりやすいかもしれませんね。直流機関車は、今では、青と白に塗られていますが、一定の時期までは、このぶどう色2号が標準でした。新幹線が開通して、時間短縮になるのはいいんですが、おぎのや(峠の釜めし)は、あの解結があることで、潤っていたことを考えると、辛かったでしょうね。旅情がだんだん、感じられにくくなっていくのは、何だかさみしい…。
でも廃止当日のあさま34号は6+7号機が担当しました。25+24号機はあさま3、10、9、14号、単171、あさま20号の役目を担いました。
懐かしい映像永久保存版ですね
この日の「あさま38号」を担当したロクサンは、5の倍数のゴールデンコンビ10・15号機です。
もう20年なりますね今は新幹線で金沢まで4年なりますね。今は新幹線はかがやき、はくたか、あさまってなりましたね後数年後には福井まで出来ますその時は白山出てほしいです
車掌さんのありがとうございました。ものすごい哀しそう...
2:25 大勢の人で見えなかったが、軽井沢駅で永久展示されるロクサンの2号機もあさま38号を見送ってくれていました。
ちなみに、最後に、ヘッドマークを覗いた方は車掌ではなく、高崎で交代していった運転士ですね。高崎ではあさま38号の到着を待つ間知り合いのお客さん、撮り鉄他と写真を撮ってましたよ。参考までに。何度もすみません。 では。
心が和みます。
横川発車時の汽笛ときたら、たまらない!
はじめまして、小学生の時、父親と乗りました。思い出があります。
ありがとう碓氷峠を走った全列車。また、会う日まで。
こんな放送があったのですね。
あさまの上野到着時、こんな感じだったんですね。( ´ ▽ ` )ノUPありがとう。
いまだ碓氷峠越えの線路、路盤は有志でかんりされており、保存状態もいいですね
17年前の今日の出来事です。
横川を出るときの長いホイッスルが何ともね…
そうですね。
そうですね。たまにはこんなのが無いとやってけませんよ。
信越線の碓氷峠の終焉劇の最中で人気バンドグループ・X JAPANの解散報道もあったなぁ〜✋🚃
@combat21nao
ふるさと~
車掌さんの最後の「ありがとうございました」がすごっく感慨深いですね。
僕も特急あさま38号に乗ってみた気分になりましたぁ~特に横川駅&上野駅の人だかり、ハンパないですね~それだけ皆様にとって感慨深い思いだったんでしょうね~上野駅終点到着直前の車掌のアナウンス、聞いていてとっても感動的でした~平成9年9/30㈫、皆様にとって感慨深い1日になったんじゃないでしょうか!最後の最後に粋な計らいを用意してくれて本当に有難う御座いました~
もう15年も経つのか・・・
父の実家が小諸にあったので、小さい頃遊びに行く時は、必ず特急あさまに乗っていました。
動画最初の小諸駅は特急あさま全列車停車の主要駅から、新幹線停車駅から外れたローカル駅に転落してしまいましたからね。東京へ直通するのは高速バスのみになり、長野新幹線と同時に開業した佐久平駅周辺の発展ぶりと比較すると新幹線停車駅から外れた影響は大きいです。
横川〜軽井沢間の最終日(1997年9月30日)、最後の上り定期特急列車「あさま38号」(3038M)の補機を務めたのは、EF63 10+EF63 15。この2両は最後の上り始発列車となった185系の定期普通列車(126M)と、最後の下り普通列車となった185系の定期普通列車(155M)の補機も担当している。
その後、EF63 15は解体されたが、EF63 10は碓氷峠鉄道文化むらにて現在も静態保存されている。
こんな時代に生まれたかった…
最後の車内放送がとても感動的でした。貴重な映像をありがとうございました。
車内アナウンスの「ありがとうございまいました」のあとに10:25でふるさとを流した時は思はず目頭が熱くなってしまいました・・・。
自分はこの碓氷線の廃止の時に生まれたので、一度も乗った事がありませんがなぜか懐かしく感じます。
出来る事だったらまた復活して欲しいです・・・。
ちょうど26年後の今日も、見に来ました。
26年が経ってしまったのですね
コメント頂いて、あの日が蘇りました。
今日偶然この動画を見ました。
26年前のきょうのできごとだと思うと感慨深いですね・・・
当時と違って、今は新幹線で碓氷峠もすぐ越えてしまいます。
しかも、保機連結もなくただトンネルの坂を上り下りするだけ。
今のほうが便利だけど、当時のあさまにも乗ってみたいです。
幼いときに親と長野に旅行に行った時上野から通しで長野まで乗りました
現在の横川駅はかつての賑わいの面影がほとんど残っていませんね。
189系や489系の愛着の沸くデザインがお気に入りです。
6:08の高崎線と並走して飛ばしていると、上野駅が近くなってきたことが実感できますね・・・
やはり碓氷峠は本当に長く感じた
高崎を過ぎるとスピードアップして
しばしば車掌が
「ただいま あさま号の最高速度です」と
アナウンスしていた
国鉄時代を思いだすアドリブ放送、感動です(><
当日あさま38号を高崎駅で見送ってました。良く見ると、あさまのヘッドマークが、引っかかったのか、裂け目が入っていたのはそのほかの回答5件中 1~5件表示
並べ替え:
残念でした。なお、補足として、上野到着が遅れた理由ですが、この日高崎線吹上駅構内で人身事故があったからだそうです。下り最終あさま37号も5分くらい遅れてました。
廃止の半月前、あさま73号・あさま34号を使って、須坂の先にある、山田温泉に、友人と行きました。帰りに乗った、特急あさま34号の補機は、EF63-24・25号機でした。廃止を目前に控え、18・19・24・25号機は、横川・軽井沢間の粘着運転開始当時の塗色(ぶどう色2号)に戻されていました。
ぶどう色2号は、鉄道ファンの皆さんにとっては、「カシオペアクルーズ(信州方面行き)」を牽引した、EF64-37の塗色と言えば、わかりやすいかもしれませんね。
直流機関車は、今では、青と白に塗られていますが、一定の時期までは、このぶどう色2号が標準でした。
新幹線が開通して、時間短縮になるのはいいんですが、おぎのや(峠の釜めし)は、あの解結があることで、潤っていたことを考えると、辛かったでしょうね。
旅情がだんだん、感じられにくくなっていくのは、何だかさみしい…。
でも廃止当日のあさま34号は6+7号機が担当しました。25+24号機はあさま3、10、9、14号、単171、あさま20号の役目を担いました。
懐かしい映像永久保存版ですね
この日の「あさま38号」を担当したロクサンは、5の倍数のゴールデンコンビ10・15号機です。
もう20年なりますね
今は新幹線で金沢まで4年なりますね。今は新幹線はかがやき、はくたか、あさまってなりましたね
後数年後には福井まで出来ます
その時は白山出てほしいです
車掌さんのありがとうございました。ものすごい哀しそう...
2:25 大勢の人で見えなかったが、軽井沢駅で永久展示されるロクサンの2号機もあさま38号を見送ってくれていました。
ちなみに、最後に、ヘッドマークを覗いた方は車掌ではなく、高崎で交代していった運転士ですね。高崎ではあさま38号の到着を待つ間知り合いのお客さん、撮り鉄他と写真を撮ってましたよ。参考までに。何度もすみません。 では。
心が和みます。
横川発車時の汽笛ときたら、たまらない!
はじめまして、小学生の時、父親と乗りました。思い出があります。
ありがとう碓氷峠を走った全列車。また、会う日まで。
こんな放送があったのですね。
あさまの上野到着時、こんな感じだったんですね。( ´ ▽ ` )ノUPありがとう。
いまだ碓氷峠越えの線路、路盤は有志でかんりされており、保存状態もいいですね
17年前の
今日の出来事です。
横川を出るときの長いホイッスルが何ともね…
そうですね。
そうですね。たまにはこんなのが無いとやってけませんよ。
信越線の碓氷峠の終焉劇の最中で人気バンドグループ・X JAPANの解散報道もあったなぁ〜✋🚃
@combat21nao
ふるさと~