【戦国グルメ】戦国の名将たちが好んだ戦国時代の料理とは?【ゆっくり解説】
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- Опубліковано 24 кві 2024
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#日本史 #ゆっくり解説
戦国DQNとして有名な伊達政宗だけど
馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である。
この考え方はすごいなぁと思いました
今のDQNと違い傾奇者は粋や風流を知ってる、政宗は信長が生きてたらめちゃくちゃ気が合いそうだよなあ
とても味方部隊に向かって銃ぶっ放す人間が言ってるとは思えない心配り。
今どきのDQNとは比べ物にならないなw
慣習やしきたりを軽視はしないが変化させる、そんな傾奇者だったのかな?
なんにせよ、現代の我々馬鹿どもと比べるまでも無いですね
やっぱり昔の戦国大名は
人の気持ちをわかってて
部下を大事にしてたんだな
謙信様の酒を飲みながらの
くだりは羨ましいと思った
色々な側面もあるけど
理想の上司だったんだなぁ
謙信は人身売買で有名な武将
武士には『包丁式』なる儀式があり、料理をすることは武芸に匹敵するほどのスキルでした。
細川藤孝も和歌、弓術、武術だけではなく料理も学んでいたと言われています。
現代でも食事というのは直接兵の士気に関わります。農民は普段は雑穀を食べていましたが、戦の時は白米が提供されることもあったそうで喜んで合戦に参加したらしいです。ただ、配給の米を酒に変えてしまう事が多かったため全部配るのではなく小出しに配っていたそうです。
かちどき飯とかカッコよすぎだろ
江戸時代以降は世の中が安定して味噌醤油の製造が活発になったり物流が発展したり文化的にも各地が交流していったおかげで日本中で料理が均一化された感じがあるから、この頃は「ハレの日の料理」ひとつとっても地方色が出ててめちゃくちゃ面白いなぁ。そしてそれがけっこう「郷土料理」として残ってるのも面白い。
現代では減っている海産物が豊富に採れたんだろうなー
アサリ、サザエ、アワビ、海苔
武田信玄の甲斐は米が獲れないからほうとうが発展したと思う。
上杉謙信は料理も出来るかも。
意外と戦国時代は男も料理を作っていたと聞いています。
男が台所に~とか色んな武士感てだいたい江戸時代に作られた価値観だしね。
戦国時代なら無能主君や嫌いな主君裏切って鞍替えや同時に2人に仕えるとかも普通だったし
戦国の名将たちが好んだ料理、興味あります。贅を尽くせるお方々ですから。
配信有難う御座います。
政宗が本格的なグルメ大名になったのは、家康が亡くなってからという話を聞いたことがある
徳川家康の死因のなったと言われてる鯛の天ぷらだけど、実際の所は高齢なのに甘鯛や大鯛の天ぷら5~6匹分の天ぷらにニンニクマシマシでのせて食べて胃もたれ食あたりをしたらしいね。
そりゃ意も壊すわw
公家にも四条流という家芸の料理術があったり、利休による懐石の昇華、奈良の精進など色々ありましたね。大河ドラマの独眼竜政宗でも最後料理献立考えるシーンとかあったりしましたが、献立の組み立て方が秀逸すぎでした。
謙信のかちどき飯は再現料理があったら食ってみたいな
ありますよ。新潟いけば食えますよ。
自分も、食ってみたい。
政宗は金地院崇伝に
この前の接待でご馳走になった料理本当に美味しかったのでレシピ教えて頂いてもよろしいでしょうか?私の料理人派遣しますのでお暇な時に教えてください
なんて書状送ってるから本当に料理極めたかったのね
明智光秀が家康にもてなした膳は、岐阜市歴史博物館にも展示されてました。
当時、「麒麟がくる」大河ドラマ館が併設されていて、伺いましたが、それ自体は元々その博物館にあった展示物なんですが(今もあるんじゃないかな?)、結局それしか覚えてないというくらい、確かに現在、同じモノを饗されても、立派なご馳走といえました。
ですよねえ。それなのに何が気に入らなかったのか,信長は光秀に折檻を加えたとかー
饗応役を解任されて信長からお叱りの折檻の逸話は江戸時代の史料なんですよね
信長公記にはちゃんと役目果たした書いてあるのでその逸話の信憑性自体が疑わしいです
京都の大学に通ってた頃の話だが、学食で飯を食ってた際中部出身者の連れは「うどんの出汁に味が付いてねえ!」と信長と同じような事を言って濃口醤油をドバドバ入れて食って居たのを思い出した。現代に置いても「天下分け目の関ケ原」以東の地域では和食の味付けが、濃口醤油を使った辛目のキツイ味付けに変わって行くからねえ。中世だと猶更だろう。
薄口は味が淡いだけで濃口より塩分高いから、その中部出身者とやらは塩分摂りすぎで死ぬぞ
品川の伊達家下屋敷には仙台味噌を作り庶民に販売する為の味噌蔵がありました
今も仙台味噌屋さんがありますね
出陣の際の三献の儀の際には討ち勝ち喜ぶという縁起を担いで勝栗、昆布、熨斗鮑を食べたそうですね
今のご祝儀袋に付いてる小さな熨斗はあれは縁起物の熨斗鮑を表した物と聞いたことがあります
0:58 本膳料理 >一の膳からスタートし・・・コース料理のような形だぜ
本膳料理はコース料理のように食事の途中で出すのではなく、最初からドンと全部出す。当然、料理は冷めている。
四の膳、五の膳とかは食べずに持ち帰り用。七の膳とかは単なる飾りというか観賞用。
形式的で味が落ちた本膳料理への批判として、順に温かい料理を出すようになったのが茶の湯の懐石料理。
☝️本当?調べても出てこんのやけど。
熨斗袋は鮑の干物を包んだ物です。
袋の黄色ぽっい 物を包んでるデザインがプリントされています。
これ、上杉謙信コースとか、
武田信玄コースとかって、
コース料理にして商売できそう
6:17 いや、越後が米どころになったのは江戸時代の干拓と河川工事、あと「農林1号」の誕生後では…
ボブは訝しんだ
太閤検地による石高では上位の方(39万石、66国中14位)にランクする米どころ。
越前(50万石)や常陸(53万石)などに劣るものの、一つの郷(村)につき1.1万石を叩き出している。
郷の数が多い越前では一つにつき8.9千石、常陸は3.4千石なので、本格的な治水事業や品種改良が行われる前から十分な生産力があった。
ただ水はけが非常に悪く水害の多かった土地なので、コシヒカリ登場までお米の品質は悪かった模様。
ホントに味噌や醤油を生みだし、流通させてくれた人々、ありがとうm(_ _)m
政宗が家光に料理を振る舞った時に毒見役が先に毒見しようとした時に殺るんなら毒殺なんか姑息な手を使わず刀で斬り殺してるはと毒見役に怒ったらしい
葛西大崎一揆の際に、蒲生秀郷との替え膳の話もあるな
その話は家光ではなく秀忠だったハズでは?
「料理が冷めちゃうだろ!」という気持ちもあったと思うww
料理好きの政宗からしたら自分が作った料理に毒入りの疑念を掛けられるなんて侮辱にも程があるんだろうな
鶴は食べた事無いんで一回喰ってみたいが……
同じく
昔読んだ本で知ってから政宗といえば鶴食ってたイメージだった😂
美食に嵌まったのは幕府から危険人物と目つけられない為にアホ装ってた理由もあるのかな
素麵に山椒! それは面白い……!
11:20
料理人の首が飛ばないって信長はそんな短気でも残忍でもない。
信長だからってなんでも残忍だ、残虐と言えばいいものではない。
おふざけ歴史系chなら構わないけど。
越後(新潟)が米どころになるのは江戸時代に入ってから、それまでは湿地帯が多い。
湿地帯が多かったのは信濃川下流の今の新潟市がある下越地方ですね。
春日山城のある上越地方の地形は現代とほぼ変わっていないです。
イクサがなくなり安定して作業がやれる様になって生産向上が図れる。それ以前には東北地方は取れ高が挙がらず貧乏だった。
むふー!やっぱ食は重要だな!
上越では勝どき飯のレシピを再現したものが食べれる
へうげもの 見てたら東国武士は質素な食事を好むから上方の豪勢な食事に家康が嫌悪したってエピソードあったやん
あれはキャラ付けなので。
徳川家康と徳川四天王は質実剛健で飾り気や遊び心を嫌悪する、へうげと相反する困った集団として描かれたけど、彼らの具足は史実通りの奇抜なモノだったので見た目とのギャップが激しかった。
鶴料理が結構登場したねが意外だった
今も食べられてるのか…?
5:51 この世で一番おいしいもの、それは塩です (キリッ
ジャンプ漫画「影武者 徳川家康」のお梶の方のセリフですね(当時読んでました)😄
@@user-lw4dt2jt6h 😀👍
日本人は500年も前からもうグルメだったのか。
戦国時代の越後は米処ではなかったようですね。😅
戦国時代にキジ(鳥)食べられて居たのか?
(学研の戦国時代関係の書籍で読んだような)
キジは鷹狩りの獲物だったので普通に食されたり他大名への贈り物に使われてました
@@user-tk3dt6zn3t 情報ありがたい
4:00
武田信玄の生没年とじゃがいもの伝来時期にずれがあるので当時のほうとうにはまだ使われていないはずです
昔は麦で作った麺と手に入る野菜で作ったと聞きました。
明確にメニューは無かったのでは無いかと思います。
今でも同じ名称の料理でも、家庭や地方で味や材料が異なるように。
この動画見て「信長のシェフ」アニメ化して欲しいと思った、、、ドラマだと変な改変起こしてつまらない(´;ω;`)
すでに一度ドラマ化してるんです…
@@ohigesamajp ドラマ観て、改変されててつまんないから、原作に忠実な形でアニメを・・・。と言いたいのでは・・。と解釈しました。
料理だけ実写で観たいです
@@ohigesamajp ドラマがつまらないと書かれているけど?
アニメ化については完全に同意。これアニメ化しないかと常々思ってた。
ドラマは主演が玉森って時点で酷かった。ケンは若い頃の村上弘明とかのイメージだったな。
信長が家康の饗宴のときに光秀をなにやら罵倒したとかどっかで聞いたことがあるけど‥。
「あんまりえらそうな食事を出しすぎて家康を田舎者扱いした気がした」とかが理由なのかね‥w
その逸話の元ネタは江戸時代の史料であり信長公記には光秀さん無事接待役務めましたよ〜としか書かれてないので信憑性自体が疑わしいです
政治の世界に料理を持ち込む… 海〇雄〇が怒りそうwww
海腐雄二…?
公邸料理人は「食の外交官」とも呼ばれています。
「大使閣下の料理人」読んでね!
日本でバナナを初めて食べたかもしれないと言われてるのが織田信長だっけ?
戦国時代に砂糖って、あったの?
サトウキビが日本に伝来したのは江戸時代もだいぶ後の方だし。
何を原料に砂糖を作っていたのだろう?
信長のシェフで読んだけど、砂糖は年間150キロ程度しか流通せず、貴重品であったので入手できるのはごく限られた金持ちや権力者だった。おそらく明からの輸入品。
後はアマヅラと呼ばれた蔦から摂取した樹液から作る甘味料がメインだったそうな。
@@user-lt8dn2ui2p 知らなかった。
戦国時代の甘味なんて、基本的に干し柿と甘酒と蜂蜜ぐらいしか無いと思っていました。
有り難うございました。
ヨーロッパにとって胡椒が富の象徴だった時代、日本では砂糖が富の象徴だった。
政治の世界に料理を持ち込んだ初めての人物が信長?
何故そう断言できる?
マンガ知識じゃね?
ーコメです