Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
今回も素晴らしい動画でした。出典をあきらかにしないうさん臭い「歴史解説」動画があふれている中、根拠となる史料や文献をしっかり明示されているのは素晴らしいと思います。これからも頑張ってください。楽しみにしています。
甍の波とはよく言ったもんですね日本って本当に綺麗だな 日本人に生まれて良かったと思います田舎者と呼ばれようと 初めて 江戸の景色を見た 侍たちと同じ気持ちになりました
6:20 この酒井伴四郎という人の話し漫画で見たことある。描いてるのが食キングの土屋先生だから食い物描写中心だけど面白かったです。
私は陸上自衛官ですが、勤番武士の生活をみて、外出許可証もらったり、門限があり、たまの外出には、門限までに色んな所に行ったりと、なんかつくづく自衛隊の営内生活に似てるなと、思わず微笑ましく感じました!まあ、自衛隊の精神的ルーツを辿れば帝国陸海軍に、そして更に遡れば武士にたどり着く訳ですから、似てるのも納得ですね!また面白い江戸の生活など楽しみにしています!
大変なお仕事ですね。感謝、尊敬します。😊
ありがとうございます!皆さんの為になれるよう頑張ります!
自衛隊の関連チャンネルを見ることがありますが、自衛官の方々の日常は勤番武士とは比べられないくらいハードですよね。どうか、お気をつけて鍛錬なさってください。
ありがとうございます!特に教育隊の時の訓練は厳しかったですね!
勤番武士も元を辿れば兵役で藩主御殿防衛や江戸防衛の為の駐屯ってのが本来の名目ですもんね
今の私の生活よりも楽しみも多くて羨ましい。
300年という長い歴史の中で作られ、洗練されていったシステムは理に適っていましたね。もちろんそれは日本オリジナルです。当時の社会状況に合わせているのですが、分析すると知恵の塊です。
よくて半月出勤して半日で仕事終えて6畳の部屋と最低限の給料貰えて4日外出して観光できる。最高じゃないか。
ホワイト企業。🤓
絶対そんな事ないと思うぞ......。多分下っ端武士は恒常業務終わったら稽古やら諸先輩の世話やらで絶対に大変だったと思うで。
@@Ranger4897 武士の一分では超絶暇してたぞ。
ちょっとUA-cam動画眺めただけで軽々に好き勝手なその場思い付きの結論捏ね回せるってのもある意味才能なのかもなぁ
現代人は働きすぎだね。これくらいでいいよ
「皆のもの出あえー出会えー!上様を騙る不届ものじゃ」でバッサバッサ切り捨てられる家臣たちは単身赴任のお父ちゃんだったと思うと涙が出てくる😢
一方、印籠が出てくるまでボコられる侍は国詰であった。帰宅して奥方に怪我の治療を受けるかと思うとほっこりする。
其れは作り話だよ!! 主に芝居用の脚本に綴られる類の筋ですね。
不届な上司のせいでボコられるなんて厳しいな。
あの上様は結局家臣をすべて成敗した結果、最終回では江戸城に1人で住んでたそうな。
上様は峰打ちにしてたんじゃなかった?お庭番は切り捨ててましたが。
当時の人の生活を知れる日記は一級の資料ですね。そういうのを残してくれた人々に感謝ですね😊
江戸の街並みを写真で見ることが出来るとは… 感激です
「イザベラバードの本」にも。自ら筆を持ち、描いた作品が掲載されて居ましたよ。
5:45から出てくる画像、いまの東京都港区三田3丁目で、右に見える側溝と建物のあたりが今は慶應義塾大学三田キャンパスの西校舎だと聞いたことがあります。
薩摩藩邸だよな。撮影者のベアトが、薩摩藩士に撮影の許可を求めて、藩士が確認するために藩邸に入って行った隙に撮ったものらしい。
こんなにのんびりできて羨ましい…7月完璧に夏休みじゃないですか?屋敷にボテ振りさんや貸本屋が来て、店もあってとかも便利で中々恵まれてますよね(現代だとスーパーもコンビニも本屋も近所にある、人気物件では?) 色々日記に残してくれてありがたいけど、おじさんの性事情は書かないであげて?伴四郎さん😂
はえー楽しそうな生活ですね!
参勤交代での大名行列の往復旅費は江戸での支出の1/10程度だった。江戸で使う金こそが、藩財政の足かせだった。参勤交代で藩主・家族・藩士が江戸で暮らす、これが最も厄介な問題だった。そして、その金策に走り回ったのは国許だった。国家老にとっては、苦労して徴収した年貢の大半が、一方的に江戸藩邸に吸い上げられていくのは、つねに悩みの種だった。その結果、どの藩も江戸藩邸と国許の間に深刻な確執ができた。
江戸の藩邸の維持だけでも藩主の収入物凄い消えていくらしいですかねぇ・・・ただでさえあれこれ付け届やら妻子家臣の生活費がやべーのに江戸の物価ブーストまで掛かって・・・歴代の将軍が皆して大名行列やら何やら節制しろ!と口うるさくお触れを出してたのも一部の金持ち藩を除いてシャレにならないレベルで家計簿が大変だったかららしいしねぇ
@@Falken0014 米沢藩は、恒常的に財政赤字だった。その赤字の主要な資金繰り手段は、次の2つ。商人からの借金(大名貸し)、藩士からの借上げ(恒常化することで実質減給)米沢藩が財政窮乏化するのは藩財政が恒常的に赤字だったからだが、他の全国諸藩もそうだった。幕府が各藩の蓄財を許さず、収入を上回る出費を課したから。江戸に藩邸を与えそこに藩主の妻子を置かせ、1年ごとに藩主が領地と江戸を往復する参勤交代制(往復の旅団規模などが表石高で決められた)を敷き、江戸での幕府との付き合いで多大な出費が伴う仕組み。1692年の米沢藩の財務によると、領外経費は2万両超と推定され、領内経費1.6万両を上まわっていた。さらに幕府は、各藩に手伝い普請を課し、赤字が拡大し各藩の財力を弱めることなった。収入面では、何年かおきに起こる凶作の影響が大きく、年貢収入減少が財政赤字を拡大した。
日記を書いてる人に感情移入してしまう。当時の勤番武士の日常が正直に描かれてるよね。
しっかり日記や口伝を元に作成されていて楽しめました。武士というと庶民とは違い肩ひじが張るイメージがありましたがある程度ルールを守れば楽しそうな時間が過ごせる気がしました。
この資料を元に土山しげるさんが描いたのが勤番グルメのブシメシです。
甥っ子の日記のせいでエロ本借りたことが歴史に残ってしまった叔父さんェ……
叔父の日記「日々甥の指導と江戸文化の研究に励み候」(※想像です)
興味深い動画ですね
12:47景観に関しては江戸の圧勝だよなあぁぁ
勉強になりました🎉
なんか楽しそうですね😊財政的には大変だったんだろうけど。下級武士でも1年とか江戸に住む事ができる訳だし。
町奉行所の与力・同心は ウチの藩の田舎侍に何かあったらよろしくということで 各藩から賂をもらってたそうだ
一人でできる仕事を三人でやれば皆職に困らない。江戸時代的経済学。
生産性低すぎて草
江戸藩邸に詰めて居た武士について興味が有ったので、有り難いです✨現代で言えば、各国大使館職員みたいな感じかなぁ?と,想像したりしました😃二宮金治郎さんが、小田原藩江戸詰めによる藩の面子も有っての衣服費、お付き合いの為の、御贈答品料金などにより、江戸では贅沢に慣れてしまい、莫大な借金がかさんでしまった藩の財政建て直しを初めに行なった話を知り、江戸詰めでは、どんな暮らしをして居たのかなあ?と,より『江戸藩邸詰め』大名家の暮らしが,近く感じられました🌟ありがとうございます!🍚藩の特産品梅干しは、食事に、必ず出たでしょう😉(蒲鉾は、江戸へのお土産に使われたそうです)
春本を借りたのは本当に叔父だったんですかねー笑
面白かった!
現代の社畜人生より、よほど余裕のある豊かな生活送ってそう
お話がAIではなく⁉️誤読が無いように思います❤️😌とても聴きやすいところが大好きです‼️私は社会科、歴史が一番つまらないと当時は思っていました😮でも今になってこのようなお話を聴いているととても好きになりました‼️😅自分自身も我が人生の歴史を刻んで来たからでしょうか?これからも楽しみに拝聴させて頂きます❗️ありがとうございます🥰
>火事の時に屋根に上るな→それが多発した事の、裏返しとしての規則侍も、野次馬根性強くて草。人間の好奇心。それが、昔も今も大差ないと感じます。
記念撮影でエジプトのスフィンクスの上に登ってるお調子乗り侍とかの写真面白いよね。
@@bakusaken7891 >エジプトのスフィンクスの上に登ってるお調子乗り侍。そんなのがいたとは、知りませんでした。
まさか今に当て嵌めたら東京都庁始め各区・各市町村の公務員より、単身赴任で都内に長期出張してる地方自治体公務員の方が圧倒的に多いとは知らんかった… 総数は半々くらいかなって何となく思ってたのでまぁ武士は戦時・非常事態における兵士であるので或る程度の人員を抱え込まないといけないんだろうけど、そりゃこんだけ公務員多けりゃゆくゆくは財政破綻するわな…
SuperThanksありがとうございます!チャンネル運営のために使わせていただきます。今後とも当チャンネルをよろしくお願いいたします!
懐かしいなぁ…
元勤番武士ですか?
@@ppccurry1 万年平勤でしたけどね
敵襲などの緊急事態に早急に対応できるようにあえて暇になるぐらいのゆるい勤務だったのでしょうかね。アリの群れも外敵の襲来を警戒して群れの何割かがいわゆるサボり蟻といわれるものが警護にあたっていますしね。
酒井伴四郎ってブシメシの人か、あれに載ってた胡椒飯作ってみたけど美味かったわ。
酒井は豚肉が好きでよく食ってたらしいね酒井の日記を解説してる「下級武士の食日記」は読みやすいしガチ面白いよなー
休みが多いと言っても外出制限があるとなるとキツいかもしれないなぁ。やることマジでないだろう。
まぁ船上生活に比べたらマシかとあと外出制限ってのも実は「私用での」って付くから公務で外に出る事もあるし(ソレこそお使いレベルの物の場合とかでも)そういう時についでに度が過ぎない程度にチョット見て回ったりって程度は有るらしいですよどうせ暇だし2時間で行ける所を4,5時間掛かってもちゃんと行ってくればまぁええかって感じで
🎵羅漢さんが揃ったら(そろたら)回そうじゃないかヨイヤサノ ヨイヤサ…という囃子言葉で、宴会ゲーム、羅漢回しをしたようです。
金は無いけど暇はある自分だな(*´˘`*)
👍
江戸幕府が強いた参勤交代は各藩の財力を疲弊させる事でしたが,皮肉にも(明晰な)勤番武士が藩に持ち帰るのは江戸の文化だけでなく,知識,世の中の情勢でした。それが蓄積され,尊皇攘夷の流れが構築されて,倒幕に向かいます
非番が凄い多く見えるけど、本来の勤番武士の役目って兵力だからあんまりカツカツに仕事詰める訳にも行かなかったのかねぇ
サムネのセンター眼光えぐい
カネはないけど、暇はある。いまの公務員とまったく同じですな。
動画とあまり関係がないかもしれませんが、0:21の絵は誰が描いたものかお分かりになりますでしょうか?
調べたところ、この絵は1870年にフランスで発行された書籍『Le Japon illustré』の第一巻に掲載されている白黒の挿絵が元のようです。この書籍は幕末にスイスの外交使節団代表として来日したエメ・アンベールという人が編集したものですが、挿絵は同氏が日本から持ち帰った写真を元に、当時フランスで活動していた複数の絵師によって描かれたようです。原本の挿絵には左下に作者のサインらしきものがあるのですが、残念ながら絵画に疎く筆記体が得意でない私では作者を特定するには至りませんでした。
勤番武士は各地方の藩から来ているので江戸の庶民からは田舎侍と言ってかなり馬鹿にされていました。それが酷いのが吉原などの遊郭です。遊郭での可哀そうな勤番侍の様子は当時の川柳などに沢山詠まれています。それも吉原などは値が張るので多くは品川などランクの下がる岡場所のお客でした。妻子は故郷にいる、或いは独身が多かったので藩も黙認していた様ですが、門限は厳しくて夕方飛んで帰る侍が大勢いたそうです。
営内生活、外出届と外出許可証、今の自衛官と一緒やんけ。江戸の勤番は休みが多くても、きっと稽古や雑務があったんだろうな
ピンキリ✌️
武士は、暇が多かったのですね😂
>田舎侍。古い映画にそういうセリフがあると、流す前に言い訳ナレーションがかかりそう。「...作中に差別的な表現がありますが、物語の時代背景を考慮してそのまま放送..」。言葉の表現に過敏な、昨今のTV局。
春本借りが歴史に残るとは
自衛隊の基地内に住んでいる自衛官の規則みたいな感じだな。まさか外出証制度とはな
前期教育隊の新隊員より門限厳しい
ブシメシ!の人ですね~ 酒井さん。
朝顔の栽培してたって聞いたことある!
どちらかと言うと其れわ旗本御家人ですね 拝領屋敷の庭がそこそこ広いので朝顔に限らず万年青などの園芸植物を内職にして居た者も多かった様で
勤番長屋みたいな、5階建てのマンションが東京に整然と立ち並んでたらな
ブシメシって漫画で読んだけどすげー暇そうだと思った
勤番がゆるかったかどうかは、職種や藩の格、財政状況、時代等にもよるし260年もある江戸時代と一くくりにするのも無理があると思うそもそも、日記を残せる人は、それだけ暇だということ日記等の資料を手掛かりにすれば、そりゃ緩そうにもみえるのではないか
17:42「叔父が春本を借りたことを日記に残していた」って…そっとしといてやれよ(笑)
言葉が通じたんでしょうか
今の派遣社員みたいな物だな。会社から住まいを提供されて。
なんで、昔の人って一重率高かったんやろ?
田舎者は今でもそんなもんだよ
@@5iceblue ん?質問:「なんで一重率高かったんやろ?」答え:「一重の方が美男美女だったからじゃないですか?」意味がわからない笑
7月、勤務なしwww.
この暇さが学問のレベルを上げたのかもね。
江戸っ子たちからは、浅葱裏と呼ばれてバカにされてましたね。
金も無いけど暇もない現代人
大学生で草w
今の、政治家❤
金欲しいってか
なんか悲しいね笑
拝見しました! 織田尾張守信長DNA 尾張織田宗家当主弾正忠信長直系血族子孫・名古屋。余談ですがスケート織田は詐欺師の偽者馬の骨。血族は織田が二家と津田家ですが当家の分家です・信長の叔父さん信光には苗字が2っ 津田信光と織田信光・・分家の意味。
今回も素晴らしい動画でした。
出典をあきらかにしないうさん臭い「歴史解説」動画があふれている中、根拠となる史料や文献をしっかり明示されているのは素晴らしいと思います。
これからも頑張ってください。楽しみにしています。
甍の波とはよく言ったもんですね
日本って本当に綺麗だな 日本人に生まれて良かったと思います
田舎者と呼ばれようと 初めて 江戸の景色を見た 侍たちと同じ気持ちになりました
6:20 この酒井伴四郎という人の話し漫画で見たことある。描いてるのが食キングの土屋先生だから食い物描写中心だけど面白かったです。
私は陸上自衛官ですが、勤番武士の生活をみて、外出許可証もらったり、門限があり、たまの外出には、門限までに色んな所に行ったりと、なんかつくづく自衛隊の営内生活に似てるなと、思わず微笑ましく感じました!
まあ、自衛隊の精神的ルーツを辿れば帝国陸海軍に、そして更に遡れば武士にたどり着く訳ですから、似てるのも納得ですね!
また面白い江戸の生活など楽しみにしています!
大変なお仕事ですね。感謝、尊敬します。😊
ありがとうございます!
皆さんの為になれるよう頑張ります!
自衛隊の関連チャンネルを見ることがありますが、自衛官の方々の日常は勤番武士とは比べられないくらいハードですよね。
どうか、お気をつけて鍛錬なさってください。
ありがとうございます!
特に教育隊の時の訓練は厳しかったですね!
勤番武士も元を辿れば兵役で藩主御殿防衛や江戸防衛の為の駐屯ってのが本来の名目ですもんね
今の私の生活よりも楽しみも多くて羨ましい。
300年という長い歴史の中で作られ、洗練されていったシステムは理に適っていましたね。もちろんそれは日本オリジナルです。当時の社会状況に合わせているのですが、分析すると知恵の塊です。
よくて半月出勤して半日で仕事終えて6畳の部屋と最低限の給料貰えて4日外出して観光できる。最高じゃないか。
ホワイト企業。🤓
絶対そんな事ないと思うぞ......。
多分下っ端武士は恒常業務終わったら稽古やら諸先輩の世話やらで絶対に大変だったと思うで。
@@Ranger4897 武士の一分では超絶暇してたぞ。
ちょっとUA-cam動画眺めただけで軽々に好き勝手なその場思い付きの結論捏ね回せるってのもある意味才能なのかもなぁ
現代人は働きすぎだね。これくらいでいいよ
「皆のもの出あえー出会えー!上様を騙る不届ものじゃ」
でバッサバッサ切り捨てられる家臣たちは単身赴任のお父ちゃんだったと思うと涙が出てくる😢
一方、印籠が出てくるまでボコられる侍は国詰であった。帰宅して奥方に怪我の治療を受けるかと思うとほっこりする。
其れは作り話だよ!! 主に芝居用の脚本に綴られる類の筋ですね。
不届な上司のせいでボコられるなんて厳しいな。
あの上様は結局家臣をすべて成敗した結果、最終回では江戸城に1人で住んでたそうな。
上様は峰打ちにしてたんじゃなかった?お庭番は切り捨ててましたが。
当時の人の生活を知れる日記は一級の資料ですね。そういうのを残してくれた人々に感謝ですね😊
江戸の街並みを写真で見ることが出来るとは… 感激です
「イザベラバードの本」にも。自ら筆を持ち、描いた作品が掲載されて居ましたよ。
5:45から出てくる画像、いまの東京都港区三田3丁目で、右に見える側溝と建物のあたりが今は慶應義塾大学三田キャンパスの西校舎だと聞いたことがあります。
薩摩藩邸だよな。撮影者のベアトが、薩摩藩士に撮影の許可を求めて、藩士が確認するために藩邸に入って行った隙に撮ったものらしい。
こんなにのんびりできて羨ましい…7月完璧に夏休みじゃないですか?
屋敷にボテ振りさんや貸本屋が来て、店もあってとかも便利で中々恵まれてますよね(現代だとスーパーもコンビニも本屋も近所にある、人気物件では?)
色々日記に残してくれてありがたいけど、おじさんの性事情は書かないであげて?伴四郎さん😂
はえー
楽しそうな生活ですね!
参勤交代での大名行列の往復旅費は江戸での支出の1/10程度だった。
江戸で使う金こそが、藩財政の足かせだった。
参勤交代で藩主・家族・藩士が江戸で暮らす、これが最も厄介な問題だった。
そして、その金策に走り回ったのは国許だった。
国家老にとっては、苦労して徴収した年貢の大半が、一方的に江戸藩邸に吸い上げられていくのは、つねに悩みの種だった。
その結果、どの藩も江戸藩邸と国許の間に深刻な確執ができた。
江戸の藩邸の維持だけでも藩主の収入物凄い消えていくらしいですかねぇ・・・
ただでさえあれこれ付け届やら妻子家臣の生活費がやべーのに江戸の物価ブーストまで掛かって・・・
歴代の将軍が皆して大名行列やら何やら節制しろ!と口うるさくお触れを出してたのも一部の金持ち藩を除いてシャレにならないレベルで家計簿が大変だったかららしいしねぇ
@@Falken0014
米沢藩は、恒常的に財政赤字だった。その赤字の主要な資金繰り手段は、次の2つ。
商人からの借金(大名貸し)、
藩士からの借上げ(恒常化することで実質減給)
米沢藩が財政窮乏化するのは藩財政が恒常的に赤字だったからだが、他の全国諸藩もそうだった。幕府が各藩の蓄財を許さず、収入を上回る出費を課したから。
江戸に藩邸を与えそこに藩主の妻子を置かせ、1年ごとに藩主が領地と江戸を往復する参勤交代制(往復の旅団規模などが表石高で決められた)を敷き、江戸での幕府との付き合いで多大な出費が伴う仕組み。
1692年の米沢藩の財務によると、領外経費は2万両超と推定され、領内経費1.6万両を上まわっていた。
さらに幕府は、各藩に手伝い普請を課し、赤字が拡大し各藩の財力を弱めることなった。
収入面では、何年かおきに起こる凶作の影響が大きく、年貢収入減少が財政赤字を拡大した。
日記を書いてる人に感情移入してしまう。
当時の勤番武士の日常が正直に描かれてるよね。
しっかり日記や口伝を元に作成されていて楽しめました。武士というと庶民とは違い肩ひじが張るイメージがありましたがある程度ルールを守れば楽しそうな時間が過ごせる気がしました。
この資料を元に土山しげるさんが描いたのが勤番グルメのブシメシです。
甥っ子の日記のせいでエロ本借りたことが歴史に残ってしまった叔父さんェ……
叔父の日記「日々甥の指導と江戸文化の研究に励み候」(※想像です)
興味深い動画ですね
12:47
景観に関しては江戸の圧勝だよなあぁぁ
勉強になりました🎉
なんか楽しそうですね😊
財政的には大変だったんだろうけど。下級武士でも1年とか江戸に住む事ができる訳だし。
町奉行所の与力・同心は ウチの藩の田舎侍に何かあったらよろしくということで 各藩から賂をもらってたそうだ
一人でできる仕事を三人でやれば皆職に困らない。
江戸時代的経済学。
生産性低すぎて草
江戸藩邸に詰めて居た武士について
興味が有ったので、有り難いです✨
現代で言えば、各国大使館職員みたいな感じかなぁ?と,想像したりしました😃
二宮金治郎さんが、小田原藩江戸詰めによる藩の面子も有っての衣服費、お付き合いの為の、御贈答品料金などにより、江戸では贅沢に慣れてしまい、莫大な借金がかさんでしまった藩の財政建て直しを初めに行なった話を知り、江戸詰めでは、どんな暮らしをして居たのかなあ?と,より『江戸藩邸詰め』大名家の暮らしが,近く感じられました🌟ありがとうございます!🍚
藩の特産品梅干しは、食事に、必ず出たでしょう😉(蒲鉾は、江戸へのお土産に使われたそうです)
春本を借りたのは本当に叔父だったんですかねー笑
面白かった!
現代の社畜人生より、よほど余裕のある豊かな生活送ってそう
お話がAIではなく⁉️誤読が無いように思います❤️😌とても聴きやすいところが大好きです‼️私は社会科、歴史が一番つまらないと当時は思っていました😮でも今になってこのようなお話を聴いているととても好きになりました‼️😅自分自身も我が人生の歴史を刻んで来たからでしょうか?これからも楽しみに拝聴させて頂きます❗️ありがとうございます🥰
>火事の時に屋根に上るな→それが多発した事の、裏返しとしての規則
侍も、野次馬根性強くて草。人間の好奇心。それが、昔も今も大差ないと感じます。
記念撮影でエジプトのスフィンクスの上に登ってるお調子乗り侍とかの写真面白いよね。
@@bakusaken7891 >エジプトのスフィンクスの上に登ってるお調子乗り侍。
そんなのがいたとは、知りませんでした。
まさか今に当て嵌めたら東京都庁始め各区・各市町村の公務員より、単身赴任で都内に長期出張してる地方自治体公務員の方が圧倒的に多いとは知らんかった… 総数は半々くらいかなって何となく思ってたので
まぁ武士は戦時・非常事態における兵士であるので或る程度の人員を抱え込まないといけないんだろうけど、そりゃこんだけ公務員多けりゃゆくゆくは財政破綻するわな…
SuperThanksありがとうございます!
チャンネル運営のために使わせていただきます。
今後とも当チャンネルをよろしくお願いいたします!
懐かしいなぁ…
元勤番武士ですか?
@@ppccurry1 万年平勤でしたけどね
敵襲などの緊急事態に早急に対応できるようにあえて暇になるぐらいのゆるい勤務だったのでしょうかね。
アリの群れも外敵の襲来を警戒して群れの何割かがいわゆるサボり蟻といわれるものが警護にあたっていますしね。
酒井伴四郎ってブシメシの人か、あれに載ってた胡椒飯作ってみたけど美味かったわ。
酒井は豚肉が好きでよく食ってたらしいね
酒井の日記を解説してる「下級武士の食日記」は読みやすいしガチ面白いよなー
休みが多いと言っても外出制限があるとなるとキツいかもしれないなぁ。
やることマジでないだろう。
まぁ船上生活に比べたらマシかと
あと外出制限ってのも実は「私用での」って付くから公務で外に出る事もあるし(ソレこそお使いレベルの物の場合とかでも)そういう時についでに度が過ぎない程度にチョット見て回ったりって程度は有るらしいですよ
どうせ暇だし2時間で行ける所を4,5時間掛かってもちゃんと行ってくればまぁええかって感じで
🎵羅漢さんが揃ったら(そろたら)
回そうじゃないか
ヨイヤサノ ヨイヤサ…
という囃子言葉で、宴会ゲーム、羅漢回しをしたようです。
金は無いけど暇はある自分だな(*´˘`*)
👍
江戸幕府が強いた参勤交代は各藩の財力を疲弊させる事でしたが,皮肉にも(明晰な)勤番武士が藩に持ち帰るのは江戸の文化だけでなく,知識,世の中の情勢でした。それが蓄積され,尊皇攘夷の流れが構築されて,倒幕に向かいます
非番が凄い多く見えるけど、本来の勤番武士の役目って兵力だからあんまりカツカツに仕事詰める訳にも行かなかったのかねぇ
サムネのセンター眼光えぐい
カネはないけど、暇はある。いまの公務員とまったく同じですな。
動画とあまり関係がないかもしれませんが、0:21の絵は誰が描いたものかお分かりになりますでしょうか?
調べたところ、この絵は1870年にフランスで発行された書籍『Le Japon illustré』の第一巻に掲載されている白黒の挿絵が元のようです。
この書籍は幕末にスイスの外交使節団代表として来日したエメ・アンベールという人が編集したものですが、挿絵は同氏が日本から持ち帰った写真を元に、当時フランスで活動していた複数の絵師によって描かれたようです。
原本の挿絵には左下に作者のサインらしきものがあるのですが、残念ながら絵画に疎く筆記体が得意でない私では作者を特定するには至りませんでした。
勤番武士は各地方の藩から来ているので江戸の庶民からは田舎侍と言ってかなり馬鹿にされていました。
それが酷いのが吉原などの遊郭です。遊郭での可哀そうな勤番侍の様子は当時の川柳などに沢山詠まれています。
それも吉原などは値が張るので多くは品川などランクの下がる岡場所のお客でした。妻子は故郷にいる、或いは
独身が多かったので藩も黙認していた様ですが、門限は厳しくて夕方飛んで帰る侍が大勢いたそうです。
営内生活、外出届と外出許可証、今の自衛官と一緒やんけ。江戸の勤番は休みが多くても、きっと稽古や雑務があったんだろうな
ピンキリ✌️
武士は、暇が
多かったのですね😂
>田舎侍。
古い映画にそういうセリフがあると、流す前に言い訳ナレーションがかかりそう。
「...作中に差別的な表現がありますが、物語の時代背景を考慮してそのまま放送..」。
言葉の表現に過敏な、昨今のTV局。
春本借りが歴史に残るとは
自衛隊の基地内に住んでいる自衛官の規則みたいな感じだな。まさか外出証制度とはな
前期教育隊の新隊員より門限厳しい
ブシメシ!の人ですね~ 酒井さん。
朝顔の栽培してたって
聞いたことある!
どちらかと言うと其れわ旗本御家人ですね 拝領屋敷の庭がそこそこ広いので朝顔に限らず万年青などの園芸植物を内職にして居た者も多かった様で
勤番長屋みたいな、5階建てのマンションが東京に整然と立ち並んでたらな
ブシメシって漫画で読んだけどすげー暇そうだと思った
勤番がゆるかったかどうかは、職種や藩の格、財政状況、時代等にもよるし
260年もある江戸時代と一くくりにするのも無理があると思う
そもそも、日記を残せる人は、それだけ暇だということ
日記等の資料を手掛かりにすれば、そりゃ緩そうにもみえるのではないか
17:42「叔父が春本を借りたことを日記に残していた」って…そっとしといてやれよ(笑)
言葉が通じたんでしょうか
今の派遣社員みたいな物だな。会社から住まいを提供されて。
なんで、昔の人って一重率高かったんやろ?
田舎者は今でもそんなもんだよ
@@5iceblue
ん?質問:「なんで一重率高かったんやろ?」
答え:「一重の方が美男美女だったからじゃないですか?」
意味がわからない笑
7月、勤務なしwww.
この暇さが学問のレベルを上げたのかもね。
江戸っ子たちからは、浅葱裏と呼ばれてバカにされてましたね。
金も無いけど暇もない現代人
大学生で草w
今の、政治家❤
金欲しいってか
なんか悲しいね笑
拝見しました! 織田尾張守信長DNA 尾張織田宗家当主弾正忠信長直系血族子孫・名古屋。
余談ですがスケート織田は詐欺師の偽者馬の骨。血族は織田が二家と津田家ですが当家の分家です・信長の叔父さん信光には苗字が2っ 津田信光と織田信光・・分家の意味。