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歴史的事実として、戦前は小学校でもまずカタカナから教え、その次にひらがなを教えていました。これは戦前に学校を卒業した親から聞いたので間違いありません。戦後、法律文書もひらがなに置き換えられましたが、少なくともカタカナが消されることなく残ったことは、とても良かったと思います。
いつも素晴らしい講義ですが今回は「いいね」をさらに100回程押したくなる講義でした!カタカナはほんと大事ですね!!
カタカムナ文字を少しずつ勉強しています。小名木先生のお陰でまたより深く文字の意味を知る事ができました。ありがとうございます😊先生はいつも字がお綺麗ですね!
ひらがなの起源は誰も疑う余地がないと思います。しかしカタカナの起源については腑に落ちない点もあり、小名木先生の説明がす~と納得感があり、素晴らしかったです。男系の「霊(ひ)」の考えが戦後完全に消されているのだなぁ~と感じました。
本当にすごい。胸にストンと落ちてくる感じです。本当にいい動画をありがとうございます。
小名木先生の講義は、観る前に先ず👍押しますね…💧🔔〜🙏。
子供の頃、東北にある親の実家辺りでは、学校に行けなかった人はカタカナしか書けないとか言われてたりしたような記憶がありますが、逆なんですね。今日も勉強になりました。ありがとうございます。
とても面白いお話しを有り難うございました。カタカナ表記に対する印象として、カタイ、外来語、よく分からない言葉、漢文の訓読み、改まっているなど、日常にはないものを表記するときに使うのかなと思ってました。元々神代文字だったと考えると、この距離感はカタカナ表記にそもそも具わっていた特性だったのかもしれないなと思いました。
日本は神と共にある国であることを実感しました。漢字、ひらがな、カタカナの3つの表記に加えて古代からの文字もある日本語は奥深い。
いつも勉強になります。ありがとうございます。カタカナは外国語発音を書いたり和製英語を表記する時に使うイメージでした。神様をなぜカタカナで書いているのかも納得しました。これからも先生の動画で勉強して日本人の誇りを取り戻したいと思います。
小名木さんのお話は楽しく学べるので良いですね✨
そうなんですね。ビックリでした。楽しく学ぶ事が出来有難いです。有難う御座います。
『雨ニモ負ケズ』の原文もひらがな使わずに書いてたので何故だろうって思ったやっと解決できました小名木先生ありがとうございます👍️
本当にghq は何もかも日本の価値観をひっくり返したものですね。
今回は内容も非常に興味深いけども、先生の字の上手さも楽しめる講義になってますよね。
勉強になります。
現代カタカナは外来語の読みですが、戦前は皇室文書か法律に使用されていました。つまりカタカナは高貴な者の言葉として扱われていたようです。実家にある一番古い聖書もカタカナ表記でしたね。読みづらいことこの上ない(苦笑)
大昔は漢字ばかりで、カタカナはここ1~2世紀の間に生まれた文字かと思っていました。神代文字がルーツという説もあるのは驚きです。調べてみると確かに、平仮名よりカタカナのほうが古いみたいですね。笑い話ですが、競馬をするとカタカナに強くなりますよ。
この内容は、NHKで放送するべき内容ですね。🧏♀️
恥ずかしながら生れて初めて伺ったお話でした、よく理解出来ました。外来語は「カタカナ」で書くのがイイですね。「ちょこれーと」「はんばーぐ」も観直すとイイですね(爆笑)「れすとらんのめにゅー」も「ひらがな」ですか~アッチャ~御免なさい。先生のご講義はとても興味深いです、お聞きしてて楽しいです。有り難う御座いました(90歳です)
考えたこともない講義内容でした。びっくりしました。
先生の字の上手さに震える
ですよね!崩し文字絶対読める方でしょうね。
先生の著書にサインを頂いた事がありますが、目の前で筆ペンでサラサラと書かれる様がまさに書家でした。
タブレットに書いてるのにうまいし、考えながら喋りながらやってるのに。すごい❗️❗️字が綺麗になりたいっ!٩( ◉ω◉ )و
カタカナって漢字の部首等その一部から作られたってことに平仮名との併用に於いて違和感(二種類の仮名の必要性が見いだせない。)を感じてたけど神代文字だったって説の方が説得力があると感じるね。
めっちゃ面白い!
勉強になりましたー!!
戦前の公文書は、全部「漢字とカタカナ」で文語体。明治憲法だけでなく、民法、刑法なども全部、漢字とカタカナ。戦後になってからも、「一部改正」ではそこだけ平仮名にするわけにもいかず、相変わらずカタカナで改正していましたが、平成になって、ようやく読みやすくということで、全部「漢字とひらがな・口語体」に改正されました。古来、日本人は「漢文」を「訓読」してきましたが、その時に用いるのが一貫してカタカナ。公文書は漢字中心なので、当然カタカナが使われてきたのだと思います。昔は電報もカタカナでしたが、やはりカタカナの方が「正式」という意識があったのではないかと思います。「漢文を訓読するときに既にカタカナがあった」という考え方も十分ありうるのではないでしょうか。
漢字も草書が先だという説がありますね。「殷これ元倭なり」という碑文から鑑みて、漢字の元はカタカムナの可能性がありますね。
大日本帝国時代を生きていたお年寄りは、カタカナを使うことが当たり前だったようです。女子でも高等女子学校出身の方年寄りはカタカナをよく使ってました。
昔、明治生まれの祖母が何かメモを書くとき、カタカナだったのですごい違和感がありました。昔の学校はカタカナしか教えてなかったのかな、と思った記憶があります。
昔の小学校ではカタカナから教えてました。戦前の教科書を見てみて下さい。平仮名は僅かに使われてるだけです。カタカナは直線と曲線しかなく単純で描きやすく、平仮名はあ・ね・を など複雑な字が多いですよね。本来小学校はカタカナから教える方が合理的だと思います。
平仮名もカタカナを参考にして作られたように見えます。違う文字というには似過ぎです。
ひらがなとカタカナが漢字から、2種類生まれた必要性が、わかり難かったが、今とは異なる理由があったんですね。
ということは、海外から入ってきた言葉をカタカナ表記させる意図もありそうですね
ありがとうございます。
漢字からカタカナは一部は納得出来ても以前から違うのではないかと思ってた、昔の文字には色々あったらしく その中の一つに草文字があり これにも何種かあるらしい、菅原道真と平将門の有名な和歌を観た事あるが現代人には読めないが ひらがな表記も載って居たので意味は解った。ミミズが地を這っているような文字で これを簡略化したら ひらがなになるような気がしてるけれど50音表が無かったので自信は無い。
達筆ですね。[カタカナコトバ]から(ひらがなことば)にして日本人を腑抜けにしようとしたんですね。
私の勤めていた重電会社の設計から製造現場への指示書は「漢字」と「カタカナ」でしたコピー機のない時代 カーボン紙をはさんて 原紙+7枚コピーに記入する為 力強く書ける「カタカナ」 でないと7枚に転写できない「ひらがな」だと字が薄くなり 指示ミスや誤作につながる現在はコピーしてますがこの「カタカナ」混じりの伝統が残っています。
勉強になりました。外国語をカタカナ表記で使っている日本は 海外より 発音が上手くできずコンプレックス。カタカナのせいではないか?と思っていました。『日本の伝統文化を継承する文字』敬意を持って使います🙏
いや、カタカナのせいではないでしょう(笑) GHQと文科省,学者,教育労組,メディアのせいですね。いくら時間かけて勉強しても英語ができるようにならない そういうダメなやり方(翻訳)を意図的にやらせているからです。
きりすと、さひえる、へるり、しよはん、へえとおへん、まつかあさあ、くあむ、さいはん...確かに戦前の文学作品では仮名文字は逆でしたね。
全く先生の言う通りですぼくもかな文字の起源を調べたことがあり、片仮名については漢字起源を疑っていましたそこで出会ったのが神代文字ですとはいえそのほとんどが出所不明しかしここに片仮名の片鱗があることに気づきました
漢字起源だと書かれている学説に根拠はあるのですか? いつもの古代日本に文明や文化があってはならないから、すべてチャイナ起源にでっち上げるというものですか?
なるほど
カタカナにムを入れたらカタカムナになるなぁとは思ってました😦小学校の時には文字の成り立ちを見てるのが好きで見てましたが、カタカナはん?と思ったので、私なりに平仮名を簡単にしたものがカタカナだと思うようにしてました(笑)(それでも所々変ですが)カタカムナを検索してみます😊
小学校で最初に学ぶのはカタカナだった。読みづらくはない。難しいのは変体仮名。江戸時代までは変体仮名が多かった。男も女も寺子屋では同じように学んだはず。時代が変わると奇妙な解釈がまかり通る。
カタカナから学ぶって合理的ですよね。
@@日本人で良かった-e1f様時代が変わると言葉が変わってしまう事は避けられませんが何か失ってしまっているのではないかと寂しくもあります。時代劇が現代語丸出し、なにか違和感。
@@田織園斎 様 至極同感です。もし良ければ『旧かなづかいで書く日本語』萩野貞樹/著書 幻冬舎新書/出版 を一読してみて下さい。なかなか面白いですよ。
@@日本人で良かった-e1f様ありがとうございます。旧仮名興味深いですね。残念ながら視力の90%を喪失し本が読めません。 旧仮名では「い」と同音のいがあり「え」も同様に同じ発音のえがありました。犬はいぬではなかったと記憶しています。確かカタカナでは井
@@田織園斎 い→ゐ イ→ヰ え→ゑエ→ヱ になります。例えばヰセキ、ニッカウヰスキー、ヱビスビールなどです。お体ご自愛下さい。
カタカナ、カタカムナ、、関係がないとは言い切れない母音を感じますね。
カタカムナは文字の他に音階も示していたという口伝があるようです。神事の継承に用いていたそうな。音階があると言えば神楽ですね。とても説得力のある口伝でした。今年は御柱祭があるので諏訪にまつわるお話しも可能であればお願いします。調べれば調べるほど濃い情報が出てきて本当に面白いです。諏訪がユダヤにルーツを持つのではなく、ユダヤが諏訪にルーツを持っているんじゃないかと思えるぐらいです。個人的には後者と思ってますが。諏訪の末子相続という伝統は「モリヤ」がルーツ、タケミナカタは出雲にいなく諏訪にいた、出雲で敗けたのはタケミナカタではなくコトシロヌシであった、タケミナカタとモリヤの対決は旧約聖書でモーセがエジプトを脱出する時のエピソードと同じ、時代と共に西から東に東征したのはところてん方式、など色々質問して聞いてきました。オフレコ内容とかも半端なかったです。縄文時代の諏訪、地形や遺跡、黒曜石の分布、火山噴火の歴史、古神道の流儀、信仰の対象、役割分担、など掘り下げるのが夜寝れなくなるぐらい面白くなりました。是非!
宇→う→ウ加→か→カ漢字が起源ですが、早く書けるようにという利便性はローマ字からの影響でしょうか。大文字→小文字。
トーヒヤラーリ トヒトヒヤラリ トヒトヒャイトロ ヒャイヒャイヒャウヒャイト ヒャウヒャイトロヒャイトロヒャイト ヒャウトロ フヤラーラーイララト ヒーヒャーイヒャラリコ テン これは我が故郷、愛知県三河地区にある小さな城下町に伝わる ” 獅子舞 ”の笛を教わる時、まず初めにこの様に歌ってメロディーを覚え、それに合わせて指の動きを覚えてゆくものです。トヒャー イーヒャイト イヒャイトー トーヒャー イオヒャー トーヒャーイト ヒオヒャートヒャーイトロヒャー イーヒャイトー トヒャーイトロトヒャーイト イオヤー トヒャーイトロヒャー ヒーヒャイトー 、、、、と後はまた繰り返しとなり延々と目的地、つまり町外れの天王町にある八幡神社に至るまでの道中をねりあるいてゆく時に吹く ”道行き” の笛の歌です。偶然に、この意味不明な歌により篠笛を先輩たちから伝えられて来たわけですが、これと古代の倭語 の間に何か関係があり、しかも神への伝達、お知らせ、の様な意味があったのではないか?という閃きがあったのです。と言いますのも、”古代の婚姻”について、調べていたところ、” 男女どちらか(ツマ)の求婚の よびかけ(トヒ)ではじまり、、、”と書かれていたのを見つけたからです。この トヒ と 獅子舞や道行きの歌の中のトヒ 、トヒャイ、 トヒャウ などという言葉と関係があるのでは?つまり、トヒ が始まりを表す ’ よびかけ ’であるならそれに続く、極めて単純な歌のくる返しは、神に捧げる笛の音による音を代弁している 讃歌ではないだろうか?などど思ったわけです。東京にいた時、しばらくの間、鳳声晴光先生について、江戸祭囃子の笛の手解きを受けたことがありました。トヒヤオー イトロヒオヤー トロー ヒー オー ヤー ヒオ トロー 、 オヒャイトーヒャイ トヒャオトロ トヒャイツー トエヒャオトロ ヒャイトヒャ ヒエ トーヒャオヒャ ヒーヒャイヒャイトロ トーヒャーイー トーヒャーイー チエヒャイトーロー オヒャイトーヒャイ トーヒャオトロ トヒャーイーツー トエヒャオトーロー ヒャイトヒャ ヒエ トーヒャオヒャ トーヒャーイー チエヒャイトーロー、、、と続き、最後に、チヒーヒ チヒ と言う甲高い音で締めくくるのですが、ここでもやはり トヒャー というような言葉の出てくる歌を最初に楽譜のようにして覚えさせられました。古代大和言葉とお囃子に使われている単純なことばの持つ意味に関連があるのでは?
なるほど、理解できました。生むのは、女だから、天照大神は、女?。でも、魂・神霊を、伝えて行くのは、男。八百万の神は、自然神だから、男でも在り、女でも在る。先生の言った、魂は、金玉・金珠で、繋いで行くは‼️、マジ、笑えた‼️。まぁ、でも、太陽は、女の笑顔に、確かに、似ている。
戰前から神代文字の存在に對しては否定的でしたよね。神代文字の學術的硏究はもつと進で宜いと思ふのですけど、中々進まぬ原因は何でせうね。
文科省,教育労組,学者,メディアが政治的理由で否定的であり、民間の研究者によるからでは?その背後にはGHQや民族組織,共産主義組織やチャイナ,半島などの国家権力があるのでは?
格調高いお話しですね
あひる文字ってハングル?母音子音のパーツが同じのがたくさん
この動画のお話とカタカナをヘブライ語に当てはめた説を組み合わせると衝撃を受けました。
カタカナは、日本の古代文字だと思います✨どう見ても漢字から来たって思えません😊後付で漢字から取ったって言っていると思います🧐
書道を練習したり、古文書を読んでみたりすると平仮名カタカナが漢字から生まれたのが、よくわかるようになります。
そうですね、GHQが日本の学者,文科省にインチキな説,理論をつくって日本人に教え拡散するように命令したというのは如何にもありそうなことです。日本の憲法や法律はすべてそうやって書き換えられたものですし、歴史もほとんどそうです。その他にもたくさんありますね。それが日本の大学,学者,文科省,メディア,教育労組,日本学術会議であり利権構造です。
なるほど!アメノウズメから名前を取っていると思われる『すずめの戸締まり』のすずめも、神様と人を繋ぐ存在だったもんね💡
カタカナを取り入れて新たな漢字を作ったように見える。さんずいはカタカナのシにしか見えない。大和言葉でシは水を表す音。
大正生まれの母親はカタカナしか書けませんでした。尋常小学校では最初にカタカナを教えたのでしょう。ひらがなや漢字を書いてるとこは見たことがなかった。
「かな」とは神の名のことで、神名と書いて「カナ」と読みます。動画内で触れられているカタカムナとは神名(カムナ)の象(カタ)のことで、神象図です。カタカムナは神象図なので、神の働きを立体的に表現していて、対して平神名(ひらがな)は神の働きを平面的に表現して造られた文字と言えます。
カナは假名で、真名と対になる言葉です。
変体仮名が三百種類くらいあり明治時代に五十個くらいにした。しかし屋号とか昔のまま使ってたので、今でも読めないような看板がある。別に読めんでも美味けりゃ客は来るので、関係ないが。古文書は書道で習う行書、草書、変体仮名を覚えんと読めない。楷書は経典とか文字を正確に書くやつが主流、崩し字は梵語とか却って難しい字を使う。結局全部覚えたいが、漢字自体が十万種類あるらしいので無理。漢字五万種載ってる辞典が、話題になった事もある。そして片仮名、何か由来が納得出来ない。(むすび豆蔵より)
男性が私的にカタカナを使っていたのは鎌倉時代までですよ。公文書は漢文で書かれていましたし。明治政府が権威付けのために法文や布告にカタカナを復活させただけで一般にはみなひらがなを使っていました
カタカナは、漢字のへんやつくりから造ったものじゃなかったんですね。カタカナにした漢字と、ひらがなにした漢字が、どうして違うのが、あるのか不思議だったんですよ。カタカナの文字が、神代文字とは恐れいったね。漢字が日本に伝わったときには、まだ神代文字が使われていたことになるのかな?神代文字が現代にもあること、これは素晴らしい。どこぞの国と違って抹殺することはしなかったんだ。祖先の人達の知恵だね。感謝!感謝だ。
面白い。
結美大学の「結び」は「産霊(むすひ)」と同じような意味ですかね?
記憶が曖昧で申し訳ないですが、以前カタカナを考案した昔の文部省関係の人だったと思うのですが、そんな動画を見て納得していましたが今回漢字の渡来以前にカタカナが使われていたと聞き、ちょっと混乱しています。阿比留文字というのはハングル文字に似ているので、ひょっとしたら対馬國のト部阿比留氏より伝わったという説もありなのかなとこの講義を聞いて思いました。面白かったです、ありがとうございました。
神代文字ー1(じんだいもじ、かみよもじ)とは、漢字伝来以前に古代日本で使用されたと紹介された多様な文字、文字様のものの総称である。江戸時代からその真贋について議論の対象となっており、現代の研究水準において存在の確証が得られているものはない。概説神代文字と称されるものには、神話や古史古伝に深く結びつき神代に使用された文字であると主張されているものと、後代になって神代文字の一種とみなされるようになったものとがある。主に神社の御神体や石碑や施設に記載されたり[1]、神事などに使われており、一部の神社では符、札、お守りなどに使用するほか、神社に奉納される事もあった。また、機密文書や武術の伝書のほか、忍者など一部の集団で秘密の漏洩を防ぐために暗号として使用されたという。江戸時代の藩札の中には、偽造防止のため意図的に神代文字を使用したものもある。鎌倉時代のころから朝廷の学者によって研究されたほか、江戸時代にも多くの学者に研究されたが、近代以降は現存する神代文字は古代文字ではなく、漢字渡来以前の日本に固有の文字はなかったとする説が一般的である。その一方で、神代文字存在説は古史古伝や古神道の関係者を中心に現在も支持されている。明治のころまでは、単に「古い時代にあった(未知の)文字」という意味で「古代文字」と呼ばれるものもあり、遺跡や古墳、山中で発見された文字様のものがそう呼ばれた。この例としては、筑後国で発見され、平田篤胤の著書で有名になった筑紫文字、北海道で発見されたと主張されたアイノ文字等がある。歴史和字考敬光。寛政5年(1793年)。ヲシテの解説。古字について言及したものは『日本書紀』(720年)の「帝王本紀多有古字」であるが、神代の文字の可能性としてはじめて言及した文献は、鎌倉時代の神道家の卜部兼方の『釈日本紀』(1301年以前成立)である。兼方が『日本書紀』の原典の一つに『仮名日本紀』を挙げた[2]事に対する疑問と仮名の起源について答える中で、家伝として「肥人之字」の存在を挙げ[3]、続けて「於和字者、其起可在神代歟。所謂此紀一書之説、陰陽二神生蛭児。天神以太占卜之。乃卜定時日而降之。無文字者、豈可成卜哉者。」と述べ、『日本書紀』の、神代に亀卜が存在したとの記述から、文字がなければ占いはできないとして、神代から文字が存在した可能性を示した。その後、卜部神道では神代文字の存在を説くようになった。たとえば、清原宣賢(吉田兼倶の子)は『日本書紀抄』(1527年)で「神代ノ文字ハ、秘事ニシテ、流布セス、一万五千三百七十九字アリ、其字形、声明(シャウミャウ)ノハカセニ似タリ」と、神代文字の字母数や字形等について具体的に述べている。(例えば、伊勢神宮等で発見された阿比留草文字等の神代文字は声明や謡曲譜本の節博士に似ている。)清原宣賢が「秘事ニシテ、流布セス」と述べているように、神代文字の実物とされるものは一般に示されなかったが、江戸時代に入ると尚古思想の高まりにより、神代文字存在説も盛んになり、実物とされるものが紹介されるに至る。数十種類の文字が紹介されたが、過去に卜部神道が述べていた特徴からかけ離れたものも多く、出典となった書籍や発見場所などから名付けられた。江戸時代の神代文字の研究としては、平田篤胤が否定論から肯定論になって最初の論である『古史徴(こしちょう)』第1巻『開題記』所収「神世文字の論」、そして『神字日文伝(かんなひふみのつたえ)』とその付録『疑字篇』が著名である。また、鶴峯戊申(つるみねしげのぶ)は『嘉永刪定神代文字考』において天名地鎮(あないち)文字を世界のすべての文字の根源であると説いた。ほか、三井寺(園城寺)住職の敬光による『和字考』など、数多くの研究がなされた。それらの研究を集大成したのが落合直澄の『日本古代文字考』である。戦後の著名な論考として、神代文字実在論を「妄説」とした山田孝雄の『所謂神代文字の論』があり、実在性を問題とした研究史に終止符を打ったことで知られる[4]。現代では、清水豊、山下久夫、岩根卓史などによって、平田篤胤の思想研究のための「疑字であることを前提とした」神代文字研究が行われている[5][6][7]。主な神代文字と主張された記号荒神山の御札。左側にあるのが神代文字。「神代文字の一覧」も参照古史古伝とかかわりが深い文字天名地鎮 - 太占と関係があるという。ヲシテ - 『ホツマツタヱ』に使われた文字。カタカムナ文字 - カタカムナ文明で使われていたとされる。サンカ文字 - 豊国文字を基にした三角寛の創作とされる。豊国文字 - 『上記』(うえつふみ)において用いられる。物証を伴うが壁画や記号であって文字ではないとされる事が多いもの北海道異体文字 - 北海道で発見された。筑紫文字 - 筑後国の重定古墳にある壁画を文字とする見解。甲骨文字、金文など漢字(の原型)との類似が指摘されているもの阿比留草文字 - お札等によく使われる、比較的メジャーな神代文字。琉球古字 - 琉球で占いに使われたという文字。その他阿比留文字 - 対馬に伝わる。阿波文字 - 阿波国名東郡の神社で発見された。出雲文字 - 出雲国の書島(ふみしま)で見つかったとされる。対馬文字 - 対馬に伝わり、現在も神事に使われる。議論肯定論側には目的の異なる多様な主張(すべての文字の基になったものだとするものから、ただ意味を表す記号が存在していたと主張したいだけのものまで)が存在し、否定論側もそれぞれの主張に対する反論であるため、全ての記述が神代文字全般にあてはまるわけではない。また、言葉の定義が一定ではない為、すれ違っている主張もある。
林佑香、肩ハ綺麗ダネ❤❤❤
大体ひらがなよりカタカナは200年も早く成立したと云う。それも突然だ。平仮名は万葉文字が草書に砕けてやがて一つの独立した文字になっていった。しかしカタカナは突然800年代または700年代に突然出現。部首からとったにしては、ラなんてどこから来たかわからない。53年前ドイツでイスラエルの学生と話したとき、私のリュックサックのロゴを見てこれ、KIって読むんだろ?と指さした。そこにはメーカーの説明らにキの字があった。その時は何も感じなかったが最近なにかユダヤに関係あると思い始めた。
効果音も文字で表せばカタカナですね 「ドッカーン」「バキューン」
仏教僧が使ってたのカタカナと思ってた。カタカナで書かれた仏教の歌詞あるよ。時代每に使われる字体があった。仏教僧が神代文字を使う?催馬楽を読むとき変体仮名を調べると読める。平仮名の成立分かる。
タマタマ→魂 なんですね😲💦
何気に、阿比留文字を見ると、どこかで見た様な。そう、ハングル文字に似ていますね。阿比留文字から、カタカナが生まれたとしたら、ハングル文字が、お手本なのでしょうか?それとも逆に、阿比留文字から、ハングル文字が出来ているのでしょうか?
ハングルは満州文字が起源であると宮脇淳子先生がおっしゃってました
そうか〜 神代文字からカタカナ文字ができたのか? 霊を繋ぐのか〜
私は漢字もカタカナも刀に鑽で名とか刻む事によってできたと独断と偏見で考えています。笑笑
日本神話の神様の名前をひらがなで書くと感覚的に違和感あった理由が解けたような気がします。
カタカムナとかいう次元空間貫きそうな文字
40年以上台湾に住んでいる者です。「之」をカタカナの「シ」に近い(もちろん完全に同じではありませんが)書き方をする人もいます。カタカナは元々僧侶が仏典を読んだりする際、漢字とあまり違和感のないように漢字から作ったものとされており、私もそう思います。またかつての軍国主義時代は見た感じ弱々しいひらがなより力強い感じのするカタカナが好まれたとも聞いております。大日本帝国憲法もそのような経緯があって漢字とカタカナが用いられたのでしょう。神代文字云々はちょっと盛りすぎなのでは?
カタカナは元々漢文を読むためのものと思っていました。和漢混淆文が出てくるまでは、漢文か平仮名だけの文章と極端でしたし。漢字+カタカナが男性が使うのは、その名残りかと思います。漢字+平仮名の文章は、大正時代の文章でも見かけたので、戦後、そうなった、というのはちょっと腑に落ちなく感じております。
私は現在62才です。幼稚園に入る前、お爺さんやお婆さんが、「これからはカナは平仮名を使うんだよ」と教えてくれました。その様に、私が小学校に入る頃はカナは全て平仮名でした。が、幼稚園の頃は、未だチラホラ、カタカナのカナで書かれた文章を見ました。誓約書何かは、カタカナでしたね。
仏教が起源云々ってのは聞いては居ますけれど?、これも漢字の影響大ってのは有るや無しやですけれど?、何となくで説明は出来るかもだが、読みについては多少の変遷は有るでしょうが、今や、外来語由来を発音したりするって、比較的に新しい物程に表す傾向は有るみたいですよね?。
ムー大陸の生き残りが日本に着いて神代文字を伝えたと思う。
興味深いです…ただ、平仮名は漢字から、片仮名は神代文字からとすると、平仮名と片仮名が似ているのが気になります。「へ」はもう全く同じみたいなものですし、「き」「し」「せ」「や」等もかなり似ている。「ウ」「カ」「ツ」「ネ」みたいに平仮名の元となった漢字と繋がりがあるようにしか思えないものもある。偶然にしては出来すぎな気がするし、そんなに似せたり繋がりがあるような形にするかな?と思う。
カタカナは、平安時代の頃の坊さんがお経を読む時のルビが発祥。だから男性文字。ひらがなは、平安時代の女官の書く草書が発祥。だから女性文字。で明治時代に明治政府が男性文字であるカタカナと漢字の混交文を推奨したと聞いたことがある。因みに、戦国時代の武将や幕末の坂本龍馬の手紙なども漢字ひらがな混じり文章の様です。
12:58 総ツッコミする姿が見えた
これって漫談ですか?これほど荒唐無稽な珍説が何らの科学性もなく堂々と語られていることに感動しました。もう少し勉強しないと、小学生や中学生だって観てるわけだからなあ。含羞は日本人の誇りだったはずですが、現憲法は思想良心の自由を保障しています。現憲法に感謝しなければいけませんね。
古代出雲人の人骨から、縄文人・弥生人のルーツに迫る挑戦!東京いずもふるさと会(会長岡垣克則)古代出雲人の人骨から、縄文人・弥生人のルーツに迫る挑戦!2018年10月20日 10:11縄文人はどんな言葉を話していたか? ~縄文語と出雲方言~ 日本語のルーツに関しては、アルタイ語(蒙古語・満州語・朝鮮語・トルコ語などが属するらしい)と似ていると言われているが、どうも、未だ答えがでてなくて、日本語は、世界の言語の中でも特異の存在(日本語が属する言語が世界にない)で、日本列島で長い間に形成された独特の特色を有しているようだ。 1998年5月に出版された言語学者故小泉保氏が「縄文語の発見」(青土社)が、縄文語について詳細な研究をまとめられている。 日本語は弥生時代を起源とするとの主流の学説に対し、「はたして、縄文時代の言語は弥生時代の言語に駆逐され、消滅させられてしまったのであろうか。六百年足らずの弥生期に弥生語は縄文語に完全に入れ替わったのであろうか。こうした弥生期における言語交替の証拠はどこにもない。」として、「出雲方言に東北方言と音韻の類似する面がある」ことに言及し、この裏日本的な音韻は、縄文語(裏日本縄文語)を受け継ぐものであるとされる。 つまり、出雲方言は、恥ずかしいズーズー弁ではなく、縄文語を正当に受け継いでいる縄文語本流の言語であるということである。 このことは、今回、関東在住の出雲出身者及び出雲在住の出雲人のDNA解析の結果、出雲人のDNAと東北人のDNAとが非常に近い位置にあるという驚くべき結果からも裏付けられる。 そもそも、出雲と東北とは日本海の海のルートにより、縄文時代から交流があったことは考古学上明らかになっている。縄文時代に交流があったということは、共通の縄文語(方言の違いはあるにしろ)が話されていたことは誰が考えても否定できないことである。 しかも、縄文後期から弥生時代。古墳時代にかけて、日本列島への渡来人の到来があったが、彼らは征服者としてやってきたのではなく、大陸から様々な理由で新たな新天地を求めてきた人々であり、最新のDNA研究の結果、ある時点を境に縄文人と弥生人が突然日本列島で入れ替わったのではなく、長い時と時間をかけて先住の縄文人と新天地を求めてきた大陸からの渡来人との混血・縄文系弥生人と渡来人との混血を繰り返しながら(その過程は、単純なものではなく複雑なものであることが最新のDNA研究から想定される。)、現在生きるヤマト人が形作られてきたことが、分かってきている。 他方、渡来人は渡来する前の大陸の本籍(初期の渡来民は大陸沿岸の海洋民族系か?)では中国語系統の言語を話していたと推測されるが、日本に渡来した後、中国語系統の言語を保持した状況証拠も見当たらない。 そうすると、大陸からの渡来人は、在来の縄文人が話していた言葉を学び、縄文人と渡来人の混血した弥生人は縄文語を承継しながら弥生語を形成し、現在の日本語に繋がっていったと考えるのが素直である。 そうである以上、今、我々日本人が使っている日本語に縄文語の流れをくむものがあって、当然であり、自ずと出雲方言が脚光を浴びざるをえない。 今回のプロジェクトは、日本語の成り立ちの解明のロマンにも繋がっている。・縄文語の発見(じょうもんごのはっけん)は、小泉保の著書。1998年5月に青土社から発刊された。弥生時代に日本列島で話されていた言語のうちの一つが今の日本語につながるという推測に反対し、東北方言や琉球語などの比較により、現代の日本語から縄文時代に話されていた「縄文語」に由来する要素をとりだすことを試みる。構成本書は6章からなる。1章では考古学的、2章では人類学的な用語の概要を説き、3章で日本語の系統論についてふれる。そして4,5,6章で本書の主題である縄文語について述べる。第1章:縄文文化―考古学の立場から第2章:縄文人―人類学の立場から第3章:日本語系統論第4章:縄文語の復元第5章:弥生語の成立第6章:縄文語の形成縄文語とは縄文語という語は本文中ではそれほど詳細に定義がなされておらず、縄文時代に日本列島で用いられていた言語と述べられている。(前略)すなわち、狩猟文化の縄文時代ではなく、稲作文化の弥生時代が日本民族の原点であると述べている。第3章で批判した日本語系統論の大部分がこの弥生時代起源説に立脚しているのである。はたして、縄文時代の言語は弥生時代の言語によって駆逐され、消滅させられてしまったのだろうか。六百年足らずの弥生期に弥生語は縄文語に完全に入れ替わったのであろうか。こうした弥生期における言語交代の証拠はどこにもない。本書では、弥生時代の言語を「弥生語」、縄文時代の言語を「縄文語」と呼ぶことにする。- 第4章、同書130p第4章縄文語を復元する方法として、比較言語学的な方法と、方言周圏論の二つを挙げる。そして二者を組み合わせて、辺境に分布する語を比較して得られる再構形を、縄文語の語形であるとし、その一例として東北、九州、琉球に分布する「あきづ(トンボ)」系の語を比較する。ついで東北方言の音韻の特徴について述べたあと、出雲方言に東北方言と音韻の類似する面があることに言及し、この裏日本的な音韻は、縄文語(裏日本縄文語)を受け継ぐものであるとする。第5章日本語方言のアクセント論を引いたのち、方言周圏論からして辺境に分布する一型アクセントこそが縄文語に由来する古いアクセントであるとする。そして京阪式アクセントが弥生語に、東京式アクセントが縄文語をつぐ一型アクセントと弥生語のアクセントの接触によるとする。第6章琉球諸方言の比較から琉球基語の母音を導き、これを縄文語の九州方言(九州縄文語)の母音と同じものであるとする。そして4章で見た裏日本縄文語と比較して、九州縄文語の母音体系から裏日本縄文語の母音体系が生じたのであろうと述べる。さらに十津川方言(奈良南部方言)のアクセントが東京式であることを引き、十津川方言が東京式アクセントをもつ理由を、中国~近畿~東海まで存在していた「表日本縄文語」が、弥生語の畿内への進出によって分断されたと推測する。本書の評価本書はこれまでに例を見ない「縄文語」という基層語を題材にしていることから、革新的であると見られる一方、正統派言語学者からは批判の声もある。書誌情報旧装版題名:縄文語の発見著者:小泉保発行年月:1998年5月出版社:青土社出版地:東京ISBN 4791756312新装版題名:縄文語の発見著者:小泉保発行年月:2013年6月出版社:青土社出版地:東京ISBN 479176708X
こういった日本語の歴史分析は好きですね。今ある事実を根拠としてそこから自然な変遷の流れに感じ、中国や世界からの論理展開には不自然な流れが違和感を感じ更には突き詰めていくと矛盾が出てきたりする。それはたぶん事実を無視した妄想を無理やりつなげているからその歪が出てくるんだと思います。中国から伝来したという部分を全て排除して考えるとすんなり入ってきます。
それよりさらに踏み込むと国際政治や利権構造が現れてきそうです
朝鮮語のハングルの元は阿比留文字でしょうね。🧏♀️
そうみたいですね。
そっくり。
ハングルは日本人が作り教科書も日本人が作りました。
カタカナは外国人からしたら、ひらがなよりも書きやすいですよね。
実は意外にも平仮名の方が簡単なんですよ~カタカナは習得するのが難しいんです。
昔の書物はなんで読みにくいのだろうと思うことが良くありましたが、GHQの占領政策の影響だとは知りませんでした。
カナ文字に性別があるとは?漢字より古いのか、ラブラブと云ってテレるな。あびる文字は阿比留氏と関係が有るのでしょうか。
カタカナって「空海」が発明したと聞いたけど。
漢字を開いたから「ひらがな」ですね。
上代特殊仮名遣(じょうだいとくしゅかなづかい)とは、上代日本語における『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』など上代(奈良時代頃)の万葉仮名文献に用いられた、古典期以降には存在しない仮名の使いわけのことである。 名称は国語学者・橋本進吉の論文「上代の文献に存する特殊の仮名遣と当時の語法」に由来する。単に「上代仮名」とも呼ばれる。概要上代文献には、歴史的仮名遣では区別しない音節(具体的には、コ・ソ・ト・ノ・モ・ロ・ヨ・(ホ)、キ・ヒ・ミ、ケ・ヘ・メおよびその濁音)を示す万葉仮名が二通りにはっきりと書き分けられていることが知られている。(エにも2種類の書き分けが見られるが、こちらはア行とヤ行の区別であり、上代特殊仮名遣には含めないのが一般的になっている[1]。)二種類のうち、片方を甲類、もう片方を乙類と呼ぶ。例えば後世の「き」にあたる万葉仮名は支・吉・岐・来・棄などの漢字が一類をなし、「秋」や「君」「時」「聞く」の「き」がこれにあたる。これをキ甲類と呼ぶ。己・紀・記・忌・氣などは別の一類をなし、「霧」「岸」「月」「木」などの「き」がこれにあたる。これをキ乙類と呼ぶ。イ段・エ段の甲乙の区別は動詞の活用と関係があり、四段活用では連用形にイ段甲類が、命令形にエ段甲類が、已然形にエ段乙類が出現する。上一段活用ではイ段甲類が、上二段活用ではイ段乙類が、下二段活用ではエ段乙類が出現する。こうした甲乙の区別は、一々の単語ごとに習慣的に記憶されて使い分けられたものではなく、何らかの音韻の区別によると考えられている[2]。すなわち、上代日本語にはいろは47字+濁音20の67音でなく、それより20音多い87音(「モ」を加えれば88音、「ホ」[3]を加えれば89音。)の区別があった。後世存在しない音韻がどのように区別されていたかは諸説あって定論がないが、例えば母音が8種類あったなどと推定することが可能である。8世紀後半になるとまずオ段(コを除く)から区別が失われはじめた。このような中間的な状態は仏足石歌・宣命・正倉院万葉仮名文書・および木簡資料などに見られる。平安時代になるとほとんどの区別は消滅したが、コの区別は9世紀前半まで、エの区別は10世紀前半まで残った。音節表と万葉仮名の一覧表音節表上代特殊仮名遣における音節表。灰色部分が書き分けが存在する音節。(略)
40(50)音表漢字のつくり へんが元って習いませんでしたか? 常用漢字はかなり後です。明治時代の東京はトンキン(ベトナム)でしたので「東亰」記載でトウキヤウのふりがな、大正頃やっと普及で「東京」です。廃藩置県にかなりの年月かかり新聞書籍普及に伴いバラツキありましたよ。昔の人の方が知っていると思いますが…新説ならオモロイです。
男と女の役割が明確に分かれているのが古代日本の考え方と理解しているのですが、昨今はジェンダーレスが当たり前の世の中になりつつあるとおもいます。この点において現代でも上手く解釈できるものなのかを知りたいです。
「ゼロ・ポイント・フィールド」を科学すると、 <中今>が見えてくる、そしてNLB(非局在脳)(ノンローカル・ブレイン)が見えてくる。〈前編〉2020/07/20 20:30執筆:ラボラトリオ研究員 杉山 彰さて、今回のお話は、ゼロ・ポイント・フィールドですが、この言葉は七沢先生の<はふりめく>にもたびたび登場する、とても重要なキーワードであることは間違いありません。そこでちょっとチャレンジという意味で、この「ゼロ・ポイント・フィールドを科学する」を、パローレで取り上げてみたいと思います。しかし、いかんせんこのキーワードは、それこそ量子力学の根本を成す難解なテーマでもあります。上手く説明できるかできないかは、神まかせ、というわけにはいきませんが、なんとか科学の言葉で紐解いてみたいと思います。それでは、始まりです。まずは ”ゼロ・ポイント・フィールド” という言葉を分解してみたいと思います。参考文献①「フィールド 響き合う生命・意識・宇宙」インターシフト/リン・マクタガード 著1)<ゼロ>:これは文字通り<ゼロ>の意味です。一つには熱エネルギーが<ゼロ>ということです。科学の言葉では、この<ゼロ>は絶対ゼロ度と定義され、絶対温度=マイナス273・15度と決められています。この宇宙において、この絶対温度の元では、いかなる物質もすべての熱エネルギーを失ってしまいます。そしてもう一つの<ゼロ>が、質量が<ゼロ>。質量が<ゼロ>ということ、物質的なるものが存在しないとうことです。温度が<ゼロ>で、物質の存在が<ゼロ>。これがゼロ・ポイント・フィールドの<ゼロ>が意味していることです。続いては、2)ポイント:これは文字通り<点>のことです。<点>は位置を決めるだけで、大きさをもっていません。無限小の拡がりから無限大の拡がりまでをあらわすことができるのです。そして、3)フィールド:これは<場>を意味しています。<場>と書くと、とてもシンプルな意味に見えますが、じつはこの<場>の説明が、ゼロ・ポイント・フィールドの説明の「キモ」なのです。まずは簡単に定義します。“<場>とは、至るところに存在し、あらゆる物理現象の担い手となるものである”。うーん、ちょっとわかりにくいですよね。で、ザックリいきます。参考文献②「真空のからくり」ブルーバックス/ 山田克哉 著<場>とは、全宇宙にわたってあまねく拡がる<真空の場>ということにしておきます。もちろん宇宙空間には、無数の原子や分子が存在しています。そして、その原子の内部や、原子と原子の間、さらには、分子と分子の間にも<真空の場>が存在しているというのです。ですから、ゼロ・ポイント・フィールドとは、熱エネルギーと物質の存在がゼロの状態の<真空の場>が、全宇宙、そして原子内部、原子と原子の間、分子と分子の間、とあらゆる空間にあまねく拡がっているということを意味しているのです。なんのこっちゃ、ですね。<中今>と<NLB(非局在脳)>の関係まで、なかなか話を持っていけません。でもここはもう少し続けていきます。 この宇宙のすべては、ゼロ・ポイント・フィールドから生まれた。 じつはこの<真空の場>、つまりゼロ・ポイント・フィールドが決して空っぽの<真空の場>ではなく、この宇宙のすべてはゼロ・ポイント・フィールドから生まれたということが20世紀に入って明らかになってきたのでした。ゼロ・ポイント・フィールドの至るところで、多数の粒子が頻繁に出没しているというのです。そして、このゼロ・ポイント・フィールドには、発生源のないエネルギーが取り残されてしまうというのです。何が取り残されるのか。たとえば宇宙創生以来、銀河宇宙、余剰次元宇宙、地球大気圏内外で発生した森羅万象の生成情報のすべてを搬送波・信号波として発信し続けてきた電磁波エネルギー(光エネルギー※2)がゼロ・ポイント・フィールドに取り残されるというのです。ゼロ・ポイント・フィールドは温度が絶対ゼロ度の場ですから、電磁波エネルギーはエネルギーを減衰し続け、やがて電磁波エネルギーが存在しなくなります。申し訳ない、ここらへんは難しい。心折れずに、突き進んでください。 で、続けます。ところがアルバート・アインシュタインとオットー・シュテルンは1913年に、すべてのエネルギーを放出しきってしまった電磁波エネルギーが、ゼロ・ポイント・フィールドに取り残されることを示す「ゼロ点振動エネルギー:(hν/2)」を組み込んだ数式を発見したのです。<En=nhν+(hν/2)>いう数式です。左辺のEnは電磁波エネルギーの強さ(n)をあらわします。hはプランク係数です。νは振動数です。この数式の左辺のEnのエネルギーがゼロになるのですから、E0となって右辺<nhν→0hν→ゼロ>が消えてしまいますが「ゼロ点振動エネルギー:(hν/2)」は残ります。つまり<E0=0hν+(hν/2)→(hν/2)>となります。なんか鼻につつまれたような話しですが、本当の話です。ゼロ・ポイント・フィールドには「ゼロ点振動エネルギー:(hν/2)」が無限数個取り残されているというのです。この(hν//2)の値は光子1個の持つエネルギーの半分です。光子は整数倍でしか増減しませんから、エネルギーが1/2の光子というものは存在しません。ですから仮想光子と呼ばれています。ゼロ・ポイント・フィールドには、観測不可能な仮想光子が無限数個取り残されているというのです。※2.光エネルギー:光の波長に相当する電磁波のエネルギーで、周波数により速度は変わるが、約30万km/秒の光速さで空間を伝わる。参考文献③「素粒子論はなぜわかりにくいのか」技術評論社/ 吉田伸夫 著しかも、このゼロ・ポイント・フィールドにおいては、この仮想光子が10-23秒という瞬間に、エネルギーを貰って(hν)の光子としてパッとあらわれ、10-23秒という瞬間にパッと(hν/2)の仮想光子としてゼロ・ポイント・フィールドの深層に消えていくという、いわゆる対生成・対消滅を繰り返しているというのです。10-23秒という瞬く間の出来事ですから、その明滅が人間の目に感じられるはずはありません。ゼロ・ポイント・フィールドには、観測不可能な光が充満していることになります。ゼロ・ポイント・フィールドとは、このように実に複雑きわまりない奇妙な空間なのですが、このような現象が、全宇宙はもちろん、私たちに目の周りに存在する原子内部、原子と原子の間、分子と分子の間、とあらゆる空間で起こっているのです。(続く)
カタカナってユダヤ文字と同じだぁーと思えるのですが、こちらの考察もお願い致します。
是非ハングルは日本人が作った話もして欲しいですよね。
@@日本人で良かった-e1fじゃあ何故作った張本人が使わない?
上代特殊仮名遣いー6・姫神(ひめかみ)日本のミュージシャン。ユニット名は、岩手県盛岡市にある姫神山に由来する。岩手県を活動拠点とし、東北地方の民謡や民族音楽に影響を受けた楽曲を作り続けている。こぶし(メリスマ)を織り込んだメロディーラインが大きな特徴。シンセサイザーを用いたインストゥルメンタルを中心に製作していたが、1990年代後半以降は、姫神ヴォイスなどの歌声や生楽器を取り入れた楽曲も多く作られている。・『神々の詩』(かみがみのうた)は、1997年10月12日から2000年3月19日までTBS系列で毎週日曜20:00 - 20:54に放送されていた紀行番組、および姫神作曲の同番組のテーマ曲のタイトルである。日本生命の一社提供番組「ニッセイワールドドキュメント」シリーズの第4作。概要世界各地の自然や文化を紹介する。都会的な事象をテーマにすることは少ない。ある国の戦後の惨状を紹介するなど、戦争について間接的に扱った回もある。リポーターはおらずスタジオ収録もなく現地の映像のみである。ナレーションは毎回異なるタレントを起用している。オープニングとエンディングにはその回のテーマを基に高良留美子の作った詩が読み上げられる。曲の『神々の詩』の歌詞は縄文語をイメージしている。オープニング(タイトルグラフィック)制作はイクイティエンタテインメントが担当。本番組の終了後、『ニッセイワールドドキュメント』枠は日曜18時台後半に移動となった。神々の詩の歌詞の意味実は長年このアーティスト姫神の「神々の詩」を作業BGMにしていたのですが今日になって初めて歌詞を知りました。翻訳したものを下記に先に記すのですが、「私は名前がマポです。私に、祖父(祖母)と父と母と兄(姉)と弟(妹)がいます」ということを何度も何度も繰り返しているだけの詩なのですね。「壮大なメロディから繰り出される自己紹介」「内容がわからないだろうからって適当な歌詞」という感想も寄せられています。しかしながら聿竹は泣くほどこの歌詞に感動してしまったので鑑賞ポイントを記します。・古い日本の言葉「縄文語」・時間という隔たりを超えて再現される音・歌と言葉と学び・古い日本の言葉「縄文語」詳細な解説は『縄文語の発見』にぶん投げてしまいますが、日本についての記述で最も古いものは西暦200年ごろの魏志倭人伝で中国の人が当時の日本を記述したもの。その後国内で日本書紀、古事記が稗田阿礼や太安万侶の尽力により文字化させたのが古いものでしょうか。いずれも文字がなく音しかなかった日本においてはようやく獲得された記録法だったのですね。当時の日本人は漢字という文字を大陸から輸入しその利便性を享受しつつ、もともと自分たちが使っていた言葉の音を漢字に落とし込み、しかも大陸で使われていた読み(いわゆる音読み)もそのまま流用しています。当時の発音はこうした漢字の発音や、あるいは仏教においてサンスクリット語だったものが中国に入ったときに漢字の音を合わせて表記したこと、等々そうした漢字の変遷等を踏まえて当時の音が推測されます。また日本各地に散らばる方言から共通項を拾い集めてその原型を推測したり、さらには八丈島には相当古い日本語がいまだに使われていたりもし、上で紹介した『縄文語の発見』の小泉保氏は日本語の原型を求めたのですね。日本語で古い発音で、「自分」が「ワ」であったこと(我や私)やハ行の発音が口唇摩擦音(ファとかヴァとか)に近かったこと、鼻濁音(ng+母音)の使用などが使われていたと研究されています。例えば「春すぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香久山」という和歌は作られた当時の発音に直すと「ふぁるつんぎーてなとぅきたるらちちろたふぇのからまぽちーたりあんめのかんぐやま」になるのだとか。そうしたこと踏まえて「神々の詩」の音を読むと非常に面白い。ちょっと意図的に切るんですが、a-ba naa-nga MAPOア-バ ナァ-ガ マポ(神々の詩の歌詞)吾ば名がマポ私は名前がマポです接続詞としての「ば」は方言で、「が」は標準語でもいまだに残っています。読めてしまう……!古い言葉の発音がわかってしまう!意識せずに聞いたくらいでは「意味の分からない言葉」なのにこうして昔の発音や文節を意識するとわかってしまう!聿竹は感動した!・時間という隔たりを超えて再現される音縄文時代は、今から13000年くらい前から2300年くらい前とのこと。かなりの開きはあるものの一番身近な2300年前でも相当に昔のことです。そのときの、その時代の「自己紹介の音」って、「わかる」という体験だけで相当すさまじいことではありませんか?縄文時代、今と違って集落と集落の間はとても遠かったでしょう。明かりもなく夜は闇。人の命はいつ消えるともわからない。日本の国土は一層森深い時代。神代と呼ばれる時代はおおよそ弥生時代と重なることを考えると神代よりももっと昔の言葉の音が研究者の尽力によりこうして味わえている。2300年も昔、どこかで誰かが口にしたかもしれないア-バ ナァ-ガ――(私の名前は――)すごくないですか……!・歌と言葉と学び言葉を学ぶ上で歌にする、というのはかなり効能が期待されます。いろはうたは元よりABCの歌でローマ字を覚える層も厚いでしょう。歌は幼児のみならずあらゆる人に新しい言葉を覚えさせる手段として非常に有効です。ふと口ずさみたくなる音調で、物語るように拍子をつける。和歌や短歌、俳句、都都逸、こうした趣向は歌であったからこそ長い時間人々に語り継がれ現在にまで届いているのだと思えば歌の力というものが伝わるというものです。長い年月、風雪に耐えながら残った歌のなんという力強さか。「春すぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香久山」という短歌に触れるということ、遡って「ふぁるつんぎーてなとぅきたるらちちろたふぇのからまぽちーたりあんめのかんぐやま」と当時の発音に戻して味わえることも他ならず「現代まで残ってくれたから」と言えます。この姫神の作った「神々の詩」は延々と「私は名前がマポです。私に、祖父(祖母)と父と母と兄(姉)と弟(妹)がいます」を繰り返します。歌詞が自己紹介であること、社会を構成する最小単位である家族の紹介であることは、今では想像もつかないほどの遠い世界である当時においてどれほど言葉であったでしょう。我々は今「神々の詩」のおかげで非常に遠い時間の世界の一部に触れられているのかもしれません。そう思えばこの歌詞の凄まじさよ!また言語とリズムは結構大切で、ある文化圏では「常に歌うように喋る」という言語圏があるそうです。言語学者が聞き取りのため「なるべく節をつけないで喋ってくれ」と依頼したところ、彼らの言葉はたちまち拙くなってしまった、と。仮にあるとき縄文時代に飛ばされてもこの歌を覚えていれば自己紹介の音はどうにかなりそうな気がしてきますね!
言霊「ス」が教えてくれること2021-11-01 10:00:00言霊「ス」が教えてくれることー和の叡智浅子雄一郎 [2021.09.19]波紋皆さん、こんにちは。浅子雄一郎です。「とほかみえみため」を唱えていると心が「スッ」と落ち着いてくるもの。この落ち着きはどこから来るのだろう?と考えるとそれはやはり、この8文字によってご先祖様や神々という私たちの大元である「ルーツ」に接続が起こるところからでしょう。「ス」といえば、ずっと前に、「素」というものがどうにも気になって仕方がなかった時期があります。「素」こそ、すべてのルーツであり何者にも侵されない領域といいますか、生命体として最強の状態なのではないかと感じたのですね。日常で「素」を生きられないもどかしさ、苦しみからくる「素への憧れ」というものもあったかもしれません。それで、当時毎日書いていた日記に「素」をテーマに考えたことをつらつらと書き連ねたりしていました。そもそも、「素」とはどのような状態であり、如何なる理由で「素」は最強なのか。「素」と人の能力、才能の発揮創造性とはどのような関わりがあるのか。どうすれば人は「素」に入ることができ、「素」を妨げるものとは何なのか。その答えを、今私たちは「とほかみえみため」という言霊を通して発見し、体感する好機に恵まれていますが、振り返りますと、こういった思索とその中で訪れる様々な気づきを文字に落としていく作業は、とても楽しいものでした。日々のあれやこれやで目まぐるしく過ぎてゆく日常の中でこの作業をしているときが一番自分が「素」に還っていた時間ではなかったかと思います。これが何の役に立っていたのかと聞かれますと、それこそ素に還ってしまうといいますか何とも答えられないところがあります。ただ、「素」は「モト」とも読みますが、生きていくうえで何らかの「モト」(元・源)になってくれたような気がするのは確かです。実は深い「むちゃぶり」以前、記事を執筆していたとき久しぶりに「素」について考えさせられたことがありました。その記事の中で、「むちゃぶり」という言葉を書くときに「ぶり」をひらがなで書くか「振り」と漢字で書くかどちらにしようかと迷ったのですね。それで、ひらがなと漢字のどちらが主流なのだろう?と調べてみたときに「むちゃぶり」という言葉の意味に意外にも「素」という言葉を発見して驚いてしまいました。 むちゃぶりとは、お笑いで用いられる「フリ」の一つ。一般的なお笑いの形式としては、相手のキャラを考慮したうえでそれに沿った「フリ」を与えることになるが、ここであえてそのキャラ設定を無視した対応困難な「フリ」を与え、相手がそれに動揺して素を露呈してしまっているところを笑いに転化するのがむちゃぶりである。 (Wikipedia) 「むちゃぶり」って実はこんなに深かったんですね。「素を露呈して~」というのを読んでまた例の「素」をめぐる思索が動き出してしまったわけです。 なるほど~。 ゼロ(素)になることでマイナスを笑いというプラスに転化する、「逆吉」そのものだな、とか動揺は反転するチャンスであり、反転するときは必ずゼロを通過するとなるとやっぱり「素」ってポイントだな、といったように。古事記の最初の神を生む、言霊「ス」ちょっと話が飛びますが、言霊学では、古事記で一番初めに登場する神天之御中主神を言霊「ウ」としてこの一者から、言霊「ア」(主体)と「ワ」(客体)が生じるとして天地創造の始まりを説いています。そこで以前、七澤先生が朝のお話で言霊「ウ」は、言霊「ス」から生まれるというお話をしてくださったことがありました。「ス」という言霊から、「ウ」が生まれてくるというんですかね、母音が生まれてくる元の言霊が言霊学の中では説かれていて、淡路(ア、ワ)島が、最初に島として生まれる前の「ウ」で、また、「ウ」が生まれる前の「洲本(すもと)」の、「ス」の元(もと)っていうようなですね。器の教えで言うと、お酢ですね。お酢を、結局、必ず膳の真ん中にのせるということを、我々は、先生から聞いてきたんですけども、それが、何故、酢なのかというと、「ス(静、素、州、巣)」の言霊であるし、酢が、すべての日本でいうところの大山咋神(おおやまぐいのかみ)の発酵の働きですね。お酢のものが、一番真ん中にあって、それから、ご飯とか味噌汁とか、おかずが置かれる。それが、お膳の組み方なんだというかね。あるいは、言葉の最後に、「ス」を付けるというのも、そういう大事な言葉の使い方ですね。「ス」という最後に、そこで確実に終わるっていうんですかね。始まりであり、終わりであるというようなものを、「ス」の言霊ということを言っているんじゃないかと。(はふりめく2018年12月6日) ちょうど言霊「ス」について考えていた朝このお話があったことにとても驚いたので、よく覚えています。「ス」ということに関して大変示唆に富んでいる内容ですが、皆さんはこのお話から、何を感じますか?私は、「発酵」の働きを象徴するお酢(ス)を膳の真ん中に乗せるというお話が鮮烈でした。私たちの生命を支える食、とくに身体が喜ぶ食事をしようと思えば、「発酵」は必ずその中心に据えるべきものです。たとえば、よい作物を作るにはよい土である必要がありますが、よい土は、微生物の働きによる発酵を取り入れることで実現します。ひとたび和食に目をやれば、醤油、みりん、味噌、漬物、納豆、日本酒といった発酵食品がその中心を担いますね。こうした発酵食品文化こそユネスコの無形文化財に和食が選ばれた中心的な理由であったはずです。土と和食の要(中心)ともいえる発酵(酢)を膳の中心に据える慣習と言霊「ス」が明かす言霊の中心点、なるほど、と思います。先祖と繋がる「ス」ところで、こうした発酵の文化であったり発酵したよい土(土地)を守ってきたのはどんな方たちでしょうか。そう、ご先祖様方ですね。遺伝子や細胞レベルだけでなく食や土地といったものを通しても、私たちの命と日常はご先祖様に支えられているのです。私たちを作る「素(モト)」である食、土地、そしてご先祖様を大切にしていきたいですね。もちろん、それは素の集まりとしての自分という存在を大切にすることでもあります。そして、冒頭のお話でいいますと、「とほかみえみため」によって「スッ」と落ち着いた感覚があるのはご先祖様の存在とあわせて、そんな言霊「ス」の消息を深いところで感じ取るからなのかもしれません。「とほかみえみため」を唱えながらご先祖様、そして「ス」とともに歩んでいきたいなと、あらためて思うわけです。この記事を書いた人浅子雄一郎neten株式会社/ラボラトリオ株式会社研究員早稲田大学教育学部卒。ヴィパッサナー瞑想からマントラを使った瞑想など様々な瞑想法を経て、白川学館の門を叩く。言霊の叡智を装置化したロゴストロンの信号で、それまでの瞑想の体感が一変。この体験に衝撃を受け、800年間宮中祭祀を司ってきた白川伯王家伝承の「おみち」を生涯実践することを心に決める。祓い、鎮魂、言霊を実践しながら、自らが世界の人々と「おみち」との結び手となるべく、日々奮闘中。
女の子が「可愛いから」という理由でなんでもひらがにしてしまうけど、発端も「可愛いから」だったりして。
ぅまい
韓国語のハングルはズバリ!阿比留文字だったのですね!!韓国の人には言えない事実…
ハングルは、中央アジアの民族の文字を朝鮮語の発音に合わせて作りかえたものだと言われていて時代が随分新しいものだと思いますが?
カタカナの発生と漢字、ひらがなの発生は別ではなかろうかと考えています。庶民の婦女子が書いたカタカナ文字が残っていますし生活の中のメモ書きであったり生活必需品を買う為の品物書きの羅列であったり。電報みたいな文字遣いです。カタカナは生活の中に古くからあったように思えてなりません。
昔のおばあちゃんの名前は女性でもカタカナが多いのはなんでですか?
漢字の伝来以前に神代文字が存在していたことを確定された事実のように前提としていますが、神代文字の考古学的物証としては南北朝時代の物が最古らしいです。石に刻まれた神代文字にしても時代相応の風化が進んでいないのも不自然。神代文字を実在とする論調では風化していない理由として50年〜100年毎に彫り直しをしている人達がいるからという苦しい説明。漢字以前に神代文字が実在していたならそういうメンテナンスから離れた遺跡があるはずです。神代文字は実在したかもしれませんが、その可能性は今の所はかなり低いと感じます。神代文字が何かの権力に迫害を受け、その迫害から守ろうとする集団によって密かに綿々と受け継がれてきた、というロマンであるなら否定できないですけど。
歴史的事実として、戦前は小学校でもまずカタカナから教え、その次にひらがなを教えていました。これは戦前に学校を卒業した親から聞いたので間違いありません。戦後、法律文書もひらがなに置き換えられましたが、少なくともカタカナが消されることなく残ったことは、とても良かったと思います。
いつも素晴らしい講義ですが今回は「いいね」をさらに100回程押したくなる講義でした!カタカナはほんと大事ですね!!
カタカムナ文字を少しずつ勉強しています。小名木先生のお陰でまたより深く文字の意味を知る事ができました。ありがとうございます😊先生はいつも字がお綺麗ですね!
ひらがなの起源は誰も疑う余地がないと思います。
しかしカタカナの起源については腑に落ちない点もあり、小名木先生の説明がす~と納得感があり、素晴らしかったです。
男系の「霊(ひ)」の考えが戦後完全に消されているのだなぁ~と感じました。
本当にすごい。
胸にストンと落ちてくる感じです。
本当にいい動画をありがとうございます。
小名木先生の講義は、観る前に先ず👍押しますね…💧🔔〜🙏。
子供の頃、東北にある親の実家辺りでは、学校に行けなかった人はカタカナしか書けないとか言われてたりしたような記憶がありますが、逆なんですね。今日も勉強になりました。ありがとうございます。
とても面白いお話しを有り難うございました。
カタカナ表記に対する印象として、カタイ、外来語、よく分からない言葉、漢文の訓読み、改まっているなど、日常にはないものを表記するときに使うのかなと思ってました。
元々神代文字だったと考えると、この距離感はカタカナ表記にそもそも具わっていた特性だったのかもしれないなと思いました。
日本は神と共にある国であることを実感しました。漢字、ひらがな、カタカナの3つの表記に加えて古代からの文字もある日本語は奥深い。
いつも勉強になります。ありがとうございます。
カタカナは外国語発音を書いたり和製英語を表記する時に使うイメージでした。
神様をなぜカタカナで書いているのかも納得しました。
これからも先生の動画で勉強して日本人の誇りを取り戻したいと思います。
小名木さんのお話は楽しく学べるので良いですね✨
そうなんですね。ビックリでした。楽しく学ぶ事が出来有難いです。有難う御座います。
『雨ニモ負ケズ』の原文も
ひらがな使わずに書いてたので
何故だろうって思った
やっと解決できました
小名木先生ありがとうございます👍️
本当にghq は何もかも日本の価値観をひっくり返したものですね。
今回は内容も非常に興味深いけども、先生の字の上手さも楽しめる講義になってますよね。
勉強になります。
現代カタカナは外来語の読みですが、戦前は皇室文書か法律に使用されていました。
つまりカタカナは高貴な者の言葉として扱われていたようです。
実家にある一番古い聖書もカタカナ表記でしたね。読みづらいことこの上ない(苦笑)
大昔は漢字ばかりで、カタカナはここ1~2世紀の間に生まれた文字かと思っていました。神代文字がルーツという説もあるのは驚きです。
調べてみると確かに、平仮名よりカタカナのほうが古いみたいですね。
笑い話ですが、競馬をするとカタカナに強くなりますよ。
この内容は、NHKで放送するべき内容ですね。🧏♀️
恥ずかしながら生れて初めて伺ったお話でした、よく理解出来ました。外来語は「カタカナ」で書くのがイイですね。
「ちょこれーと」「はんばーぐ」も観直すとイイですね(爆笑)「れすとらんのめにゅー」も「ひらがな」ですか~アッチャ~御免なさい。先生のご講義はとても興味深いです、お聞きしてて楽しいです。有り難う御座いました(90歳です)
考えたこともない講義内容でした。びっくりしました。
先生の字の上手さに震える
ですよね!
崩し文字絶対読める方でしょうね。
先生の著書にサインを頂いた事がありますが、目の前で筆ペンでサラサラと書かれる様がまさに書家でした。
タブレットに書いてるのにうまいし、考えながら喋りながらやってるのに。すごい❗️❗️字が綺麗になりたいっ!٩( ◉ω◉ )و
カタカナって漢字の部首等その一部から作られたってことに平仮名との併用に於いて違和感(二種類の仮名の必要性が見いだせない。)を感じてたけど神代文字だったって説の方が説得力があると感じるね。
めっちゃ面白い!
勉強になりましたー!!
戦前の公文書は、全部「漢字とカタカナ」で文語体。明治憲法だけでなく、民法、刑法なども全部、漢字とカタカナ。戦後になってからも、「一部改正」ではそこだけ平仮名にするわけにもいかず、相変わらずカタカナで改正していましたが、平成になって、ようやく読みやすくということで、全部「漢字とひらがな・口語体」に改正されました。
古来、日本人は「漢文」を「訓読」してきましたが、その時に用いるのが一貫してカタカナ。公文書は漢字中心なので、当然カタカナが使われてきたのだと思います。昔は電報もカタカナでしたが、やはりカタカナの方が「正式」という意識があったのではないかと思います。「漢文を訓読するときに既にカタカナがあった」という考え方も十分ありうるのではないでしょうか。
漢字も草書が先だという説がありますね。「殷これ元倭なり」という碑文から鑑みて、漢字の元はカタカムナの可能性がありますね。
大日本帝国時代を生きていたお年寄りは、カタカナを使うことが当たり前だったようです。女子でも高等女子学校出身の方年寄りはカタカナをよく使ってました。
昔、明治生まれの祖母が何かメモを書くとき、カタカナだったのですごい違和感がありました。
昔の学校はカタカナしか教えてなかったのかな、と思った記憶があります。
昔の小学校ではカタカナから教えてました。戦前の教科書を見てみて下さい。
平仮名は僅かに使われてるだけです。
カタカナは直線と曲線しかなく単純で描きやすく、平仮名はあ・ね・を など複雑な字が多いですよね。
本来小学校はカタカナから教える方が合理的だと思います。
平仮名もカタカナを参考にして作られたように見えます。違う文字というには似過ぎです。
ひらがなとカタカナが漢字から、2種類生まれた必要性が、わかり難かったが、今とは異なる理由があったんですね。
ということは、海外から入ってきた言葉をカタカナ表記させる意図もありそうですね
ありがとうございます。
漢字からカタカナは一部は納得出来ても以前から違うのではないかと思ってた、昔の文字には色々あったらしく その中の一つに草文字があり これにも何種かあるらしい、菅原道真と平将門の有名な和歌を観た事あるが現代人には読めないが ひらがな表記も載って居たので意味は解った。ミミズが地を這っているような文字で これを簡略化したら ひらがなになるような気がしてるけれど50音表が無かったので自信は無い。
達筆ですね。
[カタカナコトバ]から(ひらがなことば)にして日本人を腑抜けにしようとしたんですね。
私の勤めていた重電会社の
設計から製造現場への指示書は
「漢字」と「カタカナ」でした
コピー機のない時代
カーボン紙をはさんて
原紙+7枚コピーに記入する為
力強く書ける「カタカナ」
でないと7枚に転写できない
「ひらがな」だと字が薄くなり
指示ミスや誤作につながる
現在はコピーしてますが
この「カタカナ」混じりの
伝統が残っています。
勉強になりました。外国語をカタカナ表記で使っている日本は 海外より 発音が上手くできずコンプレックス。
カタカナのせいではないか?と思っていました。『日本の伝統文化を継承する文字』敬意を持って使います🙏
いや、カタカナのせいではないでしょう(笑) GHQと文科省,学者,教育労組,メディアのせいですね。いくら時間かけて勉強しても英語ができるようにならない そういうダメなやり方(翻訳)を意図的にやらせているからです。
きりすと、さひえる、へるり、しよはん、へえとおへん、まつかあさあ、
くあむ、さいはん...
確かに戦前の文学作品では仮名文字は逆でしたね。
全く先生の言う通りです
ぼくもかな文字の起源を調べたことがあり、片仮名については漢字起源を疑っていました
そこで出会ったのが神代文字です
とはいえそのほとんどが出所不明
しかしここに片仮名の片鱗があることに気づきました
漢字起源だと書かれている学説に根拠はあるのですか?
いつもの古代日本に文明や文化があってはならないから、すべてチャイナ起源にでっち上げるというものですか?
なるほど
カタカナにムを入れたら
カタカムナになるなぁとは思ってました😦
小学校の時には
文字の成り立ちを見てるのが好きで見てましたが、
カタカナはん?と思ったので、
私なりに平仮名を簡単にしたものがカタカナだと思うようにしてました(笑)(それでも所々変ですが)
カタカムナを検索してみます😊
小学校で最初に学ぶのはカタカナだった。読みづらくはない。難しいのは変体仮名。江戸時代までは変体仮名が多かった。男も女も寺子屋では同じように学んだはず。時代が変わると奇妙な解釈がまかり通る。
カタカナから学ぶって合理的ですよね。
@@日本人で良かった-e1f様
時代が変わると言葉が変わってしまう事は避けられませんが何か失ってしまっているのではないかと寂しくもあります。時代劇が現代語丸出し、なにか違和感。
@@田織園斎 様 至極同感です。もし良ければ『旧かなづかいで書く日本語』萩野貞樹/著書 幻冬舎新書/出版
を一読してみて下さい。なかなか面白いですよ。
@@日本人で良かった-e1f様
ありがとうございます。旧仮名興味深いですね。残念ながら視力の90%を喪失し本が読めません。 旧仮名では「い」と同音のいがあり「え」も同様に同じ発音のえがありました。犬はいぬではなかったと記憶しています。確かカタカナでは井
@@田織園斎 い→ゐ イ→ヰ え→ゑ
エ→ヱ になります。
例えばヰセキ、ニッカウヰスキー、ヱビスビールなどです。お体ご自愛下さい。
カタカナ、
カタカムナ、、
関係がないとは言い切れない母音を感じますね。
カタカムナは文字の他に音階も示していたという口伝があるようです。神事の継承に用いていたそうな。音階があると言えば神楽ですね。とても説得力のある口伝でした。
今年は御柱祭があるので諏訪にまつわるお話しも可能であればお願いします。調べれば調べるほど濃い情報が出てきて本当に面白いです。諏訪がユダヤにルーツを持つのではなく、ユダヤが諏訪にルーツを持っているんじゃないかと思えるぐらいです。個人的には後者と思ってますが。
諏訪の末子相続という伝統は「モリヤ」がルーツ、タケミナカタは出雲にいなく諏訪にいた、出雲で敗けたのはタケミナカタではなくコトシロヌシであった、タケミナカタとモリヤの対決は旧約聖書でモーセがエジプトを脱出する時のエピソードと同じ、時代と共に西から東に東征したのはところてん方式、など色々質問して聞いてきました。オフレコ内容とかも半端なかったです。
縄文時代の諏訪、地形や遺跡、黒曜石の分布、火山噴火の歴史、古神道の流儀、信仰の対象、役割分担、など掘り下げるのが夜寝れなくなるぐらい面白くなりました。是非!
宇→う→ウ
加→か→カ
漢字が起源ですが、早く書けるようにという利便性は
ローマ字からの影響でしょうか。大文字→小文字。
トーヒヤラーリ トヒトヒヤラリ トヒトヒャイトロ ヒャイヒャイヒャウヒャイト ヒャウヒャイトロヒャイトロヒャイト ヒャウトロ フヤラーラーイララト ヒーヒャーイヒャラリコ テン これは我が故郷、愛知県三河地区にある小さな城下町に伝わる ” 獅子舞 ”の笛を教わる時、まず初めにこの様に歌ってメロディーを覚え、それに合わせて指の動きを覚えてゆくものです。トヒャー イーヒャイト イヒャイトー トーヒャー イオヒャー トーヒャーイト ヒオヒャートヒャーイトロヒャー イーヒャイトー トヒャーイトロトヒャーイト イオヤー トヒャーイトロヒャー ヒーヒャイトー 、、、、と後はまた繰り返しとなり延々と目的地、つまり町外れの天王町にある八幡神社に至るまでの道中をねりあるいてゆく時に吹く ”道行き” の笛の歌です。偶然に、この意味不明な歌により篠笛を先輩たちから伝えられて来たわけですが、これと古代の倭語 の間に何か関係があり、しかも神への伝達、お知らせ、の様な意味があったのではないか?という閃きがあったのです。と言いますのも、”古代の婚姻”について、調べていたところ、” 男女どちらか(ツマ)の求婚の よびかけ(トヒ)ではじまり、、、”
と書かれていたのを見つけたからです。この トヒ と 獅子舞や道行きの歌の中のトヒ 、トヒャイ、 トヒャウ などという言葉と関係があるのでは?つまり、トヒ が始まりを表す ’ よびかけ ’であるならそれに続く、極めて単純な歌のくる返しは、神に捧げる笛の音による音を代弁している 讃歌ではないだろうか?などど思ったわけです。東京にいた時、しばらくの間、鳳声晴光先生について、江戸祭囃子の笛の手解きを受けたことがありました。トヒヤオー イトロ
ヒオヤー トロー ヒー オー ヤー ヒオ トロー 、 オヒャイトーヒャイ トヒャオトロ トヒャイツー トエヒャオトロ ヒャイトヒャ ヒエ トーヒャオヒャ ヒーヒャイヒャイトロ トーヒャーイー トーヒャーイー チエヒャイトーロー オヒャイトーヒャイ トーヒャオトロ トヒャーイーツー トエヒャオトーロー ヒャイトヒャ ヒエ トーヒャオヒャ トーヒャーイー チエヒャイトーロー、、、と続き、最後に、チヒーヒ チヒ と言う甲高い音で締めくくるのですが、ここでもやはり トヒャー というような言葉の出てくる歌を最初に楽譜のようにして覚えさせられました。古代大和言葉とお囃子に使われている単純なことばの持つ意味に関連があるのでは?
なるほど、理解できました。生むのは、女だから、天照大神は、女?。でも、魂・神霊を、伝えて行くのは、男。八百万の神は、自然神だから、男でも在り、女でも在る。先生の言った、魂は、金玉・金珠で、繋いで行くは‼️、マジ、笑えた‼️。まぁ、でも、太陽は、女の笑顔に、確かに、似ている。
戰前から神代文字の存在に對しては否定的でしたよね。神代文字の學術的硏究はもつと進で宜いと思ふのですけど、中々進まぬ原因は何でせうね。
文科省,教育労組,学者,メディアが政治的理由で否定的であり、民間の研究者によるからでは?
その背後にはGHQや民族組織,共産主義組織やチャイナ,半島などの国家権力があるのでは?
格調高いお話しですね
あひる文字ってハングル?
母音子音のパーツが同じのがたくさん
この動画のお話とカタカナをヘブライ語に当てはめた説を組み合わせると衝撃を受けました。
カタカナは、日本の古代文字だと思います✨どう見ても漢字から来たって思えません😊後付で漢字から取ったって言っていると思います🧐
書道を練習したり、古文書を読んでみたりすると平仮名カタカナが漢字から生まれたのが、よくわかるようになります。
そうですね、GHQが日本の学者,文科省にインチキな説,理論をつくって日本人に教え拡散するように命令したというのは如何にもありそうなことです。
日本の憲法や法律はすべてそうやって書き換えられたものですし、歴史もほとんどそうです。その他にもたくさんありますね。
それが日本の大学,学者,文科省,メディア,教育労組,日本学術会議であり利権構造です。
なるほど!
アメノウズメから名前を取っていると思われる『すずめの戸締まり』のすずめも、神様と人を繋ぐ存在だったもんね💡
カタカナを取り入れて新たな漢字を作ったように見える。
さんずいはカタカナのシにしか見えない。大和言葉でシは水を表す音。
大正生まれの母親はカタカナしか書けませんでした。尋常小学校では最初にカタカナを教えたのでしょう。ひらがなや漢字を書いてるとこは見たことがなかった。
「かな」とは神の名のことで、神名と書いて「カナ」と読みます。
動画内で触れられているカタカムナとは神名(カムナ)の象(カタ)のことで、神象図です。
カタカムナは神象図なので、神の働きを立体的に表現していて、対して平神名(ひらがな)は神の働きを平面的に表現して造られた文字と言えます。
カナは假名で、真名と対になる言葉です。
変体仮名が三百種類くらいあり明治時代に五十個くらいにした。しかし屋号とか昔のまま使ってたので、今でも読めないような看板がある。別に読めんでも美味けりゃ客は来るので、関係ないが。古文書は書道で習う行書、草書、変体仮名を覚えんと読めない。楷書は経典とか文字を正確に書くやつが主流、崩し字は梵語とか却って難しい字を使う。結局全部覚えたいが、漢字自体が十万種類あるらしいので無理。漢字五万種載ってる辞典が、話題になった事もある。そして片仮名、何か由来が納得出来ない。(むすび豆蔵より)
男性が私的にカタカナを使っていたのは鎌倉時代までですよ。
公文書は漢文で書かれていましたし。
明治政府が権威付けのために法文や布告にカタカナを復活させただけで一般にはみなひらがなを使っていました
カタカナは、漢字のへんやつくりから造ったものじゃなかったんですね。カタカナにした漢字と、ひらがなにした漢字が、どうして違うのが、あるのか不思議だったんですよ。カタカナの文字が、神代文字とは恐れいったね。漢字が日本に伝わったときには、まだ神代文字が使われていたことになるのかな?神代文字が現代にもあること、これは素晴らしい。どこぞの国と違って抹殺することはしなかったんだ。祖先の人達の知恵だね。感謝!感謝だ。
面白い。
結美大学の「結び」は「産霊(むすひ)」と同じような意味ですかね?
記憶が曖昧で申し訳ないですが、以前カタカナを考案した昔の文部省関係の人だったと思うのですが、そんな動画を見て納得していましたが
今回漢字の渡来以前にカタカナが使われていたと聞き、ちょっと混乱しています。
阿比留文字というのはハングル文字に似ているので、ひょっとしたら対馬國のト部阿比留氏より伝わったという説もありなのかなとこの講義を聞いて思いました。
面白かったです、ありがとうございました。
神代文字ー1
(じんだいもじ、かみよもじ)とは、漢字伝来以前に古代日本で使用されたと紹介された多様な文字、文字様のものの総称である。江戸時代からその真贋について議論の対象となっており、現代の研究水準において存在の確証が得られているものはない。
概説
神代文字と称されるものには、神話や古史古伝に深く結びつき神代に使用された文字であると主張されているものと、後代になって神代文字の一種とみなされるようになったものとがある。
主に神社の御神体や石碑や施設に記載されたり[1]、神事などに使われており、一部の神社では符、札、お守りなどに使用するほか、神社に奉納される事もあった。また、機密文書や武術の伝書のほか、忍者など一部の集団で秘密の漏洩を防ぐために暗号として使用されたという。江戸時代の藩札の中には、偽造防止のため意図的に神代文字を使用したものもある。
鎌倉時代のころから朝廷の学者によって研究されたほか、江戸時代にも多くの学者に研究されたが、近代以降は現存する神代文字は古代文字ではなく、漢字渡来以前の日本に固有の文字はなかったとする説が一般的である。その一方で、神代文字存在説は古史古伝や古神道の関係者を中心に現在も支持されている。
明治のころまでは、単に「古い時代にあった(未知の)文字」という意味で「古代文字」と呼ばれるものもあり、遺跡や古墳、山中で発見された文字様のものがそう呼ばれた。この例としては、筑後国で発見され、平田篤胤の著書で有名になった筑紫文字、北海道で発見されたと主張されたアイノ文字等がある。
歴史
和字考
敬光。寛政5年(1793年)。ヲシテの解説。
古字について言及したものは『日本書紀』(720年)の「帝王本紀多有古字」であるが、神代の文字の可能性としてはじめて言及した文献は、鎌倉時代の神道家の卜部兼方の『釈日本紀』(1301年以前成立)である。兼方が『日本書紀』の原典の一つに『仮名日本紀』を挙げた[2]事に対する疑問と仮名の起源について答える中で、家伝として「肥人之字」の存在を挙げ[3]、続けて「於和字者、其起可在神代歟。所謂此紀一書之説、陰陽二神生蛭児。天神以太占卜之。乃卜定時日而降之。無文字者、豈可成卜哉者。」と述べ、『日本書紀』の、神代に亀卜が存在したとの記述から、文字がなければ占いはできないとして、神代から文字が存在した可能性を示した。
その後、卜部神道では神代文字の存在を説くようになった。たとえば、清原宣賢(吉田兼倶の子)は『日本書紀抄』(1527年)で「神代ノ文字ハ、秘事ニシテ、流布セス、一万五千三百七十九字アリ、其字形、声明(シャウミャウ)ノハカセニ似タリ」と、神代文字の字母数や字形等について具体的に述べている。(例えば、伊勢神宮等で発見された阿比留草文字等の神代文字は声明や謡曲譜本の節博士に似ている。)
清原宣賢が「秘事ニシテ、流布セス」と述べているように、神代文字の実物とされるものは一般に示されなかったが、江戸時代に入ると尚古思想の高まりにより、神代文字存在説も盛んになり、実物とされるものが紹介されるに至る。数十種類の文字が紹介されたが、過去に卜部神道が述べていた特徴からかけ離れたものも多く、出典となった書籍や発見場所などから名付けられた。
江戸時代の神代文字の研究としては、平田篤胤が否定論から肯定論になって最初の論である『古史徴(こしちょう)』第1巻『開題記』所収「神世文字の論」、そして『神字日文伝(かんなひふみのつたえ)』とその付録『疑字篇』が著名である。また、鶴峯戊申(つるみねしげのぶ)は『嘉永刪定神代文字考』において天名地鎮(あないち)文字を世界のすべての文字の根源であると説いた。ほか、三井寺(園城寺)住職の敬光による『和字考』など、数多くの研究がなされた。それらの研究を集大成したのが落合直澄の『日本古代文字考』である。
戦後の著名な論考として、神代文字実在論を「妄説」とした山田孝雄の『所謂神代文字の論』があり、実在性を問題とした研究史に終止符を打ったことで知られる[4]。
現代では、清水豊、山下久夫、岩根卓史などによって、平田篤胤の思想研究のための「疑字であることを前提とした」神代文字研究が行われている[5][6][7]。
主な神代文字と主張された記号
荒神山の御札。左側にあるのが神代文字。
「神代文字の一覧」も参照
古史古伝とかかわりが深い文字
天名地鎮 - 太占と関係があるという。
ヲシテ - 『ホツマツタヱ』に使われた文字。
カタカムナ文字 - カタカムナ文明で使われていたとされる。
サンカ文字 - 豊国文字を基にした三角寛の創作とされる。
豊国文字 - 『上記』(うえつふみ)において用いられる。
物証を伴うが壁画や記号であって文字ではないとされる事が多いもの
北海道異体文字 - 北海道で発見された。
筑紫文字 - 筑後国の重定古墳にある壁画を文字とする見解。
甲骨文字、金文など漢字(の原型)との類似が指摘されているもの
阿比留草文字 - お札等によく使われる、比較的メジャーな神代文字。
琉球古字 - 琉球で占いに使われたという文字。
その他
阿比留文字 - 対馬に伝わる。
阿波文字 - 阿波国名東郡の神社で発見された。
出雲文字 - 出雲国の書島(ふみしま)で見つかったとされる。
対馬文字 - 対馬に伝わり、現在も神事に使われる。
議論
肯定論側には目的の異なる多様な主張(すべての文字の基になったものだとするものから、ただ意味を表す記号が存在していたと主張したいだけのものまで)が存在し、否定論側もそれぞれの主張に対する反論であるため、全ての記述が神代文字全般にあてはまるわけではない。また、言葉の定義が一定ではない為、すれ違っている主張もある。
林佑香、肩ハ綺麗ダネ❤❤❤
大体ひらがなよりカタカナは200年も早く成立したと云う。それも突然だ。平仮名は万葉文字が草書に砕けてやがて一つの独立した文字になっていった。しかしカタカナは突然800年代または700年代に突然出現。部首からとったにしては、ラなんてどこから来たかわからない。53年前ドイツでイスラエルの学生と話したとき、私のリュックサックのロゴを見てこれ、KIって読むんだろ?と指さした。そこにはメーカーの説明らにキの字があった。その時は何も感じなかったが最近なにかユダヤに関係あると思い始めた。
効果音も文字で表せばカタカナですね 「ドッカーン」「バキューン」
仏教僧が使ってたのカタカナと思ってた。カタカナで書かれた仏教の歌詞あるよ。時代每に使われる字体があった。
仏教僧が神代文字を使う?
催馬楽を読むとき変体仮名を調べると読める。平仮名の成立分かる。
タマタマ→魂 なんですね😲💦
何気に、阿比留文字を見ると、どこかで見た様な。そう、ハングル文字に似ていますね。
阿比留文字から、カタカナが生まれたとしたら、ハングル文字が、お手本なのでしょうか?
それとも逆に、阿比留文字から、ハングル文字が出来ているのでしょうか?
ハングルは満州文字が起源であると宮脇淳子先生がおっしゃってました
そうか〜 神代文字からカタカナ文字ができたのか? 霊を繋ぐのか〜
私は漢字もカタカナも刀に鑽で名とか刻む事によってできたと独断と偏見で考えています。笑笑
日本神話の神様の名前をひらがなで書くと感覚的に違和感あった理由が解けたような気がします。
カタカムナとかいう次元空間貫きそうな文字
40年以上台湾に住んでいる者です。「之」をカタカナの「シ」に近い(もちろん完全に同じではありませんが)書き方をする人もいます。カタカナは元々僧侶が仏典を読んだりする際、漢字とあまり違和感のないように漢字から作ったものとされており、私もそう思います。またかつての軍国主義時代は見た感じ弱々しいひらがなより力強い感じのするカタカナが好まれたとも聞いております。大日本帝国憲法もそのような経緯があって漢字とカタカナが用いられたのでしょう。神代文字云々はちょっと盛りすぎなのでは?
カタカナは元々漢文を読むためのものと思っていました。
和漢混淆文が出てくるまでは、漢文か平仮名だけの文章と極端でしたし。
漢字+カタカナが男性が使うのは、その名残りかと思います。
漢字+平仮名の文章は、大正時代の文章でも見かけたので、戦後、そうなった、というのはちょっと腑に落ちなく感じております。
私は現在62才です。幼稚園に入る前、お爺さんやお婆さんが、「これからはカナは平仮名を使うんだよ」と教えてくれました。その様に、私が小学校に入る頃はカナは全て平仮名でした。が、幼稚園の頃は、未だチラホラ、カタカナのカナで書かれた文章を見ました。
誓約書何かは、カタカナでしたね。
仏教が起源云々ってのは聞いては居ますけれど?、これも漢字の影響大ってのは有るや無しやですけれど?、何となくで説明は出来るかもだが、読みについては多少の変遷は有るでしょうが、今や、外来語由来を発音したりするって、比較的に新しい物程に表す傾向は有るみたいですよね?。
ムー大陸の生き残りが日本に着いて神代文字を伝えたと思う。
興味深いです…
ただ、平仮名は漢字から、片仮名は神代文字からとすると、平仮名と片仮名が似ているのが気になります。「へ」はもう全く同じみたいなものですし、「き」「し」「せ」「や」等もかなり似ている。「ウ」「カ」「ツ」「ネ」みたいに平仮名の元となった漢字と繋がりがあるようにしか思えないものもある。
偶然にしては出来すぎな気がするし、そんなに似せたり繋がりがあるような形にするかな?と思う。
カタカナは、平安時代の頃の坊さんがお経を読む時のルビが発祥。だから男性文字。ひらがなは、平安時代の女官の書く草書が発祥。だから女性文字。で明治時代に明治政府が男性文字であるカタカナと漢字の混交文を推奨したと聞いたことがある。
因みに、戦国時代の武将や幕末の坂本龍馬の手紙なども漢字ひらがな混じり文章の様です。
12:58 総ツッコミする姿が見えた
これって漫談ですか?これほど荒唐無稽な珍説が何らの科学性もなく堂々と語られていることに感動しました。もう少し勉強しないと、小学生や中学生だって観てるわけだからなあ。含羞は日本人の誇りだったはずですが、現憲法は思想良心の自由を保障しています。現憲法に感謝しなければいけませんね。
古代出雲人の人骨から、縄文人・弥生人のルーツに迫る挑戦!
東京いずもふるさと会(会長岡垣克則)
古代出雲人の人骨から、縄文人・弥生人のルーツに迫る挑戦!
2018年10月20日 10:11
縄文人はどんな言葉を話していたか? ~縄文語と出雲方言~
日本語のルーツに関しては、アルタイ語(蒙古語・満州語・朝鮮語・トルコ語などが属するらしい)と似ていると言われているが、どうも、未だ答えがでてなくて、日本語は、世界の言語の中でも特異の存在(日本語が属する言語が世界にない)で、日本列島で長い間に形成された独特の特色を有しているようだ。
1998年5月に出版された言語学者故小泉保氏が「縄文語の発見」(青土社)が、縄文語について詳細な研究をまとめられている。
日本語は弥生時代を起源とするとの主流の学説に対し、「はたして、縄文時代の言語は弥生時代の言語に駆逐され、消滅させられてしまったのであろうか。六百年足らずの弥生期に弥生語は縄文語に完全に入れ替わったのであろうか。こうした弥生期における言語交替の証拠はどこにもない。」として、「出雲方言に東北方言と音韻の類似する面がある」ことに言及し、この裏日本的な音韻は、縄文語(裏日本縄文語)を受け継ぐものであるとされる。
つまり、出雲方言は、恥ずかしいズーズー弁ではなく、縄文語を正当に受け継いでいる縄文語本流の言語であるということである。
このことは、今回、関東在住の出雲出身者及び出雲在住の出雲人のDNA解析の結果、出雲人のDNAと東北人のDNAとが非常に近い位置にあるという驚くべき結果からも裏付けられる。
そもそも、出雲と東北とは日本海の海のルートにより、縄文時代から交流があったことは考古学上明らかになっている。縄文時代に交流があったということは、共通の縄文語(方言の違いはあるにしろ)が話されていたことは誰が考えても否定できないことである。
しかも、縄文後期から弥生時代。古墳時代にかけて、日本列島への渡来人の到来があったが、彼らは征服者としてやってきたのではなく、大陸から様々な理由で新たな新天地を求めてきた人々であり、最新のDNA研究の結果、ある時点を境に縄文人と弥生人が突然日本列島で入れ替わったのではなく、長い時と時間をかけて先住の縄文人と新天地を求めてきた大陸からの渡来人との混血・縄文系弥生人と渡来人との混血を繰り返しながら(その過程は、単純なものではなく複雑なものであることが最新のDNA研究から想定される。)、現在生きるヤマト人が形作られてきたことが、分かってきている。
他方、渡来人は渡来する前の大陸の本籍(初期の渡来民は大陸沿岸の海洋民族系か?)では中国語系統の言語を話していたと推測されるが、日本に渡来した後、中国語系統の言語を保持した状況証拠も見当たらない。
そうすると、大陸からの渡来人は、在来の縄文人が話していた言葉を学び、縄文人と渡来人の混血した弥生人は縄文語を承継しながら弥生語を形成し、現在の日本語に繋がっていったと考えるのが素直である。
そうである以上、今、我々日本人が使っている日本語に縄文語の流れをくむものがあって、当然であり、自ずと出雲方言が脚光を浴びざるをえない。
今回のプロジェクトは、日本語の成り立ちの解明のロマンにも繋がっている。
・縄文語の発見
(じょうもんごのはっけん)は、小泉保の著書。1998年5月に青土社から発刊された。弥生時代に日本列島で話されていた言語のうちの一つが今の日本語につながるという推測に反対し、東北方言や琉球語などの比較により、現代の日本語から縄文時代に話されていた「縄文語」に由来する要素をとりだすことを試みる。
構成
本書は6章からなる。1章では考古学的、2章では人類学的な用語の概要を説き、3章で日本語の系統論についてふれる。そして4,5,6章で本書の主題である縄文語について述べる。
第1章:縄文文化―考古学の立場から
第2章:縄文人―人類学の立場から
第3章:日本語系統論
第4章:縄文語の復元
第5章:弥生語の成立
第6章:縄文語の形成
縄文語とは
縄文語という語は本文中ではそれほど詳細に定義がなされておらず、縄文時代に日本列島で用いられていた言語と述べられている。
(前略)すなわち、狩猟文化の縄文時代ではなく、稲作文化の弥生時代が日本民族の原点であると述べている。第3章で批判した日本語系統論の大部分がこの弥生時代起源説に立脚しているのである。はたして、縄文時代の言語は弥生時代の言語によって駆逐され、消滅させられてしまったのだろうか。六百年足らずの弥生期に弥生語は縄文語に完全に入れ替わったのであろうか。こうした弥生期における言語交代の証拠はどこにもない。本書では、弥生時代の言語を「弥生語」、縄文時代の言語を「縄文語」と呼ぶことにする。
- 第4章、同書130p
第4章
縄文語を復元する方法として、比較言語学的な方法と、方言周圏論の二つを挙げる。そして二者を組み合わせて、辺境に分布する語を比較して得られる再構形を、縄文語の語形であるとし、その一例として東北、九州、琉球に分布する「あきづ(トンボ)」系の語を比較する。ついで東北方言の音韻の特徴について述べたあと、出雲方言に東北方言と音韻の類似する面があることに言及し、この裏日本的な音韻は、縄文語(裏日本縄文語)を受け継ぐものであるとする。
第5章
日本語方言のアクセント論を引いたのち、方言周圏論からして辺境に分布する一型アクセントこそが縄文語に由来する古いアクセントであるとする。そして京阪式アクセントが弥生語に、東京式アクセントが縄文語をつぐ一型アクセントと弥生語のアクセントの接触によるとする。
第6章
琉球諸方言の比較から琉球基語の母音を導き、これを縄文語の九州方言(九州縄文語)の母音と同じものであるとする。そして4章で見た裏日本縄文語と比較して、九州縄文語の母音体系から裏日本縄文語の母音体系が生じたのであろうと述べる。さらに十津川方言(奈良南部方言)のアクセントが東京式であることを引き、十津川方言が東京式アクセントをもつ理由を、中国~近畿~東海まで存在していた「表日本縄文語」が、弥生語の畿内への進出によって分断されたと推測する。
本書の評価
本書はこれまでに例を見ない「縄文語」という基層語を題材にしていることから、革新的であると見られる一方、正統派言語学者からは批判の声もある。
書誌情報
旧装版
題名:縄文語の発見
著者:小泉保
発行年月:1998年5月
出版社:青土社
出版地:東京
ISBN 4791756312
新装版
題名:縄文語の発見
著者:小泉保
発行年月:2013年6月
出版社:青土社
出版地:東京
ISBN 479176708X
こういった日本語の歴史分析は好きですね。今ある事実を根拠としてそこから自然な変遷の流れに感じ、中国や世界からの論理展開には不自然な流れが違和感を感じ更には突き詰めていくと矛盾が出てきたりする。それはたぶん事実を無視した妄想を無理やりつなげているからその歪が出てくるんだと思います。中国から伝来したという部分を全て排除して考えるとすんなり入ってきます。
それよりさらに踏み込むと国際政治や利権構造が現れてきそうです
朝鮮語のハングルの元は阿比留文字でしょうね。🧏♀️
そうみたいですね。
そっくり。
ハングルは日本人が作り教科書も日本人が作りました。
カタカナは外国人からしたら、ひらがなよりも書きやすいですよね。
実は意外にも平仮名の方が簡単なんですよ~カタカナは習得するのが難しいんです。
昔の書物はなんで読みにくいのだろうと思うことが良くありましたが、GHQの占領政策の影響だとは知りませんでした。
カナ文字に性別があるとは?漢字より古いのか、ラブラブと云ってテレるな。あびる文字は阿比留氏と関係が有るのでしょうか。
カタカナって「空海」が発明したと聞いたけど。
漢字を開いたから「ひらがな」ですね。
上代特殊仮名遣
(じょうだいとくしゅかなづかい)とは、上代日本語における『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』など上代(奈良時代頃)の万葉仮名文献に用いられた、古典期以降には存在しない仮名の使いわけのことである。 名称は国語学者・橋本進吉の論文「上代の文献に存する特殊の仮名遣と当時の語法」に由来する。単に「上代仮名」とも呼ばれる。
概要
上代文献には、歴史的仮名遣では区別しない音節(具体的には、コ・ソ・ト・ノ・モ・ロ・ヨ・(ホ)、キ・ヒ・ミ、ケ・ヘ・メおよびその濁音)を示す万葉仮名が二通りにはっきりと書き分けられていることが知られている。(エにも2種類の書き分けが見られるが、こちらはア行とヤ行の区別であり、上代特殊仮名遣には含めないのが一般的になっている[1]。)
二種類のうち、片方を甲類、もう片方を乙類と呼ぶ。例えば後世の「き」にあたる万葉仮名は支・吉・岐・来・棄などの漢字が一類をなし、「秋」や「君」「時」「聞く」の「き」がこれにあたる。これをキ甲類と呼ぶ。己・紀・記・忌・氣などは別の一類をなし、「霧」「岸」「月」「木」などの「き」がこれにあたる。これをキ乙類と呼ぶ。
イ段・エ段の甲乙の区別は動詞の活用と関係があり、四段活用では連用形にイ段甲類が、命令形にエ段甲類が、已然形にエ段乙類が出現する。上一段活用ではイ段甲類が、上二段活用ではイ段乙類が、下二段活用ではエ段乙類が出現する。
こうした甲乙の区別は、一々の単語ごとに習慣的に記憶されて使い分けられたものではなく、何らかの音韻の区別によると考えられている[2]。すなわち、上代日本語にはいろは47字+濁音20の67音でなく、それより20音多い87音(「モ」を加えれば88音、「ホ」[3]を加えれば89音。)の区別があった。後世存在しない音韻がどのように区別されていたかは諸説あって定論がないが、例えば母音が8種類あったなどと推定することが可能である。
8世紀後半になるとまずオ段(コを除く)から区別が失われはじめた。このような中間的な状態は仏足石歌・宣命・正倉院万葉仮名文書・および木簡資料などに見られる。平安時代になるとほとんどの区別は消滅したが、コの区別は9世紀前半まで、エの区別は10世紀前半まで残った。
音節表と万葉仮名の一覧表
音節表
上代特殊仮名遣における音節表。灰色部分が書き分けが存在する音節。
(略)
40(50)音表漢字のつくり へんが元って習いませんでしたか? 常用漢字はかなり後です。明治時代の東京はトンキン(ベトナム)でしたので「東亰」記載でトウキヤウのふりがな、大正頃やっと普及で「東京」です。
廃藩置県にかなりの年月かかり新聞書籍普及に伴いバラツキありましたよ。
昔の人の方が知っていると思いますが…
新説ならオモロイです。
男と女の役割が明確に分かれているのが古代日本の考え方と理解しているのですが、昨今はジェンダーレスが当たり前の世の中になりつつあるとおもいます。
この点において現代でも上手く解釈できるものなのかを知りたいです。
「ゼロ・ポイント・フィールド」を科学すると、 <中今>が見えてくる、そしてNLB(非局在脳)(ノンローカル・ブレイン)が見えてくる。〈前編〉
2020/07/20 20:30
執筆:ラボラトリオ研究員 杉山 彰
さて、今回のお話は、ゼロ・ポイント・フィールドですが、この言葉は七沢先生の<はふりめく>にもたびたび登場する、とても重要なキーワードであることは間違いありません。そこでちょっとチャレンジという意味で、この「ゼロ・ポイント・フィールドを科学する」を、パローレで取り上げてみたいと思います。
しかし、いかんせんこのキーワードは、それこそ量子力学の根本を成す難解なテーマでもあります。上手く説明できるかできないかは、神まかせ、というわけにはいきませんが、なんとか科学の言葉で紐解いてみたいと思います。それでは、始まりです。
まずは ”ゼロ・ポイント・フィールド” という言葉を分解してみたいと思います。
参考文献①
「フィールド 響き合う生命・意識・宇宙」インターシフト/リン・マクタガード 著
1)<ゼロ>:これは文字通り<ゼロ>の意味です。一つには熱エネルギーが<ゼロ>ということです。科学の言葉では、この<ゼロ>は絶対ゼロ度と定義され、絶対温度=マイナス273・15度と決められています。この宇宙において、この絶対温度の元では、いかなる物質もすべての熱エネルギーを失ってしまいます。そしてもう一つの<ゼロ>が、質量が<ゼロ>。質量が<ゼロ>ということ、物質的なるものが存在しないとうことです。温度が<ゼロ>で、物質の存在が<ゼロ>。これがゼロ・ポイント・フィールドの<ゼロ>が意味していることです。
続いては、
2)ポイント:これは文字通り<点>のことです。<点>は位置を決めるだけで、大きさをもっていません。無限小の拡がりから無限大の拡がりまでをあらわすことができるのです。
そして、
3)フィールド:これは<場>を意味しています。<場>と書くと、とてもシンプルな意味に見えますが、じつはこの<場>の説明が、ゼロ・ポイント・フィールドの説明の「キモ」なのです。
まずは簡単に定義します。“<場>とは、至るところに存在し、あらゆる物理現象の担い手となるものである”。うーん、ちょっとわかりにくいですよね。で、ザックリいきます。
参考文献②
「真空のからくり」ブルーバックス/ 山田克哉 著
<場>とは、全宇宙にわたってあまねく拡がる<真空の場>ということにしておきます。もちろん宇宙空間には、無数の原子や分子が存在しています。そして、その原子の内部や、原子と原子の間、さらには、分子と分子の間にも<真空の場>が存在しているというのです。ですから、ゼロ・ポイント・フィールドとは、熱エネルギーと物質の存在がゼロの状態の<真空の場>が、全宇宙、そして原子内部、原子と原子の間、分子と分子の間、とあらゆる空間にあまねく拡がっているということを意味しているのです。なんのこっちゃ、ですね。<中今>と<NLB(非局在脳)>の関係まで、なかなか話を持っていけません。でもここはもう少し続けていきます。
この宇宙のすべては、ゼロ・ポイント・フィールドから生まれた。
じつはこの<真空の場>、つまりゼロ・ポイント・フィールドが決して空っぽの<真空の場>ではなく、この宇宙のすべてはゼロ・ポイント・フィールドから生まれたということが20世紀に入って明らかになってきたのでした。
ゼロ・ポイント・フィールドの至るところで、多数の粒子が頻繁に出没しているというのです。
そして、このゼロ・ポイント・フィールドには、発生源のないエネルギーが取り残されてしまうというのです。何が取り残されるのか。たとえば宇宙創生以来、銀河宇宙、余剰次元宇宙、地球大気圏内外で発生した森羅万象の生成情報のすべてを搬送波・信号波として発信し続けてきた電磁波エネルギー(光エネルギー※2)がゼロ・ポイント・フィールドに取り残されるというのです。ゼロ・ポイント・フィールドは温度が絶対ゼロ度の場ですから、電磁波エネルギーはエネルギーを減衰し続け、やがて電磁波エネルギーが存在しなくなります。
申し訳ない、ここらへんは難しい。心折れずに、突き進んでください。 で、続けます。ところがアルバート・アインシュタインとオットー・シュテルンは1913年に、すべてのエネルギーを放出しきってしまった電磁波エネルギーが、ゼロ・ポイント・フィールドに取り残されることを示す「ゼロ点振動エネルギー:(hν/2)」を組み込んだ数式を発見したのです。<En=nhν+(hν/2)>いう数式です。左辺のEnは電磁波エネルギーの強さ(n)をあらわします。hはプランク係数です。νは振動数です。この数式の左辺のEnのエネルギーがゼロになるのですから、E0となって右辺<nhν→0hν→ゼロ>が消えてしまいますが「ゼロ点振動エネルギー:(hν/2)」は残ります。
つまり<E0=0hν+(hν/2)→(hν/2)>となります。なんか鼻につつまれたような話しですが、本当の話です。ゼロ・ポイント・フィールドには「ゼロ点振動エネルギー:(hν/2)」が無限数個取り残されているというのです。この(hν//2)の値は光子1個の持つエネルギーの半分です。光子は整数倍でしか増減しませんから、エネルギーが1/2の光子というものは存在しません。ですから仮想光子と呼ばれています。ゼロ・ポイント・フィールドには、観測不可能な仮想光子が無限数個取り残されているというのです。
※2.光エネルギー:光の波長に相当する電磁波のエネルギーで、周波数により速度は変わるが、約30万km/秒の光速さで空間を伝わる。
参考文献③
「素粒子論はなぜわかりにくいのか」技術評論社/ 吉田伸夫 著
しかも、このゼロ・ポイント・フィールドにおいては、この仮想光子が10-23秒という瞬間に、エネルギーを貰って(hν)の光子としてパッとあらわれ、10-23秒という瞬間にパッと(hν/2)の仮想光子としてゼロ・ポイント・フィールドの深層に消えていくという、いわゆる対生成・対消滅を繰り返しているというのです。10-23秒という瞬く間の出来事ですから、その明滅が人間の目に感じられるはずはありません。ゼロ・ポイント・フィールドには、観測不可能な光が充満していることになります。
ゼロ・ポイント・フィールドとは、このように実に複雑きわまりない奇妙な空間なのですが、このような現象が、全宇宙はもちろん、私たちに目の周りに存在する原子内部、原子と原子の間、分子と分子の間、とあらゆる空間で起こっているのです。(続く)
カタカナってユダヤ文字と同じだぁーと思えるのですが、こちらの考察もお願い致します。
是非ハングルは日本人が作った話もして欲しいですよね。
@@日本人で良かった-e1f
じゃあ何故作った張本人が使わない?
上代特殊仮名遣いー6
・姫神(ひめかみ)
日本のミュージシャン。ユニット名は、岩手県盛岡市にある姫神山に由来する。岩手県を活動拠点とし、東北地方の民謡や民族音楽に影響を受けた楽曲を作り続けている。こぶし(メリスマ)を織り込んだメロディーラインが大きな特徴。シンセサイザーを用いたインストゥルメンタルを中心に製作していたが、1990年代後半以降は、姫神ヴォイスなどの歌声や生楽器を取り入れた楽曲も多く作られている。
・『神々の詩』(かみがみのうた)は、1997年10月12日から2000年3月19日までTBS系列で毎週日曜20:00 - 20:54に放送されていた紀行番組、および姫神作曲の同番組のテーマ曲のタイトルである。日本生命の一社提供番組「ニッセイワールドドキュメント」シリーズの第4作。
概要
世界各地の自然や文化を紹介する。都会的な事象をテーマにすることは少ない。ある国の戦後の惨状を紹介するなど、戦争について間接的に扱った回もある。
リポーターはおらずスタジオ収録もなく現地の映像のみである。ナレーションは毎回異なるタレントを起用している。オープニングとエンディングにはその回のテーマを基に高良留美子の作った詩が読み上げられる。曲の『神々の詩』の歌詞は縄文語をイメージしている。
オープニング(タイトルグラフィック)制作はイクイティエンタテインメントが担当。
本番組の終了後、『ニッセイワールドドキュメント』枠は日曜18時台後半に移動となった。
神々の詩の歌詞の意味
実は長年このアーティスト姫神の「神々の詩」を作業BGMにしていたのですが今日になって初めて歌詞を知りました。翻訳したものを下記に先に記すのですが、
「私は名前がマポです。私に、祖父(祖母)と父と母と兄(姉)と弟(妹)がいます」
ということを何度も何度も繰り返しているだけの詩なのですね。
「壮大なメロディから繰り出される自己紹介」
「内容がわからないだろうからって適当な歌詞」という感想も寄せられています。
しかしながら聿竹は泣くほどこの歌詞に感動してしまったので鑑賞ポイントを記します。
・古い日本の言葉「縄文語」
・時間という隔たりを超えて再現される音
・歌と言葉と学び
・古い日本の言葉「縄文語」
詳細な解説は『縄文語の発見』にぶん投げてしまいますが、日本についての記述で最も古いものは西暦200年ごろの魏志倭人伝で中国の人が当時の日本を記述したもの。
その後国内で日本書紀、古事記が稗田阿礼や太安万侶の尽力により文字化させたのが古いものでしょうか。
いずれも文字がなく音しかなかった日本においてはようやく獲得された記録法だったのですね。
当時の日本人は漢字という文字を大陸から輸入しその利便性を享受しつつ、もともと自分たちが使っていた言葉の音を漢字に落とし込み、しかも大陸で使われていた読み(いわゆる音読み)もそのまま流用しています。
当時の発音はこうした漢字の発音や、あるいは仏教においてサンスクリット語だったものが中国に入ったときに漢字の音を合わせて表記したこと、等々そうした漢字の変遷等を踏まえて当時の音が推測されます。
また日本各地に散らばる方言から共通項を拾い集めてその原型を推測したり、さらには八丈島には相当古い日本語がいまだに使われていたりもし、上で紹介した『縄文語の発見』の小泉保氏は日本語の原型を求めたのですね。
日本語で古い発音で、「自分」が「ワ」であったこと(我や私)やハ行の発音が口唇摩擦音(ファとかヴァとか)に近かったこと、鼻濁音(ng+母音)の使用などが使われていたと研究されています。
例えば「春すぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香久山」という和歌は作られた当時の発音に直すと「ふぁるつんぎーてなとぅきたるらちちろたふぇのからまぽちーたりあんめのかんぐやま」になるのだとか。
そうしたこと踏まえて「神々の詩」の音を読むと非常に面白い。
ちょっと意図的に切るんですが、
a-ba naa-nga MAPO
ア-バ ナァ-ガ マポ(神々の詩の歌詞)
吾ば名がマポ
私は名前がマポです
接続詞としての「ば」は方言で、「が」は標準語でもいまだに残っています。
読めてしまう……!
古い言葉の発音がわかってしまう!
意識せずに聞いたくらいでは「意味の分からない言葉」なのにこうして昔の発音や文節を意識するとわかってしまう!
聿竹は感動した!
・時間という隔たりを超えて再現される音
縄文時代は、今から13000年くらい前から2300年くらい前とのこと。
かなりの開きはあるものの一番身近な2300年前でも相当に昔のことです。
そのときの、その時代の「自己紹介の音」って、「わかる」という体験だけで相当すさまじいことではありませんか?
縄文時代、今と違って集落と集落の間はとても遠かったでしょう。
明かりもなく夜は闇。
人の命はいつ消えるともわからない。
日本の国土は一層森深い時代。
神代と呼ばれる時代はおおよそ弥生時代と重なることを考えると神代よりももっと昔の言葉の音が研究者の尽力によりこうして味わえている。
2300年も昔、どこかで誰かが口にしたかもしれない
ア-バ ナァ-ガ――(私の名前は――)
すごくないですか……!
・歌と言葉と学び
言葉を学ぶ上で歌にする、というのはかなり効能が期待されます。
いろはうたは元よりABCの歌でローマ字を覚える層も厚いでしょう。
歌は幼児のみならずあらゆる人に新しい言葉を覚えさせる手段として非常に有効です。
ふと口ずさみたくなる音調で、物語るように拍子をつける。
和歌や短歌、俳句、都都逸、こうした趣向は歌であったからこそ長い時間人々に語り継がれ現在にまで届いているのだと思えば歌の力というものが伝わるというものです。
長い年月、風雪に耐えながら残った歌のなんという力強さか。
「春すぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香久山」という短歌に触れるということ、遡って「ふぁるつんぎーてなとぅきたるらちちろたふぇのからまぽちーたりあんめのかんぐやま」と当時の発音に戻して味わえることも他ならず「現代まで残ってくれたから」と言えます。
この姫神の作った「神々の詩」は延々と「私は名前がマポです。私に、祖父(祖母)と父と母と兄(姉)と弟(妹)がいます」を繰り返します。
歌詞が自己紹介であること、社会を構成する最小単位である家族の紹介であることは、今では想像もつかないほどの遠い世界である当時においてどれほど言葉であったでしょう。
我々は今「神々の詩」のおかげで非常に遠い時間の世界の一部に触れられているのかもしれません。
そう思えばこの歌詞の凄まじさよ!
また言語とリズムは結構大切で、ある文化圏では「常に歌うように喋る」という言語圏があるそうです。
言語学者が聞き取りのため「なるべく節をつけないで喋ってくれ」と依頼したところ、彼らの言葉はたちまち拙くなってしまった、と。
仮にあるとき縄文時代に飛ばされてもこの歌を覚えていれば自己紹介の音はどうにかなりそうな気がしてきますね!
言霊「ス」が教えてくれること
2021-11-01 10:00:00
言霊「ス」が教えてくれること
ー和の叡智
浅子雄一郎 [2021.09.19]
波紋
皆さん、こんにちは。浅子雄一郎です。「とほかみえみため」を唱えていると
心が「スッ」と落ち着いてくるもの。
この落ち着きはどこから来るのだろう?と考えると
それはやはり、この8文字によって
ご先祖様や神々という私たちの大元である「ルーツ」に
接続が起こるところからでしょう。
「ス」といえば、ずっと前に、「素」というものが
どうにも気になって仕方がなかった時期があります。
「素」こそ、すべてのルーツであり
何者にも侵されない領域といいますか、
生命体として最強の状態なのではないか
と感じたのですね。
日常で「素」を生きられない
もどかしさ、苦しみからくる「素への憧れ」というものも
あったかもしれません。
それで、当時毎日書いていた日記に「素」をテーマに考えたことを
つらつらと書き連ねたりしていました。
そもそも、「素」とはどのような状態であり、
如何なる理由で「素」は最強なのか。
「素」と人の能力、才能の発揮
創造性とはどのような関わりがあるのか。どうすれば人は「素」に入ることができ、「素」を妨げるものとは何なのか。その答えを、今私たちは「とほかみえみため」という言霊を通して発見し、体感する好機に恵まれていますが、振り返りますと、こういった思索と
その中で訪れる様々な気づきを
文字に落としていく作業は、とても楽しいものでした。
日々のあれやこれやで
目まぐるしく過ぎてゆく日常の中でこの作業をしているときが
一番自分が「素」に還っていた時間
ではなかったかと思います。これが何の役に立っていたのかと聞かれますと、それこそ素に還ってしまうといいますか何とも答えられないところがあります。
ただ、「素」は「モト」とも読みますが、
生きていくうえで何らかの「モト」(元・源)になって
くれたような気がするのは確かです。
実は深い「むちゃぶり」
以前、記事を執筆していたとき久しぶりに「素」について考えさせられたことがありました。
その記事の中で、
「むちゃぶり」という言葉を書くときに「ぶり」をひらがなで書くか
「振り」と漢字で書くか
どちらにしようかと迷ったのですね。それで、ひらがなと漢字のどちらが主流なのだろう?と調べてみたときに「むちゃぶり」という言葉の意味に意外にも「素」という言葉を発見して驚いてしまいました。
むちゃぶりとは、お笑いで用いられる「フリ」の一つ。
一般的なお笑いの形式としては、相手のキャラを考慮したうえでそれに沿った「フリ」を与えることになるが、ここであえてそのキャラ設定を無視した対応困難な「フリ」を与え、相手がそれに動揺して素を露呈してしまっているところを笑いに転化するのがむちゃぶりである。 (Wikipedia)
「むちゃぶり」って
実はこんなに深かったんですね。「素を露呈して~」というのを読んで
また例の「素」をめぐる思索が
動き出してしまったわけです。
なるほど~。
ゼロ(素)になることでマイナスを笑いというプラスに転化する、「逆吉」そのものだな、とか
動揺は反転するチャンスであり、反転するときは必ずゼロを通過するとなるとやっぱり「素」ってポイントだな、といったように。
古事記の最初の神を生む、言霊「ス」
ちょっと話が飛びますが、
言霊学では、古事記で一番初めに登場する神天之御中主神を言霊「ウ」としてこの一者から、言霊「ア」(主体)と「ワ」(客体)が生じるとして天地創造の始まりを説いています。そこで以前、七澤先生が朝のお話で言霊「ウ」は、言霊「ス」から生まれるというお話をしてくださったことがありました。
「ス」という言霊から、「ウ」が生まれてくるというんですかね、
母音が生まれてくる元の言霊が言霊学の中では説かれていて、淡路(ア、ワ)島が、最初に島として生まれる前の「ウ」で、また、「ウ」が生まれる前の「洲本(すもと)」の、「ス」の元(もと)っていうようなですね。
器の教えで言うと、お酢ですね。
お酢を、結局、必ず膳の真ん中にのせるということを、
我々は、先生から聞いてきたんですけども、
それが、何故、酢なのかというと、「ス(静、素、州、巣)」の言霊であるし、
酢が、すべての日本でいうところの大山咋神(おおやまぐいのかみ)の発酵の働きですね。
お酢のものが、一番真ん中にあって、それから、ご飯とか味噌汁とか、おかずが置かれる。
それが、お膳の組み方なんだというかね。
あるいは、言葉の最後に、「ス」を付けるというのも、そういう大事な言葉の使い方ですね。
「ス」という最後に、そこで確実に終わるっていうんですかね。
始まりであり、終わりであるというようなものを、
「ス」の言霊ということを言っているんじゃないかと。
(はふりめく2018年12月6日)
ちょうど言霊「ス」について
考えていた朝このお話があったことに
とても驚いたので、よく覚えています。「ス」ということに関して大変示唆に富んでいる内容ですが、皆さんはこのお話から、何を感じますか?私は、「発酵」の働きを象徴するお酢(ス)を膳の真ん中に乗せるというお話が鮮烈でした。私たちの生命を支える食、とくに身体が喜ぶ食事をしようと思えば、「発酵」は必ずその中心に据えるべきものです。
たとえば、よい作物を作るには
よい土である必要がありますが、よい土は、微生物の働きによる
発酵を取り入れることで実現します。
ひとたび和食に目をやれば、醤油、みりん、味噌、漬物、
納豆、日本酒といった発酵食品が
その中心を担いますね。こうした発酵食品文化こそユネスコの無形文化財に和食が選ばれた中心的な理由であったはずです。土と和食の要(中心)ともいえる
発酵(酢)を膳の中心に据える慣習と
言霊「ス」が明かす言霊の中心点、なるほど、と思います。
先祖と繋がる「ス」
ところで、こうした発酵の文化であったり
発酵したよい土(土地)を守ってきたのはどんな方たちでしょうか。そう、ご先祖様方ですね。遺伝子や細胞レベルだけでなく食や土地といったものを通しても、私たちの命と日常はご先祖様に支えられているのです。私たちを作る「素(モト)」である食、土地、そしてご先祖様を大切にしていきたいですね。もちろん、それは素の集まりとしての
自分という存在を
大切にすることでもあります。そして、冒頭のお話でいいますと、「とほかみえみため」によって「スッ」と落ち着いた感覚があるのはご先祖様の存在とあわせて、そんな言霊「ス」の消息を深いところで感じ取るからなのかもしれません。「とほかみえみため」を唱えながらご先祖様、そして「ス」とともに歩んでいきたいなと、あらためて思うわけです。
この記事を書いた人
浅子雄一郎
neten株式会社/ラボラトリオ株式会社研究員
早稲田大学教育学部卒。
ヴィパッサナー瞑想からマントラを使った瞑想など様々な瞑想法を経て、白川学館の門を叩く。
言霊の叡智を装置化したロゴストロンの信号で、それまでの瞑想の体感が一変。この体験に衝撃を受け、800年間宮中祭祀を司ってきた白川伯王家伝承の「おみち」を生涯実践することを心に決める。
祓い、鎮魂、言霊を実践しながら、自らが世界の人々と「おみち」との結び手となるべく、日々奮闘中。
女の子が「可愛いから」という理由でなんでもひらがにしてしまうけど、発端も「可愛いから」だったりして。
ぅまい
韓国語のハングルはズバリ!阿比留文字だったのですね!!
韓国の人には言えない事実…
ハングルは、中央アジアの民族の文字を朝鮮語の発音に合わせて作りかえたものだと言われていて時代が随分新しいものだと思いますが?
カタカナの発生と漢字、ひらがなの発生は別ではなかろうかと考えています。
庶民の婦女子が書いたカタカナ文字が残っていますし生活の中のメモ書きであったり生活必需品を買う為の品物書きの羅列であったり。
電報みたいな文字遣いです。
カタカナは生活の中に古くからあったように思えてなりません。
昔のおばあちゃんの名前は女性でもカタカナが多いのはなんでですか?
漢字の伝来以前に神代文字が存在していたことを確定された事実のように前提としていますが、神代文字の考古学的物証としては南北朝時代の物が最古らしいです。石に刻まれた神代文字にしても時代相応の風化が進んでいないのも不自然。神代文字を実在とする論調では風化していない理由として50年〜100年毎に彫り直しをしている人達がいるからという苦しい説明。漢字以前に神代文字が実在していたならそういうメンテナンスから離れた遺跡があるはずです。神代文字は実在したかもしれませんが、その可能性は今の所はかなり低いと感じます。神代文字が何かの権力に迫害を受け、その迫害から守ろうとする集団によって密かに綿々と受け継がれてきた、というロマンであるなら否定できないですけど。